2010年8月31日火曜日

『香味焙煎』のリニューアル品を賞味しました

昨日、インスタントコーヒーを切らしたので、近所のスーパーでいつもの『香味焙煎』(エコパック)を買おうと陳列棚に手を伸ばしたら、一足早くリニューアル品が陳列されていました。

リニューアル品は『香味焙煎―挽き豆包み製法・深煎り』というもの。商品のコピーによると――

コーヒー豆の粒を、フリーズドライコーヒーの粉で包む。「挽き豆包み製法」がもたらす、コーヒーの芳醇な息吹、淹れた瞬間に辺り一面を包み込む豊満な香り。器の底にたたずむ豆の粒こそ、その製法がもたらすみずみずしく贅沢な香りが生きていた証です。濃厚な香り、深みを重ねたコク、それでいて、透明感のある後味。かつてない深煎りの香味焙煎をお楽しみください。

――とあり、どうやらコーヒー豆がそのまま入っているインスタントコーヒーらしいとのこと。「エコパックを振って音を聞いてみた限りでは、いつもの『香味焙煎』と変わらないようだけど」と思いながら、いつもの瓶に空けてみたものの(このエコパックを思いついた人は、本当に天才だと思いますね)、中身もいつものと変わらない感じ。

で、いつものように「スープ用カップにコーヒー2杯半、パルスイート半分」で作ってみました。

一口目の感想は、「こりゃぜんぜん味が違うな」。利き酒、利きビール――サラリーマン時代に税務署主催の催しで何度も挑戦した――は全然ダメでしたが、これについていえば、いつものとリニューアル品をブラインド出されたとしても、一発で見分けられる自信があります。というか、もし、実家に住んでいて母ちゃんに「いつも買ってきて」と頼んでこれを買ってこられたら、少しキレることを自分に許しても良いと思わせるくらい味が違います。

具体的にどんな違いかといえば、「同じ豆をシティでローストするか、炭焼きでフルシティまでローストするかくらいの違い」といったところでしょうか。とにかく一口目のインパクトが結構強いものです。

といっても、二口目以降はそこまで強いインパクトは感じられません。ただ、全体にエグ味が感じられます。一番近いのは「あぁ、これ良く洗ってないミルで挽いたコーヒーの味!」というもの。つまり、焙煎したコーヒー豆が“微粉”として配合されているためなんでしょう。毎日洗浄している臼型ミルで挽いた豆で淹れたコーヒーのクリアな味わいとは程遠いものです。

飲み終わっての感想は、「確かにいつものよりは、コーヒーに近づいているねぇ」。でも、手前がインスタントコーヒーに求めるのは、インスタントコーヒーらしい味なので、下手にコーヒーに近づかれてもそんなに嬉しくないんですよ。それに飲み終えたカップの底に汚れが残りまくる(コーヒー豆の“微粉”)ので、「これを飲み続けてたら、いつも以上に茶渋を落とさないとならないんだろうなぁ」と思ったり。

それでもゴールドブレンドでは酸味が強すぎ、ブレンディでは大量のパルスイートを入れなきゃ飲めない。エクセラ? 論外!――という人にとっては、まだまだ重宝しなければならないブランドといえそうです。

2010年8月30日月曜日

『第5共和国』は、現代韓国の『史記』:その2

全斗煥の悪辣ぶりは、粛軍クーデターで陸軍本部を騙し討ちにするところでもエグく描かれていましたが、それ以上に悪く描かれているのが光州事件のエピソードです。

*光州事件って何? って人はこちらをご覧ください。「光州事件(日本版wikipedia)」。早い話が、「光州市で起きた大規模な民主化デモを、全斗煥率いる新軍部が派手に鎮圧した事件」です。

ドラマでは、光州事件が徹底的に美化されています。

デモ側の役者は揃ってイケメン(ブサイクなのは早々に射殺されるキャラだけ)で、一々大仰なセリフを喋り、一々悲劇的に死に、「この死が、この国の民主化に繋がるのだ」「民主化した暁には、我々の死が蘇るのだ」みたいなことを言います。

一方、デモを鎮圧する軍側の役者はいかつい面構え(イケメンは引き金を引くのを躊躇う良心的な兵士だけ)で、一々容赦なくデモ隊をぶん殴り、射殺し、「あいつらはアカだ、やっちまえ!」みたいなことを言います。

デモ鎮圧に当たる全斗煥は文字通りラスボス並みの極悪さで――

・新軍部は80年1月から哀情訓練(デモ鎮圧を目的とした特殊訓練)をやっていた。
・新軍部は4月の新学期スタートから学生運動が活発化するのに備えていたのだ。
・しかし、それは建前。真意はデモ鎮圧に名を借りて戒厳令期間を延ばすことにあった。
・戒厳令を延ばし、デモ鎮圧のために軍を出し、国家保衛委員会を設置する。
・こうして三権を新軍部の支配下に納めることで、クーデターを完成させる。
・全斗煥は自ら大統領になるために、こうした策謀を早くから練っていたのだ!

――という、曲解に曲解を重ねた超絶陰謀論を大真面目に展開。

途中、デモが拡大するにつれて全斗煥は、報道規制をかけまくったり、「デモは北朝鮮のスパイが扇動したものだ!」「金大中が光州の学生に金を渡してデモを扇動した」というハナシを捏造したりとやりたい放題。光州事件の発端から拡大、鎮圧にあたっての無差別殺人まで全部が全部、全斗煥のせいにしています。

でも、一歩引いた目で見れば、「新学期を前に学生運動を警戒するのは、治安を任された人間として当然の責任じゃね?」と思うんですけどね。そもそも、陸軍武器庫を襲撃(劇中では警察署のみを襲撃。陸軍武器庫は影も形もなしで史実を美化)して5000丁もの小銃(劇中ではM1カービン)で武装したデモ隊は、全斗煥の言うとおり暴徒であって、完全なる内乱ですよ。これを中央政府が実力で排除するのは常識でしょう?

それにデモの発端は自然発生的だとしても、その拡大にあたっては、北朝鮮のスパイが一役買った側面もあったと考えるのが自然かと。

当時、韓国の大学に北朝鮮のスパイが浸透していたことは紛れもない事実(在日朝鮮人スパイも数多く浸透、逮捕されていた)で、5月21日に光州近くに侵入した工作船を撃沈した事件もあったことも考えると、デモ開始の5月18日から鎮圧された27日までに北朝鮮のスパイやシンパがデモ拡大を扇動したり、戦闘や組織化の指導をしていた可能性は十分に考えられるわけです。全斗煥が“捏造”したハナシも、真っ赤なウソとはいえないと思うんですよ。

でも、ドラマでは内部スパイ説について「新軍部によるかく乱工作」と決めうちし、その象徴として「毒矢事件」(新軍部のスパイによるデモ隊へのかく乱工作)を大々的に取り上げるのみ。本物のスパイがデモを煽ったなんて話は一切出てこない。

もちろん、全斗煥はどう考えてもやりすぎとは思うけど、当時の韓国が“反共の砦”の最前線だったことを考えれば、「あれくらいやらないと、容共統一してしまった可能性もゼロじゃないものなぁ」と同情したくなるもんです。デモの建前が建前だから、在韓米軍だって簡単には介入できなかったでしょうから。

この辺の感覚は、冷戦の真っ只中を経験しているか否か、共産主義や社会主義に対する嫌悪感の有無で変わってくるんでしょう。朝日新聞や岩波書店なんかは「容共統一すべし!」と力強く主張し続けてきたからこそ、朴正煕や全斗煥には異様なまでに点数が辛かったわけで(どうでもいいけど、手前にとっては未だに「ぼくせいき」「ぜんとかん」「きんだいちゅう」なんですが、ウチのIMEはバカだから、この読み方では変換してくれないのですよ!)。

ともあれ、ここまで「デモ隊=絶対正義、全斗煥=絶対悪」という単純解釈をする国に、「冷静に歴史を見つめる」なんてことを求めるのは無理な相談だということが、心の底から納得できました。少なくとも第7共和国のあいだは、日本との「歴史問題」が解決することはあり得ないでしょう。もし、解決できる可能性があるとすれば、「第8共和国へと政権交代した後、前政権を全否定したとき」しかないんだろうなぁ。



2010年8月29日日曜日

『第5共和国』は、現代韓国の『史記』:その1

昨日に引き続いて『第5共和国』の感想。要するにこのドラマは「第7共和国による第5共和国史」ってことであり、現代版の『史記』(=現政権による前政権断罪史)なんですね。儒教国家の歴史は「何でもかんでも前政権が悪い!」と断罪するものだから、関係者がピンピンしていても名誉毀損を恐れずに歴史を描けるのでしょう。

……と考えたのは、ドラマ視聴の副読本のつもりで『極秘韓国軍―知られざる真実・軍事政権の内幕(上下)』(金在洪著、韓桂玉訳。光人社)を読んだからです。

同書は、元東亜日報記者である著者が、93年4月1日から東亜日報に連載した『軍――昨日と今日』をまとめたもの。その内容は、「軍部の秘密組織である一心会(ハナフェ)の暴露本」といったもので、朴正煕暗殺事件の内幕や粛軍クーデター、全斗煥と盧泰愚の暗闘などの暴露を通して、第5共和国の中心的存在だったハナフェを断罪した本といえましょう。ちなみに著者は現在国会議員。こういうネタを主張する大変愉快な人です。

で、この本に描かれている内容のほとんどそのままが、『第5共和国』に援用されているんですよ。

いくつか例を挙げてみると――

①朴正煕は自主武装を目指した。核開発もいいとこまで進めていた。
②でも暗殺でダメになった。金載圭はCIAに近かったよ。背後にいるのはCIAだろ!
③暗殺後、金載圭が陸軍本部ではなく情報部に行っていれば歴史は変わったはずだ。
④朴正煕を暗殺した金載圭は、早すぎた民主化運動の闘士だよ。

――というヨタ話に加え、粛軍クーデターについては、開始から終了までの流れ、途中のセリフまで、ほとんどが同書の第二章(第二章:権力は再び銃口から)の引用です。上記に紹介した朴正煕暗殺の4つのポイントについていえば、①は本当、②はロッキード事件CIA主導説くらいの信憑性、③は噴飯モノ、④は論ずるに足らず――というところでしょうか。

このほかにも粛軍クーデターの流れと解釈などは、ほとんど全てが同書の描写と重複しています。

さて、同書の元になった連載は、<軍事政権>に引導をわたした<文民政権>である金泳三政権発足の4カ月後にスタートしています。その著者は東亜日報記者時代の80年に「東亜日報自由言論宣言」を発表したことで全斗煥政権により強制解職された記者です。この2つの事実から導かれるのは、「全斗煥政権に恨み(韓国/朝鮮風に言うところの“恨”)を持つ記者と、<軍事政権>の影響力を一層したい<文民政権>の利害が一致した連載」という答えになるでしょう。

で、そういう本を元ネタにしたドラマだからこそ、全斗煥は徹底的に悪く描かれています。
(つづく)





2010年8月28日土曜日

『第5共和国』はおもしろかった!

このあいだから見始めた韓国ドラマ『第5共和国』ですが、前言撤回。これはおもしろいです! ただし、見る人を結構選ぶドラマでしょうね。以下に当てはまる人は、見て損はないと断言します。

・『仁義なき戦い・代理戦争』『エリザベス(1998)』『小説吉田学校』みたいな権力を巡る群像劇には目がない
・銃、装甲車、戦車が出てくると無条件でワクワクする。
・全斗煥、盧泰愚、金泳三、金大中についてある程度の知識がある。
・冷戦をリアルタイムで経験している。
・かつて日本のマスコミが北朝鮮を賞賛し、朴正煕~全斗煥時代の韓国をボロクソに叩いていたことを知っている。

言葉を換えれば、以上の点に一つも当てはまらない人は、見るだけ無駄でしょう。脚本は良く練られていますが、演技は大げさだし、セットはチャチだし(CIA地下基地の造作はウルトラマンタロウのZAT基地よりショボイ)、戦闘シーンも戦隊モノレベルなので、ただ漫然と見ているだけでは「アクの強いオッサンたちが怒鳴りあったり、戦争ごっこをしているだけのドラマ」にしか見えず、ちっとも面白くないと思います。

手前は上記5つ全部に当てはまっているので、もうズブズブにハマリました。正直、朴正煕暗殺事件を扱った1~3話は「それは、どうだろうか?」と思って見ていたのですが、4話からスタートした粛軍クーデター以降は、文字通り血みどろの権力闘争(策謀、決断、裏切り、流血の目白押し!)でお腹一杯。世間では「菅vs小沢の一騎打ち」が話題になっていますが、そういう政局バナシをですね、銃と装甲車と戦車を駆使してガチで人殺しをしながら繰り広げるドラマなもんですから、面白くないわけがないんですよ。

とりあえず10巻、20話(光州事件終結~国家保衛立法会議設立)までぶっ通しで見たのですが、ファーストインプレッションは「とにかく殴ること、殺すことに躊躇しない奴らだなぁ」ということ。拷問――タオルを顔にかけてからヤカンで水をぶっかける拷問にシビれました――や鎮圧のシーンでは老若男女一切差別せず警棒でぶん殴り、デモ隊にも容赦なく射撃。クーデターでは一時間前まで友軍だった同胞にも一切躊躇せず発砲する……と、とにかく血の気の多さがリアルに描かれていることに感心しました。

朴正煕暗殺事件や光州事件の解釈や軍事独裁に対する厳しい見方など、いろいろと言いたい事はあるのですが、とにかく見所の多いドラマであることは間違いありません。韓流にも良いものがあるのだということを再認識しました。

追記:このドラマを見るまで、手前が唯一認めていた韓流は「korean drummer rocks out」だけです。





2010年8月27日金曜日

*読書メモ:喧嘩両成敗の誕生

1501年、京都、東寺での事件。東寺領柳原に住む左衛門二郎が親敵として五郎三郎を殺した親敵討ちの処理について、東寺の多くの僧侶は「親敵討ちは正当」と考えていた。しかし、一部の僧侶は「殺人」を問題視した。親敵討ちは合法か違法か? 結局彼らは親敵討ちの正当、違法の判断を保留し、被害者、加害者の財産を差し押さえる決定を下した。

加害者、被害者双方に同程度の処罰を加えるというのは、ほとんど喧嘩両成敗“的”措置といっていい。もっとも、この判断は彼らの独創ではない。中世荘園の刑罰では、ときおり喧嘩の当事者双方を「法に任せ、両人の住屋を検符する」という措置がとられていたからだ。喧嘩両成敗法が明文化されるのは、これから25年後のこと。今川家の分国法「今川かな目録」に盛り込まれた。

相容れない二つの道理が相反することが頻出してしまったとき、<新たな常識>として受け入れられていったのが「双方を同罪にすること」であり、それが発展して喧嘩両成敗に繋がった。中世人が根強く持っていた衡平感覚(相殺主義。やられたぶんだけやりかえす)。これを発展させた結果、喧嘩両成敗や折衷の法(足して二で割る問題解決法)が<新たな常識>となった。

笠松宏至氏曰く、「中世人は何か揉め事が起きたとき、一方が全面的に正しく、他方が全面的に悪いとは必ずしも思っていなかった。争いになる以上、双方に何らかの正しさと落ち度があったに違いないという認識を共有していた」と。

両成敗的措置を採用した法の存在は、平安末期に遡れる。1184年7月の大和国内山永久寺定書に「一、もし当山の僧徒、口論・取合いたすほどの闘諍、出来あるのときは、是非の子細を論ずべからず、かの両人を早く山内より退却すべき事」という規定がみられる(131頁)。

喧嘩両成敗は唯一の紛争解決策でもなかった。湯起請やくじ引きなどもあった。双方の正当性が拮抗し、いずれの主張も甲乙つけがたいときに切望されただけで、当時から喧嘩両成敗の理不尽さにはある程度の自覚があった。

「今川かな目録」の喧嘩両成敗法の“条文”は、「①喧嘩をした者は、喧嘩の理由にかかわらず、(原則として)当事者双方をともに死罪とする。②(ただし)たとえ相手から攻撃されたとしても、我慢して、その結果、相手から傷つけられた場合は、もし傷つけられた側に喧嘩の原因があったとしても、その場で応戦しなかったことに免じて、(今川氏の法廷に訴え出れば、今川氏は)負傷した側を勝訴とする」(178~179頁)となっている。

つまり、喧嘩両成敗の徹底を目的としたのではなく、その後にくる「大名の裁判権のもとに服させる」ことを目的として施行した法律ということ。この大名の裁判権への誘導を目指し、その“導入部”として世間一般の<新たな常識>となっている喧嘩両成敗を取り入れたといっていい。

つまり、戦国大名が喧嘩両成敗法を施行したのは、従来の通説である「大名による強圧的な秩序形成策」というより、「大名による法の支配実現に向けた一里塚」とみるべきだろう。

江戸幕府は喧嘩両成敗法を採用しなかった。統一政権で全ての人間を法に服させることができたためだ。忠臣蔵があれほど熱烈に受け入れられたのは、喧嘩両成敗法のないなかで、民衆の衡平感覚(相殺主義)への憧憬があったためではないか?

2010年8月26日木曜日

趣味やファッションで済ませていい問題ではない

ホメオパシー療法:「効果ない」 山口で乳児死亡、学術会議が談話

少しヒステリックに思えるかもしれないけど、これについて言えば「やりすぎて悪いことはない」(毛沢東)と思います。日本はホメオパシーが一般に普及していないだけで、その他の分野――アトピー性皮膚炎、がん、糖尿病など――では、「敵の肉を食べてパワーアップ」とか「処女を犯してエイズ予防」などを信じているソマリアとかリベリアに勝るとも劣らない疑似科学&代替療法天国だものね。<水からの伝言>が小学校の道徳の時間に教えられていることを考えると、下手すればインドやフランス以上に普及しかねないわけで、こういうたちの悪い疑似科学は、水際作戦で徹底的に叩かないと。実際、『ランセット』は否定を目的に論文を載せたにもかかわらず、ホメオパシー擁護サイドが「一流学術誌に載った! ホメオパシーが科学的に証明された証拠!」と徹底的に曲解して利用し尽したわけだし。

といってもねぇ、こういうのは国の機関が表立って取り扱うものじゃないの!

ホメオパシーや統合医療の効果、厚労省で研究へ

すでに何度も何度もメタ解析されて、「プラセボ以上の効果はない」って結論が出ているんだから。民間の研究機関が追試するのは大歓迎だけど、国が口を挟むとなればハナシは別。それこそ『ランセット』のときと同じように、「日本国厚生労働省が科学的根拠について検証したくらい有望な治療法!」とかって宣伝されるに決まってるんだから。だからこそ、これまで厚労省も触れてこなかったわけでね。万が一、↑のような事態になったとしたら、長妻厚労相はそれだけで腹を切って死ぬどころか、地獄の火で焼かれなきゃダメだって。

何でこんな簡単なことがわからないかなぁ。だいいち、ホメオパシーを取り上げて票になるわけないじゃねぇか。お前は指をナメナメしながら年金記録だけを見てりゃいいんだよ!

【ニコニコ動画】ホメオパシー救急病棟

2010年8月25日水曜日

今更ながら『第5共和国』を見ました

昨日、ふらっと二駅くらい散歩して、普段めったに寄らないTSUTAYAを覗いたら、「旧作4枚で¥1000」というキャンペーンをやっていたので随分久しぶりにDVDを借りました。何を借りたのかといえば『第5共和国』。ちょっと前に知り合いに薦められたのと、このあいだ読んだ本で福田和也氏が面白いと評価していたのもあって、良い機会と思い借りてきたんですよ。

で、1話目を見てみたんですが、まず思ったのは「良くここまで雰囲気の似た役者を揃えたなぁ」

ソビエト製の戦争映画(『ヨーロッパの解放』など)ほど完璧なソックリさん――スターリンはもちろんのこと、チャーチル、ヒトラーはもうそのまんまだからね。映画自体は本っ当につまらないけど――を揃えているわけではありませんが、なんというか雰囲気がそのまんまなんですよ。

朴正煕大統領なんて過去のニュース映像そのまんまだし、全斗煥保安司令官も、よくよく見たら全く似ていない(演じている俳優の顔は松方弘樹に似ている)ものの、いざ動き出したら、「あぁアレ。小学校の頃にニュースで見たやつ!」という感じ。下手にルックスが似すぎていると、ちょっとした表情や動きの違いで「あ、コイツはニセモノ!」と思うものですが、微妙に本物と違うルックスであれば、表情や動きを似せることで“史実と同じ雰囲気”が醸し出せるってことなんでしょうかね。とにかく、演じる俳優の史実再現度の高さは、古今東西数多あるドラマのなかでも屈指のものといえます。

で、そんな雰囲気がそのまんまの登場人物が完全実名で大統領を暗殺したり、国軍を支配下に置く工作をしたり、CIAが動いたり――という具合に、朴正煕暗殺から粛軍クーデターなどの史実を再現しているドラマなわけです。

朴正煕暗殺事件については、一通りの流れを知っていたので「あれがこーなってあーなるのね」と肩の力を抜いて見ていたんですが、暗殺犯である金載圭KCIA部長の動機がねぇ。いや、ドラマだから何を描いてもいいんですが、「車智澈が憎たらしかった」「君側の奸だけじゃなくて君も除いちゃえ」って……こんなんで韓国の視聴者は納得してるのか?

4巻(8話)まで借りたので、この先に面白い展開があると期待したいところだけど。





2010年8月24日火曜日

スピードキングは倒せたけれど:メタルマックス3日記

発売されてからほぼ一カ月。ようやくスピードキングを倒し、クリアまでの道筋がおぼろげながら見えてきました。

持っている戦車は前回の日記時点と変わりません。

で、どうやってスピードキングを倒したのかというと、「地道なレベルアップとツインエンジンの赤狼王とチーフテンでフルボッコ」という正面突破でした。

LV48くらいで何度も何度も弾き返されたものの、その時点で見つけた&購入した武器では歯が立たず、唯一、希望が持てそうなサウルス砲は重くて載せられず、と完全に“詰んだ”状況に見えたのの――

・ここまでゆっくりやってきてLV48。多分、レベルは足りてるんだろう。
・ということは、手前のゲームの進め方が悪いに違いない。
・多分、アーティストをパーティに入れて砲弾と戦車を魔改造するのが正解なんだろう。
・もしくは強いファイターをバイクに乗せて戦わせるとか。
・でも、レスラー2人組とかいうパーティでもクリアできるのがMM3クオリティなはず。
・ということは、押してだめならもっと押せばいいじゃない!

――と、理屈になっているようでなっていない屁理屈で無理やり心を納得させ、「一日、Lv2アップ」を目標に樹海をさまよい歩いたり、特別な依頼を解決しまくったりした末、Lv70代に突入。お金も貯まりまくっていたので、赤狼王のシャシー改造を断行。その後、うろうろしながらエルルースのツインエンジン改造屋にいったら……「この戦車を一晩預けろ」とのお達しが! ツインエンジンってのはこういうことだったのね。

というわけで、チーフテンも1段階ずつ改造しながらツインエンジン屋のところに持っていって、いい頃合のところで改造。改造に多額の費用を費やしたのでお金を貯めつつさらなるレベルアップに精進して、結局、ルドルフ可変バルブを2つ載せた赤狼王(サウルス砲)、チーフテン(火星バースト)、暴龍王とともにスピードキングを襲撃。

LV70台だと、受けるダメージが桁違いに少なくなるのね。スーパーポチタンクに乗ったコロ助(バイオ犬)なんかほとんど無傷だし。サウルス砲の威力が思いのほかしょぼかったのを除けば、順当に勝利。星2つのメテオドライブをゲットしました。

しっかし、スピードキングを本気で殺りに行く準備を始めてから2週間かぁ。長かったなぁ。

2010年8月23日月曜日

TV覚書: TVチャンピオン夏休み特別編、「小学生料理人選手権」

優勝者は小学3年生の新倉茜音ちゃんだったわけですが、新倉ゴマ  NIIKURA GOMA の娘にして、岩塚製菓のトップページに母親と一緒に出てるって……セミプロじゃねぇか! だいたい自前のタジン鍋を持ってる時点で「いくらなんでも何か間違ってるんじゃないか?」と思ったけどさぁ。

てか、岬ちゃんが勝ち上がるべきだったんですよ。あの中途半端なルックスと丁寧な包丁の使い方は、同じ組で次点で勝ちあがった男子よりも明らかに上だったわけでね。

要するに何が言いたいのかというと「オレの二時間を返せ!」ってことです。

そろそろ中型~大型トレードをしてもいい頃かも

結局、ナゴヤドームでの9連戦は7勝2敗。貯金5つなら十分でしょう。昨日の試合も、「打てる2番or6番打者=打てる外野手」がいればどうにでもなったわけで……。しっかし、このことは来年以降も大きな課題になるんだろうなぁ。何年か前、ロッテのサブロー選手がFA権を獲得したときに、落合博満監督が獲りに行く姿勢を見せたけども、いまになって見れば「獲れるなら獲っておいた方が良かったんだろうなぁ」と。

で、ふと思ったんですが、このシーズンオフに巨人と大型トレードすりゃいいんじゃないですかね? 巨人は外野手が余っているし、中日は巨人に足りない左腕投手と二塁手がいるわけだから。例えば、岩崎達郎選手、小笠原孝投手あたりを出せば矢野謙次選手あたりと交換できるのではないかと。なんならアライバのどちらかを出して亀井義行選手+αと交換とかね。

上記は、球団との関係や球団内における選手の位置づけを無視した思考実験に近いハナシだけど、やっぱり日ハムにおける“二岡効果”――敢えてポジションの被る二岡智宏選手を獲ることで、金子誠選手、小谷野栄一選手の奮起を促し、結果的に戦力の大幅増強に繋げた――を狙う意味でも、当たり外れのある外国人ではなくて、ある程度実績のある日本人選手をカンフル剤的に入れる意味はあると思うんですよ。落合監督になってからFAはあっても大型トレードはないので、もし来年も監督を続けるのであれば、そろそろ中型~大型トレードをしてもいいじゃないでしょうかね?

2010年8月22日日曜日

新聞にも梅以下がある

人間、30年以上生きていると「新聞にも松、竹、梅があるのだなぁ」ということをある程度体得するものだと思います。といっても、この場合の松、竹、梅の格付けは、思想的スタンスによるものじゃありません。あくまでも記事や取材力のクオリティによるものです。

手前の思想的スタンスは「日本では右翼、世界では中道」というモノなので、朝日新聞や毎日新聞には「しゃらくせぇ」と思うことが多いですし、産経新聞には「よく書いてくれた」と思うことが少なからずあります。それでも、紙面や出版物のクオリティを見ると、朝日新聞や読売新聞みたいにヒト、モノ、カネを掛けている新聞社のものは総じて高く感じますし、そういったリソースの少ない産経新聞や地方紙のものは総じてクオリティが低く感じます。

最近経験した例では、産経新聞出版の『決定版 民主党と日教組』(阿比留瑠比著)。これは本当にヒドイものでしたからね。いや、本の趣旨はいいんですよ。そのスタンスには大賛成なんですが、内容はというと「ほとんどが著者のblogの再録」ですからね。こんな手抜き仕事、朝日新聞や読売新聞の政治部では考えられないでしょう。過去、ナベツネがバリバリ書いていたモノ(『派閥』『政党』。いずれも弘文堂。絶版)に比べると随分質の落ちた最近のモノを見たって、朝日や読売の政治部の冠がついた本は、自称フリージャーナリストの力作よりしっかりとした仕事をしてますからね。

で、何が言いたいのかというと、「新聞には梅以下のモノが少なからずあるのだなぁ」ということを昨日初めて知ったってことです。

さっき2chを見ていて見つけたのですが……このクオリティはないでしょう。なんというか新橋の酔っ払いの繰言どころか、最近、同じ話しかしなくなった田舎の母ちゃんのハナシくらいのクオリティだもの。突っ込みどころ満載ですが、敢えて突っ込ませていただくと――

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>われわれは日本に住んで身の回りが少しずつ変化するのに対応し、みんな幸せを求めて日々頑張っている。だが、このごろ面白くないことが増えてないか。気のせいかもしれないし、自分だけがそんな感じを持ってひがんでいるのかもしれない。そうなのか、いやそうでもないのか、これから少しずつ探っていきたいと思う。

気のせいでしょ。そういうのは気の持ちようで変わるものだから。

>今現在この世で最大の変化は、中国が立派な発展を遂げつつあり、圧勝するはずだった米国がさほどでもないことだ。~~(中略)~~それらに比べて、どうも日本は落ちぶれるばかりではないか。アジアナンバーワンさえ怪しい。

百歩譲ってインドネシアまではいいとして、それ以下の国が頭角を現しているって……。それは0.1が0.2になったからスゴイ! ってハナシであって、日本やアメリカは100が105になったり95になったりして良かっただの大変だのいってるわけでね。それをいったらルワンダだって大したもんですよ。

>苦労し、かつ勇気を奮って選んだ民主党政権もやらせてみたら案外だめだった。口先ばかり達者な素人集団にすぎない。やること言うことの端々すべてが野党根性抜けずで、国を運営する責任を理解していない。現状の彼らに将来の日本を任せることなどできようもない。代わるものがいないから我慢するしかない。せつない選択だから、われわれは不安で不満なのだ。

だったら自民党に変えればいいじゃないの。二大政党制で政権交代を繰り返すことで政治を良くなる――って“呪い”を唱えたわけだし。てか、散々民主党政権を煽ったお前がいうな。

>だが、世界を見渡すと、立派なリーダーも、責任政党も、確固たる仕組みも極めてまれなことに気付く。見かけと違い、だめなリーダーや政治は結構、世界共通だ。

戦わなきゃ、現実と。お金がないときは冷蔵庫の中のものでメシを作らなきゃならないように、いまあるものでやってくしかないでしょ。

>ちょっと前まで、われわれは先進国といわれるごく少数の国々のグループに属し、格差と貧困が主流のそれ以外の大多数の世界を見下しながら、幸せな井戸の中で安住していた。だから何をやってもうまくいった。

違うよ。自民党がそこそこの善政を敷いてたんですよ。いまの民主党政治を見てりゃわかるじゃない。

>例えば、世界平和に「貢献する」などと公然と言ってきた。どの国も苦しみながら内外と闘いながらやっと食っているのに、日本だけは別。戦いません、貢献だけしますと…。究極のきれいごとだ。

つまり、改憲→国軍保有→日米双務同盟締結のコンボを承認するということだね。論理的に考えたらこういう結論にしかならないはずなんだけど、どーせこういう結論は許せないんでしょ?

>消費税もそうだ。5%しか払っていない福祉充実の先進国はほかにない。15%や20%が当たり前だ。社会安定のための入場料だ。だが、増税はいやと、国の借金で賄った。自民党と中央官僚が開発した日本方式はこの間、世界最高の住みやすい日本をつくってきた。
だが、ありもしない余裕をこいている20年の間に並みの国になったのである。だから、井戸から出て、慣れない並みの国扱いに、われわれの気分がよくないのは当たり前なのだ。でどうする? おい。これから。

・自民党を支持したのは有権者であってね、我々がこういう国を作ってきたんだからしょうがない。
・20年経っても世界一の治安、ニートが許される豊かさが保証されている良い国でしょう? だいたい「並みの国」ってのは、何と比べて「並み」なのかね? 日本より住みやすい国って一体どこにあるの?
・別に気分はわるくないよ。手前自身についていえば、たまたま貧乏だから税金の督促がウザいくらいで、まあまあ楽しく暮らしてるけどね。

>私は福島に生まれ、大学進学のため東京に出て以来、福島とは別の世界を見ながら暮らしてきた。福島は帰ってくる故郷であり続けた。毎日新聞主筆の任務を今年終え、福島民報の紙面で今日から書かせてもらうことになった。故郷への恩返しがしたい。

毎日新聞主筆だったオレsugee! ってこと? ふざくんな!

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しかし、いまは社会主義政権だからこんなこと言っているけど、もし自由主義政権(もしくはゴリゴリの右翼政権)による政権交代だったら、四の五の言う前に「さっさと解散しろ!」ってんだろうね。

追記:武藤、復帰は「プロレス愛するがゆえ」。手前が死ぬまでに、武藤vsムタのシングルマッチが見たいです。てか、ムタはいつまでも武藤から逃げちゃだめだって(キリッ!

2010年8月21日土曜日

与死球でリーグワースト記録といっても――

当たらなければどうということはない! を地でいく。それにしても結局連勝を止めるのは館山昌平投手か。現実的に10連勝する可能性なんて限りなく小さいわけで、想定内といえば想定内なんだろうけど……。ここから連敗したら週明けからの巨人戦をやりにくくなるよなぁ。

で、今日は甲子園の決勝だけど、こういう前評判の良くて好投手がいるチームが順当に勝ちあがって決勝で戦うってことは、かなり珍しいことじゃないかなぁ。正直、両投手とも「1年に1人レベル」の才能で、そこまで凄い投手には見えない(成田の中川君の方が素材的には上に見える)けど、NHK的には願ってもない展開なんだろうなぁ。てか、決勝くらい中一日開けろよ! 毎年毎年、“怪物”以外のときは乱打戦じゃねーか! 少し休ませてから投げさせてもいいのにねぇ。別にドームでやれとか秋にやれとまではいわないからさ。

追記:北朝鮮、ハンガリーに帳消しを要請 負債の90%以上

>北朝鮮に関しては、チェコに対して負債の5%を朝鮮ニンジンで返済したいと提案していたことが報道で明らかになっている。

この発想は素晴らしい。いつか借金を踏み倒すときに、このことをよく覚えておこう。まぁ、実際に取立て屋を前にしたら、こういうナメた口はきけないんだろうけど。

2010年8月20日金曜日

得失点差マイナスで2位ということはつまり――

原 「うっ、お、落合」
落合 「フフ、年俸総額の金額の違いが、戦力の決定的差ではないということを、教えてやる」
原 「落合め……いける!」
原 「しまった。エドガーの守備が!? うしろ?」
落合 「遅い!」

――ということですね。

得失点差-15点で2位。ハッキリいってこのチーム、監督のウデで持ってます! で、昨日3位に落ちたチームはというと+67点! コメントは……差し控えておきます(笑)

満身創痍の3番。当たりの止った4番。本調子を取り戻せない5番。6番に日替わりで若手を入れるような苦境で3タテ。ようやくようやく巨人を足元に跪かせる。長かった。本当に長かった。

でも、こんなことで喜ぶのはまだ早い。これでも2位。阪神との差は2.5ゲームでも負け数差は6で、こっちは7試合多く消化しているから、実質的なゲームは5以上だろうなぁ。といっても昨日の勝利で、「リーグ優勝を語れるだけの資格は得た」ってことくらいはいってもいいんでしょう。一時期は完全に諦めていたもの。まぁ、この超絶貧打の状況でよく3タテできたと素直に喜んでおきますよ。先のことを考えたら安易にはっちゃけられないんだけどね。

さて、これで「9連戦で貯金3つくらいは欲しいなぁ」という、ごくごく控えめな願いが叶ったわけだけど、だからといってヤクルトに3タテされるのは勘弁。初っ端に館山昌平投手を当てられるし、こっちは裏ローテだし、畠山和洋選手が怖すぎるし、何より和田一浩選手の状態が……ということを考えると、勝ち越せれば奇跡みたいな感じなのがなぁ。

2010年8月19日木曜日

中日の次の永久欠番は13番こそ相応しい

落合博満監督の正しさが3年越しで確認されましたね――ということは、多分、どこのblogでも書かれていることだと思うので改めて何かを書くつもりはないけど、それにつけても岩瀬仁紀投手ですよ。

落合監督曰く、

「そう簡単に記録は作らせてはくれないものだ」
「みんな岩瀬を忘れてる。周りは抑えて当然だと思うけど、あの重要な場面で行くのは重圧もあるんだ。先発ピッチャーの勝ちを消せないわけだから。6年連続30セーブの扱いが低い」

とのこと。
そういえば、中日新聞の連載でもこう言ってました。

「岩瀬が6年連続30セーブをマークした。これまでに達成しているのは、岩瀬一人しかいない。現役で、しかも、記録を継続中でもある。確かに残した記録は、選手を辞めてから、しみじみと思うものだが、岩瀬の記録はもっと大々的に取り上げられるべきだと思う」
「セーブ王のタイトルが誕生してからは、岩瀬が現役ではナンバーワンの記録を残しているんだ」
「プロ入りしてから毎シーズン50試合以上投げてきた。だから、周囲も、ああここで投げるんだ、抑えるんだ、当然だという見方をしている」
「今回の記録達成は、長い年月を積み重ね、丈夫に投げてきた証拠。うちのチームに、これだけの成績を残した選手はいない」

ノーヒットノーラン失敗といえば必ず取り上げられるこの試合にしても、藤田元司監督の下に岩瀬投手が入れば失点した時点で迷わず投入していたんだろうけど、残念ながら角三男、鹿取義隆しかいなかったわけで……。角も鹿取も岩瀬投手のような絶対的な力はなかった――鹿取は翌年西武に移籍して復活。この年は藤田監督とソリが合わず、本来の実力を出し切れていなかった――わけで、あそこで登板していても落合に打たれてただろうからね。

というわけで、次に中日が永久欠番にするのは13番しかないと思うのですよ。3番? 森野将彦選手がつければいいじゃない! 4番も打ったんだし実力、実績十分でしょう。

2010年8月18日水曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その9

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

さて、『「自衛隊」無人化計画』で語られている兵頭師の主張は、ともすれば荒唐無稽なハナシにも聞こえるかも知れません。確かに政治家や官僚、研究者にインタビューをしているわけではなく、その主張の多くは文献(古書と海外ニュース)をベースとしたもので、所々で著者の大胆な予測が挟み込まれる――という本なので、見方によっては“トンデモ本”(実証的なデータを欠き、著者の思想に都合の良い情報と論理で構成された本)の類といえなくもないわけです。

ただ、兵頭師が同著を上梓するにあたって目指したことを考えると、“トンデモ本”と指弾するのは少し浅薄ではないかと思うんですよ。

手前が考える、同書で兵頭師が目指したことは、

・「<ハイテク軍備一点かけながし>の財政出動」というアイディアの提示
・ロボットが21世紀の世界を変えるという予測の提示
・こうした時代の変化にいち早く対応するための新情報と可能性の提示
・核武装に代わる日本の安全保障に必要な切り札の提示
・少子高齢化社会、移民政策に対応するための政策アイディアの提示

と、大きくわけてもこれだけあります。それぞれ1冊の本になるテーマですが、全てのテーマに真正面から取り組み取材、調査をやっていたら、1冊上梓するために数年の時間が必要になることでしょう。

このようにして10年近くかけ、これらの主張をまとめて上梓したとして、その頃にはこれら一群の本の内容がすっかり古くなってしまっているのではないか? とりわけロボット開発の世界は、パソコンやインターネット以上に進歩の度合いが早いだけに、最新情報もすぐに陳腐化してしまう危険性があるのではないか?

そんな懸念から、敢えて“トンデモ本”と指弾されることは百も承知の上で「いま、訴えなければならないこと」を目一杯詰め込んで上梓したのだ――と考えています。

実際、1年前は“トンデモ本”に近いのでは? と思っていたのですが、今日のロボット開発の現状を振り返ってみれば、かなりの部分で兵頭師の書いていたことがズバズバ当たっているわけで、「実は“警世の書”であったのだなぁ……」と大いに見直しているところです。

兵頭師が15年前に主張していた「核武装論」も、当時はトンデモ扱いされていましたが、現在は少なくとも保守論壇で実現の可否が議論される程度には市民権を得ています。昨年から主張している「ロボット開発論」は、恐らくあと数年もしないうちに堂々と市民権を得ることでしょう。そのときまでに「<ハイテク軍備一点かけながし>の財政出動」という大胆な政策――現実的には兵頭師の提案がそのまま実現するというよりは、その提案のエッセンスを汲み取った安全保障への投資拡大という形で実現するのではないでしょうか――が顧みられることになるのか否か? その行く末が気になる人はもちろんのこと、『ロボット兵士の戦争』を読んでハマった人にも、同書の精読をオススメします。

2010年8月17日火曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その8

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

ロボット技術の進歩と浸透が加速するなかで、日本はどのような手を打てば良いのか? 兵頭師は「<ハイテク軍備一点かけながし>の財政出動」により、ロボット産業を振興することこそが、一石三鳥の絶妙手であると説きます。

「市場に任せておくことが絶対に不可能な『国防』を中心とする安全保障の公共サービス分野に税金を投入することは、民主主義国家の根本道徳として、まず正しい政策です。国防こそ、国民福祉の基礎なのですから」
「その上で、政府が投資する分野を、『軍用ロボット開発』を中心とする『ハイテク軍備』にあくまで集約することで、日本社会が直面する『若年マンパワー不足』の問題が至短時間で解決されるだけでなく、バラマキ財政につきものの、衰退企業を不合理に富ませてしまう滅亡自己加速現象や、崩壊した旧ソ連式経済と同義語である『役人天国化』も、予防ができるでしょう」(15~16頁)

このようにいいことずくめの「<ハイテク軍備一点かけながし>の財政出動」とはどういうことなのか?

兵頭師は軍備への財政出動の意義を語る上で、アメリカの成功を例に挙げています。ハイテク軍備への莫大な投資により大恐慌~第二次大戦を乗り切り、冷戦でソ連に打ち勝ってきたことを論証(第一章:米経済の強さの源はハイテク軍事投資)したうえで、日本は現在に至るまで軍備への投資をまともにしたことがないことから、「長年放置されてきた<肥沃な砂漠>に水を灌ぎかけることで、たちまち美田ができてしまう」(24頁)と、いまハイテク軍備(ロボット技術開発)に莫大な投資を行なえば、その効果は劇的なものになるだろうと予測。

そのうえ財政出動の手法を“一点かけながし”にしなければならない意味について、次のように主張しています。

「『ハイテク軍備一点かけながし』の長所は、市場にまかせていては本来機能のしようのない安全保障対策を、政府資金の最初の投入口だとハッキリ規定してしまうことによって、小役人による『統制経済化』を自動的に阻止できるところにもあります」
「最初の『水門』をあくまでひとつだけに限定しておくことが、肝要なのです。これができないとするならば、大きな落とし穴に国全体が落ち込むおそれがありましょう」
「すなわち、戦前に日本がいちど大失敗させている『統制経済』と、非開発部門(最終的にはインテリ役人たちの生涯所得)への緊急資金垂れ流しです」
「民間会社の社長にすっかり任せておけばいちばんうまくいくことまで、ぜんぶ生粋のエリート公務員が口を挟んで指導(という名の宴会相伴)をしようとしたのが、日本式の統制経済でした」
「この二の舞をもういちどやったら、おそらくその先にまつものは一九四五年と同じ、官僚宴会亡国でしょう」(52~53頁)

兵頭師の主張を手前なりに大雑把な感じで咀嚼してみると、以下の通りになります。

・民間企業が参入し難い軍用市場に多くのプレイヤーを呼び込むため、国が率先して財政出動を行なう
・ただし、財政出動は「軍用市場のハイテク兵器開発」という大目的だけを設定しておいて、細かな開発目的や費用の使いみちは参入プレイヤーに一切合切まかせる

つまり、ハイテク軍備に「カネは出すが口は出さない」を地でいくことで、若い研究者の思いつきや突拍子もないアイディア、予算がなくて断念したハイテクプロジェクトなどの事業化に道筋をつけ、これから爆発的に拡大するであろう世界のロボット市場をリードしていこう――という主張です。

「<ハイテク軍備一点かけながし>の財政出動」が、どれほどの波及効果を生みうるか? 少子高齢化対策、移民対策、内需拡大……数多くのメリットがあるとしていますが、詳しくは、同書を手にとって確認してみてください。
(つづく)

2010年8月16日月曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その7

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

このほど翻訳された『ロボット兵士の戦争(Wired For War:The Robotics Revolution And Conflict In The 21st Century)』(P.W.シンガー著、小林由香里訳。NHK出版)を、ようやく読み終えました。感想は一言、「とっても面白い!」。2010年代にあらゆる分野で革命を起こすであろうロボットについて、これほど丹念に取材し、ありとあらゆる切り口から深く突っ込んで書ききった本は中々ないと思います。

翻訳も素晴らしく大部であるにも関わらず読みやすいところも特筆すべきでしょう。リーダビリティという点ではサイモン・シンの一連の著作に半歩及ばない感じですが、ミリタリーかSF、ロボットが好きな人であれば、がっつりハマること請け合いです。全てのロボット関係の本を読んだわけではないので断言することは憚られますが、少なくとも「今年イチ押しのロボット本」であることは間違いないといえましょう。

で、この本を読んで改めて兵頭二十八師のロボット本である『「自衛隊」無人化計画――あんしん・救国のミリタリー財政出動』(PHP研究所)を読んでみたんですが、再読後の感想は「やっぱいいこと書いてるわ!」。発刊から一年経って、改めて同書の良さを噛み締めています。

去年、新刊として読んだときには、正直、「あと5~10年でロボットの時代が来るのかねぇ?」と、かなり疑問符をつけながら読んだんですよ。確かにロボットが進化して軍や家庭に浸透するのは間違いないんだろうけど、そういう変化がすぐに起きるとはちょっと想像できないと思っていたわけです。だって、1年前の時点では『ASIMO』も『Big Dog』も“研究者の高いオモチャ”みたいなものであって、すぐに実用化する目途なんて立ってなかったですしね。

それが1年経ってみたらどうなっていたか?

・車椅子型のロボットや高齢者向けコミュニケーションロボットが百万円台、ロボットアームが買えるまでにコストダウンしているというハナシ。
・無人偵察機が戦場にあって当たり前の状況になっている。いまや、ハリウッドサスペンス映画の定番アイテムになっているというハナシ。
・血圧、血糖値などのを読み取る「バイタルセンサー」を椅子やベッドに仕込んだ高齢者向け住宅を、某大手住宅メーカーが数年内に事業化するというハナシ。

――が現実になっているように、ロボット技術が目覚しく進歩(浸透)。昨年12月には政府の新成長戦略で「高齢者用パーソナルモビリティ、医療、介護ロボット等の研究開発・実用化を促進する」という文言が盛り込まれるなど、まぁ、軍師が書いた通り「ロボットの時代」がどんどん近づいてきているわけです。一年前は「ちょっと早すぎる本」と思っていたけど、いまになって「絶妙のタイミングで書かれた本」へと認識を改めているところです。

ただ、各企業や大学の研究状況にしても、政府の方針にしても、それはそれで素晴らしいことではあるのですが、厳しいことを言うと「世界的なトレンドに遅れないよう、とりあえずロボットに取り組んでおこう」という姿勢でしかないようにも見えます。ロボット実用化に向けて資金を投入し、開発を進め、結果を出す――いわば一石一鳥の手といえます。

でも、ここまでロボット技術の進歩と浸透が早いなかで、一石一鳥の手だけで間に合うものなのか? どうせ打つなら一石二鳥、一石三鳥の絶妙手を打った方がいいんじゃないか? せっかちな手前なんかはこう思ってしまうわけですよ。

「一石二鳥、一石三鳥の絶妙手なんて軽々しく言うけど、じゃぁ具体的にどういう手を打てばイイわけ?」

という問いかけに、完璧な形で答えているのが『「自衛隊」無人化計画』なわけです。

2010年8月15日日曜日

*読書メモ:ロボット兵士の戦争(第2部)

目次と概略

◆第10章:軍事における革命(RMA)――ネットワーク中心の戦争
・ITネットワークへの移行は戦争のあり方を変えると考えられていた。直近のRMA(=ネットワークの戦争)は戦場の霧を無くすことを期待されていたが、偶然や混乱、ミスなどにより無くせなかった。一方、真の革命である無人システム、ロボットについては顧みられていなかった。この新たな変化の風は何を引き起こすのか?
「戦争における無人システムの開発と使用の拡大は、陸軍大学のある報告書によれば、『政治的、法的、倫理的問題のハリケーンを引き起こす』」(298頁)

◆第11章:「進歩的」戦争――ロボットでどう戦うのか
・ロボットの戦争には、新たな戦争の<教義>が必要だ。戦車に電撃戦という<教義>があったように、無人システムの使用について正しい<教義>を策定する必要がある。米海軍は長らくマハンの<教義>を信奉していたが、ロボットの出現によりコーベットの<教義>に乗り換えつつある。生態系からヒントを得た「スウォーミング」は、米陸軍の新たな<教義>構想の一つ。パルティア人やモンゴル人の騎馬大軍団の戦争に近い“群れ戦術”だ。人工の鳥のプログラムを作ったクレイグ・レイノルズ曰く、群れを作るには3つの単純なルールで良い。「①分離――他の物体に近づきすぎない」「②近くにいる鳥に速度、方向をあわせるようにする」「③自分のすぐ近くの鳥の集団の中心と思われるところに向かう」。

◆第12章:アメリカが無人革命に敗れる?
・技術の一番乗りは、新技術を早い時期に使うメリットがある反面、開発にカネがかかる。加えて技術の形態やデザイン、組織、戦略、戦術を早期に決める必要がある。一方ライバルは、初期コストにタダ乗りし、すでに上手くいっているものを模倣し、リソースの全てを一番乗りのモノの改良につぎ込める。歴史を見れば、ある国がRMAでリードを守れるケースはごく稀なこと。ロボット技術におけるアメリカの優位も絶対的なものではない。

◆第13章:オープンソースの戦争――大学生、テロリスト、戦争ロボットの新たなユーザー
・現代は高度な軍事技術を誰もが利用できる時代。どんなテロリストでもアマゾンで買ったGPS装置で標的を正確に特定できる。その証拠にヒズボラは、全アラブが束になっても敵わなかったイスラエル軍を退けた。アルカイダも9.11以降、中央集権型の集団から世界中に細胞が散らばる運動へと進化している。新技術導入にも極めて貪欲で、あるサイトでは自宅のPCからイラクのIEDを爆発させるチャンスを与えている。
「ある国を全滅させられるものを五十ドルで買えるとしたら? 言ってみれば、ツイてない一日を送っている人間は誰でも、国の存続を脅かす存在になる」(394頁)

◆第14章:敗者とハイテク嫌い――変わりゆくロボットの戦場と新たな戦争の火花
・子どもの兵士を生んでいる「南北問題」。第三世界で急増するメガスラムが戦場になる可能性の指摘。ロボットの進化がこうした経済・情報格差をより大きくする。そうした土壌が生まれるであろう“新”ラッダイト運動(=反機械主義)への懸念。
「私たちの技術信仰は実は弱点であり、そのせいで戦争に勝てない……リベリアやルワンダやスーダンやコンゴのような問題を、いったいどうやって技術で解決できるというのか。戦争はいまだに生身の人間の領域だ」(420頁)

◆第15章:ウォーボットの心理学
・03年、イラクに侵攻した米軍の技術は、イラク共和国防衛隊のエリート大佐によれば「信じられないほどのものだった」。しかし、イラク人はやがてピンポイント爆撃にも慣れ、当初受けた心理的効果はあっという間に薄れてしまった。また、米軍が無人システムを多用するほど、テロリストは積極的に攻撃したくなる心理が働くという。つまり、「無人システムの多用=死に直面したくないというアメリカ人の気持ちの表れ」であると考えているということ。
「人間の軍隊には何か『構想、夢、悪夢、あるいはこの三つを混ぜ合わせたものが、気合を入れて猪突猛進するには必要だった』。ロボットの場合は、充電するだけでいい」(455頁)

◆第16章:ユーチューブ戦争――一般市民と無人戦争
・自由体制における戦争とメディアの相互関係について。無人システムの進化により兵士の命を賭けずに戦争を起こせるようになる。一方、YouTubeに戦場の風景がBGMつきでアップされるようになり、“戦場のポルノ化”が進みつつある。リスクなき戦争はそもそも戦争といえるのだろうか?
「ファッセルは戦争が無人化する傾向と、それが予告する状況を激しく非難する。(中略)そして、こう嘆く。『結局、人びとは次世代の戦争を支持するだろう。テレビがそう命じるからだ』」(471頁)

◆第17章:戦争体験も戦士も変わる
・無人偵察機のパイロットは「戦場を見通す神の目」を持ち、戦争に行かずに戦争をする最初の世代。一方、ロボットが戦場に深く浸透することで、現地の兵士がロボットに人格を感じるようになる。無人戦闘機の操縦に関する研究で、人間の操縦者と協力して任務にあたるプログラムに、愛想の良いAIと無愛想なAIの二つを用意して任務状況を調査した。結果は歴然としたもので、愛想の良いAIが早く任務を終えた。
「ゼネラル・ダイナミクス・ロボティック・システムズのマーク・デル・ジョルノ副社長は言う。もちろん、「癖」というのは人間の勝手な連想にすぎない場合が多い。『“人格”は、たとえば、ステアリングがちょっと甘くなったせいだったりする』」(489頁)

◆第18章:指揮統制――新技術が統率に及ぼす影響
・情報技術の進化により、戦場を遠く離れた指揮官が現場の兵士の処理している問題に口を出しすぎる問題が出てきた。プレデターから送られてくるリアルタイムの映像を見て、個々の兵士の配置まで将軍が指図する。技術の進化はこうした「戦術的将官」と「戦略的伍長」(かつては大佐が下していた空爆の決断をいまでは伍長が下せる)を生み出した。将官の意思決定をサポートすべく、DARPAは統合戦闘指揮システムを開発した。このシステムは指揮官が自らの計画を視覚化し評価するとともに、様々な効果の影響を予測できるようにするAI(注:いわばTVゲームの『大戦略』みたいに戦争を単純化なものか?)。これにより指揮官を悩ます情報過多の問題は相殺できるという。

◆第19章:誰を参戦させるか――科学技術が紛争の人口構造を変える
・大型無人飛行機のパイロット訓練は、導入研修がフライトシミュレーターで、その後、小型ラジコン操縦を40時間、1/3モデルの模型操縦を40時間実施。その後、実物を操縦して完璧な飛行が40時間に達した時点で免許皆伝。レイブンUAVのような小型機であれば、訓練に1時間かからないこともある。こうした新技術のおかげで、誰もがパイロットになれる。
「ある会員がウォードに尋ねる。自分の孫は『朝から晩までプレイステーション式のテレビゲーム漬けになっていた』から、軍でやっていけるか、と。ウォードはこう答える。『“ブートキャンプ”ってやつを切り抜けられさえすればね』」(527頁)

◆第20章:デジタル時代の戦時国際法をめぐって
・米軍はすでに膨大な時間と努力を戦争の法的な側面につぎ込んでいる。プレデターが怪しいトラックを見つけ、これを攻撃しようとするとき、横にいる独立法務官が渋い顔をする――こうしてタリバンの指導者であるオマル師は難を逃れた。加えて無人システムはあらゆる映像を録画するため、戦争のプレーバックができる。このため後知恵で作戦を批評されてしまい、より法律による束縛が強くなってきている。ロボットの自律性が高まれば、当然、法的問題はさらにやっかいになろう。金属以外でできているロボット(探知しにくくテロリストにはもってこいのモノ)は禁止されるかもしれない。

◆第21章:ロボットの反乱?――ロボットの倫理をめぐって
・ロボットが人間の主人になる可能性について、少なくない専門家が深刻に受け止めている。ロボットによる乗っ取りを心配すべき業界があるとすればエロ分野。ほとんどのロボット関連企業は、最近、ポルノ業界と巨額の契約を結んでいることを公表しない(注:オリエント工業が世界を席巻する日は、案外遠くないのかも?)。
「新技術の倫理問題を検討する責任は、研究者と政策立案者だけでなく、より広い一般市民も共有している。ロボット倫理の問題がもち上がると、SFと受け取られることがあまりに多く、ダニエル・ウィルソンが得意とするような嘲笑の対象にされやすい。実際、多くのロボット工学者がこの問題についていっさい話したがらないのは、おそらくそのせいだろう。倫理的に恥ずべきことだ」(618頁)

2010年8月14日土曜日

*TV覚書:日本の、これから「ともに語ろう日韓の未来」

本を読みながら音楽を聞き、時々料理をしつつチラ見。

で、書くと確実に荒れるし、本音をむき出しにすることは品のないことだとも思うので一言だけ。

「韓国人にはもううんざり」

ハァorz……何を言えばいいのか? いちいち間違いを指摘するのもばからしい。ただただうんざり。

江藤隆美が総務庁長官時代にオフレコで語った“談話”が、何一つ間違っていなかったのにクビを切らされるこんな世の中じゃ、ポイズンですよ(って古いね)。

*95年の江藤談話*

「あれ(日韓併合条約)は無効だったと言い始めたら国際協定は成り立たない。サンフランシスコ条約でもほかに結びようがありましたか? 日米航空交渉、日露航空協定もそう。強い国と弱い国、ほかに方法がないわけだから。直接、脅かして心理的、政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時はおれの国が弱くてやっつけられたときだから仕方がなかった」

「日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから。車を配置して暴動を起こさせなかった。民族を統合するというのは、そりゃ反対がある。しかし、日本はいいこともした。全市町村に学校をつくった。高等農林学校を作り、ソウルに京城帝国大学をつくり、一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかったわけだから。鉄道5000km、港湾の整備、開田、水利をし、山には木を植えた。いいこともやったが、誇り高き民族への配慮を欠いた。それが今、尾を引いている」

「全国民に創氏改名をやらせたとは思えない。あのころ同級生で朝鮮人名で何人も勉強していた。そのままの名前で陸軍中将にまでなった人がいる。今日、日本では経済界、芸能界、野球選手とあらゆる面で韓国人が活躍している。韓国から日本に来て、あらゆる階層で活動するようになった。日韓併合条約の大筋の効果だったかもしれない」

「朝鮮人蔑視の過ちをしてきたが、台湾には反省して戒めた。台湾では今も俺は日本人だという人がいっぱいいる。おれは日本語以外使ったことはないという人もいっぱいいる。日本の軍隊に参加した人もいる。だから朝鮮の統治について日本は幼稚であり、無策であった。民族の誇りを傷つけた。部分的に日本の政策に反対するものに弾圧をした」

「日本の侵略について、日本人全体としては植民地と思っていなかっただろう。だから内地、外地と呼び、外地を内地の水準に高めようとした。李王朝の金銀財宝を日本に持ってきて飾っているようなところはない。フランスのルーブル美術館、イギリスの大英博物館は世界中からかっぱらってきた。日本は中国からも韓国からもそんなことはしていない」

歴史認識で謝れといい、南北分断についてはカネを援助しろだ? 私たちは日本人のことを家族のように思っているだって?

まず、韓国人にいいたい。お前らは家族でもないし同じ民族でもないから。フィリピン人、ラオス人、オランダ人、ブラジル人と同じく「ただの外国人」だから。

これ以上書くと罵倒が止らなさそうなので、ここで打ち止め。

*読書メモ:ロボット兵士の戦争(第1部)

目次と概略

◆序文:なぜロボットと戦争の本なのか
「本当に重大なできごとがしばしば見過ごされてきたことは、歴史を振り返れば一目瞭然だ。グーテンベルクが印刷機を発明したとき、誰も祝賀パレードを行なわなかった」
「私たちは何か重要なできごとのさなかにいる、おそらくは戦争とテクノロジーの大変革の真っただなかにいるのかもしれない――そんな思いが募っていった」(26~27頁)

◆第1章:はじめに――ロボット戦争の光景
・即席爆発装置(IDE)処理を爆発物処理班に代わってこなすロボットから、無人偵察機プレデター、自動小銃からロケット砲までを乗せられる戦闘ロボのSWORDSなどの紹介。
「戦争が人類だけのものだった時代は終わりつつある。私たちはロボットが戦争に行く時代を迎えている」(66頁)

◆第2章:ロボット略史――スマート爆弾とノーマ・ジーンと排泄するアヒル
・「ボーカンソンのアヒル」「ギリシャ神話のタロス」「トルコ人」「アフロディテ作戦」(ジョセフ・ケネディJrが戦死した自動操縦爆弾飛行機の作戦)など、ロボットの歴史を振り返る。

◆第3章:ロボット入門
・ロボットの定義、AI、センサー、レーザー、エネルギー源などの開発状況など。『ニューロマンサー』の頭にプラグは鋭意開発中。DARPAの調査によれば“ケンタウロス型”のロボットが将来軍事利用されると多くの専門家が予想しているという。ターミネーター2のT-1000も夢ではなくなる可能性もあるとのこと。

◆第4章:無限を超えて――指数関数的急増傾向の力
・ムーアの法則にある通り、あらゆるモノは指数関数的に変化する。ヒトゲノム計画におけるゲノム解析、米特許商標庁が決定する毎年の「重要な発見」の件数、脳スキャンの解析なども指数関数的に増えた。古代ギリシャの重装歩兵は500人でフットボール競技場くらいのスペースを守っていた。南北戦争時代にはこれが20人になり、第一次大戦には2人、第二次大戦には1人が競技場5つ分をカバーするようになった。現代は1人で競技場780面分をカバーしている。ロボット技術、生産コストが同じようにならないことがあろうか?

◆第5章:戦場に忍び寄る影――ウォーボットの次なる波
・将来の軍事ロボットのあるべき姿を予測。ナノボットは夢ではなく、分子レベルで働く兵器の可能性は十二分にある。無人トップガンに宇宙の真空空間でのロボット同士の戦いも。現実は限りなくSFに近づきつつある。

◆第6章:いつも輪のなかに?――ロボットの武装と自律性
・高性能で自律的なロボットが武器を持つ可能性というテーマは、この分野の全ての人々が避けたがっている話題。多くの人は「輪のなか」に止まる(=常に人が輪のなかにいて、ロボットを操作する)ことを望んでいる。しかし、歴史は常に人間が「輪のなか」を抜け出していた。ノルデン爆撃照準器しかりイージスシステムしかり。ロボットが自律性を持てば、人間にできない反応で判断でき、通信途絶のリスクも背負わなくて済む。戦争における意思決定を人間が独占している状況が今後も続くかどうか?
「ロボットが『人間に匹敵するか』というのは、おかしな言いまわしだ。戦車は歩兵の能力に『匹敵』するだろうか。いや、両者は別物だ。飛行機は鳥の能力に『匹敵』するだろうか。なるほど、飛行機は鳥より速いが、鳥ほどうまく着地することも長く飛ぶこともできない」(196頁)

◆第7章:ロボットの神――機械の創造主たち
・ロボット開発者とスポンサーであるDARPA、ONR(米海軍研究局)の話。科学者は長いこと戦争に関与してきたが、兵士、戦場からのフィードバックはほとんどなかった。しかし、現在は違う。無人システムがこの分業を崩壊させた。これにより恐ろしいほど早く改良が進んでいる。

◆第8章:SFが戦争の未来を左右する
・SFがどれほど軍事技術の開発に貢献したかを検証。オースン・スコット・カード、グレッグ・ベアのインタビュー(!)。『エンダーのゲーム』は米軍幹部が「良い戦士になるための必読本」として部下に薦める本の一冊。ウェルズ、ヴェルヌの革新性。携帯電話、サイバーナイフ、クイックタイムはスター・トレックからのインスピレーションを元に発明された。
「SFは『もしも』の世界。つまり、爆弾の作りかたを正確に指南するのではなく、こういう爆弾を作ったら、『博士の異常な愛情』みたいなことになる、と知らせる」(250頁)

◆第9章:ノーと言うロボット工学者たち
・軍用ロボット開発を拒否する科学者の話から、科学と倫理の狭間について追う。ロボット工学は原子物理学の二の舞を演ずるのだろうか?





2010年8月13日金曜日

6番ファーストを固定してほしいなぁ

3安打。犠牲フライの1点だけで勝利。藤江均投手は、「7回1失点の何がアカンのですか!」という権利あり。てか、良く勝てたな。井端弘和選手、谷繁元信選手、トニ・ブランコ選手(あと、事実上、荒木雅博選手)を欠いてよく持ちこたえているというか、こういう試合をやれるところが、やっぱり下位チームとは決定的に違うのだなぁということを実感。

さぁ、今日からナゴドで3+6連戦。優勝するためには3つくらいの貯金が欲しいよなぁ。ここまでのホームの勝率を考えれば決して無理な目標ではないけど……まぁ、巨人が昨日のgdgdっぷりを引きずっていてくれればいいんだけどね。四球→HRとかエラー→HRとかファミスタでもないし。あと、ほとんどの野球ファンが疑問に思っていることだろうけど、原辰徳監督は亀井義行選手に恥ずかしい写真でも撮られたのか? それとも衆道の関係でもあるのか? 昨日も3タコ。別に長野久義選手でいいんじゃないの?

2010年8月12日木曜日

*TV覚書:洋楽倶楽部80’s

前回の小芝居を止めて、まっとうなPV紹介にしたのは大正解。ゲストのジョン・カビラも良い。ていうか高嶋政宏とジョン・カビラの2人で固定して、余計なゲストを一切いれずに朝までやりゃいいのに。

放映されたPVは以下の6本。敢えてニコニコ動画のソースで紹介。

【ニコニコ動画】002 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Buggles - Video Killed The Radio Star
・前回の放送で紹介されてなかったっけ? この曲はCMとか何かでやたらと耳にする機会が多いような。

【ニコニコ動画】007 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun
・邦題の『ハイスクールはダンステリア』は無許可だったらしく、来日したシンディがレコード屋でシングルを見つけて大激怒――という裏話を紹介。そういえばジョージ・マイケルも西城秀樹がカバーした『Careless Whisper』について、「何でジルバを抱きしめるんだ? 意味わかんね(笑)」っていってたような。

【ニコニコ動画】Purple Rain - Prince
・これを紹介するならバックに流れていた『Little Red Corvette』か『When Doves Cry』だろ! と思った視聴者は、手前以外にも50万人くらいはいたはずです。

【ニコニコ動画】127 高画質、高音質で見る洋楽名曲選 Duran Duran - The Reflex
・間奏終わりの“しょぼいぶっかけ”の直前でビデオをストップ。さすがNHK! 良くわかっている。アーティストのイメージを考えたら、あれをそのまま流すのは良くないものね。

【ニコニコ動画】Heat Of The Moment~エイジア~
・高嶋政宏枠。本当は『GO』を流したかったんだろうけど……ってアレは前回流したんだっけ? ともあれ「ASIA in ASIA」の話の流れからなら、この選曲でしょうがないんだろうなぁ。いやまぁイイ曲なんですけどね。

【ニコニコ動画】Robert Palmer - Addicted to Love
・これは嬉しい驚き。てっきりパワー・ステーションでごまかすのかと思ったら、ちゃんとやってくれた。ロバート・パーマーファン歓喜の夜! ジョン・カビラのことを偉いと思ったのは、多分、初めてのことだ。

いずれも動画サイトの方が画質が良いってのがアレなんですが……。これだけYoutubeやニコニコ動画みたいなのが発達しちゃうと、こういう純粋にPVを紹介するだけの番組は成立しづらいよなぁ。詳しい人がよもやま話をしながらビデオをダダ流しするような番組は大好きなんで、是非ともレギュラーに昇格してほしいとは思うけどね。レギュラーになれば、80年代後半のPVも紹介するだろうし。

2010年8月11日水曜日

川島堅、「野球肩・野球ひじを治す本」:その3

川島の投球フォームの解説は、ちょっと野球を知っている人間であれば大筋で知っているものだろう。しかし、<だいたい理解>していることと<完璧な理解>とのあいだには、超えがたい壁があるものだ。川島のように小学生高学年にも理解できるように「ケガをしにくい投球フォームの勘所」を書けるということは、間違いなく投球フォームのあり方について<完璧な理解>があるといえよう。

投球フォームに対する深い造詣は、高校時代に培われたもののようだ。

少年時代は良い体格を買われて捕手一本で続け、中学時代に投手と外野を兼任、投手一本で勝負したのが高校2年――という経歴を持つ川島は、投球フォームを自分の手でゼロから作り上げたという。

「高校2年生当時の私は、肩の強さをいいことに、ただ力まかせに投げていました。体をひねって打者に背中を向けるような投げ方をしていたのです。しかし、都大会を何試合も投げるうち、とくに3回戦、4回戦あたりからバテてきてしまいました。準々決勝、準決勝、そして決勝と進むと、さらにバテて、都大会が終わったことには、ほおがげっそりとこけていました」
「『バテないような投げ方をしなくては、甲子園ではもたない』。この考えが、フォームを変えるきっかけになったのです」
「投球フォームの改善は、甲子園から帰ってすぐに取りかかりました。監督は直接は何もいわないタイプだったので、自分でいろいろ考え、試しながらフォームを変えていきました。ひじを上げた下げた、ステップをどうしたなどという具体的な改善点は言葉では表現しにくいのですが、投げながら『こうするとらくだなぁ』『こうすると力を入れやすい』というよに徐々に変えていったのです」(173頁)

このようにして投球フォームを作り上げてきた川島が、プロ3年目にフォーム改造を決断したことには大きな葛藤があったのではないか? 2年目に結果が出ず、「コーチとも相談した結果、フォームを変えることにしたのです」「きれいすぎるフォームが相手の打者に威圧感を与えないとの理由で、苦労しながらフォームを変えていきました」(181頁)と大人の書き方をしているが、恐らくはコーチからの限りなく強要に近い薦めがあったのだろう。当時、スポーツ紙でこの話を知ったときには、「確かに現役時代、ギッコンバッタンと投げていた池谷なら、キレイなフォームの川島に嫉妬して弄りたくなったのかもなぁ」と下種な勘繰りをしたものだ。

ちなみに投手コーチとして超一流の実績を持っていた故宮田政典は、フォーム改造についてこのように書いている。

「小学生からプロ選手まで、すべてに通じる基本があるわけではない。投手の筋力、関節の強さを考えずに、投球フォームや投球術を教えてはならない」
「無理を強いることはもっともいけないことだ。正しい投げ方でも体力を考えずに強制すれば、必ず壊れてしまう。腕の筋肉は一度痛めたらなかなかもとのよい状態には戻らないから、それぞれが持っている筋肉は大事に使わなければならない」(『一流投手を育てる』146頁)

多くの投手コーチはこういったことをわきまえているものなのだろう。しかし、「あのコーチが2軍コーチになったら、若手がみんなサイドスローに改造されてた」といった笑うに笑えない話も少なからずあることを考えると、自分の方針を押し付けるコーチはプロの世界にも一定数いるものなのだろう。

といっても、川島がプロで大成できなかったのは、投手コーチのせいだと言いたいわけではない。

もし、川島に図抜けた実力があれば、2年目のオープン戦の勢いそのままにシーズンでも勝ち続けていたことだろう。そうなれば今ごろは、広島の20番が北別府学、34番が川口和久の番号であるように「広島の21番は川島の番号」と呼ばれるくらいには活躍していたはずだ。

「けがの防止」を切り口に身体構造からトレーニング、投球フォームまでを解説したものだけに、野球少年やコーチ、草野球プレイヤーにとってはバイブルになり得る本だが、それ以外のヌルい野球ファンにとっては読みどころの少ない本ともいえる。ただ、投球フォームの解説や、所々に挟み込まれる鋭い知見――例えば「遠投ができれば投球できる」という常識が間違っているという指摘。遠投ができることは、投球できるか否かの判断材料としても練習法としても間違いと説く。まず、短い距離で投げ始め、マウンドまで力強い投球ができるようになってから遠投すべきという――には、しばしば唸らされた。

投手にとって「理想の投球」をすることがどれだけ大変なことなのか? ヌルい野球ファンにとって同書は、それを理解する一助となるはずだ。

2010年8月10日火曜日

川島堅、「野球肩・野球ひじを治す本」:その2

以下、「第5章:肩・ひしを痛めない投球フォーム」(142頁)より抜粋。

◆プレートの踏み方
左足が3塁側にインステップする投手が、プレートの右隅を踏んで投げると、体重移動が2段階になる。プレートの左隅を踏んで投げるのが良い。左足が1塁側にインステップする投手は、プレートの右隅を踏んで投げると良い。いずれも体重移動がまっすぐできる。

◆スタートポジション
右足をプレートに乗せ、左足を半歩ほど後ろに引いて両腕を振りかぶるが、このときそっくり返ったり、左足を引きすぎてはいけない。

◆軸足で立つ
軸足一本で立つときは真っ直ぐ立つ。上げる左足の高さに決まりはない。上げすぎると勢いはつくが、立っていられなくなる。腰のひねりは左ひざの入り具合でわかるが、左ひざはあくまでも体の中心線を超えないようにする(つまり、左足は真っ直ぐ上げる)。

◆左足のステップ
6歩~6.5歩といわれるが決まりはない。自分がしっくり来るステップ幅で良い。ステップが広すぎると重心が後ろに残るため、パワーが効果的にボールへ伝わらない。逆に小さいと腰高になりフォーム自体が安定しない。ステップした左足はひざが1塁に倒れないよう、同時に右足は2塁側に向かないようにする。つま先が「ハの字」になるようにする。

◆左腕と左肩の使い方
左腕を上げたとき、腕が肩のラインより低いと体が前に突っ込む。結果、球離れが早くなってしまう。逆に上げすぎた場合は、パワーが斜め上に向かってしまいボールに伝わりきらない。左腕は小指側を上にする。これにより肩の開きが防げ、球離れを遅くできる。

◆右腕の動き
ヒジと肩を同じ高さにまで上げる。ひじの角度は横から見て90度、投げるまで手の甲は打者の方を向ける。ひじの高さが肩より低いと腕のスイングが小さくなり、ひじ、肩を痛めやすい。一連の動きの中ではわからない程度に低くても、ひじのケガの原因になり得る。逆にひじが肩より高いとうまく力が入らない。ひじの角度が90度より大きくても小さくてもダメ。どちらの場合もひじと腕が遠回りするため。結果、ひじの外転が強くなり、ひじに負担がかかる。最短距離で振るには90度が最適。

◆フィニッシュポジション
フォロースルーにおいても、ひじが肩より下がるとケガの原因となる。投げ終わった後、ホーム方向に真っ直ぐ向いていればスムースに体重移動できている証拠。

このように川島は、イラストを使い23ページに渡って「ケガをしにくい投球フォームの勘所」を解説している。そこに書かれている内容は、ある意味で古典的な<あるべき投球フォーム>の説明をなぞったものともいえる。すなわち、全ての動きに真っ直ぐであることを意識し、肩とひじを同じラインに上げ、肩を開かない――という“正しい”投球フォームのことだ。実際、古参OBが現役選手のフォームにケチをつける際の基準は、この川島の説明とほぼ同様の<あるべき投球フォーム>理論がベースとなっている。

「左ひざが二塁側に入りすぎですね。これではバランスが悪いですよ」
「ステップが少し小さいですね。これではフォームが安定しませんよ」
「ここで肩が開いているからバッターには球の出所が丸見えなんです」

川島の投球フォーム解説は、こうした古参OBによる“したり顔”の解説の元ネタを、「ケガをしにくい」という切り口から語りなおしたものといってもいいだろう。

ただ、川島が古参OBよりも優れているのは、ここで説明した投球フォームが絶対的なものではないことを理解し、その旨をしっかりと書き残していることにある。

「投球フォームがまったく同じ投手は一人もいないといいましたが、実は、すべての投手に共通していることがあります。それは、それぞれの投球フォームは、投げている本人にとっては、らくで無理のない形だということです。これは、ケガをしない投球フォームといい換えることもできます」(143頁)

言われてみれば当たり前のことだ。しかし、こんな当たり前のことをわきまえずに解説で現役選手のフォームにケチをつけたり、投手コーチとして若手投手のフォームを無駄に改造して選手生命を奪ったりする古参OBが少なくないのも事実だ。川島がフォーム改造を決断したときの広島の投手コーチにして、解説者としての評判も決して高くない池谷公二郎などは、その典型だろう。
(つづく)

2010年8月9日月曜日

川島堅、「野球肩・野球ひじを治す本」:その1

先日、甲子園の開幕セレモニーの番組で、過去に春夏連覇を果たした高校として87年のPL学園(立浪和義、野村弘樹、橋本清のチーム)が紹介されるのを見ながら、「そういえば川島堅が連続無四球イニングの記録を作った大会だっけ」ということを思い出した。

東亜学園の川島堅は、手前が見てきた高校野球の投手の中で一番好きな投手だ。思春期の多感な頃に活躍した好投手ということもあって評価が甘くなっていることは自覚している。しかし、そうした贔屓目を差し引いても素晴らしい投手だった。

全ての投手にとってのお手本となるようなフォームから繰り出されるノビのあるストレートと、ほとんど全てのケースでアッサリ2-0に追い込んで勝負するプロ以上のコントロールを夏の大会で見たときには、「あ、桑田以上! 桑田以上!!」と興奮したものだ。同期にはPLの野村、橋本のほかに伊良部秀輝、芝草宇宙、盛田幸妃(大会では目立たなかったけど、函館有斗のエースということで日刊スポーツ北海道版で何度も取り上げられていた)らがいたが、手前の評価は「彼らの中では頭三つ抜けてる」というもの。そのままプロに入っても、「“悪くて桑田真澄くらい”は活躍できる」と信じていた。

ドラフトでは阪神、近鉄、広島が競合した結果、広島に入団。翌年の春季キャンプを訪れた野球評論家から「そのままでも20勝できる」と太鼓判を押されたものの、大器の片鱗を見せたのは2年目のオープン戦だけで、3年目にフォーム改造をしてからヒジを故障。手術後、リハビリを続けるものの再起を果たせず引退した。

その後、川島は「ケガを治す立場になって野球に恩返しをしたい」という思いから柔道整復師の資格を取得。接骨院での業務の傍ら、自らの経験を糧に出した本が『野球肩・野球ひじを治す本』(マキノ出版)だ。

目次を見ると――

・第1章:なぜ肩やひじを痛めるのか
・第2章:肩・ひじの構造と主な障害
・第3章:野球肩・野球ひじを自分で防ぎ治す
・第4章:野球肩・野球ひじを克服した体験者の手記
・第5章:肩・ひじを痛めない投球フォーム
・終章:私はなぜ柔道整復師になったのか

――とあるように、その内容は「全ての野球少年と草野球プレイヤーに向けた野球肩・野球ひじの解説本」いうものだ。筋肉、骨格の解説から肩、腕の各部位のトレーニング方法などがイラストつきで極めて平易に解説されている。正直、内容面では医師やトレーニングコーチなどが書いたものと大差ないが、書いている本人が「ひじのケガで大成できなかった元プロ野球選手」だけに、説得力という点では類書に比べて段違いに優れているといえよう。

手前的に注目したのは「第5章:肩・ひじを痛めない投球フォーム」。川島は、各々の投手の投球フォームが千差万別であるとしたうえで、「すべての投手にとっての理想の投球フォームというものは存在しません。しかし、理想の投球というものは存在します」(142頁)と説く。

では、<理想の投球>とはどのようなものなのか? 答えは「打者にとって打ちにくいボールを投げること」(143頁)だ。

「俗に、『球持ちがよい』『ボールの回転がよい』『ボールに体重が乗っている』などといわれることが、打者が打ちにくい条件になります。そんな投球が理想といえるでしょう」(143頁)

問題は、この<理想の投球>を長続きさせることであり、つきつめると無理をしない投球フォームの基本を踏まえることが重要であるとする。

「ボールを離す一瞬に100%のパワーを発揮するためには、『バランスのよい体の使い方』と『スムーズな体重移動』が基本になります。そして、この2つの基本こそが、ケガをしない投球フォーム、打者が打ちにくいボールの投球につながるのです」(144頁)

このように噛んで含めるように基本の基本から説く川島の投球フォーム解説は、プレートの踏み方、軸足や肩、左腕の使い方からフィニッシュまで続く。
(つづく)

2010年8月8日日曜日

43歳で「普通に戦力」ってのは凄いことです

・トニ・ブランコ選手、抹消。
・山本昌投手、23年連続勝利。
・堂上直倫選手、試合を決めるHR。
・そして何より森野将彦選手の4番ですよ!

ブランコ選手の抹消(恐らくヒジ痛)について落合博満監督曰く「おれの前で痛い、かゆいと言うやつを誰が使う? みんな我慢してやっているんだ」。投手の痛い、かゆいは最大限認める――というか野手出身なので投手のことがわからないという事情もある――ものの、主力級野手の痛い、かゆいにはとりわけ厳しいからなぁ。

主力級野手は、どうにもならないケガ(歩くこと、モノを持つことが難しいレベルの大ケガ)以外は休んじゃダメというのが“落合ドクトリン”だし。自分も満身創痍で20年現役を続けてきただけに、ちょっとキレたのかも知れないなぁ。まぁ、キレたといっても本当にプッツリいったわけではなくて、あくまでもキレた体裁で怒っているだけのことなんだろうけど。こういうキツいコメントを残すことで、森野選手、和田一浩選手、荒木雅博選手に気合を入れ直すという意図もあるんでしょう。

で、ブランコ選手がいなくなったファーストには、「当然、俺のフクちゃん(福田永将選手)が入るんだろ!」と思っていたら、まさかの5番小池正晃選手。まぁ、スタメンみて1分経ったら「確かに堂上兄弟を使っているなかで、さらに計算できない選手を入れてもしょうがないよなぁ」と妙に納得。でも、明日はどうするんだろ?

それにしても山本昌投手は凄いなぁ。「大ベテランだから大事に使った」というより、「他のローテピッチャーが信用できないから使った」という感じで、普通に戦力としてアテにされて、その期待に普通に応えるところが凄いや。どこぞのベテランみたく「ただ投げているだけ」「お情けで登板機会をいただいているだけ」じゃないもの。もちろん落合監督が使う以上、戦力としてアテにしていることはわかっているけどね。昨日のように100球までなら十分投げられますって内容で10月まで投げてもらえれば、ローテも随分楽になるしなぁ。

2010年8月7日土曜日

誰かヴィジュアル系について定義付けしてくれ!

V系バンド・彩冷えるに激震 「感情を偽りたくない」と新バンド結成へ

Yahooニュースで見て、「なるほど、ボーカルが見捨てたんじゃなくて、メンバーが見捨てたのか。てか、どっちでも同じじゃね?」と思いつつ、YoutubeでPVを見てみたのですが……。もう何かね、おじさんは色々と言いたいことがありまくってどうにも上手く口が回らないから、とりあえず殴らせてくれないか? って気分になりました。

とりあえず箇条書きで思うところを書き連ねてみます。

・ヴィジュアル系っていうのはT-REXみたいに化粧してるんじゃないのか?
・どっかで聞いたようなメロディに陳腐な歌詞。これでお金とっていいのか?
・なんというか学生バンドが三日くらいで作ったようなクオリティじゃないか?
・なんでこんなオカマくさい歌い方するんだ?
・腹から声出てないからライブでは後ろの席まで聞こえないと思うぞ。
・てかロックなのか? 歌謡曲でしょ。演奏はスタジオミュージシャンだね、これ。
・で、この曲を女に歌わせたら、どっかで聞いたことのある曲になると思うんだよ。
・そうアレ、ギターが強姦魔だった紅白出場バンドのヒット曲みたいになるよ!

スピードキングが倒せない:メタルマックス3日記

メタルマックス3を始めて1週間余。いまだにクリアまでの道筋が見えません。

持っている戦車は――

・チョッパー:ハーレー(ハーレーしか知らないからしょうがない)
・パトカー:マシンX(西部警察直撃世代だからしょうがない)
・モトクロッサ:CR250R(プラモデルでしか知らないからしょうがない)
・MBT77:チーフテン(モデルそのままの名前だけどしょうがない)
・Rウルフ:赤狼王(漢字にして後悔したけどしょうがない)
・バイオタンク:暴龍王(恐竜タイプだからしょうがない)
・ツングースカ:ゲパルド(モデルそのままの名前だけどしょうがない)

――の7台。

樹海に埋まっているとか、スピードキングを倒したら戦車をやるとかいう話は聞いているけど、前者は面倒くさいから獲りに行かず、後者はスピードキングが強すぎて獲れず……という具合。現状の主力は、赤狼王、マシンX、暴龍王の3台。ただし、赤狼王に積める装甲パネルが少なすぎて、賞金首との戦いでは必ずぶっ壊れるんだよなぁ。改造したいし金はあるけど、エンジンがショボいのしかなくてなぁ。

まぁ、戦車関係についていえば、メタルブラックに塗装したマシンXに乗せたハンターに「ハンターマジック」を使わせて雑魚相手にショットガンを打つ“大門ごっこ”(もちろんハンターのアクセサリは「サングラス」の一択)をやってニヤニヤできるからいいやってとこで、そう熱心に収集したり改造したりはしていないんだけど、それよりも何よりもスピードキングですよ! 全っ然倒せない。

いま持っている主砲で一番強い火星バーストとサルキャノンでも150pそこそこしかダメージを与えられないし、何よりも当たらない。なのに向こうは2~3回攻撃で一度に700~800p近くのダメージを食らわすからね。4~5ターン立ったらシャシー大破→全員死亡で、もうナースのパトリック(黒人男)の傷跡は20を超えて「お前、池内蔵太か!」って感じですよ。

いやでもこれは愚痴じゃぁないんですよ。喜びの声ですよ!

こうねシナリオを進めるフラグが全然わかんないところとか、無駄に強い賞金首とか、テキストだけでドラマを見せる演出とかがねぇ、本当に素晴らしい。ジロミオが入れられていた牢屋の箱を調べると「わんわんグルメ」がある――これだけで、ジロミオの艱難辛苦が全て伝わるというね。やっぱりゲームの演出はムービーとか声優とかじゃなくて、こういう細かな配慮でありセンスこそが命なんですよ。こういう幹のしっかりした世界観を持つフィールドにぶん投げられっぱなしにされる快感ってのは、20年ぶりだよなぁ。

でも、スピードキングってどうやって倒すんだろ? 運転レベル上げても大して強くなんないしなぁ。砂漠で見つけたサウルス砲なら効くのかも知れないけど、30.00tなんて重すぎなんだよ! これアーチストを入れておけば、戦車や砲弾を魔改造できたりしてイイ具合になってたのかなぁ。スピードキングと相対するたびに例のテーマ――手前的に「三大漲ってくるナンバーの一曲。他の二曲はJudas priestの「The Hellion/Electric Eye」と羽田健太郎の「ワンダフル・ガイズ」――が鳴り響きハイテンションになるも、1分後にはフルボッコにされてショボンとなる作業にはもう疲れたよ。




2010年8月6日金曜日

実は何も“もってない”ことがバレちゃったね

準決勝で無念…斎藤、満塁被弾で責任痛感

>「斎藤はきょうの試合に懸けていた。野球人として(会見に)出せる状態じゃないと判断しました。きょうは勘弁してやってください」。榎本監督は涙ながらに敗戦の責任を一身に背負ったエースの胸中を代弁した。

打たれるのはいい。防御率0.00のピッチャーなんていないんだし。負けるのだってしょうがない。でもねぇ、会見拒否はないだろう。周りの大人が気を使ったから? そんなの関係ないでしょ。未成年じゃないんだから。よしんば気を使われたとしても自ら会見を志願すればいいだけのこと。会見でしゃべることなんか「全て自分の責任です」とだけ繰り返していればいいんだから。しゃべる内容じゃなくて、そこに顔を出して肉声を発することだけしか求められていないんだから。

大事な一戦で打たれ、見事に負け、ぶんむくれて会見を拒否する。

この事実を見る限り、大物とはいえないよなぁ。彼のパチモンだった“ハニカミ王子”が「遼くん」と呼ばれる中、彼はいまだに“ハンカチ王子”としか呼ばれないからね。実際、「斎藤」だけではどこの斎藤かわからないし、「佑ちゃん」だって字面を見れば野球ファンならわかるけど、音韻だけでは石原裕次郎だからね。

“ハンカチ王子”の『肉体的才能』はプロに混じれば十把一絡げレベル。『精神的才能』は大したモノかと思えばそうでもない――って見ているけど、まぁ、手前が「大したことない!」って判断したプロ野球選手がみんな大成していることを考えたら、案外良いところまでいくのかも知れない。それでも荒木大輔レベルにまで成長するとは思えないよなぁ。

まぁ、彼があんまり話題にならなくなって唯一良かったことは、出先で青いタオルハンカチを使っても、「あ、ハンカチ王子にあやかってるんですか?」と冷やかされなくなったことくらいかな。アノ夏はこの手の冷やかしが酷かったもの。「こっちはねぇ、15年前から一貫して使ってんだよ! このタイプのハンカチを!」と一々腹の中で毒づきながら意地で使ってたしね。この酷暑のなか青いタオルハンハチを周囲に気にせず使えることは、精神衛生上悪くないことですよ。

2010年8月5日木曜日

*読書メモ:植物で未来をつくる

以下、同書「7章:コメでスギ花粉症を治す」(120頁~)より

・独立行政法人農業生物資源研究所・遺伝子組換え作物開発センターは、「スギ花粉症緩和米」の開発に取り組んでいる。動物実験では目覚しい効果を見せているという。

・花粉症の根治治療としては「減感作療法」がある。抗原成分を皮下注射で身体の中に入れる治療法で、数年間注射を続ける。治療にあたってはアナフィラキシーショックを起こさないよう細心の注意が必要であり、医療費負担も極めて大きい。

・「減感作療法」を安全に行なうための研究は、世界各国で行なわれている。欧米ではハチ毒アレルギーに対する治験で、抗原タンパク質ではなくT細胞エピトープの投与が行なわれ、症状の改善が認められている。また、舌下投与は欧米では実用化されていて、日本でも治験が行なわれている(都築注:舌下投与は鳥居薬品が開発中。現在、フェーズⅢ)。

・こうした研究成果を知った同センターの高岩文雄センター長は、「毎日食べる米に、T細胞エピトープを蓄積させ、これを食べ続ければ、花粉症の症状を緩和できるのではないか」と思いついた。

・多くの医学者は、「エピトープは消化酵素によって分解されてしまい、実用化は無理」と考えた。しかし高岩センター長は、「米の中に含まれていれば、消化スピードが変わるはず。勝算あり」と考えた。

・コメの胚乳にはタンパク質が顆粒状になって含まれている。この部分にT細胞エピトープを大量に蓄積できれば、消化酵素による分解を受けにくく、腸管に達してから効率的に取り込まれるという判断。

・T細胞エピトープは、アミノ酸が10~20個つながった短いペプチド。このままイネのゲノムに導入しても、短すぎるため細胞が上手くペプチドを作り出さない。

・そのためT細胞エピトープをつくるためのDNAを、大豆のグリシニンをコードする遺伝子に導入して「融合グリシニン遺伝子」を製造。この遺伝子をイネのゲノムに導入した。さらにT細胞エピトープが含まれる「改変グリシニン」が細胞のなかで安定して産生されるように、合成のスイッチの役目を果たすような塩基配列を「融合グリシニン遺伝子」につけた。

・マウスでの実験は大成功。花粉症緩和米を食べさせたマウスの花粉に対する反応(5分間のくしゃみ回数)は8回。普通の米を食べたマウスの24回に対して有意に減少した。研究結果は「米国科学アカデミー紀要」(05年11月29日号)で発表され、大きな反響を巻き起こした。

・この研究の意味はどこにあるのか? 著者曰く、「さまざまな病気の『食べるワクチン』をコメにため込み、口から腸まで分解させずに運び腸粘膜細胞に届ける“ゆりかご”としてコメを利用する。イネを使って、一石二鳥のこのシステムを開発したところに、高岩さんの研究の大きな価値があるのではないか」(133~134頁)と。

・生産コストが安く(ワクチン製造のコストは一般的な錠剤、液剤などよりも遥かに高い)、摂取方法が簡便で安全で負担が少なく(ただ毎日食べるだけ。注射による感染症のリスクなども一切ない)、流通保存の利点も極めて高い(一般的なワクチンは1年持たない。米は室温で数年間が保存できる)。なので、開発途上国のマラリアやコレラのワクチンのようなものに応用されれば、そのメリットは計り知れない。

感想:遺伝子組換え作物に対するリスクについて、手前の考えを一言でいえば「それって従来の品種改良とどこが違うの?」。試験管の中で研究者が酵素と細胞をいじって“キメラ”を作ることと、接木をすることに本質的な違いはない。いずれの方法で新たな品種ができたとしても未知のリスクはあるものだ。だいいちじゃがいも一つとっても、全ての化学物質と、それが人体に及ぼす影響の全てを解明できていないわけだからね。

2010年8月4日水曜日

「一億総背番号制」には大賛成!

兵頭二十八師が、8/3のエントリ(BILL DRAPER 記者による2010-8-2記事「New ID theft targets kids' SS numbers」の解説)でとても良いことを書いています。

「一億総背番号制」導入の件なんですが、これはねぇ、議員歳費の日割りとか定数削減とかよりもずぅーっと大事なことで、これこそ与野党共同で提案→即採決すべき案件だと思うんですよ。兵頭師も書いているように、これを実現して不幸になるのは脱税している人間だけで、真っ当に生きている人間は全員ハッピーになるんだから。

「一億総背番号制」というと、平松伸二先生の大傑作マンガ『ブラックエンジェルズ』(兵頭師にとって平松伸二といえば『ドーベルマン刑事』のようだけど、手前的にはリアルタイムで読んだこっちですね)の悪役みたいなのが大衆を支配(笑)するための方便であって、そんな悪法は認められない! ――と右左関係なく反対する向きがありますが、とんでもない、とーんでもない!

将来的に累進税率をなだらかにしたり、消費税や所得税でなく逆進性の低い諸々の資産税への課税強化を実現するためには、絶対に必要な政策だからね。これをやらないと所得の実態(特に有価証券とか土地取引など)を完全に把握できず、公平な課税も達成できないわけだし。いわゆる「納税者番号制」ではなく、銀行口座を開くにも、住民票やパスポートを取るにも背番号が必要な「完全国民背番号制」をやれば、兵頭師のいうように消費税を増税する必要なんてサラサラない。民主党じゃないけど、自営業者の脱税をなくすだけで数兆円レベルの税収が上がるだろうし、累進課税と資産課税の強化で消費税数%くらいの財源は捻出できるわけだから。

消費税に対する世間のアレルギーは、偏見のなかでは珍しいほど真理を衝いた珍しいモノだけど、「一億総背番号制」に対するアレルギーは、単なる偏見、食わず嫌いの類でしかないからね。これと大規模な減税――消費税の1%減税か定率減税の復活など――をセットでやれば、確実に一定層の支持が得られると思うんだけどねぇ。

兵頭師の言うとおり、このことを与野党問わず全ての党が無視しているってことは……日本の夜明けは遠いってことだよなぁ。



2010年8月3日火曜日

『龍馬伝』がひどすぎる件についてもう少しだけ

「あれは洋上にいたのではなく停泊していたのだ。そこにお元(隠密芸者)から情報を知らされた長崎奉行所の隠密が折りよく停泊していた薩摩の軍船に忍び込んで、何かを探っていたのだ」

昨日書いたアノ件について最大限弁護するとしたら、こんな感じになるでしょうか。

確かに放映されたシーンだけでは、巡航中だったのか停泊中だったのかまでは完全に判断できないわね。停泊中であっても船は揺れるし。だったらテロップで「長崎港・薩摩軍船内」って出すとか、西郷に「明朝出発する」とかいうセリフを言わせるべきなんじゃないの? そうやって停泊中であることを示すサインを出さないと、絶対にわかんないもの。

桂小五郎に「15日も待っている」と言わせ、西郷隆盛が藩論をまとめて喜ぶシーンを見せるのであれば、その直後に映し出された船内の状況は、時系列的に見て「西上に急ぐ途上の船内」であるのが自然なはずだもの。これで何の注釈もなければ10人中10人が「あぁ、西郷は桂に会うために急いでるんだなぁ」と思うでしょう?

でもねぇ、このように最大限善意に解釈してやってもだね、あのシーンはおかしいですよカテジナさん!

・停泊中の船に隠密が潜入するのであればカッター(やそれに準ずる小船)で乗り込む必要があるけど、そんなモノで夜陰に乗じて乗り込めるものか? 泳いで乗り込んだり桟橋から乗り込むってのはナシな。

・仮にカッターで軍船に近づくことが出来て、ロープなりを甲板に掛けて首尾よく乗り込んだとして、無事に帰れるのか? 潜入しているあいだに乗り込むためのロープやカッターを見つけられたら一巻の終わりだろう。特攻作戦ってのはナシな。

・そもそも薩摩軍船の運行計画をどうやって知ったんだろう。今みたいに運行計画を国交省に提出することはないわけだし。薩摩という“外国”が秘密裏に進める運行計画は文字通り秘中の秘なはず。だから軍船が停泊していたとしても、どれが薩摩の船かはよくわからなかったんじゃないかなぁ。薩摩藩士の内通ってのはナシな。

それにここら辺のことをすっ飛ばして“全部アリ”にしたとしても、一人の隠密を逃したことで、計画を変更する必要があるのかね?

「一人の隠密がもたらした情報が、薩摩にとって決定的な不利になるかもしれない」

といってもさぁ、あの時点で薩長同盟を文書化したものは三条実美の密書(龍馬が持ち、桂に渡したモノ)しかないわけでしょう? 薩摩側にはこのことを何らかの文書にする必要は一切ないわけだから。となると、取り逃がした隠密が薩長同盟に関する決定的な文書を持ち出している可能性はゼロということ。

で、逃げ出した隠密が長崎奉行所なりに「薩摩は長州と同盟を組むらしい」って情報を持ち込んだとしてだね、その証拠となる文書がなければ誰も信じなかっただろうし、そういうことは西郷としても十分予見できたわけでしょう。慎重を期すといっても、これでは石橋を叩いて壊すようなもので、ようするに「情報漏えいの可能性を奇貨に、気の進まなかった薩長同盟の談合を回避した」って考えた方が自然だもの。なもんで、あくまでも情報漏えいが直接的に薩摩の動きを止めるとするなら、公儀隠密のせいにするよりは「公家から幕府要人に情報が漏れた!」とか「長州との同盟を嫌う小松及び大久保が、四賢侯の誰かにリークした!」とかの方が、(いずれも荒唐無稽とはいえ)少しは現実的だと思うんですよ。

2010年8月2日月曜日

『龍馬伝』がひどすぎる

煮込みま~め、埃ま~みぃれ♪ でお馴染みの大河ドラマ『龍馬伝』。
「毎度毎度、35分頃にウウ~ウウ~ウ~♪ の歌声とともに愁嘆場を持ってくるのがウザい」とか「大事なことをことごとく大声で言わなくてもいいじゃん」とか「ていうかみんながみんな怒りすぎ」とか「記録に残ってないからって想像だけで勝手にキャラを動かすなよ」とか「画面が暗いから、一々テレビの明度を最大限に上げてんだよ! こっちは!」ということをもって、ひどすぎるといいたいわけではありません。

じゃぁ何がひどいのかって? そりゃシナリオに決まってますよ!

史実改変も面白ければ全然OK! な手前でもねぇ、あまりにもあり得ない史実改変には断固NO! を突きつけますよ。

「西郷隆盛が薩長同盟の談合をするため桂小五郎に会うべく下関へ行く途上、直前で翻意して京都へと進路を変更する」のエピソード。

Q:西郷はなぜ翻意したのか
A:藩論がまとまらなかったから

というのが良くある解釈ですが、史実を一捻りしたい『龍馬伝』のスタッフとしては、より<意外性のある理由>を考えたかったんでしょう。その意気やよしです。

でもねぇ、その<意外性のある理由>というのが「薩摩の軍船に乗り込んだ幕府隠密に、薩長同盟のことを感づかれそうだったから」ってのはどうよ?

TVで放送されたシーンでは――

・船の中、黒っぽい服装(?)の武士(隠密)が箪笥っぽい棚や机の書類を荒らしている
・そこへ何気なく西郷が訪れる
・西郷に気づいた隠密が、西郷に先制攻撃
・不意を打たれるも見事な体術で隠密を取り押さえる
・物音に気づいた薩摩武士が部屋に踏み込む
・西郷、「隠密じゃ。一人取り逃がした」(大意)というセリフ

――という感じでした。

一々不自然な点を指摘するのもバカバカしいけどね、敢えて指摘させていただきますですよ。

・どうやって船に乗り込んだのか? 軍船のクルーに成りすますなんて、大名行列にもぐりこむより難しい。水夫の調練を経た軽輩or交渉・護衛要員の武士しかいないはずだし、いずれも薩摩者で固めるのが常識だし、何しろ260年来最も隠密が入りづらい薩摩の軍船だからね。どう考えても不可能だろう。100年来のスリーパーでもいたのか?

・50歩譲って上手く潜り込めた――例えば「新造戦艦でクルーごと雇った」とか「薩摩の軍船ではなく外国の軍船だった」とか。両方とも限りなくあり得ないけどね――として、艦長室(士官室)をがら空きにするバカがどこにいるのか? 艦長室(士官室)の前に守衛の気絶したシーンとかを挟み込んでおけよ。

・100歩譲って軍船から逃げられたとして、一体どこに逃げるんだ? 周りは日本海だぞ。近くにモーターボートとか潜水艇でもあったのか? 1000歩譲って沿岸に近かったとしても、そこに泳ぎ着くまでに書類は濡れて読めなくなっているだろうし(まさか書類がボールペンで書かれていたわけではあるまい)、泳ぎ着いた先に天領はないから他藩の者に見咎められれば不審者として即切り捨てられるだろうよ。

って、ちょっと思いついただけでこれだけ大きな穴を指摘されるgdgdなスパイ工作なんてあり得ないでしょう。「情報漏えいを恐れた西郷が薩長同盟の早期談合を翻意した」ってスジ自体は悪くないと思うけど――隠密芸者が長崎奉行所に薩長同盟を仄めかす注進をするシーンを映していたのも、情報漏えいを強調する意味があったんでしょう――、その“肝”となるシーンが何の説得力もないスパイ工作ってのがね……。

2010年8月1日日曜日

こんなヨゴれ仕事をしているなんて……(´;ω;`)

腐っても名球界メンバー、腐ってもKKコンビの片割れ、腐っても巨人軍第64代四番打者……ってこの肩書きは第64代横綱と同じであんまりパっとしないけど。それでもねぇ、清原和博ほどのビッグネームが、こんなこんなドサ周りをしなきゃならないなんて……。

千代田区税理士会の集まりで故稲尾和久の講演を聴いたとき――ちなみに内容は自伝に書かれているものと丸被り――も、「なんで神、仏と並び称されるヒーローが、こんなしょぼい集まりに来臨されるのか!」と思ったものだけど、それでもある程度公的な会合ではあったし、「税理士“先生”の“先生”として講演する」という体裁だったから、プロ野球OBとしてのプライドが傷つくような仕事でもなかった。

それに比べて清原のドサ周りは、叶姉妹とか石田純一とかと同じ地平で勝負するってことでしょう? こんなことで小銭を稼ぐんじゃなくて、貧乏になっても良いからどこかの新聞かTV、ラジオ局の専属になって、地道に野球評論をすべきじゃないのか? 清原の実績と知名度なら、この不景気のなかであっても評論家としての仕事は選び放題なんだし。このままなら絶対に監督、コーチの声はかからないでしょう。