2010年4月27日火曜日

立浪和義、「負けん気」:その1

昨年、惜しまれながら引退した立浪和義の自伝『負けん気』をようやく読んだ。技術的な話も名勝負のエピソードもない「典型的な野球選手の自伝」で、読み物として面白いものではなかった。ただ、長い現役生活を一つの球団で全うした“天皇”の心境が垣間見えた点と、理想の監督像を語っているところは興味深く、いろいろと考えさせられた。

第七章:転機<レギュラー争い>の一節に――

「2006年、首脳陣から、はっきりと森野将彦とのレギュラー争いを宣告されてキャンプが始まった」(163頁)
「若い頃からレギュラーで試合に出してもらっていたので、チームメイトをライバルと認識したことは一度もなかった。抜かれる選手はいないと思ってやってきた。競争を宣告されたその年も、誰かを意識することはなかった。~~中略~~競争して後輩に負けるとはまだ全然思っていなかった」(164頁)

――とある。

「チームメイトをライバルと認識したことは一度もなかった」という言葉。新人の頃、不動のレギュラーだった宇野勝をセカンドにコンバートさせてまで、ショートとして使いたがった星野仙一監督の厚遇を受け、20年近くに亘って「レギュラーを失う恐怖」を一度も味わったことのなかった“天皇”ならではのものだろう。

入団時からエースを約束されていた江川卓でさえ、西本聖をライバル視していたように、どんな大物選手であってもレギュラーの座は保障されるものではないし、チーム内のライバルの存在を脅威に感じているものだ。にも関わらず、敢えてこのようなことを書いたことについては、レギュラーを守り続けてきた男の<プライド>とも取れるし、新人の頃からスターとして扱われてきた男の<思い上がり>とも取れる。

ただ一ついえることは、チーム内でアンタッチャブルな存在であり続けなければ、こうした境地には辿りつけないのだろうということだ。

そんな立浪がレギュラーの座を失ったのは、06年7月1日のこと。この日、スタメンサードで出場した立浪は、相手チーム(広島)に三盗を許してしまう。この日の試合は手前もTVで見ていたが、「おいおい立浪何やってんの? あ~あ、谷繁スゲー目で睨んでるし……」と、その粗雑なプレーに呆れていた。

この日のことを立浪は、実に詳しく述懐している。
(つづく)

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