2011年2月28日月曜日

ナンバー3/10号、「落合博満の『理』と『沈黙』」

・浅尾拓也投手が落合監督から初めて声をかけられたのは昨季8/12の横浜戦のマウンドでのこと。それまでは全く話しかけられることはなかったが、これをきっかけに話をしてくれるようになった。つまり、「声をかける=監督に認められる」ということ。

・一方、荒木雅博選手は“言葉攻め”を受け続けている。「おまえ、自分がどれだけの選手かわかっているのか。ぽっと出の若造みたいな立ち振る舞をするな」「他のだれでもない。オレができるって言ってるんだからできるんだ。お前を評価できるのはオレだけだ!」

・心が折れかけていた荒木が言われた言葉は、「頑張れ」ではなく「心は技術で補える。悩むのは技術がないからだ」。これが荒木の心のよりどころとなり、ショートコンバートを諦めなかった。

・和田一浩選手曰く、「監督が話してくれるのはいつも理論です。物事には順序があるように、打撃にも順序があるということなんです」「感覚ではなく、理論で言ってくれる。三冠王を3度もとった人はいないわけですから。今年も打撃を変えるのはまだまだ無駄が多いから」

・和田一浩選手の監督評。「選手は監督の駒。ただ、監督だって人間だから情であるとか、そういう部分が出てしまう。でも、落合監督は選手を完全に駒として動かせる人。勝ちに徹することができる」

・谷繁元信選手の監督評。「たとえ、前の年に130試合、140試合出たとしても、今年だめだったらすぐに代えられる。代えられないために頑張っている。オレは監督の手のひらにうまく乗せられて、やっているようなものかな」

――2011年のリーダー論・名将の言葉学より。ナンバーにしては中々読ませる企画。特集記事「大相撲・八百長の本質を語ろう」との合わせ技で、値段分くらいの価値はあった。

2011年2月27日日曜日

結局、リモコンで一番使ったのは「消音」だった気が……

テレビどのくらい見てる?「平日3時間半」「日曜4時間」

7~8年前くらいのことだったと思うけど、兵頭二十八師が『正論』の連載で、「テレビ断ちしてしばらくした後、テレビを見たら気持ち悪くなった」というようなことを書いていたんですが、これは真実だと思います。少なくとも手前の経験からは真理であると断言できます。

というのも、地デジ完全移行後の新たな生活リズム(=TVを一切みない生活)に慣れるため、1月半ばに2日間TVの電源を抜いた生活を送ってみたわけですが、翌朝、TVをつけて連続テレビ小説『てっぱん』を見たときに思ったのは、軍師と同じように「何でこんなモノみてるんだろう?」でした。ダイエットを始めて1年半ほどファーストフード断ちした後、マクドナルドで照り焼きハンバーガーを食べたとき、「何でこんなモノを食べてるんだろう?」と思って、2/3を残して捨てたのと同じ感覚ですよ。

つまり何が言いたいのかというと、生まれてから4万2000時間(1日3時間程度で換算)近く渡って毎日欠かさずTVを見てきた男でも、48時間ぽっちのTV断ちで“真人間”になれるってことです。しかも、フラッシュバックや倦怠感といった離脱症状もないし。覚せい剤やアルコール断ちよりも遥かに簡単で手間もかからないんですから、やらない手はないと思いますね。

2011年2月26日土曜日

ライブトークのライブレポート

国際ジャーナリスト・青木直人氏主催のセミナー「青木直人ライブwith兵頭二十八」に行ってきました。場所は軍師の講演でお馴染みの文京シビックホール。Vandenbergが「金曜の夜はロックに酒にオンナだぜ~♪」と歌うように、マジメなセミナーにとっては最悪な日程にも関わらず、会場は結構な入りでした。後日、セミナーのDVDが販売されるとのことなので、ここではあんまり中身に触れないように感想を書いてみたいと思います。

まずは軍師から対中戦略の概況についての説明(25分くらい)。基本はASB(エアシーバトル)の解説がメインであるものの、要所要所でココでしか聞けないハナシを挟み込んでくる。中共軍が南シナ海に進出している真意についての解説には、文字通り蒙を啓かされました。

その後は、青木氏が軍師に質問する形でライブトークがスタート(70分くらい)。といっても、全体の6~7割くらいは青木氏の独演会という感じ。軍師のハナシで手前的にビビッときたのは「中共が国連をありがたがる理由」「北朝鮮に兵器級の原爆がない理由」「北方領土返還運動に対する意見」。とりわけ北方領土問題についてあそこまでハッキリとした考えを持っていたとは、恥ずかしながら初めて知りました。あと、青木氏の発言でこの日一番ウケていたのは、「チャンコロこのやろ~! って言って中共が倒れるのか? チャンコロこのやろ~! ってことが国際情勢と何の関係があるんだ?」ってフレーズ。あと、菅伸子の“天丼”もウケてました。





2011年2月25日金曜日

片岡宏雄、「プロ野球スカウトの眼はすべて『節穴』である」:その2

「『おい、スカウトっちゅうのは儲かるらしいのぅ』」
(中略)
「あのひと言を野村流の挨拶と言う人もいると思うが、私はそんな言葉を平然と吐く品性の人間と仲よくできるほど器は大きくない。この日を境に、私は野村と一線を画すようになった」(152頁)

1989年のドラフト前のことだ。その後、古田敦也の獲得を巡るいざこざや、長島一茂の飼い殺し、松井秀喜選手への評価、伊藤智仁の使い潰しっぷりなど、野村野球の負の面を存分に書き出している。ただし、この辺の内容は、片岡が都合良く解釈をしている部分も少なからずあり(とりわけ古田の指名順位を巡る経緯は、当時の報道と大きく異なっている)、話半分で読んでおくべきだろう。

片岡がここまで野村を悪し様に書くのは、93年に危うくチームから放逐されそうになったことも大きかったようだ。

「九十三年夏、徳島に出張していた私にある球団幹部から電話が入った」
「『片岡、なにか野村のことを言ったか?』」
「『“やってられない”とか、しょっちゅう言ってますよ』」
「『いやな、お前が“うちは優勝しなくていい”と言っている、と。それで野村が“そんなことを言っている役員がいる球団では監督をやりたくない”と嘆いていると、サッチー(沙知代夫人)がオーナーに言ったらしいぞ』」
「瞬時にムカッと来て、啖呵を切った」
「『そうですか。じゃあ、いますぐ帰りましょうか』」
「そう言うと幹部は『いやいや……』といなし、電話を切った」(161~162頁)

結局、野村は片岡の追放に失敗。片岡は野村退任後もスカウト部長を勤めた。これ以前から野村との関係は修復不可能な状況だったというが、このことが野村に私怨を抱く決定打となったことは間違いなさそうだ。なお、当時の苦境を察した杉浦忠(立教大学の先輩で、片岡とバッテリーを組んでいた)は、片岡にこんな言葉をかけたという。

「『野村のことで悩んでいるらしいな。いいかい、野村とまともにつき合うな。つき合ったら腹が立つだけだぞ。だから何を言われても深く考えないようにしろ』」(162頁)

球界で誰も悪く言うことのなかった人格者の杉浦に、これだけのことを言わせるのだから、野村の人格が褒められたものでないことは確かといえそうだ。

このように手前は同書を「アンチ野村本」として読んだが、スカウト活動の実情や選手の見分け方について知らない人にとっては、「元中日の捕手にして、スカウト転進後は若松勉、高津臣吾、岩村明憲などを発掘した凄腕スカウト」が語る一流の野球本としても読めるはず。斎藤佑樹投手への評価も中々興味深いものなので、手に取る機会があれば、是非、一読されることをお薦めしたい。



2011年2月24日木曜日

片岡宏雄、「プロ野球スカウトの眼はすべて『節穴』である」:その1

◆目次
・第一章:二〇年に一人の逸材・高橋由伸
・第二章:スカウトの表側
・第三章:スカウトの裏側
・第四章:誰が「金の卵」を殺すのか
・第五章:長島一茂と野村克也
・第六章:赤く染まった神宮の空

伝説のスカウト・木庭教を描いたノンフィクション『スカウト』(後藤正治著。講談社)と、スカウトをテーマにした傑作野球マンガ『スカウト誠四郎』(三田紀房著。講談社)と並ぶ、「プロ野球スカウト三部作」(都築有©)の一つ『スカウト物語―神宮の空にはいつも僕の夢があった』(片岡宏雄著。健康ジャーナル社)。今回取り上げる新書は、この『スカウト物語』のリニューアル版である。

実際、内容はほとんど同じだ。尾花高夫とのエピソードや黒須陽一郎の裏切り、長島一茂の失敗まで漏れなく収録しており、前著の読者であればデジャブを感じること間違いなしといっていい。そんな焼き直しの本をなぜ取り上げるのか? といえば、「一冊丸ごと使って野村克也を糾弾しているから」だ。

片岡はスカウティングの基本について、このように書いている。

「スカウトについて、いささか誤解されている点があると思う。それは、“いい選手の基準”だ。いい選手とは『チームにハマるか、ハマらないか』。身体能力順に指名するとしたら、極端に言えば全チームが同じ選手を選ぶことになってしまう」(38頁)

つまり、チーム事情を基本としたうえで監督、コーチの好みに合った選手を獲得することが肝要と説いている。その好例として、“肉体的才能”に傑出したものがなかった尾花高夫のスカウティング――練習熱心な姿勢が当時監督だった広岡達郎の好みにマッチすると見抜きドラフト4位で獲得。結果、通産113勝という成功を収めた――をあげている。

このことは言葉を換えれば、監督の好みに合わない選手、ひいては監督が気に食わないスカウトが獲った選手が活躍することは難しいということでもある。このような論法で長島一茂が野村克也と出会ってしまった“不幸”を論じ、野村の野球観への批判と確執の真相を詳らかにする――というのが、同書の眼目であり一番の読みどころといえる。





2011年2月23日水曜日

作曲家受難の時代?

踊る大捜査線のテーマ曲が20年前の曲にそっくりな件についての真相

織田哲郎がZARDに『負けないで』を提供したとき、ホール&オーツのファンだった手前は、「田舎の高校生でも一発でわかるようなメジャーな曲からパクるのはイケないのでは?」と憤慨しつつ、「せめて誰もわからないようなマイナーな曲からパクってくれ!」と思ったものです。

【ニコニコ動画】Daryl Hall - Dreamtime

松本晃彦は、手前が考えたように「誰もわからないようなマイナーな曲」からパクって今日まで濡れ手に粟な日々を過ごしてきたんでしょう。でも、ネットがここまで発達してしまうと、もはやどこからパクってもすぐにバレてしまうのでしょうねぇ。

今後のパクリの系譜は、『逃亡者おりん』のテーマ(通称:パイレーツオブおりん)のように超メジャーな楽曲をほんの少しだけ変える確信犯なパクリが主流になるのかも。

【ニコニコ動画】CR 逃亡者おりん MVより OPテーマ曲

追記:ムバラクやカダフィの現状を見る限り、両国よりも遥かにアレな状況でありながら、国軍をキッチリ統制している(少なくとも統制しているように見せている)金正日って大したものなのだなぁと感心する。中東各地の混乱を収めるには、ケマル・アタチュルクのクローンを各国に派遣して彼に革命軍を率いてもらうしかないのでは?



2011年2月22日火曜日

買って損なし「プロ野球スカウトの眼はすべて『節穴』である」

故木庭教と並ぶ“伝説のスカウト”である元ヤクルトスカウト部長・片岡宏雄の新刊『プロ野球スカウトの眼はすべて『節穴』である』(双葉新書)を読みました。税込み800円となかなかの値段の割にはボリュームが薄いものの、内容は値段以上のモノでした。

ただ、処女作である『スカウト物語―神宮の空にはいつも僕の夢があった』(健康ジャーナル社)とほとんど同じ内容なので、こちらを読んだ人には物足りないかも知れません。といっても、新書向けにリファインされた文章が非常に良くこなれているうえ、一場問題への見解や斎藤佑樹投手に対する評価といった新情報も収録されているので、初めて著者の本を読むのであれば、迷わずこちらをオススメします。

というか、手前的には野村克也に手を焼いていた著者に対して、大学の先輩である故杉浦忠がかけた言葉――もう笑っちゃうくらいに的確すぎる助言!――を読めただけで、値段分の価値がありました。このように、球界ではマイナーな分野に属する“アンチ野村本”としても一流なので、そういった方面に興味のある人にも強力にオススメします!



2011年2月21日月曜日

結局、15分で脱落した

大河ドラマとしてヒドイとか、時代劇としてヒドイとかいうレベルじゃなくて、単純にドラマとしてヒドイでしょ、これ。てか、『月曜ドラマランド』でもコレよりマシじゃね? ってレベル。これに比べたら、海外TVドラマの良さげなところを切り貼りしているだけの民放ドラマの方がまだマシじゃないかなぁ……って、ここ10年くらい民放ドラマ自体を見てないんで何ともいえないけど。とにかくTVドラマとして最底辺レベルの出来ってことですよ。

第一話を見終わった後「もう見ることはない」と宣言しておきながら、わざわざ見たのは、あまりにもヒドイ出来との評判が気になったので、「ひとつblogのネタにでも」と考えてのことだったんですが、わざわざノートを開いて突っ込みどころをメモする気マンマンで見たものの、アバンタイトル終了時点でノートを静かに閉じましたよ。もうどこがアレだとか、あそこがナニだとか言うのも面倒くさい感じ。もう本当の本当に見ることはないでしょう。てか、手前の15分を返せ!

2011年2月20日日曜日

今年の大河が凄いことになっていると聞いて

上野樹里、NHK大河の演技に批判続々…視聴率も苦戦

この時期にNHK大河ドラマについてオヤジメディア(夕刊紙&週刊誌)が文句をつけるのは、中日の善村一仁スコアラーが広島の各選手を警戒するのと同じくらいの定番イベントであって、このニュースを耳にするたびに「もうすぐで春が来るなのだなぁ……」という感慨にふけるものです。

が、今年に限っていえば、第一話以降、再放送も含めて全く見ていないので、話題についていけないのが少し寂しかったり寂しくなかったり。ただ、2ch芸スポ板での下記の書き込みを見て、ほんの少しだけ見てみたいという思いが募ってきましたよ。

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142 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2011/02/17(木) 08:00:10 ID:BsOLoorH0
見てない人へ
・天下人の証であるランジャタイを江(7歳)にプレゼントする信長
・本能寺で死ぬ直前、信長が江(9歳)の幻を見る「ワシは思うままに生きたぞ江!」
・家康と共に伊賀越えに挑む江(9歳)
・野武士に囲まれ大ピンチ!その瞬間信長の幻を見る江(9歳)。謎パワーを発揮してピンチを切り抜ける
・その後何やかんやあって野武士に囚われる江(9歳)。護衛の戦国最強三河武士団、野武士にびびって手も足も出ず
・囚われた江(9歳)、京都に護送されそこで光秀(56歳)と面会。
・光秀(56歳)に説教する江(9歳)。「何故叔父上(信長)を殺したのですか!」
・光秀(56歳)、江(9歳)に謀反に至った心境をトロ。「分かりました・・・では平和な世にしてください!」
・大山崎で大敗し土民に討たれる光秀。その瞬間、江(9歳)の幻を見る

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聞きしに勝る凄さというか、この状況を予測して第一話で視聴を回避した手前のスルースキルに自惚れてしまうくらいアレな出来なようで。年齢に関しては何もいいませんよ。50歳近くの岩下志麻が13歳の義姫を演じてたこともあったわけだから。でもねぇ……もうこの書き込みだけでどこにどう突っ込んでいいかポレにもわからないよ! という感じ。誰か珍シーンの選りすぐりをまとめてニコ動にあげてくれないかなぁ。

2011年2月19日土曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その14

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

昨日に引き続き『大日本国防史』の感想です。

凡例に、「本書のテキスト部分は、主に竹越與三郎先生著『二千五百年史』(明治42年の第19版)に取材し、兵頭の私見に従って叙述したものである」(4頁)とあるように、同書は竹越与三郎の『二千五百年史』をベースに書かれています。

では、どのくらい『二千五百年史』を“参考”にしているのか? 現在、最も入手しやすい講談社学術文庫版をナナメ読みして比べて見た感想は、「思いのほか多くの部分を参考にしているなぁ」というもの。

章立てなどはほとんど同じですし、「第1章:ヤマト国と大和政権」での人名表記の違和感――「大和武尊」を「やまとたけ」、「中大兄皇子」を「葛城の太子」、「物部守屋」を「物部のもりや」と一般的な歴史本とは異なる人名表記をしている部分――も、実は『二千五百年史』に忠実だったが故のことだったりします。「ロシアの南下とかいうハナシは軍師の余談じゃねぇのかなぁ?」と当て推量していたパートも、『二千五百年史』にキッチリ収録(第四百十二節:ロシアの勃興、東下の歴史、林子平。395頁)されてましたし。

といっても、『二千五百年史』の内容をそっくりそのまま“移植”しているわけではありません。あくまでも『二千五百年史』の“骨組み”を借りて、兵頭二十八師が考える日本の歴史を書き綴ったものです。実際、「1:日本国の始まり」は、最新の研究結果や学説をベースに軍師がゼロから書いたものですし、「41:『槍』が弓にとってかわる」と、「63:戊辰戦争から朝鮮戦争まで」の265p以降と3本の劇画は、完全に軍師のオリジナルです。

その他の史実部分についても、最新の研究に基づいて書かれた部分や、軍師オリジナルの解釈がふんだんに盛り込まれています。一方で、『二千五百年史』で語られている史実を尊重しているところ――例えば藤原仲麻呂や足利尊氏に対する高評価、菅原道真に対する批判などは、『二千五百年史』とほぼ同じ趣旨。こうした点は、現代の研究水準から見ても修正する必要がないと判断した結果かも――もあるので、もしヒマがあるのなら『二千五百年史』にチャレンジしてみるのも良いかも知れません。手前は、ナナメ読みしただけで『大日本国防史』を2倍以上楽しむことができました。

最後に典拠と参考文献について。『大日本国防史』では典拠や参考文献は一切明示されていません。なので、「これって何の根拠があって言ってることなの?」という疑問には、少なくとも本の中ではハッキリと答えきれていません。ただ、典拠、参考文献を明示しないことについては、劇画付で300p前後というボリュームの制約を考えれば、止むを得ないことだったのではないか? と勝手に想像しています。もし、この内容の全てに典拠や注釈をつけたとすれば500pでも収まらないでしょうから。

では、何が本の内容を保証するのか?

といえば、答えは「兵頭二十八師の16年余のキャリア」しかないのでしょう。14年来のファンにして、公刊された全ての著作(共著本を除く)と2002年までのほとんどの雑誌寄稿記事を読んでいる手前の場合は、「あ~、このことは●●年のアノ記事にあった」「これは◆◆のアノ部分でいってたことね。確か引用元は★★」みたいに納得できる部分が多かったりするので、別に問題はありません。多くの兵頭ファンも同じでしょう。ただし、軍師に触れることが初体験リッジモントハイ! な読者には、納得できないことも多いかと思います。

だったら一見さんの読者には『大日本国防史』を薦められないのか? というと然に非ず。むしろ、これから日本史について詳しく知ってみよう! という読者にこそ、日本史を知る上での“よすが”に使える本といえます。つまり、『大日本国防史』(=旧来の史観に囚われないお手軽な通史)をベースに、中公新書の歴史シリーズや吉川弘文館の歴史本などにチャレンジして、「あ~、兵頭って奴が書いたことは、こういうことなのね」「最新の学説ではこうだけど、何で兵頭はこう書いてるんだ?」と内容の検証を重ねながら知識を深めていけるわけです。

とまぁ、ツラツラと書いてきましたが、リアルタイム感想から今日書いたようなことまで、一回読んだら何か言わずにはいられない、何か書かずにはいられない――という気持ちにさせてくれる本なので、兵頭ファンはもちろんのこと、それ以外の本好きの方でも確実に値段分は楽しめるはず。下記のAmazonのリンクから買って手前の懐も潤せ! とはいいません。図書館でも見かけたら、是非、手にとって見てください。



2011年2月18日金曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その13

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

『大日本国防史』の感想を書きます。

2度通読した後、元になった『二千五百年史』をナナメ読みし、さらに通読して得た感想を一言でいうと、「兵頭二十八著(竹越与三郎原案)の高校生向けの日本史教科書」です。ファーストインプレッションは、「軍師の手による『物語・天皇の歴史』」だったんですが、何度か読み進めていくなかで、大きく認識が変わっていきました。

教科書のように思えた一番の理由は、「横書きで、神代からの歴史を大雑把に振り返っている」という“体裁”にあります。実際、ほとんど図版と年表抜きの教科書ですから。ただ、こうした“体裁”とは別に、その内容が<マルクス史観>と<国粋史観>に囚われていない数少ない手頃な通史であることから、ある意味、戦後日本の歴史教育史上、初めて持ち得る「良質な教科書の叩き台」とも思いました。

現在、日本史教科書の主流は<マルクス史観>(バカウヨ曰く「自虐史観」)をベースに書かれたもので、そのカウンターパートには<国粋史観>(バカウヨの書く「新しい歴史教科書を作る会」)しかありません。細々したことを言うとキリがないので大雑把に言うと、どっちも自分の立場からの善悪二元論でしかモノを考えておらず、自らの信条に沿う都合の良いウソをつく――<マルクス史観>で言えば「“従軍慰安婦”の強制連行説」であり、<国粋史観>で言えば「南京大虐殺まぼろし説」――ことで正当化していることから、いずれも教科書として使うことはあまり適当ではないというのが手前の考えです。

もちろん歴史を論ずるのにイデオロギーを持ち込むのがダメ! と言いたいわけではありません。というか、神代から現代までの通史を書くのであれば何らかの指針は絶対に必要になるわけで、その指針にイデオロギーを使うことは極めて自然なことといえます。問題は、通史を纏め上げるための指針に使ったイデオロギーに振り回されてしまうことです。

この点から見ると、『大日本国防史』を貫くイデオロギーは帯表にある通り――

大和朝廷の成立以来、何度も繰り返された朝鮮半島からの侵略。歴代天皇はいかに危機を乗り越えたか? 二千六百年通史!

――というもので、敢えてキリの良いキーワードを設定するなら「天皇vs支那&半島史観」といった感じです。いわば、<マルクス史観>、<国粋史観>とは別の第三の史観によって書かれた通史だからこそ、旧来の史観のカウンターパートを意識する必要がなく、イデオロギーを正当化するためのウソもないわけです。この一点を見ただけでも、旧来の歴史観をベースに編まれた通史よりも読むべき価値はある! といえるのではないでしょうか。



2011年2月17日木曜日

練習試合の意味

こんなことに一々突っ込みたくないけど、誰かが突っ込まないと既成事実化してしまいかねないので念のために突っ込んでおきます。

オレ竜サムスンに赤っ恥 右翼転向ブランコ珍プレー連発

これはねぇ……練習試合にボロ負けで不安ってことじゃないでしょ。てか、全ての選手が課題を持って取り組んでいるからこそのボロ負けという結果であって、不安どころか頼もしいくらいの結果ですよ。大体、シーズンが始まったら外国人を3人並べることも、守備に不安のあるポジションに置くこともできないわけで、それを確認&修練するのが練習試合であってね。

「練習試合とオープン戦がアピールの場」ってのも、落合博満監督下の中日では大間違い。少なくとも練習試合がアピールの場ってことは絶対にない。中日のキャンプはレギュラー――3年以上規定打席に到達している野手と3年以上ローテ、セットアップなどのポジションを守っている投手――にとっては「調整」の場だけど、それ以外の選手にとっては「能力向上」の場だもの。だからこそサムスンの練習試合でも下手な変化球は使わずにストレートだけを使ってボコボコに打たれたり、慣れないポジションでエラーをかましまくったわけで。そうやって自らの能力の限界や修正点を見つけることが“落合中日”の練習試合&オープン戦の意義だ――なんてことは、8年も見ていればイヤでもわかりそうなものだけどなぁ。

>たかが練習試合でもセ・リーグの昨年度の覇者のプライドのカケラぐらいは見せないと、韓国球界から見下されてしまう恐れもある。球場にきてくれるファンにも失礼だろう。

シーズンで負ける方がファンに失礼だよ! なんてことをエジリンにいったところで馬の耳に念仏だけどね。

2011年2月16日水曜日

多分、今月一番ショッキングなお知らせ

近所のレンタルDVDショップが来月半ばで閉店とのこと。毎週水曜日に全作半額、日曜日に準新作&旧作半額のキャンペーンをやっていて随分お世話になっていたお店だから、これは痛いなぁ。昨秋から「海外ドラマ準新作&旧作は毎日半額」という狂ったキャンペーンをやっていたので、これ幸いと片っ端から海外ドラマDVDをレンタルしまくっていたのですが、今にして思えばこれは断末魔の叫びだったということか。

昨日も『FRINGE』のシーズン2、Vol8~11までを借りて「さて、あとは『Stargate SG-1』にチャレンジするか、『Alias』に本腰を入れて取り組むか?」と思ってたところにこの悲報。両方とも死ぬほど長いので、多分、来月半ばの閉店までにはどっちかしかレンタルしきれないだろう。サッサと『BONES』や『Gossip Girl』『Lie to me』『MADMEN』――『Veronica Mars』はシーズン1のボックスセットがTSUTAYAオンラインで2000円だったのでレンタルせずに購入――辺りを借りておいて本当に良かった。

身元雑記的なハナシはあまり書きたくないけど、ちょっとショックが大きかっただけにね……。







2011年2月15日火曜日

正直、ローテを埋めて欲しいけど

一足遅れで斎藤佑樹投手の初実戦登板について。

ハンカチ斉藤 祐ちゃんストライク

YouTubeにアップされていた幾つかの動画を見ての感想は、「凄く球持ちが悪いなぁ」。

投球フォームについては人それぞれの“肉体的才能”に規定されてしまうので、あるべき理想のフォームを元に四の五の言っても仕方がないでしょう。例えば同じチームの多田野数人投手の場合、異常なまでに股関節が硬いために左足の踏み出しが異様に狭い(4.5歩程度)変則フォームです。彼に往年の川口和久のような思い切り下半身を使った(右足の踏み出しが7歩程度)豪快なフォームを求めても仕方がないように、斎藤投手の変則フォームも、彼の“肉体的才能”から導かれた最善に近いフォームではあるのでしょう。

球持ちの悪さについていえば、投球フォームと密接に関わるポイントであり、この部分だけ修正することは難しいとしても、プロの投手としては明らかな欠点といえます。一般に球持ちが悪い投手は、リリースポイントが安定しないことが多いもので、プロの一線級レベルから見ればコントロールが悪いと評価されるものです(もっとも斎藤投手の場合は例外なのかも知れませんが)。加えて、リリースポイントがホームベースから遠くにあるので、ただでさえ威力のないストレートが、よりショボく見えてしまうことでしょう。

この辺を改造し出すと、「フォーム改造→その土台作りのための下半身強化→来る日も来る日も走りこみ」みたいなことになるのかも知れませんが……。ともあれ、キャンプ中盤の仕上がりとはいっても、アノ投球を見たほとんどのファンは、「正直、このままで本当に通用するのかなぁ?」と思ったんじゃないでしょうかね?

2011年2月14日月曜日

「大日本国防史」を軍事解説書として読む

兵頭二十八師の新刊『大日本国防史』の感想ですが、再度通読したもののなかなか上手くまとまりません。もちろん「何か書け!」と言われれば、それなりのことは書けるんですが、いくら何を書いても良いblogとはいえ、とってつけたようなことを書いてもしょうがないですからね。加えて再度通読して思ったのは、「元になった『二千五百年史』を読まないことにはどうにもならないのでは?」ということ。つまるところ映画『2001年宇宙の旅』を語るときに、原作小説を読まないことにはハナシにならないことと同じことですよ。

というわけで、昨日、図書館から『二千五百年史』を借りてザザッとナナメ読みしているところです。これを片付けた後、改めて『大日本国防史』の感想をまとめてみたいと思います。

それはそれとして、再度通読して思ったことは、「これって軍師の『日本の軍事史』としても読めるよなぁ」ということ。神代から近代までの日本におけるRMA(軍事革命)に関する、軍師の考察の集大成でもあるわけですよ。同書で言及されている軍事解説部分は以下の通りです。

・垂仁天皇の后の兄が叛乱を起こして立て籠もったのは、稲藁を積み上げた城であったという――(11頁)
・それまで日本軍には、シナ軍風の「軍旗」はなかったのだが――(49頁)
・政府は、民間が強力な武器を私有することは禁止した――(54頁)
・日本の船軍は、戦術としてはただ各船バラバラに――(56頁)
・将門は、同じように坂東に土着して割拠していた他の土豪、さらには親族とも、しばしば矢戦に訴えて――(78頁)
・誰も利用していない荒蕪地を、自己の資力によって――(89頁)
・「平の清盛」はそれまでに、巨費を投じて安芸の厳島周辺の海運インフラを――(102頁)
・「源の範頼」の本隊は海岸線の本道をゆっくりと西進した――(115頁)
・四国の海賊や土豪は、義経軍との戦闘よりも、その何の遠慮もない――(117頁)
・掠奪的でない、統制のとれた組織的進退に慣熟した平家の暴力装置は――(117頁)
・平家には、宋人から買った大船も複数あった――(121頁)
・モンゴル軍の強みは、その歩兵部隊に持たせた――(141頁)
・だが日本軍にとって幸いだったことに――(141頁)
・二度の元寇から日本社会が受けた影響は甚大だった――(164頁)
・シナ大陸から世紀に日本へ輸入された鉄で――(181頁)
・元に代わった明朝が、「倭寇」対策に乗り出す頃には――(182頁)
・41:「槍」が弓にとってかわる――(192頁)
・42:武田信玄の登場と退場――(197頁)
・種子島で国産化に成功した火縄銃のモデルは――(204頁)
・これに対して日本では、火縄銃は個人の狙撃銃として急速に普及した――(206頁)
・生火を扱う火縄銃では、密集陣を組むことがそもそもあり得ないので――(206頁)
・もし、明国の広範囲の海岸に対し、多数の船舶で分散的に――(214頁)
・トルコ系やモンゴル系の遊牧諸民族が、ステップ平原からも漸時駆逐された――(232頁)
・もうひとつは、鍋島藩を含む港湾警備担当藩が――(246頁)
・57:「雷汞」と「雷管」の製造――(249頁)
・南北戦争の終戦は、シナおよび日本向けの中古小火器の国際価格を――(259頁)
・幕藩制下の伝統的な軍事機構では、たとえば「中間」「小者」は――(262頁)
・日本の人口が大正末までに幕末の3倍前後に増え――(266頁)

この辺の部分は、狭義の意味での“軍学者”らしさが光っているところです。







2011年2月13日日曜日

*TV覚書:ディープピープル(フォークボール)

ゲストは村田兆治、牛島和彦、佐々木主浩。

・佐々木:理想のフォークは「野球盤の消える魔球」。真っ直ぐと見分けがつかないで落ちる球。なのでなるべく回転をつけて、最後まで真っ直ぐと見分けがつかなくなるようにして投げた。

・村田:俺のフォークは三振を取る球。わかってても打てない、速くて真っ直ぐ落ちる球が理想。

・牛島:ボールが届く前にバットを振らせる。タイミングを外すことを考えていた。二人の真っ直ぐは150km/hオーバーの速い球だけど、自分はMAX143km/hしか出なかった。だから威力のあるフォームから緩い球を投げるように、いろいろと工夫した。

・佐々木:カウントを取るのもフォークだった。回転をつけるので基本は縫い目に指をかけていた。

・牛島:小さな手でフォークを投げるためにストレッチをしていたら、関節が外れるようになった。クルーンはこれを見て「気持ち悪ッ!」と逃げたくらい(実際、映像のインパクトはかなりのもの)。

・村田:フォークはフォームのクセが盗まれやすい球。力が入るので腱や筋肉、握りでバレてしまう。だからバックスイングの途中で握りを変え、ノーサインで投げていた。

・牛島、佐々木:それぞれバックスイングの途中で握りを変える秘技を披露。

・谷繁元信選手(ビデオ出演):佐々木のフォークの落差は感覚的にこのくらい(ほぼ座高と同じ長さを両手で示す)。

・袴田英利(ビデオ出演):ノーサインでフォークとストレートを取り分けるため、村田と組むときはミットの綿を抜いていた。こうすることで落ちる球を握りやすくするため。だから受けるときはとても痛かった。防御率のタイトルがかかっているときにホームランを打たれた後、ベンチで村田に「こんな球を要求しやがって!」と怒られたことも。

・佐々木:古田敦也のようにミットの扱いが上手い捕手だと、逆にフォークを投げ込むのが心配になる。秋元宏作と組んでいたのは、彼が身体を張って止めるタイプで安心感があったから。谷繁選手もミットの扱いが上手い捕手だが、彼には「秋元はアゴでも止めていたぞ」と言って奮起を促した。

・佐々木:配球の基本は低めの真っ直ぐと、同じコースから落とすフォーク。高めの真っ直ぐを基本にはしない。

・牛島:それは佐々木と同じ。低めに集めるとバッターがどんどん踏み込んでくるが、そういうときにはカーブを投げて腰を引かせていた。

・村田:フォークは決め球で、一打席に一球しか投げない。なので、基本はインコースの真っ直ぐでファールを打たせて、フォークで三振を取るという配球。

その後、最新のピッチングマシンでの佐々木のフォークの再現や質問コーナーなどがあったものの面白くなかったので割愛。語られているエピソード自体は書籍や雑誌で散々既出のものだったりするが、映像のインパクト(とくに「牛島の指」と1987年9月1日の対南海戦での門田博光の打席!)は凄いものだった。録っておいて良かった。

2011年2月12日土曜日

いま解散されて一番困るのは小沢

首相も参っている?「小沢切り」にハードル

仮に小沢が一人だけ離党して予算案に反対した場合、社民党や石川が賛成したとしても解散するしか戦局を打開する術はないでしょう。でも、ここで解散されて一番困るのは小沢派だものなぁ。仮に今春解散となれば民主党が壊滅的敗北(100議席取れれば御の字レベルの敗北)を喫するのはほぼ間違いないけど、そのなかでも小沢派&小沢チルドレンの面々が通る可能性なんて皆無に近いものね――という読みから仙石は強気一辺倒で押しに押しているんだろうけど、小沢派&小沢チルドレンったって昔の田中派みたいに結束が固いわけじゃないし。

3月解散でも2年後の解散でも敗北必至なのは目に見えているわけだから、ここで造反すれば一気にヒーローになれる可能性はあるわけで。名前を売るチャンスとしては、そう滅多にない機会だしね。もっとも、どーせなら4月の統一地方選で地方組織が全滅した後に解散して、民主党が回復不能なダメージを受けることを望むけど。

仙石としては、「小沢一派を追放して、戦局打開で総辞職して、その後公明党と手を組めばいいじゃん」なんて絵を描いているのかも知れないけど、菅に解散するだけの度胸がないとしても、勝ち馬に乗ることしか考えない&骨の髄から仙石嫌いの公明党が民主党と組む可能性はゼロに近いからね。社会主義者は何でも計画どおりに物事を進められると信じているものだけど、全ての人間が唯物論者じゃないわけでね。

2011年2月11日金曜日

寒すぎて何もする気が起きず

朝から雪降りまくり。こういう日は蒲団にこもって、うつ伏せになりながらこなせる作業をするしかないね。HDレコーダーにたまったコンテンツの整理とか、確定申告書類の整理とか、さやえんどうのさやむきとか。というわけでblogの更新は超簡潔に終了。こうやってキーボードを打っているだけで、指先が冷えてくる音が聞こえてくるような寒さだからね。暖房つければいいって? 電気代を気にせずに過ごせるほど裕福じゃないんですよ。

おまけ:【ニコニコ動画】数億年後の生物の進化予測。少なくともイカがいくら進化してもイカ娘にはならないってことを知って安心した。

2011年2月10日木曜日

忙しい人のための菅×谷垣党首討論

全文はこちら。美辞麗句を省いてシンプルにしました。てか、菅の答えの1/3はほとんどコピペじゃねぇか!

谷垣:4月には社会保障改革案をまとめ、6月には税制抜本改革案をまとめる。9月にはマニフェストも見直す。消費税増税前には解散する――と聞いている。それでいいか?

菅:4月に社会保障改革案を提示し、6月には税制抜本改革案を提示する。マニフェストについては実行の難しいことについて国民に説明して理解してもらう。

谷垣:順序が逆。4月に社会保障改革案をまとめられなかったときは責任を取るのか?

菅:順序が逆とは理解できない。4月に社会保障改革案を提示し、6月には税制抜本改革案を提示する。この案を出したら与野党協議に乗るのか?

谷垣:繰り返すな。責任について聞いたんだ。4月の社会保障改革案は積算根拠も明示した煮詰まったものになるんだろうな。

菅: 4月に社会保障改革案を提示し、6月には税制抜本改革案を提示する。この案を出したら与野党協議に乗るのか?

谷垣:要するに、税の積算の根拠なりうる具体的なものを出すのかどうかを聞いたの。

菅:4月に社会保障改革案を提示し、6月には税制抜本改革案を提示する。

谷垣:平成21年度の税制改正法の附則104条に従えば、平成23年度中に消費税を含む税制抜本改革案を国会に出すことが義務付けられている。常識的に考えればこの通常国会中には出さないと思うが、平成24年度か25年度に出すのか?

菅:平成23年度末に成立しても、国民総背番号制の整備なども予想されるので、実施段階に至った場合には、その前に解散する。

谷垣:マニフェストでは消費税増税が前提になっていない。マニフェスト違反の片棒を担ぐわけにはいかない。この問題は、認識が一致したら選挙の後、互いに国民の信を得てから協力してやっていけばいいんじゃないの? 第一、平成24年度予算をどうやって組むつもりなの? 一番近道が解散なんだって。結局、審議しているメンバーもほぼ同じなんだし。自民党も財政再建健全化法を出した。我々の考え方はすでに明確にしているから、民主党も早く我々のレベルまで追いついてくれ。

菅:解散しても、その後の政局がどうなるかわかんないじゃん。案を出しても議論に乗れないっていうのは、言っていることと違ってるんじゃないの? この議論は手順が重要。あるべき社会保障の姿を提示して、それを実現するための財源を捻出するために、どのような税制が必要になるかを提案したうえで、国民に理解してもらうことが重要。「まず解散」というのは、党利優先だろ。

谷垣:「急がば回れ」って言葉を知らないの? 案を出してもダメだというのか? っていうけど、問題はその案がマニフェスト違反だからなんだって。マニフェスト違反の共犯になれなんて冗談じゃねぇよ。

菅:参院選マニフェストでは、消費税を含む税制抜本改革協議を超党派でスタートすると書いて、信を問うた。ごまかしじゃないよ。

谷垣:そんな強弁してもダメ。マニフェストには3つの根本的な欠陥がある。1つは埋蔵金。ないじゃん。2つめはバラマキ。ちょびっと財源を見つけてもバラマキに使うから財務改善に繋がらない。だから国債の格付けも下がる。3つめは社会保障費の自然増(1兆円)への対応不足。どうやってこの1兆円増に対応していくかについて、何も書いてないじゃん。このマニフェストは「財政破壊のマニフェスト」。だから見直せといっている。最後に小沢問題。どうやって解決するの?

菅:バラマキじゃないよ。このマニフェストは従来の政権でできなかった新たな政策を掲げたんだもん。あと、小沢問題は、きちっと話し合って方向性を定めていきたい。

2011年2月9日水曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その12

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

先週上市された『大日本国防史』(並木書房)を読み終えました。「キャリアの長い軍師にして初めての歴史読み物」であり、「デビュー以来のテーマである“国防”を巡る集大成的作品」であり「一冊の本としては近年稀に見るほど情報量の多い作品」でもある本だけに、なかなかスパッと感想をまとめるというわけにもいかず――というかちょっとした仕事や用事や誘惑により、なかなか腰を据えて熟読し、モノを書く気になれない。いわば“魂のやる気待ち”な状況――ということで、まずは兵頭ファン以外の人にとっての読み方についてつらつら書くことでお茶を濁そうと思います。

兵頭ファン以外の人にこの本を薦められるのか? と問われれば、その答えは「YesでもありNoでもある」(リッチー・ブラックモア©)ってとこでしょうか。

確かに「一風変わった歴史読み物」として、何も考えずに楽しく読める本ではあります。別段難しい文章ではないですし、戦争という一大イベントを軸に2600年の歴史を書き下ろしているわけですから退屈する内容でもありません。

ただし、一般的な歴史の知識(高校生レベル)もなく読み始めると、はじめの1/5くらいで挫折してしまう可能性もあるでしょう。書かれている内容が通説と大きく違いますし、何しろ数百年の歴史をコンパクトにまとめているので、そのあいだの「天皇の代替わり」が激しく、ある意味、旧約聖書の冒頭みたいな感じ(アブラハムの息子のイサクが……というアレ)で、人によっては退屈に感じかねないわけです。

なわけで、兵頭ファンでなく、歴史にもそこまで詳しくない読書好きの人が『大日本国防史』を立ち読みするのであれば、是非、以下の章から読んでみてください。

「33 二度の元寇をしりぞける」(140~164頁)
「42 武田信玄の登場と退場」(197~202頁)

まず「33 二度の元寇をしりぞける」について。いくら歴史に詳しくないといっても、元寇を知らない人はいないはず(もし知らないのであれば、ハッキリいって同書を買っても意味はないです)。該当部分の文章は、その元寇の実情について、日本で最も史実に近いであろうことに肉薄し、かつわかりやすくまとめている文章です。元寇について「モンゴル軍が船で攻めてきたけど、二回とも台風でやられちゃったやつでしょ。神風(笑)」くらいの知識があれば、十分面白く読めることでしょう。

次に「42 武田信玄の登場と退場」について。武田信玄って名前くらいは聞いたことがあるでしょうし、戦国時代は歴史小説やNHK大河ドラマ、TVゲームで散々描かれているテーマなので、多分、同書の中では一番とっつきやすい章だと思います。ただ、兵頭本を全く読んだことのない人にとっては、ちょっとクセのある部分でもあるので、歴史も戦国時代も軍事にも詳しくない兵頭本未経験者な人は、立ち読み前に以下のことを“補助線”に使ってみてください。

・武田信玄の血筋はかなり由緒正しいもので、かつ、実力も大したものだった。
・武田信玄は、日本で初めて「駆け足」とか「右向け右」みたいな命令を聞かせる兵隊を育成した。それまでは、どんな兵隊もこんな簡単な命令通りに動けなかったのだ。
・美濃(岐阜県)は、琵琶湖にアクセスしやすい土地だったから重要だった。琵琶湖の港は、淀川を通して瀬戸内海まで続き、ポルトガルやスペインと交易できたから。
・海外交易の利点は、鉄砲の弾と火薬の原料となる鉛と硝石を安く入手できることにある。美濃を獲った織田信長は、近畿以東では誰よりも安く弾と火薬を入手できた。

197~200pまでの内容を大雑把に要約したものです。この辺のことを踏まえたうえで、細かな内容について味わってみれば、「あぁ、そういうことか!」と感得しやすくなるのではないかと思います。

追記:青木直人氏の講演に、軍師がゲスト出演する件。申し込みフォームが完成しています。

2011年2月8日火曜日

『glee』を全部見たけれど(ネタバレ)

シーズン1最終回までのセル&レンタルが解禁となったので、期待で胸をパンパンに膨らませながら見たのですが……結論から言えば、『MADMEN』が回を追うごとに面白くなっていった(シーズン3最終話で感じるワクワク感は異常!)のとは対照的に、「後半失速したなぁ」という感想しか思い浮かびませんでした。これならシーズン1前半のクライマックスだった13話の地区大会(原題:Sectionals。DVDではVol.6)で自主的に視聴を止めておけば良かったのかも。

地区大会までは本当に面白いんですよ。ストーリーの運び方は丁寧だし、ミュージカルシーンも「ここぞ!」というタイミングで挟み込まれてくるから超印象的だし、何より大会までに諸問題が解決するのか否か――ってシーズン2まで放映してるんだから解決することはわかってるんだけど、それをどうやって料理するのか――が気になるように、「早く次を見せろ!」という物語の求心力があったわけです。

が、地区大会後の展開は、以上の美点が全部消えてしまいます。つまり、ストーリーの運び方が雑になり、ミュージカルシーンが乱発されて印象が薄くなり、州大会までの諸問題の解決方法についても「どーせ地区大会までと同じような展開になるんだろう」と予想されてしまうということです。

なぜ、このように感じたのか? 原因はハッキリしています。

『glee』が『がんばれベアーズ』的な成長物語である以上、“成長”(=ダメチームが成長して目的を達成する)してしまったから、物語の求心力がなくなってしまっただけなんですね。つまり、成長物語としては地区大会の勝利で終わったということであり、その後の展開は焼き直しにしかならないということ。『ドラゴンボール』でいうなら、「地区大会=ピッコロ」ってことです。

製作サイドもその点は十二分に承知していたんでしょう。シーズン後半は「完成度の高いミュージカルシーンを多く挟み込むことで、ゴージャス感を出す」という手を打ってきました。『ドラゴンボール』でいえば、ベジータ→フリーザと出てきて惑星をぶっ壊すような“戦闘力のインフレ”でストーリーを進めていく手法ですよ。

でも、『ドラゴンボール』はマンガ(アニメ)であり殴り合いだから、いくらでもインフレ状態を表現できるけど、『glee』は実写でありミュージカルだから、そこまでインフレ状態を表現できないわけです。そもそも、スタート時点で世界屈指の歌と演技の上手い人々(=ブロードウェイの有望株)を出しているので、すぐにインフレの限界に達してしまうわけですよ。実際、名実共に世界一歌と演技の上手い人――名作ミュージカル『Wicked』のオリジナルキャストであるイディナ・メンゼル(エルフィー役)とクリスティン・チェノウィス(グリンダ役)――も出ましたし。

【ニコニコ動画】glee:イディナ・メンゼルのパフォーマンス。

【ニコニコ動画】glee:クリスティン・チェノウィスのパフォーマンス。

結局、パフォーマンスの面でも地区大会までがMAXで、これを超えられなかったと感じました。

【ニコニコ動画】glee:地区大会の圧倒的なパフォーマンス。リア・ミシェルの歌いっぷりは凄いの一言。

もちろん、ミュージカルシーンの“PV”としての完成度がシーズン前半より格段に高くなっていたり、キャラが固まってきて(とりわけ頭が弱くて股の緩いブリトニーの造形が素晴らしい)ピンポイントで面白いエピソードがあったり、ゲストのオリビア・ニュートンジョンが「21世紀における自らのタイプキャスト」をノリノリで演じていたりと見所は多数あるわけですが、こうした美点も“枝葉”のことでしかなくて、“幹”であるドラマ部分についていえば、これ以上太くなりようもないですからね。シーズン3か4では主要キャストを卒業させて心機一転するらしいですが、これも“枝葉”ですし。

というわけで、Pilotを10回見返したくらいハマッた『glee』でしたが、シーズン2については、「レンタル解禁されたときに懐が暖かかったら借りようかなぁ」くらいの期待値で臨むことにします。





2011年2月7日月曜日

「大日本国防史」のリアルタイム感想:その3

昨日、一昨日に引き続いて、読んだところまで感じたことについての覚え書き。

・豊臣家が北海道や台湾、フィリピンに「転封」(自主的な避難)をしていたら、その後の日本史はどうなかったか?
・全く非現実的な選択肢ではあるものの、物理的には十分可能な手段だったという指摘には目からウロコが落ちた。
・ロシアが東方進出できた(=江戸時代まで東方進出できなかったのか)理由って、意外にシンプルなものだったのね。
・林子平がNGで、工藤平助がOKだった理由の考察が面白い。この視点から見れば、後の幕政改革の意図も良く理解できる。
・「牢人」(武装失業公務員。実にナイスな言い換え!)が「浪人」と呼ばれるようになった理由をはじめて知った。
・「水戸学」に対する見も蓋もない解釈がステキすぎ。いわれてみれば確かにそうだ!
・江戸城無血開城の内幕について264~265pでザッと言及されているけど、書かれていることにほとんど同意。
・明治天皇をこのように評価したのは、軍師がはじめてかも。確かに名実伴う「王政復古」だったら、今頃は東南アジアの後進国みたいになっていたかも知れない。
・「日独防共協定=日本建国以来初の間接侵略成功」のハナシは、是非、一冊の本で語って欲しいテーマ。

3日かけて読了。感想は再度通読してからにします。

2011年2月6日日曜日

「大日本国防史」のリアルタイム感想:その2

昨日に引き続いて、読んだところまで感じたことについての覚え書き。

・元寇における寺社の働きが、間接侵略の余地を全くなくしてしまうという点で想像以上に大きかったとの見方は“兵頭節”の真骨頂。
・護良親王は「もりなが」と表記。正直、手前も「もりなが」派なんだけど、NHK大河ドラマ『太平記』の影響で、「もりよし」派が圧倒的になったんだよなぁ。
・槍の解説は、多分、本書で一番の読みどころ。手前にとっては192~196pまでだけで1000円分くらいの価値があった。
・正直、天皇とは一切関係ないけど、こういう“寄り道”も兵頭本の魅力の一つだし。
・そこから続く「42:武田信玄の登場と退場」は、ある意味でクライマックスかも。
・「長槍を揃えた集団は、強気になる。(中略)あたらしい下級の槍兵は、もはや、相手の家名や血筋や衣装などを見ただけで、気後れするようなことはなかった。(中略)彼らが怖れ、尊敬を払ったのは、敵軍の『兵数』と、命知らずな『規律』であった」(197頁)
・このことを踏まえたうえで、『孫子』のエッセンスを完全に理解し、実行できた武田信玄は、ある意味で空前絶後の日本人だったということか。
・美濃の地政学的優位性は、金華山のロープウェイでガイドが語っている内容(=司馬史観)ではなく、ああいうところにあったわけか!
・信長は恵林寺(心頭滅却すれば~のアレ)が『孫子』研究のシンクタンクと疑っていた可能性アリとのハナシについては、正直、もっと証拠が欲しいかも。
・本能寺の変については「偶然の産物」だと思っているので、事前に準備していたという見方にはちょっと首肯できないかなぁ。

さて、残りは「第6章:天下泰平からグローバル戦の時代へ」だけだ。





2011年2月5日土曜日

「大日本国防史」のリアルタイム感想:その1

昨日から読み始めている兵頭二十八師の新刊『大日本国防史』。貧乏な自営業という職業的特権を活かして一気読み……と、行きたいところなんですが、289pというボリュームであるにも関わらずミッシリ詰まった内容なのでナナメ読みができない&貧乏ながらもそこまでヒマでもない――という状況にあるため、未だ最後まで通読していません。

なので感想についても、「読み終えてから頭を整理し直して書こう」と思っていたんですが、チマチマ読んでいるうちに書きたいことがムラムラと溢れてきて、「通読する前にリアルタイムで感じたことをメモしておくのも無駄じゃないかも」と思いなおし、以下、途中まで読んで思ったことをつらつら書いてみることにします。

・これって要するに『小説・天皇の歴史』? というか情景描写や心理描写、会話描写がないから『物語・天皇の歴史』か。
・歴史小説と講談社学術文庫の中間っぽい感じかなぁ。
・原典は『二千五百年史』(竹越與三郎著)ってことだけど、これに軍師が調べ、洞察した史実を盛り込んだってことなんだろう。
・つまるところ、「兵頭二十八が語る天皇戦記」というのが、一番しっくりくるかも。
・日本神話を巡る軍師の解釈(対支那政策)はとても腑に落ちるハナシ。
・神武東遷→闕史八代→大国主神→日本武尊を、現代的に読み解くところは本当に面白い。
・ただ、通説、異説、最新の学説とも微妙に違っていたりするので、度々ページをめくる手が止まるんだよなぁ。
・藤原仲麻呂の評価が高いことにビックリ。彼の評価については井沢元彦説(これ以外についてはほとんど信じていないけど)に引きずられていた面があったかも。
・平清盛の“大戦略”については、「本当にそこまで考えていたのか?」というのが最初の印象。ただ、これも俗流歴史観――手前の源平歴史観の90%くらいは吉川英司の最高傑作『新平家物語』に影響されている――に引きずられているのかも。
・源範頼の失敗と源義経の成功の理由が、「三光作戦」(苛烈な現地徴発)にあるという指摘にはヒザを叩きまくり。
・それが後々の没落に繋がってるしなぁ。これまで読んだどの本よりも源義経の軍事的才能について、最も合理的に説明しているような気がする。

とりあえず今日はここまで。源平時代でコレなら、太平記~戦国時代はどんだけ面白いんだか! と胸熱しながらチマチマ読むことにします。





2011年2月4日金曜日

ファンなら即買い! 「大日本国防史」

兵頭二十八師の新刊『大日本国防史』をようやく入手しました。軍師曰く、「字が小さい」とのことでしたが、手前が見る限り小さいと感じませんでした。確かに一世代前の文庫本くらいの字の大きさではありますが、本当に字が小さかった『軍学考』とかと比べれば、全然大きいですし。

で、内容ですが、現時点では何ともいえません。実は「さてと、ザザッと全部ナナメ読みしてからblogのネタにしてやろうか……」と不埒なことを考えていたのですが、初手からナナメ読みを許さない本なんですよ、これが。

例えばこの文章。

「政府は斉明5年にわざわざ蝦夷の男女2人を唐の首都まで連れて行って皇帝に閲覧させたほど、当時の蝦夷のルックスには顕著な特徴があったのである。されども今日、東北人に、これといった外見的な特異店は無い。これもまた、「葛城の太子」の政策の結果なのである」(54頁)

この4行に込められた情報量の濃密さ! 「原典はどこに当ってるのか?」「通説と最新の説との差はどこにあるのか?」「葛城は中大兄皇子の諱だから、これは中大兄皇子のことだよね?」「ハナシとしてはこう繋がっているけど、一般的な歴史本ではこう書かれていたはず」――と、一々頭をフル回転させて読まなければならず、とてもスイスイとは読み進められないわけです。

というわけで、本書については後日読了後に改めて取り上げたいと思います。ともあれ、兵頭ファンならば、何も考えずに買っても絶対に損しない出来であることは、14年来の兵頭ファンとして保障します。

2011年2月3日木曜日

人として学ぶべき大切なこと

「20で利権譲ります」八百長メールの全容判明

この記事を読んでわかったこと。

・力士は、八百長を携帯メールでやりとりするほどウッカリさんであること
・力士は、メモリから削除したらデータが復元されないと信じているほどバカであること

つまり、義務教育レベルであってもしっかりと勉強しておかなければ、後々痛い目にあうということですね。小学5年生のとき父親に、「とおちゃん。なんで政治家は小切手を使わずに、スーツケースに何万円も詰め込んでるの?」って訊いて以来、悪いことをするときには物証が残るようなことをしてはいけない――という貴重な教訓を得たものですが、最近の若い人はこういうことを学ばないのかなぁ。てか、こういう大事なことは相撲教習所で教えるべきことでしょう。バレたら終わりなんだから。

それにしてもよくよく考えてみたら、競艇から野球、サッカー、プロレスまであらゆるスポーツ興行で八百長は噂されているけど、公的機関から証拠つきで「こいつら八百長やってるぜ!」って指摘された競技って、古今東西通してみてもオートレースと相撲しかないんじゃないの? プロレスだって引退したレフェリーやレスラーが「八百長やってました」と告白はしていても、公的機関から証拠付で指摘されているわけじゃないので、いまだに「0.1%はガチの可能性アリ」と言い張れるわけで……。

2011年2月2日水曜日

どういい繕うのか楽しみだなぁ

大相撲:携帯に八百長メール記録 十両数人、勝ち星売買

警視庁という公的機関が認めて、一般紙で公に報道されるのって、多分、歴史上初めてのことじゃないかなぁ。若き日の石原慎太郎が「大鵬、柏戸だって八百長やってんじゃん」って暴露して以来、週刊誌上では散々報道されてきたけど、警察が認めて新聞が報じたってことは、真偽はどうあれ「ほとんどホント」って認定されたようなものだし。

だからといって相撲賭博があったとは思わないけど、野球賭博の負けを星の売買で購ったってことはあるんだろうし、警察としてもそこを突っつきたいんでしょうね。八百長自体は違法じゃないけど、その“入り口”として注視していくという。このこと自体でお縄にならないとしても、警視庁から文科省へ正式に報告がいって何もなかったら、世論は黙ってないよなぁ。

というわけで、千秋楽を7勝7敗で迎えたときに「地上最強の生物」へと変身する大関魁皇が、通算1045勝を達成する前に引退するという可能性に10ペリカ。

2011年2月1日火曜日

*読書メモ:天才! 成功する人々の法則

・カナダのアイスホッケー選手には、同年齢の仲間たちのあいだで、早く生まれた者が多い。これは年齢を区切る基準を1月にしているため。幼少期における12カ月の成長差はあまりにも大きい(都築注~日本では野球を初めとするスポーツ全般で同じことがいえる。3月期を基準としているため、早生まれの名選手は極めて稀。究極の早生まれである桑田真澄は例外中の例外)。

・成功とは「累積するアドバンテージ」の結果。プロのアイスホッケー選手は、最初、同年齢の仲間よりほんのちょっとだけホッケーが上手かった。そして小さな差が好機を招き、その差が少し広がる。さらに有利な立場が次の好機を招く。これが延々と広がって、少年は本物のアウトライアーになる。もともとアウトライアーだったわけではない。ほんのちょっと体格が良くてホッケーが上手かっただけだ。

・成功者を効率より選ぶシステムには、あまり効果はない。カナダのアイスホッケー界では、7月以降に生まれた選手は極めて少ない。基本的にホッケー人口の半分の才能が浪費されているということ。もし、誕生月を7月期で区切ったホッケーリーグがあれば、カナダの代表チームは、すぐに選手選択の幅を2倍に広げられただろう。

・学校でも、誕生月で4半期ごとにクラス分けして競い合わせれば、より多くの才能を発掘できよう。コスト的にも難しいことではないのになぜしないのか? それは我々が「成功=個人の優秀さ」という考え方にとらわれているため。

・1990年代初め、心理学者のK・アンダース・エリクソンはある調査を行った。ベルリン音楽アカデミーで学ぶバイオリニストを3つのグループ――世界的ソリストになれるAグループ、“優れた”という評価に止まるBグループ、プロになれないCグループ――に分け、彼らに同じ質問をした。「はじめてバイオリンを手にしてから、これまで何時間練習してきたか?」

・Cグループは4000時間、Bグループは8000時間、Aグループは10000時間に達していた。エリクソンはプロのピアニストでも調べてみたが、ほぼ同じ傾向が見られた。頂点に立つ人物は、他人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねているのだ。

・神経学者のダニエル・レヴィティン曰く、「あらゆる調査から浮かび上がるのは、世界レベルの技術に達するには、どんな分野でも10000時間の練習が必要」とのこと。「作曲家、バスケットボール選手、小説家、アイススケート選手、コンサートピアニスト、チェスの名人、大犯罪者など、どの調査を見てもいつもこの数字が現れる」「10000時間より短い時間で、真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はない」

・心理学者のマイケル・ハウ曰く、「熟達した作曲家という基準で見れば、モーツァルトの子ども時代の曲はずば抜けた出来ではない。ごく初期のものはたぶん父親が書きとめ、手も加えているはずだ。彼のオリジナル協奏曲で、現在、傑作として評価されている作品(K271ピアノ協奏曲第九番変ホ長調『ジュノム』)は、彼が21歳のころに書かれた。協奏曲をつくりはじめてから10年が経っていた」

・稲作はスキル本位だ。より多くの雑草を抜き、肥料のやり方に習熟し、頻繁に水量を見て回り、粘土を均等にならし、畝を隅々まで活用すれば、より多くの収穫が得られる。狩猟採集民族はかなりのんびりした暮らしをしているし、麦作農家の冬は冬眠と同じようなものだ。ある試算によれば、アジアの稲作農業者の年間労働量は3000時間に上るという。

・水田がつくる文化の真髄とは、重労働が水田で働くものに、不確実性と貧困のなかに意義を見出す方法を与えることだ。その教訓は多くの分野でアジアの人々の役に立ってきたが、とりわけ数学に素晴らしい影響をもたらしてきた。

――IQ195の天才であるクリス・ランガンがレッドネックで終わり、彼ほどIQに恵まれなかったR・オッペンハイマーが20世紀最大のプロジェクトの責任者になれたことに典型的であるように、アウトライアーになるためには一定以上の才能に加え、幼少時からの訓練とそれを可能にする家庭環境、文化、運が必要ということ。つまり、「氏より育ち」「他人の助け」が重要というお話です。