2011年7月31日日曜日

伊良部秀輝・吉井理人、「最新最強のピッチングメカニクス」

◆目次
・第1章:「基本的な投球フォーム」を身につける
・第2章:<伊良部式>ピッチング・メカニクス
・第3章:<吉井式>ピッチング・メカニクス
・第4章:一流投手の投球フォーム分析
・第5章:ウォーミングアップ&トレーニング
・第6章:吉井式変化球メソッド
・第7章:勝つためのピッチング術

追悼企画ということで、第1章、第2章より伊良部のパートを読書メモ風に紹介。

・投手にとっての才能は2つある。一つは「リズム感」。もう一つは狙ったところに投げる「指先の感覚」。この2つについては、意識しなくてもできる人がいる。

・傾斜のあるマウンドで「真っ直ぐに立つ」という意識を持つ。意識しても真っ直ぐに立てなければ、バランス感覚を養う練習が必要。まずはマウンドに立つ前に平地で真っ直ぐ投げられるようにすべし。平地でできないことが傾斜のあるマウンドでできるはずがない。

・メジャーのピッチャーはダイナミックなフォームに見えるが、肝心な動作はコンパクト。曰く「腕を身体の近くで振る投げ方」。理想をいえば、腕は捕手と二塁ベースの一直線上で振る。右投手なら三塁側に離れないのがベスト。コンパクトに振らなければ力のロスが大きくコントロールもつかない。10球なら良くても100球も投げると確実に疲れ方が違ってくる。

・投球フォームの基本は「大きく、小さく、大きく」というが、自分は「クイック、スロー、クイック」を意識した。こういったリズムは自分で探すべし。

・「リリースポイントをできるだけ前に置け」というだけでは説明不足。どんな投手でもリリースポイントは「顔の横」であって「顔の前」ではない。つまり、「身体全体を前に出して投げる」ということ。持っている力を全て使って投げれば、結果としてリリースポイントは「顔の横」あたりにくる。球持ちを意識させるより、下半身を使って投げさせることを意識させたほうが良いのではないか。

・軸足のヒザのお皿。これをピッチャープレートと平行にすることが一番大事。これにより身体がブレずに体重移動できる。これができないと体重移動の段階で軸足が回ってしまう。結果、身体の開きも早くなり、腕が身体から離れてしまい、無駄な力を使うことになる。

・右投手の場合は左肩を絶対に開いてはいけない。リリースの瞬間からボールの軌道まで丸見えになってしまう。これではバッターはバッティングセンターで打ち込むように簡単に打てることだろう。

・肩は左右でワンセット。右投手の場合、右肩を前に出せば左肩は後ろに下がる(開いてしまう)。その逆も然り。どうしても開いてしまうのなら、「右肩を前に出さない」「右肩を止めて体重移動する」といったことを心がけるべし。

・ただし、これを意識しすぎてもダメ。ピッチングはパズルのようなもので、一つのメカニズムが狂えば全て狂う。時には意識しすぎないことも大切。

・体重移動はゆっくり行い、そのあいだで打者を観察する。打者の一瞬の反応を見る。自分の場合は、打者の膝元を見た。そこで「踏み込んできたら一球分内側に外そう」と考え、実行していた。

このようにごくごく基本的なことを中心に語り下ろしている。もし、投手コーチとして活躍できる場があったとしたら、高卒新人やエスカレーター選手に対して、極めて効果的な指導ができていたのかも知れない。しかし、国内で事件を起こしただけにNPBでコーチになるのはほぼ絶望だったのだろう。キッチリと罪を償った人に対しては、実績や指導力を見て、一定以上の能力が認められればコーチとして招聘すべきではないだろうか。伊良部もそうだったが、とりわけ江夏豊を無役のまま在野に置いておくほどもったいないことはないと思うのだが……。

2011年7月30日土曜日

一応指摘しておきます:その2(伊良部の評価)

故伊良部秀輝について、「日本一早かった」「メジャーでも成功した」「凄いピッチャーだった」「最後の速球派だった」……etcと、そこらじゅうで美化されまくっています。確かに一流のピッチャーでした。でも、高校時代からリアルタイムで見てきた手前としては、野茂英雄や松坂大輔には及ばず、インパクトという面でも今中慎二や伊藤智仁あたりに及ばなかったという印象があります。亡くなったから思い出を美化しよう――という気持ちは良くわかるんですが、そうした美化したハナシが“定説”になってしまうのも困ったことだと思うので、ここでは敢えて「意識的に美化しない手前の感想」を書くことにします。

・高校時代――同期では圧倒的に川島堅が上。良く見てもPLのWエースだった橋本清、野村弘樹と同格と見ていた。当時はスポーツ紙の評価に影響されまくっていたので、多分、世評もこんなものだったのでは? 少なくとも「高校ナンバーワン投手」とか「超高校級」という評価ではなかった。あと、スピードボールにしても前世代の渡辺智男の方が凄かった。

・ロッテ時代――スピードガンは凄かったけど、ストレートの威力が日本一とまでは思わなかった。今でいうマーク・クルーン投手のストレートのような扱いだったのでは? これは完全に手前の主観だけど、正直、球威という点で見れば10km/h遅かった全盛期の江川卓のが凄いと常々思っていた(なお、ダルビッシュ有投手のストレートの感想は「江川より1段上」というものです)。

あと、名シーンとしてTV番組やYouTubeで盛んに取り上げられている「158km/h」の印象が強くて、世間的には“速球派”という扱いになっているけど、彼の投球スタイルはロッテ時代から“軟投派”だったことも指摘しておきたい。ここでいう“速球派”とは、江川や川口和久、今中のように、「勝負球のほとんどがストレート(投球の8割近く)で、タイミングを外すときにカーブを投げる」ような投球スタイルのことです。伊良部は誰よりも速い球を投げられたものの、その投球スタイルはオリエントエクスプレスと称された郭泰源と同じように、変化球を織り交ぜた“軟投派”でした。

・メジャー時代――好不調の波が激しすぎたので何ともいい難いけど、好調のときはメジャーでも屈指のピッチャーだったことは確か。年間通して好調であれば軽く20勝できたとも思う。ただ、好調が長続きしないので、延べてみれば石井一久や吉井理人にも及ばなかったという印象。

というわけで、手前の見た伊良部は、「クルーンみたいなストレートを持った頭脳派投手」という感じです。

一応指摘しておきます:その1(韓流批判)

日テレ系列の福岡放送がTwitterで韓流批判をした高岡蒼甫を『人種差別主義者』と痛烈に批判

例えばだ。音楽番組が2時間ぶちぬきのアメリカスペシャルで、出てくるのがレディー・ガガ、クリスティーナ・アギレラ、ジャスティン・ビーバーとかで、14時から16時までの3時間にかけてアメリカドラマSPと称して『MADMEN』と『24』と『CSI』を毎日流して、WBCの対アメリカ戦のことを「米日戦」と呼んで、日本タレントが唄う歌に英語のテロップをつけて、サザエさんのカツオの部屋にケイティ・ペリーのポスターが貼ってあったりしたら、「それどこのCBSだよ! 日本のTV局なら日本のタレント使え!」っていうんじゃね? で、こういう文句をいったところでアメリカ人を差別したってことにはならんでしょ? アメリカのところをイギリスにしてもフランスにしてもドイツにしても同じなのに、何で韓国/朝鮮にしたら差別になるわけ?

ってことは、まぁ、人種差別主義者だのなんだの言ってる奴の心根がですね「韓国/朝鮮差別主義で腐りきってる」ってことですよ。

なお、↑のハナシは、全部2chソース。手前は一つの番組も見ていないので悪しからず。

2011年7月29日金曜日

これは仕事が手につかない

自殺?伊良部秀輝氏 自宅で死亡「最近は思い悩んでいるようだった」

「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳

もう何といっていいやら。小松左京は大往生といっていいんだろうけど、いざ亡くなられるとやっぱり堪える。それにしても伊良部は……ああ見えて本当にセンシティブな人だったんだなぁ。10年前、いや5年前くらいのレベルで野球中継が隆盛であれば、何らかの形でメシは食えてたと思うんだけど……まぁ、本人が大のマスコミ嫌いだったから「死んでもTV局やスポーツ紙にはアタマは下げねぇ」と思ってたのかもしれないけど、それにしたって自殺することなんてないのに。

2011年7月28日木曜日

これはだめかもわからんね

基本、負けたらblogに取り上げない――をオレルールにすることで、精神衛生上良くないことを避け、日々の生産性向上につとめてきたんですが……さすがにこの2連敗は堪えた。残り70試合あるとはいえ、9ゲーム差はまずい。優勝はほぼ絶望だもの。

若手の守りはなぁ……。やっぱり使われなかったのには理由があったってことね。正直、ショートには荒木雅博選手を使い続けてもらいたいところなんだけど、そうなるとセカンドがいないし。核となる選手を4人――谷繁元信選手、トニ・ブランコ選手、井端弘和選手、高橋聡文投手――も欠いたまま戦い続けていれば、若手をとっかえひっかえする“ごまかし”も効かなくなってくるわね。とりわけセンターラインがガタガタだから、仮に打ちまくったところで取りこぼすことも多くなるんでしょう。

かつて、ナゴヤドームには「負ける気がしねぇ」という横断幕が誇らしげに掲げられていたものですが、何というかいまは「勝てる気がしねぇ」という感じです。

2011年7月27日水曜日

AKB48=幸福の科学説

ふと、2chを見ていて見つけたレスのコピペですが、これは秀逸と思いました。

865 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2011/07/26(火) 16:32:31.90 0
ニュー速民が「幸福の科学」って言ってたのが
一番しっくりきた
本はいつもベストセラー
ただ一般には対して浸透してないっていう

昔は「TVで取り上げられるモノを知らない奴はハブってOK」という悪習があったので、くだらないトレンディドラマとかも義務として見ざるを得なかった人(手前もそのうちの一人でした)が多かったと思いますが、いまとなってはこういう悪習もすっかり廃れましたからね。こうして見ると、日本人も少しずつではあるものの進歩しているのかと思ったり思わなかったり。

韓流ブームと一緒でゴリ押しが酷いらしいけど、この1月からまともにTVを見てないんでよくわかりません。知らなければ気分も悪くならないし、憤ることもないですからね。TV局も商売なんだから、何か儲けになるからやってるんでしょう。まぁ、自治体が出資する映画とか10年前の某Jリーグチームみたいに、「誰が得するんだ、それ」みたいなモノであっても、出資者や運営者の事情だけで作ったりマネジメントしたりするものも厳然としてあるわけだから。

2011年7月26日火曜日

悪いのはババを掴んだキャッシュマンだけだよ

Kei Igawa: The Lost Yankee

「井川慶:忘れられたヤンキー(?)」ってとこでしょうか。英語が得意じゃないので、ザッとナナメ読みしただけですが、最後の最後のところ――

Back in his Yankee Stadium office the next day, Cashman summoned to the Yankees Igawa’s Trenton teammate, Steve Garrison, a 24-year-old left-hander with no major league experience. Garrison’s Trenton record this season is 3-6 with a 6.26 E.R.A.

――を読んで……

(´;ω;`)ブワッ

……ですよ。ホント、キャッシュマンは井川投手のことが心の底から憎くて憎くて仕方がないんだね! 記事自体、そんな本音が行間から滲み出るようなハナシでした。

井川投手の失敗は、その極めて特異なキャラクター――手前の認識は「目的合理性しか頭に無い勤勉かつ真面目な人間」というもの。早いハナシが「空気を全然読まない人」)がチームにマッチングしなかっただけのことでしょう。人間の本性ってのは変えられないんだから、これはしょうがない。日本人だから失敗したとか、アメリカに馴染めなかったとかいうハナシではないと思います。

2011年7月25日月曜日

地デジ対策? この1月から準備していたから万全ですよ!

もちろん地デジ対応TVとか地デジチューナーとかを買ったわけじゃぁりません。TVがなくても恙無く生活できるように準備していたってハナシですよ。

ウチのアナログTVは昨日12:00に見れなくなりました。アナログ放送終了前後の2分間だけTVをつけて確認しましたよ(既にNHKとの契約を解除していたので、TVを見るのは厳密にいえば契約違反ではあったんだけど)。

TVを見なくなって良かったことは数え切れないほどあるけど――一番大きかったのが電気代。掛値抜きでエアコンと同じくらい電気を食っていたことが身に沁みてわかった。2chのコピペにある「エアコンよりTVを消した方が節電になる」ってのは、ある程度真実だと思います――、ここでは敢えてTVを見なくなって悪かったことを挙げてみましょうか。

……って冷静に考えてみると、「ニュース速報をいち早く知ることができなくなった」ことしかないですね。こればっかりは、いくらネットをしようがTwitterをやろうが(って手前はやってないんだけどさ)、四六時中TVをつけている一般人の方が早いものね。実際、ノルウェーの事件も中国の事件も、手前が認識したのは恐らく報道初出の6時間くらい後だったし。まぁ、たまたま仕事をしていてYahoo!! ニュースや2chを見てなかっただけなんだけど、去年までのように朝から晩までTVをつけっぱなしにしていれば、いち早く知っていたことでしょう。で、当然、仕事の手も休み、生産性も下がると。

ともあれ、手前はデイトレーダーでもないし新聞記者でもないので、こういったニュースをいち早く入手する必要なんて全然ないし、ニュースを知りたければPCで作業しているときにYahoo!! ニュースや2chをバックグラウンドで更新し続ければいいだけのことで全然問題ないし、映像が欲しければYouTubeを見ればいいし。

え? もう二度とTVは見ないのかって?

高校野球でも日本シリーズでも見たいコンテンツがあれば、電器店の店頭かマンガ喫茶に行けばいいじゃん。『風雲たけし城』とか『独眼竜政宗』に匹敵するコンテンツが流れていれば、再度NHKと契約した上で地デジTVを買わないこともないけど、いまのTV局の予算で↑のようなコンテンツを作るのは不可能だものね。

2011年7月24日日曜日

40過ぎになってからの歌声こそ聴きたかった

歌手ワインハウスさん死去=英

アル中が治らないままリハビリ施設を出て泥酔して東欧でライブをやって歌詞を忘れて声も出ずにボロボロってところで、遅かれ早かれこんな感じになるとは思っていたものの、本当になるとはなぁ……。『glee』の第1話で超元気の良い『Rehab』のカバーを聴いてから、Youtubeで後追いして聴いたクチだけど(名前だけは知ってた)、正直、他に印象のある曲はあんまりなかったかなぁ。でも、こういうヴォーカルスキル――声域、声量、ボイスコントロールetc――の低いタイプの人こそ、年をとればとるほど良く聞こえるだけにもったいない感はある。合掌。

【ニコニコ動画】glee(gleeでのカバー)
Amy Winehouse - Rehab

2011年7月23日土曜日

実力があれば、人なんて向こうから寄ってくるって

オールスターでの斎藤佑樹さんが可哀想な件

TVがないので見られなかったんだけど、一応抑えたそうで……それにしても人間社会は残酷だ。こういう場合の処世術は積極的に“いじられる”ことなんだけど、仮に斎藤祐樹投手自身がいじられたいと思っても、マスコミや無責任なファンが抱く「ハンカチ王子」は、“いじられる”ことを許さないキャラ設定になっているからどうにもならんわね。

まぁ、大人なんだし、ベンチで浮いたからって銀行口座の数字が少なくなったりするわけじゃないんだから、これはこれでいいんじゃね? 本当の意味での実力――200イニング弱投げて2桁勝てるくらいの実力――があれば、誰もほっとかなくなるんだし。

2011年7月22日金曜日

落合博満×駒田徳広:エピローグ

ここまで10日以上に渡って書いてきた「落合博満×駒田徳広」のエントリ。タイトルこそ挑戦的なものの、最終的には穏当な結論に落ち着いてしまって肩透かし感がハンパない感じです。が、落合も駒田も認めているように、「バッティングに正解はない」ので、どっちかに軍配が上がるようなハナシでもないんでしょう。

ともあれ、手前の感想をザックリとまとめると、「落合の理論は理想論であり原則論」「駒田の理論は現実論であり応用論」ってとこでしょうか。大きな視点でバッティングを考究できる理論書という観点から見れば、やっぱり『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)に勝るものは未だにないと感じています。

だからといって駒田の『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』が、落合の著書に劣るといいたいわけではありません。すでに書いたとおり、左打者にとっては落合の著書よりも使い勝手が良いものですし、ある意味、バイブルになり得る内容なわけですから。

もう一つ駒田の著書の功績を挙げるとすれば、今日でも“常識”として奉る人が少なくない<ダウンスイング至上論>や<軸足回転打法>に対して明確なNOを突きつけたことと、昨今持てはやされている「引きつけて打て」という指導法(その顕著な成功例が金森栄治の指導)に疑義を差し挟んだことでしょう。

手前は<金森打法>は非常に優れたものだと思っています。それでも駒田の著書を読み、落合の著書と読み比べてからは、「非力な左打者に対しては、<金森打法>を画一的に押し付けるよりは、駒田の考えを応用した方が良い結果が出るのではないか?」と考えを改めました。当たり前のことですが、落合の言うことにも、金森の言うことにも、駒田のいうことにも絶対はないわけです。「バッティングに正解はない」ということを改めて確認できたことは大きな収穫でした。

ともあれ駒田の著書は、プロ野球ファンで打撃論に興味のある人であれば、まず目を通すべき本と思います。少なくとも古田敦也の『フルタの方程式――バッターズ・バイブル』(朝日新聞出版)よりも深く読ませ、いろいろと考えさせ、かつ楽しく読めることは間違いないということは保証します(なお、『フルタの方程式――バッターズ・バイブル』も凡百の打撃指導書よりは遥かに面白くためになる本です。内容は現代野球理論の最もオーソドックスなところをミックスしたようなもので、日ごろ野球本を読まない人にとっては得るところの多い本です)。

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2011年7月21日木曜日

落×駒:“駒田打法”はバイブルになり得るか?

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

駒田が横浜ベイスターズに在籍した当時、監督をしていた権藤博はこのように語っていたといいます。

「試合前のミーティングで、バッターにスライダーやチェンジアップを引きつけて打つように指示すると、たいてい打てないな。5回を終わって2安打くらいの完封ペースになっている。だから、言うんだよ。泳いでもいい、ファウルになってもいい。とにかく打ちに行け。ピッチャーは前に出て、打ちに来られるほうが嫌なんだから。同じアウトローのボールでも、バッターが引きつけて打とうとするのと、前に出て打ちにきているときでは、投げる側のストライクゾーンの見え方が違うんだ。打ちに来られると、ピッチャーは怖くなって、どうしても外のボールゾーンに投げることになってしまう」
(駒・32頁)

すなわち、本の帯にある「『引きつけて打て』が投手を有利にする」ということです。これを克服するために権藤は、引きつけて打とうとするバッターに下半身も積極的に前へ体重移動して打て(=「バンカーショットになっているぞ。せめて3番アイアンくらいで打て」)とハッパをかけていたそうです。実際、このような権藤の方針があったためか、90年代末期の横浜ベイスターズは<マシンガン打線>を売りに快進撃。99年のチーム通算打率は.294とセリーグ最高記録をするほど打ちまくりました。

こうして見ると、駒田の提唱する打法は素晴らしいようにも思えます。しかし、「バッティングに正解はない」という言葉通り、この打ち方にもデメリットはあります。

その際たるものは、何度も繰り返すように「長打を量産できない」ことです。99年のマシンガン打線は文字通りセリーグ最高の打率を叩きだしましたが、反面、シーズン通算ホームラン数は140本と控えめな数字でした(37本打ったロバート・ローズ以外に20本以上打った選手は一人もいなかった)。このことからも、駒田の提唱する打法がヒットを量産するために特化したものであって、長打を狙う打者にとっては最適化された打法とは言い難い――ということはいえるかと思います。

また、前回左打者に向いた打法とも書きましたが、駒田の主張とは正反対の「引きつけて打て」がウリの金森栄治コーチの愛弟子で頭角を現している選手の多くが右打者(アレックス・カブレラ選手、和田一浩選手、井口資仁選手、城島健司選手etc)だったりします。

このことからも――

・「引きつけて打つ」打ち方が右打者にとって有効である可能性が高い
・「引きつけて打つ」打ち方が左打者にとっては右打者ほど顕著な効果がないと考えられる

――といえるのでしょう。さらにいえば、「引きつけて打つ」打ち方で芽の出ない左打者であれば、駒田が提唱する打法を取り入れることで“化ける”可能性もあるということです。実際、イチロー選手や坪井智哉選手、なにより駒田自身が2000本安打を打つほど成功したのですから、ヒットを量産できる打ち方ではあるわけです。

というわけで、本エントリのタイトルの問いかけには、「左打ちで積極的に長打を狙わないバッター限定」でバイブルになり得る、と答えられるのではないでしょうか。

追記:書いている途中に思いついたので一言。駒田は権藤の言葉を借りて、自身の提唱する「前へ体重移動する打ち方」は「下半身も連動する打ち方」であって、「引きつけて軸足で打つ打ち方」は「下半身を連動しない打ち方」であることを言外に匂わせています。しかし、<金森打法>も落合が禁忌とする「前方へのスウェー」にしても、スイングの際に下半身を連動させることは大前提としてあり、その理屈も理に適っているものです(スペースが足りないので詳細は省きます)。よって、もし駒田がこのような認識を持っているとすれば、「それは誤りに近いのでは?」と思います。

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2011年7月20日水曜日

落×駒:スウェーと体重移動に違いはあるのか?(その3)

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

・落合曰く、「スイングに合わせて前方にスウェーするのは良くない」
・駒田曰く、「足を上げて積極的に前へ体重移動すべし」

こうしてまとめてみると、「スイング時に体が前に動くこと(=いわゆる「球を迎えにいく」こと)」ことに対するスタンスが180度違うことがわかります。では、スウェーと体重移動は同じものなのか? といえば、「本質的に同じものじゃないの?」と思います。

落合も駒田も、スイングの際に上半身と下半身が連動しないこと――上半身だけが投手寄り、あるいは捕手寄りによれてしまうこと。下半身を使わずに上半身だけで打ちにいくとこのようになることが多い――にはダメ出ししています。いわゆる「回転軸の中心線」をぶれさせてはいけないということです。

そのうえで落合、駒田とも前述のような主張をしているので、「スウェーは上半身が突っ込むこと」といった意味でないことは明らかです。言葉を換えれば、両人のいう「スウェー」と「体重移動」に本質的な違いはない。つまり、同じことを言っていると考えられます。

では、どっちが正しいのでしょうか?

結論からいえばどっちもアリなんでしょう。ただ、この結論を得るためには違う視点から見ていく必要があります。

すなわち、「ホームランを捨てた左打者であれば、敢えてスウェーするのが極めて有効な場合もある。ただし、右打者であればどんなタイプであっても百害あって一利なし」ということ。つまり、バッターのタイプや特性、目指すところ……etcによって結論が変わってくるということです。

ちょっと結論を急ぎすぎましたが、その理由について書いてみたいと思います。

まず、スウェーすることのメリットはどこにあるのか? 駒田の言葉を引用します。

これは個人差がありますが、軸足で立った状態でボールを打ってみてください。意外と打つことは難しいのです。それよりは前足で立った状態のほうがボールは打てます。後ろ足より前足重心のほうがボールをとらえやすいということでしょう。
(駒・64頁)


百人一首のように止まっているカルタを目指して、片手でバーンと取りにいくような感覚でバッティングを考えては進歩がありません。
それではどうすればいいのか。ボールが約39センチ(都築注~140km/hのボールが0.01秒で動く距離)動くのなら、50センチくらいの幅でボールをとらえる打ち方を練習すればいいのです。それが前述した前足を上げてボールを待つバッティングだと思います。
(駒・82頁)

このように、「バットが振りやすいこと」(=バットコントロールが容易なこと)と、「ボールを点ではなく線(面)で捉えることで、バットをボールに当てる確率を最大化すること」を挙げています。

一方、スウェーすることのデメリットは、落合の言うとおり、「前方へのスウェーでは体と一緒に腕も出てきてしまうため、100パーセントの力でボールを叩くことができない、すなわちパワーのロスが起きるわけである」(落・57頁)となります。駒田は“運動軸”が前にある選手であれば、最も効率よくパワーを伝達できると説きますが、パワーヒッターで球を迎えにいく打ち方をして成功している選手がいないことも事実です。

加えて、スイングの際に体が前方にスウェーすると、右打者であればフォロースルー時に体が三塁方向に流れてしまいます。これでは一塁へ走り出すために余計な時間がかかり、良い当たりを打っても次の塁を陥れるのは難しいでしょう。当然、内野安打なども望めません。

しかし、左打者でホームランを最初から狙っていなければ、上記のようなデメリットは全てメリットに転じます。

・前足で重心を取ることでバットコントロールをしやすくなり
・前方にスウェーすることでボールを点ではなく線(面)で広く捉えやすくなり
・フォロースルー時に体が一塁方向に流れることでいち早く一塁にダッシュできる

ということ。つまり、左打者がイチロー選手のようなバッターを目指すのであれば、駒田の理論は正しいといえるわけです。
(つづく)

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2011年7月19日火曜日

落×駒:スウェーと体重移動に違いはあるのか?(その2)

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

第1章で「体重軸」と「運動軸」についてふれましたが、ここではバッティングにおける体重移動について述べたいと思います。「体重軸」は運動が起こる前の軸足を中心とした軸。「運動軸」は体重軸がステップした前足の方向へ移動する中で生まれる軸です。
僕が提唱する運動軸を中心にしたバッティングとは「うまく体重移動をしながら、その中の回転運動でボールを打つ」ということです。この運動こそが、バットとボールが当たったときの圧力をもっとも高めるバッティングだと思っています。
(駒・58頁)

という、高らかな宣言から始まる「第2章:キーワードは『軸』と『支点』」。前回と同じように、この章より要旨を抜粋してみます。

・「構え」に当たっては、軸足のつま先を投手方向に対して垂直及びやや内側に向ける。捕手寄りのヒジはしっかりと上げ、決してワキを締めない。


・ワキが締まるとヘッドが出にくくなり、振り遅れ、手打ちになる。「構え」でワキを締めている選手でも、「トップの位置」ではヒジが上がっている。だったら最初から空けていた方が理にかなっている。


・ミートポイントを迎える前に回転運動をしない。体が開く原因になる。回転運動のタイミングを計る「タメ」が必要。それには「足を上げて打つ」のが有効。


・足を上げ、積極的に前へ体重移動することで、下半身を使ったバッティングができる。多少タイミングを外されても、バットでうまくボールをさばける。しっかりとステップせず、体重移動が不十分では、軸回転だけのスイングになりボールに力が伝わらない。

ワキを空けるか締めるか? も面白いポイントなのですが、そこに言及すると収拾がつかなくなるので、ここでは体重移動についてだけ見ていきます。ここで読書メモ風に抜粋した駒田の主張を言葉通りに解釈すると――

・足を上げて積極的に前へ体重移動することが肝要。

――となります。つまり、落合がバッティングの“諸悪の根源”と見なしている「前方にスウェーする」ことに近いスイングをすると読み取れます。

果たして駒田の言う「体重移動」は、落合の言う「スウェー」と同じことなのでしょうか? それとも全く違うことなのでしょうか?

もう少し駒田の言葉を拾ってみましょう。

運動軸とは一連の体重移動の中でバットに最大限のパワーを伝える状態の体の軸です。
この軸がどの場所で起こるかは個人によって千差万別です。自分がもっともパワーを伝えることができるポイントは本人しかわかりません。
運動を起こす軸が軸足に近い人もいれば、前足に近い選手もいます。その中間くらいの選手もいるでしょう。
(駒・66頁)

駒田はこのように書いた上で、「運動軸が軸足に近い選手」の代表例として城島健司選手、松井秀喜選手を例示。一方、「運動軸が前足に近い選手」の代表例としてイチロー選手を挙げています。そのうえで――

しかし、3者とも回転する軸はぶれていません。回転軸がしっかりしていることも一流選手の証なのです。
自分の運動軸がどの地点にあるのかを認識することは難しい作業です。
たとえば、前に突っ込んでなかなか打てない選手がいます。その選手はおそらく運動軸が体重軸に近い所にあるのだと思います。一方、泳いでもボールをバットにうまく乗せることのできる選手は前足方向に運動軸があると言えます。
(駒・67頁)

――と、回転軸の“最適解”は人それぞれで、やってみなければわからないと結論しています。

正直、自身の理論を考究しきれていないように思えますが、ともあれ「運動軸が捕手よりにある選手以外であれば、前方にスウェーする打ち方が有効」と主張していることは間違いないと思います。
(つづく)

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2011年7月18日月曜日

落×駒:スウェーと体重移動に違いはあるのか?(その1)

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

<軸足回転打法>が限りなく嘘くさいといっても、バッティングにおける軸足の位置づけが重要であることに変わりはありません。ではなぜ、軸足が重要なのか? 『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』から「“軸足の使い方”を徹底的に考える」の章より、その要旨を抜粋してみます。

・私は現役時代から、バッティングにおいて技術的にどこかが崩れた場合、その原因はすべて軸足の使い方が悪くなっているからだと分析していた。現役当時から現在まで、周囲が期待する成績に届かず苦労している選手の99%は、軸足に問題を抱えている。


・軸足の使い方が悪い、もしくは悪くなると、下半身の使い方も崩れ、結果として上半身の動きも崩れてくる。グリップの位置やタイミングの取り方を修正しても応急処置にしかならない。


・最近のほとんどの選手、また調子を崩している選手は、体を投手寄りに動かしながら打ちにいく。このような前方へのスウェーにより、体と一緒に腕も出てきてしまうため、100%の力でボールを叩けない。すなわちパワーをロスしてしまう。


・スウェーの原因はいくつかある。一つは結果が出ないため打ち気に逸り、ボールを迎えにいってしまうこと。もう一つは下半身が弱い、あるいは故障などで力がかけられないため、体が早く開くこと。


・こうした体の先走りを抑制するためには、常に軸足の使い方を意識すべきだ。
(落・56~61頁)

本文は図解と写真を使って念入りに説明しているのですが、全ての引用するのでは長い&引用の範囲を超えることが懸念されるので、ここでは重要と思われる部分のみを読書メモ風に抜粋しました。

さて、手前は落合が説明する“軸足の使い方”の勘所は、「スイングに合わせて前方にスウェーするのは良くない」ということであると理解しています。

落合は、この悪癖を直すためには――

時には、「捕手寄りの足一本で立ってやろう」とするなど、極端すぎるくらいに体重を捕手寄りに残して打ってみることも必要だ。私にも経験があるが、自分ではそれこそ捕手寄りに体を倒すくらいの意識を持っても、それでようやく本来の構えに戻る程度。打撃投手に印象を尋ねてみると、「調子の悪い打者は、体がこちらに向かってくるように見える」といっていた。
(落・62頁)

――という思い切った修正法も必要なのだとも主張しています。

では、バッティングの“諸悪の根源”にも見える「球を迎えにいく=スイング時の前方へのスウェー」について、駒田はどのように考えているのでしょうか?
(つづく)

落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈(注:Amazonリンク)

2011年7月17日日曜日

体育教師はクズばかり!

中3男子、体育の授業中プールに飛び込み首を骨折 福岡

これは120%体育教師の責任! 深さ1.1mのプールで飛び込みの練習ってアホか? 競泳用プールは最低でも深さ2mあるし、飛び込む競泳選手だって浅く飛び込むコツを徹底的に指導されたうえで飛び込むんであってね。これで下半身不随になったら学校からたんまり賠償金を取るのは当然として、体育教師に個人的な制裁を加えてもいいと思うね。てか、手前がこの中学生なら、考え得るあらゆる手段を尽くして体育教師の身の破滅を試みるね。

それにしても、体育教師にはなぜクズしかいないのか? 現実でもドラマや映画でも「知的な体育教師」なんてこれっぽちもみたことがない。「放射能が怖いから外に出るな!」とかいいながら、テメェは生徒の前でプカプカ煙草を吸うような真性のクズばかり。てか、いまだに「体育の授業中は水を飲むな!」とかいってんじゃねぇか?

体育ってのは本質的に危険な授業(柔道なんか特にそう)なんだから、それを教える教師は、全教科のなかでも最も知的かつ冷静であるべきでしょ。なのに、実際に体育教師になるのは社会に出たらボールペンよりも使えない“筋肉バカ”ばかり。大学教育や競技選手の落ちこぼれの受け皿でしかないことが一番の問題なんだろう。極論だけど、↑のような過程でドロップアウトした奴は、体育教師にならずにヤクザになったほうがよっぽど世のため人のためになると思う。

落×駒:<軸足回転打法>は嘘っぱちだ!

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

落合と駒田の打撃論は、よくよく読むと共通点が数多くあります。その最たる例が「軸足回転」に対するスタンスです。落合は、『落合博満の超野球学・バッティングの理屈②』で、<軸足回転打法>について、次のように書いています。

「読者の皆さんも試していただきたい。両足を接地したまま、どちらかの足を軸にして体を回転させることができるだろうか」
(中略)
「百歩譲って、バッティングでも軸足回転ができたとしよう。だが、軸足で回転することはできても、その中で体重を移動させていくことは不可能だ。これで結論は出たと思う。バッティングにおける回転運動は、体の中心線を軸にしなければできないのだ」(41頁)

駒田も以下のように書いています。

現在、バッティング理論の基礎でもあるかのように繰り返し言われるのが「軸足で回転して打て」の一言です。
(中略)
そもそもコマのように回転するだけだと、バットをボールに当てる確率はかなり低いものになってしまわないでしょうか。
(中略)
ステップとともに体重が前に移動していく以上、体の軸が移動するのも当然です。
つまり、運動軸とは一連の体重移動のなかでバットに最大限のパワーを加えられる状態の体の軸のことであり、バッティングフォームでは体は前に出ていく動きは非常に重要なものになっていきます。
「軸足でしっかり回転して打て」というと、いかにも下半身を使った打ち方のように聞こえますが、実は逆です。ステップする方向への直線運動があるから、下半身を使ったバッティングをすることができるのです。
(駒・29~30頁)

このように、いわゆる<軸足回転打法>はウソ! とハッキリと否定しています。その論旨も全く同じです。すなわち、体重移動しなければスイングできない以上、軸足だけで振ることに意味はない(=落合曰く「フィギュアスケートのスピン」、駒田曰く「コマのような回転」でスイングすることに意味はない)ので、この点については“正しい”といえると思います。

「軸足に意識を置け」という指導自体は、古くからあるポピュラーなものでした。その目的は、スイングの際にボールを迎えにいくことを修正するためです……と、素人が言っても説得力がないので、再び落合の『落合博満の超野球学・バッティングの理屈②』より引用します。

「私は、この“軸足回転”のスイングを完全否定はしない。ただし、体が投手寄りに倒れてしまう選手が、その悪癖を矯正するための手段とする場合に限ってだ。もちろん、前頁で書いたように、実際に軸足で回転するスイングをすることは物理的に不可能なのだから、あくまでも意識の置き方というレベルが条件である」(45頁)

この指導法がここまで広まったのは、渡米前の松井秀喜選手が、日米野球で来日したサミー・ソーサにバッティング指南を受けた際、「軸足で回転しろ」的なアドバイスを受けたことが一つの契機といえるのでしょう。ともあれ、前述のような矯正以外の目的で「<軸足回転打法>はサイコー!」と書いている打撃書は、あんまり信用できそうにないということは言えるのかも知れません。
(つづく)

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2011年7月16日土曜日

香味焙煎の「中煎り」が消えた

この1カ月くらいかなぁ。近所のどのスーパーにいってもエコパックのは「深煎り」しかないんですよ。しかも、常時498円だったのが、いまではセール時でも548円(常時698円)みたいな水準だし。

一応、ちょっと前のセールのときに買いだめておいたのが一つだけ残ってるんだけど、これを飲み尽くしちゃうと美味しくない「深煎り」か、他のインスタントに変えなきゃならなくなるし……というわけで、最近はもっぱら98円セールのときにしこたま買い込むアイスコーヒーを消費しまくってるんですが――貧乏が深刻になる前は、近所のコーヒー専門店で焙煎済みの豆を買って、毎日夜に挽いてから水出しコーヒーを仕込んでたけど、いまみたいに貧乏になると水出しコーヒーに耐えうる豆(最低でも100g500円以上くらいのモノ)を安定的に入手できないので、やむなくブレンディやトップバリュのお世話になっています――、たまにはキンキンに冷えた部屋のなかで暖かいインスタントコーヒーの一つでも飲みたいわけで……。

ネスカフェのサイトを見る限り、「中煎り」のエコパックだけが製造停止になったってわけでもないようだし、被災地への物資搬送による品薄って時期でもないと思うし、多分、原料不足でもないんでしょう。まぁ、瓶入りであれば「中煎り」もあるんだけど、一々150~200円上乗せして瓶入りを買うのも業腹だしなぁ。↓のようにAmazonで買えるっちゃぁ買えるけど、こういう生活必需品をネット通販で買うのは、なんだか人生に負けるような気がするし。どういう因果で勝ち負けが決まるのか? って面と向かって聞かれたら、「なんとなく」としか答えられないんだけどさ!

2011年7月15日金曜日

落合博満×駒田徳広:上から叩けの是非(補足説明)

ここまでのハナシで出てきたテクニカルタームについて、簡単に説明します。

①バットのヘッド
=ボールが当たる部分。大雑把にいえばバットの太い方。

②バットのグリップ
=バットを握る部分。大雑把にいえばバットの細い方。グリップエンドは、バットの細い方の終端で盛り上がっているところ。

③トップの位置
=スイングの際にバットを振り始める位置。多くの選手は、バットを振るときに――

●A.バットを構える

●B.バットを引く

●C.バットを振る

●D.バットを振り終わる

――という動作を行う。ここで大雑把にわけた4つの動作のうち――

◆Aが「構え」:神主打法の落合博満であればバットを正眼に構えているときであり、天秤打法の松本哲也選手であればグリップエンドを投手に向けてバットをブラブラさせているとき。

◆BからCに移行する直前の位置が「トップの位置」:バットを振り出す直前、最大限に力を溜めているときのバット、ヒジ、肩などの位置。

◆Dが「フォロースルー」:ホームランを打った中村紀洋選手や原辰徳がバットを放り投げる動作もフォロースルーの一環。

――と呼ばれる。

④ダウンスイング、レベルスイング、アッパースイング
=バットをボールに当てるときの角度。例えばボールがヘソの高さで投げられてきたときに――

●ヘソの高さより高いところからボールにバットを出すのがダウンスイング
●ヘソの高さと同じところからボールにバットを出すのがレベルスイング
●ヘソの高さより低いところからボールにバットを出すのがアッパースイング

――ということ。ボールより高いところからバットを振り下ろす格好になるからダウン、同じ高さだからレベル、バットを振り上げる格好になるからアッパーであると、一般には理解されることが多い。ただし、ダウン、レベル、アッパースイングの定義については論者や解釈によって大きく異なり、必ずしも普遍化した定義があるわけではない。上記はあくまでも手前の理解に過ぎない。

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2011年7月14日木曜日

落合博満×駒田徳広:上から叩けの是非(その3)

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

1984年、駒田は王貞治監督と荒川博コーチの下、一本足打法に挑戦します。駒田は、「これにより体重移動の重要性を学んだ」とする一方で、意味のない練習もあったと述懐しています。

日本刀で紙を切るのは精神鍛錬や集中力を高めるための効果はあっても、バッティングとはまったく別物であるというのが僕の考え方です。
天井から吊るされた紙はある角度で日本刀をスパッと下ろせば切ることができます。それはむしろ金づちでクギを打つ動きに近いと言えるでしょう。あるいは斧で薪を割るのと同じようなことです。
斧も日本刀も最初から最後まで同じ角度で下ろします。そこには手首を返したり、ヒジを返したりする動作はありません。先に刃が付いたものは基本的に手首を返しません。そうした使い方をする道具をバッティングに応用すること自体に無理があるのです。
(駒・35頁)

と、アノ有名な日本刀練習をズバッと否定。以下のように主張します。

野球はダウンスイングでなければならないという理屈はありません。ボールを日本刀や斧で真っ二つにするわけでも、金づちで叩きつけるわけでもないのです(注~原文には明らかな誤植があったので、手前が勝手に修正)。
一番いいのはレベルスイングです。しっかり体重移動しながら、来た球を点ではなく、面でとらえること。面でとらえるとは、ボールの軌道に対し、バットを面で入れて振り抜くということです。来た球を上から打っても、下から打っても、点でしかとらえられません。
(駒・38頁)

そのうえで王はダウンスイングのバッターといわれているが、これは王の持つアッパースイングの癖を矯正するためのことで、打撃フォームの連続写真を見ればわかるとおりレベルスイングになっている――との見解を披露しています。

では、落合は<ダウンスイング至上論>に対して、どのような意見を持っているのでしょうか?

以前、社会人のトップクラスのチームでプレーしている選手から「理想的なスイングの考え方は、ダウンかレベルか、それともアッパーなのか」という質問を受けた。私にいわせれば、スイングをダウン、レベル、アッパーで考える時代は終わったと思う。たとえば、日本におけるスイングの考え方には、川上哲治さんが唱えた『ダウンスイング理想論』がある。これは、上からバットを振り下ろすことだと解釈されがちだが、私は“トップの位置を高く保てば、すべてのボールに対してバットを振り下ろすことで対応できる”ということを示したものだととらえている。
さらに、トップの位置が高いとバットのヘッドは下がらない。反対にトップの位置が低いと、高めのボールに対してグリップを寝かせて振り出さなければならない。すると、腕を上に振り上げることでバットのヘッドは下がり、スピードのあるボールへの対応には苦労する。こうした要素を考えた結果、理想的なトップの位置を見つけたわけだ。しつこく書くが、ダウン、レベル、アッパーという考え方は、今すぐ野球を考える頭からはずしてほしい。
(落・98~99頁)

8年前の著書にして、「駒田の見解は時代遅れ」といっているに等しいといえます。ただ、駒田がこのような主張をしたことには、<ダウンスイング至上論>が大流行していたなかで、コーチにタコなアドバイスを受けたり、アホな指導を受けた結果、迷走してしまったという背景があり、だからこそ「<ダスンスイング至上論>は間違いなんだって!」と力強く否定したかったという事情もあるんでしょう。駒田の主張に対しては、「古臭い常識を検証して異を唱えた」という功績は認められるべきと思います。

それに「上から叩けは正しいか?」は、実のところ駒田と落合の打撃論の“肝”でもありません。
(つづく)

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2011年7月13日水曜日

落合博満×駒田徳広:上から叩けの是非(その2)

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

ではなぜ、駒田を教えたコーチ(これは手前の邪推だけど末次利光ではないか?)は、「バットを上から最短距離でボールにぶつけるのが理想」などという、誤解の余地を与えすぎるアドバイスをしたのでしょうか? その背景には、当時のプロ野球界で「ダウンスイングこそが最高!」という<ダウンスイング至上論>とでもいうべき打撃理論が流行っていたことがあります。

この<ダウンスイング至上論>について書き出すと、1冊の本になるくらい大変なことになりますので、誤解されることを承知の上で敢えて簡単に書きます。

なぜ、当時のプロ野球界で<ダウンスイング至上論>流行っていたのか? その理由は、日本で初めて2000本安打を打った“打撃の神様”である川上哲治の主張する打撃論だったからです。

川上は1981年に上梓した著書『悪の管理学』(光文社)で、次のように書いています。

「球が来たら目を離さないで、腰を回転してダウンスイングで打つ、というのは打撃の基本的な理屈である」(131~132頁)

もう、「米を食べるときは研いでから炊け」というくらいに、ごくごく自明のこととして書いています。この本は野球論の本というよりは、サラリーマン向けの教訓本として書かれたものです。つまり、小難しい打撃論や戦術論を書いていない本にあって、ここまでサラッと書かれるほどの“常識”だったというわけです(ちなみにこの本と、広岡達朗の『意識改革のすすめ』がベストセラーになった結果、「プロ野球の優勝監督がサラリーマンに偉そうな能書きを垂れる本」が濫発されるようになりました)。

当時から川上に対しては毀誉褒貶こそあったものの、V9監督という看板も持った“史上最強の野球人”であることは誰もが認めていました。で、そんな“打撃の神様”にして“史上最強の野球人”のいう言葉なんだから、そりゃ間違いないだろう――と、深く検証されることもないまま信じられていたといえましょう。

<ダウンスイング至上論>を信じ、これを熱心に主張していたのは川上や巨人OBに限りません。同時代の他のプロ野球OBの著書にしても以下同文というような感じでした。これを書いているときに目に入った『浩二の赤ヘル野球』(文芸春秋)は、1989年に出版された本ですが、この本にもこうあります。

「他にも学び取ったことがある。まずダウン・スイングの徹底だ。ゆるくてスーッとくる球だけに、思い切ってしゃくり上げたら、いとも簡単にスタンドに飛び込んでいきそうに思うが、いざやってみると違う」
「力めば力むほど、上半身に力が入って打球はいたずらに高く上がるだけ、左飛に終わってしまう。大事なことは実戦と同じように上からバットを叩きつけなければ、打球は飛んでくれない。お遊びでは打てないのだ」(187頁)

少なくとも80年代においては、<ダウンスイング至上論>が絶対的真理に近い扱いを受けていたということです。

そんな<ダウンスイング至上論>全盛の時代に、その総本山とでもいうべき巨人に入団した駒田が、上記のようなアドバイスを受けたのは当然といえば当然だったのかも知れません。正直、アドバイスしたコーチが「ダウンスイングとは何か?」「彼にダウンスイングは合うのか?」「そもそもダウンスイングという考え方が正しいのか?」について深く考察したとも思えません。

なぜなら<ダウンスイング至上論>は、巨人において事実上“川上教”のように奉られていたわけです(加えて当時の監督は藤田元司で、いわゆる川上派でした)。それに疑義を挟むということは異端を信奉するということであって、下手すると野球人生を棒に振りかねないわけですから。恐らくは深く考えないか、あるいは自らの理論を<ダウンスイング至上論>に都合良く解釈したうえで教えていたことは間違いないと思います。
(つづく)

追記:ネット視聴でも受信料徴収、NHK調査会が答申――よし、じゃぁまずは韓国のネットカフェから受信料を取って来い。あと、アメリカ、中国もな。「ネット視聴できる環境にある=受信料を払うべき」という理屈を通すなら、インターネットを利用している全ての人間から受信料取るのがスジだよなぁ。日本以外のネット利用者から受信料を徴収するっていうなら、ケータイもカーナビも地デジチューナーも持ってない手前だって受信料を払わないとは言わない。遵法精神に富んでるからね!





2011年7月12日火曜日

落合博満×駒田徳広:上から叩けの是非(その1)

*以下、特に断りがない場合、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

まずは駒田徳広が、あるコーチから受けたアドバイスを紹介します。

「クギを金づちで打つときのことを考えてみろ。一番力が入り、しかも正確に叩くことができるのは真上から、バンと最短距離で叩くことだろう。バッティングもその要領でいいんだよ。バットを上から最短距離でボールにぶつけるのが理想なんだから」
(駒・12頁)

で、このアドバイスを受けた駒田はこのように書いています。

そもそもバットと金づちでは重さも大きさも異なります。クギを打つような金づちなら、手首を支点に軽く力を加えるだけです。
同じ要領でバットを振ることはできません。
バットを振ってボールを遠くに飛ばすという行為は、むしろ重いハンマーを使って、太いクイを打ちつけることに近いのではないでしょうか。
だとしたら、ハンマーで太いクイを打つ場合、その運動はどんなものになるかを考えなければなりません。真上から最短距離で叩くだけで、本当に大きな力が加えられるでしょうか。太いクイを一撃で地面深くに打つことができるでしょうか。
僕の経験から言えば、ハンマーに自分の最大限の力を加えようと思ったら、ハンマーを横にずらしながら持ち上げて、そこから大きく回転させてドンと叩きつけます。
(駒・12~13頁)

ここまで読む限りにおいては、コーチのアドバイスがタコ過ぎるといえましょう。アドバイスを言葉通りに解釈すれば、バットを剣道の竹刀で面打ちするように振り下ろすことになるわけですから。こんなアドバイスをされた駒田が可哀想ってなものです。

ただし、この「金づちとクギの喩え」はコーチの理解、話し方がおかしいだけで、多分、“正規バージョン”は理のあるものだったはずです。実は同じ喩えハナシで打撃開眼したのが落合博満その人だったからです。

実は理想的なバットスイングのイメージは、東芝府中に在籍した当時、私をプロに誘いにきたスカウトから教えられた。その人の名は田丸仁さんという。
(中略)
田丸さんは、理想的なスイングを“金づちで釘を打ち込む動作”で説明してくれた。金づちを振り下ろす理想的な位置はどこか。釘のはるか上から大きく振り下ろすのでは、叩くスピードは増すかもしれないがインパクトの精度はかなり落ちる。反対に、釘の間近から小刻みに叩くのでは、思いどおりの位置を叩くことはできるが、金づちの力は伝わりにくい。やはり、金づちを持った腕のヒジを垂直に振り上げたあたりから、ヒジを伸ばした位置にある釘を打つのがいいのではないか。これは餅つきの杵や丸太を割る時のマサカリなど、目標に向けて振り下ろす動作には、すべて共通したイメージである。
この振り下ろす時のイメージを水平の動作に置き換えたものがバットスイングである。
(落・108~109頁)

落合(田丸)の言葉は極めて明快です。つまるところ、「個々人の理想的なスイングに必要な<トップの位置>は必ず存在する」「誰もが自然に行う『金づちでクギを打つ』という動作を横に変えれば、その人にとっての理想的な<トップの位置>を見つけられる」ということ。

落合はこのエピソードを複数の著書で紹介してるんですが、中でも『プロフェッショナル』(ベースボール・マガジン社)では、「田丸仁」の名前で一つの章にして上記エピソードを詳述しています。

「田丸さんが強調したのは、バットのヘッドは重いから力いっぱい振ろうとしなくてもスイングはできるということだった。そして、その原理を金槌で釘を打ち込む動作で具体的に説明してくれた」
(中略)
「まず、金槌で釘を打ち込む時の叩き方をイメージしてみよう。金槌をほどよいグリップ感で握り、釘に向かって真っ直ぐ振り下ろすだろう。この時、強く叩こうとして金槌を握る掌に力を加えるよりも、途中からは金槌の重さに任せて力を抜いた方が、最も効率よく叩ける。つまり、釘がスムーズに沈んでいく。はじめから力を入れっ放しでは、叩きどころもブレてしまうし、叩くスピードも落ちてしまうはずだ」
(310頁)

このように田丸の言葉をヒントに、理想的な<トップの位置>に加え、スイングの際、効率的にパワーを伝える方法も学んだということです。

駒田と落合が同じような「金づちとクギの喩え」のアドバイスを受けているということは、少なくとも70~80年代にかけてのプロ野球界で流行したアドバイスであることは確かなのでしょう。田丸の世代を考えれば、恐らく古くからスタンダードとなっている教え方とも思えます。ただ、駒田と落合の著書から見る限りにおいては、駒田がまともなコーチから教わっていないことも確かといえます。

しかし、まともなコーチに教わらなかったが故に――

実は、僕がバッティングについて真剣に考えるようになったのはこのときからです。だから、「金づちでクギを打つ」というたとえ話は生涯忘れません。プロに入って2年目のことでした。
(駒・13頁)

――と、自らの打撃論を編み出す契機になるのだからさすが。駒田も伊達に2000本の安打を打っているわけではないということでしょう。
(つづく)

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2011年7月11日月曜日

落合博満×駒田徳広:プロローグ(=これから書くことの言い訳)

駒田徳広が上梓した渾身の一作『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)。果たしてこの本に書かれている内容は、本当に次世代のバッティング指導のスタンダードになり得るのか? 現時点で手前が考えるバッティング指導書の最高峰――昭和40年以降に出版された数多のバッティング指導書を読んだ手前の経験から、最も優れていると考えている本――である『落合博満の超野球学・バッティングの理屈』(ベースボール・マガジン社)と読み比べて、その内容を検証してみたいと思います。

といっても、読み手が「小学生時代に三角ベースと“やわボール”の野球」の経験しかなく、高校時代に野球部のエースが投げたストレートに腰を抜かしたくらいの野球&運動音痴のプロ野球好き――というレベルなので、恐らくは誤読している可能性も多々あるものと思います。

というわけで、「都築はこう引用したりああ解釈してるけど、これっておかしくね?」と思った人は、是非とも、駒田と落合の著書を手にとって全部読んでみてください。実際、両書とも一部を読むのではなく、全部読んで深く感得するところも多い本ですし、何よりプロ野球ファンであれば、落合、駒田が嫌いな人であっても何がしか必ず得るところのある本でもありますから(落合の本はAmazonでプレミアがついていますが、図書館であれば予約なしで借りられると思います)。

で、まずは駒田が提示した「上から叩けは正しいか?」の是非について、駒田と落合の見解を比べてみたいと思います。
(つづく)

落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈

2011年7月10日日曜日

いろいろあって時間がないのでまたまた簡潔に

【原発問題】「100ミリシーベルト以下の被曝の影響は、野菜不足や受動喫煙の陰に隠れ分からない」…放射線の健康影響学ぶ講演会/茨城

2chは時々勉強になる情報があるし、新たな知見を得られることもあるけど、総合的に見たら圧倒的多数がバカなんだなぁ……ということが良くわかるスレ。

・1時間で100mSv被ばくするリスクより、じわじわと1年かけて100mSv被ばくするリスクは1/10程度と考えられていること。

・放射線被ばくによる発がんリスクの上昇は、一瞬で大量の放射線を被ばくした広島・長崎の原爆被害者でも、100mSv以下では疫学的に有意な結果が見られなかったこと。

・100mSvの被ばくにより発がんリスクは最大で0.5%増えると考えられているが、喫煙(=年間2000mSv以上被ばくと同等)、肥満、運動不足(=年間200~500mSv被ばくと同等)のリスクに埋もれてしまうほど小さいこと。

つまり、「これから海外に移住して日本産のものを食べないでニート生活する」よりも、「いまから週2~3日ジョギングする」方が、がん発症リスクを大幅に減らせるってこと。まぁ、“東電御用学者”といわれる人たちも、わかりやすさを重視するあまり、情報の典拠を出さないのも問題なんだけど、出したところでマスコミが報じてくれないという問題もあるからなぁ。

あと、放射線問題では、自民党の斎藤健が「日常生活で被ばくする総量」についてサルでもわかるように解説しています。

2011年7月9日土曜日

電気の節約? 反原発派の言うことが正しければ電気は足りてるんでしょ(笑)

エアコンガンガン使う女性「金払い電力使うの何で悪いんや」

ヒネリのない正論だけど正論は正論。このババアの言うことは完全に正しい。だいたい家庭でちょっと節約(節電? ようするに節約のことだろうが!)するってのは、アフリカの難民に10~100円単位寄付するのと同じこと。同じ寄付ならアンジェリーナ・ジョリーとかビル・ゲイツあたりから受ける1~100億円単位の寄付こそが重要であるように、大口の顧客(=企業)による節約こそが重要なんでね。

手前みたいなTVもつけずエアコンも一台しかない貧乏人が、1万人くらいで一斉に15%節約したとしても、東電にとっては誤差程度にしかならんでしょう。それこそパチンコ屋が10軒くらい廃業した方がよっぽど世のため人のためになるんだから。だいたい関東以西でいま建っている住居(=60年代以前に建てられた家屋以外)のほとんどが、エアコン使用を前提に建てられているわけであって、そこでエアコンを使わなければ暑さが篭りまくってまともに住めるわけがないんですよ。

というわけで手前も節約なんて一切してません。夜通しエアコンはガンガンつけてます。てか、22時以降はどうやったって停電する可能性はないんだから、夜中に冷房を落としたり、ネオンを消したりする意味がわからない。“節電ファッショ”か?

2011年7月8日金曜日

久しぶりに読んだ骨太の打撃論

駒田徳広の新刊『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)が、とても面白かったです。同社が昨年から出している「名手に学ぶプロフェッショナル野球論シリーズ」の最新刊なんですが、このシリーズって佐々木主浩、槙原寛己、立浪和義、川相昌弘と錚々たるメンバーが書いていながら、いずれも中身に乏しい――槙原のだけは面白かったけど、これも槙原にとって事実上初めての本格的な著書だったが故のこと――んですよ。なんで、「とりあえず立ち読みで済ますか……」と思いつつ1章を読んだら途中で読むのを止められず、1章の最後まで立ち読みしてしまったという。結局、買っちゃったわけですが、結論からいえば「1200円ながらイイ買い物をした!」です。

はっきりいって、「これってどうよ?」と思うところも結構あったりするんですが、そこら辺は駒田も弁えていて、「僕の考えに共感される方もいれば、疑問を抱かれる方もいるでしょう。疑問を抱かれた方とも意見を交換できれば、そこから新たなバッティングの可能性も見えてくるかもしれません。いずれにしても、本書が日本野球の発展のために一石を投じることになれば幸いです」(5頁)と書いています。謙虚な書き方ではありますが、一方で並々ならぬ決意で上梓したことが窺える一文といえましょう。

いろいろと紹介したいところがありすぎてわけがわかんなくなるくらいなんですが、それでも一点だけ興味深いところを紹介すると、駒田曰く、「『引きつけて打て』じゃダメよ」。

現時点で日本屈指の打撃コーチの一人である金森栄治の持論に真っ向から異議を唱えているわけですが、実はデーブ大久保も、駒田と同じ指導法――ポイントを前に置いて打ってみろ――で中村剛也選手を見事に開花させてるんですよ(この辺の事情は、この間紹介した『プロ野球二軍監督』(赤坂英一著。講談社)に詳しく載っています)。

帯にある――

「コンパクトに振れ」の真偽
「上から叩け」は正しいか?
「引きつけて打て」が投手を有利にする

――のフレーズを見て、心が響いたのであれば、迷わず買っちゃいましょう。多分、損はしないと思います。

2011年7月7日木曜日

gleeのコンサート映画はちょっと見たい

世界的大ヒットドラマ「glee/グリー」が3D映画になって日本で公開決定!世界で72万人を動員したライブが上陸

vol.3までのサントラを買った身としては、ちょっと観に行きたい。近所の映画館では掛かりそうにないけど、こういう映画(=『ムーラン・ルージュ』を初めとする最近のミュージカル映画)とかピーター・ジャクソンの『キングコング』みたいな特撮CGフル回転な映画って映画館で見ないと何の価値もないからなぁ。

シーズン2は見てないけど、YouTubeとニコニコ動画で見る限りミュージカルシーンは凄いものね。『Umbrella』と『Singing in the Rain』のマッシュアップなんて、センスの良さだけで感涙しそうなほどだし。

GLEE - "Umbrella/Singin' In the Rain" Full Performance――ちなみに原曲はこっち。いまどきのポップスっぽいリズムトラックを使っているけど、メロディラインは実に古典的でかつとてもロマンチック。名曲。

前に、「シーズン1は前半までは神、後半は……」みたいなことを書いたけど、あれからサントラを買って、いくつかの原曲のCDも買って、改めてドラマを見返して思ったのは――

「こういうフォーマットを作ったことがエライんであって、ドラマの完成度とか云々するハナシじゃないのかも」

――ですよ。

海外ドラマに精通しているわけじゃないんで、あくまでも素人考えだけど、このフォーマットの“発明”って、「『ダラス』によるクリフハンガーの導入」と肩を並べるくらいに凄いことじゃないのかなぁ。多分、10年後には『glee』自体は終わっていると思うけど、このフォーマットを使った<ドラマ>――正しくは<ドラマ>とか<ミュージカルコメディ>ではなくて、<gleeタイプの番組>というべきなんでしょう――は作られ続けているんだろうし。



2011年7月6日水曜日

いろいろと印象的な試合だった

小田幸平選手が決めて「やりましたー!」も印象に残ったし、堂上剛裕選手が敬遠されるまでに怖がられるようになった――といっても後ろが後ろなんだけど(^_^;)――ことも印象に残ったし、河原純一投手が復活して貫禄の四凡&2年ぶりの勝利も印象に残ったけど、それ以上に印象的だったのが相手の小林宏之投手。ここまでで0勝4敗て……。阪神の試合を見ていないのでどんな投げっぷりなのかはさっぱりわからないけど、後ろに投げるピッチャーでここまで投げて防御率4点台とはねぇ。物凄く素朴な疑問なんだけど、なんで一軍にいるのかね?

やっぱりベテランクラスのFA選手の場合、球史に残る超一流レベル(=落合博満、小笠原道大選手、和田一浩選手etc)じゃないと働かないものなんだなぁ。球史に残る超一流レベル以外のFA選手で額面通りに活躍したのって稲葉篤紀選手くらいかな? 駒田徳広も一応2000本安打打ってるから、球史に残らないレベルではないし。

それにしても2chプロ野球板の阪神本スレは品がないなぁ。まぁ、他人事だから笑えるんだけど。

――ここで小林宏投手が登板。

654 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 20:59:23.62
負けたな

655 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[] 投稿日:2011/07/05(火) 20:59:49.26
負け小林4敗

662 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[] 投稿日:2011/07/05(火) 21:02:44.00
また藤川温存ですね。

668 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[age] 投稿日:2011/07/05(火) 21:04:13.50
ロリっていつも目がうつろで覇気がないな

――ここで小田選手がサヨナラヒット。

674 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:06:53.90
小田に打たれるとかクソ過ぎる…

675 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:06:56.76
やっぱりなコバヒロが抑えるわけない

682 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:07:19.29
まあよくあるナゴドでの負け光景

689 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:08:14.88
サヨナラの場面であんな甘い球投げるゴミ出すなよw

698 名前:代打名無し@実況は野球ch板で[sage] 投稿日:2011/07/05(火) 21:09:13.37
小林0勝4敗
阪神の借金4

2011年7月5日火曜日

2011年上半期に読んだ本・ベスト5

7月になったので上半期を振り返ってみたいと思います。「今年発売」じゃなくて「今年読んだ」というところに注意してください。

というわけで、早速発表。

★第五位:電撃戦という幻・上下(中央公論新社)

◆読書メーターの感想(上巻):これは名著でしょう。「そもそも電撃戦なんて一切計画してなかった」という“事実”をキッチリと検証していく過程は実にスリリング。少々牽強付会に感じる部分もあったが、最終的な結論には大いに納得した。グデーリアンの独断専行、スツーカの“笛”の絶大な心理効果……戦場における不確定要素がこれほどまでに結果を左右するのであれば、戦争計画とは何のためにあるのだろうか?

◆読書メーターの感想(下巻):読み応え十分。本当に面白かった。「こうして“電撃戦”の成功とともに“カンナエ”構想はモータリゼーションの装いも新たに力強いルネサンスをなしとげた。しかし、第二次ポエニ戦争の最終的な勝利者は誰かということが忘れ去られていた」(260p)。指揮官の独断専行(命令違反そのもの!)と、フランス軍の失策に次ぐ失策(もうあり得ないレベル!)があってこそ成功した“電撃戦”だけに、これをシミュレーションゲームで再現するのは不可能に近いんだろうなぁ。

*お片づけの最中、古い本棚から見つけた『ワールドアドバンスド大戦略』の攻略本(実は兵頭二十八師も寄稿している本)を読みながら、Amazonで関連書籍をいろいろ調べていて見つけたタイトル。正直、トンデモ本を読むくらいの期待値で読み始めたものの、1章を読み終えた時点で、「うん、名著だよ、コレ!」と考えを改めました。03年に翻訳された本なので、ミリタリーマニアの方にとっては、既に“基礎教養”として読むべき本になっているものと思います。





★第四位:家康はなぜ江戸を選んだか(江戸東京ライブラリー)

◆読書メーターの感想(上巻):著者の『源氏と日本国王』がとても面白かったので、前著を読んでみたら、これが大当たり。恥ずかしながら「江戸葦原伝説」を信じていたクチだったので、既成概念を打ち砕かれる快感を味わいながら読んだ。「なぜ、家康は源氏に改姓したのか?」「そもそもどうして新田氏の後継を自称したのか?」という謎にも回答していて、その結論にも全然同意。良書。

*『源氏と日本国王』との併せ技で四位。小難しくない歴史本であるにも関わらず、丁寧に調査・検証した過程を紹介しつつ、通説に疑義を唱え、かつリーダビリティが高いという良書。ところどころ飛躍したり説明不足の点もあって、突っ込み所も少なくなかったりするのですが、そこも含めて面白い本です。



★第三位:強盗こそ、われらが宿命・上下(ヴィレッジブックス)

◆読書メーターの感想(上巻):傑作。4時間ちょっとのあいだ、完全に浮世のことを忘れてしまうくらい夢中になって読んだ。美点を数え上げるとキリがないくらい素晴らしいエンターテインメント小説。

◆読書メーターの感想(下巻):タイトルは原題(『Prince Of Thieves』)の方が良かった。古典的なプロットだが、キャラクター造形と舞台設定が見事過ぎて一気に引き込まれた。「強盗の王子さま」という運命に、逆らっても逆らいきれない男の悲哀が胸に沁みる。

*知り合いから「『ザ・タウン』がスゲー面白い!」と薦められ、だったら観る前に読んでおくかと思って就寝前に読んだら、あまりに面白さに徹夜して一気読み。映画も観たけど、原作の方が圧倒的に面白かった。何より冒頭の銀行強盗のアイディアが素晴らしい。パっと思いつくだけで3つくらい新たな発明をしていて――一番凄いアイディアは映像的には地味なものなので、映画では端折られていた。ただ、あのアイディアをそのまま映像化していたら十中八九駄作になっていたとも思うので、ここのところを割り切って脚本を書いたベン・アフレックは正しい。というか脚本、監督とも巧すぎ――、そのいずれもが「明日にでも実践したい」というくらいに良く出来たモノなので、もうここだけでハートを鷲掴みですよ。そのうえで、童貞臭いラブストーリーに香港ノワール的なハードな展開が重なって、加速度的にハナシが進んでいくんだから面白くないわけがない! “中二病”を患っている男であれば絶対確実100%ハマること間違いなし!! と、読後4カ月経っても熱くなってしまうくらいに良くできたエンターテインメント小説です。







★第二位:フランキー・マシーンの冬・上下(角川文庫)

◆読書メーターの感想(上巻):書き出しの15字、冒頭の5行、8ページまでの流れが本当に素晴らしい。81ページまでの日常風景は、ここしばらくに読んだあらゆる短編小説よりも面白かった。そして、ここまでの流れが、普通の小説であればつまらないはずの“引き”でしかないというのが凄い。

◆読書メーターの感想(下巻):「小説としての完成度」という点では限りなく完璧。冒頭の日常生活でさりげなく触れられていたアレが、オチのソレへと綺麗に回収されたところを読んで、思わず鳥肌が立った。大傑作だと思う。

*「ドン・ウィズロウって“このミス”の常連で、ようするにベストセラーなんだから大して面白くないんだろう?」と、正直ナメつつ敬遠していたのですが、『犬の力』を読んでみたら、これがベラボーに面白くて、「だったらもう一つ長編を読んでみるか」と手にとったこっちの方がもっと凄かったという。そう、ハナシの筋とか面白さでいえば、『犬の力』の方が明らかに上だし、この本よりももっと面白いものはいくらでもあるんですが、小説としての凄みでいえば、こっちの方が断然上です。呆れるくらいに筆力が高くて、読めば読むほど完成度の高さに圧倒されました。職人技の究極形だと思いますね。





★第一位:トルコのもう一つの顔(中公新書)

◆読書メーターの感想:本を読んでここまで興奮したのははじめてかも。「トルコ=イスラム国家で唯一近代化に成功した国」というステレオタイプをキレイに打ち砕いてくれた。これほどの名作を、出版されてから20年も読んでいなかった不明を恥じたい気分。

*余計なことはいいません。読書好きでこの本をまだ読んだことのない人は、悪いことはいいません。いますぐ図書館で借りるなりAmazonでポチるなりして読んでください。

2011年7月4日月曜日

今日見つけた極め付けのバカと辞任フラグと確かな野党

@aritayoshifu有田芳生:「オフレコだ」というのが恫喝だと騒ぐ人がいる。取材・被取材の「イロハ」さえ知らないのだから、困ったものだ。

――こんなこと言われて黙ってる奴こそ記者失格。そういえばお前って西山事件のこと擁護してなかったっけ? あと、江藤隆美のオフレコ発言を報じた件でもマスコミサイドについてたよな? このこととどう整合性つけるんだ? 

被災地発言で辞任はせず=「真っすぐ復興に」-松本担当相

――経験的に言えば、こういう報道が出た時点で辞任フラグが立ったと見ていいんだろうけどねぇ。まぁ、動画で見たらチンピラ以下、品性下劣という言葉をそのまま具現化したようなもんだからね。

@koike_akira小池晃:松本龍大臣の発言は内容も口調も人間として最低。大臣はもちろん国会議員の資格なし。「書いたら終わりだぞ」というマスコミ恫喝は、部落解放同盟の地金が出たものでしょう。

――創価学会、部落開放同盟とガチで喧嘩しているだけあって発言がストレート。オレたちにできないことを平然と(略。さすが確かな野党。

さすが○○ヤクザ、言うことが違うね

新聞にソースがないので、以下、2chニュース速報版+より引用。

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【政治】 松本復興相、宮城知事の握手拒否…「知事は客より先にいろよ。自衛隊ならやるぞ」「今の発言(記事に)書いた社は終わりだ」★4

1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2011/07/04(月) 08:13:54.77 ID:???0

・松本龍復興担当大臣が、就任後初めて今日宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。

宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで、顔色が変わりました。

松本龍復興相 「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」

数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否。応接室に緊張が走ります。そして要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。

松本龍復興相 「県にそれコンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。ちゃんとやれ。(村井知事を指差ししながら)いま自分が後から入ってきたけど、お客さんが来るときは自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか。長幼の序が分かってる自衛隊なら、そんなことやるぞ。わかった?はい。しっかりやれよ。」

松本龍復興相 「今の、最後の言葉はオフレコです。いいですか、皆さん。いいですか?はい。書いたらもう、その社は終わりだから。」

松本大臣のこの言動は、波紋を呼びそうです。

※ソースは3日のTBCニュース。 

※有志による動画:ttp://www.youtube.com/watch?v=VtUqWdbjnTk

※自民・佐藤氏のツイート。
・宮城の村井知事は、防衛大学校の1年後輩だが、先輩をたてる長幼の序がわかる方だ。 わざわざ待たせるはずもない。元自衛官だから云々という嫌みに近い叱責は怒りしか覚えない。松本大臣の所掌の捜索救助、ご遺体の搬送、瓦礫除去、生活支援をどれだけ自衛隊がやったか、分かっているのか
http://www.hige-sato.jp/

前:http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1309731478/

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仕事柄、政治家とか企業のトップとかにも会う機会が多いんだけど、リアルで「いいか」を使う奴の人格がまともだった試しがない。この品のなさは天然記念物レベル。だから○○はおっかねぇ! っていわれるんだよ。てか、コイツの場合、敢えて言われ続けることでおまんまを食ってるからねぇ。ホント、最低だ。

2011年7月3日日曜日

またまた敢えて虎の尾を踏んでやる

昨日の醜態を見てもまだクリーンアップで使えというのか? っていわれても、そら使わざるをえんでしょ。確かに4打席のうち一つでも出塁(四球でも死球でもエラーでも可)していれば勝っていたであろう試合だっただけに、あんなのを5番に置いてどうするんだ? ってハナシになるのは当然っちゃぁ当然なんだけど、昨日はたまたま“ジョエルの日”じゃなかったってことだよ! って、いつになったら“その日”が来るんだ? って言われたら「そのうち……」としか言いようがないだけどさ!

でも、どんな理由があるにせよチームで一番HRを打っていることは事実であって、当たれば怖いって思わせるだけのモノは持っているんですよ。それにトニ・ブランコ選手を欠くなかで誰を5番に持ってくるのか? 平田良介選手を含むドングリーズでは務まらないでしょ。多分、打順(役割)が変わることでいまの“いい雰囲気”をぶち壊しにしてしまうような気がするんだけどなぁ。それに誰を5番に抜擢するにせよ、抜擢した時点で「ドングリーズ競争は終わり」って宣言することになるんだし。そうなったら、いまのレベルの競争がなくなって、残りのドングリーズは腐りっぱなしになるわけだから。

まぁ、目先の1勝が欲しければ、ジョエル・グスマン選手を落として平田選手を5番に抜擢するのが“正解”なんだろうけどね!

追記:正論8月号は、兵頭二十八師の連載も去ることながら、我が“心の師”である適菜収先生の寄稿が面白かった。菅の何がダメなのか? どこがおかしいのか? について、その思想的背景まで掘り下げたうえで、これ以上ないくらい明快な言葉で説明しきっています。一読後の感想は、「オレも本当はこういうことを言いたいのよ!」。やっぱりモヤモヤと思っていることを、きっちりと言葉で説明できるってのは凄いことだわ。菅に対してアタマに来ている人は必読ですよ。

2011年7月2日土曜日

超一流選手の持つ“テンション”について

落合博満監督の考える、超一流選手の持つ“テンション”について、自著『プロフェッショナル』(ベースボールマガジン社)より抜粋します。

「山田さんが引退を決意した理由は本人にしかわからない。また、急激に勝てなくなった原因もひとつではないだろう。ただ、開幕投手の連続記録が途絶えたことが、山田さんの中で何かを変えたと、私は信じて疑わない。それは、一流の野球選手だけが持っている独特のテンションのようなものだ」
「若手に比べて基礎体力やパワーが明らかに劣ってきても、ベテランがエースや四番の座を簡単に明け渡さないのは、円熟した技術もさることながら、このテンションがあるからだと思う」
「しかし、これは他人が気づかない些細なことでも、あっという間に消えてしまう。山田さんにとっては、開幕戦でマウンドに立つということが、誰が考えるよりも大切なことだったのだ。結果論かもしれないが、山田さんはどうにも先発を任せられないという状態になるまで開幕投手で良かったのではないかと思う。そうすればもっと長く投げられただろうし、投げられないような状態になった時は、それを一番良く知っている本人が、自らその役目を固辞するはずだからだ」(78頁)

この“テンション”では、『野球人』(ベースボールマガジン社)でも、自らのテンションが切れた瞬間について書いている(ちなみに山田と落合のテンションを切ったのは、いずれも上田利治監督)。落合監督の岩瀬仁紀投手に対する配慮は、このような経験を基になされているものといっていいんでしょう。で、岩瀬投手がたとえフラフラでも抑え投手として機能し続けることが、どれほどチームにとって重要なことなのかは、昨日の巨人の試合を見ればわかるとおり。つまるところ信用できる抑え投手ってのは簡単に見つけられるものではないってことですよ。

浅尾拓也投手を配転させればハナシは早いのかも知れませんが、そうなれば“テンション”の切れた岩瀬投手は事実上“戦力外”となり、多分、セットアッパーどころか中継ぎすら任せられなくなるんでしょう。となれば高橋聡文投手を欠くなかで誰がセットアッパーをやるのか? ってことになるわけで……。まぁ、実際のプロ野球はTVゲームみたいにはいかないってことですね。



いなくなって初めてわかる、親とクルーンのありがたさ

ってとこでしょうか。昨日の試合はスコアとYouTubeでしか見てないんですが、1点取って3点獲られる采配にしびれるあこがれるゥ! こんなときにマーク・クルーン投手がいてくれたら、5回に4回は確実に締めていただろうけど、いまいる後ろの投手陣だと5回に2回くらいしか締めてくれないわけでしょ? だったらクルーン投手をクビにしなけりゃ良かったのに――ということは、多分、全国100万人の巨人ファンに共通する思いなんじゃないでしょうか。

あと、岩瀬仁紀投手を交代させた落合博満監督の采配はどうなんだろう。状況がわからないだけに何ともいえないけど、04年以来、初めて一線を越えたような……落合監督は、超一流選手に共通する“テンション”を最重視しているので、選手の“テンション”を切るような手を打つからには最大限の配慮をしているはず。この“テンション”については、開幕投手連続登板の世界記録を更新中だった山田久志の引退を例にあげて、「オープン戦で不調だった山田に代えて佐藤義則を開幕投手に起用したことが、山田の“テンション”を切り、結果、フェードアウトさせることになった」と、ことあるごとに書いている。

で、岩瀬投手の“テンション”(=04年以来、不動の抑えとして君臨し続けること)を「切っても已む無し」と考えて打った手なのか? それともあくまでも例外的なケースとして言い含めて打った手なのか?

多分、「吉見エース化計画」の達成のため万が一にも落とせない試合だったから例外的に打った手だとは思うけど、ここら辺の場面についてはリアルタイムで見ておきたかったなぁ。

追記:コメント見る限り、かなり焦っていたような……。理由は3つ。①饒舌②聞かれてもいないことを喋る③回の途中で降ろした説明になっていない。試合後のほんの数十分では、整合性のある“言い訳”が思いつかなかったのかも。

2011年7月1日金曜日

巨人にはまだまだ4番が足りないよ

巨人サブロー獲得、疑問だらけ!起用法、登録名、背番3…

そんなもん4番が欲しかったに決まってるじゃないですか! いまの巨人が弱いのは4番が足りないからであることは明々白々な事実であって、現に高橋信二選手という日ハムの4番を補強してもAクラスになれないのだから、ここで「繋ぐ4番」であるところのサブロー選手に手を伸ばすのは理の当然……。

という与太話は置いといて、これも高橋信二選手と同じく体のいいリストラでしょう。金の払えるところにうっちゃっておこうという。ロッテとしては金銭トレードでも全然良かったけど、それじゃあまりにも体裁が悪いから交換にってこと。

ただ、これは贔屓ゆえに目が曇っている物言いかも知れないけど、日ハムのリストラはある意味芸術的というか、トレードで出した選手のことごとくが戦力にならないくらい、伝統的に“戦力の見切り”が上手い――江夏豊も高橋直樹も西崎幸広もみんなフェードアウト。例外は押本健彦投手だけど、彼の場合は高田繁がどうしても欲しがったので泣く泣く手放したんであって、リストラではなかった――と思うけど、ロッテの場合は落合博満に始まって久保康友投手まで続く、「フロントに楯突く面倒くさいやつを追い出す」というのが伝統だからなぁ。

ともあれ、今日のように野球中継が激減し、総合的な興行収入が上がらない中では、高給ベテランの受け入れ先として、「ビッグネームであれば誰でも欲しがり、かつ気前良くお金も出せる巨人」は重宝がられるんだろうなぁ。