2012年4月30日月曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:最終回

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

民主主義を初めとする近代的諸価値とは、数ある宗教の一つである――という事実を事実として認識し、“目が覚めた”市井の一員として、何をすべきか?

知識人であれば、適菜先生や呉先生のように警世の士として活動すべきなのかも知れませんが、あいにく若年のうちに体系的に学問を修めた経験がなく、学識、知性とも残念なレベルにあるので、この道を歩むわけにもいきません。

≪民主教≫を否定し、分相応の生き方をするのであれば、「貧乏な自営業」として精進し、スキルを磨いて、自分のやれることをやりきれば良い。政治に関わる必要は一切ないし、投票に行く必要もない――という生き方に徹するのが、多分、正しいのだと思います。それこそ政治や行政などは、専門家に任せておけば良いってことで。

でも、自分一人がそう割り切ったところで、世の中はB層を中心にガンガン動いていくわけです。政治についていえば、自分にとって悪い方向に舵をきられる可能性も大なわけで……。極端なハナシ、何もせずに黙っていたら、「これから第二次ベビーブーマーより下の世代は年金支給が75歳以降になるから。あと、医療費負担も5割に引き上げね」みたいなことになってしまうかも知れないってことですよ。

となれば、≪民主教≫を追認し、自分の土俵ではなく相手の土俵に乗って勝負するような形になってしまうけれども、昨日と同じようにおまんまを食べ続けるためには、投票することで政治に関与せざるを得ないんじゃないかと。

「じゃぁ、どこに投票すんだよ。お前の利益代表なんてどこにもないじゃないか!」

と、言われそうですが、この問いに対してはハッキリとした答えを持っています。

投票は白紙でOK。とりあえず投票用紙を持って投票に行くことが重要。なぜなら個々人の投票行動は、総務省がまとめていて、「30代男性のうち何%が投票に行ったのか?」といったことは、完全にデータベース化されているから。「誰がどの党に入れたのか?」まではわからないものの、「誰が投票に行ったのか?」までは把握されているわけです。もちろん、こうした投票行動のデータは完全に開示されていて誰でも閲覧できます。

で、世の中の政党は、このデータを基に選挙戦略を立案しているわけです。既存政党が「年金は大事。高齢者の医療費負担は増やしません」とか言っているのも、ジジババが選挙に行き、現役世代は選挙に行かないってことを、これまでのデータで把握しているが故のこと。

言葉を換えれば、白票であれ何であれ、現役世代の大多数が選挙に行くようになれば、「20~30代の得票率が高く、次の選挙では最大の票田になるかも」みたいなデータが出て、これを見た既存政党or新党が、「ジジババよりもデカイ票田なら、これに合った公約を出しておけば勝てるべ」となって、「年金を減らせ、高齢者の医療費負担も増やせ」――となるかも知れないわけです。

もちろんこんな風にわかりやすく、かつ、理想通りに物事が運ぶことはないでしょう。それでも、「王政復古のクーデター」とか「投票率0%で議会制民主政治の危機」とかいう絵空事よりは、ずーっと現実的だと思うんですよ。

さて、6つのエントリを消費して与太話を続けてきた結論が、実に何とも膝カックンなものに終わってしまってアレなんですが、端的に言えば3行くらいで終わることを延々と書き続けてきたのは、手前自身、ハッキリとした持論をもってなくて、書きながら考え、書きながら着地点を探してきたからですよ。

まぁ、書いているうちに「≪民主教≫から解脱して、かつ国内に王族を持たない国家は、政権の正統性をどのように確保すれば良いか」とか「自由と平等以上に大切な契約の概念は、≪民主教≫なき世界でどのように確保されるべきか」とか「世界が束になってもかなわないアメリカが≪民主教≫を棄てたら、諸民族の神は復活するのか」とか、いろいろと思いついて収拾がつかなくなったので、ひとまずエイヤ! っと締めて得た結論が↑であると。

というわけで、わが“心の師”である適菜収先生の『ニーチェの警鐘』を読んでつらつら考えたシリーズは、これで打ち止めです。

2012年4月29日日曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:その5

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

≪民主教≫はイカン! といい、選挙は≪民主教≫の儀式であり、選挙ごときで世の中を変えることがおかしい!! と主張する適菜先生は、ニーチェの言葉を借りて以下のような社会を目指すべきと書いています。以下、ちょっと長いですが『ニーチェの警鐘』より引用します。

「ニーチェは健康な社会は、たがいに制約し合いながら三つの累計に分かれるといいます」
「第一のものは≪精選された者≫です。彼ら≪最上級階級≫は≪高貴なる者≫として≪最小数者≫の特権を持つ」
「第二のものは、≪権利の守護者≫≪高貴な戦士≫≪審判者≫といった第一のものに仕えるものです」
「第三のものは≪凡庸な者≫≪大多数者≫です」
「こうした階級の秩序は、恣意的なものではなく「生自身の至高の法則を定式化したもの」であるとニーチェは言います」
「こうした考え方は、平等主義が浸透しているB層社会においては受け容れられないでしょう。しかし、ニーチェに言わせれば不平等こそが正義なのです」

「権利の不平等こそ、総じて権利があることの条件である。――権利は特権である。各人はおのれの流儀の存在のうちにおのれの特権をもっている(『反キリスト者』)」

「権利は抽象的な概念ではなく、現実世界において個々に所属するものです」
「こうした「正しい格差社会」においては、≪凡庸な者≫が軽視されることはありません」
「≪例外的人間≫が≪凡庸な者≫を大切に扱うのは義務であるとニーチェは言います。高い文化はピラミッドのようなものであり、それは広い地盤のうえのみに築かれるからです」
「≪凡庸な者≫にとっては、凡庸であることが一つの幸福なのです
「彼らは、ほどほどの能力とほどほどの欲望によって成り立っている」
「しかし、B層社会においては、≪凡庸な者≫≪大いなる素人≫が圧倒的な自信をもって、ピラミッドをよじ登っていく」
「キリスト教本能が世界中に拡散した結果です」
「そして職業的詐欺師たちが≪凡庸な者≫を唆す」

「靴屋や教師が、本来なら自分はもっとましなことをやるために生まれついたのだと、そういう顔をしているのを見るのは痛ましいことだ(『権力への意志』)」

「近代的理念により、「その気になってしまった」のがB層です」(85~86頁)

ここで適菜先生(=ニーチェ)が思い描いている社会がどのようなものなのか? 引用した字面だけを追えば、「共和制ローマ? あるいは絶対君主制?」と読めなくもないですが、本当のところは良くわかりません。一つハッキリといえることは、「≪民主教≫以外の政体」ってことなんでしょう。

ただし、諸々の条件を全てクリアして首尾よくクーデターを成功させて、↑のような政治体制を実現したとしても、新政権が国民の支持を得ることは難しいのでは?

多分、「政権の正統性はどこにあるのか?」という政権運営の初手の段階で躓くことでしょう。なぜなら国民の大多数はB層であり、B層であるからこそ、≪民主教≫の手続きに則って樹立された政権でなければ、「そんな政権に正統性なんぞあるかぁ!」と反対することが明らかだからです。

クーデターがダメなら、手前も含めて全ての国民が目を覚まし、投票に行かず、投票率がゼロになり、議会制民主主義そのものが揺らぐ……ってことになれば良いのかも知れません。でも、この筋書きは日本国憲法の廃棄以上に難しいハナシであって、夢物語と同じでしょう。

となれば、どうすればいいのか?

2012年4月28日土曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:その4

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

いまから20年以上前のことですが、呉智英先生が『朝まで生テレビ』に出演した際、学生の質問に対してこう答えていました。

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学生:論語も一つのイデオロギーだと思うんですけど(笑)。

呉:いまの人は非常にいいことを言った。もちろんイデオロギーですよ。だからイデオロギーの時代は終わりであるとか、人権のみがイデオロギーではないという言いかたは止めてもらいたい。


人権は最大のイデオロギーです。しかも、最も悪質なイデオロギーです。なぜか?


論語もイデオロギーであるということは、私も認めている。ところが人権イデオロギストは、自分がイデオロギストであることを認めようとしない。こんなイデオロギーは人類の歴史の中で初めてです。こんな馬鹿げたイデオロギーから、私たちはいい加減覚めなきゃならない。

*都築注:言うまでもないことですが、人権という考え方も近代的諸価値の一つであり、つまるところ「キリスト教の抽出物」であって、ここでいう≪民主教≫と同根のものです。

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ここまで完璧な返しをしたところで、改心したパネリストもオーディエンスも一人もいなかったように、≪民主教≫の信者を転向させたりB層を改心させることは、ほとんど不可能に近い難事なんでしょう。適菜先生曰く、「バカを論破するのは不可能」(52頁)ということ。

さて、手前は「民主主義=キリスト教の抽出物」であると考え、いわゆる近代的諸価値が数ある宗教の一つである――という事実は事実として認識しているつもりです。呉先生の言葉を借りて言えば“目が覚めた”といっていいんでしょう。

では、“目が覚めた”手前としては、現代日本においてどのような行動をすべきなのか?

パッと思いつくのは、≪民主教≫に代わる別の宗教を探すことでしょう。しかし、これは難易度が高い。何しろ200年以上前から≪民主教≫に代わる強力な宗教――その一つが≪民主教≫の分派である≪マルクス教≫だったんでしょうが、結局のところ≪民主教≫の害毒を濃縮加工したようなものでした――は探し続けられているものの、いまだに見つかっていないわけですから。

次に思いつくのは、≪民主教≫に代わる別の宗教を、過去の政治体制から掘り起こし、これを持って政治体制を変革する運動を行うことでしょうか。早いハナシが≪民主教≫打倒を目的としたクーデターです。



2012年4月27日金曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:その3

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

昨日のハナシは、「大多数の人間には宗教が必要」ってことでした。となれば当然、「じゃぁお前は何教の信者なんだ?」ってハナシになるものでしょう。

改めてこのように問われると、「う~ん……実家は浄土真宗。といっても浄土真宗の信者ではないだろうねぇ。強いていえば神道かなぁ。御天道さまに顔向けできないって意識はどっかにあるし。あと、病的なまでの判官びいきってことを考えると怨霊信仰もブレンドされているかも」ってことになるかなぁ。多分、儒教、仏教と神道、怨霊信仰のハイブリッドというのが正確なとこなんでしょうけど。まぁ、目の据わった外国人から問われたら、一々議論するのが面倒くさいので「Buddhist」と答えますけどね。

ともあれ、意識しているにせよしていないにせよ、世間体とか常識とかを考えて行動している時点で、何らかの宗教を拠りどころにしていることは間違いないわけです。そして、こうした道徳、常識、規範、法規etcの大元となる宗教の一つとして、「民主主義(以下、≪民主教≫)」があるということ。

この≪民主教≫の害悪については、適菜先生が既刊で丁寧に書いている通りです。詳しくは『ゲーテの警告』か『ニーチェの警鐘』(第二章でコンパクトに要約されています)を読んでください。ここでは敢えて触れません。というか、下手な引用をするよりは、たとえ立ち読みでも全文を読んでもらった方が誤解がないからね。

ともあれ、ここまでの事実――すなわち、民主主義が数ある宗教の一つであるという事実――を事実として認識できる人が多ければ良いのですが、適菜先生に言わせれば、現代日本の大多数の国民は、こうした事実を事実として認識できないでいるようです。

「B層は民主主義が大好きです」
「それどころか、絶対的な正義だと思い込んでいる。学校でそう教わったからです」
「B層は民主主義を否定すると憤慨します」
「彼らは≪民主教≫の信者だからです」
「骨の髄まで洗脳されているからです」(66頁)

この適菜先生の認識は、多分、正しい。というか、30年前に呉智英先生が、それ以前に西欧の知識人が、もっと前にニーチェ、ゲーテが、それぞれ「≪民主教≫(=民主主義であり近代的諸価値)を疑え」と喝破してきたにも関わらず、世界中に≪民主教≫が浸透――共産主義は、ある意味で最も“進歩”した≪民主教≫の一つ――しているのが現状です。実際、アメリカによる≪民主教≫布教の動きに対するカウンターパートが、「より穏健な民主化(=≪民主教≫)」だったり「赤化(=≪民主教≫」だったりするわけですから。



2012年4月26日木曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:その2

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

民主主義について適菜先生は、「十八世紀に発生したキリスト教カルト」「キリスト教を換骨奪胎したものであり、人類の弱体化を目指す宗教」(68頁)と定義づけています。手前の考えでは、「民主主義=キリスト教の抽出物」ですが、言葉は違えど意味はほとんど同じです。

で、手前の言う「民主主義=キリスト教の抽出物」というハナシをもう少し詳しく喩えると、原始キリスト教がコーヒーの生豆なら、パウロ後のキリスト教は焙煎したコーヒー豆で、民主主義はこれにお湯を通して抽出したコーヒーとなるでしょうか。つまり、洗練されている分、風味が良くて誰でも口に入れられて、元々の原形すらわからないということ。

だからこそ、現代日本に生きる大多数の人々(=B層)は、「民主主義が数ある宗教の一つ」であることすら認識できず、「まぁ正しいことなんでしょ」「民主主義と人権は大事なことだよ」「社会制度として部族社会とか封建主義より優れている」……etcと、なんとなく良いこととか絶対的真理のように考え、「民主主義が数ある宗教の一つ」であることすら想像できないわけです。その様子は、コーヒーの存在を全く知らない人が、カップ一杯のコーヒーを飲んだときに、コーヒーの生豆や焙煎工程を想像できないことに似ているといっていいでしょう。

じゃぁ何だ、民主主義はキリスト教であり、つまるところ宗教だからダメっていうのか?

と問われれば、「いえいえ。宗教が悪いわけじゃぁないッス」と答えるしかありません。実際、宗教はほとんどの人に必要なものだと思っていますから。

そもそも人が集団生活を営む以上、どんな形であれルールってものが必要になる(あるいは自然発生する)ものですが、このルールの基になるのが宗教ですからね。

例えば「殺人はダメ、絶対!」というルールについて。多分、人間の本能には「殺人をしてはいけない」というプログラムはないと思います。であればなぜ、全人類の大多数は殺人をしないのか? といえば、「殺人はダメ、絶対!」というルールがあるからであり、そのルールの大元が宗教であるからでしょう。

一例を挙げてみると――

・殺人をしたら御天道さまに顔向けできない=神道
・殺人をしたらご先祖さまに顔向けできない=儒教
・殺人をしたら延々と地獄を彷徨うかも知れない=大乗仏教
・殺人をしてはいけないと神様が言った=一神教

――ってことです。近代刑法について言えば、これはもう適菜先生の言う「近代的諸価値=キリスト教」ですからね。つまり、「道徳=宗教」「常識=宗教」ってことですよ。なので手前としては、よっぽど奇特な人でない限り、人生には宗教が絶対に必要であると考えています。



2012年4月25日水曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:その1

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

適菜先生は数々の著作を通して何が言いたかったのか? 手前の考えでは、「民主主義は数ある宗教の一つ」という事実を訴えたかったのだと理解しています。

えっ? 宗教という言いかたは挑発的だって? だったら「民主主義は数ある主義(思想)の一つ」と言いかえましょう。ただし、どっちにしても同じことなんですけどね。

というもの、宗教も主義(思想)も根っこのところでは「正しさを保証する根拠が超自然的な何か」であって、結局のところ同じものなわけだから。実際、宗教も主義(思想)も、英語で見れば「マルクス主義=Marxism」「社会主義=socialism」「儒教=Confucianism」「仏教=Buddhism」「プロテスタント=Protestantism」……etcと、だいたいのものには「ism」がつくじゃぁないですか(ismのハナシは呉智英先生の受け売りです)。

いや、民主主義はdemocracyであってismはつかないから、その理屈はおかしいって?

……ここは適菜先生にお出まし願いましょうか。

「民主主義は、「一人一人が完全に平等である」という妄想で成り立っています」
「社会に貢献する人も社会に害を与える人も同じ権利をもちます」
「これは絶対存在である≪神≫を想定しないと出てこない発想です。民主主義や社会主義の根本にある平等主義は、≪神≫との距離における平等なのです」(68頁)

「ルソーはキリスト教と≪自然権≫をベースに≪一般意志≫をつくりあげます」
「革命のイデオローグたちは、民族の歴史・民族の法を否定し、≪一般意志≫により「新しい権力機構」を設計すべきだと説きました。≪法の支配≫は伝統や慣習、先例に基づきますが、法の根拠を≪一般意志≫に置き換えた結果、歴史に対する責任が失われたわけです」(69~70頁)

つまるところ「民主主義=≪民主教≫」ってことですよ。

となれば、宗教と主義(思想)の与太話を書くにあたっては、用語をどっちかに統一した方がわかりやすいんじゃないかと思うんですけどね。つまり、「キリスト教」「儒教」「仏教」「民主教」「マルクス教」「国家社会教」にするか、「キリスト主義」「孔子主義」「仏陀主義」「民主主義」「マルクス主義」「国家社会主義」とするかというね。

いやいや、儒教とマルクス主義は違うじゃねぇかって?

だ・か・ら、どっちの“教義”も「正しさを保証する根拠が超自然的な何か」なわけでしょ? もの凄く乱暴にいえば、儒教の根拠は「孔子さまは『五常、五倫は大事』と言った」であり、マルクス主義の根拠は、「マルクスさまは『カネとモノで世の中は動く』と言った」ってことでしょう。どっちのハナシもつきつめれば「実証的でもなんでもない=超自然的な何か」なわけだから。

いやいやいや、五常、五倫は単なる道徳規範であって実証的じゃないかもしれないけど、唯物論は『資本論』その他の著作で科学的に定義づけられているものだ! って?

えーとですね、カネとモノだけで世の中は動かないってことは、イスラム原理主義勢力の自爆テロ一つとっても明らかじゃないですか。もっと事例が必要ですかね?



2012年4月24日火曜日

そりゃぁガッツも打てないわけだ

つまり何がいいたいのかというと、同い年のヒーローが打てなくなっているのは、単純に加齢に伴う肉体の衰えが原因なのかも知れんなぁ……ということを、つい最近、手前の肉体に起きたことから理解したってハナシです。

というのも、このあいだ『氷と炎の歌シリーズ』(近年書かれた中世風ファンタジーの大傑作シリーズ)を読んで2日ほど寝過ごしたら、普段の生活リズムを取り戻す為に1週間かかったうえ、その間、側頭部と後頭部に強烈な緊張性頭痛と左肩の四十肩再発、原因不明の下痢と寒気が襲ってくる――というバッドイベントを経験したわけですよ。当初は、「もしかして7年ぶりの風邪か?」と思ったりもしたんですが、熱はなく鼻炎もなく喉も健康そのものだったので、多分、2日にわたる睡眠不足(=48時間で7時間ほどの睡眠しかとっていないので、事実上の徹夜)が、身体に深刻なダメージを与えたのだろうなぁと。

で、たかが2日に渡る睡眠不足をリカバリーするのに、これだけ身体に大きな影響が出るほど肉体が衰えているのであれば、同い年の小笠原道大選手が打てなくなるのも理の当然であるのだなぁ、と思ったわけですよ。

ともあれ、先週末から養生を続けた結果、ほぼ健康体に戻り、睡眠ペース・時間とも平常時に戻すことが出来たので、今日から本格稼動ですよ。



2012年4月23日月曜日

新作チョコを喰らう:マカダミア セミスイート

★マカダミア セミスイート/明治

●寸評:口当たりの軽いマカダミアナッツをクセのないビターチョコでくるんでいるため、いくら食べても飽きはこないが、その分、印象は薄い。個人的な好みで言えば、マカダミアナッツには甘いチョコがあっているような気がする。

●カロリー対効果:約390kcal(9個)。1個当たりのカロリーは約43kcal。食べやすさは相変わらずで、チョコレート好きであればすぐに一箱完食してしまうだろう。甘さ控え目な分、強烈なインパクトに欠けており、カロリーに比して満足度はそれほど高くない。カロリー対効果は低め。



2012年4月22日日曜日

公立学校に意味はあるのか?

今どきの小学校で驚いたこと 「電卓を使って計算」「男女全員さん付け」「運動会で勝ち負けをつけない」

小学校の劇で「門番1」に甘んじたとしても、そこから学ぶことも多いわけですよ。実際、周りが折り紙を使って小道具をつくるなか、一人タミヤカラーとプラ板を駆使して見事すぎる槍を作ったのがイイ思い出だったりするわけだから。

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37: 子持ち銀河(福井県):2012/04/21(土) 13:54:37.55 ID:BB5oDiK90
あだ名で呼んじゃダメっていうのもあるみたいだな

11: デネブ・カイトス(チベット自治区):2012/04/21(土) 13:12:44.50 ID:pOHLf++v0
運動会でお手々繋いでは都市伝説じゃなかったのかよ
これはスポーツできる子を褒めない、つまり存在価値を認めないってことなんだけどな

17: 馬頭星雲(SB-iPhone):2012/04/21(土) 13:24:38.59 ID:LqBVDtlQi
大人になったら酷い世の中で自殺したくなるだろうな

28: 水星(宮城県):2012/04/21(土) 13:42:10.03 ID:MklQCFFY0
最近会社に入ってきたやつ二桁の足し算ができなかった
こんなのが量産されんのかと

25: ニート彗星(京都府):2012/04/21(土) 13:33:37.83 ID:To7Mr90m0
俺なんかおっさんだけど、昔から劇は同じ役がいっぱいいたよ
ヘンゼル10人グレーテル10人おばあさん10人とか

41: デネブ(新潟県):2012/04/21(土) 14:01:41.82 ID:KIq6Ijvi0
フック船長も10人ぐらいいるの?

44: ベラトリックス(福井県):2012/04/21(土) 14:21:59.53 ID:Ttn8SyJc0
>>41
ネトゲーかよwwww

2012年4月21日土曜日

『ニーチェの警鐘』で一番感心したこと

我が“心の師”である適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』を読みました。

◆目次 ・はじめに:神は死んだ!
・第一章:どうして今の世の中はおかしいのか?
・第二章:ニーチェの警鐘
・第三章:B層グルメとBポップ
・第四章:知識人はなぜバカなのか?
・第五章:B層政治家が日本を滅ぼす
・おわりに:区別をすること

大まかな主張は、前著『ゲーテの警告』や既著『キリスト教は邪教です!』と同じで、呉智英先生の言葉を借りていうところの「民主主義を疑え!」です。で、この辺のことについては、朝野にB層というキーワードを浸透せしめた傑作『ゲーテの警告』の方が丁寧に書いているので、「B層って何?」という人は、まずこちらから読まれることをオススメします。

さて、この本を読んで一番感心したことは何かというと、適菜先生の言行一致振りですよ。というのも、適菜先生は選挙に行かないそうです。

なぜか? 適菜先生はこう書いています。

「要するに選挙は≪デモクラシー教≫≪民主教≫の儀式です。厳密に言えば、選挙は民主主義的ではありませんが、先述したように議会は民主主義の呪いを背負っています」
(中略)
「要するに、≪デモクラシー教≫≪民主教≫の信者は、「選挙に行かない」などと聞くと、自分たちの神様がコケにされたと感じるのです」
(中略)
「選挙なんかで世の中を変えることは危険なのです」(175~176頁)

このように、近代的諸価値を疑い、民主主義に異議を申し立てることになれば、当然のことながら「選挙には行かない」という結論に行き着くわけです。で、このことを十二分に自覚したうえで、実際に選挙に行かず、「オレっち選挙に行かないんだわ」と公言する適菜先生は、本当に偉いなと。「玄米食え、肉は食うな」と選手に言いながら、自分は銀シャリと肉を食って通風になった広岡達朗とはエライ違いですよ。

「じゃぁアンタは、選挙に行かないっていう適菜のヤローの言うことが正しいっていうわけ?」

と聞かれることでしょう。実際、「年金は払うな。投票しろ」なんてエントリを書いてるしね。というわけで、この問いに対する答えについては、後日改めてキッチリ書くことにします。

2012年4月20日金曜日

落合仕事し過ぎ(笑)

昨日、久しぶりにTBSでナイター観戦。で、落合博満の解説を聞いてたんだけど、もう仕事し過ぎってくらいにしゃべるしゃべる。(以下、敬称略)

・ 長野の打席にて→インコースを空けて構えている長野はインコースが苦手。攻めるならインコース攻めだろう。結果=アウトコースストレート、アウトコーススライダーでレフト前にポテンヒット。

・お客さんがイライラするといっていた気持ちがわかった→ベンチで見てたらコースがわからないから、凡打や三振も「いいコースに放られたんだろう」と思っていた。でも、解説席から見ると、こんだけボール球振ってるんだもの。講演でお客さんが「監督、どーして中日の選手ってど真ん中見逃してボール振るの? イライラする」っていってたのが良くわかった。

・村田の打席で長野盗塁死→私なら考えられません。走らせるなら阿部の打席だろうよ。

・平田と森野の打席では名指しで批判→(ホームランを打ちたくて)レフトに身体が向いている。2つボールを見逃してもいいけど、お前は何番打ってるの? 3番打ってるんでしょ? (福田が素晴らしいとのアナの振りに)あれは平田が悪い。

・94年、槇原の完全試合のこぼれ話→5回にピッチャーゴロをワンバウンド送球。「あれを取れるのはオレだけ」。

・福田→高木への交替で高木を9番に入れたことについて→(次の回は9番から攻撃で代打なのに)なんで8番に入れないの? 高木を1回で降ろすにしても、残っているのはマシソンしかいない(この時点で残っていたのは山口、西村、マシソン、宮国。勝ちパターンの山口、西村を使いたくないのであれば、高木を2回投げさせるというオプションを残しておくのは理の当然)。アクシデントがあって、さらに延長戦になったら頭数が足りなくなるのでは?

森野と平田に対する溢れんばかりの愛とか、止まらないルンバ采配批判とか楽しすぎ。いやぁ、こういう野球中継を毎日やってくれるのであれば、地デジTVを買うんだけどなぁ。

2012年4月19日木曜日

衆人環視のなか、アカペラで1曲歌い通す

【悲報】新人が酒飲めない

10年以上、サラリーマンをやった経験から言わせてもらえば、素面でこのくらいのことができるのであれば、酒が飲めなくてもサラリーマン社会は十分に渡り歩いていけます。言葉を換えれば、素面で理性が残っているときにこの程度の割り切りができないのであれば、酒席で円滑なコミュニケーションをとるのは難しいということ。飲めない酒を飲んで完全に潰れた振りをするor病院に運ばれるか、潔くニートとして生きる道を選んだ方が良いと思いますよ。

えっ? サラリーマンじゃなければ無理に酒席に出る必要なんてないだろうって? 

えーとですね、自営業(=経営者)ってのは「死ぬまで自分を営業し続ける」ってのと同義なの。だからサラリーマン以上に酒席が重要になってくるのであって、ほぼ完全に「酒席=仕事」になるの。

でも、アンタは酒席やパーティの誘いは99%断っているっていうじゃん!

それは手前が自営業ではなくて、“貧乏な自営業”だからだよ!

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3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/18(水) 15:07:09.11 ID:7Lnudt6p0
それ本当は飲めるけど面倒くさいから
飲めないってことにしてるだけだよ

27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/18(水) 15:14:32.47 ID:w//Rve5X0
体質的にダメなら仕方ない
ただ宴席でつまらなさそうな顔するのだけは我慢できる範囲で
回避させた方がいいとは思う

>>27
酒飲まないほうが気疲れしそうだな

88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/18(水) 15:31:23.72 ID:jMbg4Rvn0
>>81
「飲みニケーション」は確かに寒いけど、あーあいつホント
はおもしれー奴なんだなっていう発見は確かにある
仕事してるだけじゃ解らん部分はあるよ

155 名前: 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2012/04/18(水) 15:55:54.88 ID:84NnAGTO0
普通ビールぐらいできるでしょ

167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/18(水) 16:00:33.13 ID:9NxNzF2XO
>>155みたいな
奴がいるから夜用ナプキン挟んだタオル持参しなきゃならんのですよ

160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/18(水) 15:57:27.22 ID:r1Nrsv5O0
>>155
それが普通だっていう価値観ははやめに捨てといたほうがいいな

281 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/18(水) 16:49:07.53 ID:ew70dCfN0
百歩譲って飲み会はいいとして、
余興しろとか言い出すのは意味がわからない
誰得だよあれ

2012年4月18日水曜日

双子の弟とか眉毛そり落とした別人設定とか

北野監督「アウトレイジ」続編に西田敏行 熱烈オファーで関西のドンに

水野(=椎名桔平)は出ないのかぁ……。『アウトレイジ』で一番輝いていたのが、水野が多彩に繰り出す「コノヤロー」と“耳菜ばし”だったと信じている手前には、ちょっとショック。「池本組だったらタダなのかコノヤロー」をいうときのちょっと余裕をかましたドSな顔つきとか、「何が道具だ偉そうにいいやがってコノヤロー」をいうときの怒気をはらんだドSな顔つきとかもうね、これだけでどんぶり飯3杯喰えるっていうくらいに良かったもの。

水野は死んでも――殺され方も本ッ当に素晴らしかった!――、その双子の弟(=『男たちの挽歌2』のチョウ・ユンファ)とか眉毛そり落とした別人(=『仁義なき戦い 代理戦争』の梅宮辰夫)とかいう設定にして、無理にでも椎名桔平を出して欲しかったなぁ。まぁ、石原と片岡は健在のようだから、公開されたら必ず劇場に行くつもりだけどさ。





2012年4月17日火曜日

結局、自公で過半数でしょ?

衆院選“最新予測”はこうだ!自民190、民主167、橋下新党は…

向こう3カ月内に総選挙をやればのハナシだけど。だいたい前回の総選挙でさえ8割近くの選挙区では自民と民主の得票数が拮抗してたんだもの。こんなん、前回民主党に入れた人がちょっと迷って民主にいれなかっただけで、全国全ての選挙区に候補を立ててる自民党が地すべり的に勝っちゃうに決まってんじゃん。「小選挙区下における二大政党制では、政党支持率で0.1ポイントでも負けていたら大敗する」なんてことは、手前みたいなバカでもわかることだと思うけどなぁ。

まぁ、この人を含めた政治評論家のいうことはポジショントークなんだから、「民主党主催の講演に呼ばれてギャラをもらいつつ、自分の勉強会に民主党議員をタダで呼びつけるような奴らの言うことだから」って聞き流しておけばいいんだろうけどさ。

2012年4月16日月曜日

原ってバカだろ

中畑監督「鳥肌立った」…古巣巨人に待望サヨナラ初勝利

>同点の延長11回1死三塁で中村紀洋内野手(38)が左中間にサヨナラ2ラン。

スコアを見なくてもこの一文を読んだだけでわかる。「何で敬遠しなかったの?」

・同点、裏攻撃で1死三塁なら犠牲フライでサヨナラの場面
・一塁、二塁は空いている
・対するバッターはDeNAでラミレスの次に恐ろしいノリさん
・ノリさんのサヨナラHR記録は確か現役最多
・そういえば今年は得点圏打率もリーグトップじゃなかったっけ?

――ってことを考えれば、誰がどう考えても捕手を立たせて敬遠する場面だよね? 場合によっては満塁策でもいいでしょ。どーせ下位打線なんだし。これはどうにも弁護できない采配ミス。てか、この試合に限っていえば「原ってバカだろ」としかいいようがないよなぁ。

ともあれノリさんが復活してくれたのは嬉しいなぁ。YouTubeで見たけど、シュートを完璧に読みきって思いっきり身体を開いて打ってたし。アレならあと3年はやれそうだ。

2012年4月15日日曜日

smallvilleを見終わった:その4(続々・見過ごせない瑕疵について)

以下、昨日、一昨日に引き続き『smallville』シーズン9の超絶ネタバレをかますので、これから『smallville』を見ようと思っている方は、そのままブラウザの「戻る」をクリックされることをオススメします。

シーズン9で語られているテーマの一つに、「クラーク・ケントの人間性の回復」があります。というのもクラーク・ケントは、シーズン8でヤングドゥームズデイとの戦いを経て、「感情に流されたことで取り返しのつかない失敗をした」「クリプトン人なのに人類の持つ人間性があるから、オレはヒーローになれないんだ」という結論を出し、「クラーク・ケントは死んでしまった」という捨て台詞を残して、クロエの下を去ります(このように、正編でスーパーマンを殺すドゥームズデイが、過去にクラーク・ケントも“殺していた”ってハナシに落としているところがイイ! こういうところもシーズン8の美点だと思いますよ)。

こうして人間性を押し殺し、孤独の要塞でジョー・エルとトレーニングに励むクラーク・ケントが、押さえつけていた感情を直視し、自身の持つ人間性を認めた上で、真のヒーローへと成長していく――。つまるところ、ドゥームズデイに“殺された”クラーク・ケントが“復活”する物語こそ、シーズン9に通低するテーマなんですよ。

そして、この“復活”のキッカケとなるのが、「ep1:SAVIOR」で、脱線事故により地上へと墜落するモノレールを救助した際に、ロイスの姿を見てしまったことだったりします。3週間行方不明になっていたロイスの無事を確認したことで、秘めていた恋心にブワァーっと火がついて、感情も人間性も押さえ込めるもんじゃありませんな、こりゃ! となっていくわけです。

で、この脱線事故がどうして起きたのかというと、スーパーパワーを持つ“女忍者”アリアがロイスを襲ったからなんですよ。つまるところ、「シーズン9の大テーマに関わる一大イベントの契機が、どうにも弁護のしようのない脚本のミスに起因している」ってことです。これではね、さすがに「薄目で見て」も見逃せませんて。

実は↑のミスについては、「もしかしたら次のシーズンで何らかの後付説明があるかもしれない」と、ほんのり期待していたものですが、シーズン10はといえばシーズン9のことを忘れたかのような感じで淡々とハナシが進み――ってアメドラはみんなそうなんだけどさ。『DEXTER』なんかも前シーズンの伏線を全部すっ飛ばす漢っぷりだし。まぁ、面白いからいいんだけど――、結局、何の説明もないまま終わっています。

というわけで、シーズン9の脚本のミスについてのハナシはこれで打ち止め。いやぁ、ここまで書いてようやくスッキリしたわ。

2012年4月14日土曜日

smallvilleを見終わった:その3(続・見過ごせない瑕疵について)

以下、昨日に引き続き『smallville』シーズン9の超絶ネタバレをかますので、これから『smallville』を見ようと思っている方は、そのままブラウザの「戻る」をクリックされることをオススメします。

なぜアリアは、赤い太陽のない世界でもスーパーパワーを発揮できたのか? について考える前に、昨日までのハナシについて簡単に整理しておきましょう。

◆時間軸A=「ep1:SAVIOR」の時間軸。この時点でゾッド少佐は“再誕”したばかり。<ゾッドタワー>のアイディアは片鱗もない。クラーク・ケントはスーパーパワーを使い一人自警団をやっている。
◆時間軸B=「ep9:PANDORA」の時間軸であり、もう一つの未来。<ゾッドタワー>が完成し、赤い太陽が照りつけている。カンダー人はスーパーパワーを使いまくり、クラーク・ケントはただの人になっている。
◆赤い太陽=カンダー人にとってのスーパーパワーの源。これがなくなるとスーパーパワーを失う。
◆クラークの血=カンダー人の体内に一滴でも入れば、永続的にスーパーパワーを獲得できる。

時間軸Bのアリアにとってのスーパーパワーの源は、言うまでもなく赤い太陽です。いかなカンダー人でも、黄色い太陽の下ではただの人であるということは、<ゾッドタワー>の機能が停止して黄色い太陽に変わった途端、スーパーパワーを失ってしまったゾッド少佐の描写を見れば明らかです。加えてこの描写は、スーパーパワーが“充電”できる類のモノでもないということも明らかにしています。

つまり、時間軸Bでスーパーパワーを発揮していたアリアとて、時間軸Aに来た途端、ただの人になってしまうってことです(もっといえば、<ゾッドタワー>が停止し、ゾッド少佐がスーパーパワーを失っているなかで、アリアだけが弾丸よりも速いスピードでレジオンリングを触りにきたってこと自体不合理なんですが、とりあえず措いておきます)。

ではなぜ、時間軸Bのアリアは時間軸Aでスーパーパワーを発揮できたのか? 

シーズン9で語られている事実から考えられる可能性は、「クラーク・ケントの血を体内に取り入れた」ってことしかあり得ません。しかし、時間軸Bのアリアがクラーク・ケントの血を体内に取り入れることはあり得ないんですよ。

そもそも、クラーク・ケントの血がカンダー人のスーパーパワーを復活させるという秘密が明らかになったのは、「ep14:CONSPIRACY」でのこと。ゾッド少佐が命を落としてしまったときに、これを助けるべくクラーク・ケントが自らの血を彼の傷口に流し込み、生き返らせた後のことです。生き返ったゾッド少佐は、自らがスーパーパワーを得たことを確認し、その原因がクラーク・ケントの血にあったことに気づき、「ep17:UPGRADE」のラストで自らの血を仲間に分け与えます。これにより“再誕”した多くのカンダー人がスーパーパワーを取り戻します。

ですが、このエピソードはあくまでも時間軸Aの延長にあるハナシであって、<ゾッドタワー>がクラーク・ケントに破壊された後――つまり、時間軸Bという未来がなくなった後――のことです。しかも、時間軸Aのアリアは「ep13:PERSUASION」でゾッド少佐に殺されています。つまり、二重の意味でアリアが永続的なスーパーパワーを持つことはあり得ないってことです。

さて、このアリアを巡るスーパーパワーの問題が、ストーリーと全然関係のないハナシであれば、例のごとく「薄目で見て」ですね、「まぁ、初っ端から“女忍者”が大活躍すればカッコいいし、それでいいんじゃね」で済ませていたと思います。が、この問題は、ストーリーと全然関係ないどころか、シーズン9のテーマの根幹を左右しちゃったりしているわけですよ。
(つづく)

2012年4月13日金曜日

smallvilleを見終わった:その2(見過ごせない瑕疵について)

以下、『smallville』シーズン9の超絶ネタバレをかますので、これから『smallville』を見ようと思っている方は、そのままブラウザの「戻る」をクリックされることをオススメします。

えーとですね、シーズン9の何が許せないのかっていうと、「アリアはなぜ、スーパーパワーを持ち続けたのか?」ってことですよ!

といっても、何のことかわかりませんね。というわけで、このハナシに文句をつける前に、ザザッと事実関係を整理しておきます。

・アリアは、「ep1:SAVIOR」に出てくる“女忍者”
・アリアは「クリプトン星、カンダー国の軍人」(以下、カンダー人)
・カンダー人(=アリア)は黄色い太陽の下(=地球)ではスーパーパワーを発揮できない

なぜ、クリプトン星人であるカンダー人が、クラーク・ケントと同じように黄色い太陽の下でスーパーパワーを発揮できないのか? その理由は以下の通りです。

・カンダーが滅びる直前、ゾッド少佐が率いるカンダーの軍人たちは、ジョー・エルに自らのDNAサンプルを託した
・ジョー・エルは、彼らのDNAサンプルをオーブに納めて地球に送った
・ただしジョー・エルは、将来の禍根を経つべく、オーブにブルークリプトナイトをかざし、DNAサンプルからスーパーパワーを除去していた
・地球に辿りついたオーブは、いろいろあってテス・マーサーが復活させた
・オーブ復活により、そこに納められていたDNAサンプルからゾッド少佐以下、数十人のカンダー人が“再誕”する
・しかし、「黄色い太陽の下、神のごとき振舞える」はずだったのに、スーパーパワーが使えなくなっていた

で、ゾッド少佐はスーパーパワーを取り戻すべく色々と策謀し、そうはさせじと我らがクラーク・ケントが立ちはだかる――というのが、シーズン9の大雑把なハナシの流れです。

さて、ゾッド少佐とカンダー人は、シーズン後半においてスーパーパワーを取り戻します。その方法は、「赤い太陽」と「クラーク・ケントの血」です。

すなわち、

①<ゾッドタワー>で、地表に届く太陽光線に色々と細工をして作り出した赤い太陽の下であれば、カンダー人はスーパーパワーを取り戻す
②カンダー人の体内にクラーク・ケントの血が1滴でも入り込めば、黄色い太陽の下でもスーパーパワーを発揮できる

というものです。ゾッド少佐が目指したのは①の方法で、テス・マーサーと虚虚実実の駆け引きをしながら、ゾッドタワーの建築を目指します。

ゾッドタワーが完成した暁には、数十人の良く訓練されたカンダー人がスーパーパワーを持ち、地球を支配することなるでしょう。我らがクラーク・ケントは黄色い太陽の下でしかスーパーパワーを発揮できないため、他の人類と同じく二級市民として収容所で暮らすことになってしまうはず。クリプトン星人の弱点を知るクロエ・サリバン、オリバー・クイーンら元ジャスティスリーグの面々は、グリーンクリプトナイトを使った銃弾やボウガン、ナイフでレジスタンス活動に勤しむに違いない――という未来も実現しかねません。というか、別の時間軸では実現していました。それがシーズン「ep9:PANDORA」で描かれる「もう一つの未来」です。

そこに迷い込んだのがロイス・レイン。シーズン8「ep22:DOOMSDAY」で、テス・マーサーとステゴロをしているうちに偶然レジオンリングを使ってしまい、未来へと旅立ったわけです。ちなみにレジオンリングというのは、タイムスリップができる便利な指輪で31世紀の製品です。

ロイスはいろいろあって過去のクラークたちに警告すべく、レジオンリングを使って元の世界「ep1:SAVIOR」に戻ります。しかし、ロイスがレジオンリングを輝かせた刹那、“女忍者”装束をまとったアリアもリングに触れ、一緒に元の世界に戻ってくるわけですよ。

こうしてロイスとともにタイムスリップしてきたアリアは、「ep1:SAVIOR」において、スーパーパワーを遺憾なく発揮してクラークを追い詰めます……って、<ゾッドタワー>もなくて赤い太陽もないのに、なんでスーパーパワーを発揮しているわけ? というのが手前の感じた違和感であり脚本の瑕疵なんですよ。
(つづく)

2012年4月12日木曜日

smallvilleを見終わった:その1(第一印象について)

先月、最強と名高いDVDリッパー「AnyDVD」を導入。晴れて字幕つきで見られるようになった『smallville』シーズン9&シーズン10。徹夜のフルマラソンをせずに、今日までちまちま見続けられたのは、公用&私用でいろいろあったこと以上に、シーズン8ほど夢中にさせるものがなかったからですよ。

というわけで、以下、ネタバレ有りのファーストインプレッション。

・シーズン9。ゾッド役が良い。このドラマにおけるレギュラー以外の男優ってことごとくキモイ――デイビスとかコーベンとかアクアマンとか。ジミー・オルセンもキモイし――けど、ゾッドについて言えば、いかついもののキモさはゼロ。悪役としての存在感もあって非常に良かった。

・ヤングゾッドvsヤングスーパーマンという構図は、シーズン5から7にかけてのvsヤングレックスの頃みたいな感じで悪くない。ただ、シーズン7と同じように、途中から“宝探し”がメインになるところが……。これさえなきゃ面白かったんだけど。

・クラークとロイスの急接近については、内外で批判が渦巻いていたようだけど、手前的には全然OK。というかもっとやれ! というのが本音。いえね、こういうベッタベタなラブロマンス展開って嫌いじゃないのよ。

・ただ、ロイス役のエリカ・デュランスが、シーズン9に入ってから急激にゴツくなってしまい――デブとはいわないけど、全体に横幅が広くがっしりとした感じになった――チャーミングさが消滅してしまった点はマイナス。露出の高い服も着なくなったし。シーズン8は頭髪も黒味がかってきてルックス的にも完璧に近いロイスだったんだけどなぁ。

・シーズン9についていえば、全体通してのハナシは面白いし十分満足。ただし、脚本について、1点だけ決定的な瑕疵があったのが残念。

・手前は映画でもドラマでもアニメでも、「薄目で見る(=例えプラモの飛行機を吊るしているピアノ線が見えていたとしても、これを薄目で見ることにより見なかったことにする――という視聴技法)」ことを己に課しているので、SF考証とかタイムラインのズレみたいな瑕疵については全然気にしません。

・どのくらい気にしないかというと、例えば『アルマゲドン』の「宇宙空間で隕石が火を噴く描写」とか「宇宙ステーションの“ガソリンスタンド”での液漏れが、何故か画面下に滴り落ちる描写」とかも、「いいじゃん! 雰囲気があって」「液漏れがプカプカ浮くのもいいけど、滴り落ちた方がわかりやすいじゃん!」みたいに許すほど。

・実際、ハナシの大筋に関係のない瑕疵については、ネタとして突っ込むのはイイけど、顔を赤くして突っ込むのはどうだろうか? と思っているのでね。

・で、そんな手前でも「これはちょっと許せない!」と、顔を真っ赤にして突っ込みたくなってしまった脚本の瑕疵については、後日改めて。

・シーズン10は、シーズン9よりやや低調。『ウォッチメン』的世界を描こうという気概はいいんだけど、出来上がったものはといえば、単に暗いハナシが続くだけだったりして。最終的な解決方法も超能天気なモノで、なんだかなぁ……という感じ。

・そんなVRA編を終えた後半は、『スーパーマン』正編に向けた設定の整理と伏線の回収がメイン。この辺はもろにエピソードゼロ的展開――クラークがメガネを掛ける理由とかクロエが正編に一切出てこない理由とかetc――が続くので、ワクワクしながら見た。

・シーズン9、10両方に共通することだけど、全シーズン通して「コレ!」というベストエピソードがなかったことが、低調に感じた理由の一つかも。

・シーズン8は、「ロイスとのキスの直前にラナが現れたと思ったら結婚式大惨事」(ep10:BRIDE)、「ブレイニアックの破壊とクロエの命という究極の選択を迫られる」(ep11:LEGION)みたいな無条件で面白い回や、「ロイスの暴走とクラークの献身。そしてついにブラーがロイスとコンタクトを取る」(ep18:「STILETTO」)のような神回があったからね。

・ただし、10年も続いたドラマとして見れば、どのエピソードもダレてなかったし、テンションも下がっていなかったので、非常に健闘していたとは思う。

・とまぁ、いろいろとブー垂れてはいるものの、最終話でレックスとクラークが対峙して、ダークネスとの戦いの最中にスモールビルでの記憶を辿り、ついに自ら飛び立つという一連の流れを見せられてはねぇ……ブツクサ文句を言ってたおじさんも一発KOですよ。そこからラストまでの展開は、わかっていても感動するからなぁ。正直、最終話を見られただけで、シーズン10の元は十分取れたという感じ。



2012年4月11日水曜日

森繁和の『参謀』は、落合ファンにとっての必修テキスト

落合博満前中日監督の下、8年間に渡って投手コーチ~ヘッドコーチを務めた腹心・森繁和の新刊『参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」』(講談社)を読みました。

既に先週金曜日に発売されていたことを知らず、Amazonで見たら「2~4週間で発送」となっていて、「だったら近所の書店で買えばいいじゃん」と、基幹駅近くの大型書店に在庫の確認をしたらどこにもない! で、Webで調べてみても紀伊国屋書店、三省堂書店ともに在庫がなくて、「こりゃ重版かかるまで読めないかも」と思いつつ、ダメ元で池袋・旭屋書店に電話したら「在庫があるので取り置きしておきますよ」という返事がキターー!

というわけで、大した用事もないのにわざわざ池袋まで行き、帰りの電車内でザザッとナナメ読みしたわけですが……。

ファーストインプレッションはというと、「そうそうこれこれ、これが知りたかったのよ!」。“落合中日”の強さの秘密については、落合博満の『采配』でも十分に書かれていました。しかし、『采配』は、あくまでも「監督の視点から勝負事の原理原則を語る」という内容がメインであって、現場レベルでの実践や工夫などについては、あまり書かれていなかったわけです。で、『参謀』はというと、『采配』で書かれていなかった具体的な戦略や戦術……つまるところ、「コーチの人事や指導は?」「ローテの決め方は?」「あの場面でああした意図は?」みたいな個別の事象について、余すところなく書ききっているわけですよ。

加えて、“落合中日”における不可解な事象についても、その多くの真相を暴露しています。例えば、オフ恒例の“ドミニカ通い”。手前は「ミラー問題で北米におけるスカウティングができなくなったが故の苦肉の策」「森の発案で行ったこと」と思っていたのですが、実際には――

「『外国人野手は必要だろうが、ダメでも来年はなんとかなるだろう。球団に頼めば、アメリカでメジャーとAAAを行ったり来たりする30過ぎの連中を連れてくる。でも、そんなのに7000万だ、1億円だとカネをかけて、代理人にもカネを払って、1年でダメでクビ、そういうのは嫌だよな。実績がなくてもゆっくり一年間見て、ダメでももう一年使ってみたいと思うような26~27歳までの、安く獲れてちょっといいのをどこかで探してこられないか』」(101頁)

――という、落合の発案によるもので、たまたまドミンゴ・マルティネスの仲の良かった森が、ドミンゴの故国であるドミニカに行ったという真相とか、山井大介投手と長峰昌司投手の“ジャンケン事件”の真相とか、8年間で新たに連れてきたコーチのほとんどが常勝西武のメンバーだった真相とか、長嶋清幸退団の真相(一応名前は伏せているものの、ちょっとでも“落合中日”を見てきたファンであれば、一発でわかるように書いてある)などなど。

刊行間もない本なので、これ以上の詳しい紹介は避けておきますが、落合ファンはもちろんのこと、“落合中日”の強さの秘密を知りたい人という人であれば、絶対に値段以上の“読みで”がある本なので、重版されたら即購入されることをオススメします。



2012年4月10日火曜日

<野球本メモ>「エースの資格」、江夏豊:その2

――以下、ライバルとの駆け引きと、落合との関係を中心に紹介。

・自分の場合、.250に届かないようなバッターには、アウトローのストレートを投げておけば打たれなかった。そこにヤマを張って打ってくるバッターもいたが、そういうときは構え方、目を見れば待ちがわかった。そこでインコースに投げると、相手の頭はパニックになった。

・言い換えれば、投手にとっていちばん困るのは、相手の待ち球がわからないこと。一球一球、待ち球を変えて追いかけてこられれば、80~100%かわす自信があったが、一球だけじっと待っているバッターはすごく嫌だった。

・印象深かったのは末次民夫。あと、土井正三、黒江透修もコースを決めて待っていた。落合博満も、当初は追いかけるバッターだった。81年に首位打者を獲ったときは楽な相手だったが、82年から図々しく待つバッターに変わった。

・82年、秋田でのロッテ戦。日ハム1~2点くらいのリードで9回裏二死2、3塁で、バッターが落合のケース。彼の狙いがストレートと読んで、カーブを3球投げた。落合のバットはピクリとも動かず見逃し三振でゲームセット。

「じつは、このときにバッテリーを組んでいたキャッチャー、大宮龍男のサインは、二球目までがカーブ。三球目は真っすぐでした。私が首を振ると、今度はインコース真っすぐのサイン。また首を振ると、大宮が首を傾げているのが見えました」
「わずかに間が空いたところで、落合はすかさず打席を外したんです。首を振るのを見て外したということは、『真っすぐ』と読んでいるからだと察知して、私は三球目、カーブを選択した」
「読みが外れ、勝負に敗れた落合ですが、手も足も出ないという見逃し方ではなかったし、屈辱感もなかったと思う。それが証拠に、悔しがるような素振りは見せずに、淡々とベンチに帰っていきましたから」
「私はそんな落合の姿を見て、『こいつ変わったな。次はやられるかもわからないな』と思っていたら、案の定、その年は半分ぐらい打たれてしまった」(144頁)

・打たれたヒットの多くはポテンヒットだったが、その代わり落合は狙い球を決めてフルスイングしてきた。投手にとっての絶対的な鉄則である「フルスイングをさせない」を完全に破られた。結局、落合はこの年に三冠王を獲った。

・選手生活の晩年で会った数少ない考えて打つバッターに石毛宏典がいた。石毛の場合、対戦するたびに打つかたちが違う。ランナーの有無でも違う。となると、こちらもそれに対処しなければならない。かなり工夫していると感じた。

・落合もそうだった。たとえば一死3塁で最低限外野フライを打ちたい――というときには、来たボールをなんでも当てるわけではなく、どのボールを打てばいいのかを考え、自分で決めて待っていた。

「当然、私も外野フライは打たせまいと考えて投げる。でも、どうしても外野フライを打たれる可能性のあるゾーンに投げないといけないときがある。落合もそれを見越して待っている。ここに駆け引きが生まれるわけです」
「駆け引きは初球から始まります。初球をどういうかたちで見逃したのか、そのときの場面、状況も踏まえて二球目以降が決まってくる。相手も初球を見て、次にどういうボールが来るかを考える」(147~148頁)

「駆け引きが少なくなったことで、『バッターの裏をかく』時代は終わったといえるでしょう。いまは基本的には、相手バッターの待っているボールがわかったら、その近辺に投げることが主流になっています」(148頁)

・昔は、ストレート待ちのときにはカーブ、変化球待ちのときにはストレート、外を待っていると思えば内に投げればよかった。いまは外を待っていると思えば外に投げる。その近辺にボール球を投げてバットを振らせて凡打に打ち取る。カーブ待ちなら敢えて鋭いカーブ――というのが現代野球。

・こういう野球だからこそ、球種が増えているのではないか。つまり、裏をかくだけでは抑えられなくなっているから、少ない球種では持たないということ。言葉を換えれば、完成度の低い球種でごまかしているともいえる。要するにバットを振らせるのが現代野球なのだろう。

――落合の「江夏との麻雀で打撃開眼」のエピソードの初出は、『勝負の方程式』。これ以降、多くの著作でこのエピソードを紹介している。落合が首位打者を獲れるまでに成長できたのは、故高畠導宏のコーチング(=サインとクセを読んでヤマを張る。なので畢竟、「追いかけて打つ」ことになる)があってこそなのかも知れないが、三冠王を獲れるまでに大成できたのは、この江夏との麻雀が契機だったのだろう。



2012年4月9日月曜日

<野球本メモ>「エースの資格」、江夏豊:その1

●目次
・プロローグ:エースはもういないのか?
・第1章:エースの資格
・第2章:エースの武器
・第3章:抑えのエース
・第4章:孤独なエースとチームメイト
・エピローグ:大事なのは工夫と決断力

――以下、同書で初出と思われるエピソードを中心に紹介。

「ただ、私がほんとうにほうりたかったのは、ドロップに近いカーブでした。それを巨人の堀内恒夫が投げているのを見て、『俺もホリみたいなカーブがほうりたいな』と思って、一生懸命に練習したんです。自分でも恥ずかしくなるぐらいに練習したけど、結局、どうしてもほうれなかった」
「これは私が基本的に不器用だったのと、ボールの握り方が自分の指と手に合わなかったからです。それでも私は『なんとかしたい』と考えて、ついには恥をしのんで、堀内本人に聞きにいったことがありました」
(中略)
「当時、私は二十四歳のプロ六年目。すでに二〇勝も二度達成して、ある面では天狗になってい、チームのなかで『自分がいちばんだ』と思っているころです。そんなときに、ライバルチームである巨人のエース、ましてや同年輩の選手に教えを請うなんて、かなりの勇気がいりました」(116~117頁)

――江夏がカーブしか投げられなかったことは有名だが、そのカーブに磨きをかけるために堀内にまで教えを請うていたことは初めて知った。

・野村克也が江夏に抑え転向を飲ませる際に言った、「野球界に革命を起こさんか?」というセリフ。確かに言われたが、実際には何が革命かわからなかったし、どういう意味なのかも飲み込めなかった。

「のちのち聞いた話では、そのときの監督は眠たかったから、『いいかげん、早く話を終わらせて寝ようか』と思っているときに、たまたま『革命』という言葉が出てきたらしい」
「そんな状況でしたから、私はその日を境にきっぱりと転向を決断したわけでもなく、なんとなく納得したようなものでした」
(中略)
「その後、先発した試合で結果が出なかったこともあって、やむなく転向を受け容れた。これが事の真相です。以降、野村監督はいっさい、私を先発では使わなくなりました」(158~159頁)

――野村へのディスリスペクトその1。既著で自ら劇的に語り、それを真に受けたスポーツライターがよりドラマチックに書いていたエピソードを修正している。

・抑え専任なんて初めてのことで、調整法もわからない。監督に聞いたら「好きなようにしろ」とのこと。前例がないのは自分だけではなくて、チームメイトも同じ。監督から指示された「リリーフ専門としての試合の入り方」がチーム内で問題になった。

「『江夏、おまえは毎試合、登板のスタンバイをしておけ。終盤以降、自分たちがリードしているときにはいつでも出られるように。その代わり、ゲームの前半は好きにしてていい。ベンチに入らなくてもいいし、ロッカーで休んでいてもいいから』」
「この言葉が、ほかの選手たち、チーム全体に伝わっていればよかったのですが、なぜか監督は伝えていなかったんですね」(160頁)

・指示を受けて5回までロッカーでマッサージを受けて、6回からベンチに入るスタイルにした。しかし、当時のプロ野球界では、ゲームに出ない投手でも1回からベンチに入るのが当たり前だった。事情を知らない野手は、「何を勝手なことを!」と反発した。

「とりわけ嫌な思いをしたのは、外野手の広瀬叔功さんから文句を言われた一件です。広瀬さんは人望が厚く、優しいお人柄で、私にとっては南海でいちばん愛すべき先輩でした。それが、ある日の大阪球場のロッカー、チームメイトがそろっているところで突然、怒鳴られたんです」
「『ナニしとんのや! 一回からベンチに入ったほうがいいぞ!』」
「大ベテランの広瀬さんにすれば、私の行動に反発しているほかの選手たちの代表として、文句を言いにきたようでした」
(中略)
「もちろん、内心は悔しかったですよ。ひと言、野村監督が親切心をもって、選手みんなに説明してくれていたらよかったのに、監督はそこまで配慮が利かない人だったんですね」(161頁)

――野村へのディスリスペクトその2。野村の著書を読むと、こうした配慮は当たり前のようにしていたように読めるのだが、実際はそんな配慮など微塵もなかったとの証言。ただし、当時の江夏はバリバリの「野村派」であり、対立派閥の「広瀬派」のトップが、「ここでシメてやろう」と考えて一発カマした可能性も微粒子レベルで存在するのかも知れない。といっても、広瀬が人格者なのは衆目の一致するところなので、恐らくは江夏の証言が正しいのだろう。

2012年4月8日日曜日

新作チョコを喰らう:LOOK(ネクターピーチ)

★LOOK(ネクターピーチ)/不二家

●寸評:ほんのりとした酸味と濃厚な甘味は文字通りピーチネクターのもの。ピーチクリームの風味は強烈で、チョコレートのそれを霞ませるほど。とにかく甘味が強く、お茶なりコーヒーなりで一々口内をリセットしないと完食は難しい。

●カロリー対効果:約230kcal(12個)。1個当たりのカロリーは約19kcal。ルックチョコレートと同じ分量だが、風味が濃厚でかつ甘いため、半分も食べれば十分に満足する。これでカロリーは板チョコよりも100kcal低いので、カロリー対効果はハッキリと高いといえる。



2012年4月7日土曜日

晴れているうちに一人桜撮影会

一仕事終え、洗濯を終えて、ヤマト運輸から『Victoria2 A House Divided』を受け取ったところで、お外がイイ具合に暖かくなってきたので、近くの花見スポットまで小一時間かけてお散歩。去年買った型落ちコンデジ――といっても、これまで所持したデジカメの中では段違いに高性能――を使い倒すべく、七分咲きくらいの桜をバシャバシャ撮ってきましたですよ。

で、撮ってきた写真のなかで上出来だったのが↓のもの。3~6枚目は絞り優先モードでプロっぽく撮ろうとしたもので、一番のお気に入りは6枚目ですよ。まぁ、プロっぽくといっても、「ギターを覚えたての中学生が、コードも押さえられないのにタッピングを猛練習して、ヴァン・ヘイレンごっこをやる」みたいな感じのプロっぽさなんだけどさ。でもまぁ、写真でおまんまを食べているわけではないし、完全に自己満足の世界なんだから全然OKですよ。

それにしても平日の昼間に桜並木を散歩するのは気分がいいわ。土日だと家族連れ&カップルがウザイけど、金曜日の午後ならジジババ&ヤンママが散在しているだけだし。

追記:どうも今日の22:55からNHK教育テレビで『glee』を放送するとのこと。DVDを借りるのに100円出すのもめんどくさいと思っていた方も、地上波でタダで見られるんだから、もし未見だったら是非見てください。前に書いたとおり、シーズン1前半は本当に面白いですから。で、未見でかつ洋楽も全然知らないという人は、ジャーニーの『Don't Stop Believing』の原曲を一通り聞いてから見てください。クライマックスの感動が3倍(当社比)に跳ね上がります。てか、初めてアレンジされたイントロを聞いたときはマジで鳥肌立ったものなぁ。もう一回、記憶をなくしてから見てみたいわ。

Don't Stop Believing Journey lyrics

【ニコニコ動画】285 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Journey - Don't Stop Believin'

今更ながら『glee』を観ました









2012年4月6日金曜日

新作チョコを喰らう(特別篇):ショコラ・ド・トマト

日本一の大衆向けチョコレートメーカーである明治が、「(株)明治は、チョコ×野菜をおいしく食べる新スタイルを提案しています」と高らかに宣言して市場に投入した新製品『ショコラ・ド・トマト』。

スーパーのチョコレート・キャンディーコーナーにおいて、「あま~いトマト、はじめてのあじわい!」のコピーが添えられたと真っ赤なパッケージを見るたびに、「コレは買わねば!」「でも絶対マズイよなコレ」「といっても食わず嫌いはいけない」と逡巡して2カ月余。このたび、ようやく購入してきました。

「まぁ、トマトといってもチョコレートなんだろうし、イチゴチョコや抹茶チョコにはそれなりにチョコレートな風味もあったわけだから、これだって食べられないものじゃぁないんだろう。なんたって名品『明治デラックスチョコレート』の明治が出している商品なんだし」と、無理やり自分を納得させつつ撮影を済ませ、食ってみたんですが、その風味はといえば――

●匂い:トマトジュース。
●風味:砂糖をバカスカ投入したトマトジュースにコーヒーフレッシュを入れて攪拌した後のような風味。
●カロリー:約180kcal(6本)。1本当たりのカロリーは約30kcal。

――で、チョコレートらしさはゼロ。ただの甘ったるい固形トマトジュースでしたorz。トマトは、煮込みかトマトソースしか受け付けない手前としては、ほとんど拷問に近い経験でして、撮影用に折ったチョコの半分だけ食べてリタイヤ(カロリー対効果は測定不能)。しかも、ちょっとしか食べてないのに、しばらく後に出たゲップがトマト風味とかもうね……。ホント、これはアカンよ。

こういう商品が出てきたってことは、恐らくは、どっかの商社が粉末トマトを輸入し過ぎて市場に在庫がダブついているのでしょう。となれば、秋口くらいまでは粉末トマトを使った新製品が、いろんなとこから出てくるってことも、多分、間違いないんでしょう。でも、「トマトを甘るのはハズレ」ってことは、この商品がキッチリと証明した――何しろチョコレートの加工においては世界レベルの技術を持つ明治にして、こういう商品しか出せなかった――ので、これから粉末トマトを使った「甘いトマト」の新商品を出すメーカーは、今からでも遅くはないので撤退する勇気を持ってもらいたいものです。



2012年4月5日木曜日

新作チョコを喰らう:ベイク

★ベイク(ショコラ)/森永製菓

●寸評:異様なまでに口溶けの良いチョコレート。この歯ざわりと口溶けは、ベイクシリーズにしかない独特のもの。ただし、単体のチョコレートとしての質は決して高いわけではない。チョコレートらしい苦味はほとんどなく甘味が強い。

●カロリー対効果:約230kcal(10個)。1個当たりのカロリーは約23kcal。ボリュームは少なく、かつ口ですぐに溶けてしまうので、一包装食べきっても少々物足りない。ただし、甘味が強いことから、チョコレートを食べた満足感はある程度は感じられる。カロリー対効果は可もなく不可もなくというところ。



2012年4月4日水曜日

疫病神が出て行って最下位フラグが折れたと思ったら

別の疫病神が掌を返したでござるの巻。

【悲報】やくみつる、横浜ファンを再開する

なお、DeNAから出て行った疫病神は、ジャイアンツでいつも通りの仕事をして、早くもチームを単独最下位に沈めた模様。まぁ、手前もセリーグで応援する球団がなくなったから、消去法的にDeNAを応援しているだけなので、どうでもいいっちゃぁどうでもいいことなんですけどね。

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9 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:19:21.51 ID:QwdqgnnG
いしいひさいちの爪の垢を煎じて飲むべき

11 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:19:52.93 ID:6hNDvRie
よっしゃ
大減速あるで

18 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:21:41.79 ID:LQa5EDSt
アカン6位なってまう

26 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:24:15.91 ID:J+GilUkC
栄村ネタは許してはいけない

38 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:30:12.36 ID:W3Rv2Y3q
知ってた
むしろ、遅いぐらい

39 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:30:40.65 ID:EKR+AYrk
批判しまくったDeNAに謝罪はないのか

53 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:39:58.71 ID:4kU82mOT
4ヶ月前の記事

やくみつる氏「横浜ファンをやめる」
http://www.sanspo.com/baseball/news/111201/bse1112011906007-n1.htm

69 :風吹けば名無し :2012/04/03(火) 09:50:46.97 ID:AQMO0oo0
あれだけDeNA批判しといてどの面さげて横浜ネタで連載するんや

2012年4月3日火曜日

春の嵐で大変らしいので簡単な更新

全国的に台風並みの非常に強い風のおそれ 東日本の陸上で最大風速28mの予想

外出する用事はないし、洗濯は昨日、さっき買い物は済ませた。ついでにクリーニングも取ってきた。家でやる仕事の納期も先のことだし、何よりボリュームもそこまで多くはない。あとは夕方から夜にかけて、街路でTMレボリューションごっこをしている学生とサラリーマンの姿を見物しつつ、2ch野球実況板でDeNAの試合を観戦するだけだナ……って、この調子だと中止なんだろうなぁ。

2012年4月2日月曜日

スマホもガラケーもいらないけどポケベルはちょっと欲しい

「やっぱり使いにくい!」 スマホからガラケーに戻す人が急増

つい先日、生まれて初めてスマホを使って話しをしたんですよ。というのも仕事先でスマホを使っている人に電話が掛かってきて、ついでの用事で話したってだけのことなんですが。

で、初めてスマホを使った感想はというと「耳と口の距離空きすぎじゃね?」。聞こえてくる声はクリアなんだけど、口元がマイクと離れているから、「どうもこっちの声が伝わってるか不安だナ」という気持ちが芽生えてきて、どうしても話し声がデカくなってしまうわけですよ。で、結局、新幹線のグリーン車で「仕事できるオレ、カッコイイ!」アピールをしちゃいたい入社3年目のヤンエグ(死語)みたいな口調&声になって自己嫌悪の念がブワァーっと広がって、おお、もう……。

といっても、外出先で緊急の連絡(=ほとんどの場合、待ち合わせの時間と場所に関する連絡)を受けられれば便利であるってことは重々承知しているわけですよ。なもんで、父親の遺言により携帯電話を持たないことにしている手前としては、ポケベルの一つでもあったらいいナ、と思ってはいるんですが、すでにポケベルはサービスが終わって久しいからなぁ。

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2 : グレートウォール(チベット自治区):2012/04/01(日) 11:22:33.35 ID:miy+bWUv0
ガラケーとPCが一番だろ

5 : アンタレス(関西・東海):2012/04/01(日) 11:25:08.73 ID:g3B4T6p40
ガラケーでは個人情報収集しにくいからDOCOMOも経団連もいい顔せんのよ・・・

16 : ビッグクランチ(やわらか銀行):2012/04/01(日) 11:37:58.17 ID:kz99+1Fr0
耐久性もさることながら一番の問題はバッテリー
明らかに実用レベルに至ってない
なんか50年前にデッケー携帯電話持ってた奴らと一緒

17 : ベガ(東京都):2012/04/01(日) 11:38:05.66 ID:/+zoxjfd0
何でメーカーはAndroidでらくらくフォンをやらないのか

50 : エンケラドゥス(やわらか銀行):2012/04/01(日) 12:11:37.77 ID:3Jo6JZzl0
>>17
各社提案してるが、キャリアサイドでつぶしているんだよ

63 : アークトゥルス(東京都):2012/04/01(日) 12:35:18.52 ID:XaAvnAKkP
まぁスマホで一番いらん機能って電話とメールだよな

312 : デネボラ(新疆ウイグル自治区):2012/04/01(日) 20:22:36.47 ID:3tt3Lct30
室内にいる時間が多くパソコンが常にそばにある人間にとっては全く必要ないもの

2012年4月1日日曜日

オープン戦ではいい結果を残してたけどね

【野球】中日金剛投手が2軍の登板記録を更新したらしい

ブルペンでの投球を一度でも見たら、「コイツがプロの第一線で通用しないわけがない!」と誰もが思うものの、実際に投げさせてみたら……という典型的な二軍の帝王。でも、あのフォークとか凄い魅力があるんだよなぁ。在りし日の小野仁も大好きだったけど、こういう“未完の大器”に惚れるって心情は、多分、判官びいきとほとんど同じなんだろうね。

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1 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:21:35.07 ID:+Xn9EH/M
2011年シーズン終了時点で通算239試合に登板
3月21日の阪神戦に登板してウエスタン記録(元広島・阪神片瀬の240試合)に並び、3月29日の広島戦に登板して241試合は新記録となった。
イースタン記録は斉藤肇(元大洋)の227試合のため、金剛がNPB2軍史上最多登板になった模様

14 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:25:01.63 ID:vtx30kdG
なおイースタン最多の斉藤は一軍登板一度も無かった模様

19 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:26:12.37 ID:gBTp4w7N
片瀬はまぁ年によってはそこそこ一軍で投げてるし
年数が長いからまだわかるが
斉藤と金剛は真性の帝王だなぁ

40 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:33:11.06 ID:KUOXQ2vF
投げるリトマス紙

26 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:28:37.36 ID:PnJPkqKq
金剛はマジで試金石だな
打てたら一軍
打てなかったら二軍

69 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:44:33.07 ID:RoiOBK01
片瀬は13年で239試合
金剛は7年+数試合で241試合

正直格が違うね

76 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:46:17.79 ID:7qf0Z+m0
金剛に一軍のチャンスやるなら3~4年目の微妙な奴らに任せたほうがマシなレベル

77 :風吹けば名無し:2012/03/29(木) 21:47:19.04 ID:jfZOObvW
>>76
ぶっちゃけ二軍の抑えも若い連中の訓練に使いたいわ・・・