2010年6月15日火曜日

*読書メモ:競争と公平感

「いやぁ、面白かった。しっかしイイ本読んだなァ」

一日一冊くらい、過去の名作から最近のモノまでジャンルを問わず本を読んでいるんですが、こうした感慨を抱くことは年に1~2回もありません。最近は、兵頭二十八師の本くらいでしか満足感を得られていなかったわけですが(あ、今年初めに読んだ『世論の曲解』は本当に面白かった!)、昨日読み終えた『競争と公平感――市場経済の本当のメリット』(大竹文雄著。中公新書)は、久しぶりに「イイ本読んだ」という感慨を腹の底から味わわせてくれました。

どんな本なのか? 一言でいえば「競争と規制をテーマにしたエッセイ集」です。昨今氾濫している一般向け経済学本と同じジャンルではあるんですが、そのクオリティの高さ、わかりやすさ、内容の面白さは段違いです。自称エコノミストとかマル経上がりの経済学者とかのアレな本と並べるよりも、古き良き中公新書の名著――『地政学入門』とか『ゾウの時間ネズミの時間』とか――に肩を並べる一冊というべきではないか? と思わせるくらい、手前にとっては良い本でしたよ。

本書の内容で最も印象に残ったのは、「2:勤勉さよりも運やコネ?」(13頁~)で語られている反市場主義のハナシです。

政権与党の幹部が常日頃から「グローバルスタンダード良くない!」と語っているように、昨今、反市場主義、反競争主義的な言説(手前の考えでは社会主義的思潮)が政治の表舞台でデカい顔をしています。こうした風潮について著者は、各種調査、論文から「なぜ、日本でこうした考え方が広まっているのか?」を明らかにしたうえで、「市場主義と大企業主義の融合が、反市場主義をもたらした」と説いています。

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「小泉政権の政策は、市場主義的な政策と財界の利益誘導、利権獲得の両方が混じったものになっていたと解釈できる。市場主義的な政策は、財界の利害と一致するものもあったが、一致しないものもあった。~~中略~~つまり、市場主義という名のもとで、利権の仕組みの変更が行なわれただけで、実体はあまり変わっていなかったのかもしれない」
「結局、一番割を食ったのが市場主義である。市場主義が既存大企業を保護する大企業主義と同一視されてしまったために、反大企業主義が反市場主義になってしまっているのではないだろうか」
「構造改革に携わった大企業関係者が、「官から民」への移行に伴って利益を受けていたとすれば、それは市場主義的政策と無関係どころか相反するものだ。誰でも競争に参入できるという公平性が担保されていることが、市場主義の一番重要な点だからだ」(23~24頁)

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この指摘には唸らされました。手前も含めて、案外多くの人が「市場主義」と「大企業主義」を混同しているのではないでしょうかね?(少なくとも社民党、共産党のサイトを見る限り、両党は――意識的か無意識的かは措くとしても――両者を混同しているように見えます)。大企業主義はダメだけど、市場主義自体は悪くない。というか、市場主義を尊重し、全ての人に機会平等を保証しなければ社会の発展はあり得ないわけでしょう。ここのところをキッチリと分けて考えることは、とても大切なことではないかと思うわけですよ。

そのうえで、いわゆる小泉改革について手前の考えを言うならば、「機会平等を奪い、結果平等を強いる政策」に比べれば、大企業主義という弊害を併せ持っていても、まだ「機会平等を保証する政策」の方がマシ――ってところでしょうか。そのくらい市場主義(=機会平等の実現)は大切なことだと考えています。

ここにきて菅内閣は、いわゆる新市場主義に近い政策(前原・仙石路線)を推し進めようとしているようですが、小泉改革と違う点は、「大企業主義を排さず、労組の意向も多く取り入れている」ことでしょうか。“市場主義の貫徹”という観点から見ると、小泉改革よりも後退しているように見えるのは、手前だけではないと思います。

と、このように、たかだか11頁のエッセイ一つでさえ、ここまで熱く語らせる――そんな魅力を持っている本ってことです。

このほかにも――

●『ウィキノミクス』の手法を使え――経済社会問題の解決も政治家、官僚だけに任せるより、必要なデータを全て開示して、広く周知を募った方がより良い解決法を見つけられるのではないか?
*こんなところにも『FREE』の考え方が出てくるとは。立花隆の言うように「インターネットはグローバルブレイン(笑)」とは思わないけど、通信コストが劇的に下がったことで政治体制も効率化するって流れは止められないのだろう。古代ローマがアテネみたいな民主主義を採らず元老院から帝政へと移行したのも、通信コストがバカ高い時代には、帝政が一番効率的な政治だったからであって、あの時代に電信があれば元老院からダイレクトに民主主義へと移行していた可能性も皆無ではないと思う。

●アメリカでは急激なスピードで所得格差が拡大しているのに、深刻な政治問題とはなっていない。一方、高齢化以外の要因での格差拡大の小さい日本では、格差拡大が政治問題化している。このような日米での所得格差の考え方の違いは、「所得が何で決まるべきか?」という価値観にある。アメリカでは「学歴や才能」で所得が決まるべきと考えている人が多く、日本では「選択と努力」以外の才能や学歴、運などの要因で所得格差が発生することを嫌っている。
*このような価値観の違いをわきまえずに、“貧困大国”とかいってわざわざアメリカのことを腐したり、それを読んで「新自由主義はダメだぁ~」というのは軽率ってことだね。そもそもアメリカの貧困層がそこまで困窮しているなら、なぜ、メキシコなりカナダに逃げないのか? 現政権を大多数の市民(貧乏人を含む)が選択していることを忘れてないか?

●市場が失敗することもあれば成功することもある。市場の失敗をもって「市場は悪い」というのはいかがなものか。市場が失敗する例は多いが、市場がうまく機能する場合も多い。スーパーに商品が並び、売れ残りや品切れがないのは市場経済が上手くいっているから。ソビエトではどうだったか? 市場経済のメリットを感じないのは、空気のありがたみを感じないことに似ている。
*100%同意。機会平等を奪い、少数のエリートが計画経済を主導する政治がどれほど派手に失敗したか(ナチスドイツ、大日本帝国、ソビエトロシア、毛沢東の中共、ポル・ポトのカンボジア……etc)。過去に学べば、社会主義や共産主義が大多数の国民に幸せをもたらさないことは明らかなんだけどね。「市場競争のメリットを最大限生かし、デメリットを小さくするよう規制や再分配政策を考える」(78頁)ことと、初手から金持ちから毟って貧乏人に配ったり、“頭の良い”政治家や官僚が経済政策を主導することには、天と地の差があると思うんですよ。

――と、読みどころの多い本だけに、政治、経済に少しでも興味があるのなら、手にとって損のない一冊だと思います。

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