2011年7月12日火曜日

落合博満×駒田徳広:上から叩けの是非(その1)

*以下、特に断りがない場合、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)』、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

まずは駒田徳広が、あるコーチから受けたアドバイスを紹介します。

「クギを金づちで打つときのことを考えてみろ。一番力が入り、しかも正確に叩くことができるのは真上から、バンと最短距離で叩くことだろう。バッティングもその要領でいいんだよ。バットを上から最短距離でボールにぶつけるのが理想なんだから」
(駒・12頁)

で、このアドバイスを受けた駒田はこのように書いています。

そもそもバットと金づちでは重さも大きさも異なります。クギを打つような金づちなら、手首を支点に軽く力を加えるだけです。
同じ要領でバットを振ることはできません。
バットを振ってボールを遠くに飛ばすという行為は、むしろ重いハンマーを使って、太いクイを打ちつけることに近いのではないでしょうか。
だとしたら、ハンマーで太いクイを打つ場合、その運動はどんなものになるかを考えなければなりません。真上から最短距離で叩くだけで、本当に大きな力が加えられるでしょうか。太いクイを一撃で地面深くに打つことができるでしょうか。
僕の経験から言えば、ハンマーに自分の最大限の力を加えようと思ったら、ハンマーを横にずらしながら持ち上げて、そこから大きく回転させてドンと叩きつけます。
(駒・12~13頁)

ここまで読む限りにおいては、コーチのアドバイスがタコ過ぎるといえましょう。アドバイスを言葉通りに解釈すれば、バットを剣道の竹刀で面打ちするように振り下ろすことになるわけですから。こんなアドバイスをされた駒田が可哀想ってなものです。

ただし、この「金づちとクギの喩え」はコーチの理解、話し方がおかしいだけで、多分、“正規バージョン”は理のあるものだったはずです。実は同じ喩えハナシで打撃開眼したのが落合博満その人だったからです。

実は理想的なバットスイングのイメージは、東芝府中に在籍した当時、私をプロに誘いにきたスカウトから教えられた。その人の名は田丸仁さんという。
(中略)
田丸さんは、理想的なスイングを“金づちで釘を打ち込む動作”で説明してくれた。金づちを振り下ろす理想的な位置はどこか。釘のはるか上から大きく振り下ろすのでは、叩くスピードは増すかもしれないがインパクトの精度はかなり落ちる。反対に、釘の間近から小刻みに叩くのでは、思いどおりの位置を叩くことはできるが、金づちの力は伝わりにくい。やはり、金づちを持った腕のヒジを垂直に振り上げたあたりから、ヒジを伸ばした位置にある釘を打つのがいいのではないか。これは餅つきの杵や丸太を割る時のマサカリなど、目標に向けて振り下ろす動作には、すべて共通したイメージである。
この振り下ろす時のイメージを水平の動作に置き換えたものがバットスイングである。
(落・108~109頁)

落合(田丸)の言葉は極めて明快です。つまるところ、「個々人の理想的なスイングに必要な<トップの位置>は必ず存在する」「誰もが自然に行う『金づちでクギを打つ』という動作を横に変えれば、その人にとっての理想的な<トップの位置>を見つけられる」ということ。

落合はこのエピソードを複数の著書で紹介してるんですが、中でも『プロフェッショナル』(ベースボール・マガジン社)では、「田丸仁」の名前で一つの章にして上記エピソードを詳述しています。

「田丸さんが強調したのは、バットのヘッドは重いから力いっぱい振ろうとしなくてもスイングはできるということだった。そして、その原理を金槌で釘を打ち込む動作で具体的に説明してくれた」
(中略)
「まず、金槌で釘を打ち込む時の叩き方をイメージしてみよう。金槌をほどよいグリップ感で握り、釘に向かって真っ直ぐ振り下ろすだろう。この時、強く叩こうとして金槌を握る掌に力を加えるよりも、途中からは金槌の重さに任せて力を抜いた方が、最も効率よく叩ける。つまり、釘がスムーズに沈んでいく。はじめから力を入れっ放しでは、叩きどころもブレてしまうし、叩くスピードも落ちてしまうはずだ」
(310頁)

このように田丸の言葉をヒントに、理想的な<トップの位置>に加え、スイングの際、効率的にパワーを伝える方法も学んだということです。

駒田と落合が同じような「金づちとクギの喩え」のアドバイスを受けているということは、少なくとも70~80年代にかけてのプロ野球界で流行したアドバイスであることは確かなのでしょう。田丸の世代を考えれば、恐らく古くからスタンダードとなっている教え方とも思えます。ただ、駒田と落合の著書から見る限りにおいては、駒田がまともなコーチから教わっていないことも確かといえます。

しかし、まともなコーチに教わらなかったが故に――

実は、僕がバッティングについて真剣に考えるようになったのはこのときからです。だから、「金づちでクギを打つ」というたとえ話は生涯忘れません。プロに入って2年目のことでした。
(駒・13頁)

――と、自らの打撃論を編み出す契機になるのだからさすが。駒田も伊達に2000本の安打を打っているわけではないということでしょう。
(つづく)

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