2010年4月18日日曜日

落合vs野口、「故意死球疑惑」の伏線とは?:その2

今中慎二の『悔いは、あります。』(ザ・マサダ)は、今中自身が生い立ちから引退までを綴った自伝本だ。大産大付属高校でしごかれた日々や、中日でエースに上りつめるまでの道程、伝説となった「10.8決戦」の真相などが、余すところなく記録されている。

なかでも、自身がライバルと認める前田智徳選手と落合との勝負の内幕を明かしている第6章は、一番の読みどころだろう。落合については、「よき先輩だった落合さん」から「ミスター三冠を敵にまわす」まで11頁に渡って書き綴っている。

そのなかで、今中自身が忘れられない試合と述懐しているのが、96年8月10日、東京ドームでの巨人戦だ。

松井秀喜選手に3ランを打たれ、スコアは2-3。1点リードを許しているものの、巨人先発の川口和久は4回でマウンドを降りていた。中日ベンチには、このまま抑えていれば逆点の目も十分あるという雰囲気が満ちていたという。

7回裏、2アウトランナー2塁で打席に立つのは落合。ヒットで1点を奪われれば、決定的な追加点となる場面だ。

「『絶対に抑えてやるぞ』 僕は心に決めた。一塁ベースは空いていた。それに相手が相手だ。勝つためには歩かせるのが定石だろう。もしボール、ボールと2球続いてしまったら、その時は歩かせてしまっても仕方がないかな、との思いも頭によぎった」
「しかし次の瞬間、そんな弱気は吹っ飛んだ。バッターボックスに入った背番号60(ママ)の落合さんは、じっと僕をにらんでいたのだ。静かに闘志が湧き上がってくる。よし、勝負だ――。」(160~161頁)

マンガのように燃える場面! しかし、キャッチャーの矢野輝弘選手はインサイドの真っ直ぐを「ボールになるように」と要求する。そのサインに首を振る今中。しかし、サインは変わらない。要求通り、インサイドへ明らかにボールとなるストレートを投じた。2球目のサインは何か? また、インコースへボールとなるストレートだ! ここで今中は、ベンチが最初から落合を歩かせようと考えていることに気づく。

「歩かせるのであれば、アウトコースに外せばいい。~~中略~~しかし、当時のドラゴンズは、いや星野監督はそうは考えていなかった。『タダで歩かせるな』 監督はいつも口にしていた」
「『同じ歩かせるにしても、インコースに投げて外せ。相手に怖い思いくらいはさせろ。その姿勢を持つか持たないかが、次の勝負を左右するんだ』 厳しい人だった」(162頁)

ベンチの考えを理解した以上、サインに首を振るわけにはいかない。今中はバッターボックスに引かれているラインを目がけて全力でストレートを投げ込んだ。投げ損じではない、胸元をえぐるボール。コントロールミスも全くなかったという。しかし、今中が投げた瞬間、落合は思い切り身体を開いて構え、腕をたたんでフルスイング! 打球はレフトスタンドへ消えた。

「初球、インコースにボールとなるストレート。これを見逃した時点で、もう一球インコースに来ることを予測していたのだろう。かつてはドラゴンズのユニフォームを着ていた落合さんだ。こちらのベンチが考えていることは、すべてお見通しだったに違いない。だから投げる瞬間、めいっぱい身体を開いたオープンスタンスに切り替えたというわけだ。~~中略~~ボールになるコースに投げたのに、完璧に読みきられてホームランを打たれたのは、激しくショックだった」(163頁)

今中の回想したシーンは、Youtubeにもアップロードされている。
今中慎二 vs 落合博満 他(該当シーンは5:50頃から)

野口が落合に死球を与えたのは、この11日後のことだ。つまり、この今中の“恐怖を与える敬遠”の大失敗こそが、11日後の死球の伏線だったと考えられるのではないだろうか。星野仙一監督は、同じような局面で同じような失敗を繰り返したくないという考えから、バッテリーに対して「今中の時より、より厳しく攻めろ」(身も蓋もなくいえば「恐怖を与えるんじゃなく、ぶっ壊しちまえ!」)と命令したと思われるのだ。

あの死球が故意か否かは、野口自身に聞かなければわからないことだ(仮に口を開いても故意死球を認めるわけはないが)。ただ、残されている映像だけでなく、こうした伏線があったことを知った以上、手前の中では、「あの死球は限りなく故意に近かったものだろうな」ということを確信しています。

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