昔の野球と今の野球のレベル差について、
「トップ選手は変わらないかも知れないが、それ以外の一流~準一流選手の技術は打率にして2分程度向上している」
「昔はクリンアップだけに全力投球していれば良かったけど、今は1~8番まで気が抜けない」
という話を書きながら、去年11月に行なわれた日本プロ野球(NPB)U26選抜vs大学日本代表とのゲームのことを思い出した。
このゲームで2回表に登板した大嶺祐太投手の投球は、実に素晴らしいものだった。シーズンオフであること、“花相撲”であることもあってか、いくぶん力を抜いたように見える投球――ストレートのスピードは常時140km/h前後――ながらも、大学日本代表の4、5、6番バッターに、文字通り手も足も出させなかった。
そんな大嶺投手も、NPBの一軍を相手に投げるとボコボコにされてしまう。少なくとも09年時点では時々150km/h台を計測するノーコンピッチャーでしかない。渾身のストレートがコーナーに決まれば、プロのバッターでさえ手がでないものの、ボールが先行してしまい、カウントをまとめるべく“ボールを置きにいく”と狙い打たれてしまう――というレベルだろう。
大学日本代表に投じられたストレートは、まさに“ボールを置きにいく”感覚で投げられたもののように見えた。だからこそコントロールも抜群だったのだろう。このボールに手も足も出なかったのは、一重に大学日本代表のレベルが低かったからだ。
そんな大嶺投手が、50年前のNPB……例えば対巨人戦で投球していたとしたらどうなるだろう?
「王、長嶋は150km/hの全力投球で押さえ込む。でも、残りのバッターは130km/h程度で“ボールを置きにいく”だけで十分抑えられる」となったのではないか?
もし、このように“ボールを置きにいく”投球を中心にピッチングを続けていくのであれば、肩やヒジの消耗具合も違ってこよう。肩、ヒジの消耗は、投球数の多寡もさることながら、投球するスピードの高低が大きく左右するためだ。
豪速球をたくさん投げれば、それだけ肩やヒジの消耗が早く、緩い球を少ししか投げなければ、肩、ヒジの消耗は抑えられるということ。例えば山本昌投手の投手生命の長さは、当人の頑健な身体に加え、さほどストレートのスピードが速くない――デビューから現在まで常時計測では130km/h半ば――ことも大きな要因といえる。
青田昇の『サムライ達のプロ野球』には、数々の投手の伝説が活写されている。
「延長28回を一人で投げ抜いて4対4で引き分けている。これはプロ野球の延長戦の世界記録だそうだ。だが、ここで驚くのはまだ早い。野口さんの場合、その前日の二十三日にも、朝日軍相手に1対0の完投シャットアウトを演じている」(野口二郎。90頁)
「彼は中三日で投げるのが一番調子がいいと言っていた。中四日をあけられるともう機嫌が悪い」(別所毅彦。173頁)
「当時監督は明大先輩の迫畑正巳氏で、投手陣は手薄だから、思う存分、この後輩投手を酷使したものだが、一度たりとも嫌な顔をしたことがない。喜んで連投でもなんでもやってのけた」(秋山登。277頁)
このようにガンガン投げ続けられたのは、「クリンアップ以外、手抜きができた」からこそではないだろうか。全ての打者に全力で立ち向かう投球スタイルであれば、このような活躍は難しかったはずだ。
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