2010年3月29日月曜日

古田敦也、「優柔決断」のすすめ:その2

「『優柔』とは『優柔不断』の『優柔』……。なので、グズグズして決断力に欠けることと思われるかもしれません」
「『優柔』とは、その場その場で『柔軟』に情報を採り入れていくということ。~~中略~~フレキシブルな情報収集のあり方。読んで字の如く『優れた柔軟さ』と解釈してみたらどうでしょう」
「ぼくが考える『優柔決断』は、柔軟に情報を収集したうえで、最終的にそれを活かした『決断』をしっかりするということ。いよいよ最後となれば、『やってみなきゃわからない』。そこまできたら、あとはとにかく『やる』勇気をもつことなんです」(11~12頁)

「こだわる」よりも「柔軟に対応する」ことに重きを置く。手広く情報をインプットし、素早く決断できるように(情報をアウトプットしやすいように)整理したうえで、腹を括って決断する――そんな「優柔決断」という思考法を紹介した同著。幾つか出ている古田の本のなかで、最も素直に自分の考え方を吐露している本でもある。

レギュラーを獲る、全日本の椅子を奪うとき、多くの選手は「自分の長所を磨いて」「実力を高めて」という“正攻法”で臨むことが多い。2軍で5試合連続ホームランを打てば、どんなに監督やコーチに嫌われていようと1軍に引き上げられるが、そこまでの実力を身につけるには相応の努力と時間が必要となる。

古田は、こうした“正攻法”で必要となる回り道をショートカットすることも大切であると説く。つまり、監督好みの選手になることで、手早く使ってもらうという方法だ。

「上司の好みまで研究し、それに合わせようとするなんて、『なんだ、たんなるご機嫌とりじゃないか』と、あざとい作戦に思われるかもしれません。でも、それは違う。決してただ気に入られるために機嫌をとっているわけじゃない。自分の目標を達成するためには最低限やらなければならないことだと、ぼくは思っています」
「忘れてはいけないのは、自分は評価される側であり、選ばれる側であるということ。選ばれなければ、何も始まらないのです」(73~74頁)

古田の言うことは正しい。多分、どの世界でも通じることだろう。しかし、同時に小賢しいことでもある。正論であり現実論ではあるけど、公刊される本で堂々と他人に薦めるような話ではないだろう。さらにいえば、自分をお気に入りにした監督がいなくなり、新たな監督が来れば、途端に使われなくなるリスクもある(中日の清水雅治、前原博之はその典型例)。こうして消えていった選手は枚挙に暇がない。

このような計算高さ(小賢しいところ)が、監督として成功を収められなかった一番の理由だったのではないだろうか。
(つづく)

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