2010年4月19日月曜日

江川卓が美化した思い出、「巨人―阪神論」:その1

先ごろ発売された江川卓と掛布雅之の対談本『巨人―阪神論』(角川oneテーマ21)が実に面白かった。といっても、別に目新しい話があったわけではない。掲載されているエピソードの多くは、既刊本や雑誌、TVなどで語られているもので、新味という点では乏しいものだ。ではなぜ面白かったのか? 

「江川さん、アンタ前に言ってたことと全然違いまっせ!」

22年前に上梓された江川の自伝『たかが江川されど江川』(新潮社)と読み比べてみると、かなりの部分で話が食い違っているのだ。以下、江川を巡る代表的なエピソードについて、『たかが江川されど江川』と『巨人―阪神論』の内容を比べてみたい。

A:20勝達成時のガッツポーズ

「だから、僕はあの日、早のために、正子のために、ノーヒット・ノーランを狙って、後楽園のマウンドに立ったのだった」
「ノーヒット・ノーランはできなかったが、試合終了と同時に、僕は思わずガッツ・ポーズをとってしまった」
「それまで、自分はガッツ・ポーズとは無縁だと思っていた。九回二死になれば、ほぼ試合の行方はわかっている。わかっているものに対して僕は感動しない。が、この時ばかりは、意識とは別の回路で体が動いてしまった」(たかが江川されど江川:126頁)

「闘志が出ないって? マウンドでですか? 僕はね。ガッツポーズをやる瞬間を決めていたんですよ。例えば日本シリーズ。あれは、まあ、たまたまできたんですけどね」
「それと20勝した瞬間ね。その時だけやると自分は決めていたから。普段勝ってもガッツポーズやら闘志を見せる仕草は別にやる必要はないというふうに自分で決めていたんですよ」(巨人―阪神論:110頁)

B:オールスター8連続三振時における大石大二郎への投球

「初球、二球目と真っ直ぐを投げたが、彼のバットはピクリとも動かない。大石君はカーブを狙っているのではないか、そう思った。よし、それなら裏の裏をかいてカーブをボールにしてやろうと考えた。この日の僕の女房役、中日の中尾君(現巨人)のサインも『カーブをボールに』だった。こうして僕は、迷わずモーションに入った」
「しかし、ここで欲が出てしまったのである。ボールが手を放れる瞬間まで『カーブをボールに』のつもりだったのに、ふと、それまでの八人のうち栗橋さん、石毛君、伊東君の三人を外角のカーブで三振に仕留めていたことが頭をよぎったのだ。~~中略~~外角のカーブがストライク(空振りするかも)に行ってしまった」(たかが江川されど江川:144頁)

「いやあ、本当の話を言うと、迷いながら投げちゃったというのが正解なんですけどね」
「ここでインコースにストレートを投げたら三振だというのは、もう分かっていたんです。これは、さっきの話じゃないけど、自分で分かるんですよ。でも一瞬、こう思ったんですよね。『三つ目にドーンといったら三振で9連続だけど江夏さんの記録に並ぶだけだな』と。『江夏に次いで2人目』と書かれた次の日の新聞がちらついたんです」
「あわよくばカーブを振ってくんないかなと思ってね。それなら振り逃げってあるじゃないですか?」
「あの時は、キャッチャーが山倉和博じゃなくて中日の中尾孝義(現阪神スカウト)だからね。中尾君のサインは真っ直ぐだったのよ」
「そう。クビを振ってカーブを投げちゃったわけ。~~中略~~思わずパスボールになんないかなとカーブを投げちゃったんだけど……」(巨人―阪神論:110~111頁)

C:ランディ・バースに献上した場外ホームラン

「投手には思わぬところに“落とし穴”があるものだ」
「捕手とのサインのやりとりの中にも、その“落とし穴”はある。例えば僕の場合、マスクをかぶっているのは山倉であることが多いが、自分が投げたいと思っている球と、山倉が僕に投げさせたいと思っている球とが、見事に一致する――そんなケースは、一試合に何度もあるわけじゃない。それでも、たまたま一致したときに、僕の言う“落とし穴”が口を開ける」
「『よし、山倉も同じことを考えてくれた。あいつと同じなら大丈夫だ』」
「これが曲者である。決して油断するわけではないけれど、打者へ集中すべきときに、『これで打者より優位にたった』と思わず知らず気がゆるんでいるのだ」
「この気のゆるみがコントロールを微妙に狂わせてしまうことがある」
「バースに打たれた球も、まさにそれだったように思う」(たかが江川されど江川:149頁)

「8回のバースに5打席目が回ってきちゃたんですよ。これは計算外。打席の様子をパッと見たら、バースがバッターボックスで半歩下がったんです。バースは認めないかも知れないけど、確かに半歩下がっていたんです。それを見た山倉が、アウトコースの真っ直ぐを要求して構えていたんだけど、自分で『5打席目になって、アウトコースに投げるのか』と思ってね。インハイに行った」
「ダメだとは分かっているけど、そこに行った。ここで打ち取ったら最高だと思って勝負に行ったら、もう場外でしたよ(笑)」(巨人―阪神論:115頁)

・20勝達成時のガッツポーズは「思わずやってしまった」のが「やることを決めていた」へ
・大石大二郎へのカーブは「サインは一致していたが気の迷いで」が「サインが合わず気の迷いで」へ
・バースへのインハイ勝負は「サインの一致により甘い球を投げた」が「サインを拒否し勝負を強行」へ


以上、3つのエピソードの語り口は、22年を経て、このように変わっている。いずれも、「剛球投手だけど少し抜けたところのあるキャラ(2.5枚目)」から、「ストレートの勝負にこだわった誇り高い投手キャラ(2枚目)」へと美化しているように見えるのだ。
(つづく)

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