2016年8月17日水曜日

一冊で、いまの世界を大掴みに知ることができる『兵頭二十八の防衛白書2016』

◆タイトル:『兵頭二十八の防衛白書2016』

◆目次
●Ⅰ――ロシア編
●Ⅱ――中東編
●Ⅲ――アフリカ編
●Ⅳ――オセアニア・南シナ海・南西太平洋編
●Ⅴ――インド・パキスタン編
●Ⅵ――中共・台湾編
●Ⅶ――米国編
●Ⅷ――朝鮮半島編
●Ⅸ――日本編

兵頭二十八師の新刊『兵頭二十八の防衛白書2016』(草思社刊)を読みました。2014年から毎夏発刊されている同シリーズも今年で3冊目。どんな内容かといえば……って、同じようなことを3回書いても仕方ないですからね。シリーズの紹介については、以下のリンクを参考にしてください。

アメリカや中共のプロパーでも工作員でもない人の説く「2014年の東アジア情勢」を知ろう
第一章だけで一冊分以上の価値がある『兵頭二十八の防衛白書 2015』

さて、新刊の特徴は、目次を見ればわかる通り、「いま、最もホットな地域から順に紹介していること」にあります。普通、こういう類の本であれば、「初手は中国、次に米国と強く当たって、あとは流れでお願いします」みたいな感じのものが多いもの。実際、軍師もベストセラーである『こんなに弱い中国人民解放軍』を上梓してますしね。

が、今回は初手からロシア、次に中東、アフリカと、中国、朝鮮半島、米国と比べれば日本とは縁遠く感じる――ロシアは隣国ですが、少なくともこの半年くらいは、尖閣問題のように喫緊に感じる脅威を与えていないように見えます。他の先進国首脳がブッチしているなかで、首脳会談を開こうとしているくらいの関係ではありますし――地域から筆が進められています。

でもですねぇ、この順番って決して奇をてらっているわけではありません。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、読めば一発で「確かに、この順番しかねぇわ」と納得できるものになっています。というか、クリミア侵攻→シリア派兵で、いまのロシアがなんとなくアレな感じであるってことはわかってはいましたよ。でも、新刊を読むまでは、いまのロシアを巡る状況がここまで凄いことになっていたのか! ということは理解していませんでしたからね。

あと、11月に決まるアメリカの新大統領を巡る動きについて。といっても選挙の行方ではなくて、両候補のいずれかが大統領になった場合でも、日米関係が決定的に変わってしまう可能性について、仔細に論証している点も見逃せません。

軍師曰く、「トランプ氏は筋金入りの『反日』である。(中略)彼の反日感情は決して一時的な思いつきや集票戦術ではない。コアな信条になっているのだと端的に理解した方がよい」(274~275頁)というドナルド・トランプが大統領になったらどうなるのか? 

手前は、「いや、神輿は軽くてパーが良いっていうように、周りのスタッフにはイヤでも優秀なのがつくし、スターリンみたいな独裁者でもないんだから、対外政策は案外穏当に進むんじゃないの?」って思っていました。しかし、オバマ大統領の政策決定が、文字通り“君側の奸”によって歪められていたこと――新刊の中見出しでは、「イカれた大統領の側近たち――氷山の一角?」「有能アドバイザーと無能側近」「『スターリン』と呼ばれる、有力な大統領側近の情報操作」「NSCに素人大学院生ばかり集まるとどうなるか?」(261~265頁)――を知ると、軍師の警告には大いに耳を傾ける必要があると思ってしまうところです。

3冊目でもはや伝統になりつつある『兵頭二十八の防衛白書2016』。この手の本としては、客観的に見て内容&コストパフォーマンスが最高レベルに高いので、外交とか安全保障なんかが気になる人は、まずは手に取ってみるのが吉ですよ。

2016年7月31日日曜日

しばらく更新を休止します

5月に起こった件の影響です。何をやっても砂を噛むような気がしてしまい、仕事も通常運転となっていないのが現状です。気が滅入ることを書いてもしょうがないので、しばらく更新を休止します。

それにしても、ここまで尾を引くとは思いもしなかった。何事も経験してみなければわからないものだなぁ。

2016年6月4日土曜日

6月6日より通常営業の予定

本日、連絡がとれる状態へと復帰しました。
山積したメールを全て読み、返信を書いているところです。
ご依頼いただいていた仕事については、改めてメールでお送りいたします。
また、新たな仕事については、しばらくお引き受け出来ませんので、ご承知おきください。

都築有 拝

2016年5月21日土曜日

やんごとなき事情により、しばらく家を留守にします

6月までは電話、メールとも連絡がとれません。新たな仕事もお引き受け出来ません。
現在お引受けしている仕事については、メールにてご説明した通りです。
取り急ぎご連絡まで。

都築有 拝

2016年4月27日水曜日

タイトルに騙された!

・だってタイトルに「立志伝」って入っているんだもの。そりゃどうしたって『太閤立志伝』を思い浮かべるわけでね……って、何のことかといえば『信長の野望・創造 戦国立志伝』のことですよ。オープンワールドゲームのはしりとでもいうべき大傑作『太閤立志伝5』を期待して、9000円払ってみたら、遊べるのがブラウザゲーム――フルプライスで1200円くらいのやつ――レベルのRTSでしかないというね。まぁ、値段分遊ばなきゃ損だからと思って、里見家の宿老として天下統一しましたよ。ええ。でも、もう一回プレイしたいとは思わないなぁ。

・と、愚痴っているのは、今年に入ってから『Winingpost8 2016』(フルプライス)、『ブレイドストーム』(半額)とコーエーテクモのゲームを購入して後悔したにも関わらず、「ま、今月は還付金が振り込まれて懐がホカホカだし」と、発売日に購入してしまったからです。あわせて3本、2万1000円弱。これだけのお金を支払ったのに、得られた満足度は『デアデビル』(Daredevil)シーズン2を通し見したときより低かったんだから。文句の一つくらい言ってもいいでしょうよ。個々のゲームのダメな点については、敢えて言いませんよ。100%悪口にしかならないからね。それに言ったところで直るとも思えないし、よしんば直っても『Crusader Kings2』みたいに面白くなるとも思えないし。

・タイトルに騙されたといえば、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(Batman v Superman: Dawn of Justice)。いえね、手前は値段分くらい楽しんだんですよ。冒頭10分時点では、「ザック・スナイダーやるじゃんか。『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)より遥かにイイじゃん!」と思ってたし。バットマン&バットモービルのアクションは、ティム・バートン以降のバットマン映画と比べても段違いに素晴らしいし。ベン・アフレックはベン・アフレック史上最も渋いし。ワンダーウーマンも心底良かったし。でも、お話しの進め方が……ね。残念ながら「アメコミ界二大巨頭の決斗」に対する尋常じゃない期待値の高さに、十分応えられるような作品じゃなかった。

・ヤングスーパーマンを通しで2回見て、昨今のDCコミック原作ドラマを全部フォローして、かつ、『キングダム・カム』と『バットマン:ダークナイト・リターンズ』を読み、『インジャスティス:神々の激突』をプレイしているような人(=手前)であれば、「いろいろダメなところはあるけど、面白かったよ!」というポジティブな感想を残せます。でも、↑以外の圧倒的大多数の観客は、鑑賞中「何このキャラ?」「どーしてこーなるの?」というノイズにまみれるのだろうなぁ。

・映画といえば、今年ここまで見たなかでは『キャロル』(Carol)が最高だった。30歳なのに20歳にしか見えないルーニー・マーラもさることながら、ケイト・ブランシェットがハンパない。レディ・ゴダイバじゃないけど、あまりにも素晴らしすぎて目が潰れるかと思った。ホント、手前が思うにケイト・ブランシェットは、多分、演技のために悪魔に魂を売ってますよ。『ブルージャスミン』(Blue Jasmine)も凄かったけど、本作はそれを一周り上回る感じだもの(ギターのために悪魔に魂を売った例)。

・次点は鼻差で『クリード チャンプを継ぐ男』(Creed)。そこから3馬身差で『ボーダーライン』(Sicario)、『ルーム』(Room)かなぁ。

・最後に恐らくこの夏にDVDレンタルが解禁されるであろう『SUPERGIRL / スーパーガール』(Supergirl)について。1話が無料で見られるDVDってのがTSUTAYAでレンタルされていたので、早速借りて視聴しました。感想は「メリッサ・ブノワかわええ!」 続きが気になったので違法動画サイトで見てみたのだけど……。何とも物足りない。そんな感想を抱いてしまうのも、あまりにも出来が良くて面白かった『THE FLASH / フラッシュ』(The Flash)を見て以降、ヒーローモノの連続ドラマに対するハードルがグンと上がってしまったからなのだろうね。



2016年3月26日土曜日

現時点で世界一おもしろいドラマ『ハウス・オブ・カード』

2月半ば3月半ばにかけて、海外ドラマを中心に大幅なコンテンツのテコ入れを行ったHuluとNetflix。『ゲーム・オブ・スローンズ』(S1~S3)を筆頭に、『ソプラノズ』(Full)『シックスフィート・アンダー』(S1~S3)『スキャンダル』(S1~S2)『キャッスル』(S1~S4)ときて、しまいには『トゥルー・ディテクティブ』(S1)と『ドクター・フー』(S8)というキラーコンテンツをぶち込んできたHulu。一方、1月に『ジ・アメリカンズ』(S1~S2)、2月に『ベター・コール・ソウル』(S2)、そして3月4日に最強のキラーコンテンツ『ハウス・オブ・カード』(S1~S4)を投入し、『デアデビル』(S2)で追撃せんとするNetflix。

この1~2月までは、仕事以外のほとんどの時間を、この2つの動画配信サイトの視聴にあてていました。いやホント、見るドラマのどれもこれもが大当たりクラスの面白さなんで、一度見始めたら止められないのよ。3月になってからは、他に色々することがあったので、『ハウス・オブ・カード』を徹夜で見たこと以外、がっつりハマってはいませんが、これもまぁ、『トゥルー・ディテクティブ』と『ドクター・フー』の視聴を始めるまでのことでしょう。いや、手をつけたら、他のことに一切手がつかなくなることは目に見えているのでね。自主規制ですよ。自主規制。

というわけで、以下、この3カ月で見たドラマの短評。

・ハウス・オブ・カード 野望の階段(House of Cards。S3~S4):◎。現在、世界で最もおもしろいドラマシリーズ。S1も素晴らしかったけど、S2はその1.5倍素晴らしかった。S3はさらに1.5倍、S4はそれに加えて1.5倍素晴らしい。画作り、脚本、演出すべてが一流であることに加え、主演2人が超一流なので、そのクオリティは並みのハリウッド大作を軽く超える。実際、本作よりハッキリ上といえるのは、『ソーシャル・ネットワーク』とか『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とかのレベルだからね。

ケヴィン・スペイシー、ロビン・ライトの2人の演技は、恐らくキャリア最高レベル。周りがテレビ俳優ということもあって、相対的に2人の存在感がとてつもなくデカいものになっている。で、この存在感のデカさが、ドラマ世界での怪物っぷりに繋がっていて、その行動の説得力を大いに高めている。つまるところ脚本の“飛躍”につきものの疑問――視聴者の予想を裏切るため、登場人物に突飛な行動をとらせるor風呂敷を畳ませる際、その理由をロジカルに説明できないケース――を、一切合財主演2人の演技と存在感で帳消しにしてしまえるので、常にハナシを「予想を裏切り、期待を裏切らない」という最高の展開にできるということ。だからこそ、特にクリフハンガーを使っていないにも関わらず、徹夜してまでシーズンを一気見させるだけのパワーがある。

・ジ・アメリカンズ(The Americans。S1~S2):◎。手前的には過去最高のスパイドラマ。冷戦、KGB、レトロなスパイグッズ、リアルな変装etcと、手前のツボをつくポイントが実に多く、個人的には『ブレイキング・バッド』よりも面白かった。

本作の良さは何よりもリアリティラインが異様に高いところ。その理由は、「冷戦下、アメリカに潜伏したソ連スパイのホームドラマ」であることにある。すなわち、スパイ活動という超現実的なドラマに、現実そのものである家庭を織り込み、かつ、80年代の“時代劇”としたことが勝因。現実的なドラマであるため、本作ではCoDのイージーモードみたいな銃撃やカーアクション、格闘はほとんどなくて、やっていることといえば、「ハニートラップと盗聴、そしてハニートラップ」という具合。でも、それを仮面とはいえ夫婦がそれぞれ徹底的にやる――S1Ep1では、奥さんがよがっている声を録音したテープを無言で聞く夫のシーンあり。つまり、夫婦それぞれが別の相手と寝て、情報を引き出し、共有しているということ――ものだから、おしどり夫婦を演じているうちに、イイ関係になってきたものの、明日は別の男と寝て、おお、もう……というヤキモキ感がね、実にイイ感じで表現されている。現時点で最も続きを見たいドラマ。

・キャッスル 〜ミステリー作家は事件がお好き(Castle。S1~S5):○(3カ月前なら◎)。思っていた以上にハマった。こういう男×女のバディモノの最近のオリジンは、『ボーンズ』だろうと思うけど、『ボーンズ』にはハマらなかったものの、コンセプトをパクった『メンタリスト』とコレにはズブズブにハマってしまった。やっぱり男が軽薄で、女が堅物というところが琴線に触れるのだろうか。正直、各話の構成はほとんど同じ(=必ず4回以上のどんでん返しがある)だったり、娘がどんどんかわいくなくなっていくといった難点はあるけど、それ以上にメインの2人が魅力的だからね。吹き替えでながら見をするには最適の作品。

・タイラント -独裁国家-(Tyrant。S1):○(3カ月前なら◎)。アラブ版ゴッドファーザー。という評価をよく聞くけど、正確には「アラブ版、ソニーが生き残っていたゴッドファーザー」というべき。つまりドン(国王)の亡き後、武闘派バカのソニー(長男。皇太子)が無事に生き残っていたら、コルレオーネファミリーの栄華は続いていたのか? そして、インテリながらも実は豪胆なマイケル(次男。亡命先のアメリカで小児科医に就く)はどう立ち回っていたのか? をドラマ化したような作品。現在の中東情勢とアメリカの願望――全ての国家を民主化したいという叶わぬ夢――をベースに、裏切りと策謀、殺人が渦巻くドロドロの群像劇で、見ごたえは十分。とりわけドラマで実際に仕掛けられる“二虎競食の計”の仕掛け方は、セリフから演技から本当に見事。このシーンだけでも一見の価値はある。

・スキャンダル 託された秘密(Scandal。S1~S3):△。シーズン2前半までなら、限りなく◎に近い○だったけど、以降の展開がなぁ。大統領が女々しすぎる! ってことを手始めにいいたいことはヤマほどあるけど、そういう突っ込みを前提としたとしか思えないようなドラマと思うので、これ以上書くのはヤメにする。ともあれ、Huluで上がっているシーズン1~2までは、「DVDレンタルの金を出すには惜しいけど、動画配信サイトで見る分にはオトク」な内容であるとは思う。

・マッドメン(Mad Men。S6):△。S5までの幾何級数的に面白くなる感じはゼロ。ストーリー展開自体は起伏に富んでいるものの、見終わった印象としては「S1以来の単調な展開」だった。今回のテーマは喪失。メインキャストの多くは、シーズン最終話までに何かを失う。ペギーは恋人を失い、ピートは妻と子供と取引先を失い、ロジャーは母と娘を失い、ドンは妻、愛人、子供、仕事と全てを失った。

こうやって失い、転落するハナシばかりなので、成り上がっていく展開が少なく、盛り上がりに欠ける。だから、S3最終話みたいに超盛り上がる神回はゼロ。加えて「プレゼンで凄いコピーを披露して取引先をKO」するシーンもゼロ。このプレゼンシーンは、「特撮番組の必殺技」くらいに必須かつ盛り上がるシーンなので、シーズンに一つは入れてもらいたかった。ホントね、レーザーブレードのテーマが鳴らない宇宙刑事ギャバンの何が面白いのかと。

・参考:【ニコニコ動画】宇宙刑事・レーザーブレードのテーマ3連発!!!

このほかに『ベター・コール・ソウル』、『シックスフィート・アンダー』、『デアデビル』は、それぞれep1のみ視聴。それぞれ最後まで見たいと思わせる素晴らしい内容だった。



2016年2月26日金曜日

四の五の言わず読むべし『「地政学」は殺傷力のある武器である』

◆タイトル:「地政学」は殺傷力のある武器である
◆目次
・第1章 栄えている者はなぜ栄えたかを知りたい!
・第2章 マハンとセオドア・ローズヴェルトという史上最強のタッグ
・第3章 マッキンダーの地政学は何を語ったか?
・第4章 戦争と石油の地政学
・第5章 シナ大陸の地政学――マッキンダーの空白を補完する
・第6章 ドイツの地政学徒たちは何を言ったか?
・第7章 スパイクマンは何と言ったか?
・第8章 日本防衛の地政学

兵頭二十八師の新刊『「地政学」は殺傷力のある武器である』(徳間書店)を読みました。結論からいえば、「兵頭ファンなら絶対読め」「(手前にとっては)『新訳 戦争論』以来の大傑作」です。いやぁ、本当に面白かった。実際、本を開いてからは、2回のトイレと『午後の紅茶(無糖)』と『バンホーテン・チョコレート』を口にする以外は、ほぼ身じろぎすらせず最後まで読みきりましたからね。

どれくらい面白かったのか? といえば……ここにきて超面白くなってきた『タイラント』(マジでクーデターはどうなるの?)の最新話とか、先週Huluで配信が始まって以来、ハマりにハマってシーズン5を全借りした『キャッスル』(ベケットのデレっぷりとキャッスルの太りっぷりがヤバイ)とか、Steamセールで買って以来、ちょくちょくやり続けている『Cities:Skyline』(どうしても格子状の都市しか作れない!)みたいな誘惑があるなかで、こうした誘惑に人一倍弱く、かつ小学校の通信簿に「集中力に欠ける面があります」と書かれた手前にして、脇目を振らず一心不乱に読んでしまうだけの面白さがあった……ってことです。

その内容は、地政学の学術的な解説というよりは、「地政学に事寄せた、兵頭二十八の世界史」といった体の“歴史読み物”に近いといえましょう。といっても、単純な“歴史読み物”でもないんですね。「一冊一テーマ」を厳密に守ってきた、ここ数年の軍師の著作とは違って、初期兵頭本のような「一冊に雑多な内容が混在する」タイプに近い本だったりします。実際、第2章、第3章、第6章、第7章は、「人物評伝から始まって、戦史を軸に地政学の成り立ちを解説する歴史読み物」。第4章は、「石油争奪戦としての第二次大戦読み物」。第5章は、「遊牧民と農耕民の対立と融合という視点から見たシナの歴史読み物」。第8章は、「『日本の海軍兵備再考』のハイパーグレードアップ版」――といった感じです。

で、それぞれが面白いことは言うまでもないことなんですが、それ以上に嬉しいのが、「かつて発表した全ての所論を、大幅にアップグレードしている」ことです。それこそ「地理が政治を規定する」という兵頭流軍学の基本原理から、『ヤーボー丼』で示された河川交通を巡る所論、石炭と石油を巡る世界戦略のハナシや、「大日本帝国はこうやっていればバッドエンドにならなかった」のifなど、デビュー以来提唱してきた様々な所論を、地政学及び気候変動というフィルターを通してアップグレードしています。

加えて、これらの論がこれ以上ないくらいわかりやすく書かれているわけですよ。以下、一つ例を挙げてみましょう。

――フィッシャーは海軍部内の古手の反対者を追放して、戦艦のエンジンを蒸気ピストンではなく蒸気タービンとし、熱源も逐次に煉炭から重油化することとし、また主砲の口径を12インチに揃えて、その多数の巨弾の雨が一斉に遠くの狭い海面に落下することで高確率に敵艦をヒットすることを狙うなど、斬新なコンセプト満載の『ドレッドノート』型を密かに設計させて、14か月の突貫工事で1906年に初号艦を進水させました。――(124頁)

手前は、これ以上見事に要約された弩級戦艦の説明を読んだことがありません。このほかにも、「暑いと帝国ができやすく、寒いと都市ができやすい」(94頁。中見出し)などは、コロンブスの卵の極みですからね。いやもちろん、この見方自体が斬新ってことはありませんよ。気候と歴史を巡る様々な本で論じられてきたテーマですし。でも、ここまでわかりやすくバシッとフレーズ化できるのは軍師だけなんですね。

他にも書きたいことはいっぱいあるんですが、正直、頭がフットーしそうだよおっって具合なので、まとまりのないハナシを延々と書くのは止めておくことにします。古参の兵頭ファンほど面白く読めること必定なので、ファンを自任するのであれば、四の五の言わずにポチってください。

2016年2月15日月曜日

冬のあいだに観た海外ドラマの短評

観たけど覚えていないものも多数あり。『ザ・ラストシップ』とか『ヒーローズ・リボーン』とかね。あと、一応、採点の基準は以下の通り。

◎=誰が観てもおもしろい。もしくは個人的に年間ベスト級。
○=とてもおもしろい。もしくは個人的に年間ベストテン級。
△=まぁまぁ面白い。
×=面白くなかった。

・PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット(Person of Interest 。S4):○。エイミー・アッカーの七変化も良いし、サブで出てきたセラピストも良い。○評価の大部分は、女優陣のおかげ。もしかしたらジョナサン・ノーランと手前の女性の趣味は合致するところが多いのかもしれない。これまでの映画、ドラマでは見られなかったスマートな黒人ギャング(ITを駆使してNYを支配する)もフレッシュだし、これに対抗してマフィアのイライアスが反撃するプロットも見事。エアシューターを使ったアレには、「いやぁ、上手いナァ」と唸った。メインの展開は期待を裏切らず、予想通りに進むので、正直、驚きはなかった。ただ、演出が丁寧なので面白く見られるし、クライマックスもわかっちゃいるけど盛り上がった。

・ジェシカ・ジョーンズ(Jessica Jones。S1):○。良かった。主演2人は100点、雰囲気は90点、脚本は80点、ただしアクションは20点という感じ。正直、ジェシカのスーパーパワーを活かしていく展開を期待していたのだけど、ドラマでの描かれ方は、「ちょっと頑丈な力持ち」でしかないからなぁ。内容は完全に女主人公のノワール。ただ、これはこれで面白かったので、特に不満はない。

・SUITS/スーツ(Suits。S4):△。今シーズンも泥沼人間模様がメイン。しかもストーリーの流れは、近年のドラマのなかでも最も早い。ただし、法廷シーンがほとんどないので、展開自体は平板。実際、法廷シーンは罪状認否くらいで、陪審員を前に演説したり、証言するシーンはゼロ(証言録取はいっぱいある)。法廷外での戦いにおけるハメ方や裏技などのパターンも、S1~3までに出てきたモノの流用が多い。あと、これは個人的な好みなのだけど、マイクをあっさりと事務所に復帰させるのはいかがなものかと。クソビッチになったレイチェルに絶望し、正直者がバカを見て無職になったのだから、次の展開はどう考えたって『金色夜叉』しかないだろうよ。マイクvsハーヴィーの骨肉の戦い。見たかったナァ。

・私はラブ・リーガル(Drop Dead Diva 。S5):△。ここまで見て改めて実感したのが、初代守護天使の存在。あの軽薄さとロマンチシズムを絶妙にブレンドした役柄と、これを見事に成立させたベン・フェルドマン(『マッドメン』のマイクなど)の演技力があればこそ、ともすれば生々しくなりがちなストーリー展開への良いスパイスになっていたのだなぁ。あと残念だったのが、旧ジェーンと新ジェーンが法廷で対決しなかったこと。ベッタベタな展開だけど、旧ジェーンを出すのであれば、絶対に外してはいけない展開だったと思うのですよ。

・メンタリスト(The Mentalist。S6):△。S5までの面白さは雲散霧消。レッドジョンを巡る一連の動きに関するヒザかっくんな展開以上に、その後のFBI編の低調振りが残念。リグズビー、ヴァンペルトには大して興味がなかったけど、いざ、いなくなってみると味気なさが際立った。やっぱりオリジナルの5人がかもし出すケミストリーは確実にあったのだなぁ。

・スリーピー・ホロウ(Sleepy Hollow。S2):△。残念。モロクとの決着があまりにもあっさりし過ぎ。その後の親子・夫婦喧嘩展開は、そのロジックがあまりにもガバガバなので、全然乗ることができなかった。S1が本当に面白かっただけに、S2の失速には心底がっかりした。

・ナイトメア〜血塗られた秘密〜(Penny Dreadful。S1):×。S1Ep3で脱落。全巻レンタルして最後まで見なかったのは、たぶん、今回が初めて。ティモシー・ダルトン(俺の007)、エヴァ・グリーン(俺の嫁)が出てて、舞台が大好きな19世紀のロンドンなので、「たとえ中身が量産型スーパーナチュラルでも楽しめるはず!」と思っていたんだけどねぇ。

このほかに『ジ・アメリカンズ』(S1~2)、『マッドメン』(S6)を視聴。前者は近年稀にみる大傑作だったけど、後者は……。いずれにしても別のエントリで書くつもりです。

2016年1月18日月曜日

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その5

SLGに戦争を再現することはできない。なぜなら、ゲームとして成立させるために省略、抽象化しなければならない要素こそが、戦争の肝であるからだ。だからSLGをプレイするのは、スマホゲームをプレイするのと同じで時間つぶしに過ぎない――というのが、これまでつらつらと書いてきたことの結論です。

しかし、30年来のSLGファンとしては、この結論にちょっと異議を唱えたいところです。

確かにSLGは、戦術級のものでも戦略級のものでも、戦争を再現できているとは思いません。だからこそ戦争や作戦、将軍の心境などを疑似体験するために、戦術級のSLG――『大戦略』とか『信長の野望』の会戦とか『トータルウォー』など――を遊ぶことには、「いや、それで経験したことは、丸っきりウソだから」といいたい。実際、戦争を疑似体験したいのであれば、古今東西の戦記を読むか、チャンバラごっこをするほうが、よっぽど有益と思います。

でもですね、世の中にはいるんですよ。SLGを遊んだことで戦争を体験したような気になっている人が。14~15年くらい前のことです。手前がちょっと注目していたライターがいたんですが、その人が書いた戦記小説というのが、「あなた、『三国志V』で戦争を知った気になってない?」という代物だったんですよ。戦場に広く放った偵察要員からの報告(=100%正確)を元に、地図上のグリッドを埋めていって、敵軍団を居場所をリアルタイムで見つけて奇襲する参謀とかさ。このライターに限らず、「『信長の野望』や『大戦略』で戦争を知った気になっている」ような人はたくさんいますからね。

とはいえ、ここまではあくまでも戦術級のSLGを巡る特殊な遊び方についてのハナシです。これが戦略級のSLGとなると。時間つぶし以上の意味を見出すこともできるんじゃないかと思っています。

もちろん国家指導者の気分を疑似体験するために遊ぶことには反対ですよ。実際、常に正確な情報が把握でき、部下がサボタージュせず、なにより暗殺されることがない(=モニターの前に座っていて、いきなり後ろから刺されることは絶対にない)なかで、本当の意味での国家指導者の気持ちを味わうことなど不可能ですからね。

が、当時の国家のあり方、外交関係、戦争のあり方などを学ぶツールとしては、有益なのではないかと思っています。これは手前の経験なのですが、本で読んでいてもイマイチつかみ難かったことが、SLGをプレイすることでストンと腑に落ち、更に再読することで自分なりにしっかり把握できたことが、結構ありましたから。

最も古い体験では、中学二年生の頃に初めて『信長の野望・全国版』をプレイしたとき、「なるほど、自分の国の軍備をゼロにしたら、他の国から容赦なく攻め込まれるのだナ」という真理を理解したという経験があります。もちろんそれまでの短い人生で、「軍備を整えなければ、他国から侵略される」という真理を知ってはいました。が、それがどういうことなのか? を腹の底から理解したのは、『信長の野望・全国版』で何度も国を滅ぼされた後のことでした。同じように、核兵器による相互確証破壊という考え方がなぜ出てきたのか? についても、『Civilization』で何度も核戦争を行った結果、その意味を自分なりに深く理解できたものです。こうした効果は、本や映画のような受動的なメディアとは違って、能動的に選択を迫られるタイプのメディアであることや、リプレイ性の高さに故なのかも知れません。

もちろん、SLGをプレイしたことで目からうろこが落ちるような経験は、ゲームを遊ぶ前に、それなりに本を読むなり、映像作品を観るなりして得た知識を前提としたものです。いってみれば、これらの知識を頭で理解した後、深く身体に刻み込ませるためのツールとして、SLGを使ったといえるでしょう。まぁ、正確には期せずしてSLGを使ったというべきなんですが。実際、「よ~し、これから戦国時代を深く知るために『信長の野望』をやるぞ~!」なんて思うことなんて一切ないですし。SLGを遊ぶときは、「よ~し、これから天下を統一しちゃうもんね~」と、”織田信長ごっこ”をすることしか考えてませんから。

逆に、ゲームではイマイチ理解できなかったことが、本を読むことで100%理解できることもあります。手前にとって、そういった本の最高峰が「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」であるわけですよ。

それこそ、当エントリの「その2」、「その3」で書いたようなことは、20年くらい前からぼんやりと考えていたことだったります。が、これまでの人生で別につきつめて考えることもなく、そういった機会もなかったので、呂布が荀彧をコテンパンにする状況を横目で見ながら、何となく「これって何か変だよナァ」くらいに思っていたわけですよ。

こういった20年来のもやもやも、「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」を一読し、更にSLGをプレイするなかで、自分なりに言語化することができました。もちろん難解であることが定評となっている『戦争論』を、大づかみで把握できたことは言うまでもありません。結果、SLGファンとしても軍事ファンとしても、レベルが一つか二つくらい上がった気がします。

というわけで、今回、ここまでダラダラと書いてきた結論はといえば、今回文庫化された軍師の本は『隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ「戦争論」』は、とても面白いだけでなく、SLGゲーマーにも軍事ファンにとっても有用な情報がてんこ盛りになっているので、是非、ポチって読むべし! ということです。


2016年1月15日金曜日

「SMAP=源義経」。つまりクーデターではなく粛清

SMAP解散について。さすがに3年以上TVを観ていない手前でも驚いた。実際、発売日から四六時中プレイしていた『Fallout4』の手をとめて、半日一杯ネットで情報漁ったり、6年ぶりくらいに『週刊新潮』を買ったくらいには興味のあるテーマなので、以下、思うところをつらつらと書いてみる。

でね、このハナシって「源頼朝が源義経を追い落としたハナシ」と一緒でしょ?

つまり――事実上の外様軍団が、自勢力の拡大に向けた数々の戦いにおいて、これまでの常識を打ち破る戦術で勝利する。結果、自勢力において最高の実力者となるものの、自勢力のトップに警戒され、邪険に扱われる。それでも耐えていたものの、遂に自勢力の方針に逆らってささやかな栄誉を得た結果、公敵に指定され粛清される――というハナシ。

以上の文章のうち、義経とSMAPに共通するポイントは以下の通り。

①事実上の外様軍団=義経は側室の子。SMAPは事務所の落ちこぼれ。
②数々の戦い=義経は一の谷や壇ノ浦。SMAPはレコード売り上げや視聴率競争。
③常識を打ち破る戦術=義経は鵯越etc。SMAPはバラエティへの本格進出etc。
④邪険に扱われる=義経はどんなに勝っても褒美を貰えず、坂東武士とも交流できなかった。SMAPはどんなに売れても事務所内の序列が低いままで、他派閥と共演できなかった。
⑤自勢力の方針に逆らって=義経は関東に無断で官位を受けた。SMAPは事務所に無断で紅白の司会になろうとした。

現時点では、4人が脱退方針を転換して出戻りを懇願しているなんて報道もあるけれど、これを義経のハナシに置き換えれば、「うん、腰越状だね」と。

こういった「最高権力者が、叩き上げでのし上がってきた外様の№2を警戒して、後の禍根を断つために粛清する」というのは、古今東西最も由緒正しい粛清のあり方だものね。韓信、長屋王、エルンスト・レームと、パッと思いつくだけでもすぐ名前が出てくるし。

ジャニーズ事務所の方針が、「事務所の傍流であるSMAPはもう十分。お前らの席(レギュラー及びCM枠)は、全て嵐に譲れ」と決まった以上、このまま事務所にいても仕事がなくなるのは確実。実際、副社長がSMAPのマネージャーに行った最後通牒は、「今後、SMAPの仕事を取るときは、全て副社長の決済を取ること」だっていうからね。これを受ければ事務所に残れただろうけど、そうなれば大きな仕事は全て決済が降りず、小さい仕事しか回ってこなくなると。代わりに空いた枠は、嵐なりTOKIOなりV6が埋めていくわけで。多分、2~3年後には今の岡本健一か内海光司みたいな立場になる――ってことは、メンバー全員が理解していたはず。

で、こうしたセミリタイアに甘んじるようなタマなら、40過ぎても「世界に一つだけの云々」なんてバカな歌を真面目に歌って№1の地位を維持し続けているわけなんてないはずでね。出ても地獄、引いても地獄なら、ココは一発勝負をかけるしかない! という悲壮というか捨て鉢というか、とにかくそういう心境で脱退→独立を目指したんじゃぁないかと。

そういう状況の下、仲間を裏切って敵に尻尾を振るキムタクはねぇ……。これじゃぁ弁慶が義経郎党を裏切るようなもんじゃないか。それにしてもキムタクは、これから映画とかドラマに出たとして、どの面下げて「友情」とか「仲間」とかを語るつもりなのかね?

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その4

戦術級のSLGには、戦争の再現は全くできない――というのが、前回エントリの結論でした。では、前回指摘したようなツッコミどころを全て是正すれば、“将軍シミュレーター”としてより良いものができるのでしょうか?

以下、ちょっと「あるべき戦術級のSLG」について考えてみましょう。

例えば、大枠のシステムをTWシリーズに準拠するとして、その戦場の広さは40km四方くらい広大に設定。その戦場を鳥瞰することはできず、視点はあくまでも直率する部隊からの主観視点に固定される。当然、部隊の兵数、士気、疲労度などの情報は全て伏せられていて、兵数は自分の視野に入ってくる部隊に配属されている兵の数や規模感と、部隊長から上がってくる不完全な報告(=ポップアップ形式のメモ)でしか知ることができない。士気、疲労度なども、部隊の歩様や掛け声の大きさ、部隊長の報告から類推するしかない。これらの報告は、部隊長の性格や戦況の動きなどにより、過大及び過小に報告され得る。もちろん正確な情報が上がってくることもあるが、それを見極める方法はない。あくまでも複数の報告を照らし合わせ、自分の視野から見える情報(天気や兵の動きなど)から結論を導き出すしかない。

40km四方の広大な戦場であるために、真っ直ぐ進めば会敵するとは限らない。なので、前衛部隊を出すか、騎兵から偵察部隊を抽出して周囲を調べ、敵の位置や兵力などを探らなければならない。当然、偵察の報告も玉石混交となる。こうして情報を集め、情況を推測し、行軍方針、陣形、休養のタイミングなどを決め、各部隊に命令を下したとしても、その命令が各部隊に届くのは、ゲームのタイムスケールで30~1時間後となる。しかも、各部隊長が命令を履行しないorできないこともあり得るので、それを見越したバックアップ策も取る必要があり……。

とまぁ、こんな感じになるでしょうか。仮にゲームのタイムスケールを「1時間=6分」と設定しても、会戦が終わるまでにリアルタイムで7~8時間掛かかったりするでしょう。また、思うように部隊が動いてくれず、その動かない状況も正確に把握できないシステムであることから、ゲームプレイそのものがストレスの原因となるであろうことは、容易に想像がつきます。つまり、リアリティラインをグンと上げてしまうと、遊んで楽しいモノ、ゲームとして商品化できるようなモノにはならないということです。

こういった現実とゲーム性との折り合いをつけながら、「ゲーム的なリアリティ」を追及しつつ、売れる商品を開発することがゲーム会社の使命といえるでしょう。ですから、「なんだよ、戦術級のSLGなんてフィクションどころかファンタジーじゃねぇか!」みたいな文句をつけること自体が間違っているのかも知れません。

ただし、ここまでのハナシは、全て戦術級のSLGに限ったハナシです。これが戦略級のSLGになってくると、ハナシが大分変わってきます。というのも、戦術級のSLGにおいて、具体的に表現しなければならなかった各部隊の機動や士気、疲労といったものを、戦略級のSLGでは、上手い具合に省略できるからです。

具体的にどういうことなのか? 戦略級のSLGで手前が最も好きな、『Victoria2』(以下、Vic2)を例にあげてみましょう。

Vic2における会戦は、世界地図上で味方と敵それぞれの軍団(最小規模で3000人)がぶつかり合うことで生起します。ここまではTWシリーズと変わりありませんが、Vic2ではそこから戦術級のSLGに舞台が変わることはありません。会戦は自動処理され、早ければ1日、長ければ数ヶ月かけて決着がつけられます。

自動処理に盛り込まれているパラメータには、兵数に加え、軍団の技術レベルや部隊構成(歩兵、騎兵、砲兵の比率)、士気、補給レベル、戦場の地形、双方の将軍のスキル、厭戦気分などがあります。こうしたパラメータを合算したうえで、1日ごとに両陣営がサイコロを振り、その結果を受けて双方の兵数、士気が減り、最終的に士気が崩壊した方が敗走する形で決着がつきます。

このVic2の会戦システムは、非常に興味深いものなのですが、一々説明したら軽く10くらいのエントリが必要になるので、ここでは省略します。大雑把にまとめるなら、「自動処理におけるサイコロの目と諸要素の計算により、会戦における両軍の機動や攻撃、防御、奇襲などの要素を表現している」となるでしょうか。つまり、戦術級のSLGで不満に思う点が、全て抽象化されたうえで、数字に置き換えられているわけです。

その分、軍団の維持、行軍、強さなどについては、念の入った設定がなされています。例えば都市ごとに設定されている「補給限界」。これは大都市では多くの部隊が養える一方、田舎では数万人もの軍団を受け入れられないという事実をパラメーター化したものです。これにより、国境付近の田舎町数万人もの軍団を常駐させると、1日ごとに士気と兵数が減っていく――日々の食料がまかなえず、脱走兵が多発する――ことになります。これを避けるため、大軍団で侵攻するには、侵攻ルートを考え、軍団を分けて行軍しなければなりませんし、こうしたルートを考慮して有利な会戦場所を考えなければなりません。一昔前の『信長の野望』のように、四国の辺境の城に20万もの兵力を常駐させるなんてことはできなくなっているのです。

また、「補給限界」にあわせた小軍団であっても、敵地で露営すれば士気が下がりますし、冬の行軍では脱落者が続出します。それに国家の方針として厭戦主義及び非戦主義(与党が社会主義政党である場合に多い)をとっている場合には、軍隊への予算配分が減ってしまうので、その分、補給物資が滞るようになり、軍団全体のポテンシャルが落ちてしまいます。

以上のようにVic2は、国家的な視野から軍を動かすにあたってのリアリティラインが、結構高めに設定されています。なにより戦場の偶然をサイコロで再現し、軍における摩擦を補給限界や行軍、露営時の消耗度で表現する一方、部隊の機動や滞陣、奇襲などの要素は大胆にオミットすることで、戦術級のSLGが陥りがちなファンタジー性をなくし、逆説的にリアリティラインを高めているといえるでしょう。

では、戦略級のSLGは戦争をリアルに表現できているのか? といえば、残念ながらNOといわざるを得ません。理由は戦術級SLGと同じで、GNPから個々の軍団の兵数に補給比率、果ては国民の厭戦気分まで、あらゆる情報を100%正確に把握できる点にあります。では、これらの情報を全て伏せ、部下からの正確かどうかわからない数々の報告から類推できるようにすれば良いわけでもないってことは、上記のとおりです。

「だったらSLGなんて、スマホのゲームと同じで『時間潰しのツール』でしかないじゃん」

と言われれば、「その通り」と応えるしかないわけですが、それでもSLG、とりわけ歴史モノのSLGには、『時間つぶしのツール』以上の何かがあるはずだと思うのですよ。
(つづく)

追記:このエントリは次回で終わりです。



2016年1月12日火曜日

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その3

戦術級のSLGといえば、古くは『大戦略』のように、「ヘックス状に分けられたボード上にユニットを置き、ターンごとに動かす将棋の亜種」が主流でした。しかし最近では、こうしたターン&ヘックス制のSLGはほぼ絶滅し、もっぱら3Dで精緻に再現された戦場を、両陣営のユニットがリアルタイムで動くリアルタイムストラテジー(以下、RTS)が主流となっています。こうしたRTSのなかで、最も優れているゲームの一つが『Total War』(以下、TW)シリーズであることは、多くの人が認めているものと思います。

TWシリーズは、ローマ時代から中世、日本の戦国時代から幕末と幅広い時代についてゲーム化していますが、基本システムはいずれも同じです。そのシステムについて大雑把に説明すると、「各領域の地図上で、自国を発展させたり、敵国を混乱させたり、外交したりする」「数個~十個弱の軍団を各地に派遣して、攻撃or防衛に努める」「自国の軍団が敵国の都市or軍団とぶつかると、戦場のシーンに移り、戦術級のRTSである会戦が始まる」といった感じになります。

会戦では、山地や森、平原、砂漠、城塞都市などの広大な戦場で、自ら編成した数個~20個までの部隊を縦横に動かして、敵部隊を包囲したり、後背を衝いたり、森の陰から奇襲したり、タイミングよく突撃したり、ちりぢりになった部隊を再編成して逆襲したりetcと、刻々と変わる戦況を見ながら軍団を指揮します。リアルタイムで戦場を駆け巡る歩兵部隊や、突撃&追撃に精を出す騎兵部隊の動きは、まるで歴史物の戦争映画を見ているかのような迫力です。

【ニコニコ動画】Total War: RomeⅡ - ゲルマニア戦記 - 序章 第二話

映像だけでなく、個々のパラメータも細かく設定されているところも大きな特徴です。

部隊の前後左右にはそれぞれ異なる防御力が設定されていて、「前方は一番硬く、次に盾を持っている左側が硬く、後方が一番弱い」となっています。部隊には、士気のほかに疲労度があり、「長距離を歩かせたり、全速で走らせたり、突撃させたり、長い間攻撃を繰り返すと疲労度が上がる」「疲労をとるためには、敵の攻撃にさらされない場所で、じっとするしかない」「元気満々だと、突撃&攻撃の威力が高く、早足で機動できる。一方、疲労困憊していると攻撃に迫力がなく、のろのろとしか動けない」感じになります。

また、味方が優勢であれば、士気も高く、多少疲れていても無理押しできますが、後ろから攻められたり、包囲されたり、将軍が殺されたりすると、士気は激減。一定以上士気が低下すると、敗走し始めます。一部隊でも敗走を始めると、よほどのことがない限り連鎖的に他の部隊も敗走してしまいます。なお、敗走した部隊は、一切操作できず、退却するまで見守るか、逃げる途中で士気が戻り、再び操作できるまで待つしかありません。こうして全部隊を敗走させれば勝利、逆に敗走してしまえば敗北です(戦況が不利になった時点で投了もできます)。

部隊の攻撃力、防御力は、部隊の質(兵種なり技術レベル)により設定されていて、将軍の個性として攻撃力や防御力が設定されていないところにも好感が持てます。つまり、誰が軍団を率いていようと、技術レベルが同等である限りにおいては、兵数の多寡及び指揮の巧拙が勝敗を左右するということです。TWシリーズにおいては、呂布がジュンイクに100%勝つようなことはありません。

このようにTWシリーズの会戦は、戦術級のSLGとして実によく出来ているといっていいでしょう。しかしですねぇ、こんな“将軍シミュレーター”というべき完成度の高いゲームに対しても、やっぱり不満があるわけですよ。

以下、パッと思いつくことをあげつらうとですね。

「部隊を鳥瞰的に眺められるなんてあり得ない」
「全部隊の士気、疲労度や兵数などを100%把握できるなんてあり得ない」
「各部隊とも予測通りに動き、決して遅延、落伍しないなんてあり得ない」
「隷下の部隊が命令に絶対背かず、100%理解して行動するなんてあり得ない」
「無線のない時代なのに、逐次の命令変更が瞬間的に反映されるなんてあり得ない」

てな感じなります。もっとも最近のTWシリーズでは、最難関モードで「戦場を鳥瞰できず、直率する部隊の視点のみで指揮する」ことができたりします。それでも他の4点については、↑にある通りですからね。

こういった点について、実際の戦場ではどうなのか? クラウゼヴィッツの言葉から引用します。

――作戦の開始後に入ってくる情報は、正確なものなど一つもありはしない。特に野戦司令官のもとには、誇大であったり捏造された、不安をかきたてる情報の粗大ゴミが次々と波状に押し寄せてくる。
(93頁)

軍司令官が、隷下部隊の某指揮官に対し、「X日のY時までにP地点まで進出して、Z時からの総攻撃ではQ地点の敵を撃攘すべし」という命令を確かに下したのだが、その部隊がどういうわけかX日のY時になってもP地点にいっこうに姿を見せぬ……という齟齬・蹉跌は、実戦ではあたりまえのように起こる。大部隊を実兵指揮したことのない「机上戦史空想家」がしましば想到できぬ現実だろう。

某部隊は、突然の局地的大雨に遭って平地が泥濘化し、砲車が轍に埋まって進めないのかもしれない。大森林の中で方位を間違えたのかもしれない。欧州では磁石の針が真北を指さない所があちこちあるので……。指揮官が食中りの急性症状を呈し、弱気になって統率が混乱しているのかもしれないし、部下が反抗的になって強行軍をサボタージュしているのかもしれない……。
(96頁)

過去の著明な戦争の最高司令官たちは、残されている資料を読むと、まるで、みずから率いた国家や軍という<戦争マシーン>に内在する何の摩擦も覚えていなかったかのようだ。
~~中略~~
国家や軍という<戦争マシーン>は、個人の四肢のようには働いてくれない。――(270頁)


とまあ、かくの如しです。いくら士気や疲労度などが精緻に設定されていたとしても、そういった情報を100%正確に把握できる時点で、TWシリーズのみならず、他の戦術級のSLGの中身が、実際の戦争とは程遠い“何か”であるということ。見方によっては、それなりに重い竹刀や棒切れを使い、叩かれれば痛いことが確実な“チャンバラごっこ”の方が、戦術級のSLGよりもよっぽどリアルな戦争に近いとさえ言えるのかも知れません。

(つづく)



2016年1月9日土曜日

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その2

クラウゼヴィッツによれば、戦争をニュートン物理学のように綺麗に論証はできない。なぜなら、指導者や軍、銃後の無形の力を数値化することができないからだ。だからこそ、SLGで戦争を再現することは「不可能」なのである。

……というハナシが正しいとして、SLGで戦争を再現する努力は全くの無駄なのでしょうか?

そんなことはありません。いや、筋金入りの兵頭ファンであれば、「その通り!」と力強く宣言すべきなのでしょう。しかし手前は、良く訓練された兵頭ファンを自任する一方で、30年来のSLGファンですからね。「そんなこたぁない!」といいますよ。敢えてね(ってもう古いか)。

実際、いかに重要なファクターであるとはいえ、一部のファクターが再現できないからといって、全体を再現するのは無理! とばかりにゲーム化を諦めていたら、野球だって競馬だってゲーム化なんてできないですからね。それに、現実世界では無理でも、ごっこ遊びもいいからプロ野球の監督やダービー馬のオーナーになりたいという人は掃いて捨てるほどいます。で、ごっこ遊びでもいいから、カエサルとか織田信長みたいな英雄になりたいという人は、全てのスポーツの選手、監督になりたい人を合わせたより多いわけですから。そういった人々に向けて、ごっこ遊びのツールであるSLGを作るというのは、儲かるだけでなく、夢を売る有意義な仕事でもあると思うんですよ。

と、熱くSLGの必要性を語っているわけですが、一方で、現在上市されているSLGに満足しているわけでは全然ありません。というか不満ばっかりですよ。ええ。

パッと思いつくのは、『信長の野望』や『三国志』における「武将の能力値」。これほど納得のいかないものはないですからね。といっても、「石田三成の統率とか武力が低すぎる」とかいう、各武将の能力値の設定に合点がいかないといったハナシじゃないですよ。そんな程度の低いハナシではなくて、根本的なシステムのハナシです。

初代『三国志』では、全武将中最強の呂布が率いる兵力1の部隊が、最弱レベルの荀彧率いる兵力200の部隊に突撃したら、哀れ荀彧が負けてしまう(=200の兵力が0になるという形で負ける)ものでした。ここまで極端ではないにせよ、同じ兵力、同じ地形で部隊同士が戦えば、より武力なり統率なりの高い部隊が100%勝つのが、『信長の野望』や『三国志』の戦争です。ここでは両作品をあげつらっていますが、他のほとんどのSLGにしても同じことです。

でもこれっておかしくないですかね? 

呂布が戦いに得意で、荀彧が戦いを苦手にしていることはいいとしましょう。その得意のレベルを100段階で数値化するのもいいとしましょう。同じ兵力で戦った場合、「武力100の呂布が、武力20の荀彧をボコボコに打ち破るであろう」と予測できることもアリとしましょう。でも、いつ何時であっても部隊同士のぶつかり合いでは、呂布が荀彧を打ち破るというのはおかしいと思うのですよ。

だって、呂布にしても荀彧にしても、率いる兵隊の装備は大して変わらないわけです。で、呂布の率いる部隊とて、仮に完璧な両翼包囲をされてしまえば、カンネーの戦いにおけるローマ軍団のように負けてしまうことは必定のはずです。となれば、同兵力の部隊のぶつかり合いにおいて、武力100の率いる部隊は、常にどの部隊よりも強く、必ず勝てるという、能力値を基にした戦争システムは、やっぱりおかしいんですよ。

じゃぁ、どのようにして武将の能力を設定すれば良いのか? そのヒントになりそうなハナシを、以下、引用します。

――国家も軍隊も、分業で成り立っている。組織の分業がうまくいっているときは、大仕掛けの機会の隅々にまでよく潤滑油が回っているようなもの。その組織を動かす者には、特に天才など必要とはされまい。彼が指揮杖をひと振りすれば、半自動的に事は進むから。ところが、短期戦で勝つ見積もりが外れて長期戦になり、味方に敗け色が見え、誰もが疲れてくると、組織はさながら「潤滑油が切れて動かなくない機械」と化す。

~~中略~~

ナポレオンは、情況が不利になったときに、下級軍人たちの高次の名誉心を刺激して、高い文明を前提とする公的な栄光のために犠牲になろう、苦労しよう――と気力を奮い起こさせた。有能な将校たちには、フランス上流社会における「名将」の声望と社会的・経済的な地位向上を、戦場手柄によって求めるように促した。兵隊や下士官から将校に昇進する道は、フランス革命以来、常に開かれていた。

おかげで彼の機会は、ついど油切れになることはなかった。――(82~83頁)

このクラウゼヴィッツによるナポレオン評をベースに、戦いを得意とする武将の能力というものを考えてみるなら、以下のようになるのではないでしょうか。

例えば、「部隊の強さは<士気>の多寡で大きく左右される」「部隊は行軍や戦闘を続けると<士気>が激減する」といったシステムの下で、「戦いに得意な呂布が率いる部隊は、強行軍や連戦を続けても<士気>が下がりにくい」が、「荀彧が率いる部隊は、すぐに<士気>が下がる」といった感じなるでしょうか。

この場合、両部隊とも同じ地形、同じ<士気>でぶつかった場合は引き分けになります。しかし、3回、4回と戦い続けていくと、呂布の部隊に比べて荀彧の部隊の<士気>がダダ下がりとなり、荀彧が敗走することになるでしょう。一方、荀彧の部隊が、有利な地形から呂布の部隊を猛攻できた場合には、1回のぶつかりあいで荀彧が呂布を敗走させることもできるはずです。

このように単純な武力や統率といった数値の多寡ではなく、「部下を奮い立たせるスキル」、「強行軍をしても脱走兵が出ないスキル」といったシステムをベースに、ゲームがデザインされているのであれば、手前もここまで不満を抱くことはなかったと思います。

が、それでも部隊を縦横に動かして、ぶつけて、包囲したり奇襲したりするような「戦術級の戦争」(『大戦略』や『信長の野望』、『Total War』など)を再現するようなゲームであれば、やっぱりどこかしらに不満が残ってしまうわけで……。

(つづく)

2016年1月6日水曜日

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その1

兵頭二十八師の『新訳 戦争論』の文庫本が発売されました。タイトルは『隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ「戦争論」』 です。同書は、数ある兵頭本のなかでも最も好きな本で、これまでに5回再読――手前は一度読んだ本を再読するのが大嫌いです。どれくらい嫌いかというと、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を再読しなかったくらい――しています。で、このたび6回再読したところで、感想とか読みどころなどのエントリを書くつもりだったんですよ。でも、あまりにも好きすぎて、一歩引いて分析するのがなかなか難しいので、今回は、再読しながら思ったことを、つらつら書いていきたいと思います。

だったら何について書くのか? といえば、「コンピュータゲームにおける戦争の取り扱い」のこと。すなわち、『大戦略』や『信長の野望』から『Total War』『Victoria2』といったシミュレーションゲーム(以下、SLG)において、現実の戦争を再現することへの挑戦とか困難とかについてですよ。

SLGにおいて、戦争を再現できるのか?

この問いへの答えは「不可能」です。理由はハッキリしています。戦争における諸々の精神力のありようを、ゲームに置き換えられないからです。

「いやちょっと待て。それは<士気>で置き換えられるでしょ」

ちょっとでもSLGをかじったことのある人なら、↑のようにつっこむことでしょう。確かに戦場における部隊の強さなんかは、古くから<士気>の高低で表現されています。しかし、戦争状態にはいった銃後の怒りや諦観などまで数値化できるかというと、これは難しい。その理由について、『隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ「戦争論」』より引用します(以下、特に断りがない限り引用書籍は同書となります)。

――敵国の軍事的な抵抗力は、計測できるだろうか? これは数学的な意味では不可能だ。理由は、そこに無形の要素、たとえば「意志の力」「憎しみの力」などが、かかわるためだ。おかげで、ニュートン物理学のように綺麗に、「これだけ兵数で上回ったなら敵軍に必ず勝てる」などと論証することは誰にもできない。せいぜい言えるのは、「敵より有形的にも無形的にも強ければまず勝つだろう」「有形的に敵より少数であっても、無形の力が敵よりも著しく発揮されたならば、勝つかもしれない」ということである。当然に、敵もまたこちらに対抗して自由に努力を積みませる。

 なかんずく、無形要素の喚作には互いに上限というものはない理屈であるから、「こちらとしてはできる限り準備をしたうえで、特に気勢は充実させて臨むべし」といった、はなはだ文学的なアドバイスに落着させざるを得ぬ。残念だが、学問的には、この辺が誠実な総括だ。――(46頁)


実際、無形の力を数値化しようにも、互いに際限なく上積みできるものは数値化のしようもないんですね。10段階だろうか0から65535までだろうが、上限を決めた時点で、無形の力を再現しきれていないわけですから。

このように説かれても、「いや、そうはいったってどんな要素も数字に置き換えることは不可能じゃないでしょ」といいたくなる人も多いかと思います。例えば国民感情を10段階で表すことにして、10だと補給物資などが増え、部隊が強くなり、0だと逆になると設定。そのうえで自国の中核的領土に敵軍が侵入したら、国民感情が0から7とかに上がるようにすれば、クラウゼヴィッツのいう無形の力を表現できるんじゃないか? という反論もあり得るでしょう。

こんな指摘には、再度、引用で答えたいと思います。

――およそ、政治的目的が、戦争の動機なのである。しかし、その政治的目的なるものは、数値化できず、数学的計測にもなじまない。そしてまた、<政治的目的が大きく高くなるほど、戦争努力もそれにつれて猛烈なものになる>とも決まっていない。

政府の追及する政治的目的に、その国民大衆が深く同意しているときは、戦争のなりゆきがいかほど不利で苦しいものになろうと、その政治的目的は放棄されないだろう。

~~中略~~

乾燥した火薬の詰まった樽の一隅に火がついたら、瞬時に全体が燃えつくさないことなどあろうか。しかし、戦争はそのようなシンプルな、外力が介入しない化学変化過程とは違っている。戦争の火勢は、途中で衰えたりしずまったりするだろう。いつまでも燃え続けることもあれば、じきに消えることもある。――(50~55頁)


戦時下における各国家の指導者、軍、銃後の感情、士気、精神力etcは、会戦の勝敗、戦争の長期化などの展開により、ダイナミックに左右されます。が、「会戦に大負けしたら、必ず指導者の士気は激減する」とか、「戦争が長引いたら、必ず銃後に厭戦感情が沸き起こる」というわけではありません。場合によっては全く逆になることもあれば、大して変わらないこともある。偶然や些細なイベントによって劇的に変化することも少なくない……。つまり、「誰にも予測できない=シミュレートのしようがない」ってことです。

(つづく)