2010年6月18日金曜日

相撲賭博って本当に成り立つの?

二宮清純というコメンテーターが、「野球賭博は入口。本丸は相撲賭博であり八百長だ」みたいなことを言っていたのですが、そもそも相撲賭博ってのは成り立つものなんでしょうかね? もし相撲賭博が野球賭博のように大々的に行なわれているとしたら「7勝7敗で千秋楽を迎えた魁皇のハンデ」はいくらつくんでしょう? こんな取り組みの勝敗なんて相撲好きの小学生でも読めるわけでしょう。正直、ハンデなんてつけようがないと思うんですよ。

と、考えてみると、いわゆる“八百長”――というかそもそもスポーツじゃないんだから八百長ということ自体がおかしいんだけど。一つ一つの取り組みに一々八百長って指摘することは、往年の『ワールドプロレスリング』で維新軍の面々が“乱れうち”をするのを見て「八百長だ!」と指弾するのと同じくらいナンセンスだと思うんですよ――はあるにしても、賭博は成り立たないと思うんだけどなぁ。

だいぶ前、大槻ケンヂ氏の本で読んだエピソードに、「プロレスマニアの女友達とプロレス観戦したら、ゴングが鳴る前に全ての試合の勝敗、決め技、終了時間を言い当てられてビックリ!」というのがあったけど、古手の相撲ファンなら、互いの番付、部屋、ここ数場所の成績や人間関係なんかで、大体取り組みの結果がわかるものなんでしょう。となれば、相撲を賭け事にするくらい研究しているファンであればどんなハンデを切っても勝敗を見切れるだろうし、勝敗がわからない“ぬるいファン”ならそもそも相撲を賭け事にしないんじゃないでしょうかね?

もし相撲賭博がヤクザによって大々的に行なわれているのであれば、是非ともそのシステムの詳細を知りたいものです。とくに千秋楽の大関にいくらハンデが切られているかを!

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