2010年3月30日火曜日

古田敦也、「優柔決断」のすすめ:その3

監督に限らず、チームを率いるときに大切なことは、「自分の考えをチームに浸透させる」ことだろう。落合博満の著書『プロフェッショナル』(ベースボール・マガジン社)にこんな言葉がある。

「選手は監督の戦術に基づいてプレーするのだから、その戦術への理解度が高ければ高いほど、パフォーマンス力も向上し精密になる。それが勝利への近道だし、その積み重ねで優勝は実現する。その逆なら、選手は戸惑いの中でプレーを続けなければならない。結果はいわずもがなだ」(245頁)

81年のパリーグプレーオフ第一戦、ロッテvs日本ハム戦を振り返っての言葉だ。

当時のロッテは典型的な打ち勝つチームで、上位打線でバントをすることはあまりなかった。リー兄弟と有藤道世のクリンアップの爆発力で勝つという方針が徹底されていた。そんなロッテが、3回裏、ノ-アウト2塁のチャンスで一番の庄司智久を迎える。落合は、ここで山内一弘監督がバントを命じたことが、プレーオフ敗退の遠因だったと指摘している。シーズン中に徹底していた打ち勝つ野球を転換し、手堅い野球をやった結果、選手が監督の方針転換についていけずチグハグな攻めに終始してしまったという。

この落合の教訓を、シーズン中の監督の采配に当てはめてみよう。

たとえば「ウチは一点を守る野球をする」といった大まかなプランを実現するためには、「センターラインには打撃力以上に守備力を考慮したメンバーを起用する」「先制点を確実に取るために2番には小技のできる選手を起用する」「ローテーションを再編してでも力のある投手をリリーフに配転する」といった選手起用を行なう必要がある。試合にあたっては、セオリーでは強攻策でも愚直にバントを命じるシーンも多くなるだろうし、先発投手を早い回で交代するシーンも多々見られることだろう。

ときにセオリーに外れた起用、采配を見て、「この監督は無能!」と謗られることもあるが、これらは全て「ウチは一点を守る野球をする」という監督のプランに則って行なわれるものであり、いわば行動で自らのプランをマニフェストしているということ。このくらい徹底してやらなければ「自分の考えをチームに浸透させる」ことはできないものだ。多くの監督は、ファンやマスコミ、フロントといった“素人”の声に負けて方針を転換してしまい、結果、トップの迷走がチームの混乱に繋がり泥沼に陥ってしまう。

このように「自分の考えをチームに浸透させる」ためには、ときに迷惑なほど頑固になる必要がある。ある意味、バカにならなければならないということだ。

古田は同著で、「初志貫徹」という言葉は好きではないと書いている。こだわることを全否定しているわけではないだろうが、重きを置いていないことは確かなのだろう。何かにこだわるより近道を探すのが古田流の思考であり、頑固になりきれない、バカになりきれないということ。つまり、先が良く見える“アタマ”があったからこそ、自分の考えを徹底させることができなかったのではないだろうか? 

同じことを繰り返し練習させる、ときにはセオリーを破ってでも自分の信念に従って行動する――こうしたことをショートカットすることは、一面から見れば合理的であり良い方法ではある。しかし、ここから逃げていては、いつまでも自分のタクト通りに選手が動くことはない。

選手は言葉だけで動くものではない。ダイエー監督時代の田淵幸一が「ホームランのサイン」を出したところで、それに応えられる選手がいなかったように(多分、王選手がいたとしても応えられなかっただろう)、「ウチは一点を守る野球をする!」と宣言しただけでは、選手は動かないものだ。オーダー、采配、査定……全てに自分の方針を徹底させることで、ようやく自らの考えを実現できるのではないか。

近い将来、古田はどこかのチームで監督に復帰することだろう。そこで成功することができるのか? この著書を読む限り、結構難しいことではないかと思わずにはいられない。


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