2010年3月31日水曜日

忙しい人のための鳩山×谷垣党首討論

全文はこちら。美辞麗句を省いたらとってもシンプルになりました。

谷垣総裁「国家公安委員長がSPを連れずに夜の町に出て行くことが危機管理上何らかの問題があると考えているか」

鳩山首相「一番大事なことは説明責任を果たすこと。国家公安委員長は説明をした。SPを連れなかったことは配慮がないと思うが、何らかの理由があったんだろう。本人も反省している」

谷垣総裁「反省しているから、責任は問わないのか」

鳩山首相「この件に関しては、官房長官から厳重に注意があった」

谷垣総裁「一昨日、総理の元秘書、勝場被告の公判があった。裁判は結審した。国会で説明するのか」

鳩山首相「私が存在していなければ、彼も犯罪に手を染めることはなかった。まことに申し訳ない。私は責任を負うべきだ。職責を全うすることで、その責めを果たしたい」

谷垣総裁「3月26日の記者会見で3月末までに政府案を一本化したいと発言したか」

鳩山首相「確かに3月をメドに、政府としての考え方をまとめたいと発言した」

谷垣総裁「3月29日、ぶら下がり会見で、『今月じゃなきゃならない、そういうことは法的に決まっているわけではありません』と発言したか」

鳩山首相「5月の末までに、政府の方針を作ると約束した。私には腹案がある。そして閣僚にも、その認識の下で行動してもらっている。私は3月末をメドにして政府としての考え方を決めたいと発言した。全国の国民は、沖縄の負担を分かち合ってほしい」

谷垣総裁「今日は3月31日。いつまでにきちっと決めるんですか」

鳩山首相「腹案はある。ただ、それを言ったら調整が難しくなるから言えない」

谷垣総裁「移設先は沖縄県内か? 県外か? 国外か?」

鳩山首相「答えられない。腹案を大っぴらにする時期ではない」

谷垣総裁「いつになったら明らかにできるのか」

鳩山首相「5月末のある程度前までに公表をする」

谷垣総裁「移設予定地に総理自身が行って説得する用意はあるか」

鳩山首相「ある」

谷垣総裁「案をまとめる前に地元の了解を得るということか」

鳩山首相「そうだ」

谷垣総裁「移設問題には4つのポイントがあると考えている。1つ目は抑止力の維持。2つ目は沖縄の負担軽減。3つ目は普天間基地の危険の除去。4つ目は国民の負担。総理の腹案は、これらの4つのポイントで、現行案より優れていると自信を持っているのか。14年までに普天間の危険を除去できると考えているのか」

鳩山首相「トータルで見れば、私の腹案は現行案よりも同等かそれ以上であると自信を持っている。普天間の危険の除去も14年までに解決する」

谷垣総裁「5月末日までに、政府案を固め、現地の了解を得て、米国の同意を得るということか」

鳩山首相「5月末までに政府案を連立政権として米国に提示して、移設先の理解を求め、米国に認めてもらうようにする」

谷垣総裁「できなかったらどうするのか」

鳩山首相「必ず成果を上げる」

谷垣総裁「できになかったら、日米間の信頼を決定的に損なう。政治と国民の信頼関係も裏切ることになる。そのときには退陣しなければならない。退陣しないなら信を問わなければならない。私どもは受けて立つ。その覚悟と承知した」

鳩山首相「全力を挙げてこの問題の解決に努力する」

あんまり時事問題は書きたくないけど

多分、いろんなとこで同じようなことが言われていると思うけど、敢えて言う。なんで警察や検察は、“お仲間”が関係すると犯人に辛く当たるかねぇ。

国松孝次警察庁長官銃撃事件の異例の発表といい、元厚生事務次官宅連続襲撃事件の死刑判決といい、これが“お仲間”じゃなかったら絶対にあり得ない話でしょう? 

犯人はオウム真理教? だったらさっさと挙げろよ。証拠なんて作りゃいいじゃん。いっつもやってたことなんだから! それでも挙げられず悔し紛れにこんなことを発表するのは、「警察のトップが殺られそうになったから」って理由だけでしょ? てか、福田和也氏もいってたけど、これって国松元長官の「士道不覚悟」って話なんだから、いけしゃあしゃあとテレビに出るんじゃねぇよ。自らを恥じて蟄居してなきゃダメだろ!

2人殺して1人大怪我で死刑? 相場に照らして重すぎじゃね? 光市の殺人事件みたいなヒドイことをしたわけじゃないし、強盗殺人でもない。ただの殺人なんだから相場で見て死刑はないだろ。元次官のような人臣位を極めた人間を殺したら死刑なのかね? そんなに高級官僚が偉いのかよ!

こんなことやってるから、「官僚は信用できねぇ!」と思われるんだよなぁ。

「不逞外国人や気狂いを取り締まってくれる頼もしい日本警察の面々には、これからもがんばっていただきたい」「NHKや朝日新聞と同じ意見になるくらいならバケツ一杯の小便を飲んだ方がマシ」――と、常日頃から思っている手前にこう思わせるくらいなんだから、世間一般の人も「ちょっとおかしくね?」と思ってるんじゃないでしょうかね。

追記:ダルビッシュ有投手がメジャー行きを否定。そりゃそうだろ。球団は出したがっているし(大金が手に入るので)、父親も行かせたがってるけど(大金が手に入るから)、本人は心の底から行きたくないわけで。そもそも“有”って名前自体が、イスラム圏で最もメジャーな名前の当て字なわけだから……まぁ、アメリカには行きたくないだろうねぇ。お金について言えば、明日引退しても死ぬまで食うに困らないだろうし、本人も恬淡としてるんじゃないでしょうかね?

2010年3月30日火曜日

古田敦也、「優柔決断」のすすめ:その3

監督に限らず、チームを率いるときに大切なことは、「自分の考えをチームに浸透させる」ことだろう。落合博満の著書『プロフェッショナル』(ベースボール・マガジン社)にこんな言葉がある。

「選手は監督の戦術に基づいてプレーするのだから、その戦術への理解度が高ければ高いほど、パフォーマンス力も向上し精密になる。それが勝利への近道だし、その積み重ねで優勝は実現する。その逆なら、選手は戸惑いの中でプレーを続けなければならない。結果はいわずもがなだ」(245頁)

81年のパリーグプレーオフ第一戦、ロッテvs日本ハム戦を振り返っての言葉だ。

当時のロッテは典型的な打ち勝つチームで、上位打線でバントをすることはあまりなかった。リー兄弟と有藤道世のクリンアップの爆発力で勝つという方針が徹底されていた。そんなロッテが、3回裏、ノ-アウト2塁のチャンスで一番の庄司智久を迎える。落合は、ここで山内一弘監督がバントを命じたことが、プレーオフ敗退の遠因だったと指摘している。シーズン中に徹底していた打ち勝つ野球を転換し、手堅い野球をやった結果、選手が監督の方針転換についていけずチグハグな攻めに終始してしまったという。

この落合の教訓を、シーズン中の監督の采配に当てはめてみよう。

たとえば「ウチは一点を守る野球をする」といった大まかなプランを実現するためには、「センターラインには打撃力以上に守備力を考慮したメンバーを起用する」「先制点を確実に取るために2番には小技のできる選手を起用する」「ローテーションを再編してでも力のある投手をリリーフに配転する」といった選手起用を行なう必要がある。試合にあたっては、セオリーでは強攻策でも愚直にバントを命じるシーンも多くなるだろうし、先発投手を早い回で交代するシーンも多々見られることだろう。

ときにセオリーに外れた起用、采配を見て、「この監督は無能!」と謗られることもあるが、これらは全て「ウチは一点を守る野球をする」という監督のプランに則って行なわれるものであり、いわば行動で自らのプランをマニフェストしているということ。このくらい徹底してやらなければ「自分の考えをチームに浸透させる」ことはできないものだ。多くの監督は、ファンやマスコミ、フロントといった“素人”の声に負けて方針を転換してしまい、結果、トップの迷走がチームの混乱に繋がり泥沼に陥ってしまう。

このように「自分の考えをチームに浸透させる」ためには、ときに迷惑なほど頑固になる必要がある。ある意味、バカにならなければならないということだ。

古田は同著で、「初志貫徹」という言葉は好きではないと書いている。こだわることを全否定しているわけではないだろうが、重きを置いていないことは確かなのだろう。何かにこだわるより近道を探すのが古田流の思考であり、頑固になりきれない、バカになりきれないということ。つまり、先が良く見える“アタマ”があったからこそ、自分の考えを徹底させることができなかったのではないだろうか? 

同じことを繰り返し練習させる、ときにはセオリーを破ってでも自分の信念に従って行動する――こうしたことをショートカットすることは、一面から見れば合理的であり良い方法ではある。しかし、ここから逃げていては、いつまでも自分のタクト通りに選手が動くことはない。

選手は言葉だけで動くものではない。ダイエー監督時代の田淵幸一が「ホームランのサイン」を出したところで、それに応えられる選手がいなかったように(多分、王選手がいたとしても応えられなかっただろう)、「ウチは一点を守る野球をする!」と宣言しただけでは、選手は動かないものだ。オーダー、采配、査定……全てに自分の方針を徹底させることで、ようやく自らの考えを実現できるのではないか。

近い将来、古田はどこかのチームで監督に復帰することだろう。そこで成功することができるのか? この著書を読む限り、結構難しいことではないかと思わずにはいられない。


2010年3月29日月曜日

落合博満×落合福嗣の親子対談

週刊プレイボーイの連載コラム『落合福嗣の腹式呼吸』最終回スペシャル対談、「涙の独占3時間!! ボク×オレ」が面白かったので、以下、概要を紹介。全体通して落合博満の著書、TV番組などで言及されていたことが多かったので、ものすごい新味はなかったのですが……。

~~中高時代のイジメ~~
フクシ:中学時代のイジメに遭う。高校時代、1対7でケンカしてボコボコにされたことをキッカケに登校拒否。家にいるととーちゃんが心配するので、とりあえず外に出ていろとかぁちゃんに言われ、公園で時間を潰す。
博満:あの頃はそういうこと全然、知らなかった。オレの高校時代そっくりそのまま。オレの場合、公園じゃなく映画館で時間を潰してた。

~~2ヶ月だけの反抗期~~
フクシ:とーちゃんに「おまえ」って言い放った時、「おまえとはなんだ!!」って激怒りして一触即発。でも、実際に殴り合いはしなかった。かぁちゃんが止めるから。かぁちゃん、いいとこで止める。怒りは壁にぶつけてた。
博満:だからウチの壁にはボッコリとアナが開いてる。名古屋が1ヵ所、東京が3ヵ所くらい。それらはあえて直さずに女房が大事にとってある。カレンダー張ったり、人形置いたりして隠してはいるけど。
フクシ:最終的に、かぁちゃんが仲立ちして、とーちゃんと話し合いをした。その時に「おまえは野球が下手でいじめられたけど、オレは野球が上手すぎていじめられたんだぞ」みたいな話をしてくれた。
博満:「オレもいじめられて、何回も野球やめて、それでもまだ野球で食ってるんだぞ」という意味。あと、「落合博満って名前を利用しろ」つったんだよね、あの時に。
フクシ:そうそう。あの言葉で、とーちゃんの子供でよかった部分もかなりあるってことに気づいた。そうやって2カ月くらい続いたボクの反抗期は終わった。

~~人生の分岐点~~
博満:オレは「東芝府中」に入ったのが人生の分岐点。それまでのオレが変わったから。とにかく大学の時、体罰がイヤになって寮から逃げ出した。なんの連絡もしなかったから捜索願まで出された。あの時は上野公園とか日比谷公園で過ごしていた。2週間以上、そういう生活してたんだよ。最終的にお金がなくなって品川の交番で10円借りて電話して、秋田から捜索しにきてた兄弟に助けてもらった。それから大学を中退して、秋田に帰って工事現場のアルバイトで過ごす。そんなオレが変わったのが東芝府中に入ってから。あの時代、女房にも出会ってるし、オレの分岐点はやはり東芝府中に入った時だと思う。

~~フクシの将来~~
博満:だからオレらがおまえの面倒見られる間に、自分でなりたいものを探してなればいい。オレはそう思っている。そこの部分に関しては一般家庭とウチとの最大なる違いだ。
オレはおまえに「25まではちゃんと面倒見てやるから」って言ってるもんな。ウチの場合、成人は25歳って考えだから。
博満:結局、親がとやかく言っても、やらない時は絶対やらない。言わなくてもやれるようになれば自分でやる。おそらく、あと2~3年のうちには、この子も何事も自発的にやるようになる。それがオレの言う「25歳=成人」だと思う。とにかく、おまえが所帯持つまで…いや、所帯持ってもオレが面倒見ると思う。ある日突然「子供できちゃった」っていうんだったら一緒になったらいい。ひっくるめて面倒見るから。それが親の責任だと思うんだ。それが世間からどういう見方されるのか知らんけど。
フクシ:だって、それが落合家の方針だもんね。
博満:そう。親として当然だと思う。それができる環境にあるだけに。それを世間にとやかく言われる筋合いはない。

~~最後に一言~~
博満:あれだな、書籍化する時は、オレ、もう一回なんかやってやるよ。
――おおー!! マジでございますか!?
博満:どうせページ数が足りないだろ? 何をするか知らんけど、やってやるよ。え、本が売れない時代? 面白いやつなら売れるんだよ!!
フクシ:ボクもそう思う。もし本が出るなら、もちろん、かぁちゃんも…落合家総動員だよ。バーンと派手にやったらぜ~ったいに面白いのできるって!!

古田敦也、「優柔決断」のすすめ:その2

「『優柔』とは『優柔不断』の『優柔』……。なので、グズグズして決断力に欠けることと思われるかもしれません」
「『優柔』とは、その場その場で『柔軟』に情報を採り入れていくということ。~~中略~~フレキシブルな情報収集のあり方。読んで字の如く『優れた柔軟さ』と解釈してみたらどうでしょう」
「ぼくが考える『優柔決断』は、柔軟に情報を収集したうえで、最終的にそれを活かした『決断』をしっかりするということ。いよいよ最後となれば、『やってみなきゃわからない』。そこまできたら、あとはとにかく『やる』勇気をもつことなんです」(11~12頁)

「こだわる」よりも「柔軟に対応する」ことに重きを置く。手広く情報をインプットし、素早く決断できるように(情報をアウトプットしやすいように)整理したうえで、腹を括って決断する――そんな「優柔決断」という思考法を紹介した同著。幾つか出ている古田の本のなかで、最も素直に自分の考え方を吐露している本でもある。

レギュラーを獲る、全日本の椅子を奪うとき、多くの選手は「自分の長所を磨いて」「実力を高めて」という“正攻法”で臨むことが多い。2軍で5試合連続ホームランを打てば、どんなに監督やコーチに嫌われていようと1軍に引き上げられるが、そこまでの実力を身につけるには相応の努力と時間が必要となる。

古田は、こうした“正攻法”で必要となる回り道をショートカットすることも大切であると説く。つまり、監督好みの選手になることで、手早く使ってもらうという方法だ。

「上司の好みまで研究し、それに合わせようとするなんて、『なんだ、たんなるご機嫌とりじゃないか』と、あざとい作戦に思われるかもしれません。でも、それは違う。決してただ気に入られるために機嫌をとっているわけじゃない。自分の目標を達成するためには最低限やらなければならないことだと、ぼくは思っています」
「忘れてはいけないのは、自分は評価される側であり、選ばれる側であるということ。選ばれなければ、何も始まらないのです」(73~74頁)

古田の言うことは正しい。多分、どの世界でも通じることだろう。しかし、同時に小賢しいことでもある。正論であり現実論ではあるけど、公刊される本で堂々と他人に薦めるような話ではないだろう。さらにいえば、自分をお気に入りにした監督がいなくなり、新たな監督が来れば、途端に使われなくなるリスクもある(中日の清水雅治、前原博之はその典型例)。こうして消えていった選手は枚挙に暇がない。

このような計算高さ(小賢しいところ)が、監督として成功を収められなかった一番の理由だったのではないだろうか。
(つづく)

2010年3月28日日曜日

古田敦也、「優柔決断」のすすめ:その1

「監督に必要な資質とは一体何なんだろうか?」

古田敦也がヤクルトの監督を退任したとき、まず思い浮かべたことだ。

・球界随一の頭脳派
・野村ID野球の象徴
・近代野球における最高のキャッチャー

もし、監督に必要な資質が「頭の良さ」や「野球理論の深さ」「弁舌の巧みさ」であるとするなら、古今東西で彼以上の人材はいないのではないか? と思わせるほど、古田は全てを持っていた。ほとんどの人は監督就任前の古田のことを、将来の名将と見ていたのではないだろうか。

しかし、古田は監督として失敗した。失敗は言い過ぎかもしれない。同情すべき点も多かったからだ。

曰く、プレイングマネージャーという難しい立場であった。
曰く、野村・若松時代ほど戦力に恵まれていなかった。
曰く、球界最強の捕手である“古田選手”が万全でなかった。

とりわけ、プレイングマネージャーという立場で采配だけに専念できなかったことをして、「監督としての真価はまだまだ発揮されていない」と見る向きもあろう。しかし、こうした点を考慮しても監督在任2年間の成績が「負け越しの3位」「最下位」というのでは、監督としての手腕が優れていたとはいい難い。贔屓目に見ても「いまのところ名将の片鱗は感じられない」といったところではないだろうか。

球界屈指の頭脳派といわれた古田は、なぜ、監督として成功できなかったのか?

野村克也の言うように「プレイングマネージャーなのに参謀を置かなかったから」(野村が選手兼監督だったときはドン・ブレイザーに采配のほとんどを任せていた)ともいえるし、「いや、ライバル派閥の元池山派(岩村明憲選手、宮本慎也選手ら)の面々に愛想つかされてチームがバラバラだったから」ともいえる。他にも理由はいろいろあるだろう。

この疑問について自分なりに得心したのは、古田の著書『「優柔決断」のすすめ』(PHP新書)を読み終えたあとのことだった。
(つづく)

ちょっとあり得ない!

1回コケて、1回ジャンプを失敗したキム・ヨナが130.49点で、パーフェクトの浅田真央が129.50点? 暫定一位だから良いって問題じゃねぇぞ、これ。

2010年3月27日土曜日

締まんねぇゲームだなぁ

セサルひでぇ
よし井端粘れ……って初球で二ゴロかよ!

広島vs中日の開幕戦。何というか最初から最後まで何一つ締まらないゲームだったなぁ。
あんだけエラーがあって3点しか取れない広島もアレなら、和田一浩選手以外、何一つ怖くない中日はもっとアレだし。てか、守りが固いってのは過去の話ですか? 内野手全員がゴールデングラブ賞受賞者だったこともあったなんて、昨日の試合見たら信じられないよなぁ。

セサル? あれはビョン様が靴墨塗ったくってセカンドを守っていただけです。本当のディオニス・セサル選手はケガで調整中なんです(>_<)。まぁ、最後の打席で代打を出したので、そこまで信用していないんでしょう。とはいえしばらくはスタメンなんでしょうが。

それにしても親とセロテープと同じように、いなくなって初めて偉大さがわかりました。荒木雅博選手。早く戻ってきてください!

2010年3月26日金曜日

*読書メモ:代替医療のトリック

鍼のプラセボ対照群の作り方。一つは浅く打つこと。鍼の理論では経絡まで打たないと治療効果がないから。もう一つは経絡を外して打つこと。

伸縮鍼もすでに開発されている。皮膚に突き刺さるように見えるだけで、実際には鍼管の一端を粘着性にして皮膚にくっつけ、鍼を支えるもの。皮膚に軽く刺激を与える工夫もされており、患者には鍼治療とほとんど見分けがつかない。

ただし、鍼治療の完全な二重盲試験は、現在の技術では難しいようだ。

ホメオパシーは、近年行なわれた多数の臨床試験をメタアナリシスにより分析した結果、どの病気に対してもプラセボより有意な結果は得られていない。

ナチスが「新ドイツ医療」を創り上げるとき、真っ先に注目したのがホメオパシーだった。ドイツ保健省はホメオパシーの大規模臨床試験を行なう。60の大学で結核、貧血症、淋病を対象に2年間に渡って行なわれた。

ホメオパシー史上初の包括的研究の結果は、戦災により失われた(あるいは隠蔽、廃棄された)が、唯一残った文書(フリッツ・ドナー医師の遺稿)によると、「これらの検証からは、肯定的な結果はひとつも得られなかった……ただし、議論の余地なく明らかになったことが一つある。それは、ホメオパスたちの主張は、願望にもとづいているということだ」

カイロプラクティックは元々、「背骨のポジションを正すことで、あらゆる病気を治す」という思想から生まれたもの。椎骨の様子を調べ、脊椎手技整復治療(脊椎マニピュレーション)を行なう。

脊椎マニピュレーションで行なわれる治療は、関節を動かすこと。自分の関節を逆方向に曲げる際、「自力で精一杯曲げられる(レベル1)」「自分の手を使って思い切り曲げられる(レベル2)」「自分の手で一瞬だけ思い切り力を加え、更に曲げるイメージ(レベル3)」――という3段階があるとすると、脊椎マニピュレーションはレベル3で関節を動かす。

これを頸で実施すると、頚椎動脈が傷つき血栓が出来てしまうことがある。結果、脳卒中により死に至る危険性がある。年齢は関係なく、若い人でも多くの致死例がある。

おそらく日本一真っ当な日米安保論、「実名告発防衛省」

タイトルは、守屋事件のときに一瞬“時の人”となった太田述正氏の著書名。忙しい人は第三部だけでも読んでみましょう。多分、いま日米関係について語られている数多の人のなかで、一番真っ当な話をしています。

2年前、株式会社金曜日(週刊金曜日の出版社)から発刊されたものなので、出版社名を見て、「ごめん、パス」と思われる人――良心的で常識的な人なら大体そう思うんじゃないでしょうか。少なくとも手前には相当抵抗感がありました――も多いと思います。でも、出版社の名前に惑わされてはいけません。その中身は出版社の主張とは真逆のもので、「出版社が喜ぶ防衛省不祥事の実名暴露に事寄せた、凄く真っ当な日本防衛論」です。

「日本は法理論上も、またその実態も米国の属国だ。戦後日本は、国の自立を先延ばしにしたままずるずると現在に至り、宗主国に搾取され続けている」(216頁)

手前が日本属国論について初めて触れたのは、20年近く前の『朝まで生テレビ』で野坂昭如が「日本はアメリカの植民地!」といってたのを聞いたときのこと。当時は、「そりゃいいすぎ」と思っていたものだけど、あれから20年近く経って、著者と兵頭二十八師の共著書『属国の防衛革命』を読んで、「なるほど、いいこと言うなぁ」と説き伏せられた。著者の主張する<吉田ドクトリン>という考え方が、現在の日米関係を説明する上で最も的を射たものだと感じたからだ。

<吉田ドクトリン>とは、一言で言えば、「安全保障は米国にゆだね、経済に専念する」ということ。言われてみれば当たり前のことで、ほとんどの人は「そんなこと改めて言うまでもないことじゃね?」と思うことだろう。でも、なんとなく理解することと、典拠を明らかにして理詰めでキッチリ論証することには天と地ほどの差がある。著者は、「なぜ、日本がこのような国家方針を採ることになったのか?」について、極めてわかりやすく、かつキッチリと論証している(詳しくは『属国の防衛革命』の第一章「日本はみずから望んで米国の属国になっているだけ」を読んでください)。手前は、この<吉田ドクトリン>の話にノックアウトされましたよ。ええ。

で、これをハッキリと認めて、日本はどうすべきか? について思想の枠に囚われず論じているところが同著第三部の真骨頂。

「一つの方法は、米国と合邦し、その一部になることだ。日本人も米大統領選挙に参加することができるようになる。こうなれば北朝鮮がらみの拉致問題だって核問題だって、米国は現在とは比較にならないくらい真剣に対処するだろう」
「もう一つの方法は、米国からの自立を果たすことだ。日本人はこのどちらかを選択しなければならない」(216頁)

右の人も左の人も自分の思想の立脚点から外れたくないために、どうしても言えないことを平然と言ってのけるッ そこに(略。 

じゃぁ、自立するためにはどうすれば良いか? 

「仮に日本人が米国からの自立を選択するのであれば、いの一番にやるべきことは、何度も述べているように、集団的自衛権の行使ができるように憲法第九条を改正するか、その政府憲法解釈を改めることだ。その上で日米安保条約を双務的な条約、つまりは本来的な意味での同盟条約へと改定することによって初めて法理論的に日本は米国の属国の地位を脱することができる」
「これと平行して自衛隊――名前を軍隊へと改めるかどうかなど二義的なことだ――を、具体的任務を付与することによって戦力化し、思いやり予算を段階的に廃止することとし、在日米軍基地の大幅な整理・縮小や首都圏からの移転を行なう。そして武器輸出禁止政策の大幅緩和を行なう」(217頁)

これが著者の処方せんだ。この結論だって右の人も左の人も受け入れがたいものだろう。でも、理屈で考えたらこの結論しかないように思える。というかこの目標を達成しない限り、日本の外交を巡るあらゆる問題――対米関係、対特亜関係、ODA、環境、捕鯨、領土問題……etc――は解決できないだろう。

あまりにもシンプルで身も蓋もない話だけど、やっぱり世の中にある“図星なこと”(敢えて「真理」とか「真実」とか「本当のこと」とは言わない)ってのは、『孫子』でも「E = m c2」でもそうだけど、シンプルにまとめられるんじゃないでしょうかね?


2010年3月25日木曜日

2010年セリーグ展望(順位予想はしないよ)

セリーグ開幕前日ということで、どこもかしこもペナント予想(大体、優勝候補は巨人)なんかをしちゃっているんでしょう。でも、短期決戦ならいざしらず、半年かけて144試合を戦う長期戦の行方を予想するなんて土台無理な話。というわけで順位予想は一切しません。

……で済ませてしまうと面白くないし、blogのネタも埋まらないので、「順位予想のないシーズン展望」でお茶を濁すことにします。

◆横浜

横浜の尾花高夫はスゴ腕だと思うけど、低迷しているチームが短期間で変貌することはまずない。三原脩が率いたときは、最下位から優勝して三原マジックといわれたけど、あれは例外中の例外。

打線については「四番がいる」というだけで十分に戦えるレベル。投手陣は巨人、中日に比べれば二枚か三枚劣るものの、他の3チームと比べればどっこいどっこいのレベル。一番の問題はセンターライン。とりわけ二遊間。ここに新外国人を置かなきゃならないところがツライ。経験的な話だけど、内野で堅実な守りができる外国人っていないもの。キッチリ守れる選手であれば、打てなくてもメジャーで使われることが多いし。我慢しても若手を使えといいたいところだけど、その若手がいないしねぇ。

まぁ、これ以上、下に落ちることはないんだし、戦術・戦略眼についていえば、近年就任した監督のなかでは頭二つくらい抜けているので、上手くいけば(何らかの理由でヤクルトか中日が大不振に陥ったら)Aクラス入りできるかも。

◆広島

広島の野村謙二郎はねぇ……。達川晃豊のときもそうだけど、生え抜きの熱血監督って成功しないんだよなぁ。ガンガン練習させたことで、選手の実力が向上していればいいけど、その分、ガス欠も早いし。投手コーチも大野豊でしょう? WBCで株を上げたといっても、前のときに大失敗だったからなぁ。10年前にさんざん言われていた「鯉のぼりの季節まで強い」ってのを体現するんじゃないでしょうかね? 正直、Aクラス入りは難しいと思います。

◆阪神

強いチームの条件は確固たる「エース」と「四番」がいること。そのうえで「天皇」がいないこと――ってのが手前の持論なんだけど、阪神の場合は「天皇」がいるからなぁ……。チームに絶対者が二人いるようでは、いくら戦力があっても100%発揮することは不可能だもの。真弓明信監督がチームを掌握するためには、まず“絶対に外せない四番打者”を外すことから始めないと。これが無理なら優勝も到底無理。

◆ヤクルト

今年のキャンプは失敗したらしい――戦力に見込んでいた投手、捕手がこぞって故障&調整不足。川島慶三選手も今季絶望――ので、去年のようにはいかないのかなぁ。ただ、由規投手が物凄く良さそうだし、ケガ人の多いリリーフ陣も押本健彦投手(惚れ惚れするようなストレートを投げるよなぁ。個人的に物凄く好きな投手)が無事なので、彼を軸に回せばどうにかなる……のかなぁ。イム・チャンヨン投手は、キッチリ研究されているはずなので去年のような“林無双”という活躍はできないでしょう。

◆中日

四半世紀来の落合ファンとしては、「優勝」という結論以外ないのですが……。でも、巨人が去年のように何もかも上手く行くとは思えない! という話が前提ですが。

とはいえ、中日にも不安な点は一杯あって、なかでも一番アレなのが「投手陣」。ほとんどの評論家は「12球団トップクラスの投手陣」と評価しているけど、んなこたぁない(タモリ風)。

朝倉健太投手、中田賢一投手という本来“Wエース”となるはずの2人の計算が立たず、開幕ローテの一角に入った山井大介投手が一年間ケガ一つなくローテを守れるとはとても信じられず、期待の新星である伊藤準規投手にしたって「高卒2年目の投手に何を期待するんだ!」って話だし、浅尾拓也投手も今年はキッチリ研究されているだろうし、岩瀬仁紀投手だって年齢的にもそろそろ限界がきている感じだし(3~4年前から同じことを言われてますが)……と、まぁ不安一杯ですよ。

逆に野手陣の方が安心してみていられるんじゃないかと。なんてったってビョン様がいないし。アライバのコンバートにしても、他が言うほど不安には思いません。井端弘和選手はセカンドの経験があるし、荒木雅博選手のショート(って開幕2軍ですが)にしても「多分、球界ナンバーワンの井端選手より下手というレベル」であって、他チームの若手よりは上手いでしょう。ダメなら岩崎達郎選手だっているんだし。

◆巨人

高橋由伸選手の処遇が全てだろうなぁ。彼にファーストを守らせて8番に置く意味がわからない。彼のプライドとチームの士気を考えれば「使うか使わないか」(クリンアップを任せるか、代打or二軍に幽閉させるか)じゃないかなぁ。もし負けこんできたら、この辺から不協和音が出てくることは目に見えてるし。

投手陣は他がいうほど層は厚くない。福田聡志投手、野間口貴彦投手、辻内崇伸投手といったドラフト上位組が誰一人としてまともな戦力になっていないので(金刃憲人投手がようやく中継ぎとして目途が立ったくらい)、開幕1軍メンバーの誰かがケガで脱落したら、そこからガタガタ行く可能性もある。

ウィルフィン・オビスポ投手、ディッキー・ゴンザレス投手が去年のように大活躍できる保証はないし、セス・グライシンガー投手もすでに休養モード。加えて高橋尚成投手が抜けたので、先発陣もスカスカ。リリーフも山口鉄也投手が先発に回る(どころか開幕1軍から外れちゃったけど)となると、計算できるのは越智大祐投手くらいなので、これも不安っちゃぁ不安でしょう。

もっとも、こうした不安を拭い去るくらい、「日ハムの三番、ヤクルトの四番、ロッテの四番、オリックスの三番」とかで構成された打線が凄いんですが。彼らもイイ年齢なんで、額面通りの働きができるとも限らない。でもねぇ、現時点における最強打者・小笠原道大選手がいるってだけでクリンアップの厚みが違うからなぁ……。

2010年3月24日水曜日

尾花監督を見直した

横浜、大混乱…三浦2軍落ちで開幕投手は初の助っ人

BSでやってたの見てたけど、確かに酷かった。右の本格派でストレートが130km/h前半だと、いくらコントロールが良くてもプロでは通用しない。あれだけポコスカ打たれたのも理の当然。

でも、これまでの横浜だったら「ベテランなんだから開幕までに調整してくれるはず」と、1軍に残していたことだろう。佐伯貴弘選手についても、「一軍で十分通用する左打者」として1軍に残していたはずだ。で、こうしたベテランを残すとどうなるかは前に書いた通り。

2人ともスパっと落としたところに、尾花高夫監督の“漢”を感じるなぁ。

「開幕前に背水の陣を強いてどうするんだ?」
「内紛の芽を摘むにしても反動が怖くないのか?」
「こんなことしていたら、夏頃にgdgdになんじゃね?」

いろいろ思うところはあるけど、フロントが全面的にバックアップしての決断であれば、去年のように不甲斐ない姿を見せることはないんじゃないでしょうかね。

ここまでやったら不満分子も騒ぐだろうけど、彼らを黙らせるためには勝つしかない。負けが込んだら即空中分解だ。尾花監督は、こうした事情を百も承知のうえで、開幕前に自らの逃げ道を絶って戦いに赴く姿勢を見せたわけだ。一見、クールそうに見えて根は熱い“漢”なんだろうなぁ。

戦力的に見れば、どうしても他のチームには見劣りする(センターラインの弱さが致命的)ので、流石に今年優勝とはいかないと思う。でも、今回打った布石は決して無駄ではないはず。98年の日本一だって、高木豊と屋敷要を斬ったからこそ実現できたわけだし。

2010年3月23日火曜日

ビョン様の解雇こそ最高の補強

「契約社会なんだけど、ときには会社員のような扱いをして。本来ありえない扱いが存在している。何が一番ベストか。いまの球界のあり方は正力松太郎さんが目指した野球界か聞いてみたいな」

昨年、10月25日の中日スポーツに掲載された落合博満中日監督のコメントだ。

会社員のような本来ありえない扱いって何だって? 名指しこそしてないけど、イ・ビョンギュ選手(ビョン様)の契約ことに違いありません(>_<)。

韓国プロ野球で首位打者1回、最多安打4回獲得。10年間の通算打率.312。「赤兎馬」と称された5ツールプレイヤーとして、鉄壁の外野陣の一翼を担っていたアレックス・オチョアと入れ替わる形で入団した外野手――というのが、06年末におけるビョン様の評判だった。

しかし、シーズンが始まってみると、打てない、走れない、守れない逆5ツールプレイヤーとしての本領を発揮。なのに何故か毎日毎日スタメンを張り、チャンスに回ってきては凡退。中日スポーツ解説者の木俣達彦に「案の定である」という名言を吐かせた。

実際、ビョン様を使うと負けるんだ、これが。

・李炳圭 スタメン
07年 63勝 57敗 1分 貯金 6 勝率.525
08年 51勝 51敗 3分 貯金 0 勝率.500
09年 14勝 13敗 貯金 1 勝率.519
合計 128勝121敗 4分 貯金 7 勝率.514

・李炳圭 非スタメン
07年 15勝 7敗 1分 貯金 8 勝率.682
08年 20勝 17敗 2分 貯金 3 勝率.541
09年 67勝 49敗 1分 貯金18 勝率.578
合計 102勝 73敗 4分 貯金29 勝率.583
 (2ch、李炳圭スレより引用)

昨年も勝負どころの8月に突然1軍に上がってきて、散々使われて「案の定」だった。あれがなければ優勝できたとはいわないけど、彼の代わりに若手を引き上げていればねぇ。まぁ、若手についていえば、ビョン様をぶっちぎるだけの実力を見せられなかったとも言えるので、そう強く言い募るつもりはないけど。でもねぇ……。

このように打てない守れない外国人選手がなぜ使い続けられたのか? 例えば近年では巨人のダン・ミセリ、ゲーブ・キャプラー選手、阪神のケビン・メンチ選手など、明らかにダメな選手は早々に二軍に幽閉されるか解雇されるものだ。

ダメっぷりでは彼らに勝るとも劣らないビョン様が、なぜ入団から2年に渡って規定打席をクリアし、3年目も――ベテランで伸びシロがなく、かつ日本野球に慣れているにも関わらずダメなのに――たびたび使われていたのか? ってか、そもそも球団史上最高レベルの外国人選手だったタイロン・ウッズですら単年契約で、二冠王となったトニ・ブランコ選手でもようやく2年契約(単年契約だと確実に巨人か阪神に引き抜かれていた)なのに、日本でプレーしたことのないビョン様が3年契約ってのがおかしな話なんだけど。

「規定打席をクリアしないと韓国から放映権料が入ってこないんだよ」
「あれか、松井秀喜選手を使わないとNHKが大リーグに放映権料を払わないってやつ」
「そうそうそれ。1年目で二軍に落としたとき、落合監督の下に球団首脳が詰め寄ったっていうし」
「そういえば突然1番を打ったりしたのも、規定打席をクリアさせるためか……」

中日もビョン様も契約内容を一切口外していないので、真相は闇の中。冒頭の落合監督の言葉は、このへんの微妙な事情について精一杯説明したものなんじゃないでしょうかね。

ともあれ“大きな足枷”はなくなった。アライバのコンバートとか中田賢一投手、朝倉健太投手の出遅れとかディオニス・セサル選手が攻守ともにヤバそうだとか、いろいろ心配ごとはあるけど、「ビョン様がいない」っていう最高の補強をしたんだから。今年はいいとこいくでしょ。ええ。

2010年3月22日月曜日

韓国人選手に何の夢を見ているのだ?

韓国プロ野球出身の韓国人野手は、日本プロ野球で通用しない!

こんなことは、ジャンプ連載マンガにイケメンライバルが出てきたら、転向して味方になるくらい明々白々なことでしょう? 一線級で通用したのはイ・スンヨプ選手(ロッテ2年目と巨人1年目のみ)くらいで他はみんなダメだったのに。各球団の外国人スカウトは韓国人野手に何の夢を見ているのかなぁ。

もしかして、イ・スンヨプ選手やイ・ビョンギュ選手のように「韓国TV局からの放映権料」を目当てに獲っているってこと? そこでお金を貰っても、負けが込んでクライマックスシリーズ(CS)に出られなかったら元の木阿弥じゃないかねぇ。CSで得られる入場料及び放映権料の収入や、翌年の入場者数(巨人、阪神以外の球団は、Bクラスに落ちると集客力はてきめんに落ちる)を考えるとマイナスの方が大きいと思うんだけどなぁ。

第一、イ・ボムホ選手もキム・テギュン選手も、韓国プロ野球ではイ・スンヨプ選手の足許にも及ばない選手(イ・ボムホ選手は無冠。キム・テギュン選手は1度のホームラン王)だし、2人とも若くないんだから、これからキャリアハイを記録する可能性だって低いでしょう。こんな選手、タダでも要らないと思うけどなぁ。実際、昨日までの戦績は無残の一言だし。

以上、昨年まで3年間、“ビョン様”のために血涙を流し続けた男の繰言でした。

追記:センバツ、昨日一番の見所は「ハイトーン過ぎて誰も歌えない嘉手納高校の校歌」

2010年3月21日日曜日

『ちりとてちん』再放送決定!

連続テレビ小説の最高傑作『ちりとてちん』が、NHK衛生ハイビジョンで4月4日から再放送されるとのこと。

復活した番組HP

悪いことはいいません。もし見たことがなければ、この機会に見たほうがいいです。NHKはどうしょうもない放送局だと思うけど、これとか『独眼流政宗』とかを作ったりするから侮れないんだよなぁ。

連続テレビ小説は『ハイカラさん』以降、ほとんど見ているけど、多くの場合は初めの一週間(酷いときは初回)でリタイアしている。理由はいろいろある。いつものパターンだったり(耐え忍ぶ女、姑、イケメンが織り成すソープオペラ的展開)、登場人物の行動原理がさっぱりわからなかったり(例:『天花』)、出演者の演技があまりに酷かったり……と。まぁ、ほとんどの作品は見るに値しないものと判断しているってことです。良いドラマってのは、最初の5分及び初回だけで人の心を掴むものだし。

で、そんな傲慢な視聴者である手前が、最初から最後まで欠かさず見たのが『ちゅらさん』と『ちりとてちん』(『おしん』『ひらり』『ふたりっ子』は何回か見逃した)であり、最初から最後まで録画して、完全版DVDまで購入したのが『ちりとてちん』なわけです(完全版DVDの売上は『おしん』を超えて過去最高だったとか)。

そんな『ちりとてちん』の感想やダイジェストを簡潔にまとめるのは、ちょっと難しい。どんな話なのか? どれほど面白いのか? については、全国各地にいる熱狂的なファンのblogを読んだり、Amazonの完全版DVDのレビューをナナメ読みしてください。

そのうえで、あえて一つだけ言うなら、「1回15分、週6日で半年間見続ける」という特殊なフォーマットに最適化された、ただ一つのドラマ――ってことでしょうかね。

『ちゅらさん』を始め、いくつかの作品は面白く鑑賞したんだけど、これらの作品は「総集編」(2時間×3本~5本)にしても面白さが失われないものだった。これは言葉を換えると、38時間近くに渡る遠大なドラマを簡単に濃縮できるってことであり、1回(15分)ごとに見れば冗長なドラマってことでもある。

一方、『ちりとてちん』は、1回(15分)の密度がカルピスの原液以上に濃厚で、完成度も高い。「総集編」にしてもドラマの持つ面白さ、醍醐味がちっとも伝わらないのだ(実際、『ちりとてちん』の「総集編」は、ただ愁嘆場だけを集めた酷いものだった)。いうなれば安易な濃縮を許さないってことであり、「1回(15分)が、他のドラマの総集編一本分に換算できるほど内容の詰まったドラマ」ってことだ。

・伝統の継承という大テーマという縦軸と、コンプレックス、挫折、恋、嫉妬、笑い、涙……etcといった横軸、そこにちりばめられた“しょうもない人物”とで織り成す重層的なドラマ!

・登場人物の名前、小道具、何気ないセリフに表情、流れていた曲……ありとあらゆるところに伏線があり、その99%が最終回までにキッチリ回収されることのカタルシス!

・森本健成アナウンサーが、8:30のニュースの冒頭で「明日の最終回もお楽しみに」と空前絶後のアドリブをかました!

・和久井映見のおかぁちゃん!

ホント、書いてくとキリがないんでここで打ち止めにするけど、『ちりとてちん』ってのは、大の男をこれだけ狂わせる“何か”があるドラマってことです。

おまけ
「ちりとてちん」ひたすら予告編(1 of 2)
「ちりとてちん」ひたすら予告編(2 of 2)

2010年3月20日土曜日

ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!:その4

1941年から今日まで一度も生まれていない「四割打者」。彼らが生息できたのは、プレーのレベルが低く、システムもこなれておらず、個々の才能の差がダイレクトに反映されていた野球黎明期に限られていた――というのがグルードの結論だった。

「いや、実はタイ・カッブやテッド・ウィリアムズが偉大すぎただけだ!」

という主張も100%否定できるわけではない。もしかしたらアルバート・プホルスを凌ぐ才能があったのかも知れない。が、説得力という点においてはグルードの説に大きく見劣りすると言わざるを得ない。多分、マラソンや短距離走などと同じように、野球の競技レベルは大きく向上しているのだろう。

で、手前的には、ここからが本題です。

グルードが提示した様々なデータに見られる共通点は、「1940年代を境に、数字の伸びが横ばい状態になる」というところだ。つまり、メジャーリーグの発祥から60余年で競技自体の成熟化が始まっていることが考えられる。

ではこの話を、日本プロ野球にもほとんどそのまま適用してみるとどうなるだろうか? 言うまでもなく野球のルールは、メジャーリーグも日本プロ野球も一緒だ。「複雑なシステムは、最高の選手が同じルールで長期にわたってプレーすることで向上する」ということを考えると、この仮定もあながち突飛なものとはいえないだろう。

となると、日本プロ野球の発祥から60余年はいつになるのか? 日本職業野球連盟が結成され初のリーグ戦が行なわれた1936年を基点に考えると90年代後半となる。ここにおいて、日本野球の成熟化が始まったと想像できるのではないだろうか。

この想像を前提に考えると、(ひょうたんから駒な結果だったとはいえ)野茂英雄がメジャーリーグで大成功を収め、以来、数々の日本人選手がメジャーリーグでそれなりの成功を収めていることに対しても、より納得力のある説明ができる。

すなわち、「競技レベルが成熟化するまでに向上した日本野球が、既に成熟化して久しく、競技レベルの向上幅が横ばい状態にあるメジャーリーグに追いつきつつある」ということだ。もちろん各種統計を調べたわけではないので、想像の範疇を超える話ではない。でも、2012年に地球が滅亡するという話よりは筋がいいのではないだろうか。

と、考えていくと日本野球がメジャーリーグと肩を並べる日は、そう遠い未来ではないのかもしれない。ただし、その頃には日本野球も、歴史を重ねて成熟を深めた韓国野球や台湾野球に追いつかれていることだろう。

2010年3月19日金曜日

ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!:その3

「変異の凝集=四割打者が消える」ことが、なぜプレーの全般的向上につながるのか?
グルードは2つの理由を挙げている。

A:複雑なシステムは、最高の選手が同じルールで長期にわたってプレーすることで向上する。システムは向上するにつれて平衡状態へと向かい、変異は減少する

B:プレーが向上し、『釣鐘状分布』が<右の壁>(人間の限界)に向かって進むとき、変異は右裾で縮まねばならない

極限に近いレベルの勝負は、得てして凡戦に見える――北斗の拳のケンシロウで例えれば、ジードや牙一族との戦いでは実力差があるため派手な技がガンガン決まるものの、羅将ハンとの戦いではあまりにも速く拳を交わすため、素人目にはただ向かい合っているようにしか見えなくなるようなもの――ように、最高の選手が同じ土俵で長年に渡って戦えば、チームの勝率、打率、守備率とも高値安定で推移するということだ。

「平均的なプレーをする選手とグウィンの力量は、いつしか狭まっているため、必ずしも最適ではない選手よりも抜きん出る余地は、もうそれほど残されていない。現在は、全体の力量が向上しているせいで、大打者も昔に比べればヒットを一年に十本から十二本は損しているにちがいない。これは、現在の大打者を四割打者に押し上げるに十分なヒット数である」(154頁)

繰り返すように、競技レベルが向上して最高記録が<右の壁>に近づくと、記録の向上幅は横ばい状態に近づく。<右の壁>がある以上、人間は100mを5秒で走破することはできず、9秒台でジリジリと記録更新し続けることになる。

野球では、無失策率の推移にこの傾向が顕著にあらわれる。ナショナルリーグ全選手の無失策率は1870年代で.8872、1880年代で.9103、1890年代で.9347と飛躍的に向上しているが、1930年代に.9711と9割7分台に載せた後は、今日まで9割7分台で横ばい状態を続けている。

こうしたことを踏まえ、「プロ野球選手も他のスポーツ選手と同じようにレベルアップしているに違いない」ということを認めれば、グルードが提示した統計の真相が見えてくる。

つまり、打率は『釣鐘状分布』の変異全体のなかの構成要素に過ぎず、ここにきて四割打者が消滅したのは、プレー向上の結果であり、その証拠は変異の凝集という形で明確に示されている――という身も蓋もない結論だ。
(つづく)

2010年3月18日木曜日

ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!:その2

グルードは、1880年代から1980年代にかけてのレギュラー選手全員に関する全変異の指標(標準偏差)も割り出した。ここでグラフを紹介できないのが心苦しいが、結果は「変異が着実に凝集していること」「1940年代以降は横ばいに近い状態で凝集していること」だった。

この「変異の凝集」と「1940年代以降の横ばいに近い状態の凝集」は何を意味するのか?

「変異の凝集」は、選手間の実力が均衡していることを意味する。1割打者と4割打者が点在する過去から、2割6分の打者と3割3分の打者が割拠する現代へと移り変わってきたということ。つまり、全体のレベルが向上してきたということだ。

「1940年代以降の横ばいに近い状態の凝集」は、その時点で競技レベルの劇的向上という流れが終わり、全体のレベルが高値安定していることを意味する。マラソンや短距離、水泳などの記録の変遷も同じようなトレンドを辿る――マラソンでは1908年にヘイズが2時間55分を記録した後、1925年にはミケルセンが2時間半の壁を突破。短い期間で20分以上記録を縮めたが、1970年代以降は40年かけて5分強しか縮められていない――ことを見てもわかるように、競技レベルが一定レベルに近づくと、変異が凝集する幅も少なくなるのだ。

ここで言う一定レベルとは、いうまでもなく「人間の限界」をさす。

「誰も、順調な記録向上を示す初期の曲線が永遠に当てはまると主張したりはしない。永遠に当てはまろうものなら、いずれは1マイルを零秒フラットで(最後はマイナス秒で)走る選手が出現し、棒高跳びの選手はスーパーマンよろしく、高いビルを一っ跳びするだろう」(129頁)

このことを打率のグラフに当てはめると、『釣鐘状分布』の右裾に壁(人間の限界)があるということになる。

さて、ここまでは「統計上、年を追うごとに変異が凝集する=近年になって四割打者が消えている」ということが証明されただけであって、なぜ、四割打者が減ったのかを説明しているわけではない。ロシア的倒置法のように、「ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!」ということであれば話が早いが、統計だけで何かを説明できるものではないのだ。
(つづく)

追記:3/17付の放送形式で兵頭二十八師より思いがけない御礼をいただきました。いやはや大変恐縮です。

2010年3月17日水曜日

ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!:その1

テッド・ウィリアムズが1941年に記録して以降、なぜ、メジャーリーグから四割打者が消えたのか? これを14年前に解き明かしたスティーヴン・ジェイ・グールドの『フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説』について書いてみたいと思います。

四割打者が消えた理由については、過去多くのOB、選手、、ファンや解説者が様々な説を唱えてきた。これらの説をまとめると、大きく3つに分類できる。

・投球技術の向上:球種の増加。先発完投体制からリリーフ分業体制への移行など
・守備力の向上:グラブの進化。連係プレーの確立など
・管理面の向上:野球理論の高度化。配球、動作解析など

それぞれのテーマで一冊の本になるほどの理由があるが、突き詰めると、「プレー内容が変化して打撃が難しくなった結果、四割打者が消えた」となる。ただし、これらの理由が成立するためには、一つ重要なファクターがある。

「このあいだ打撃技術が一切向上しない」ということだ。

投球、守備、管理面での進歩があって、なぜ、打撃にだけ進歩がないといえるのか? 投手のクセ盗み、配給を読む技術が磨かれ、飛ぶボールが使われ、バッティングマシーンで思う存分練習できる――といったことを考慮すると、従来の説(プレー内容の変化)は説得力に乏しいといわざるを得ない。

こうした前提からグルードは、四割打者が消えたのは「プレー内容の変化が理由ではない」と決め打ち、統計の変化から真相を探るアプローチをかけてみた。

統計のベースとなるのは全選手の打率を記録したグラフだ。

縦軸を「一定打率を記録した人数」、横軸を「記録した打率」というグラフに、全選手の打率を当てはめてみると、低い打率が少数で左裾を形作り、平均的な打率が中央を厚く固め、高い打率が少数で右裾を形作る『釣鐘状分布』となる。打率1割台の人は少なく、2割6分台の人は多く、4割台の人は少なくなるという“釣鐘”ができるということ。この場合、四割打者は「全選手の打率を集めた完全な分布の右裾」となる(あえてハナシを簡略化しています)。

そのうえでグルードは、「四割打者が消滅したのは、一定を維持する平均値の周りに変異が凝縮した結果ではないか?」という仮説を立てる。『釣鐘状分布』は、変異の増減に応じて拡大したり縮小したりすることから、「変異(平均打率)が凝集(各選手の打率が中央値に近づく)すれば、左裾も右裾も縮まる。つまり、四割打者が消滅する」という理屈だ(念のために言いますが、これも物凄くハナシを端折っています)。

グルードが最初に検証したのは、各年の打率「ベスト5」と「ワースト5」の平均打率。ベスト打率、ワースト打率と平均打率との差が、年を追うごとに縮まっていれば、変異が凝集したことが証明される。

結果はどうだったのか? 

「1880年代から1940年代にかけて大幅に差が凝集し」、「1940年代以降は横ばいに近い状態で凝集する」というものだった。つまり、変異の凝集が証明されたわけだ。
(つづく)

2010年3月16日火曜日

昔の野球はレベルが低かった

「いまの野球は昔に比べて、確実にレベルが上がっています」ってことは、14年も前にキッチリと論証されていたんだねぇ。

スティーヴン・ジェイ・グルードの『フルハウス:生命の全容~四割打者の絶滅と進化の逆説』を読んだんだけど、その第三部「妥当な打者――四割打者の絶滅と野球技術の向上」で、なぜ、メジャーリーグから四割打者がいなくなったのか? という疑問について最高打率と最低打率の標準偏差の変化を始めとする統計分析により、鮮やか過ぎるほど鮮やかに解き明かしているわけですよ。

結論からいえば、「野球技術が向上したから突出した才能が突出しにくくなった」ってこと(詳しい話は後日書くつもり)。いわれてみれば至極当たり前のことで、つまるところ、古手のOBが語る「昔の野球はレベルが高かった」という言葉は大嘘ってことだね。

そりゃ来年にもタイムマシンが出来て、過去から沢村栄治を連れてきて、そのストレートを計測してみたら「177km/h」だった――なんて可能性もなくはないので、この意見が100%正しいとはいわないけど。

2010年3月15日月曜日

開幕スタメンだとは思うけどねぇ

ノーアウト1、2塁で三振て……。バットに当てるくらいしてくれよと。まぁ、あの変化球なら振っちゃっても仕方ないけどさぁ。

センター、ライトのレギュラー争いで新人2人(大島洋平選手、松井祐介選手)に二歩くらい遅れをとっている藤井淳志選手のことです。昨日、ようやくオープン戦(9番ライト)に出場。初打席のタイムリーは良かったんですが、二打席目の三振はね……。2~3年目の選手ならどうとも思わないけど、社会人出で5年目でしょう? この辺のところをキッチリやってくれないとなぁ。追い込まれる前に何とかしろと。

まぁ、中日と日本ハム以外であれば、野球を知らなくても「100試合以上出て.300近く打てる俊足、強肩外野手」ってだけで確実にレギュラーになれるんだろうけど。

「好き勝手に伸び伸びとやらせれたらイイのに!」

という声もあるんだろうし、もしかしたら性格的にそういう方が良いのかも知れない。でも、そのコースを歩むということは、多分、同じように身体能力頼りで野球をやってきた新庄剛志を超えることはできないってことでもある。

で、“スター性のない新庄”みたいな、ただの使いづらい外野手――クリンアップを任せるには力不足。トップバッターとしては盗塁ができず、2番におくには小技が効かない――なんて、優勝争いを義務付けられたチームには、さほど必要はないでしょう。

って、たかだか「今年初めてオープン戦に出た選手」に対して、なんでこんなに熱くなっているかっていえば、そりゃ言うまでもなく期待の裏返しって奴です。藤井選手の実力は、どう低く見積もっても確実に二軍レベルは卒業してるんだから。大島選手も松井選手も(場合によっては野本圭選手も)、いっちゃぁ何だけどアテ馬ですよ。ニートみたいに「明日から本気だす」じゃなくて、いま本気だしてくれ。

2010年3月14日日曜日

追跡!AtoZ、新薬が生まれない

2010年問題なんてことは10年前からわかりきっていたことでしょう? そのあいだに何をやってきたかといえば、「ゾロ新開発への傾斜」「既存の大型品を売りぬくための営業力強化」じゃないの? だったら製薬企業の自業自得じゃないのかねぇ。

番組では新薬開発が難しくなっている理由について、以下の二つを挙げていた。

A:現在、疾患のメカニズムが解明されている治療薬はほとんど作りつくした。
B:臨床試験の安全基準が厳格化し、ほいほいと新薬を上市できなくなった。

Aについては、100年前に物理学界で言われていたことを指摘したい。当時、「人間が知ることのできる自然法則はほとんど解明されている。これからの物理学はパラメーターの多寡を調べるだけになるだろう」といわれていた。その後、アインシュタインが特殊相対性理論を発表。自然法則にもまだまだわからないことが多いことが理解されるようになっている。医薬品の世界でも同じことだろう。

Bについては事実だけど、これを曲げることが許されるのか? 「薬の効果、特性などを勘案して柔軟に対応」とかいうけど、日本は人治主義の国じゃないんだから。治験の迅速化は必要だろうけど、それは手続きのことであって「製品の安全性」を無視していい話ではないだろう。

番組では発見した化合物が新薬になる可能性は1/20000(コメンテーターは1/100000くらいに厳しいとの見解)として、「いや、新薬開発って難しいんですよ」といってたけど、この数字にはあんまり意味がない。自動車やインスタントラーメンを開発しているわけじゃないんだから。ハイスループット・スクリーニングで桁違いの種類の化合物を解析している現在では、「これくらいの高い率で当たりが出るんじゃん!」といえなくもないわけだし。

と、つらつら考えていくと、手前のように頭の造りが粗っぽい人間には、「特許切れで収益が激減する? R&D費にお金を回せない? だったらMRを切っておけよ!」というハナシの方が一番しっくり来るんだよなぁ。

たしかに、スタチンだけで「リピトール」「リポバス」「リバロ」「ローコール」「クレストール」が競合しているなかに、プラバスタチンの後発品がひしめく――なんて状況だから、「とりあえずウチのをお願いしますよ!」とMRをガンガン配置したくなる“恐怖”はわかるんだけど……。でも、ここに掛かる固定費を開発費に回せば、少なくとも開発費用に困るってことはない。大体、研究開発費なんて思いっきり投資している製薬企業でも20%前後なんだし。

「だったら、ピカ新が出るまでの15年間(開発期間)、どうやってメシを喰ってくわけ?」

といわれたら確かにグウの音もない。でもねぇ、この理屈で、収益の上がるゾロ新開発に傾斜して、営業スタッフを増やし……ってやってきたのが今日の状況なわけで。

こうして考えていくと、現在の大手製薬企業に期待し続けるのは間違いなのかも知れないなぁ。やっぱり「ベンチャーへの投資規制緩和」が最適解なのかなぁ。

治験空洞化? しょうがないでしょう。いずれは人権を顧慮しない中国、インドあたりが「安全性に問題ある化合物でもガンガン人体実験を繰り返して、手っ取り早く使える新薬を上市する」なんて方法でのし上がってくるのかもなぁ。

これに対抗するには、ホームレスやニートみたいになっているのを集めて、これまでより“大胆な形”で治験(フェーズ1)ができるようにすればいいだとろうけど……。本当にやったら人権問題とかで“わや”になりそうだけどね。

2010年3月13日土曜日

「エゴだよ、それは」「日本が持たん時が来ているのだ」

迫る卒業、大学生焦燥「何とか1社でも」――内定率「氷河期」下回る

わかっていたことではあるけど、さすがにここまで来るとヤバいよなぁ。

20年前、社会科の教科書には「いまは会社員4人で老人1人を支えている。2030年には会社員2人で老人1人を支えることになる」と書いてあった。あえて<現役世代>じゃなくて<会社員>って書いているのは、「スーツ姿の男が白髪のばあさんを支える」というイラストで表現されていたからだ。つまり、20年前は「<現役世代>=<会社員>」という図式が疑いもなく信じられていたということ。

いまはどうか? 前の就職氷河期でこの図式は少し崩れた(就業可能世代の大多数が会社員であることに変わりはない)。で、このニュースを見る限り、これから来るであろう氷河期でさらに崩れる可能性が高いってことだろう。

>龍谷大(京都市伏見区)キャリア開発部の橋本正義事務部長は「中小企業からも求人は寄せられるが、学生側が自分の興味のある仕事だけに固執し、関心を向けようとしない」と指摘。

これは前の氷河期でもあったことだ。彼らがいま何をやっているか? できれば今の学生には、10年前の先輩の失敗を糧にして欲しいものだけどねぇ。こういう話が出ているってことは、また「早稲田を出てもホームレス」「院卒なのにフリーター」という層が数多く生まれるってことなんだろう。

かつては、「男一人であれば『時間を守れて』『大きな声で挨拶できる』なら、どうやっても食べていける」って言われていて、実際、それが事実だったんだけど、いまでは通用しないもの。

将来の社会保障、日本経済の行方などについては、書店のビジネス・経済本コーナーに並んでいる数多の本や、新聞、雑誌、TV、blogなどで詳しい人が詳しい事情を書きまくっているので、いまさら何の知識もない手前がここでどーのこーのと言うことはない。

ないけど、あえて暴論を言わせてもらうなら、「いまから団塊以上の人間が全員消えない限り、根本的な問題は一切解決しない」ってことじゃないでしょうかね?

「インフレやって借金帳消し。ついでに老人の資産も吐き出させろ」とか「自律的な財政基盤確立のため増税を」とか言われているけど、正直、小手先の話であって、抜本的な問題解決には繋がらない。人口を増やせといっても、最後の希望だった第二次ベビーブーマーの出産年齢の限界も超えつつあるなか、大きく好転することは難しいでしょう。結局、上の世代を“減らす”しか道はないわけで……。

と考えているうちに、やっすい陰謀論くさいハナシになってきたので、とりあえずここで打ち止め。

日本の、これから「いま考えよう日米同盟」

何だよ、右も左もお花畑ばっかじゃねぇか。てか、アカ(会社員木村)はちゃんと人の話きけよ。

日米同盟はメリットが多いか、デメリットが多いか? てか、どうしてこういう二択ばっかなんだか、TV番組だから仕方ないのかもしれないけど安直だよなぁ。

大体なんで第三の選択肢「軍拡→自主防衛」がないんだよ!

まぁ、NHKに良識を求めるなんてことは、犬にニャーと鳴けっていうようなもんだから、言っても詮のないことなんだけど。

2010年3月12日金曜日

広岡達朗、「勝負の方程式」

広岡達朗の人生の絶頂期はいつだったのか?

巨人で新人王をとったとき?
ヤクルトを初の日本一に導いたとき?
西武を日本一に導き、啓発本『意識革命のすすめ』でベストセラーを飛ばしたとき?

いろいろ意見があるだろうが、手前の見方は「サッポロドライのCMに出てたとき」。1988年。在野の名将として「次期巨人監督」の地位が目の前にあったこのときが、広岡の人生にとっての絶頂期だったのではないかと考えている。そんなときに上梓されたのが『勝負の方程式』だ。

悪名高い「食事管理」は第1章のトップで取り上げられいる(20~37頁)。いかにスポーツ選手にとって日々の食事を管理することが重要かを力説したうえで、以下のような提言をしている。

曰く、デンプン中心、穀物中心の食事が健康とスタミナ向上のカギ
曰く、たんぱく質は40~80gとれば十分
曰く、スポーツドリンクより冷たい水が効果的。運動中には消化機能が極度に低下するから塩分、糖分を摂ってもすぐに役には立たない
曰く、アルコールの益と害とを相殺すると遥かに害が多い

いまから見れば間違っている知見も多いが、広岡以前は「焼肉、寿司、焼肉、ステーキ、すきやき」という食事が当たり前だった――古いOBの本や新聞記事を読むと限りなく真実らしい――だけに、これを正す意味で思い切り舵を切ったという側面もあったのだろう。いまではどのチームも栄養バランス(先進的なチームは年齢別の献立も)を考えた食事を提供している。

この「食事管理」の話を除くと、本書にはそこまで面白いエピソードが書かれているわけではない。野村克也の本のように具体的な戦術、配球などに関する解説はほとんど書かれていない。全編が野球(西武での成功例)をダシに「基本が大事」「心が動いて体が動く」という広岡の主張を裏付ける話で占められている。

「監督の用兵や選手育成法には、それほど特異なものはない。ゲームを勝利に導くプロセスは、選手の技術やレベルやゲーム展開など、そのときそのときで千差万別だが、野球に限らず、勝負には必ず定石、つまり方程式というものがある」
「どのようにしたら勝てるか、どのようにしたら選手を育成できるかといった理念的なことは、結局のところ、誰が考えても大差はないということである。本書を読んだ読者も、『こんなことは当たり前だ』と思った箇所が多かったかもしれない」(320頁)

このように広岡本人も「そんな画期的なことは書いてませんよ」と認めている。

が、広岡のこの言葉は謙遜ではない。「オレの言うとおり『小さな妥協』を許さず、反復練習を徹底的にさせて、選手全てに『心が動いて体が動く』の境地を理解させれば、どんなチームでも勝てるんだよ!」という強烈な自負心の発露を見るべきだろう。弱小チームだったヤクルト、西武を日本一に導き、ポスト王の最右翼であった人生の絶頂期。“球界最高の名将”と持てはやされていた頃の広岡の気持ちが素直に出ているかのようだ。

面白いエピソードがないとっても、読みどころが少ないというわけではない。

・野球は堅実な守りがあって初めて成立するスポーツだ
・投手交代は投手本人に相談するな
・選手はケガを監督、コーチに隠すな
・抑え投手にはチームで一番優れた投手をあてよ
・優勝の目標のないチームづくりは不可能

こうしたことは、ある程度野球観戦しているファンにとっては自明のことだ。しかし、野球を知らない人にとっては「セオリーを知るためのガイドブック」として重宝することだろう。

個人的に一番興味をひかれたのは、打撃について述べている箇所だ。

「私は、打撃の基本は、内角へ投げ込まれるボールに対する恐怖心を克服することであると考える。~~中略~~ガリクソンは『バッターに恐怖心を植えつけることができるかどうかでピッチャーの勝負は八割方決まる』と述べているが、まさにその通りだと思う」
「内角のボールを処理できるようになれば、ストライクの球の四分の三は打つことができる
「(身体の当たるくらいの内角にゆるいボールを投げ、これを打たせる練習をさせたうえで)ボールは怖くないという自信がついたところで、今度は、どうしたらバットでボールを捕えるかということについて、バッティング・コーチや専門家のアドバイスを受けるようにさせた」(276~277頁)

どの選手、OBも「内角打ちは大事」というものの、その重要性をここまで強調しているのは広岡と落合博満くらいだろう。具体的な練習方法まで明示しているところ(誰にでも出来て有効性が理解できるところ)も素晴らしい。巨人の大田泰示選手も、広岡の下で修行をすれば、大打者へと変身できるのかも知れない。

2010年3月11日木曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その3

兵頭師が大胆に推測する根拠とは何か?

細かな例を挙げていくと――既刊本に書かれていることであったり、雑誌、オピニオン誌のコラムに書かれていることであったりと――キリがない。でも、推測の前提となるエッセンスというか、思考の大枠というか、そういったものはあるんじゃないか? と思うわけです。

じゃぁ、その「エッセンスというか思考の大枠というか」とは一体何なのか?

手前は、『ヤーボー丼』の9頁から始まる章『安全保障論議の諸前提を疑う』で一番易しく説明されているのではないか? と考えています。

*『ヤーボー丼』は、武道通信のサイト「兵頭二十八を読む」のコーナーでPDFファイル(¥1200)を配信。

この章の内容は、『日本の防衛力再考』の主張で読者に理解され難かったという「アメリカも仮想敵国にする理由」「安全保障が一国完結型でなければならない理由」「核武装を推奨する理由」の3つの主張について、サルでもわかるように噛み砕いて解説しているというもの。

で、この章の内容を極限にまで突き詰めると、中見出しに設定されている以下の文言に集約されるのではないかと思うわけです。

すなわち――

・民主主義は暴力だけが維持している
・いかなる国体も国内暴力のバランスの反映である
・自由即暴力

――ということ。

兵頭師の言葉を借りて説明するなら――

「友情とは、使おうと思えば使える暴力を、互いに抑制することから生まれる」
「ある国で民主主義を担保しているものがあるのなら、それはその国内の暴力の均衡にほかならない」
「自由の担保は、暴力に直面することのできる胆力と知力。相手が強いのを見て『こりゃ負けだ』と思っていたら、その人はすでに自由ではない」

――となります。このような暴力の均衡が個人間、国家間でも常に働いているということであり、「友情の基礎にも暴力の釣り合いってものがある」ってことです。

このことを頭に叩き込んで新刊を読んでみると、兵頭師の大胆な予測や、アクロバティックに見える論理の飛躍も、「つまり、彼らの自由、権力(兵頭師の定義によれば「飢餓と不慮死の可能性からの遠さ」)を維持、増進するために最善と思われる手を打つとしたら、こういうところで暴力のバランスをとる必要があるから、このような推測になるのだろうなぁ」と、たちどころに納得できるってことです。

読んでいて詰まったところ――「いくらなんでもこれは言いすぎ」とか「これはちょっよ牽強付会じゃないの」とか――があれば、↑のことを思い出しつつ読み返してみる。そのうえで、「こうした方が、より自由、権力の維持、増進ができるんじゃないか!」と思ったら、blogで発表したりファンサイトに書き込んでみたり、兵頭師の講演会で直接聞いてみるといい。もしかしたらそのアイディアで一冊本が書けるかもしれない。

「アンタの言う読み方でも全然理解できねぇよ!」

という方には、「そりゃ残念でした」というしかない。これは“私家版”と謳っているように、あくまでも手前にとって都合の良い読み方なんで……。もっと良い読み方があれば、是非、ご教授願います。

私家版・兵頭二十八の読み方:その2

本の読み方は一つじゃない。
1頁目から順繰り順繰り読むのが絶対に正しいわけでもない。

ということを初めて体得したのは二十歳そこそこの頃。大傑作SF『竜の卵』を読んだときのことだ。『竜の卵』を初めて手にとったのは高校生のときだったけど、当時は序盤(一章:パルサー)の科学解説のたるさに嫌気が差して、すぐに投げ出してしまった。その後、積読本を片付けるときに「捨てる前に面白そうなとこだけ読んでみよっ!」と、二章:火山から読み始めたら、あまりの面白さに積読本を片付けるのを忘れて読んじゃった――という経験から、「必ずしも1頁目から読むことが正しいってわけじゃない」ってことを身体で知ったわけです。

邪道だって? いいのいいの。「本は楽譜のようなもの」なんだから!

というわけで昨日の続き、「私家版・兵頭二十八の読み方」です。

結論からいうと、「デビュー作の『日本の防衛力再考』をじっくり読め。以上」ってことです。

*『日本の防衛力再考』は、武道通信のサイト「兵頭二十八を読む」のコーナーでPDFファイル(¥1500)を配信。

……いや、これ以上ない事実なんだけどね。この本自体は、自衛隊の改革と核武装をメインに訴えたものだけど、日本人の精神構造から旧軍兵器、武侠精神、国際情勢など、その後に刊行されるほとんどの本の要素が盛り込まれている(昨日、改めてナナメ読みしてみたら新刊のテーマである「エネルギー事情」にもしっかりと踏み込んでいましたよ)。ある意味、兵頭二十八ファンにとっては“アカシックレコード”のような本といえます。

ただ、こういってしまうとおしまいなので、もう少し噛み砕いてみましょう。

新刊を読んで手前が感じた「読者が著者の主張を知っていることを前提に、話をどんどん進めている」ってことは、より具体的にいうとどういうことなのか?

新刊では1章から5章にかけて、米軍の脱石油化の動きから中東情勢の今後、こうした国際情勢の動きに対応した中国の展望などが語られている。多くは国内外のニュース、書籍を元にした予測だけど、兵頭師の真価は「ニュース、書籍だけでは見えない可能性」にまで大胆に踏み込むことにある。誤解を恐れずに言うなら、「著者の推測を元に大胆な予測をする」ということ。

で、問題は「著者の推測の根拠となっているものは何か」ってこと。
これがわかっている人にとっては、「なるほど」となり、よくわかってない人にとっては「そこまで言うか!」となり、知らない人にとっては「なにいってるかわかんない」となる。

このことを野球に例えて説明してみよう。

<6回表で0-0。ノーアウト、ランナー一塁。打順は三番。右の強打者(プルヒッター)という局面で、解説者が「ここは右打ちですね」と断言した場合>

解説者の推測は――

・中盤で0-0だから先制点が欲しいはず
・そのためには一塁のランナーを得点圏(二塁)に進めたい
・しかし、「クリンアップの打者」「右の強打者」にバントは命じずらい
・プルヒッターだからいつもは引っ張る(左打ち)けど、この局面でゴロを打てばダブルプレーになる可能性が高い
・ということはベンチも打者も十分承知しているはず
・となれば、ベンチの指示もしくは打者の判断で右打ちをするはず

――というセオリーが根拠となっている。

このセオリーを承知している人にとっては「なるほど」となり、よくわかってない人にとっては「そこまで言うか!」となり、知らない人にとっては「なにいってるかわかんない」となる。

話が長くなったけど、つまり兵頭師が大胆に推測する根拠がわかれば、中身がぎっしり詰まった新刊であっても、たちどころにスイスイ読める可能性があるってことです。

2010年3月10日水曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その1

「本は楽譜のようなもの」とは誰の言葉だったか忘れたけど(佐藤亜紀氏のエッセイか何かを読んでいるときに目にした記憶があるような、ないような)、この指摘はとっても正しいことなんじゃないでしょうかね。

楽譜をどのように解釈し、どんな演奏をするかは全て演奏者の自由であるように、本もどのように解釈し、どう読むかは全て読者の自由ということ。

参考:熊蜂の飛行
Maksim plays Original of Flight of the Bumble Bee
OFFICIAL WORLD RECORD GUITAR SPEED - Guinness World Records
*本番は7:39から。

「作者の真意はこうだ!」「その読み方は間違っている!」という指摘はナンセンスなんであって、例えそれが作者本人からの文句であっても、「いや、世に出た後、どう読まれるかは読者の自由っすから」と突っぱねられるってことですよ。

という保険を打っておいたうえで、1513年来の兵頭二十八ファンである都築有による「私家版・兵頭二十八の読み方」を披露したいと思います。

今日、兵頭二十八師の新刊『「グリーン・ミリテク」が日本を生き返らせる!~脱石油時代が到来! 日本の道は?』が発売されました。早速、ゲットしてじっくりと読んでみたわけですが、一読しての感想は「おぉ~久しぶりにバリバリの兵頭節炸裂だなこりゃ」と「この内容じゃぁ初心者お断りだなこりゃ」というもの。

~~~~~~~~~~~~~

米軍の燃料政策の大幅なシフトチェンジから中東を巡る不穏な動き。経済成長著しい(とされる)中国がどのようにして米国に相対するのかの展望。仮に温暖化が進み、北極海が地中海のようになった場合の米国、ロシア、欧州の戦略――といった国際情勢の将来。

その全てに密接にリンクする「石油」を巡る危機! 

すでに米国、欧州では「ポスト石油」(リッター1万円時代)に備え、代替燃料の研究・生産、関連するインフラの整備を進めつつあるんだけど、日本はどうするよ?

~~~~~~~~~~~~~

といった内容で、一つ一つの問題に対して大胆かつ具体的な提言をしている本だ。

近年の著作のなかでは屈指の情報量を持つ本で、間違いなく値段以上の価値はある……んだけど、あまりに中身が詰まりすぎているだけに、文章や構成とは別のところで読みにくくなっていることも事実だったりする。どういうことかといえば、「読者が著者の主張を知っていることを前提に、話をどんどん進めている」ってことです。

「そういう初心者を端から切り捨てるような本を書くのは、いけないと思います!」

って声もあるだろう。兵頭師に言わせれば、「既に発表した論を再び書くことは紙資源の無駄であり、ひいては日本語環境の低下に繋がる」(うろ覚え。さっき典拠を探すため本棚をひっくり返したんだけど、どこにも載ってないんだよなぁ。確か『ヤーボー丼』にあったと記憶してたんだけど……)というハッキリとした理由があることなんだけど、「だからどうした!」といいたい人だっているだろう。

で、そんな「兵頭二十八って人の新刊には興味があるけど、15年来のファンが『初心者お断り』なんていうモノは、とても手に取る気にはなれない」なんて方に向けて、これから、手前が考える「兵頭本をスイスイ読むコツ」を紹介することにします。

名監督の墓場は浮上するか?

横浜ベイスターズの尾花高夫新監督について、こんな記事が出ていました。日刊ゲンダイの記事だから「話1/8」くらいで読んだ方がいいんだろうけど。

この記事が真実だとしても、ゲンダイがいうような「打撃にも目を向けるべき」という意見は間違ってるんじゃないかなぁ。そもそも新社長を迎えたフロントが投手陣整備を目指して、球界随一の投手コーチである尾花を新監督に招聘したんだから。それに尾花といえど一日48時間働けるわけじゃないんで、自分の専門分野でない野手陣を専任コーチに任せるのも自然なことだ。

だからといって尾花監督のやり方が、チームの強化に直結するか否かについて何ともいえない。というのも横浜というチームについていえば、戦力整備以前の問題があるからだ。

「選手が派閥を持ち、フロントと結託して、監督を追い出す」

かつての近鉄、阪神、中日であったことで、いま横浜にある宿痾だ。

近鉄はチーム自体が消滅。阪神は星野仙一がハードランディング(FA、移籍の乱発による戦力の大幅な入れ替え)により派閥を解消。中日は山田久志、落合博満の外様監督が二代に渡ってソフトランディング(ガンとなる選手のみを移籍、引退などで排除)により派閥を解消した。だけど横浜だけは、未だに強力な派閥が残っている。

「なんでアイツが四番なの?」

牛島和彦監督のとき、誰もが思ったことだろう。牛島監督は「他に誰かいますか?」と頑なに四番を張らせていたけど。

そりゃ、当時は村田修一選手が若手だったし、内川聖一選手も芽が出てなかったし、良い外国人選手もいなかったし――とそれなりの理由はあるんだけど、ぶっちゃけていえば「使わざるを得なかったから使った」ってことだろう。使わざるを得なかった理由が、フロントの介入のためか、タニマチの介入ためか、選手の士気(使わないと“子分”が騒ぐ)のためか、その全部かはわからない。

ただ、ハッキリしていることは戦力整備の前に派閥解消を図らないと、Aクラス入りも難しいということ。ここ1~2年での大幅な戦力入れ替え、新体制に刷新されたフロント、鳴り物入りで就任した監督……。外形的には期待できるけどね。ダウンタウンじゃないけど、“絶対に外せない(代打、代走も送れない)四番打者”がいるチームよりは健闘できるかも。

おまけ
【ニコニコ動画】【水差し野郎】椎野茂の大暴走【平気で4・5点】
前はこんな具合だったんですよ。

2010年3月9日火曜日

兵頭二十八師の新刊が明日発売されます

兵頭二十八師の新刊『「グリーン・ミリテク」が日本を生き返らせる!~脱石油時代が到来! 日本の道は?』が明日発売される。内容は、昨年末の講演で紹介された「リッター1万円時代が来たら日本はどうするの? アメリカ、中国はとっくに準備しとるがね」な話をキッチリとまとめたものだ。

「リッター1万円とか噴きすぎ! 中東戦争の時だってそこまでいかなかったし」
「いまさら燃料危機かよ。何十年遅れのトレンドだ」
「グリーン・ミリテク? 環境原理主義者乙www」

とか思った方は少なくないものと思います。手前も年末の講演と本のタイトルを聞いたときには、チラと↑のように思ったもの。それは認める。でもねぇ、一旦頭を冷やしてよくよく考えてみれば、決して一笑に付して良い話でもないと思うんですよ。「対馬が韓国に乗っ取られる!」とかいう危機――いや、これはこれで大変だけどね――よりは、よほど重大で現実味があるんじゃないかと。

といっても、ユリウス・カエサルが言うとおり、「人は見たいものしか見えず、聞きたいことしか聞かない」ものなので、タイトル、目次を見てもなお一顧だにしない人には、何を言っても詮のないことでしょう。

社民党のお花畑な連中に「いや、自衛隊は大事ですよ」と言っても

(∩. ゚д゚)アーアー聞こえない

って言われてしまうのと同じこと。

といったことをつらつら考えているうちに、兵頭二十八師の著作を「読める/読めない」(読んで意味がある/読んでも時間の無駄に終わる)を簡単に判断する方法を思いつきました。

興味をもたれた方は、騙されたと思って以下の小文を読んでみてください。

~~~~~~~~~~~~~~~

「今日、そして予想し得る将来、われわれ日本国民に直接かつ最大の惨害をもたらしうる筆頭の脅威は、世界中に何万発も存在する核兵器をおいて他にあろうか。国民に最大の惨害をもたらし得、かつ軍隊でなければとても対処できない脅威があるのだから、いかなる防衛論もまず核戦争への対処から論じるのが当然の順序であろう。ところが、いままでの『防衛論』は、すべてこの問題を避けてきた。だから本書こそ、読者が戦後初めて手にする、オーソドクスな防衛論なのである」(6頁)

デビュー作『日本の防衛力再考』からの引用。

・A:「バカバカしい!」と、一顧だにする価値がないと判断された方は、多分、既刊のどの本を読んでも時間の無駄に終わってしまうはずです。

・B:「バカバカしい!」と思いつつ、「確かに理屈は間違っていない」「大上段すぎるけど論理は明晰だ」と少しだけ顧みる余裕のある方には、

・思考実験の材料
・日本防衛を考える一助
・アクロバティックな論理の飛躍を楽しむ遊具
・政治、軍事に関するちょっとマイナーな情報カタログ

などとして、何らかの役に立つことでしょう。

・C:「おっしゃる通り!」と思った方には、座右の書となることを約束します。

~~~~~~~~~~~~~~~

ちなみに手前は「B」ですた。

野村監督は名監督になれるか?

多分、90年代最高のショートストップの一人であろう野村謙二郎が、満を持して広島カープの監督に就任した……んだけど、彼が名監督になる! という“におい”がしないんだよなぁ。

何てったってバリバリの駒大OBでしょ? 大下剛史、中畑清、大宮龍男、森繁和、石毛宏典、広瀬哲朗の後輩ってことですよ。つまり、数あるスポーツのなかでも最も体育会系の掟が厳しい野球界において、最も体育会系らしい漢たち(いうなればハートマン軍曹みたいなキャラ)の系譜にいる男ってことですよ。チームリーダー、キャプテンとしては比類ない存在だけど、トップだけは絶対に向かないってタイプってことです。

実際、指導者として文句なしで成功したのは森繁和、白井一幸くらいだけど、2人ともコーチだしなぁ。監督としては駒大OBのなかで最も輝かしいプロ生活を送った石毛が、無残なまでに失敗――オリックス監督時代はフロントのサポートもなくて同情の余地があったけど、ダイエー二軍監督時代は本当に酷かった――。中畑もアテネ五輪監督(一応、監督代行)でミソをつけた。他にプロ野球で監督になったOBはいない(と思う)。「駒大苫小牧の香田は名監督だろ!」という声もあるだろうけど、プロ野球じゃないでしょ?

ただ、むやみやたらに練習させるのは駒大OBの伝統なので、この猛練習を無事に乗り切って、覚醒した選手が一人、二人と出てくれば上位を脅かすことも十分あり得るかも知れないけど。でも、10年前に達川&大下コンビでしごいた結果、開幕三連戦からレイノソ(レイソノだっけ?)とかがバンバン投げていたようなgdgdっぷりが再現される可能性が高いんだろうなぁ。

おまけ:鬼軍曹
伝説の素手ノックは5:50からです。

2010年3月8日月曜日

日本では右翼、世界では中道

世間の流行から三周遅れくらいですが、政治ポジションテストをやってみますた。日頃から「手前ほどのゴリゴリの中道派はどこにもいないっしょ」といい続けてきただけに、当然、ど真ん中のポジションになるはず! と自信を持っていたんですが……。

政治ポジションテスト

政治ポジションテスト:外交編

……ええわかってますよ。右翼ですよ右翼。認めりゃいいんでしょ、認めりゃ。なんつーか全っ然右翼だって自覚はないんだけどね。

「自衛隊は違憲。だからさっさと改憲か憲法廃棄しなきゃマズイよね」
「外国人参政権? アホ抜かせ! 選挙権欲しいなら国籍とれよ」

ってことを言ってると右翼なのかねぇ。こんなこと中学生レベルの日本語ができれば、誰にでも理解できることだと思うけどなぁ。

ウヨサヨ判定の結果

















いま流行りのネトウヨっすか。
 
というわけで本家の日本版ポリティカルコンパスをやってみたんだけど、



















こっちでも右翼だねぇ。

じ、じゃぁ、本家の本家ならどうよ?



















ほら! もうど真ん中のど真ん中。こんなゴリゴリの中道派の手前が、なんで日本では右翼なのか? アカとか日教組みたいに「日本がおかしい!」とはいわないし、いいたくないけど、釈然としないよなぁ。

2010年3月7日日曜日

ナックル姫よりは使えるだろうけど……

あ、ハンカチ王子の話です。いまアメリカにいってこんなことになっているようです。

斎藤佑、メジャー熱に火「来ることだけで勉強」早大が米国へ遠征

斎藤佑、米遠征で登板=6回4失点-早大野球部

勝手にライバルにしていた田中将大選手は手の届かない存在となり、パチモンだったハニカミ王子にも抜かれ、いまや日刊スポーツ(根っからの早稲田びいき)くらいしか騒いでいないハンカチ王子。そんな彼でも今年のドラフトにかかるとなれば、間違いなく一巡目で消えるんでしょう。もちろん野球の実力ではなくって客寄せパンダとしての存在感だけなんだろうけど。キャンプ、オープン戦、初登板までの集客&マスコミ報道による広告効果を考えれば、1億5千万円の契約金なんてはした金だしね。

まぁ、ナックル姫よりは確実に使えるだろうけど、実のところ「サッシーを超えられれば御の字」というところじゃないかなぁ。

ということは多分、ハンカチ王子自身が身に沁みてわかっていることだろう。プロに行けば絶対にマー君に叶わないことも。なんで、「マー君より早くメジャーにいけばオレの勝ち」くらいに考えているのかもしれないけど、アメリカ人にはハンカチ王子のブランドなんて全然関係ないわけで……。田澤純一選手のようにはいかないだろうねぇ。

結局、日テレのアナウンサーになるのかな?

2010年3月6日土曜日

広岡達朗、「私の海軍式野球」

日本三大ツンデレの一人である広岡達朗。彼がヤクルトを日本一に導いた翌年に上梓した処女作が『私の海軍式野球』だ。

「まず、この本を書くことになった理由を述べたい」

と、まるで報告書のような書き出しから始まる同著。全体にこなれてない文章から見るに、語りおろしをゴーストライターがまとめたのではなく、本人が執筆――引退後、サンケイスポーツの専属解説者としてゼロから文章修行をしたことがある。この辺の事情は広岡の『監督論』に詳しい――したのだろう。

内容は、生まれ故郷である広島県呉市と海軍軍人だった父の思い出話から、ヤクルトを日本一に導くまでのドキュメント。広岡自身が考える監督論、そして巨人への提言から成っている。なお、同著には、西武監督時代における管理野球の代名詞となった「食事制限」のことは一切書かれていない。一方、その後の著書に頻出する中村天風の話は大々的にフューチャーされている。

広岡といえば「管理野球」だが、初めてこのように呼ばれたのがヤクルト監督時代のことだった。禁止令の乱発、問題児の松岡弘、チャーリー・マニエルに手綱をつけたことなどから「管理野球」と呼ばれるようになったわけだが、広岡自身は――

「選手たちが自分で自分を管理し、チームの勝利へ力を出し合う。それがプロのチームだろう。そういうところで、監督がゴチャゴチャ言う必要はないのだ。監督は勝つための作戦をたて、選手はその作戦に従ってそれぞれの責任を果たせばいい。お互いにそれぞれキチンと仕事をすれば、それがいい試合展開になるはずだ。要するに、『野球だけやるチーム』ができればいいわけだ」
「その“仕事”ができない選手、文句を言う選手、そういう選手がいるから、日本の監督はしなくてもいいことまでしなくてはならないのだと思っている」(123~124頁)

――と書いている。

そのうえで自分の野球は「管理野球」ではなく、キチンと野球できるチームになるための手助けをしたに過ぎない。手助けが必要となくなれば、「禁止のキの字も口にすることはなくなるはず」としている。

素直に読めばとても真っ当に聞こえるのだけど、あのキャラ――銀縁眼鏡にどんなときも笑わない目、憎たらしいほどサマになっているユニフォーム姿――で言われると、「ケッ、偉そうになに言いやがる!」と思う人も多いのだろう。

ツンデレなくせに誤解されやすいキャラなので、以下のように明確な意図を持って言ったことでも、壮絶に恨まれてしまうわけで……。

「シーズン中、私はよく選手をボロクソにコキおろした。~~中略~~マスコミの前でしゃべるのだから、これでは日本中に向かって選手の悪口を言っているようなものだ。
だが、そんなことは百も承知である。承知の上でコキおろすのである。選手は、「クソッ! あの野郎」と思うだろう。それを、私は期待している。だから、カンカンになって怒れば、大成功ということになる」(144頁)

ヤクルトでは松岡弘、西武では東尾修が生贄となった。結果、二人とも大活躍したので、広岡の操縦法はとりあえず成功だったといえる。しかし、若松勉や辻発彦などの例外を除くほとんどの人から、「最低の人格」と罵られてしまい、ヤクルトでは途中解任、西武でも解任された。

それでも広岡に言わせれば、「指導者というのはこれ以上下がってはいけないラインがある」という。

「選手に思い切った叱正を与えるとき、すこしでも“計算”があってはダメである。~~中略~~『オレの言う通りにやってみろ。そうすればかならずうまくいく。しかし、どうしてもやりたくなければやらなくてもいい。ダメになってクビになるのはキミだ。それじゃ、金も稼げないじゃないか』 私はこういう言い方が、相手を“尊重している”ことだと思っている」(157~158頁)

合理主義と精神主義の究極のコラボレーションというか、正論に正論を足したら極左になっちゃったというか。とにかく“自分の野球”に絶対の自信がなければいえないセリフであることは間違いない。言葉を換えれば、名監督になるためにはこんなセリフを平気でいえるくらい、自らの野球観を突き詰め、理論化しなければならないということなのかも知れない。もっとも、全く違ったアプローチで名監督になる方法(例えば仰木彬とか)もあるんだろうけど。

そんな広岡の原点となったのが「海軍」だ。

二章の「私は『江田島式野球をやった』」には、海軍軍人だった父の話、海軍の軍記とチームの軍記について考えたエピソードが紹介されている。

「軍艦の戦いというのは、陸上での戦闘とは違って、艦が沈めば全員も沈むという運命共同体同士の戦いである。したがってひとりの乗組員が手を抜いたり、勝手なことをしたりすると、たちまち艦全体に大きく影響する。全員がひとつの目的、つまり勝つことに向かって心と力をあわせなければならない」(20頁)

父(もしくは父の友人)から聞かされた海軍の話だ。少年の頃に聞いたこの話から、広岡は「人間ひとりの仕事の重大さ」を思い知るとともに、軍艦(チーム)を沈めない(勝たせる)ためには、「どんな小さな妥協も許されない」「ひとつの妥協が“沈没(敗北)”につながる」という摂理を心に刻む。

この、「どんな小さな妥協も許されない」という思想こそが、広岡野球のエートスといえよう。このことを心から信じているからこそ、ためらいなく禁止令を出し、きつく叱正でき、徹底した食事管理もできたということだ。

チームを勝たせるためには、あらゆる妥協を許さず、全てをチームに捧げさせる――同著のタイトルは、そんな<究極の負けず嫌い=究極のツンデレキャラ>である広岡の原点を最も的確に表現しているといえよう。

2010年3月5日金曜日

中日の“どんぐり”たちに一言

正直いって松井佑介選手には何一つ期待していなかったけど(『新庄二世』というのが真実なら、新庄剛志より大幅に劣ることは確定ってことだからね。過去何人の『江夏二世』がいたことか……)、藤井淳志選手、平田良介選手、野本圭選手を始めとする外野手の“どんぐり”たちのケツに “火をつけられるだけの器” であるというだけで、契約金分の働きはしたんじゃないかなぁ。もちろんこのまま一軍に定着して大爆発してくれたら儲けモノだけど。

てか、藤井選手に危機感はあるのかぁ? 大事なことだから何度でもいうけど、藤井選手が目指すべきは「センターのポジション死守」「“どんぐり”から頭一つ抜ける」じゃない。目標はそんな低いとこに置くんじゃなくて、「和田一浩選手を追い出してレギュラーを取る」ことだ。

この目標を目指すために、第一歩として「アホなボーンヘッドをなくす」ことがあり、そのために走塁、守備練習を重ねることだろう。打撃スキルは才能に大きく左右されるけど、守備、走塁のスキルは練習すればするだけ確実に伸びるんだから。そりゃ“どんぐり”の中では、全ての点で頭一つ抜けているかもしれないけど、今の実力はほとんど身体能力頼みでしょう? 本当の意味での技術を身につけるには、低い水準での競争に勝っただけで満足するんじゃなくて、もっと高いところに意識を置いて取り組まないとイカンでしょう。

ここのところの新人大活躍のニュースを見て、↑のようなことを思ったわけですが、恐らくは落合博満監督の心中も似たようなものではないか? と想像しているところです。かつて森野将彦選手や朝倉健太選手に見せたツンツン振りを見れば、大幅には間違ってないと思うんだけどねぇ。このままだといつか、「お前、トレード要員な」とか言われちゃうかもなぁ。

2010年3月4日木曜日

PS3は持ってないけど

四半世紀の落合ファンとしては、ちょっと欲しいぞコレ

『街場の中国論』に一言以上いいたい:その3

昨日のあらすじ――華夷秩序の周縁国という立ち位置にある日本は、本質的に儒教国だったんだ! な、なんだってー!! Ω ΩΩ――

中国、朝鮮、日本の三国は本質的に儒教圏なんだから、欧州がEUになったように、日本も自然と儒教圏に統合されるのだよ! と主張しているわけなんですが、なんで今の日本がダメかというと……。

「アメリカン・グローバリズムは日本人には合いません。『オレが中心で、オレがオリジナルで、オレ的にオレはオレが好きだから、それでいいんだ』という自己正当化では日本人は立ちゆかない。グローバリズムのような『タフ』な思想でアメリカ人がやっていけるのは、キリスト教福音主義が『神』のサポートを担保しているからです。信仰の支えのないグローバリストなんて神経が持ちません」

これどこの“バカ右翼”だよ! 床屋政談としても陳腐……ってか、小林よしのりとかと同じこと言ってんじゃん。

「だから『儒教に還ろう』と僕がご提言申し上げているわけです。グローバリズムはもう止めて。かつて日本が理想的な治世をしていた時代に(そんなものはもちろん存在しないんですけれど)還ろう、と。こういう政治的目標の立て方が実はいちばん説得力があるんです。「未来をこれから築こう」じゃ、どうも元気が出ない。「(ありえない)過去に還ろう」と言い募っていると、そおうちに聴いているほうも「一度はそういうこともできたんだなあ」と勘違いして、うっかり理想が実現できたりする。そういうもんなんです。

これはねぇ……なんというか一フレーズごとに突っ込みどころがあるんですが、一言でいえば「無責任」ってことっすかねぇ。ガンガン会社経営やって実学もある大学教授とは思えないほどの、いかにもな“書生の論”って気がする。

てか、そんなあやふやな政治目的の実現しか、メリットがないってことかね?

「飢餓輸出とコピー品が得意な国」と組む経済的メリットってどこにあるの? 
技術移転して中国、朝鮮に安いコピー品つくられて、日本製品が世界市場から駆逐されるだけでは?

「核ミサイルとすぐ沈む潜水艦と旧世代の飛行機と人海戦術が自慢の軍隊」と組む軍事的メリットってどこにあるの?
仮に中国が攻めてきても、自衛隊だけで十分撃退できる。怖いのは核兵器の先制使用だけど、全てのミサイルを日本だけに撃ち込むことはないので(対アメリカ、ロシア用に相当数のミサイルを温存する必要がある)、被害甚大といえど無抵抗のまま皇居に五星紅旗を立てられることはないだろう。で、そんな正式な軍隊を持たない日本より弱い国と組んで、日本の防衛が成り立つのかね? 

東アジア共同体の賛成論者が信用できないのは、「日本にとって明らかなメリット」を提示できないのに、むやみやたらに「中国、韓国と手を組むべき」と主張することなんだよなぁ。手前だって、東アジア共同体を成立させることで「日本にとって明らかなメリット」があるのであれば、諸手を挙げて賛成するっちゅうの(小沢一郎風)。そもそも、みんな仲良くってことならフィリピン、インドネシア、ベトナムはもちろん、アメリカやロシアをハブったらダメじゃん。

と、第2講(~67頁)までにこれだけ突っ込みどころがあるわけなんですが、もちろん突っ込みどころはここまでに止まらず、同じようなペースで第10講(~210頁)まであるわけなんですよ。まぁ、あとがきで瑕疵がたくさんあることを断っているので、一々指摘しても仕方ないんだけどね。

それなのにどうして顔を真っ赤にしてこんなことを書いているかと言うと、直後に読んだ加藤徹の『貝と羊の日本人』に感動したからなんですよ。

『貝と羊の日本人』の主張って『街場の中国論』とさして変わらない――冷静に現代中国を見つめようぜ! 東アジア共同体、移民受入れも悪くないかもな――んだけど、切り口や論の立て方があまりに素晴らしくて(よくよく読めば大雑把)、「いやぁ、いい本読んだ」って感動とともに、「なんでこの本を読む前に『街場の中国論』なんぞを読んでしまったのか! ああ時間を無駄にしたわい!」と、猛烈に腹が立ってしまったからなんですよ。

スーパーの羊羹を食べた後に、ちゃんとした和菓子屋の羊羹をたべると、ついついスーパーの羊羹に悪態をつきたくなるもんじゃないっすか。まぁ、そんな気分だったということ。

で、ついカッとなって文句をいったわけです。もちろん反省はしてません。

2010年3月3日水曜日

『街場の中国論』に一言以上いいたい:その2

昨日のあらすじ――『街場の中国論』という本で、儒教圏成立の可能性と期待について滔々と語っているんだけど――。

おい、いつから日本は儒教国家になったんだよ! 日本って国は――

・葬式仏教=葬式は線香とお経がデフォでしょ? コンビニで香典袋を売ってるくらいだし。
・なんちゃって儒教=幼長の序は体育会系という形で尊重しますが、親は金属バットで殺します。
・ちょっとだけキリスト教=結婚式、クリスマスはキリスト教だけどハロウィンはしません。あと、ガンガン自殺します
・太陽神信仰=天皇を中心とした神の国です。人間宣言? そんなもの飾りです。偉い人には(ry

――を混交したハイブリッド宗教国家じゃなかったっけ? 

いや、この認識が正しいとはいわないけど、手前の受けた教育が大幅に間違っていなければ、少なくともゴリゴリの儒教国家ではない(てか、儒教をスッパリ捨てた)から文明開化ができたってことだと思うんだけど。

そんな「なんちゃって儒教」を少しだけ含む日本が、千年以上続くバリバリの儒教国家と一緒になれるわけないじゃん! 価値観だって全然違うんだし。だいたい儒教では、「京都で十代続く和菓子屋」とか「蒲田の町工場」みたいな存在は卑しいものなんだから。こういった存在を卑しむどころか世界一ありがたがる日本とは、水と油じゃないか!

でも、『街場の中国論』によると、日本は本質的に儒教国であるらしい。

「華夷秩序の周縁国という立ち位置は日本人にとってはもう国民的エートスになっている僕は思っています。つまりオリジナルを作り出すのではなく『付加価値をつける』商売ですね。昔は加工貿易と言いましたけれど、誰かが出したアイディアを洗練させてゆく、ある種の『二次加工能力』を誇る文化です。仏教も儒教もそうだったし、文字もそうですね」
→これは同意。言い方は違えど多くの人が主張していることでもある。

「でも、驚くべきことは、この『私はオリジナルではありません』という立ち位置自体が儒教の教えなんですね。日本の文化的構えの原点がすでに日本オリジナルではないというところがすごい。徹底してる」
→これも同意……かな? ただ、大幅に間違ってはいないと思う。

「孔子の政治哲学はすべて『これは私のオリジナルではなく、いにしえの聖賢の教えである』というかたちで述べられている。私は『創始者ではなく、祖述者にすぎない』というのが、『述べて作らず』ということです」
→まぁ同意しましょう。

「日本はまさにそういう点では国全体として『述べて作らず』を実践してきたし、それをよく血肉化している。その点で、やはり日本は本質的に儒教国だと僕は思います」
→えええええぇ!?

日本に儒教が渡来したのは5世紀半ば。その前に中央政権(ヤマト政権)があったのは確実視されている。卑弥呼だって3世紀の人物だし。

となると、日本が『述べて作らず』を実践したのは、「儒教を受入れ、その思想の要諦である『述べて作らず』を実践した」のではなく、「華夷秩序の周縁国という立ち位置から、期せずしてその教えである『述べて作らず』を実践していた」ということになる。

でもねぇ、そんなことをいったら敬虔な仏教国であるタイ、ベトナムも本質的な儒教国ってことになりますがな! 実際には全然違うのに。もしかして漢字を使ってたら儒教国家ってことになるの? だったらアラビア数字やローマ字使ってたらどんな宗教国家になるのかねぇ。この辺の議論はちょっと牽強付会じゃないかなぁ。

てか、中国、朝鮮、日本で儒教圏を成立させたとして、日本に何のメリットがあるんだろう。『街場の中国論』では、「東アジア全体としての安定秩序の確保」を挙げている。これはこれでとても大事なことだけど、とっても消極的な理由でしょう。

もしかしてメリットってそれだけ?

2010年3月2日火曜日

『街場の中国論』に一言以上いいたい:その1

『日本辺境論』がとても面白かったので、友人に『街場の中国論』を借りて読んだんだけど……。いろんな意味で読み応えのある本ですた。で、いいたいことが山ほどあるので、考えがまとまってないけど、とりあえず思いついたことを書いてみることにしますよ。

冒頭から数ページはいい具合なんですよ。

「ナショナリストというのは『自国の国益が損なわれることを喜ぶ』倒錯した傾向がある」
→これはその通り。加えて“バカ右翼”は下品だから嫌いです。

「『同族』だからこそ、隣国の愛国者たちが何を考えているか手に取るようによくわかる(と思っている)。~~中略~~日本が弱腰になったら、『あんなこと』や『こんなこと』を要求するに決まっている。それは想像がつく。だって、それは、向こうが弱腰になったときにまさに『オレが要求するつもりでいること』なんですから」
→なるほど鋭い指摘。ここらへんは感服。

という感じで、『日本辺境論』と同じように粗雑な議論だけど指摘は鋭い。でも、経済話が出てくるあたりから、内容がかなり怪しくなってくる。

「現在、中国は八パーセントから一〇パーセントという驚異的な経済成長率を継続しています。~~中略~~人口の二〇%程度が今、中産階級だと言われています」

中国経済の話、とりわけGDPの伸び率を始めとする統計がデタラメなんてことは、誰でも知ってることでしょう? 

・粗鋼生産量は02年1.8億tから08年5.7億tと急成長しているけど、まず、どこにそれだけの大規模製鉄所があるの? 世界最大の高炉って日本だよね? 人民網日本語版によると「国内市場での粗鋼消費量は5億6500万トン」っていうけど、これって日本の5倍以上でしょう? どこにそんなに工業製品があるの? 一部で弥生時代とさえ言われている中国内陸部も未来都市みたいになってんの?

・中国の自動車産業が凄い。モーターショーも東京から上海へ! というけど、米国や欧州で中国の自動車メーカーの車は何台走ってんの? 少なくとも日本で見たことないけど。中国国内には走ってるって? だったら旧正月の帰省ラッシュではなぜ鉄道だけが大混雑で、日本みたいに道路の渋滞が話題にならないの? そもそも沿岸部と農村部を結ぶ高速道路があるの?

って具合に、いくらでも怪しい話がある。この辺の怪しい話を前提にどんどん議論を進めていくので、正直、ちょっとついていけなくなってくる。

でも、そこら辺をこらえて読み進めていくと、オッと思えてくる指摘があったりするのが、この本のやっかいだけど面白いところで……。

「中国がとりあえず実効的に統治されているということから、世界の多くの国は損失よりも多くの利益を得ていると考えています」
「排外主義的なイデオロギーが中国国内に瀰漫するということがあったとしても、中国のガバナンスが崩壊して武装蜂起や内戦が起きたり、飢えた民衆がボートピープル化して隣国に流入するというような事態がそれで防げるなら、日本としては帳尻があうだろうと思います。
→これは正しい指摘。ただ、「言うこと聞かないと、内戦おきるかも知れないぞ! いいのか?」って脅しに屈すること(中曽根みたいな態度をとること)は別の話だと思うけど。

「日本に対しては中国の側に、日本を批判することには心理的な抑圧が働いていない」
→これも正しい指摘。ただ、手前に言わせれば、「華夷秩序における末っ子が親に歯向かったんだから、膺懲するのは当然だ」という意識があるからとなる。この方が「共記憶」とかあやしい言葉を使わなくてもスッキリ説明できると思うんだけど。

で、「儒教圏」の成立――日本、朝鮮、中国の連合ってことで、仏教圏のタイ、キリスト教圏のフィリピン、イスラム教圏のインドネシアなどは含まないって事か?――の可能性と期待について滔々と語っているわけですが……。

2010年3月1日月曜日

この世の中に兄よりすぐれた弟など存在しねぇ!

女子フィギュアスケートのアノ結果というのは、儒教国家である韓国が、世界に向けて発した心からのマニフェストなわけですよ。

華夷秩序の上でお兄さんである朝鮮(北朝鮮/韓国。以下、朝鮮)は、弟である日本より優れていなければならない! ってのがナショナルアイデンティティなんだから。

・若き日のケンシロウに無視されたら、「その目つきは何だ!」と殴る。
・自ら胸に七つの傷をつけてまでケンシロウと名乗り、各地で悪行三昧に耽る。

まるで、戦後における日本(ケンシロウ)と朝鮮(ジャギ)のような関係だけど、もちろん武論尊先生は、こうした国際関係とは一切関係なく二人のキャラクターを造形したんでしょう。物語の柱となる「兄弟喧嘩」をドラマティックに見せるため、あえて類型的な悪役を設定したら、お隣の国みたいな行動をとっていた、と。

勝つために手段を選ばなければ、多分、メダルを取ることは難しいことじゃない。防衛費をGNP比で2~3%にするだけで軍事大国になれるように、本気でIOCや競技団体への付け届けをやり、国費で選手の遠征からトレーニング費用まで丸抱えすれば、あっという間にスポーツ大国となる可能性は高い。

でもねぇ、日本人の大多数はこういうことを望んでないんじゃないかな。

「勝つために手段を選ばない」か「どんな障害も正攻法で突き破る」かの二択なら、日本人のほとんどは後者を望ましいと考えるだろう。

が、世界標準で見ると前者を望ましいと考える人が多いというのが実情だったりする。まして弟より優れていなければならないという強迫観念を抱いている朝鮮なら何をかいわんや。

というわけで、今回の女子フィギュアスケートの結果に対する姿勢としては、キム・ヨナの銀河点はニヤニヤしながら見守る。3Aを飛びきった浅田真央には惜しみない拍手を送る――でいいんじゃないでしょうか? 贔屓判定なんかソニヤ・ヘニー(1928年サンモリッツ五輪金メダリスト)の時代からあったんだから(『日本人のスポーツ戦略』兵頭二十八より)。いまさらどーのこーの言ってもしょうがない。

同じように、朝鮮がなんやかんやいってきたら、領土問題以外は生暖かく見守っていればいいのでは? コンプレックスを持つ相手には、こう構えられるのが一番堪えるものです。

朝鮮が弟を抜いて、本当の意味でのお兄さんになるためにはどうすればいいかって?

まずは儒教を捨てることでしょう。でないと科学も工業も決して“ウリジナル”を超えられない。でも、日本が「天皇」を捨てられないように、朝鮮も儒教は捨てられないんだろうなぁ。

3/2追記:日本のウィンタースポーツが弱くなったのは、堤義明が逮捕されたことも大きいのでしょうね。

黒い霧事件、ファンに詫びる:その4

またまたまた引き続き『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)の紹介。

以下は、私が田中から聞いた話である。
「池よ、ちょっと頼みたいことがあるんだが、みながおる前では話もでけん、晩にたぬき(飲み屋)へでもいって、ゆっくり話そう」
池永は承諾した。約束どおり夜、池永と田中はたぬきで会った。
田中はいきなり百万円池永に渡した。そしておもむろに、「今後、池が先発のとき、やってほしいんや。困っとる人を助けてほしいんや……」
「勉さんの頼みなら断るわけにはいかんが、オレ調子がええのや。どうしても、二十勝はしたいなあ。東映戦ではぜひ勝ちたい。いま十八勝やから、これで十九勝にしておけば、シーズンもあと残り少ないけど、何回か出られる。そのうち一勝すれば目的の二十勝や。あとの登板のうち、チャンスはあると思うよ。それなら引き受けてもよい。東映のつぎはロッテやから、そのときでもええな。近鉄はやめとくわ。近鉄には負けとうないな」
「オレが不細工なピッチングをしたら、マスコミが、どうのこうのと書き立てるし、それに太さんと三原監督は親子やろ。親にプレゼントしよったいわれたら胸糞悪いしな。オレそんなことイヤだな。近鉄戦には全力投球したいんよ」
池永のいうことには一理あった(132~133頁)


池永への工作が難しいとみて、今度は対戦相手の東映への八百長工作を行なう。

まず最初に永易が口を切った。
「森安君、頼みがあるんやが、あしたの試合な、先発か」
「田中と思います、ボクこのごろリリーフが多いので……田中が打たれたら、多分出してくれるでしょう」
「この人、オレの学校時代の先輩や(私のほうを指して)事業に失敗したんや。野球賭博でな。大金かけて勝負したいいうてるんや。オレのため、なんとか助けてやってくれへんか」
私は、「よろしゅう頼みまっさ」といって、二人に三十万円ずつのつもりで六十万円差し出した。田中はぎょっとした様子を見せたが、森安は案外平然としていた。田中は、「困ったなあ。永易さん、できそうにもない……」
森安が割ってはいった。「田中、いいじゃないか、一回くらいやったって、ロッテのSかて、ようやってる。この人(私のこと)助けてあげよう。永易さんの顔も立ててな」(135頁)


しかし、この八百長工作も失敗。ちょうどその頃、永易の八百長が発覚。西鉄オーナーから永易の逃亡資金をせしめたり、オートレース八百長への関与がバレたり、八百長報道が加熱するなかで何者かにピストルで撃たれたり――といろいろあって、結局逮捕される。

逮捕直前のとき、朝日新聞の記者に「オレが良いと言うまで、絶対に表沙汰にしない」ことを約束して八百長について一切合切語ったテープを渡すが、記者は翌日、テープの内容をスクープとして報じ(朝日新聞ってのは本当にクズだね。マスコミとしては正しいのかも知れないけど)、黒い霧事件の報道合戦はピークを迎える。結果、永易、与田、益田、池永、小川、森安が永久追放、他多数の選手が処分されることとなった。

同書を読んでつくづく思い知ったのは、「黒い霧事件以前のプロ野球界は、八百長がごくごく当たり前に行なわれていたのだなぁ」ということ。小川や池永、森安の口ぶりには、八百長に対する抵抗感は何一つ感じられない。ちょっとした小遣い稼ぎくらいの気持ちで、八百長に手を染めていた選手が数多くいたのかも知れない。

ウォーレン・クロマティの『さらばサムライ野球』によると――

「チームメイトとはよく飲みに行くから、連中の気持ちはよくわかっている。山倉や篠塚、吉村、岡本、木下なんかとも、遠征先でよく飲んだりバカ話をする仲だ。東京でも、試合後に六本木に繰り出すことがある。だから俺にはみんな気を許してよくしゃべるが、全員がまず文句を言うのは給料のことだ。
『安すぎるよ』
どこかのホテルのバーで酒を飲みながら、山倉がブツブツ言っていた。みんな安い給料でこき使われることにうんざりしている」(197頁)

――という。黒い霧事件の発覚から18年。日本一給与水準が高かった巨人の一軍にしてこれなのだから、パリーグの(まして当時よりもさらに昔の)各チームの事情については改めていうまでもないだろう。ギャンブルや女にのめり込み、年俸だけでは足りないと考えた選手が、八百長に手を出すのもむべなるかな。

当時のプロ野球選手にとっての八百長は、現在のプロ野球選手にとってのステロイドみたいな存在だったのではないだろうか。どちらも野球協約では違法だが、やっている奴はやっているし、選手から内部告発するような動きはなく、上層部も黙認している――。全ての選手が手を染めているわけではなく、“クリーン”な選手が数多くいることも同じだ。

年俸の高騰、野球賭博の衰退、テレビ・ネット中継の発達、球場、ホテルにおける警備体制の厳格化、写真誌、週刊誌による“監視”、そして何より黒い霧事件で明らかになった世間と球界の八百長に対する厳しい姿勢もあり、現在のプロ野球界には黒い霧事件以前のような八百長工作は、ほぼなくなっているものと思われる。

なお、黒い霧事件の追及で最も大きな“戦果”を挙げたのは、当時創刊間もなかった「週刊ポスト」だった。雲隠れした永易を探し出して単独インタビューを取るなど、スクープを連発。1980年から現在まで続いている「角界浄化スクープ」のシリーズも、その源泉がプロ野球の八百長報道にあると考えると、何やら感慨深いものがある。