2010年2月28日日曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その3

またまた引き続き『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)を紹介。

与田、永易からもちかけられ八百長を行なうも、二人とも好投して失敗する。永易にいたっては、八百長を引き受けながら三試合、12イニングを通して2失点という好投だった。結果、藤縄は神戸から雲隠れせざるを得なくなる。福岡に落ち着いた藤縄は、八百長仲間の名倉とともに益田、与田、永易と会見する。

名倉は、「みんな、いっぺんだけでええんや、藤さんを助けたってんか」
与田は、「藤さん、いくら損したの」
「もう神戸へいてられへんのや」
選手たちは私の言葉が、多少なりとも、のみこめたのであろう。与田と永易は恐縮しきった態度で頭をぴょこんとさげた。
二人は、「いままで、せっかく引き受けながら勝利投手になって、すまない。つぎのロッテ戦には益っさんが先発のはずだから、なんとか考えよう」といった。私はこの言葉にはもう興味が薄らいでいた(92~93頁)


結局、益田自身がこの試合に五十万円賭けたこともあってか、八百長は成功。藤縄は3人以外の選手に渡りをつけるため、西鉄が春季キャンプを行なっている島原に赴く。狙いは二線級の3人ではなく、エース級の池永正明だった。

この機会を逃してはと思い、田中に池永を紹介してくれと頼んだ。
田中は、「池永か、あいつはオレの後輩で、オレのいうことなら、なんでもききよる。じゃ、紹介してやろう」
「おおきに、一緒にみんなで飲みに行こう」
話は案外簡単にまとまり、博多市内のクラブに田中、池永の二人を招いた。
そこで、田中が池永を紹介してくれた。池永はなかなかの好青年で、遊びも場なれしていた(98頁)


池永との接触に成功した藤縄は、今度は西鉄の野手も巻き込んで「より確実な八百長」の工作を画策する。

「バッターまでやれるやろか」
永易は「まかせとけ。オレは船田とボレスをやらせる。三十万円ずつやってくれたらな」
与田は、「オレが頼めるのは村上と、基だが、多分承知してくれるだろう」
「大丈夫やろか」
「藤さん、心配するなよ。大丈夫、大丈夫」
二人は声をそろえていった。話は意外と簡単にまとまったのである。
「早いほうがええのやが、いつやれるか」
「大阪の南海戦でやろうか」
「あんたたちの都合のええように頼むわ」(109頁)

渡辺は永易に船田とボレスの礼金だと六十万円、与田に村上と基の礼金六十万円をそれぞれ渡した。
私は、益田には四十万円、与田にも四十万円、永易は当日登板しないので、ポケット・マネーとして二十万円渡した。
名倉にはこれまで迷惑のかけっ放しなので、せめてもの償いと思い、試合の内容(打たないようにする)を教えた。まずこの試合は九分九厘成功する――
投手はもちろん、打者四人をとめているから……ナインのうち五人までが、息のかかっている試合はどう考えても、確率百パーセントに近いわけだ(110頁)。

南海と西鉄は抜きつ抜かれるの死闘を演じたが、結局、リリーフの与田が打たれたこともあって南海が勝利。八百長は成功する。ここでボレスに八百長を持ちかけたことが、後の八百長発覚につながった。同じ頃、八百長仲間の名倉はロッテを舞台とした八百長工作に参加していた。

「バッテリーだけやない。バッターまで押さえてるのや。これがほんまの八百長やろ」
私はおちょくられているようでちょっと腹が立った。
「竹村がな、二十万、三十万張ってきよったら、百パーセント、ロッテの負けや。ピッチャーはSやろ、あいつ札付きやでな」(115頁)

「先発はだれや」
「Kや……」
「へえ、Kもやりよるんか」
「そや、KとDが、がっちりかまされてるんや」
「それだけか」
「ちゃう(違う)、棒(打者のこと)もいかれてるんや。それに外人選手もや」
もう、このころになると、ロッテの試合は、裏に何かあるという評判がひろまって、阪神間の胴元連中が、受けてくれないまでになっていた(117~118頁)


その後、藤縄は田中に誘われてオートレース八百長に手を出すが失敗。西鉄への八百長工作を画策する。与田、益田への工作では失敗続きだったため、エースの池永を巻き込もうと考えていた。

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