2010年3月26日金曜日

おそらく日本一真っ当な日米安保論、「実名告発防衛省」

タイトルは、守屋事件のときに一瞬“時の人”となった太田述正氏の著書名。忙しい人は第三部だけでも読んでみましょう。多分、いま日米関係について語られている数多の人のなかで、一番真っ当な話をしています。

2年前、株式会社金曜日(週刊金曜日の出版社)から発刊されたものなので、出版社名を見て、「ごめん、パス」と思われる人――良心的で常識的な人なら大体そう思うんじゃないでしょうか。少なくとも手前には相当抵抗感がありました――も多いと思います。でも、出版社の名前に惑わされてはいけません。その中身は出版社の主張とは真逆のもので、「出版社が喜ぶ防衛省不祥事の実名暴露に事寄せた、凄く真っ当な日本防衛論」です。

「日本は法理論上も、またその実態も米国の属国だ。戦後日本は、国の自立を先延ばしにしたままずるずると現在に至り、宗主国に搾取され続けている」(216頁)

手前が日本属国論について初めて触れたのは、20年近く前の『朝まで生テレビ』で野坂昭如が「日本はアメリカの植民地!」といってたのを聞いたときのこと。当時は、「そりゃいいすぎ」と思っていたものだけど、あれから20年近く経って、著者と兵頭二十八師の共著書『属国の防衛革命』を読んで、「なるほど、いいこと言うなぁ」と説き伏せられた。著者の主張する<吉田ドクトリン>という考え方が、現在の日米関係を説明する上で最も的を射たものだと感じたからだ。

<吉田ドクトリン>とは、一言で言えば、「安全保障は米国にゆだね、経済に専念する」ということ。言われてみれば当たり前のことで、ほとんどの人は「そんなこと改めて言うまでもないことじゃね?」と思うことだろう。でも、なんとなく理解することと、典拠を明らかにして理詰めでキッチリ論証することには天と地ほどの差がある。著者は、「なぜ、日本がこのような国家方針を採ることになったのか?」について、極めてわかりやすく、かつキッチリと論証している(詳しくは『属国の防衛革命』の第一章「日本はみずから望んで米国の属国になっているだけ」を読んでください)。手前は、この<吉田ドクトリン>の話にノックアウトされましたよ。ええ。

で、これをハッキリと認めて、日本はどうすべきか? について思想の枠に囚われず論じているところが同著第三部の真骨頂。

「一つの方法は、米国と合邦し、その一部になることだ。日本人も米大統領選挙に参加することができるようになる。こうなれば北朝鮮がらみの拉致問題だって核問題だって、米国は現在とは比較にならないくらい真剣に対処するだろう」
「もう一つの方法は、米国からの自立を果たすことだ。日本人はこのどちらかを選択しなければならない」(216頁)

右の人も左の人も自分の思想の立脚点から外れたくないために、どうしても言えないことを平然と言ってのけるッ そこに(略。 

じゃぁ、自立するためにはどうすれば良いか? 

「仮に日本人が米国からの自立を選択するのであれば、いの一番にやるべきことは、何度も述べているように、集団的自衛権の行使ができるように憲法第九条を改正するか、その政府憲法解釈を改めることだ。その上で日米安保条約を双務的な条約、つまりは本来的な意味での同盟条約へと改定することによって初めて法理論的に日本は米国の属国の地位を脱することができる」
「これと平行して自衛隊――名前を軍隊へと改めるかどうかなど二義的なことだ――を、具体的任務を付与することによって戦力化し、思いやり予算を段階的に廃止することとし、在日米軍基地の大幅な整理・縮小や首都圏からの移転を行なう。そして武器輸出禁止政策の大幅緩和を行なう」(217頁)

これが著者の処方せんだ。この結論だって右の人も左の人も受け入れがたいものだろう。でも、理屈で考えたらこの結論しかないように思える。というかこの目標を達成しない限り、日本の外交を巡るあらゆる問題――対米関係、対特亜関係、ODA、環境、捕鯨、領土問題……etc――は解決できないだろう。

あまりにもシンプルで身も蓋もない話だけど、やっぱり世の中にある“図星なこと”(敢えて「真理」とか「真実」とか「本当のこと」とは言わない)ってのは、『孫子』でも「E = m c2」でもそうだけど、シンプルにまとめられるんじゃないでしょうかね?


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