2014年12月26日金曜日

今年観た海外ドラマの短評

観たけど覚えていないものも多数あり。『ホームランド』とか『リベンジ』とかね。

・Arrow(S2):△。シーズン1より面白い。「実はあいつが生きていて~」みたいな展開については、放送局がCWなんだからしょうがない。リアリティレベルは高いように見えて、随分低めなので、肩肘はらずに見ていられる。大筋はシーズン1とほぼ同じで、要するに「バットマン・ビギンズ」を22~24epに渡って展開しているだけ。サラ(=ブラック・キャナリー)役のケイティ・ロッツは、ケツあご以外は文句なし。何より良く鍛えられたボディと、切れのあるアクションが良い。『マッドメン』で「野暮ったいカルフォルニアガール」を演じていたとは思えない。番組クラッシャーで有名なサマー・グローたんが結構出ずっぱりであったにも係わらず、シーズン3まで継続できたということは、それだけ番組に魅力があったからなのかも。

・私はラブリーガル(S4):×。シーズン3までは本当に面白かったんだけど……。シーズン全体の構成だけでなく、各話の法廷ドラマの出来も目に見えて質が落ちたような気がする。あと、これまではジェーンのハナシと対になるように、ステイシーのハナシが展開されていたものだけど、S4ではステイシーのハナシが随分減ってしまったのがねぇ。ステイシーファンとしては残念の極み。

・アウトランダー:○。8話まで視聴。原作も邦訳されたものは全て読んだけど、ドラマの方が面白さ、深みとも格段に上。S1E1の展開が結構ちんたらしているので、昨今流行のサッサとタイムトラベルするタイプのハナシに慣れた人には厳しいかも知れないけど、演者の魅力でグイグイ引っ張られる。ep2からはタイムトラベルモノの魅力がフルに発揮され、最高に面白くなってくる。原作に忠実なストレートなエロシーンが多いのも特徴的。

・アンダーザドーム:×。S1E2の途中まで視聴して脱落。ここまで見て、「あぁ、いつものキングね。ようするに『ザ・スタンド』とか『ミスト』みたいな展開になるのね」と早合点して自主的に視聴終了。聞くところによると『LOST』っぽいらしいけど、そもそも『LOST』みたいな「謎ありきのドラマ」が苦手中の苦手なので、どっちみち見続けても時間の無駄になるだろうと納得。

・Dr.WHO:◎。S4のクリスマススペシャルを視聴。S5からS7まで視聴して、ようやくマット・スミスに慣れたと思ったのに、いざ、デヴィッド・テナントを見ると、最初の1分で全部持っていかれた。もうね、彼は終身名誉ドクターでいいと思うの。

・ブレイキングバッド(S1~S5):◎。アメリカ文化の基礎教養レベルの作品。脚本、配役、演技。どれをとっても隙がない。面白さは文字通り破格。誰が見ても楽しめることは必定。これを見るためだけにHuluに加入してもいい。

・ハリーズ・ロー:△。S1E3まで視聴して中断。キャシー・ベイツはいいし、ブリタニー・スノウもかわいいんだけど、それ以上にコレといった魅力が感じられず。

・パンナム:×。S1E1で脱落。美術と衣装、CGは大したものだけど、肝心の脚本がダメ。ハナシの焦点が絞りきれていなくて実に散漫。女の一代記を見せたいのか、スパイ危機一髪を見せたいのか、ハイソなヤンエグの華麗な恋愛事情を見せたいのか。全部盛り込もうとして中途半端な出来になっている。

・グリム:×。S1E3で脱落。グリム童話をモチーフとした『量産型スーパーナチュラル』 ラスト近くに、あのエリザベス・マスラントニオ――トニー・モンタナの妹を皮切りに、90年代前半までハリウッド大作のヒロインをたびたび張っていた名女優――が出てくるというので、最後まで我慢して見ようと思ったんだけどねぇ。『スーパーナチュラル』でさえ、S1最後まで持たずに脱落した手前には厳しかった。

・ロストガール:△。S1E3で中断。こっちは女の子2人組による『量産型スーパーナチュラル』。主人公がサキュバスで、『スペースバンパイア』みたいな特技を持っているところが面白いし、サブの子もカワイイから見続けたいんだけど、それ以上の魅力がないところがなぁ。

・メジャークライムズ(S1):○。主人公がドニー・ダーコの母ちゃん(あるいは地球連邦大統領)になっても、面白さは相変わらず。手前的にはフリンとプロペンザの二人が元気でいれば、それで満足。脚本の完成度はいつもどおりハイレベル。良くも悪くも安定した面白さ。

・デクスター(S8):△。S5以降では一番面白くなかったかも。ラスボスが小物なのは仕方がないとしても、ハンナとの復縁とかデボラとの関係修復とかがね、ハナシの展開にあわせて無理矢理こじつけられた感がありありと感じられしまってね。ちなみにデクスターについての手前の評価は、「完成度ならS1。面白さならS2。でも一番好きなのはS3」という感じ。

・チャック(S5):△。ep1は面白かったけど、それ以降は尻すぼみ。これまで意図的に伏せられていたこと(サラの母親など)も全部開陳しつつ、広げっぱなしだった風呂敷をある程度畳むことに成功しているけど、展開が異常に早いので、脚本のアラが目立つ目立つ。フルシーズンでやっていれば大分印象が違ったんだろうけど……。終わり方については、まぁ、アレでいいんじゃないかと。

・ホワイトカラー(S4):○。いつかつまらなくなる! と思いながら見続けているものの、全然つまらなくならなかった。全シーズン、一定して面白い。アレックスが劣化したことと、番組内での扱いがぞんざいなことにナミダしたけど、それ以外にこれといった不満はなし。

・リゾーリ&アイルズ(S1~S3):△。刑事モノとしても家族モノとしても中途半端な出来なドラマだけど、タイトルになっている2人のキャラ造形があまりにも良くて、それだけで持っているドラマ。あと、オープニングについては、ここで取り上げた全てのドラマの中で一番かっこいい。

・スーツ(S1~S2):○。S1E1の出来が存外良かったので、その貯金で見続けているうちに段々とハマっていった。ヒロイン役は『フリンジ』に出ていたときとは打って変わって美人に撮られている。メイクと服装でここまで変わるのだね。

・アルファズ(S1):△。S1まで見て中断。S2はDVDをレンタルすれば見られるけど、お金を出してまで見る価値はないと判断。内容は劣化版『HEROS』。

・コバート・アフェア(S3):×。ジェイとお姉ちゃんの退場で、ハナシが一気に薄っぺらくなった。元々OLに毛の生えたようなアニーが、銃声に怯えながら書類を獲ったり獲られたりするような一風変わったスパイモノ――というのがウリだったのに、S2で戦闘訓練をして以降、良くあるアクションモノになっちゃったのがなぁ。

・パーソンオブインタレスト(S1~S2):△。S1E1は最高に面白かった。けど、以降はこれ以上に面白くはならず。S2はS1よりハナシがつまらないものの、エイミー・アッカー(加藤夏希の上位互換)、サラ・シャヒ(とにかくイイ女)という、手前の好きな二大TV女優が出てきたので、彼女たち見たさに視聴を続けた。

・ハウスオブカーズ(S2):◎。文句をつけるところは一つもなし。ドロドロした権謀術数が好きな人なら見ないと損。一言でいうなら“21世紀のアメリカ版夫婦坂”だけど、妻は耐える女では全然なくて、夫以上に野心があり智謀に長け執念深いという女傑。これを演じきるロビン・ライト(フォレスト・ガンプのヒロイン。そう、あの清楚系クソビッチ!)が本当に素晴らしい。

・エレメンタリー(S1):△。S1E8で脱落。ホームズ、ワトソンの配役、演技に文句をつけるところはゼロ。てか、BBCの現代風リメイクより好きだったりする。この辺はさすがにハリウッド俳優なんだけど、ここまでのところでは、お話自体に大きな魅力が感じられず。何というか、よくある刑事モノとあんまり変わらない感じがしてね。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年11月30日日曜日

「指揮官が悪いと部隊は全滅する」

――とは、プロ野球史上最多勝監督である鶴岡和人が、南海を退団するときに口にした言葉。この名言の価値、重さをズッシリと感じられるゲームが、中世村社会建設シミュレーション『Banished』ですよ。

11月初めにSteamにて半額セールだったので早速開発、日本語化MODを入れて遊び始めたわけなんですが……。チュートリアルをせずに「難易度ノーマル&小さい渓谷マップ」でチャレンジして30余回、連続で村を全滅させました(><)。

ゲーム開始時に4~5家族(20人弱)の人員と極僅かな食料、薪、服、道具と木材、石材、鉄材などの資源を持ってスタートするんですが、調子に乗って家を作ったりすると、人口が増えて薪、食料が足りなくなり全滅するし、猟師小屋ばかりを建てていると、不安定な食糧供給と薪不足により全滅するし、家、木こり小屋、薪切り小屋、漁師小屋などをバランスよく建てても、そこに働く人がいない&建物を建てすぎて資源不足に陥り薪がなくなり全滅……という感じで、簡単に全滅します。追放者の行く手に立ちはだかる大自然――舞台は開拓時代のアメリカだろうね。物々交換が基本でトウモロコシの種もあるってことは、少なくとも貨幣経済が成り立っていてトウモロコシのトの字もなかった中世ヨーロッパではないものね――は、本当に容赦ありません。

こんな感じで600人以上もの犠牲を払った結果、ようやくにして「ノーマルなら10回中10回は初年度の越冬を成功させられる」まで上達。ここまで腕を上げたことで、本格的な村の建設に着手すべく、「ノーマル&大きい山岳マップ」にて、Rorikstead――『Skyrim』で最も辺鄙な山村。馬泥棒のロキールと虐殺者エリクの出身地にして、赤のラグナルも滞在していたらしい隠れた名所――と名づけた地に桑を入れたわけです。

が、3~5年くらいは楽々と進められるものの、人口が100人近くになると、ちょっとした慢心及び環境の変化により、重いもよらぬ形で村が全滅するわけですよ(><)。

具体的に言うとですね……

・食料を多く備蓄すべく、6年ほど人口を増やさずに回していたら、熟練労働者が高齢化によりバタバタ死亡。
・労働力不足により一次産業に優先して労働者を配置し、二次産業を後回しにしていたら、道具不足により生産効率がガタ減り。
・結果、当年度の食料生産高が前年度比で30%減。薪の生産もカツカツだったため冬に餓死、凍死者が続出。
・学校を稼動停止にして、学生を無理矢理に猟師や漁師にするものの、非熟練労働者であるために思うように生産高が上がらない。
・その後も餓死者がコンスタントに増え続け、最後には人っ子一人いなくなる。

……みたいな感じですよ。このほかにも「ほんのちょっと家を作りすぎた結果、食料の生産が追いつかずに餓死者が発生。薬草小屋の熟練労働者を農家に回した結果、村人の健康度が下がり出生率が低下。少子高齢化が進んだ末に全滅」とか「移民を受け入れた結果、薪の備蓄が一切なくなり熟練労働者に凍死者が発生。これが食料生産に響き、数年後に村が壊滅」とか「竜巻により8人働いていた鉱山が壊滅。これにより鉄の生産がストップした結果、道具不足となり生産効率がガタ減りして、数年後に村が崩壊」とか。とにかく「安定軌道って何?」ってな感じでポンポンと全滅してしまいます。

とまぁ、このようにシビアなゲームなんですが、だからといって理不尽に難しかったりゲームバランスが悪かったりするわけじゃぁないんです。てか、システム、バランスともこの手のゲームのなかでは図抜けて素晴らしいんですね。人の配置とモノの生産、その結果起きることが、極めて論理的かつ厳密にマネジメントされているので、仮に村を全滅させたとしても、運やシステムのせいにすることなく、「村長である自分の采配が悪かったせいなのだなぁ」と100%納得できるわけですよ。

で、現在、Rorikstead建設(3日振り5回目)に邁進しているわけですが、20年目にしてようやく安定軌道に乗りつつあるようです。といっても、食糧生産高と消費量はギリギリで均衡していたり、近隣の森林を伐採しつくしたものの、ちょうど良い木こり小屋建設予定地が見つからなかったり、いつまでたっても交易商人が家畜を持ってこないので、中々良い服が作れなかったりと、潜在的な問題を抱え込んでいます。つまるところ死と隣り合わせの村ってこと。といっても、近代までは世界中どこでも餓死と凍死が身近にあったことを考えれば、いまのRoriksteadは“平時”ってことなんでしょう。日本語MODを使わず、Steamの実績解除を目指したこの村がどこまで発展できるのか? まぁ、仕事やHulu視聴の合間にちょくちょく進めていくつもりです。

追記:5~6年振りくらいに『Total War』シリーズを遊ぶ。Steamの“探索セール”で75%引きだったので、日本語化MODの導入が簡単であることを確認したうえで、『Total War:Rome2』を開発。前に遊んだのは『Medieval 2:Total War』だったんだけど、AIがあまりにもバカ――目の前で包囲機動をとられているのに全然動かないのね。まるで名乗りを上げているゴレンジャーに手出しをしない黒十字軍の面々くらいに無能――で、CPUが操作する教皇庁がムスリムと同盟を結んだことを確認した時点で、ソッ閉じ&ソフマップに販売したものです。翻って今作はAIがそこそこ賢く、映像も抜群にキレイで、「これはキャンペーンを完走してみなくては」という意欲を沸かせるくらいの出来にはなっています。実際にやってみたら、戦場で同数の相手に粉砕されたり、内政に時間をかけて磐石な体制を築いたと思ったら、隣国が2~3州を制覇していて太刀打ちできなくなっていたりと、久しぶりのプレイに四苦八苦。こんな感じで「やられながらコツを覚えるとき」ってのが、シミュレーションゲームをやっていて一番面白いときだからね。

2014年10月9日木曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その28

「史上の人物が実際に考えていたことを忖度し、これを肉声化できる」 これが歴史研究家としての兵頭二十八師の“強み”なのだ――

といっても、こうした類の“強み”を持つ人々は、実の所少なからず存在します。代表的な例を挙げるなら、小説家上がりの歴史研究家でしょう。なかでも松本清張や井沢元彦氏は、その双璧といってもいい存在です。

松本清張は言わずと知れた社会派推理小説の大家にして、『昭和史発掘』『古代史疑』といったノンフィクションの歴史本を書いています。一方、井沢元彦氏は、週刊ポストで長く連載している『逆説の日本史』の著者です。いまでこそ歴史本しか書かない作家として名が通っていますが、かつては江戸川乱歩賞作家として、数多くのミステリ、歴史小説を書いていました。

こういった歴史好事家の魅力は、なんといっても「想像の飛躍による通説の打破」にあります。一例を挙げるなら、井沢氏による「天智天皇と天武天皇の非兄弟説」を下にした壬申の乱の新解釈でしょう。日本書紀を基に練られた通説を「資料至上主義」と一蹴したうえで、日本書紀成立の背景(=天武天皇による御用史書)という視点から、生没年の明らかでない天武天皇が、実は天智天皇の異母兄であったと論証。そのうえで、本来、天皇になれるはずのなかった賤しい血筋の天武天皇が、大友皇子から天皇の位を簒奪した経緯を糊塗するために、史書を編んだ――というハナシを展開している『逆説の日本史 古代怨霊編――聖徳太子の称号の謎』は、20年前、若かりし手前も大興奮しながら読んだものです。

しかし、こんな感じで歴史のエピソードを面白くまとめられる一流小説家の想像力と筆力というのは、歴史研究という点においては、短所ともなります。

基本的な歴史教育を受けておらず、一次資料をしっかりと読み込まずに書くと、想像力が暴走して無駄に面白いハナシを書いてしまうわけです。結果、松本清張の『日本の黒い霧』みたいな陰謀論とか、井沢氏の信長神格化みたいな歴史修正主義っぽいハナシのように、一つの“おとぎ話”としてはベラボーに面白いものの、史実をベースとしたハナシや論文として見ると、極めて残念なモノにしかならなくなってしまうという……。

この点、軍師には隙がありません。まず、小説家上がりの歴史研究家と違う点は、一次資料をしっかり読み込んでいることです。

「え!? なんでそんなことが断言できるの?」

と思われるかもしれませんが、手前がここまで言い切るには、ちゃんとした理由があります。その理由とは、『日本の陸軍歩兵兵器』『日本海軍の爆弾』の著者であるということ。三八式歩兵銃の評価を180度転換させた古典的名著である『日本の陸軍歩兵兵器』と、特攻作戦の持つ一種の合理性を丁寧に論証した『日本海軍の爆弾』は、いずれも膨大な一次資料を丹念に読み込まなければ絶対に書きようのない本だからです。実際、すべての項目に細かなスペックが記載され、それまでの研究者が見逃していた事実を掘り起こしまくっているわけですよ。内容だって誤解を恐れずに言うなら、ほとんど「1.5次資料」みたいなものですからね。軍学者として、こういう実績をしっかり残してきているところは、小説家上がりの歴史研究家とは明らかに一線を画している点といえましょう。

加えて、軍学者を名乗る以前は劇画原作者として名を成すべく、せっせとシナリオを書いていたという経歴があります。

以下、『ヤーボー丼』の著者紹介より引用

「私がこういう評論を書くのを快く思わぬ人達もいるでしょう。しかし、私に評論を止めさせたくば、ナイフもテッポーも必要ないんです。講談社、小学館、集英社、秋田書店…etcといったところのマンガ雑誌の編集部に、『今週の巻頭の作品は何だ。あんなものはすぐに打ち切って、兵頭二十八の原作で何か新しい連載を始めろ! 作画家は○○○[←ここにその雑誌で一番絵のうまい作家の名前を入れる]だぞ、いいな』という内容の手紙を書きましょう。ひとりが1社につき100通ぐらいは出してください。その甲斐あって週間で16ページ、月刊で32ページ以上をコンスタントに貰えるようになったら、もうその日限りでこんなアルバイト、即止めますよ。ホントーです。あっ、そうだ、Vシネマの脚本もやりますので、ヨロシク!!」

このように茶化して書いていますが、劇画原作者or脚本家を目指して日々精進していたことや、M16を持った殺し屋が主人公の劇画原作とか、気象予報士が主人公の劇画で単行本にもなった『ヘクトパスカルズ』の原作をやっていたことは、古くからの兵頭ファンであれば誰もが知っていることです。

であるからこそ、膨大な一次資料から読み解いた史上の人物を、劇画原作の手法を応用することで一キャラクターとして捉えなおせる。そのうえで史書に書かれていない声なき声を代弁できるのではないか? というのが手前の考えです。

劇画原作者として修行した経験と、(少なくとも)大東亜戦争における帝国陸海軍について研究者以上の仕事を成し遂げたという実績――この2つのユニークな経歴があるからこそ、クラウゼヴィッツや孫氏(と注解者)、宮本武蔵といった史上の人物の肉声を再現できるのではないかと。

……って、今回のハナシは、今回発売された文庫とは全く関係のないモノになってしまいました。が、かねてからボンヤリと考えていたことを、ひとまずカタチにすることができた――というか、こういう本と関係のないハナシは、新刊の紹介では中々出来ませんからね――ので、個人的には大満足です。

ともあれ、今回文庫化された『日本人が知らない軍事学の常識』と、先に文庫化されている『日本国憲法廃棄論』の2冊を精読すれば、兵頭流軍学の半分くらいはマスターできるので、「これから兵頭流軍学を修めよう!」という立派な心意気を持った方は、是非、ポチってください。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。








2014年10月8日水曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その27

兵頭二十八師の新刊文庫『日本人が知らない軍事学の常識』が発売されました。この本については、新刊発売時に上梓したエントリで全て書き尽くしているので、「どういう本なのか?」について知りたい方は、以下のエントリを参考にしてください。

軍師にとって初めての軍学入門書『日本人が知らない軍事学の常識』
私家版・兵頭二十八の読み方:その16
私家版・兵頭二十八の読み方:その17

さて、今回の文庫化にあたっての目玉といえば、「付録 著者による旧著の解題」です。385頁から403頁までに取り上げられた著書は――

・大日本国防史――歴代天皇戦記
・新解 函館戦争――幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する
・あたらしい武士道――軍学者の町人改造論
・陸軍戸山流で検証する 日本刀真剣斬り
・新訳・孫子――ポスト冷戦時代を勝ち抜く13篇の古典兵法
・予言・日支宗教戦争――自衛という倫理
・日本人のスポーツ戦略――各種競技におけるデカ/チビ問題
・名将言行録――大乱世を生き抜いた192人のサムライたち
・人物で読み解く「日本陸海軍」失敗の本質
・新訳・戦争論――隣の大国をどう斬り伏せるか
・東京裁判の謎を解く――極東国際軍事裁判の基礎知識
・比べてみりゃわかる第二次大戦の空軍戦力――600機の1/72模型による世界初の立体比較!
・精解・五輪書
・極東日本のサバイバル戦略

――の14冊。過去の著作についてあまり言及することのなかった兵頭師が、「オレはこういう意図でコレを書いたのだ」と、ガンガン語っているので、これはもうファン必読です。

で、今回の文庫について……と、書こうと思ったのですが、実のところ解題を読んでいて、かねてから考えていた「歴史研究家としての兵頭師の“強み”」について、改めて思うことがありました。というわけで文庫の紹介は過去のエントリにまかせ、今回は手前が考える兵頭師の“強み”について書いていこうと思います。

*念の為に言っておきますが、兵頭師の歴史研究家としての側面は、安全保障を軸にあらゆることに通じている軍学者としての一面に過ぎません。もっと砕けた言い方をするなら、「持ち芸の一つ」ということ。

以下、解題にある一文を引用します。

『一事が万事で、旧来の『五輪書』の解説書は、ほとんど冒涜的なまでに、武蔵の「肉声」の再現に失敗している』
『クラウゼヴィッツがジョミニを強く意識しながらその名をほとんど出していないため『戦争論』が後代の読者にとって難解となったように、また山本常朝が柳沢吉保の出世をいたく羨望しながら「赤穂浪士義挙」を聞いて『葉隠』を書いたという個人事情を察しないとわれわれにとって危険であるように、武蔵が強く意識しながらもわざと名を上げていないことの数々(その出世を最も羨まれた柳生家から、「大工の大名」だといえた中井大和守正清に至るまで)が、細かく注釈される必要があるのだ』(400頁)

そうこれ。歴史研究家としての兵頭師の“強み”は、「史上の人物が実際に考えていたことを忖度し、これを肉声化できる」ことにあるんですよ。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年9月9日火曜日

今年観たドラマで一番のお気に入り『サン・オブ・アナーキー』を宣伝する

Huluのみの配信でDVDは海外版しかなく、かつDQN臭紛々なイメージボードにして、舞台が本邦とはまるで縁のないバイカー集団という、見る人を選び過ぎるほど選ぶドラマ『サン・オブ・アナーキー』(Sons of Anarchy。以下、SOA)。ググっても感想を書いているblogが1~2つくらいしかないほど不人気……というか、そもそも本邦において知名度が果てしなくゼロに近いドラマです(アメリカでは大人気でシーズン7まで製作決定)。

Huluについていえば、結構なヘビーユーザーであると自認している手前にして、↑のような先入観から、第1話を視聴するのに躊躇していたんですが、Huluでシーズン4を更新した際に何となくIMDBで出演者を見ていたら、ヒロインがマギー・シフ!!―― 『マッドメン』シーズン1でドンの浮気相手だったレイチェル・メンケンにして、女性の好みについて特殊な嗜好を持つ手前にとってどストライク(“秋の風物詩”の140km/hストレート以上にど真ん中)なルックスと空気感を持つ女優――であると知り、「これはヒロインを見るために視聴せにゃならん」(戸田奈津子風)と決心。即、マギーたんのヒロインっぷりを楽しむべく、布団と枕をイイ位置にセッティングして視聴したわけですよ。

で、見始めてみたら、これがもう本ッ当に素ン晴らしい。

食わず嫌いで見ていなかったことを恥じてしまうほど面白い。そりゃもちろん『ブレイキング・バッド』とか『ドクター・フー』みたいに、誰が観ても面白いドラマとは言いませんよ。でも、本邦において、このまま知名度ゼロで埋もれてしまうには、あまりにも勿体ないドラマだと思うので、以下、誰に頼まれたわけでもないけど宣伝します。

『SOA』とはどんなドラマなのか? シーズン4まで見終わった手前が定義づけるなら、「アメリカの西海岸を舞台とした、『仁義なき戦い・代理戦争』と『極道の女たち』を足して2で割ったような血みどろの群像劇」ってな感じになるでしょうか。

もう少し詳しく説明すると、『SOA』の舞台となるのは、カリフォルニア州にある架空の都市・チャーミングに本拠を置くバイカー集団『SOMCRO』(Sons of Anarchy Motorcycle Club, Redwood Original)です。バイカー集団とは、「革ジャンを着てハーレーに乗ってジャック・ダニエルズを回し飲みするようなアメリカ版珍走団」(=ヘルズ・エンジェルスみたいな集団)のこと。ただし、その実態はといえば、「ケンカといえば鉄パイプとチェーン」程度の珍走団みたいに大人しいものでは全然なくて、「ケンカといえばMP5とM4。あとC4も少々」という極めて物騒な暴力組織です。彼らのシノギは「銃の転売」。古くから懇意にしているIRA(アイルランド共和国軍)から武器を卸してもらい、これを黒人ギャングやチャイナマフィアに売りつけることで、日々の活動費を稼いでいます。

この『SOMCRO』の副総長を務めるのが主人公のジャックス。このジャックスを中心に、敵対組織や地元警察、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、連邦検事補などとの対立という縦軸と、義理の父と母、恋人と息子、『SOMCRO』メンバーとの人間関係という横軸の綴れ織りで展開するストーリー……というのが、基本的なハナシの構造です。

で、どんなハナシなのかといえば、製作者が語っているように、基本構想は「バイカー集団×ハムレット」というもの。ただし、ハムレット色が濃厚なのはシーズン1までで、シーズン2以降は、そこから大きく逸脱した過激な群像劇になります。

さて、ここで本題。このドラマの何が素晴らしいのかっていえば、一にも二にも脚本の出来です。ハナシの整合性やキャラクター造形の一貫性、練りこまれたセリフといった基本的なことはもちろんのこと、抗争における戦術とか、大仕掛けの罠とか、脅迫の仕方とかがね、実に良く考えられていて、本当に頭の良い脚本なんだ。

具体的にいえば、イケメンでケンカも強い副総長・ジャックスの描き方。彼は作中において最も頭の切れるキャラクターで、ATFや敵対組織の罠を看破しつつ、カウンターの策を仕掛けるという、諸葛孔明レベルの知略の持ち主として描かれています。

そう、ここでは簡単に諸葛孔明レベルの知略って書いているけど、これって文字にするのは簡単だけど、実際にドラマの中でこういうキャラクター描くためには、「脚本家が諸葛孔明レベルの知略」 すなわち知力100の脚本家じゃなければ描けないものです。

もちろん知力100ではなくても諸葛孔明レベルの知略を描くことは不可能じゃぁありませんよ。例えば知力65くらいの作家、脚本家ならば、「主人公の知力は65だけど、相手の知力を25くらいにする」という形……すなわち、相手を底なしのバカに設定すれば、主人公が相対的に優秀に見え、ひいては諸葛孔明レベルの知略があるようにも見えるという描き方もあります。

↑の手法で典型的な作品といえば『銀河英雄伝説』です。主要登場人物の作戦なり戦略なりは、冷静に考えてみれば全然大したものじゃないんだけど、その作戦なり戦略に相手がまんまと引っかかった結果、「奇術師ヤン」という伝説が生まれ、銀河の歴史がまた1ページ捲られていくという。といっても田中芳樹先生くらいに、読者に一切疑問を抱かせなほど物語に引きずり込む類まれな筆力があれば、↑の手法も上手くハマるわけですが、それでも再読すれば、「やっぱ相手がバカすぎじゃね」と思ってしまうのは否めないわけで……。

この点、『SOA』では、ジャックスのライバルであるATF捜査官のストール、連邦検事補のポッター、NORDOのソベルらの知力が90~80くらいはありそうなキレ者で、底なしのバカなんかじゃぁ全然ないんですよ。そんなキレ者の繰り出す策なものだから、基本的に頭の悪いジャックス以外の面々――古株で経理も得意なボビー(知力80前後)や総長のクレイ(知力60前後)以外は、全員低学歴なDQN(知力30~20くらい)――は、まんまと策に乗せられてしまうわけです。

しかも彼らが仕掛けてくる策というのが、実に周到でえげつない。本気で“殺しに来る”んですね。他のドラマとは違って、主人公達は実に容赦なく追い込まれます。たとえて言うなら、シーズン毎に「デボラに正体がバレたデクスター」クラスの窮地に追い込まれるということ。

追い込み方も本当にえげつなくて、結果、他のドラマでは絶対に死にそうにないキャラがバンバン死んでいきます。こいつは死なないだろうと確信できる(=主人公補正が掛かっている)のはメインキャストの3人くらい。全くもって気が抜けない。

で、シーズン通して混乱した事態を収拾しながら、時に味方を騙したり利用したりしつつ、シーズンラストでキッチリ反撃するジャックスがカッコイイ! カッコイイ!! カッコイイ!!! 本気で“殺しに来る”策を上回るカウンターを繰り出し、かつ、容赦なく追い込まれた状況をひっくり返す。そんな大逆転を「主人公補正」や「ご都合主義」をなるべく使わず――シーズン2の偽札やシーズン4のCIAは、一応伏線っぽいのはあったけど「ご都合主義」だわね――に実現するんだから、見終わった後に感じるカタルシスも超特大ってことです。

あと、ヒロインのマギー・シフが……とか書いていったら、本当にキリがないので、ここで強引に打ち止め。最後にシーズン4まで通して見た中で、一番のお気に入りのシーンはS2E7終盤の「ジャックスvsストール」 ここは普通に鳥肌が立ちましたよ。セリフも完璧、演技も完璧。なにより最後に脅迫されるストールの演技が凄い。文字通り一世一代のレベル。でね、このストールってのがね、本当に憎たらしく造形された素ン晴らしい仇役でさ……って、ダメだね。本当にキリがないね。

本当に最後に一言付け加えるなら、「『SOA』を見るためだけに1000円払う」価値は間違いなくある! ってこと。これだけは、2011年以来、200本以上の海外ドラマを観ている手前が太鼓判を押します。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。





2014年8月20日水曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:手前の考える「あるべきS6」

このあいだ、ツタヤの新作半額クーポンを使って『ゴシップガール』のシーズン6を吹き替えで視聴しました。2月に書いたとおり、S6は違法動画サイトで「字幕なし」のモノを見ていたわけですが……。さすがに英字幕もない動画では話半分どころか、1/3くらいしかわからなかったわけで、「この場面では、具体的にどんなセリフを言っているんだ」とか「ここで表情を変えたのは、こういう局面に至ったからなんだろうけど、セリフを良く聞き取れない以上、ハッキリしたことはわからないものなぁ」という感じで見ていたわけです。

で、吹き替えで見直してみたら、ハナシの流れが面白いようにわかるわかる! 実際、ダンがセリーナと“理想のデート”をした場面は、実はダンの××で……みたいな真相については、字幕なし原語版を見ていたときには把握できていなかったですからね。

こんな感じで――字幕なし原語版をつっかえつっか見ていたときに比べて相対的に――流れるようにハナシが進む吹き替え版を見れば、「一見荒唐無稽に見えるS6だって、実は極めてロジカルでかつ緻密な脚本で支えられているのだ!」と思ったり……はしなかったです。やっぱりねぇ、無理ありすぎ。

なもんだから、心の中でツッコミを入れまくりながら最終話まで見てしまったら、「オレがジョシュ・シュワルツなら、絶対にこうするのに!」という妄想が大爆発。以下、爆発の残滓をつらつらと綴っていくことにします(実の所、チラ裏以下の代物なので、よっぽどヒマな人以外は読まないで結構です)。

●あるべきS5終了時の状況

・S:全てを失いマンハッタンを後にする。
・B:新社長に就任。Dを振りCを選ぶ。
・C:社長を解任され無一文になる。
・N:誰にも頼らず出版社の社長として生きていく。
・D:Bに振られ、Sにコケにされ激昂。UESへの復讐を決心。
・G:UESへの復讐を目指すDに誘われ共闘する。
・R:Lとの諍いが発展し離婚する。
・L:Rと離婚後、がんが再発する。

――「実はバートが生きてしました」をなかったことにして、リリーの病気が深刻な形で再発させたこと以外は、ほとんど同じ。で、この前提から、手前の考える「あるべきS6」がスタート。

●あるべきS6の骨組み

<起>

・DはUESの面々を破滅させるため、暴露本による攻撃を試みる。少しずつ効果的に攻めていくため、ヴァニティ・フェアに各章ごと掲載する段取りをつける。

・Sはポキプシーに辿り着く。UESを出る直前に預金を下ろし、これで新しい名前とIDを手に入れ、別人(=サブリナ)となっていた。Sは地元の病院で受付事務をしながら看護学校に通う日々。UESの面々から見捨てられ、恋人も父親も失ったSは、これまでの生き方を痛切に反省。市井で生きる事を考え始める。

・Cは、Bの離婚のために会社の金を流用したことを経営陣に咎められ、取締役会で社長を解任された。反撃を目指すCは、Nの媒体を使ってバス産業のネガティブキャンペーンを張る。しかし、本格的に復権を目指すためには大きな資本が必要と悟る。

・Bは会社の経営に戸惑っていた。学生時代のようなやり方では会社は回らない。しかも、新社長披露の記事を取材するのは、学生時代にいじめていたネリー。良くも悪くも正直に書かれた結果、Bの信用は失墜。会社の業績は徐々に悪化する。

・Nは出版社の独立性を保つため、祖父からの資本提供を拒絶。結果、経営面で窮地にたつ。Cの依頼によりバス産業のスキャンダルを暴き、一時的に業績が回復した結果、紙面はより通俗的なものとなり、お堅い広告主からの信用を失いつつある。

<承>

・Dは紙爆弾を投下。あわせてG、ネリーと組み、UES3人組の信用失墜を狙った情報工作を行う。具体的には、ネリーが情報収集し、Dが策略を考え、Gが実行するという形。Dは容赦せずに手を打ち、UES3人組を窮地に陥れる。しかし、彼らとRを完全に敵に回してしまった結果、ブルックリンにもUESにも戻れず、女を引っ掛けその日の宿を確保するジゴロ生活を送ることに。

・UES3人組は、自らの状況悪化の多くがDの策略あると看破。UES連合として共闘する。第一歩としてDの人格攻撃と自らの抗弁を狙って大手マスコミのインタビューに答えた。しかし、ネリーが事前に察知。これを受けてDは、先手を打って自らの失態を明らかにした記事を投下。加えて三人の資産状況が悪化していることを暴露する。これによりUES連合はますます窮地に陥る。

・その頃、Sは市井の生活に安住していた。初めての労働と対価。お金のありがたみと、市井の生活のあり方をしみじみ感じる日々。いつしか市井の生活に慣れ、“自分探し”に成功しつつあった。

・一方Dも、Sに対してだけは紙爆弾を投下しなかった。理由はUESにおらず攻撃する必要がなかったため。そんな折、Lが病状の悪化により入院。Lは相続問題を整理すべく、本格的にSを捜しはじめる。しかし、別人となったSをなかなか見つけられない。

・Nは出版社の経営悪化に歯止めを掛けるべく、Dに連載を依頼する。現在、アメリカで最も注目を浴びている連載を、ヴァニティ・フェアから引き抜くことで、多くの読者を確保して広告収入をアップすることが狙い。仇であるDの手腕を認め、恥を忍んで頼み込む。これをDは快諾した。DはNを膝下においたことで、Nに対して自分が“よそ者”ではなく“対等の男”であることを認めさせたのだった。

・NがDの軍門に下ったことにより、CとBはより密接な関係で共闘する。しかし、Nの媒体は使えず、資本のないCは有効な手が打てず、Bの策略もDとGの“本気の共闘”の前に空振りするのだった。逆転の目を出すには、バス産業の大株主であるLの協力が欠かせない。しかし、入院中のLの病状は極めて深刻で、Cへの支援ができないでいた。

・Lの持つ切り札を使うためには、LからSへの相続問題を解決する必要があった。入院中のLからSへ一部資産を生前贈与するとともに、遺言書を公開することで、Sが新たにローズ家の当主となることを内外に公示する。その後Sが、Cへバス産業の株を移譲するという形で支援する。このスキームが成立することで、Cはバス産業への復帰が叶うはずだった。こうしてCが復活すれば、Bに対して物心両面でのサポートができる。そうなればCとBは一気にDへ反撃できる目算が立つのであった。最後の望みがSにあると見たCとBは、人知を尽くしてSを捜索する。

<転>

CとBは、ポキプシーの病院で働いているSを見つける。UES復帰を求めるCとBに対して、Sはにべもなく拒絶する。SはUESに戻る気はさらさらなく、相続放棄して弟に全て譲る考えだった。もし、弟に相続されてしまえば、Cが支援を受ける可能性はゼロ。というのも、弟は財産を全て同性愛擁護団体に寄付する決心をしていたから。弟は、自分が音頭をとってJを追い出したものの、そのことについて猛烈に後悔しており、「Jの人格を変えたUES」のことを嫌悪しているのだった。

・BはSを説得する。「私達は家族同然の中でしょ? 家族を助けると思ってUESに戻ってきて」 この泣き落としに折れ、SはUESに復帰する。

・UESの生活にすぐ馴染むS。確かに市井の生活には、生の実感が感じられた。労働の価値も身に染みた。しかし、自分の本質はローズ家の後継者であり、世界屈指の富豪であり、誰もが注目するセレブなのである――ということを改めて実感する。

・Sは、市井の生活では、毎日の仕事と看護師になるための勉強に必死で、男のことを一切考えずにいられた。しかし、UESの生活に慣れ、時間に余裕が出てくると、男のことを考えずにいられなくなる。ただし、男といっても思い浮かぶのはDのことだけ。ただし、Dに対しては愛憎半ばした複雑な気持ちを抱いていた。

・一方Dは、ジゴロ生活にむなしさを感じていた。恋人と父とUESの友人を失い、心を許せる人は誰一人いない。共闘するGとネリーは、利害関係が一致しているだけで友人ではない。加えて一緒に寝る女たちは、Dの金と名声が目当てであり、打ち解けた関係に発展するはずもなかった。こうして復讐に身をやつし、砂を噛むような日々を送るなか、Dは、これまでの人生で最も情熱的に生きたのはBとの生活だったが、最も幸せだったのはSとの生活であったと気づく。

・RとLが別れた以上、二人を分かつ障害はない。加えてSが市井の生活を知ったことで、別れの真因であった価値観の違いも克服されつつあった。SはUES流の生き方がノーマルではないことを、初めて知ったのであった。

・当初はわだかまりのあった二人だったが、Dが“戦略的アプローチ”をかけたことで、二人は急接近する。Dの“戦略的アプローチ”は、UESに復帰したSに対する紙爆弾のための仕込み。「心に隙間のあるSは、ちょっとしたアプローチで股を開く軽薄な女」という真実を書くためにやったことだった。

・Dの復讐は、UESの面々から“よそ者”と蔑まれず、憎まれても“対等の男”であると思い知らせることで完遂する。既にNは軍門に下り、CとBは陥落寸前。残るはSだった。Sを落とせば復讐を遂げられる。すでに仕込みは大成功し、あとは記事を載せるだけだった。しかし、罠に掛けたつもりが本気になってしまい、DはSに改めて恋をする。

・SはUESに復帰し、Dとの関係を復活させるなかで相続問題を整理。ローズ家の新当主となった。これによりバス産業の株式も引継ぎ、Cに対する支援ができるようになった。Cを支援することで、CはBを助け、これによりCとBは窮地を脱することができる。

・しかし、こうなってしまってはDの復讐は失敗してしまう。復讐を完遂するためには、二つの方法が考えられる。一つは、Sに対して紙爆弾を投下して、Sの信用を失墜させつつ、G、ネリーとの共闘によりCとBへ最後の策略をしかけること。いま一つは、Sと一緒に市井の人に戻り、UESを脱出すること。Dはより穏健な方法にして、二人の関係を永続化させる手を打つことにする。すなわち「財産もUESも捨てて、二人でローマに行く」という一手。

・DがSをローマに連れて行き、一緒に暮らすことができれば、Dは「Nを膝下におき」「CとBを無位無官にさせ」「SをUESの住人から市井の人に落とす」という形で、UESの住人と対等の関係になることができ、復讐を完遂できる。しかし、Sがローマ行きに賛同しなければ、SはCとBを支援し、二人は復活してしまう。

・Sはローマ行きを逡巡する。Dとの愛を取るか、Bとの友情を取るか。UESのノーマルではない生活を取るか、市井の実のある生活を取るか。これこそがSが大人になるために受ける最後の洗礼であり、選択なのであった。

<結>

・Lの後継者として様々なパーティの主役を張るS。UESの女王としての階梯を上っていくうちに、UESの魅力に改めて取り憑かれるS。一方Dは、改めてSをローマに誘う。

・Sは悩みに悩んだ結果、ローマ行きを断わる。失意にまみれたD。その手には紙爆弾の記事とラブレターの記事があった。紙爆弾を出せば、息を吹き返したSを貶め、CとBに止めをさせる。しかし、Sとの関係は完全に断絶する。Sを愛していたが、UESの女王となったSと交際を続けても、遠からず価値観の違いにより別れることは必定。結局Dは、復讐を諦めSとの愛を選んだ。連載は中止。ラブレター記事をSのポストに入れ、静かにローマへと旅立っていった。

・Sはラブレター記事を読み、自分がかけがえのないものを失ったことに気づく。全てを捨ててDを追い、空港まで行くが、すでにDは旅立っていった。Sは自分の失ったものの大きさを思い知る。二度と手に入らない愛。Sは自分の青春時代が終わったことを悟った。UESで最も権威のある委員会の新委員長に推戴されるS。Sは愛を代償にして、祖母、母と同じように、新たなUESの女王となったのであった。そしてバス産業の株式をCに譲渡し、CとBを救った。

●あるべきS6のエピローグ

20年後――

・Nはメディア王として名を馳せた後、NY市長となった。現在は二期目を目指すか、上院議員を目指すか、その去就に注目が集まっていた。

・Cはエンパイアホテル拠点に世界的ホテルチェーンを創設。新たな帝国を構築していた。Bは妻として支えつつ、アパレル会社を経営。2人の間には1人息子のヘンリーがいた。

・Dは、Sとの関係をベースとした本格恋愛小説を上梓。この本が評価された結果、暴露本作家からベストセラー小説家へとランクアップ。ローマに住み続け、女をとっかえひっかえしながら旺盛な作家活動を行っていた。

・SはUESの女王として君臨。3度の結婚を経て独身となっていた。そんな折、Sの住むアパートメントの委員会に入会希望者が訪れる。他の委員は入会に反対。曰く「マドンナも入会させなかったのに、新参の成金などを入れるのは論外」 しかし、名簿を見たSは他の委員を制して「まずは話を訊いてみましょう」と促す。入室してきたのはD。視線を交わし微笑みあう二人。

――完

というわけでGG関連のエントリはこれで完全に打ち止め。しっかし、今年始めに見始めたときは、ここまでズブズブにハマるとは思ってもみなかった。気づいたら『マッドメン』よりも多くのエントリを書いてるんだものなぁ。ドラマとしての完成度と面白さってのは全く別物ってことなのかもね。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年7月15日火曜日

アメリカや中共のプロパーでも工作員でもない人の説く「2014年の東アジア情勢」を知ろう

◆タイトル:『兵頭二十八の防衛白書2014』

◆目次

●Ⅰ部――わが国を取り巻く国際情勢
・第1章:米国 軍事予算大幅カットの趨勢
・第2章:中国 「軍による国の支配」と「間接侵略」
・第3章:ロシア 頼れるのは特殊部隊のみ
・第4章:朝鮮半島 北朝鮮をめぐる9つの疑問

●Ⅱ部――わが国の防衛施策の問題点
・第1章:憲法と集団的自衛権
・第2章:核武装でもMD(ミサイル防衛)でもなく
・第3章:エネルギー安全保障環境の激変にいかに対処するか
・第4章:空の安全をいかにして守るか
・第5章:中国の間接侵略にいかに対処するか

兵頭二十八師の新刊『兵頭二十八の防衛白書2014』(草思社刊)を読みました。横組みのペーパーバック風で、いかにも“最新情報をいち早くまとめました”的なスタイルの新刊は、軍師が後記で書いている通り「『日本人が知らない軍事学の常識』の最新版」です。以下、後記をそのまま引用します。

「『兵頭二十八の防衛白書2014』は、年刊としてシリーズ化され、これから毎年7月に(あっ、防衛省さんの『』日本の防衛――防衛白書』と偶然同じタイミングですね)最新版をリリースして参る予定です。草思社さんの英断に拍手!」
「思えば1995年刊の『日本の防衛力再考』(銀河出版)いらい、わたしは書籍や雑誌やブログや講演等を通じ、自衛隊や政府の安全保障セクションにいろいろな注文をつけてきたものです。そして昨2013年時点におけるその到達点は、この兵頭版防衛白書の「ゼロ号」だとも呼べる「『日本人が知らない軍事学の常識』にまとめておきました。「第1号」である2014年版の本書と併せ、ぜひそちらもお読みになってください。これまで国防の話になどご興味の無かった皆さんが、いきなり深い理解に到達してしまえるのです」(227頁)

目次にある通り、書かれていること自体は『日本人が知らない軍事学の常識』がベースですが、その内容はといえば、最新兵器事情や日々刻々と変わりつつある東アジア情勢への対応策がメイン。いってみれば「いまはなきMIL短blogで書かれていた情報を精製し、面白いところだけを抽出して、軍師独自の論説も大々的に上乗せしたモノ」といっていいでしょう。なので、内容面で既刊と丸被りしているところは存外少ないです。

20年前に比べて激変し、かつ日々変わりつつある東アジア情勢を巡っては、昨今大人気の“嫌韓本”を筆頭に、数多くの書籍や論説が出ています。著者は学者や元官僚、政治家を始めとするプロ中のプロです。が、これらの書籍、論説の90%以上はクズといっていいでしょう。

えっ? ド素人のお前が偉そうに何を言うんだって!?

いえね、ド素人でもですね、「アメリカのプロパー」や「中共の宣伝員」くらいの見分けはつきますからね。

えっ? どうやって見分けているのかって!?

そりゃまぁいろいろとコツはあるんですが、2014年7月現在時点において一番簡単な見分け方は――

●オスプレイ導入を超積極的に主張する人=アメリカのプロパー
●米中合作(=G2論。太平洋を米中で分け合い、支配する云々)を主張する人=中共の宣伝員

――ってとこですかね。

もちろん上記の論を、心底本気で主張しているプロパーでも宣伝員でもない人も少なからず存在します。が、そういう人は多分、アタマの造りが粗雑な手前よりも残念な人なんでしょう(上記の論がいかに誤っているかについては、新刊に余すところなく書かれています)。

で、これらのプロパーや工作員の言葉なんてものは、所詮、ポジショントークでしかないんですね。加えて、例えそこに一片の真実があったとしても、専門家でもなんでもない手前みたいな一般人にしてもれば、プロパガンダの洪水から、一々真実を選り分ける手間なんてかけてられないわけです。

その点、軍師はアメリカのプロパーでもなければ、中共の宣伝員でもないことはハッキリしていますからね。実際、日本国憲法廃棄論を主張(=サンフランシスコ講和条約への公然たる挑戦)している時点で、アメリカをハッキリ敵に回しつつ、中共のことを儒教国家(新刊では「朱子学は、宗教ではなく、専制的当地集団に都合のよい反道徳体系である」(113頁)と定義)として、その反近代性を徹底的に指弾しているんですから。これはもう、どう見たってプロパーや宣伝員、工作員じゃないことだけは間違いないってことです。

なので、東アジア情勢について基本的なことのみならず、より深い事情を知りたいのであれば、まずは軍師の論を読むのが一番! と、声を大にして主張したい。

……なんてことを書いているのには理由があってですね、実は昨今の日朝接近をタネに軍師絡みのエントリを書こうと思っていたんですが、新刊を読んで断念。改めて軍師の凄みを実感したからですよ。

というのも手前は、日朝接近について漠然と、「もはや韓国が敵であることは、国民の大多数が承知しているのだから、対抗上、韓国の主敵と気脈を通じるためにやっていることかなァ」「あ、あと、本当に崩壊したら米中にとってもやっかいだから、延命措置のため金を払うことをアメリカから要請されたのかなァ」くらいに考えていたんですよ。で、「そういえば軍師が7年前に北朝鮮に学べ(=韓国は敵であり、歴史的に友好関係を結べる相手ではない)ってテーマで本だしてたじゃん!」ということを思い出し、この辺のハナシについてのエントリを書こうとぼんやり考えていたのですが……。

軍師に言わせると、「北朝鮮は国としてもう終わりました」(3頁)ってことですからね。実際、その理由も一々説得力のあるハナシ――該当部分の中見出しは、・「核武装」の疑問、・核物質生産力の疑問、・粛清文化の疑問、・中共の態度の疑問、・口先挑発の疑問、・統一願望の疑問、・闇ビジネスの疑問、・半島からのエクソダスの疑問、・無人機の疑問――で、つまるところ軍師が7年前に披露した説をベースに四の五の書いたところで、最新事情を縷々述べた新刊が出た以上、↑のようなエントリなんて、アウトプットした瞬間に賞味期限切れなわけですよ。

というわけで、「なぜいま、日朝接近が行なわれているのか?」とか「北朝鮮、てか金正恩体制はどうやって崩壊するか?」みたいなハナシを知りたい人は、新刊を買うか、新刊に併せて上梓される論文(『Voice』9月号)を立ち読みするかしてください。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年6月25日水曜日

あえて書くけど、大口叩いていた奴らはどの面下げて帰ってくるんだ?

TVがないので観戦できたのは1試合目の前半だけだったけど、スコアやスタッツ、試合評などを見るに、どうも本来の戦い方ができていなかったorさせてもらえなかったことは確かなようで、その結果、グループリーグ敗退となったのは順当な結果ということかもね。強豪国のイタリアでさえ敗退するような大会において、120%どころか100%の実力すら発揮できなかった日本代表が勝てなかったのもむべなるかな。

で、1998年以来、曲がりなりにもW杯における日本代表を見続けてきた一素人が、今回大会の戦いぶりを見終わって思うことは、「発展途上の日本代表とて永遠に成長し続けるわけではない」「日本らしいサッカー=パスサッカーでは勝てない」ということ。

いまさらこんなことを告白するのは恥ずかしいんだけど、手前は今大会の日本代表の実力について、他のマスコミと同じように歴代最強と思っていました。実際――

・欧州トップリーグの主力が中心メンバーにいて、その他のメンバーも欧州リーグでレギュラーを張っていて、Jリーガーが数えるほどしかいないという陣容

・コンフェデ杯においてイタリアに4-3と善戦、親善試合でベルギーを破りオランダと引き分け、直近の親善試合で全勝という充実した結果

――から見れば、どこをどう見たって歴代最強というしかない。メンバーの過半数がJリーガーだったジーコジャパンや、親善試合で欧州中堅国にチンチンにされていたトルシエジャパンに比べれば明らかに強いチームでしょ? というのが手前の考えであり、恐らく日本国民の大多数もこのように考えていたはず。

で、歴代最強の日本代表が本来の実力を発揮できれば、グループリーグ突破も夢ではない。実際、南アフリカ大会で快挙を達成した岡田ジャパンよりも、個々の力が高く、かつ洗練されているチームなんだから。グループリーグ突破しなきゃウソ! というマスコミの報じ方についても、「今回ばかりは商売用のアオリではなく、中身の伴った応援っていえるんじゃないか」と思っていたものです。

が、蓋を開けてみれば1分2敗。試合内容も2点取られたら3点取るという“殴り合いジャパン”スタイルは影を潜め、3試合で2ゴールという有り様。精神面か身体面か技術面か、どういう理由かはわからないけど、ハッキリしていることは、W杯において本来の実力を発揮できず、決勝トーナメントに進めなかったという事実ですよ。

というわけで、何も出来なかった98年大会は置いておいて、自国開催の利があったとはいえ、グループリーグを突破したトルシエジャパン、完全アウェーでグループリーグを突破した岡田ジャパンと、歴代最強と謳われながら無様な戦いぶりで負けたジーコジャパン、ザックジャパンを見るに、「ジーコやザッケローニが志向したパスサッカー、コンパクトなサッカーでは結果を出せなかった。結局、戦術で選手を縛り、ガチガチに守って一発マグレを期待するのが日本の身の丈にあったサッカーなんじゃないか」と思わざるをえない。

ジーコジャパンが失敗した時点では、「所詮ジーコは監督として素人だった」「ポゼッションサッカーをするにはメンバーの実力が足りなかった」という言い訳ができた。でも、ザックジャパンは、「欧州トップリーグで結果を残した監督が、世界レベルの選手たちを指導したチーム」だからね。それでこの結果ということは、結局、日本代表は“パスでつないでパンパンパーン”(金子達仁©。それにしても頭の悪い表現だなぁ)みたいなサッカーで世界を勝ち抜くには実力が足りないってことなんでしょう。

ってことを書くと、「いや、日本代表はまだまだ発展途上。もっと強くなるはずだし、“日本らしいサッカー”を追求する姿勢は間違っていない」なんて反論が来そうだけど、これ以上日本代表が強くなるには、日本のスポーツエリートを根こそぎ持っていく野球から、より多くの才能を引っ張ってくるしかないと思うのですよ。実際、本田選手や香川選手、長友選手のような<世界レベルの選手>では勝てなかったわけでしょ? これ以上強くなるためには、エトーとかファンペルシー、イブラヒモビッチみたいな<世界屈指の選手>が必要だと思うのですよ。実際、こういった<世界屈指の選手>と比べて、日本代表の選手は貧弱な体躯とスタミナしか持ち合わせていないわけだから。これはもう技術以前の問題。

言葉を換えれば、田中将大投手やダルビッシュ有投手みたいな才能が幼少時からサッカーをやっていれば、多分、<世界屈指の選手>になっていたであろうことは容易に予想がつくし、このような感じで国内のスポーツエリートが根こそぎサッカーをやっていれば、今頃は人口で同じくらいのドイツ程度の強豪国にはなっていたはず。でもまぁ、これは夢物語――このような想像が現実のモノとなるためには、まずは甲子園のNHK中継が廃止される一方、高校サッカーが全試合NHK中継されることが大前提――だからね。

となると、日本代表選手の体力、体格がDeNAの2軍選手にすら遥かに劣る状況はしばらく続くわけで、ようするに本田選手や香川選手のような<世界レベルの選手>クラス以上の選手が出てくる可能性は低そうだということ(もちろん突然変異でマラドーナクラスの選手が出てくるかも知れないけど)。となれば日本代表の個々の選手のレベルがこれ以上高くなる可能性は限りなく低いと見積もれるわけで、つまるところ右肩上がりに強くなってきた日本代表の成長曲線が踊り場に差し掛かりつつあるってこと。

ということを前提として考えるなら、歴代最強チームで玉砕してしまったパスサッカー、ポゼッションサッカーを追求――個々の選手の実力に依存するスタイルを追求――するのは無駄な努力といえるわけで、今大会を契機に「日本らしいサッカー=超守備的カウンターサッカー」と、そのドクトリンを転換してもいいんじゃないだろうかね? 実際、W杯のプレッシャーに負けるようなハートの弱い選手を率いるには、余計なことを一切考えさせず、システマチックにサッカーさせた方がいいとも思うのだけどね。


ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年5月23日金曜日

「レリゴー」が耳から離れない

というわけで遅ればせながら『アナと雪の女王』を見に行ったわけですが……一部には随分評判が悪いようだけど、これ、掛け値抜きの傑作じゃねぇか!

実のところ「レリゴー」とか「ありの~ままで~」とかいう歌についていえば、2カ月前から各所で耳にしていて、「あぁ、これが“アナ雪”ってやつなのね」と認識していたんですけどね。それでもまぁ、00年代においてピクサーの足元にも及ばない駄作ばかりを作り続けていたディズニーの映画ということで、映画館に行くどころかDVDが100円レンタルになっても観る気なんて一切なかったんですよ。

が、この2カ月余。たまたま入った日高屋とか本屋とかで流れてきたり、果ては病院の待合で親子連れが「レリゴー♪ ってか?」なんて会話をしているのを耳にするにつけ、「TVを見ず、世間の情報はYahoo! ニュースでしか得ていない手前にして、これだけ耳にしているということは、世間一般では大変なことになっているのでは?」と思い、一週間前にYouTubeとWikiで調べてみたんですよ。ええ。

そしたら「レリゴー」を歌っているのが、あのイディナ・メンゼル――『レント』のモーリーンで気になり、『魔法にかけられて』のナンシーでファンになり、後追いで『ウィケッド』のサントラを買って圧倒されて以来、熱心なファンを続けているミュージカル女優――で、主役の吹き替えがクリスティン・ベル――『ヴェロニカ・マーズ』、『ゴシップガール』のナレーションと、『バーレスク』でのカワイイ歌声(『Diamond is a Girls' Best Friends』のカバー。なおサントラには未収録。CDを買ってこれほどがっかりした経験は他にない)に魅了されて以来、熱心なファンを続けているテレビ出身女優――であると知ってしまい、「これは映画館で観ねばならぬ!」と決心。字幕版を掛けている最寄りの映画館を探し、時間をつくって、ついさっきようやく見てきたというわけです。

割引なしの1800円という価格は、貧乏な自営業である手前にとって大枚も大枚ですが、見終わっての感想はといえば、「無理して映画館で観て良かった」です。ミュージカル映画やCGバリバリのアクション映画&アニメ映画ってのは、デカい銀幕&最高の音響設備の下、フルHDより微細な映像と、ほとんど爆音に近いサウンドを一緒に味わってこそ価値のある映画である――というのが手前の持論なんですが、“アナ雪”は「CGバリバリのアニメミュージカル映画」ですからね。これ多分、自宅でDVDを見たとしたら、劇場で見た感動の1/100も味わえないと思いますですよ。

という感じで美点をあげつらっていったらキリがないので割愛。“アナ雪”サイコー! 的な感想はそこら中にあると思うので、それを参考にしてください。

ただ一ついいたいのは、「この映画は歌はいいけどストーリはダメだ。だから駄作だ」的な感想について。確かにおハナシは弱い。これは事実。でもね、そういう人に面と向かって言いたいのは、「貴方、ミュージカルに何を求めているの?」と。

……これねぇ、ストーリーのテコ入れは死ぬほど簡単なの。具体的にいえば、エルサを『Wicked』“西の悪い魔女”にすりゃいいの。で、「レリゴー」も『Defying Gravity』と同じように「もぉ~我慢するのはやめ。今度は戦争だ(エイリアン2©)」という位置づけにして中盤のクライマックスにもってくるようにするわけ。エルサと王国――映画にいた“越後屋”は削って“悪い大臣”を追加。当然、コイツが黒幕――が鋭く対立するなか、アナは両者の説得を試みるけど失敗。結局、悪の女王vs王国軍の決戦ってことになるのよ。矢弾と魔法が飛び交う決斗の最中、映画の終盤と同じようにアナがアレして両者は硬直。時間が止まったように見えるなかで、エルサがアナにアレして……

……みたいな“定番プロット”にしておけば、少なくともストーリーのアラが目立つってことにはならなかったはず。

それでですね、↑みたいなことは当然、ディズニーだって百も承知なわけですよ。そもそも脚本だけで10人近くクレジットされているんだから。少なくとも手前が数分で思いついたようなハナシよりも秀逸なアイディアが死ぬほど提示され、検討されてきたであろうことは間違いない! と断言できます。

それでもなお、お笑い芸人風情に指摘されるような大きな欠点を残したのかといえば、これはもう「ミュージカルとしての魅力の最大化を狙った」ためであって、定番ストーリーで得られるカタルシス以上に、歌と映像のコンビネーションで得られるカタルシスを重視した結果ってこと。つまるところ、「レリゴー」という“必殺技”の強みを最大限に活かした作りにしたってことであって、“アナ雪”=「レリゴー」のPVってことですよ。

で、普通なら「たかが劇中歌のPVで1800円も取るのか? ふざくんな!」ってことになるんだろうけど、「レリゴー」は明らかにただの劇中歌じゃないですからね。ミュージカルの曲としては『Sound of Music』以来の傑作だもの。このくらいの名曲――5~10年後には間違いなく英語or音楽の教科書に収録されるでしょう――だからこそ、敢えて“ビッグワンガム方式”(添え物であるオマケをメインにした商品構成)を採ったと。であればこそ、「レリゴー」を歌うのが“西の悪い魔女”では都合が悪いし、剣と魔法の戦闘的な血沸き肉踊るシーンがあると「レリゴー」の印象が薄くなるし……的な観点から、敢えてストーリーの穴には目を瞑ったんでしょう。で、他の劇中歌が形を変えて2回流れるなか、劇中で流す「レリゴー」も敢えて1回だけにして、ラストで下手くそな「レリゴー」を流すのも、「観客に物足りない思いをさせて、もう一回劇場に足を運んでもらう」という戦略の一環に間違いない(ちょっと陰謀論入ってますが、あながちウソとも思えない)。

だからねぇ、「“アナ雪”はストーリがクソ」とか「女子供やスイーツ向けのポルノだろ」とか「流行りモノに良いモノなし」みたいな偏見から映画館で観ずにいるのであれば、是非、↑のような偏見を取り除いて観に行ってもらいたいですね。いやホント、YouTubeやiTunesで観るのと、劇場で観るのとでは得られる感動or動かされる感情の質&量が全っ然違うから。

というわけでピーター・ジャクソン版『キングコング』(これも映画館で観ないと意味のない作品)以来、9年振りに映画をオススメするエントリでした。

追記:ここまで書いたついでで書くと、今日まで観た2014年上映作品のベスト1は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。近年のサスペンスアクション映画のなかでも屈指の作品だった。あと上映中、「いかにもロバート・レッドフォードがやりそうな役をロバート・レッドフォードに似た役者さんが演じているなぁ」と思いながら見てたんだけど、最後のクレジットで「As Alexander Pierce/Robert Redford」と出たときには、大げさでなく椅子からずり落ちそうになった。



2014年4月30日水曜日

「敵の本質」と「本当の脅威」を知るために読むべき本

何のハナシかといえば、兵頭二十八師が4月8日に上梓した文庫『北京が太平洋の覇権を握れない理由』(草思社文庫)のことですよ。この本については新刊発刊の際に取り上げたので、目次とおおまかな内容紹介については、2年前のエントリを参照してください。尖閣諸島を巡って日中関係がきな臭くなりっぱなしの今日において、「日米中の軍事力及び外交関係の見積もり方」とか「戦争が起きるとすればどうなるのか?」を予測する本としては、本邦一級品のモノであることは間違いありません。

なぜそんなことを確信を持って言えるのか? と言えば、これはもう敵である中国(=シナ)の本質について、誰よりも、どの本よりも正確かつ簡潔に定義づけているからですよ。

ではその本質とは何か? 文庫本より引用しましょう。

「『対等の他者』などを認めていたら権力は決して生き残れない――というのは、シナの独特の地理がはぐくんできた儒教圏の歴史哲学である」(35頁)

この60字ちょっとの文章。これがシナの本質ですよ。つまりシナにおいては人と人、国と国は決して対等ではなく、必ず序列が存在するものであって、そこに生きとし生けるものは才知の限りを尽くして「他人、他国よりも上の序列を目指す」ものである――とってことです。

で、このシナの本質の解題は以下のとおり。

「シナの地理は、『主権の割拠』の何世代もの固定をゆるさない。これが西欧とシナの政治気風、法哲学観を、まるっきり異なるものに決定した」
「秦の始皇帝以降のことだが、ベトナム以北、そして高粱や豆や芋を栽培できる満州以南のシナ本土では、中小国の『割拠』が、長続きせぬ」
「シナは、単一権力が全域を統べなければ決して安定できないような地理条件が備わった空間らしい――と、その理由は未解明ながらに仮定をしておけば、春秋時代から国共内戦に至る既往の『王朝交替』の説明に、とりあえず矛盾がない」
「主権の割拠が不可能だということは、二つの正義が並び立つことはふつうではない、という世界観を住民のあいだに育てる。強い者がいずれ全域の『正義』を収攬する。ならば、いま、他人の権利を尊重しても、むなしいことだ。将来もしその他者が強くなれば、こっちがすべてを奪われる立場に落ちるだけなのだから」(35頁)

「広い地域が次々と単一の専制君主によって支配されるという歴史を反復してきたことで、『支配者が変われば、どうせルールも変わってしまう』『権力者の恣意的なルールの押し付けに対抗して弱者が自衛するには、密かに巧妙に『脱ルール』を図るのみ』『どうせ永遠のルールなどないから、尊重しなくてよい』といった精神風土もできあがったのだ」(36頁)

「地理はなかなか『流転』するものではないので、大陸部にできる将来のシナ政府はやはり『民主主義』を拒否するだろうと簡単に予言しておくことができる」
「国防コストが高い地理のため、シナ政権にとって『上からの人民統制』は絶対に必要であり、それでも治安コストが高いので、『法治』よりも『人治』が有効になる。すると人民は政府を信用できず、政府もまた人民を信用できない」(37頁)

以上、「Ⅰ なぜ太平洋の支配権が二強国の争点となるか」の「地理が『人性』と『政治風土』を決定する」より、ちょっと長めの引用です。

この「地理が政治を決定する」というハナシは、権力の定義と同じく、軍師がデビュー当時から唱えている説で、実のところ既刊で幾度も言及していたりするものです。が、↑のようにここまで簡潔かつ明快に書いているのは、この本しかありません。

この『対等の他者』が存在しないという儒教圏特有の哲学は、『対等の他者』を認め合うことを前提とした近代啓蒙主義(=キリスト教)が骨の髄まで染み渡っている西欧諸国(=先進国)の人々や、聖徳太子以来、この哲学を拒否し続けた結果、近代啓蒙主義をすんなり受け入れた現代日本人にとっては、なかなか理解できないことなんでしょう。

そんな人に対して、この哲学の要諦を手前なりに説明するなら――

ホラ、アメドラってさ義理の兄貴とか先輩に対しても、よく「Hey bro!」って呼びかけるじゃん。あれって“年は離れてても対等の同士”ってな感じのニュアンスでしょ。『ヘンリー五世』の『聖クリスピンの祭日の演説』からタイトルを引用した大傑作戦史ドラマ『Band of Brothers』だって、対等の同士、同胞って意味でしょ。これすなわち「対等の他者」ってやつ。

でね、『仁義なき戦い』で梅宮辰夫が菅原文太に言う「よう兄弟!」ってのはさ、もう完全に「辰夫が上で文太が下」ってニュアンスじゃん。そうこれ、これこそが儒教圏特有の「対等の他者が存在せず、必ず序列をつける」ってやつなのよ。任侠の世界なんて儒教道徳にどっぷり浸かってるからね。もっといえば三国志の劉備、関羽、張飛だって、初手から長兄、次兄、末弟って序列をつけていて、『聖クリスピンの祭日の演説』でいう「ここに居る我々は兄弟の一団だ。今日私とともに血を流す者は、私の兄弟だからだ」っていう“同士感”ゼロじゃん。こういうふうにね、ともに血を流す同胞間でも序列を付けざるをえないのが、儒教圏特有の哲学であり、シナの政治風土であり本質なのよ

――って感じになるでしょうか。

ともあれ、このように敵の本質、脅威の本質を的確に指摘し、抉り出した上で、その対処法をあますところなく書き尽くしている本が、税込みでも1000円以下で買えるンですから、ここれはもう買わいでか! ってものでしょう。

ちなみに追記(24ページ分)では、北朝鮮の張成沢一派粛清の背景から、直近の米中関係を巡る考察まで取り上げているので、新刊を3回位通読してしまったダイ・ハードな兵頭ファンにとってもお買い得感のある本だったりします。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

追記:シナで割拠が固定化しない理由について、手前は「チベット、モンゴル方面に海がない」ことが一番大きな要因じゃないかと考えています。旧大陸における地中海のような内海があり、大陸にくまなく海岸線が存在すれば、通商により小国でも十分な武装ができ、割拠も固定化できるのではないか? とぼんやり考えてはみるものの……ただの思いつきで根拠薄弱だからなぁ。まぁ、“パラドゲー脳”のおっさんの繰り言ですよ。

2014年3月1日土曜日

進歩し続けるのはPCだけではなかった

そりゃもちろん、家電だって進歩するものだってのはわかっているんですよ。冷蔵庫だってエアコンだって10年前のものと比べれば、いい感じに冷えてかつ省エネだってのは、5年前の引っ越しで家電を新調したときに十分実感してますからね。でもねぇ、冷蔵庫もエアコンも全自動洗濯機も、性能は上がっても価格はだいたい据え置きっぽいでしょ。確かに安くもなってるだろうし、ハイアールのモノなんて同じ性能でバカ安だけどさ。そうはいっても5000円で買えるものじゃないでしょうよ。つまるところPCみたいに、10年前に数十万円した廃スペック品(=昨今のスマホと同等程度の性能のモノ)でも、ジャンク品を集めて組めば2000円でお釣りが来るってほどには進歩していないわけですよ。

が、この認識。ついさっき大いに間違っていると実感しました。

というのも昨日、ブラウンの電動歯ブラシのカートリッジを買いに、近所のくすりの福太郎に行ってきたんですよ。で、歯ブラシコーナーを覗いてみたら――

・ブラウンの替え歯ブラシ(カートリッジ2本入り)=1980円
・ブラウンの電動歯ブラシ新品(カートリッジ1本付属)=1880円

――ってなっていたわけですよ。

で、14~5年前から使い続けている電動歯ブラシ『Oral B 3Dexcel Type4736』は未だ健在で、買い換える必要性は全く感じていなかった――時々取り落としたりして全体に傷だらけ&カートリッジ接続部に水垢が歯石みたいに膠着しているけど、使用上は全然無問題――わけですが、「カートリッジ1本の代わりに一番安い新品を体験使用できると思えば、悪くない買い物かも」と思い、つい衝動買いしてしまったんですよ。

実のところ2万円以上かけて買った『Oral B 3Dexcel Type4736』は、使い始めて20秒後に「もう二度と普通の歯ブラシで磨くものか!」と決心させたほど、素晴らしい使用体験をもたらした名機であって、バッテリーがダメになっても交換して使い続けようと考えていたほど思い入れのあったモノだったんですよ。

なものだから、新品については「所詮、2000円でお釣りが来る品物。長年連れ添ったハイエンドモデルには性能その他の点でかなうまい。ま、それでも靴磨きとかPCの掃除専用機としては重宝するだろうから、損はすまい」なんて思っていて、その性能には全然期待していなかったわけです。ええ。

が、さきほど16時間の充電を終えフル稼働した新品の『Oral B Type3757』(=製品一覧を見る限りでは一番安いモデル)を使ってみたら、現行機よりも回転振動が断然に高速かつデリケートで、ちょっと当てるだけで歯の隅々まで確実に汚れを落としているのが実感できてしまい、「あぁ~、これで現行機はお役御免ってことか……。これからは靴磨きとかPCの掃除に役立ってくれい!」と、心で涙を流しながら育成落ちを通告した次第。

それにしても今どき2000円しないで電動歯ブラシ、しかも10数年前の最上位機種よりも断然性能の良いモノを買えるなんてねぇ。この分だと、シェーバーも物凄い進歩しているのかね?

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月15日土曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:S5終盤~S6の超展開は許せない

ここまでGGについて、「ハナシがわかりやすい」とか「美しいシーンがてんこ盛り」とか「ダン×ブレアのカップリングが素晴らしい」とか、べた褒めしまくってきたんだけども、実のところ不満点がないわけじゃない。てか、猛烈に不満に思うところが一点だけあるのね。というのは、「S5終盤からS6通しての超展開」のこと。

えっ? ハナシの杜撰さとかご都合主義はGGの華って言ってたじゃんって!?

いえね、何事にも限度ってのがあるんですよ。妊娠させたままだと別れさすのが面倒くさいから、ここは一つ交通事故で流産させちゃえ! とか、何度も何度もくっついたり離れたりする理由のストックが切れちゃったから、ここは一つ神頼みってことにしちゃえ! とかいうご都合主義に基づく超展開は許してるんだ。だって、こういうのがないとダン×ブレアのカップリングができないからね。このお陰で良いシーンも生まれたことだし。

でも、S5終盤で実はバートが生きてました……って展開は、さすがにない。だって、↑のは単なるご都合主義だけど、バートの物故については、チャックがS2後半通して悲しみ抜いて人格破綻寸前までいったわけでしょ。ドラマとはいえ、人様の死でここまでハナシを動かしているんだから、これを事実上なかったことにするような後出しジャンケンはねぇ……。しかも、バートが生きていたからって劇的にハナシが進むわけでもないしね。

まぁ、バートが復活したことで、チャックが全てを失ったり、リリーとルーファスの婚姻が無効になったりとね、それなりに事態は進んださ。でも、これって別にバートが生き返らなくたってどうにでもなるハナシでしょ。例えばチャックについていえば、自身の致命的なスキャンダル発覚か何か――パッと思いつくのはブレアの持参金を負担したことが、役員会で問題視される――で社長を解任されるとかね。それにリリーとルーファスなんて、バートとは一切関係なく結婚生活は破綻寸前だったわけだし。

で、S6は、視聴率悪化を受けて10エピソードしかない短縮版だったわけだけど、ハナシの進み方はこれまで以上に急加速。結果、急展開やご都合主義、説明不足なシーンが頻出するんだけど、そういった不都合を含めた悪いことは全てバートに押し付けるのね。もう「何もかも悪いことは全てバートのせい」って感じで、ハナシが進むわけなのよ。

こっぴどく振られてUESへの復讐鬼と化したはずのダンも、ブレアとの失恋に整理をつけないまま、ずるずるとセリーナとくっつくし。くっついてからは一応波乱もあるし、その原因が田舎者と都会人との根本的な立場・認識の違いだったりするのはいいんだけど、その辺の事情についてはあまりにも説明不足だし、視聴者が納得出来ないままどんどんハナシが進んでいくのね。ダン×ブレアのカップル成立までに丸々1シーズンかけたとは思えないほど乱暴なんだ。

もちろん、「10エピソードで綺麗に風呂敷を畳まにゃならんのだから、説明不足や超展開には目を瞑ってくれ」ってことかも知れないけど、それにしたって納得出来ないものは納得できないのよ。それにね、バート復活は置いておくとしても、S5最終回の締め方は結構好きだったのよ。

・セリーナは、過去にこだわり自分を変えられなかった結果、全てを失い、S1開始前の荒んだ状態に戻る。
・ブレアは、会社を継いで“有力者”という目標を達成したうえで、チャックを追いかける。
・ダンは、UESの人々にこっ酷く裏切られ、これに復讐すべく暴露本を執筆する。
・ネイトは、マスコミ人士としてGGの正体を明かすべく決意を新たにする。
・チャックは、その臆病な気質故に愛に溺れ、経営の鬼に徹しきれず、全てを失う。

って感じで、ハッピーエンドでは全然ないんだけど、5シーズン、100エピソードかけて好き放題歩んできた人生の決算としての“ほろ苦い結末”というのがね、実に妥当に思えてね。と考えていたら、「あるべきS5終盤とS6」というのを思いついてしまって……。

……って、いい加減、思いついたことをそのまま書くのを止めないと、2月一杯GGのどうでもいいハナシを書くことになりそうだから、もっと言いたいことはあるんだけど、ひとまずここで強引に打ち止め。散々ネタバレかましておいてこんなことを言うのも何だけど、もし、これからGGを見るのであれば、「せめて最初の3話まで我慢して見て」ってこと。

正直、パイロットの出来は微妙――登場人物の紹介に終始している感じで、ハナシのスジ自体はそこまで面白いわけじゃない。予算がないので全体的に安っぽいし、ダンの丸刈りもキモい――なので、「パイロットはS1E2との連続モノで、2つ合わせて“第1話”」と思った方が良いかも。で、次のS1E3にて黄金パターンが炸裂するので、これを見て面白いと思わなかったら、以降も面白いと感じられないはず。逆に言えば、パイロットだけで見限るには勿体ないと思いますですよ。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月14日金曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:交際まで1シーズン超かける気概

ダン×ブレアのどのシーンがいいとか、どこにグッとくるとかいうハナシは、書いても詮のないことなので割愛しますですよ。ただ、作品のテーマと造形されたキャラクターの相性から、絶対に相容れないはずの二人をくっつけるため、製作者サイドが要した努力については、一言以上いいたい。てか、べた褒めしたい。

やっぱりねぇ、いの一番に褒めたいのは、二人の関係を恋人同士にするために、じっくりと時間をかけたこと。これが素晴らしい。ダン×ブレアが完全に恋人になるまでに要した時間は、話数にして――S4E11のドライブからS5E17でブレアがダンと呼んでキスするまで――実に29エピソード。事実上の布石であるS3E17から数えれば、丸々2シーズンくらいかけてくっつけてるのよ。

海外ドラマでカップルがくっつく場合って、多くの場合は、ケーブルTV製作の四半期13エピソードのドラマなら3~4エピソード、ネットワーク製作の半年24エピソードのドラマでも6~7エピソードくらい掛かるものなのね。もちろん例外はあるよ。でも21世紀以降、展開の早いドラマがトレンドになっていることを考えれば、あるカップルを成立させるために丸々1シーズンかけるケースってのはほとんどないはず。

翻ってダン×ブレアは、S4E11で初めて長時間二人きり――コネチカットへのドライブ旅行。劇中では全く触れられていないけれど、片道2時間近くのドライブ中、絶対に映画や美術についてのハナシをしなかったわけがない。で、このお喋りこそが二人が急接近する一番の理由であるはず、と脳内補完――にして、そこから6エピソードかけて初キス。その後は18エピソードかけて、ダンが片思いで身を焦がすところと、ブレアが少しづつダンを信頼していく過程を見せて、そこからさらに5エピソードかけてカップルを成立させるという念の入れようだもの。

しかも、シーズン3まで無頓着だったダンへの呼びかけ方も、シーズン4からは「ハンフリー」に統一。そうやって30エピソード近くに渡って「ハンフリー」と呼ばせた上で、S5E17で「ダン」と言いながらキスさせる心憎さ! 時間をかければいいってものじゃないけど、少なくとも絶対に相容れないはずの二人がなぜ恋人同士になったのか? について、その過程を丁寧に見せているところは他のドラマにはない、フレッシュかつ優れている点ですよ。

もっとも、その過程でかなり無理矢理な超展開があったりするんだけどさ。でもね、結果として成立したカップルが織りなす、甘ったるくてカワイイ名シーンの数々を目にしてしまえば、超展開もご都合主義もどうだっていいじゃん! と全面降伏するしかないもの。

実際、ダン×ブレアのいちゃつきシーンは、どれをとっても珠玉の出来なので、オススメのシーンを挙げろと言われたら、「そりゃ全部ッス」としか答えようがない。でもまぁ、強いて一つだけ挙げるならコレかなぁ。

The Movie Date

なんつーか文系インドア派の男の子ならば、死ぬまでに一度は経験してみたい甘酸っぱいシチュエーションですよ。……って『ローズマリーの赤ちゃん』についてしっかり突っ込みが入れられるほど映画の知識があって、かつ美人で金持ちで意味のある会話を成立させられる女なんて、空想の世界にしかいないわね。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月13日木曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:ダン×ブレアが作られた製作上の都合

正直、GG開始当初からダン×ブレアの組み合わせが考えられていたとは思えない。S1E4でダン×ブレアのイイ感じのシーンがあるけど、あれはあくまでもメインキャスト同士の絡みを深めるための一手であって、あれから恋愛関係にまで発展させようとまでは考えてなかったはずなのね。実際、S1~S2まではダン×ブレアの関係は基本険悪――S2E8で恋愛相談に乗るけど――だし、S3でもE2でキツく反撃しているし。

でも、S3のドロータの結婚式で布石を打ち、S4後半からダン×ブレアのカップル成立に向けてハナシが作られたことには、以下のような製作上の都合があったんじゃないかと。

①できるだけドラマを引き延ばしたいという事情=物語としてはS2で語りつくし、S3で一通りメインキャスト同士のカップルを作ってしまった以上、ハナシを引き伸ばすにはチャック×セリーナかダン×ブレアをやるしかなかった。

②ブレイク・ライブリーの力量不足という事情=演技スキルの足りないブレイク・ライブリーに、高度な演技が求められるシーンを任せられないため、代わりにTV俳優としては一定水準の演技スキルを持つレイトン・ミースターのポジションが高まっていった。

このうち①については、通算100回を超える長寿ドラマならばどんな番組でもあり得ること。敢えて言うなら、なぜ、チャック×セリーナがなかったかといえば、「チャックがリリーの養子になった」から。この義兄弟問題でダン×セリーナが破局した以上、チャックとセリーナをくっつけるという選択肢はあり得なかったはず。

問題は②。実際ねぇ、ブレイク・ライブリーの演技力ってエビせんべいくらいに薄っぺらいからなぁ。いや、演技が下手っていうと言い過ぎかも知れない。例えばS1E7の終盤で恥じらいを見せるところとか、S2E1でダンとキスしたあとに嬉しがる表情なんかは素晴らしいからね。でも、芸達者かといえば決してそんなことはなくて、演技スキルについて言えば、TV俳優としても物足りないって思うのよ。

具体的に言うとね、S3最終回でネイトに「一度時間を置きたい」って告白する場面で、I love youっていうけど、このセリフの言い方のなげやりさと来たらねぇ……。確かにアノ場面は、心のこもってないセリフを言うのが正しいんだけど、それでもあそこまで明確に捨鉢な言い方をしちゃダメじゃね? と思うわけよ。実際ねぇ、同じ場面を吹き替えで見ると、口では愛していると言い、実際、ネイトを捨てるのを惜しみながらも、心はダンに惹かれていて……というセンシティブな情感が良く出ていて、「製作者が意図した演技って、実は吹き替えの方だったのかもなぁ」と思うわけよ。

じゃぁレイトン・ミースターの演技が上手いのかっていうと、決してそんなことはないのよ。『ヴェロニカ・マーズ』(ちょっと陰のある女子高生)と『ドクター・ハウス』(ストーカー化した女子高生)で演じているのを見る限り、演じ分けは全然出来てないもの。今にして思えば、「あ、これ二人ともブレアじゃん」と。役柄により全く違う人格に見せるハリウッド俳優に比べれば、どう見たって演技スキルは足りない。それでも状況に応じて必要な表情や情感を込めたセリフを言うことはできているし、TV俳優としては十分な演技スキルはあるように見えるのね。

つまるところレイトン・ミースターはブレイク・ライブリーと比べて相対的に芸達者であって、それ故に、ドラマでのポジションが向上していった――ってこと。演技の巧拙や華の有無でゲストから準レギュラー、レギュラーへと昇格するってのは、海外ドラマでは当たり前にあることだし。

といった事情からダン×ブレアのカップルが作られたのだ! と、勝手に邪推しているわけだけど、そういった製作上の都合はどうあれ、結果的に出来上がったハナシを見てみれば、GG中随一どころか、手前的にはこれまでに見た古今東西の映像作品のなかでも屈指に甘ったるく、かつ、これ以上なく念入りにカップルになる過程を描いていて、ベタなラブコメに目がないおっさんには辛抱たまらん出来になっているんですよ。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月12日水曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:ダンとは相容れないブレアのキャラ

ブレアのことを都会人の中の都会人っていったけど、実のところブレアは、UESにおいてトップクラスのセレブというわけじゃない。作中におけるトップクラスのセレブは、大富豪・ローズ家の一員であるセリーナ、バス産業の御曹司であるチャック、名門政治家一族・アーチボルト家の後継者であるネイトの3人しかいない。

セリーナは、当初の設定でこそ「大富豪との結婚を繰り返して金持ちに成り上がったリリーの娘」だったけど、この設定は、「父親がハーバード大卒(シーズン3で出てくる実父・ウィリアムはコロンビア大卒)」という設定とともに闇に葬られ、シーズン2以降は、「アメリカ屈指の大富豪であるローズ家の当主・シシーの孫娘」に書き換えられた。ローズ家の資産がどれくらいかはわからないけど、シーズン2でガブリエルの詐欺を弁済したり、ブレア曰く、「ルーファスがリリーと結婚したら、ジェニーはあんたたち全員合わせたより金持ちになるのよ」というハナシを前提とすれば、少なくとも数十億ドル以上の資産はあるんだろう。

チャックについて言えば、「マンハッタンの半分を掌中に収めるバス産業」の御曹司なので、こちらも半端ない富豪であることは間違いない。ネイトの一族であるアーチボルト家は150年前に炭鉱を見つけて一財を成した高祖父以降、州知事、下院議員などを輩出している政治家一族なので、セリーナやチャックのような大富豪ではないものの、社会的ステータスは極めて高い。

で、ブレアに話を戻すとだね、ウォルドーフ家ってのは、母親のエレノアが一代で築いたアパレルブランド「エレノア・ウォルドーフ・デザイン」しかない成り上がりの富豪なわけ。ブランドの知名度自体は、マーク・ジェイコブスに勝るとも劣らない設定だけど、決して儲けまくっているわけじゃない。実際、スーパーに商品を卸すハナシを蹴っているし、業界への影響力も限定的――ブレアのインターン先(=ファッション誌)を紹介できなかった――なので、その総資産は、恐らくユニクロの柳井(=8000億円)には遠く及ばないはず。ビジネス規模から考えれば、数億ドルもあれば御の字だと思うのよ。

つまり何がいいたいのかというと、作中においてブレアは「メインキャストの中で最も貧相なセレブであり、そのことがコンプレックスになっている」ってこと。だいたい親友であるセリーナが、生まれながらの勝ち組で、かつルックスとスタイルも完璧で愛嬌もあるってという「セレブの中のセレブ」だもの。

だからこそブレアが人生で目指しているのは、「プリンセスになるという夢」か「Powerful Woman(=有力者。ヒラリー・クリントンやインドラ・ノーイみたいな“世界屈指の影響力を持つ女性”のこと)になるという目標」を実現することで、セリーナ以下のUESの面々に逆転勝利することであって、これに向けてガリ勉もすれば、策略も駆使すれば、公子や公爵のことも頑張って好きになる努力をするわけ。で、この人生の夢と目標を阻むのが、「チャック・バスの恋人になるという抑えがたい欲望」なんだけど、ここではハナシが違うので割愛しますですよ。

ともあれブレアは、ハイクラスなセレブに憧れ、コンプレックスを抱いているが故に、「自分こそが真のUESの住人であり、セレブなのだ」という自負心は誰よりも強烈に持っているんであって、だからこそ誰よりも都会人の中の都会人であろうとしているのね。

そんなUESの権化であるブレアは、決して田舎者のダンを認められないのよ。それに作品のテーマである、「田舎者が都会人になろうとあがくハナシ」を前提に考えれば、ダンがブレアと恋人同士になった時点で、田舎者が都会人の中の都会人から認められたってことになるわけで、その時点で作品として終了ってことになる。

えっ? ダンはセレブの中のセレブであるセリーナと付き合ってるじゃんって?

セリーナは、「都会人でありたくない都会人」であって、UESの嫌なところを忌み嫌うキャラでしょ? だからこそ田舎者にも偏見は持たず、ダンとも別け隔てなく付き合っているわけ。なのでダンがセリーナと付き合ったとしても、それがそのまま田舎者が都会人に認められたってことにはならないんじゃねぇかと。要するに、外形的には「変わり者の都会人が田舎者と付き合った」ってことであって例外ってこと。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月11日火曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:ダンは製作者の“業”の産物

手前が思うに、GGの主人公はダンです。で、GGがどんなハナシかといえば、「田舎者が都会人になろうとあがくハナシ」ですよ。確かにクレジット上ではトップにブレイク・ライブリー(=セリーナ)、次いでレイトン・ミースター(=ブレア)と来るので、「主人公はセリーナであって、恋多き女であるセリーナの恋愛遍歴を見るドラマなのだ」といっても間違いじゃないですよ。ええ。でも、このドラマの主人公は間違いなく“孤独なぼく”であるダンですよ。

これは●●が実は……云々というハナシだからってわけじゃ全然ありません。製作者であるジョシュ・シュワルツのテーマであり“業”に直結するハナシだからですよ。そのテーマってのは、「内向的な青年が、高嶺の花であるブロンド美人に一目惚れされるけど、お互いの立場の違いから恋が成就せずにヤキモキする」ってやつ。これ、クリエイターとしての事実上のデビュー作である『The O.C.』、スマッシュヒットした『CHUCK』にも通じるものなのね。

実際、『The O.C.』、『CHUCK』、GGの大雑把なプロットを並べると、こんな感じになるもの。

・The O.C.=貧困地区であるチノ出身のライアンは、ケンカは強いけど無口で内向的な心優しい少年。いろいろあって高級住宅街であるオレンジカウンティに住むことになるが、そこで隣に住むブロンドの美少女・マリッサに心奪われる。内向的で上手くアプローチできなかったものの、実はマリッサはライアンに一目惚れしていて、結局、二人は付き合うことに。しかし、チノ出身のライアンと、オレンジカウンティ出身のマリッサには、根本的な価値観の違いがあり、結局、二人は一緒になれなかった。

・CHUCK=時給11ドルの店員であるチャックは、生粋のオタクで内向的な青年。とある事件から、ブロンドの美女スパイ・サラに四六時中護衛されることになり、二人は偽の恋人を演じる。内向的で上手くアプローチできなかったものの、実はサラはチャックに一目惚れしていて、結局、二人は付き合うことに。しかし、一般人のチャックとスパイのサラには、根本的な立場の違いが有り、結局、二人は別れてしまう(その後、チャックが自らスパイになることで二人は結婚する)。

・GG=ブルックリン出身のダンは、奥手な文学青年。ある事件を契機にUESのセレブ・セリーナに片思いする。2年後、偽デートを契機にいい関係になる。内向的で上手くアプローチできなかったものの、実はセリーナはダンにべた惚れで、結局、二人は付き合うことに。しかし、ブルックリン出身のダンと、UES出身のセリーナには、根本的な価値観の違いがあり、結局、二人は別れてしまう(その後、いろいろあって復縁。二人は結婚する)。

こんな感じで大体同じハナシを作っているってこと。だから、チャック×ブレアとか、セリーナやネイトの恋愛遍歴とか、ローズ家やバス家を巡る真相とかは、あくまでもサブプロットに過ぎない。メインのハナシは、ダンというブルックリン出身の中産階級の青年が、世界随一の富豪が集うUESの住人になろうとあがくハナシなんですよ。

このテーマってのは、S1E2のクライマックスでダンがセリーナに言ったセリフ――「君だけはUESの人間とは違うと思っていたけど、結局、同じだったんだな」――に集約されているのね。で、このアンタとは住む世界が違うっていう“根本的な価値観の違い”の問題は、S1最終回の別れの理由であり、S2の別れの理由であり、S5最終回の絶交の理由であり、S6後半の葛藤の理由であって、ダンを巡る全ての状況に通底する問題だったりするわけ。もっといえば、ルーファス(=ダンの父)、ジェニー(=ダンの妹)、ヴァネッサ(=ダンの親友)、ジュリエットetcといった田舎者が、最終的にUESから放逐された理由でもある。

ここでようやく本題のダン×ブレア問題に触れていきたいんだけどね。ここまで書いてきた通り、ダンってのは作中における田舎者の象徴なわけ。一方でブレアは、S1E4でダンがルーファスに語っていたように、「UESの嫌なところを凝縮したような女の子」であって、いわば都会人の中の都会人なのよ。つまり、水と油、陰と陽、北斗と南斗etcという感じで絶対に相容れない組み合わせなわけ。『The O.C.』で喩えるなら、「ライアンとサマーが付き合う」くらいに驚天動地なことで、本ッ当にあり得ないカップルなのよ。
(つづく)

*補足――ダンの出身地であるブルックリンは決して田舎ではない。ニューヨーク州の中心地にあり家賃もそれなりに高い。実父のルーファスは、ローリングストーン誌による「90年代の忘れられたバンドTOP10の9位」にランキングされたリンカーン・ホークのリーダー兼ソングライターで、ビルボードTOP10クラスのシングルを何枚か出している。ロフトとアートギャラリーを含めた総資産は、恐らく100万ドルは下らないだろう。実際、イェール大学の奨学金を断られるくらいには裕福なんであって、つまるところ「ハイクラスの中産階級」ということ。それでもなお田舎者で貧乏人とされるのは、数億~数十億ドルの資産を持つ富豪中の富豪が集うUES住人と比べられているため。ダンは度々「ブルックリン」と呼び捨てにされるが、これを日本で喩えるなら、青山学院に通う埼玉県出身の生徒が、山の手の生徒から「おい、さいたま!」と呼び捨てにされるようなものだろう。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月10日月曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:主要キャストのオレ得メモ@その3

*以下、シーズン1~6までの強烈なネタバレしかありません。未見の人は見ないでください。

◆ダン・ハンフリーの6年間

・シーズン1:2年間片思いを続けてきた高嶺の花であるセリーナが、マンハッタンへ帰ってきた。彼女にアタックをかけた結果、ひょんなことから成功。ほどなく恋に落ち、順調に交際を進める。しかし、セリーナの過去の悪行を知るジョージーナに誘惑され、キスしてしまう。二人の間に亀裂が走り、結局、この件で平然とウソを重ねるセリーナに愛想がつきたダンは、夏休みを前に別れを告げる。

・シーズン2:夏休み中は、セリーナのことを振り切るため女遊びを繰り返していた。セリーナへの思いに気づきヨリを戻すも、二人の立場の埋めがたい差に気づき別れる。セリーナを思い続け、冬休み明けにヨリを戻すが、ルーファスとリリーの間に子供がいることを知り、かつ大学で離ればなれになることから、二人の関係は気まずくなり、冬のうちに別れる。その後、国語教師のレイチェルと肉体関係を持つが、レイチェルは退職。プロムにはセリーナと出席したが、彼女への未練は完全に断ち切った。

・シーズン3:NYUで一緒になったジョージーナと肉体関係に発展するも、すぐに別れる。映画スターのオリヴィアと恋に落ち、順調に交際を進めるが、ある夜、ヴァネッサと3Pを敢行したことで、関係が気まずくなる。別れた後はヴァネッサと交際するが、彼女はCNNのインターンでハイチへ行くことに。逃亡を図るウィリアムの下へセリーナを連れて行き、一晩語り明かした後、セリーナへの思いを再認識する。衝動的にパリまで追いかけようとしたその時、妊娠したジョージーナが現れ、ダンはパリ行きを断念する。

・シーズン4:ジョージーナの子を実の息子と勘違いさせられたダンは、良きパパとなるべくヴァネッサとの同棲を決め、甲斐甲斐しく育児に専念する。ジョージーナが息子を連れ去ると、再びセリーナへの思いに懊悩するが、ネイトやコリンに目移りするセリーナの姿勢に失望する。セリーナがジュリエットの罠にハメられたことを知り、ブレアから共同戦線を組む提案を受ける。その作戦の一環としてコネチカットへドライブしている中で、ブレアに好意を持ち始める。W誌のインターンとして働き始めたブレアとは、映画や美術について語り合う友人となり、次第に関係が深くなる。恋愛関係にあるか否かを確認するためにキスした結果、ダンは恋に落ちた。しかし、ダンのことを友人としか見なしていないブレアは、ルイとの婚約を決める。セリーナのいとこのチャーリーと交際するが、すぐに破局。夏休みはハンプトンズの別荘で過ごす。

・シーズン5:ヴァネッサが無断で出版社に持ち込んだ私小説『インサイド』が出版される。その内容はブレアをヒロインに仕立てたものだった。ダンに恋するセリーナは内容にショックを受ける。一方ブレアは、自分をモデルにした濡れ場をだけを読んで激怒。中身は通読しなかった。ブレアへの叶わぬ恋に身を焦がすダンは、徹底的にブレアに奉仕を続ける。ブレアとルイの結婚式でセリーナから愛を告白されるも、返事をせずに受け流す。ブレアとルイの結婚はすぐに破綻。『インサイド』を読んだブレアは、ダンの思いを知り熱烈なキスをする。二人は順調に関係に深め、ダンは愛を告白する。しかし、ブレアはそれに応えられず、チャックの下へと行く。完膚なきまでに振られた傷心のダンは、セリーナと肉体関係を持つが、それが罠と気付き激怒。セリーナと絶交した後、ジョージーナとともにローマに行き、UESの暴露本を執筆する。

・シーズン6:暴露本を書いたダンは、少しづつその内容を公表していく。友人から軽蔑され、行き場をなくした結果、ブレアの家に泊まるが、その直後にダンとのセックステープが公表され、ブレアから絶交される。傷を舐め合う形でセリーナとヨリを戻し、高校時代に叶わなかった「理想のデート」を経て深い関係になる。しかし、セリーナの軽薄振りを余すことなく書いた小説を公表した結果、セリーナは激怒し、LAへの移住を決断。ダンはセリーナの荷物に、15歳の頃から愛し続けていたことと、ゴシップガールの真実を書いた小説を潜り込ませる。これを読んだセリーナはLA行きを取りやめ、長い時間をかけて話し合い和解。5年後、二人は結婚する。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

『ゴシップガール』のチラ裏:主要キャストのオレ得メモ@その2

*以下、シーズン1~6までの強烈なネタバレしかありません。未見の人は見ないでください。

◆ブレア・ウォルドーフの6年間

・シーズン1:親友であるセリーナが、マンハッタンに帰ってきた。しかし彼女は彼氏のネイトを寝とっていた。その恨みから対立するも、すぐに和解する。が、ネイトの心はセリーナにあった。ネイトを失ったブレアは、半ばやけくそ気味にチャックのリムジンに乗り込み、後部座席で処女を捧げる。その後、ネイトとヨリを戻し、肉体関係へと発展するが、これに嫉妬したチャックが全てを暴露。尻軽振りが同級生にバレた結果、女王の座を降ろされる。しかし、持ち前の策略により女王の座を奪還。バートとリリーの結婚式で、チャックからの愛の告白を受けて快く応じるも、結局、チャックに裏切られる。

・シーズン2:夏休みはヨーロッパを周遊。マーカス・ビートン卿と交際する。しかし、チャックへの思いを捨てられず別れる。チャックと恋愛ゲームを続けているうちに、二人の気持ちは燃え上がるものの、チャックの父であるバートが事故死したことで関係は暗転。チャックの叔父であるジャックと一夜を共にした後、ネイトとヨリを戻す。ネイトとは順調に交際を続けていたが、イェール大学の合否判定を巡り教師のレイチェルと対立。結局、イェール大学の入学を取り消される。失意のブレアはカーターと一夜を共にするが、結局、ネイトと和解。しかし、プロムの夜に、ネイトが「高校生の彼」でしかないことに気づき別れる。その後、チャックに愛を告白され、二人は結ばれる。

・シーズン3:NYUに入学したブレアは、高校時代のように学校を支配できないことに困惑していた。チャックとの関係は恋人としてもパートナーとしても順調に進んでいたが、ジャックの奸計に落ちたことで二人の関係は破綻する。ブレアは、ホテルの人身御供としてジャックに身を差し出したのだった。チャックからの関係修復のサインを無視し、キャメロンとデートするが、深い関係には発展しない。チャックはブレアに、「エンパイアステートビルの屋上で19時まで待つ。来なければ生涯関係を断つ」と最後通告を行う。産気づくドロータを病院に送ったことで、チャックとの約束には間に合わなかったが、チャックに愛を告白したことで二人はヨリを戻す。しかし、チャックがプロポーズせんとするその時、ダンがチャックを殴りつける。チャックはブレアに振られたと思い込み、ダンの妹であるジェニーと一夜を共にしていたのだった。チャックに裏切られたブレアは激怒。一方的に絶縁を言い渡し、夏休みをパリで過ごすべくセリーナと一緒に旅立つ。

・シーズン4:パリでモナコ公国の公子であるルイと出会う。一時、おとぎ話のようなデートをするが、夏休みの終わりとともに別れる。コロンビア大学に転学したブレアは、チャックへの未練を残していた。チャックとの“戦争”を経た後、憎しみのセックスを繰り返すが、結局、二人は健全な恋愛関係は築けず、友人にもなれないことを確認する。セリーナがジュリエットの罠にハメられたことを知り、ダンに共同戦線を組む提案をする。その作戦の一環としてコネチカットへドライブしている中で、映画や美術について忌憚なく話せるダンの魅力に気づく。インターン先を決めかねているなかで、ダンから「センスの追求者」と指摘され、W誌のインターンに応募。ダンとの友情を深めていくなかで、恋愛関係にあるか否かを確認するためにキスをする。その結果、チャックへの思いを再認識するも、彼の子供じみた策略に失望。ちょうどその頃、ルイがブレアを訪ねてマンハッタンへ来る。恋に落ちた二人は婚約するが、チャックへの思いも捨てられず懊悩する。しかし、ブレアの幸せを願うチャックが身を引き、ブレアはルイの正式な婚約者となる。

・シーズン5:ブレアはルイの子を身ごもっていた。しかし、妊娠の公表や友人関係を巡るゴタゴタの中で、ルイはブレアへの疑念を深め、様々な策略を弄する。結果、二人の関係は破綻寸前まで行きつく。チャックへの思いを捨てきれないブレアは、ルイとの婚約を解消し、チャックとの駆け落ちを決心。しかし、二人の乗るリムジンが事故に遭い、ブレアは流産。ブレアが「神前で約束した通りルイと結婚して、チャックとは一緒にはならないと誓う」と神に祈った結果、奇跡的にチャックは助かる。ブレアはチャックを諦め、結婚式に赴く。ブレアを諦めきれないチャックは、控室で愛を告白。ブレアは神との約束を明かし、チャックとは一緒になれないことを告げる。しかし、その様子をジョージーナが撮影していた。この動画を得たダンは、ルイとの不幸な結婚を潰すことを狙いゴシップガールに投稿。動画を見たルイは、ブレアに仮面夫婦を続けることを強要する。絶望したブレアはダンに助けを求め、空港まで逃げる。結局、ルイとの結婚は成立し、二人は新婚旅行に旅立つが、すぐに関係は破綻。この間、献身的に支えてくれたダンの思いに気づき、交際を始める。順調に関係を深める中、ダンから愛を告白されるが、チャックへの思いに気づき、彼の下へ行く。しかしチャックは、事故死を装い生きていたバートに全てを奪われていた。チャックは会社を取り戻すことを選び、ブレアの告白を拒絶する。それでもブレアは諦めず、モンテカルロまで追いかける。

・シーズン6:母親であるエレノアから会社を任されたブレアは、チャックと熱い夜を過ごす。しかし、新任社長であるブレアと、無位無官のチャックは、二人の社会的ステータスが確立してから一緒になることを誓い、発展的に交際を解消する。アパレル会社の経営に四苦八苦するなかで、チャックとバートとの暗闘へ積極的に介入するも、結局、バートに追い込まれる。バートの奸計から逃げ延びたチャックは、エンパイアホテルの屋上でバートと対峙、結果的に彼を突き落とす。バート殺人の罪を背負った二人は、「妻の証言は採用されない」という法理を活用すべく急いで結婚。5年後、セリーナとダンの結婚式には二人の息子であるヘンリーがいた。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

『ゴシップガール』のチラ裏:主要キャストのオレ得メモ@その1

*以下、シーズン1~6までの強烈なネタバレしかありません。未見の人は見ないでください。

◆セリーナ・ヴァンダーウッドセンの6年間

・シーズン1:コネチカットの寄宿学校にいたセリーナは、マンハッタンに帰ってきた。親友であるブレアと対立するが和解。同時にダンと恋に落ちる。順調に交際を続けていたが、過去の悪行を知るジョージーナの罠にハマり、ダンとの関係が気まずくなる。結局、夏休みを前にダンから別れを告げられる。

・シーズン2:夏休みの終わりとともにダンとヨリを戻すが、すぐに別れる。その後、アーロンと交際するが、肉体関係へと発展する前に別れ、ダンとヨリを戻す。しかし、ルーファスとリリーとの間に子供がいることを知り、かつ大学で離ればなれになることから、ダンとの関係が気まずくなり、冬のうちに別れる。その後、詐欺師のガブリエルとスペイン旅行に行った後、何度か夜を共にするが、騙されていたことを知り別れる。

・シーズン3:夏休みはカーターと一緒に実父であるウィリアムを探していた。ブラウン大学への入学は一年延期し、マンハッタンで自分探しを始め、ひとまずPR会社に雇われる。カーターとの不安定な関係に終止符を打った頃には、PR会社を退職。ネイトのいとこで下院議員であるトリップの事務所に就職し、不倫関係に落ちる。交通事故を経てトリップと別れた後、甲斐甲斐しく看病したネイトと交際。リリーの下にきたウィリアムを歓迎するも、その後、詐欺を働いていたことを知る。ウィリアムの処遇を巡り、ネイトは警察に通報。一方ダンは、逃亡を図るウィリアムの下へセリーナを連れて行った。セリーナとダンは一晩語り明かす。男選び、仕事、自分探しに失敗したセリーナは、ブレアと一緒に夏休みをパリで過ごす。

・シーズン4:コロンビア大学に入学したセリーナは、ネイトとダンのどちらと付き合うべきか迷っていた。非常勤講師のコリンと親密な仲になるも、肉体関係へと発展する前に関係を解消。その後、ジュリエットの罠にハマり薬漬けにされ、オストロフ治療センターに入院する。ジュリエットは兄であるベンのために復讐していた。ベンは、セリーナが寄宿学校にいた頃の恩師だったが、転学を望むリリーが策を弄して「未成年であるセリーナと肉体関係を持っていた」という無実の罪でベンを投獄。セリーナは成績が足りないながらもコンスタンツ・ビラードへと転学できたのであった。ベンを助けるべく奔走し、やがて肉体関係を持つが、家族同士の確執などを理由に別れを告げられる。その後、ダンに未練を残しつつ、ブレアの婚約を妨害するが失敗。夏休みをLAで過ごす。

・シーズン5:LAでは映画会社に就職。夏の終わりとともに、マンハッタンの事務所に転勤。ダンへの思いを再認識し、ブレアの結婚式の日に愛を告白するが、ダンはブレアに夢中だったためあえなく振られる。映画会社をクビになり、ネイトの主宰するネットニュース会社に入社するが、そこもクビになる。一時的にゴシップガールの運営を行うが、これも本家に奪われる。ウィリアムは、彼の実娘であるローラを可愛がっていたので、一方的に縁を切った。本家ゴシップガールにブレアの日記を盗撮していたことが暴露され、ブレアから絶交される。その仕返しにブレアと交際していたダンを誘惑、肉体関係に持ち込む。しかし、その様子を撮影していたことがバレてしまい、ダンは激怒。絶縁を申し渡される。愛する人、親友、仕事、実父と全てを失って絶望したセリーナは、ドラッグをやりながらマンハッタンを後にする。

・シーズン6:一時オーバードーズで自分を失っていたセリーナは、中年の資産家であるスティーブンと交際していた。マンハッタン時代の仲間とは縁を切っていた。しかし、ダンとのセックステープが公表され、スティーブンから別れを告げられる。同じく除け者にされていたダンと愚痴を言い合っているうちに再びヨリを戻すも、ダンはセリーナの軽薄振りを余すことなく書いた小説を公表する。セリーナは激怒し、LAへの移住を決断。しかし、ダンが15歳の頃から愛し続けていたことと、ゴシップガールの真実を知ったことで移住を取りやめる。その後、長い時間をかけてダンと話し合い和解。5年後、二人は結婚する。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月9日日曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:ハナシのスジより美しいシーン

*思いついたことを箇条書きにするのも面倒くさいので、ファミレスで3時間語り倒すモード(=ひとり語り風)で、頭に浮かんだことをそのまま書いていくことにします。

エピソードの構成が『水戸黄門』と同じくらいの金太郎飴的構成……ってか黄金パターンに則ったテンプレート的な安い作りと、杜撰でご都合主義な構成&おハナシであることの利点は、何と言っても「深く考えずに見られること」にあると思うんだ。ぼんやりとTVを眺めているだけで、何となくハナシがわかる。セリフが構図、シーンの移り変わりに集中していなくても、ハナシの筋を簡単に追えるってことは、すなわちコレ、「極めてわかりやすいドラマ」ってこと。

この「極めてわかりやすいドラマ」ってのは、当然、製作者が意図したものでね。実際、製作が『Buffy the Vampire Slayer』とか『Smallville』みたいな中高生向けSFドラマを作ってきたワーナーを前身とするCWのドラマなので、対象視聴者層だって10~20代なんであって、彼らのおつむでも理解できるようなハナシにしようってことは、ドラマ製作の前提にあったはずなのよ。

でもね、そういう製作者サイドの事情は置いておくとして、こういう「極めてわかりやすいドラマ」を作った結果、想像以上の相乗効果が出てきたと思うのよ。その相乗効果ってのは、「限られた時間内に美しいシーンを数多く詰め込めること」と「それをつないだり締めたりする、クサいセリフをてんこ盛りにできる」ってこと。

つまり、GGではハナから「シーズン通しての巨大な陰謀を暴く」とか「各話、各シーズンごとに伏線を張り、見事に回収する」とか「キッチリと整合性がとれ、誰もがハナシの流れに感得できる巧みな脚本」みたいなことで、視聴者のカタルシスを昇華させようなんてことは思ってないのよ。こういうことは全部、他のドラマとか映画にまかせているわけ。

その代わりGGは、臆面もないベタなシチュエーションをベースに、どっかで見たことのあるようなシーンを、美男美女と豪華なセット&衣装で絢爛豪華に飾り付けたうえで美しく撮り、ハナシの整合性を無視して詰め込むと。そのつなぎと締めには敢えてクサいセリフを使って、視聴者に深く印象付ける――つまるところ、美しいシーン、印象的なシーンありきのドラマってことなのよ。

そのためにはハナシの整合性なんてどうでもいいし、ご都合主義を乱発してもかまわない。それよりも、例えば「パリ駅の寒色の外光と暖色の屋内照明、真っ赤なドレスのブレアとボロを着たチャックという対比を軸に、泣かせる曲をバックに流してクサいセリフを言い合せる」ような印象的なシーンを、目一杯見せられればいいってことですよ。

Gossip Girl 4x02 "Double Identity" Chuck/Blair Scene

「あんなドレスで駅を闊歩する女がどこにいるのか?」「お腹への銃撃で神経麻痺になるなんてありえない」なんて野暮なことを言ってもしょうがない。今どきの映画やドラマでは見られない、ベッタベタでマンガチックだけど、とにかく印象に残るシーンであればいいってこと。

美しいシーンとクサいセリフを作るためには、相応のシチュエーションを作る必要があり、シチュエーションを作るためには人間関係を弄る必要がある。で、人間関係をどう弄るのかといえば、メインキャラクターを頻繁にくっつけたり別れさせたりすると。

結果、メインキャストであるセリーナ、ブレア、ダン、チャック、ネイトは全員穴兄妹――男同士とセリーナ×チャックの組み合わせだけはない――になるんだけど、そういった複雑怪奇な人間関係の流れや構図も、何も考えずに見られる黄金パターンに乗っかったドラマだからこそ、ハナシのスジに気を取られずに把握できると。じっくりとドロドロした人間模様を楽しめるってこと。

だからね、シーズン3以降、ちょっと辻褄の合わない設定が出てきたり、ありえない展開がてんこ盛りになったり、複雑だけど杜撰で現実味に乏しい策略が乱発されてもだね、これをもって「何てヒドいドラマなんだ!」っていうのは、ちょっと筋違いじゃないかと思うのよ。いやもちろん、これらは全部瑕疵よ。瑕疵。批判だって正当なもので、決して不当じゃない。

でもさ、そういうところがウリじゃないのに、そこを批判するってのは、喩えるなら「二足歩行の巨大軍事用ロボなんて非現実的」みたいな批判と同じだと思うのよ。そりゃガンダムとかエヴァンゲリオンなんて、常識的に考えれば未来永劫作られないだろうさ。でもね、大多数の視聴者は、「でっこーでんでんでっこーでんでん♪ ってBGMに乗りながら街を蹂躙するザク」みたいな“非現実的だけど問答無用にカッコイイ画”を見たいわけじゃん。だったら、それを見せるために、現実的か否かとか、辻褄が合うか否かとかいう設定上の問題は棚において、もっと視聴者を驚かせる、楽しませる、うっとりさせる画を書くことの方が大正義じゃん――って思うわけよ。

……と、ここまでは前菜みたいなもので、本当に言いたいのはだねダン×ブレアのハナシなんだな。ドラマ上のカップルについて語るなんて、本当に本当にしょうもないことだよ。現実世界のカップルについて語ることでさえ、夫婦げんかについて語ること以上にくだらないことなのに、架空のカップルなんて、ねぇ。

そう。下らないこと、益体もないことだってわかっちゃいるのよ。それでもこのハナシについて何か言いたい、何か書きたいという衝動が抑えられないんだからしょうがない。というわけで次は、ダン×ブレアを語る前に、その前提となる情報を整理した「主要キャスト3人のオレ得メモ」をババッと明かすことにしますですよ。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2014年2月8日土曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:各エピソードの黄金パターン

*思いついたことを箇条書きにするのも面倒くさいので、ファミレスで3時間語り倒すモード(=ひとり語り風)で、頭に浮かんだことをそのまま書いていくことにします。

まずねぇ、GGの大きな特徴は、「テンプレートが見え過ぎるほど、エピソードの構成がワンパターンであること」 もっとも連続ドラマってのは、どんなものでもハナシの作り方のパターンってのはあるのよ。SFものでも、刑事ものでも、恋愛ものでもそう。突き詰めればどんなお話でも、お話である以上は起承転結なり序破急なりの骨組みに還元できるわけでしょ。だから「1シーズン24エピソードの全部が起承転結の構成でワンパターンだ!」なんてことはいわない。

ただ、小説でもドラマでもそうだけど、この究極の骨組みをベースに、いろいろと肉付けをしているんであってね。肉付けに使う素材を変えたり、工夫するなりして、他とは違う個性を出しているわけじゃない。この工夫の一つとして、「エピソードの構成がワンパターンに見えないようにする」ってのがあると思うのよ。

例えば21世紀におけるアクションドラマの金字塔である『Alias』だって、「初めに派手な事件が起きて、シドニーが変装して敵の陰謀を探って、そのうちに格闘と銃撃があって、実は陰謀には裏があって、その結果シドニーがピンチに陥るけど、仲間の助けによって辛くも危機を脱出する」ってワンパターンではあるよ。他のドラマも以下同文な感じであることは認める。

でもね、普通のドラマってのは、視聴者になるべくワンパターンであることを気づかせないように、色々と工夫しているものでしょ。エピソードごとに構成を変えたり、シーンごとの時間配分を意図的に短縮or冗長にしたり、2話連続のエピソードにしたり、強烈なゲストキャラを投入することでエピソードの構成から目を反らしたり……etcってな感じで、視聴者の目先を変えるために涙ぐましい努力をしているもんなのよ。

それがGGについていえば、こういうエピソード構成のワンパターンを隠すような工夫は一切ナシ。本当に一つの工夫もない。基本、S1E2から最終回まで全エピソードが以下のテンプレートに沿って作られてるんだ。

①メインキャストの誰かが、有利/不利になることが起きる。
②メインキャストの誰かが、有利/不利になることを実現/阻止するために安っぽい悪巧みを仕掛ける。
③安っぽい悪巧みは敵対者にあっさり看破され、カウンターの悪巧みを仕掛けられる。
④カウンターの悪巧みは成功し、メインキャストの誰かが窮地に陥る。
⑤この状況を打開するため、パーティで窮余の一策を講じる。
⑥窮余の一策が暴走し、パーティがぶち壊し/ぶち壊し寸前になる。
⑦メインキャストの誰かが、説教/巧みなフォローをすることで破滅的状況を回避する。
⑧ここまでの状況で変化した人間関係の結末を紹介する。

この黄金パターンはS1E3で完全に確立しているのね。いやホント、S6までのどのエピソードを見ても、必ず開巻25分前後にパーティをやるんだって! テンプレート通りであることを隠す気ゼロ。以降は、このテンプレートに忠実すぎるほど忠実におハナシが作られてるの。

正直いって、この黄金パターンは意図したものであったとしても、決して褒められるものじゃないでしょ。黄金パターンといえば『水戸黄門』だけどさ、確かにいっつもいっつも印籠が出てきても面白いものは面白い。長続きしただけの理由がある良いドラマだとも思うよ。でもね、あんまりこういう言い方はしたくないんだけどさ、いわゆる批評家的視点から見てだね、例えば『Before the Devil Knows You're Dead(その土曜日、7時58分)』みたいな凝った構成の映画と比べて優劣をつけるなら、どう考えても優れているとは言えないわけでしょ。

というわけで、GGもドラマとして見れば決して出来は良くないのよ。この黄金パターンもそうだし、辻褄を合わせるきゼロの杜撰なシリーズ構成もそうだし、ご都合主義でしかハナシが進まない安易な脚本もそう。これ全部瑕疵。てな感じでアラ探しをすれば、いくらでもアラは出てくるんだ。

でもねぇ、手前はねぇ、こういう黄金パターンを持ち、杜撰でご都合主義な構成&おハナシであるからこそ、映える魅力ってのがあると思うんだ。
(つづく)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。




2014年2月7日金曜日

『ゴシップガール』のチラ裏:『Skyrim』以来の中毒症状に陥る

1月中旬より今日まで、『ゴシップガール』(GG)にハマっています。実は海外ドラマ視聴にハマり始めた頃に、パイロットを視聴していたのですが、当時は、「クリスティン・ベルのナレーションはイイけど、内容はちょっと微妙かなァ。てか、他に面白そうなモノがいっぱいあるし」と思い、S1E1で視聴を止めていました。

が、去年12月半ばの冷え込んだ日に「布団にくるまってHulu漬け」を敢行してから、去年9月に『ブレイキング・バッド』(去年で配信終了)を視聴して以来、久しぶりにHuluでドラマを“まとめ視聴”する悪癖が再燃。以降――

・『Dr.Who』(誰が見ても面白い。各シーズン最終話の大団円感は凄い)
・『Torchwood』(かなり微妙)
・『Spooks』(トム時代は最高。キャラ的にはロスのが好き)
・『Life on Mars』(最高に面白い! S2はニコ動で視聴)
・『In Plain Sight』(S2をどっかで見られないものか)
・『Drop Dead Diva』(去年で配信終了)
・『Life』『Fairly Legal』(サラ・シャヒは本当にイイ女)
・『THE MENTALIST』(リズボンを眺めるだけで満足。ロビン・タニーは“ジト目の女王”だと思う)

――あたりを見終わり、差し当たってHuluで視聴するドラマが見当たらなくなってきたところで、「そういえば前に視聴を諦めたモノを再見してみるか」と思い立ち、『プリズン・ブレイク』とGGを見始めた結果、『プリズン・ブレイク』はS1E3でリタイヤしたものの、GGはS1E3まで見たところで手前の心の奥底に眠る乙女回路がスパーク! 

以降、Huluで偶数月に配信されるS2、S4を見るのが待ちきれずにツタヤに特攻。準新作扱いのS5は半額クーポンが発行される水曜日に借りて視聴するとともに、S6も字幕抜きのものを違法アップロードサイトで視聴するという具合。しかも、S1~S5までは通しで2回、飛ばし飛ばしで3回、お気に入りシーンだけなら数えきれないほど見るというハマりっぷり。つまるところ、手前にとっての合法ドラッグである『ガラスの仮面』か『Skyrim』かというぐらいの中毒症状に陥ってしまったということ。

で、2月に入ってHuluで配信されたS2、S4を再び通しで見たところで、いろいろと言いたいことが出てきたので、これからしばらくはGGについてのチラ裏を吐き出していくことにします。なぜチラ裏かといえば、『マッドメン』を見て書いたような小学生並みの感想よりもしょうもないことしか書けないからです。実のところGGのどこが面白いか? っていうことを説明するのって、『ガラスの仮面』の面白さを説明するのと同じくらい大変に難しいことなんですよ。

最後にGGを視聴しているときに、土地勘のないニューヨーク周辺の距離感について「とりあえず首都圏で喩えてみよう」と脳内変換するときの一覧表を紹介しておきます。

●アッパー・イースト・サイド(UES)=番町
●ブルックリン=西葛西
●ハドソン=取手
●コネチカット=高崎
●ハンプトンズ=熱海(避暑地としては軽井沢だが、距離が遠くビーチがない)
●バス産業=森ビル
●エレノア・ウォルドーフ・デザイン=ハナエ・モリ
●リンカーン・ホーク=ジュン・スカイ・ウォーカーズ
●UES住人が自宅で開く一般的なパーティ費用=一晩で3000万円(S5E18のラストでアイヴィーに提示された請求書から換算)

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。



2014年1月30日木曜日

骨太の“兵頭節”が味わえる『人物で読み解く「日本陸海軍」失敗の本質』

◆目次
・荒井郁之助
・村田経芳
・黒田清隆
・西郷従道
・山田顕義
・小川又次
・本郷房太郎
・山下源太郎
・田中義一
・岡田啓介
・宇垣一成
・南次郎
・荒木貞夫
・多門二郎
・櫻井忠温
・高橋三吉
・兼田市郎
・岡部直三郎
・石原莞爾
・角田覚治
・保科善四郎
・大西瀧治郎
・阿部孝壮
・田中新一
・堀場一雄

兵頭二十八師の新刊『人物で読み解く「日本陸海軍」失敗の本質』を一足早く読みました。新刊は、兵頭ファンであれば誰でも知っている隔月刊誌『表現者』の連載記事「近代未満の軍人たち」をベースに加筆・修正したもので、09年刊の『近代未満の軍人たち』(光人社)の続編というべき書です。手前のように貧乏をこじらせて、隔月ごとに『表現者』を買えなかったファンにとって待望の書といえましょう。

といっても、日本唯一の軍学者の新刊ですから、ただ単に連載を集めただけの本であるわけがありません。軍師曰く、「雑誌記事を集積しただけの単行本企画は、むかしは小生のあまり気の進まないものでした」「が、この連載に関しては、テーマも内容も、あえて流行を追わぬものであるために、かえって話の鮮度が保たれているように思われます」(421頁)としていますが、これは謙遜も謙遜ですよ。だって連載記事の再掲分は新刊の2/3弱で、残り1/3強が書き下ろしなんですから。

何を書き下ろしているのかといえば、石原莞爾の章です。そのボリュームは実に170頁超。文字数にして8万字超ですから、ちょっとした新書1冊分――『プラトニックセックス』や『恋空』なら多分2~3冊分――ですよ。しかもその内容は超硬派。久しぶりに“肩の力を抜いて読めない兵頭本”となっています。

手前の見るところ軍師は、『「自衛隊」無人化計画』(09年、PHP研究所刊)を契機に、初見の読者でも容易に理解できるように、努めてわかりやすく書くことを意識しているように思います。もちろん、それ以前の本でもわかりやすく書くことを意識していたのでしょう。ただ、09年以降は、一冊の本のなかで唐突に別のテーマを書いたり、強いて難しい漢字を使ったりすることを意識的に避け、より初見の読者に歩み寄った書き方になっているのではないか――と思っているわけですよ。そんな“わかりやすい軍師本”の集大成が、関係各所から絶賛された『日本人が知らない軍事学の常識』(12年、草思社刊)です。

翻って新刊の石原莞爾の章は、こうしたわかりやすさとは無縁です。いや、文章はわかりやすいですし、書かれている内容だって時系列的を順々に追った伝記なので、構成や文章に難があるって話じゃありません。では、どこがどのようにわかりやすさとは無縁なのかといえば、「むやみに情報量が多い」ことに尽きます。

伝記なんだから、生まれから青年時代、将校、参謀として活躍し……みたいな生い立ちを中心に、性格や思想を深堀りするという内容であれば、手前だって“肩の力を抜いて読めない兵頭本”なんてことはイイません。でも、こうした伝記を軸に――

・マルクス思想への対抗運動としての法華経
・国柱会の存在意義とその影響力
・無限を生み出した古代インド人の思想と、有限に整理したがる古代中国人の思想
・両者の思想の相克から変形した新仏教と「時代の区切りの発想」

――といった法華経を巡る斬新な解釈――といっても、軍師によれば『法華経』(岩波文庫)を翻訳した岩本裕を初めとする研究者にとっては当たり前のことらしい。もちろん、サンスクリットからの直接和訳を読まず、漢訳→和訳されたものや、その他の二次文献から翻訳されたものしか読んだことのない人にとっては目からウロコの話であることは間違いない――や、そこまで踏み込んだ上で、独特な“石原思想”へと切り込み、『最終戦争論』以下の予言的な論説を腑分けしているわけですよ。

つまるところ本3冊分くらいの内容を、170頁超のスペースに無駄なくみっしり詰め込んでいるので、絶対に斜め読みできない濃すぎるモノになっているということ。上記のほかにも、「国際商品である大豆と満州の関係」とか「河本大作の水際立った謀才」とか、いろいろと読みどころが多く、蒙を啓かさられること必定です。言葉を換えれば、数ページごとに突然テーマが飛躍したり、詳細なうんちくが語られたりするということでもあり、故にリーダビリティは決して高くないといえます。

石原莞爾については、様々な著者が様々な伝記を書いています。手前も、最も長い伝記の一つである福田和也氏の『地ひらく』(文藝春秋刊)以下、幾つかのを読んだことがありますが、新刊の石原莞爾の章は、これまでに読んだどの石原莞爾論よりも秀逸です。実際、法華経をゼロから遡って“石原思想”の本質に迫った著者なんて、軍師以外一人もいないわけですし。

と、新刊の書き下ろし部分だけ熱く語ってしまいましたが、その他の評伝の面白さも折り紙つきです。例えば黒田清隆の章では、自他共に西郷隆盛の弟分であった黒田にとって、山県有朋や前原一誠の部下にはなれないという事情から、彼らが牛耳る兵部省ではなく、「北海道開拓使=第二の兵部省」として、北海道~樺太を黒田に任せる――という説得力のある説を立てていますが、他の評伝でも同じように類書にはない面白い要素が盛り込まれています。

また、前著では児玉源太郎、森林太郎、上原勇作以外の全員が戦間期~第二次大戦当時の軍人でしたが、翻って新刊では、明治初期から大戦末期までの軍人をバランスよく取り上げているので、「日本陸海軍の歴史をザッと振り返る一冊」としても読めます。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。



2014年1月1日水曜日

大河ドラマ的日本史年表:西田敏行2014年版

大河ドラマ終了と同時になぜかアクセスが急増していたので、ご好評に応えて役と俳優を対応させたバージョンを作成。元ネタは2chの「大河ドラマ的日本史年表」スレ。大河ドラマのみでその他のNHK及び民放時代劇、映画は使用せず。なお、西田敏行は国盗り物語(弥八役)にも出演していますが、ちょい役――MUSASHIの内山半兵衛はゲスト出演でも重要な役どころだったものの、こっちは総集編にも出てこないほどの小さい役――なので敢えて年表には反映していません。

・西田敏行@1163~1221(新・平家物語:北条義時)
・西田敏行@1536~1561(武田信玄:山本勘助)
・西田敏行@1561~1598(おんな太閤記:豊臣秀吉)
・西田敏行@1549~1614(功名が辻:徳川家康)
・西田敏行@1600~1614(葵 徳川三代:徳川秀忠)
・西田敏行@1601(武蔵 MUSASHI:内山半兵衛)
・西田敏行@1716~1745(八代将軍吉宗:徳川吉宗)
・西田敏行@1854~1877(翔ぶが如く:西郷隆盛)
・西田敏行@1866~1922(花神:山県有朋)
・西田敏行@1868~1877(八重の桜:西郷頼母)

・1163年、西田敏行、生誕
・1180年、西田敏行、石坂浩二(草燃える:源頼朝)に従い源平合戦に参戦
・1205年、西田敏行、鎌倉幕府の政所別当に就任
・1221年、西田敏行、尾上辰之助(草燃える:後鳥羽院)による西田敏行追討の宣旨を受け、幕府軍を招集。姉の岩下志麻(草燃える:北条政子)とともに上皇軍を破る
・1536年、西田敏行、成田三樹夫(徳川家康:今川義元)に仕官を申し出るも断られる
・1543年、西田敏行、菅原文太(武田信玄:板垣信方)の推挙により佐藤慶(徳川家康:武田信玄)の下に出仕
・1549年、西田敏行、実父である近藤正臣(徳川家康:松平広忠)が暗殺される
・1561年、西田敏行、川中島で石坂浩二(天と地と:上杉謙信)と相対する佐藤慶(徳川家康:武田信玄)に「啄木鳥戦法」を献策
・1561年、西田敏行、佐久間良子(おんな太閤記:ねね)と結婚
・1573年、西田敏行、三方ヶ原の戦いで佐藤慶(徳川家康:武田信玄)に敗退
・1582年、西田敏行、本能寺の変を受け、中国大返しと伊賀越えを果たした後、山崎の合戦で近藤正臣(国盗り物語:明智光秀)を破る
・1584年、西田敏行、小牧・長久手の戦いで西田敏行(功名が辻:徳川家康)に敗退
・1586年、西田敏行、西田敏行の妹である松本明子(功名が辻:旭姫)と結婚し、西田敏行(おんな太閤記:豊臣秀吉)に臣従を誓う
・1598年、西田敏行、西田敏行(功名が辻:徳川家康)を五大老に任命
・1600年、西田敏行、藤波辰爾(江:真田昌幸)に進軍を阻まれ西田敏行(功名が辻:徳川家康)の叱責を受ける
・1601年、西田敏行、市川新之助(武蔵 MUSASHI:宮本武蔵)とともに村を襲う盗賊集団と戦う
・1603年、西田敏行、征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開く
・1605年、西田敏行、西田敏行(葵 徳川三代:徳川秀忠)に将軍職を譲る
・1614年、西田敏行、大阪冬の陣にて西田敏行(功名が辻:徳川家康)から再び叱責を受ける
・1716年、西田敏行、八代将軍に任じられる(八代将軍吉宗:徳川吉宗)
・1745年、西田敏行、中村梅雀(八代将軍吉宗:徳川家重)に将軍職を譲る
・1854年、西田敏行、加山雄三(翔ぶが如く:島津斉彬)とともに江戸に赴く
・1866年、西田敏行、第二次長州征伐で西田敏行(花神:山県有朋)率いる奇兵隊と戦う
・1868年、西田敏行、西田敏行(花神:山県有朋)らとともに倒幕を果たす
・1868年、西田敏行、会津戦争で新政府軍に敗退
・1869年、西田敏行、西田敏行(翔ぶが如く:西郷隆盛)の協力を得て徴兵制を施行
・1875年、西田敏行、都々古別神社の宮司に任じられる
・1877年、西田敏行、西田敏行(翔ぶが如く:西郷隆盛)との内通が疑われ宮司を解任される。その後、西南戦争で政府軍に敗退
・1889年、西田敏行、内閣総理大臣に任じられる
・1894年、西田敏行、日清戦争で第一軍司令官として清軍を破る
・1904年、西田敏行、日露戦争で参謀総長としてロシア軍を破る
・1922年、西田敏行、死去

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。