日本三大ツンデレの一人である広岡達朗。彼がヤクルトを日本一に導いた翌年に上梓した処女作が『私の海軍式野球』だ。
「まず、この本を書くことになった理由を述べたい」
と、まるで報告書のような書き出しから始まる同著。全体にこなれてない文章から見るに、語りおろしをゴーストライターがまとめたのではなく、本人が執筆――引退後、サンケイスポーツの専属解説者としてゼロから文章修行をしたことがある。この辺の事情は広岡の『監督論』に詳しい――したのだろう。
内容は、生まれ故郷である広島県呉市と海軍軍人だった父の思い出話から、ヤクルトを日本一に導くまでのドキュメント。広岡自身が考える監督論、そして巨人への提言から成っている。なお、同著には、西武監督時代における管理野球の代名詞となった「食事制限」のことは一切書かれていない。一方、その後の著書に頻出する中村天風の話は大々的にフューチャーされている。
広岡といえば「管理野球」だが、初めてこのように呼ばれたのがヤクルト監督時代のことだった。禁止令の乱発、問題児の松岡弘、チャーリー・マニエルに手綱をつけたことなどから「管理野球」と呼ばれるようになったわけだが、広岡自身は――
「選手たちが自分で自分を管理し、チームの勝利へ力を出し合う。それがプロのチームだろう。そういうところで、監督がゴチャゴチャ言う必要はないのだ。監督は勝つための作戦をたて、選手はその作戦に従ってそれぞれの責任を果たせばいい。お互いにそれぞれキチンと仕事をすれば、それがいい試合展開になるはずだ。要するに、『野球だけやるチーム』ができればいいわけだ」
「その“仕事”ができない選手、文句を言う選手、そういう選手がいるから、日本の監督はしなくてもいいことまでしなくてはならないのだと思っている」(123~124頁)
――と書いている。
そのうえで自分の野球は「管理野球」ではなく、キチンと野球できるチームになるための手助けをしたに過ぎない。手助けが必要となくなれば、「禁止のキの字も口にすることはなくなるはず」としている。
素直に読めばとても真っ当に聞こえるのだけど、あのキャラ――銀縁眼鏡にどんなときも笑わない目、憎たらしいほどサマになっているユニフォーム姿――で言われると、「ケッ、偉そうになに言いやがる!」と思う人も多いのだろう。
ツンデレなくせに誤解されやすいキャラなので、以下のように明確な意図を持って言ったことでも、壮絶に恨まれてしまうわけで……。
「シーズン中、私はよく選手をボロクソにコキおろした。~~中略~~マスコミの前でしゃべるのだから、これでは日本中に向かって選手の悪口を言っているようなものだ。
だが、そんなことは百も承知である。承知の上でコキおろすのである。選手は、「クソッ! あの野郎」と思うだろう。それを、私は期待している。だから、カンカンになって怒れば、大成功ということになる」(144頁)
ヤクルトでは松岡弘、西武では東尾修が生贄となった。結果、二人とも大活躍したので、広岡の操縦法はとりあえず成功だったといえる。しかし、若松勉や辻発彦などの例外を除くほとんどの人から、「最低の人格」と罵られてしまい、ヤクルトでは途中解任、西武でも解任された。
それでも広岡に言わせれば、「指導者というのはこれ以上下がってはいけないラインがある」という。
「選手に思い切った叱正を与えるとき、すこしでも“計算”があってはダメである。~~中略~~『オレの言う通りにやってみろ。そうすればかならずうまくいく。しかし、どうしてもやりたくなければやらなくてもいい。ダメになってクビになるのはキミだ。それじゃ、金も稼げないじゃないか』 私はこういう言い方が、相手を“尊重している”ことだと思っている」(157~158頁)
合理主義と精神主義の究極のコラボレーションというか、正論に正論を足したら極左になっちゃったというか。とにかく“自分の野球”に絶対の自信がなければいえないセリフであることは間違いない。言葉を換えれば、名監督になるためにはこんなセリフを平気でいえるくらい、自らの野球観を突き詰め、理論化しなければならないということなのかも知れない。もっとも、全く違ったアプローチで名監督になる方法(例えば仰木彬とか)もあるんだろうけど。
そんな広岡の原点となったのが「海軍」だ。
二章の「私は『江田島式野球をやった』」には、海軍軍人だった父の話、海軍の軍記とチームの軍記について考えたエピソードが紹介されている。
「軍艦の戦いというのは、陸上での戦闘とは違って、艦が沈めば全員も沈むという運命共同体同士の戦いである。したがってひとりの乗組員が手を抜いたり、勝手なことをしたりすると、たちまち艦全体に大きく影響する。全員がひとつの目的、つまり勝つことに向かって心と力をあわせなければならない」(20頁)
父(もしくは父の友人)から聞かされた海軍の話だ。少年の頃に聞いたこの話から、広岡は「人間ひとりの仕事の重大さ」を思い知るとともに、軍艦(チーム)を沈めない(勝たせる)ためには、「どんな小さな妥協も許されない」「ひとつの妥協が“沈没(敗北)”につながる」という摂理を心に刻む。
この、「どんな小さな妥協も許されない」という思想こそが、広岡野球のエートスといえよう。このことを心から信じているからこそ、ためらいなく禁止令を出し、きつく叱正でき、徹底した食事管理もできたということだ。
チームを勝たせるためには、あらゆる妥協を許さず、全てをチームに捧げさせる――同著のタイトルは、そんな<究極の負けず嫌い=究極のツンデレキャラ>である広岡の原点を最も的確に表現しているといえよう。
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