2013年12月8日日曜日

基礎教養の基礎教養『[新訳]フロンティヌス戦術書』

◆目次
●第Ⅰ部――指揮官として用意周到たれ
・1:司令官の企図は秘すべし
・2:敵を調べ、計画を見破れ
・3:戦争の性質を決めていけ
・4:敵の充満している土地で味方部隊を率いるとき
・5:危険な状況下から離脱するには
・6:行軍の途中で伏撃に対処する
・7:需品の欠乏を的に覚られぬうちに補う
・8:敵陣営の精神的な団結を切り崩す
・9:兵士たちの犯行にどう対処するか
・10:機宜を失している欲求を回避する
・11:舞台の敢闘心を高揚させる
・12:まがまがしき予示に怯んだ兵士たちの不安を拭い去れ

●第Ⅱ部――野戦に臨んで知っておくべきこと
・1:合戦の時を選べ
・2:合戦の場をうまく選べ
・3:戦闘のための部隊配列
・4:敵兵に恐慌を起こさせるには
・5:待ち伏せを仕掛ける
・6:敵を追い詰めず、猛反撃を喰らわぬようにする
・7:味方の寝返りや失敗はうまく隠せ
・8:不屈の剛毅を示して全軍の戦意を復活させよ
*合戦後に講ずる手管
・9:一勝の後、終戦につなげるための参考
・10:負け戦のあとの挽回
・11:信用できぬ者たちから、むりやり忠誠を引き出すには
・12:戦力に自信が持てぬとき、どう野営地を守るか
・13:退却にもちいる小技

●第Ⅲ部――要塞攻防の着眼
・1:奇襲をかける
・2:籠城者を欺け
・3:敵の内部に裏切者を見つけて利用せよ
・4:敵を貧窮に陥らせる
・5:敵をしてこの攻囲は降服するまで終わらないと信じさせる
・6:敵陣の注意を逸らせ
・7:飲用水源に対する工作
・8:籠城者たちを畏怖せしめる法
・9:予期せぬ方面から都市要塞を攻撃せよ
・10:籠城軍を外へ誘い出す罠
・11:いつわりの撤収
*籠城する側となったとき、どんな戦術があるか
・12:部下の徹宵警戒を督励するには
・13:書信の送達と受領の方法
・14:援軍や糧食補給を請うには
・15:物資が豊富にあるように敵に印象づける法
・16:秩序への反抗や戦線離脱の脅かしに向き合う
・17:被包囲状態からの反撃突出
・18:攻囲されても動揺を見せるな
(注~~目次のアラビア数字は、書籍中では全てローマ数字で表記されています)

兵頭二十八師の新刊『[新訳]フロンティヌス戦術書』を一足早く読みました。「古代西洋の兵学を集成したローマ人の覇道」という副題の通り、その中身は、古代ローマ時代における戦争の教科書そのものです。『孫氏』が戦略及び戦術の原則集だとするなら、こちらは具体的な事例集であり応用編という感じでしょうか。より踏み込んでいうなら、「カンネーの戦いに臨むにあたってハンニバル将軍は~」とか「危機に陥ったポンペイウス将軍が部下に対して言ったことは~」というような過去の戦訓を、「『合戦を始める前の注意』『合戦開始後、および終了するさいの注意』『城市攻囲と籠城守備のさいの注意』の三つの『部』に分類」(7~8頁)したものです。

古代ローマや古代ギリシアの戦争に疎い人向けに言うなら――

『三国志』にあった曹操と梅のエピソードってあるじゃん。そうアレ。曹操が張繍を攻めてたとき、炎暑のなか水場がなくて兵士がくたびれて「水をくれ!」って不満が噴出してきたときに、「少し先に梅の林がある。そこまでガマンせよ」と訓示したら、兵士が梅の酸っぱさを思いつばを出して、結果、ノドの渇きがおさまったってやつ。アレとか、柴田勝家の『瓶割り柴田』のハナシみたいなね、戦場における“頓智の効いたエピソード集”みたいな本だよ。

――と説明した方が、本の中身が想像しやすいのではないかと思います。

フロンティヌスは紀元1世紀のローマで活躍した人物なので、取り上げられているエピソードは、100年ちょっと前の「内乱の一世紀」で活躍したカエサル、ポンペイウス、クラッススとそのライバルとか、200年ちょっと前の「第二次ポエニ戦争」で活躍したハンニバル一党とスキピオ。300~400年前のピュロス、アレキサンドロス、フィリッポス二世といったあたりの「古代西洋の名将オールスター」の戦訓です。

具体的にどんな感じで書かれているのか? 個人的に初耳でかつ面白かったエピソードを2つ引用してみると――

Ⅰ-Ⅸ-3
ミラノの元老院が、ポムペイウスの部下の兵隊たちの不羈な所業のため、皆殺しになるという不祥事が起きてしまった。ポムペイウスは、直接の下手人だけを呼び出せば、頑強な叛乱を誘発すると懸念し、一計を案じた。
まったく忠良な兵隊たち多数の中に混ぜて、容疑者たちをも出頭させるようにしたのだ。おかげで容疑者たちは、自分たちが裁きを受けるために召喚されるとは思わなかった。しかし忠良な兵士たちは心得ており、道中、この容疑者たちが逃亡したりしないように、しっかり見張っていた。逃亡を幇助した仲間だとは、人から思われたくなかったからだ。[?年]
(91~92頁)

Ⅱ-Ⅲ-6
ペルシャの王位継承者アルタクセルクセスが、その王位を臨む弟が招致したギリシャ傭兵軍を主力とする叛逆軍と、ユーフラテス河畔のクナクサ(今のバグダッド、当時のバビロンの近郊)で会戦した。
ペルシャ軍は兵数においてまちがいなく優越していたから、アルタクセルクセスは、重装歩兵と騎兵と軽装歩兵(重い盾をもたない)の混成部隊を、両翼いっぱいに広がらせた。その正面の幅は、比較的に少数だった敵軍の全集団を初めから凌駕していた。そして、中央部分の前進速度を両翼よりも遅くさせて、ギリシャ人部隊を大きく包み込んで、勝利したのである。[紀元前四〇一年] *クナクサ会戦の一次史料と言えるものは、当の傭兵部隊の中級幹部であったクセノポーンが著した『アナバシス(一万人の退却)』しかない。クセノポーンは、ギリシャ傭兵隊は一人も負傷せずにペルシャの大軍を二度も壊乱させた、などと自慢している。しかしフロンティヌスは、そんなはずはなかったろうと疑って、彼の推理を展開している。
(142~143頁)

――という具合。こんな感じで322頁に渡って数多の戦訓が紹介されています。

このように古い時代の戦訓を抽象化せずに載せているものなので、これをそのまま教訓にするのは難しいでしょう。抽象化された原則論である『孫氏』であれば、現代の軍人でもサラリーマンでもプロ野球選手にでも応用できます。しかし、、「狼煙と粘土板、大声と笛による通信をベースに、ファランクスやレギオンを駆使した戦争」の“教科書”である同書の戦訓は、あまりにも具体的であるために応用がきかず、一度咀嚼しなければ実生活に使うことは難しいと思います。

で、この一度咀嚼したものがマキアヴェッリでありモンテスキューでありクラウゼヴィッツだったりするのですが、こうした基礎教養の基礎教養(=西洋啓蒙主義の元ネタ)として読む。あるいは単純に過去の名将の活躍ぶりを知るための“アイドル本”として読む。もしくは頓智の効いた歴史おもしろエピソード集として読む――というように、色々な読み方のできる本といえるでしょう。

また、ところどろこに軍師らしい鋭い着眼があります。例えばローマのレギオンは3000~6000人で構成されていますが、この人数について「密集した場合に一人の指揮官の大声が届く限界に一致し、自然、結束は固かった」(74頁)と指摘した点については、文字通り膝を打ちました(こう考えてみると、小柄ながら晩年まで大音声で知られた豊臣秀吉は、野戦司令官としても極めて優秀だったのだろうと想像がつきます)。

本邦初翻訳にして、↑のごとく面白さが約束された本でもあるので、古代ギリシャ及びローマ時代の戦争に少しでも興味があるなら、是非一読されることをおすすめします。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2013年12月7日土曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その26

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

正社員として働いてきた老人をそのまま労働力として組み込めば、若者の雇用機会を奪い、社会の活性化は望めない。非正規雇用やニートを続けてきた老人は、そもそも労働力として員数に数えることはできない。彼らを養うには多大な税金が必要だが、だからといってこれを“排除”することもできない。ではどうすればいいのか?

この答えの見えない問題に対して軍師は、「老人を<準労働力>として社会に組み込んではどうか?」と提案しました。あ、ちなみに軍師は↑のようなことは一言も書いていません。あくまでも新刊を読んで手前が勝手に解釈しただけのことなので悪しからず。

その具体的な施策や提言は、新刊でこれ以上なく詳しく解説されています。「第5章:ニート老人に『予備畑』を管理させることで日本はどれくらい強くなるか」の、小見出しを抜粋してみると――

・日本の食料安全保障のリアルなリスクとは?
・海外からの食料輸入を担保するのは、カネか、軍事力か?
・世界的な食糧危機では最初の一~二年が肝要
・なぜ「予備水田」ではなく「予備畑」だけを考えるのか
・食糧と石油の奪い合いを見越した鄧小平
・天候リスクは農水省が心配すべき問題なのか
・「脱石油後」の農業の未来は、老人によって種を蒔かれる
・「耕地上仮設独居住宅」プロジェクトが人々の安心を確立する
・制度的イノベーションで、百万円の「Lo(ロー)基準住宅」を
・不作付け農地を貸す地主のメリットと、公共のメリット
・むしろレンタル最大面積の規制が必要
・どうやって「家屋単価百万円」を実現するか
・「メンテナンス・フリー」の屋根材を開発してほしい
・コンクリート・ブロックを進化させた壁にも期待
・「基礎工事」を今までのようにしないことについて
・土地の手当て――寒冷地と僻地の地価は下がる
・暖房をどうするかが大問題
・「予備畑」の管理と経営は画一的指導になじまず
・現実度外視の開拓政策がうまくいなかった過去の例(満州事変以前)
・明治顕官たちによる那須野ヶ原の開墾例
・空論の農業楽土だった満州国
・おそまきながら単位や総石高等の確認
・最終目標は「老人の独立活計」ではないこと
・気短な開拓は決してうまくいかない
・面積・技法などもすべて「クラウド」で探索するしかない
・山林に手を加え、自然の「救荒貯蔵庫」に改造しておくことはできるか

――という具合です。なお、これを書くために軍師は数年以上かけて自宅の庭で様々な作物の栽培実験を行っていたようです。その結果は、MIL短blogなどの植物栽培日記的なモノとしてアップロードされていたわけですが、よく訓練された兵頭ファンを自認する手前でさえ、「一体何が面白いんだ? てか、何のためにやってるんだ?」と思っていたほどに、意図のよく分からないものでした。しかし、これら全ては↑のためにあったということなのでしょう。当時の軍師は、一言でいうと未来に生き過ぎていたと思います。

さて、僻地と寒冷地に「予備畑」を作り、ニート老人を<準労働力>として社会に組み込むことで、どのような未来が訪れるのか。軍師は――

①:平時に不作付け農地や耕作放棄畑を「予備畑」にする。山林もできるだけ「後備畑」にする。
②:ニート老人を「予備畑」の常駐管理人にする。これにより終身居住可能な自宅っと農地を得、最低ランクの公的補助しかなくても餓死や野垂れ死にの恐れがなくなる。
③:①②が同時に起こることで、「食料有事」の危機を乗り切り、国民は餓死や野垂れ死にを心配することがなくなるので、将来への漠然とした不安が大きく改善されることだろう。

――と説いています(以上は250~251頁の内容を、手前が勝手にダイジェストしたものです)。

といっても、全ての高齢者を農業重視者にせい! というハナシでは全くないといえましょう。地方在住者だからといって農業をしなきゃならないわけじゃないでしょうし、都市部には都市部の仕事もあるでしょう。警備員ができる人なら警備員をやればいいし、介護士ができるなら介護士でもいい。

大切なことは、都市部に住むだけの収入がなく仕事のスキルもないような、現在であればホームレスになるしかないニート老人であっても、「予備畑」の管理人になればホームレスにならずに済むという「老後の人生の選択肢を増やす」ことにあります。

もっと言えば、現状のままではニート老人をホームレスに追いやるしかない年金、生活保護等の社会保障制度とか、インフレに極端に弱いベーシックインカム――軍師の言う石油高、原油高の時代になれば、ベーシックインカムで得られる給付は文字通り紙くずになるでしょう。また、物価スライド制を導入した場合は、いまの年金、生活保護制度よりも簡単に破綻するはず――のような“脆弱なセーフティネット”ではなく、税収や物価の影響を受けにくい“頑丈なセーフティネット”を掛ける提案ということです。

もちろん、これまでに誰も思いつかなかった大胆なアイディアだからこそ、ツッコミどころは多数あるでしょう。とりわけ農地の取り扱いを初めとする農業関連の話については、恐らく農家や農協、農政族議員を初めとするインサイダーの人から厳しく突っ込まれることの多い内容なのだと思います。

手前はインサイダーではないので、ツッコミどころがどこなのかを具体的に指摘することはできません。それでも、農業関係は利権で雁字搦めになっている世界なので、ちょっとした改革ですら、法律その他の点で、「こりゃおかしい!」とツッコミが入ることだろうということは、容易に想像がつきます。何しろ日本における農業関係の利権は、最も大きく深くかつどす黒いですからね。選挙のたびに半死人が出るのは、農業利権に関わる激戦区だけですし。

なのでこの辺のアイディアの深堀りについては、さらなる新著や保守系論壇誌だけでなく、是非とも農業関係の媒体……具体的に言えば農業業界紙やJAの機関紙などで読みたいところです。また、今回の新刊に限っていえば、こうしたインサイダーからの徹底的な批判にも期待しています。これまでに誰も主張してこなかった「手垢のついていないアイディア」なので、恐らくは批判の多くが建設的なモノと思われるからです。

高齢化問題の解決に、老人を<準労働力>として組み込むという新たな視点を基に、「予備畑」の管理人以外のアイディアはないか? 脱石油化時代における石油に頼らないビジネスとして、「予備畑」以外でベターなモノは考え得るか? “石油を食べている”ような現行の農業・漁業について、軍師の提案以外でモノになりそうなアイディアはないか?……etcと、一度ナナメ読みをしただけで↑のように啓発される本なので、ボーナスで懐の暖かくなった憂国の士は、是非、これを機会に軍師のアイディアを読むべし! と強力にオススメします。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

2013年12月6日金曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その25

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

高齢化問題に抜本的な解決法はない。このことは財務官僚以下の官吏にも自明のこと――というハナシについて、軍師は以下のように書いています。

「今日の財務官僚は、国家予算の三割を占めて、けっして今後も減ることはないであろう老人社会保障費について悩むうちに頭がおかしくなりました。戦前の陸軍省主導の『国家総動員』が日本の一人あたりGNPを逆に萎縮させていますように、財務省の考えつく唯一の『解』であるらしい消費増税も日本のGDPを停滞させるでしょう」(277頁)

正直、少々キツい表現と思いますが、手前はだいたい正しいと思います。実際、抜本的な解決法がないにも関わらず、「なんとかせい!」と解決するように全国民から迫られているわけですから。消費税増税を目指す財務官僚の心の中は、「どうせ高齢化問題を抜本的に解決できないなら、せめて少し延命しつつ自分らが得する次善の手を打とう」ってなものでしょう。

財務官僚の頭をおかしくするほどの解決不能な問題をどのように解決するのか? これについて軍師は、財政や社会保険制度の改革といった正面突破の手ではなく、老人を<準労働力>(都築有©。ようするに手前の造語です)として活用すべしという搦手からの解決法を提案しています。

つまり、「年金や生活保護で生活して」「病気がちだからガンガン医療費を使って」「仕事をせずGDP拡大に寄与しない」老人を――

①都市においては、今後増加するであろうロボット関連の仕事口(操作及び整備助手など)や介護力役による社会保険料納付などの施行により、<準労働者>として活用する。

②地方においては、1人当たり5反の「予備畑」の管理者という<準労働者>として活用する。

――ことにより解決するというアイディアを解決法を提示しているわけです。なお、①は『「自衛隊」無人化計画』(PHP研究所刊)で提案しているもので、新刊では一切触れていません。

ここでいう<準労働力>について手前は、現役世代の労働者のようにガンガン仕事をして稼ぐことがハナから求められていない「フルスペックの労働力に準じた労働力」くらいの意味で使っています。元ネタは新刊にある以下の文章です。

「本構想は、けっして、農業初心者の老人たちに、『わずかな農地に心血をそそいでもらい、そこからできるだけ多くの生産や収益を上げられるようなマーケティングの工夫もしていただく』だとか、『公的年金制度に負担をかけない独立・完結的な生計を理想として目指していただく』だとか、『山の中で、社会インフラから切断された、電気も石油も使わないエコ生活を実践してもらう』ことなどを迫る話じゃございません」(251頁)

つまり、老人を完全な労働力として見るのではなく、「最低ランクの公的老後年金しか受け取れなくとも、餓死や野垂れ死にのおそれがなくなる」(250~251頁)くらいの仕事をしてもらうことについて、いちいち↑のような説明をつけるのが面倒くさいので、ひとまず<準労働力>というレッテルを貼った次第です。

さて、これまでにも関係各所から「高齢化問題解決のため老人に仕事をさせよう!」という意図で、定年延長制以下、様々な提案がなされてきました。しかしいずれの案も、労働力として社会に参画することを期待したもので、「正社員歴のないニート」とか「資力のない独居老人」などを視野にいれたものではありませんでした。それこそ定年延長などは「企業の正社員」だけにスポットを当てた施策であって、そこから漏れた数多くの老人――非正規雇用がこれだけ増えている以上、近い将来、正社員歴のない老人が多数派となることは確実――のことは全く考慮されていません。

加えて、老人を労働力として社会に組み込んでしまうと、どうしても若い現役世代がそこからはじき出されてしまいます。結果、本来高齢者を支えるはずの現役世代がより薄くなるという悪循環を招いてしまう。結局のところ老人に労働力を期待する政策は、あまりスジが良くなさそうだということです。

この点、軍師の提案は、老人を独立活計する労働力としてではなく、<準労働力>として無理なく社会に組み込むことで、30年来非正規雇用を続けてきたようなニート老人であっても、最低限のセーフティネットで餓死や野垂れ死にの心配だけはしないで済む――という未来図を明確に描き出しているわけです。

このように将来多数派になるであろうニート老人までをも包含した高齢化問題解決策は、少なくとも手前が知る範囲では軍師しか提案していません。だからこそ手前は、先日のエントリで「日本一まともな救国策」とブチ上げたんですよ。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。
(続く)

2013年12月5日木曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その24

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

兵頭二十八師の新刊『兵頭二十八の農業安保論』(草思社)。手前はこの新刊を読んで色々と思うことがあったので、今回は新刊のレビューというよりは、新刊をダシに手前がつらつら考えてることを思うままに書いていきたいと思います。

まずは高齢化問題について。手前は「高齢化問題の解決には、彼らを“排除”するしかない」という結論を得ました。しかし国家が国家である以上、このような一手を打つことは決してできません。それは人道上の理由とかではなく、国家の存在意義に関わることだからです。当たり前すぎるほど当たり前のことですが、ここは兵頭流軍学の基本に則り敢えてゼロから考えてみます。

国家の存在意義とは何か? 軍師の考える権力の定義「権力=飢餓と不慮死の可能性からの遠さ」を基に考えるなら――

国家とは、「飢餓と不慮死の可能性が極めて近い」一個人の資力や労力を集積し、リーダーのもと効率的に運用することで「飢餓と不慮死の可能性の遠さ」を実現するために必要である。すなわち、人々が飢えることなく安定的かつ安価に食料を確保するとともに、戦争を仕掛けられないように軍備を整えたり、連続殺人犯を拘束できるように警察機構を整えたり、台風で川が氾濫して被害が拡大しないように堤防を作ったりするために、みんなで金(=税金)を出し合い、適当な人をリーダー(=皇帝、王、大統領etc)に担いだ結果として出来上がったもの。

――となります。もっと簡単に説明できないわけでもないですし、実際、上手く説明している先人も数多くいるのですが、ここでは敢えて手前の思考経路をありのままに記してみました。

↑の定義をある程度正しいと認めるなら、「国家は自国民を飢えさせたり、不慮死に追いやってはいけない」ということも正しいと言えるでしょう。飢えた国民がいれば最低限死なない程度の援助はしなければならないし、外敵から挑戦を受けたならこれを撥ね退けなければならない。これができない(しようと努力しない)国家は、国家としての存在意義はないということです。実際、国家としての存在意義をなくした国家は、だいたいの場合、外敵に滅ぼされるかクーデターで倒されています。

このように国家の意義というものをゼロから考えてみると、生活保護や軍隊の存在意義も十分に理解できるというものでしょう。健康で文化的な云々とかいう憲法以前のハナシとして、自国民を一人足りとも飢えさせないように努力した結果として、生活保護を初めとする様々なセーフティネットがあるということです。

逆に言えば、国家が国家として存続する限り、こうしたセーフティネットは止めたくても止められないということ。もっと言うなら「国家は平時において、自国民を死に追いやることはできない」わけです。

さて、ここまでのハナシを前提として考えてみると、少子高齢化が進み続ける日本の未来は極めて悲観的といえます。何しろ「年金や生活保護で生活して」「病気がちだからガンガン医療費を使って」「仕事をせずGDP拡大に寄与しない」という老人ばかりが増え続ける一方で、彼らを“排除”することは一切できないわけですから。つまり、手前が考えた「老人撲滅党」という暴論や、安いSF映画的解決法――『トゥモロー・ワールド』『ソイレント・グリーン』etc――は、国家が国家である以上、決してできない。高齢者とて一国民である以上、彼らを飢えさせないために、年金(年金未納者には生活保護)や医療費はいつまでも支出し続けなければならないってことですよ。

もちろん「老人撲滅党」が民主的な手続きに従って与党になれば、現役世代の民意において高齢者優遇施策を見直すことはあり得るでしょう。それでも一国民である高齢者をガス室に送るようなことはできないでしょう。もっといえば、高齢化の進展により現役世代の有権者が減り続けるなかでは、「老人撲滅党」が与党になる可能性は年を追って小さくなるはずなので、↑のようなこと自体、起こりえないと思います。

で、現状のまま手をこまねいていれば、財政上の問題で日本は遠からず破綻するでしょう。税制とか社会保険制度とかをいくらいじったところで解決できる問題ではありません。これは手前みたいにアタマの血の巡りが悪いバカでもわかることです。当然、手前よりも遥かに出来の良い財務官僚以下の官吏にも自明のことでしょう。

高齢化問題に抜本的な解決法はない――これが、これから書くことの大前提です。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。
(続く)

2013年12月1日日曜日

2013年現在、日本一まともな救国策『兵頭二十八の農業安保論』

◆目次
・序章:老人だらけの時代に、国家は老人を安堵させ得るのか?
・第1章:役所の飢餓回避方策はどこが間違っているか
・第2章:いまどき「食料が輸入できなくなる」なんてあり得るか?
・第3章:英vs独「食料封鎖合戦」の教訓(第一次大戦)
・第4章:日本式「統制経済」の失敗(第二次大戦)
・第5章:ニート老人に「予備畑」を管理させることで日本はどのくらい強くなるか
・終章:TPPで守るべきは水田か、「予備畑」か
・まとめ:昔マルクス、今アメリカ(TPPの構図とは)

今週末に発売が予定されている兵頭二十八師の新刊を、一足早く読みました。エントリのタイトルは、そのファーストインプレッションです。

「日本で唯一の軍学者だからって、日本一の救国策なんてのはフカし過ぎじゃね」
「アンタは兵頭ファンだから、贔屓しすぎて目が曇っているんだよ」

と、言われるかも知れませんが、決してフカしではありません。確かに手前は兵頭二十八ファンです。どれくらいのファンかといえば“信者”認定されて誇りに思う――『マッドメン』や『氷と炎の歌シリーズ』は大好きでも、マシュー・ワイナーやジョージ・R・R・マーティンの“信者”かと言われたら即座に否定するけれども、兵頭二十八と落合博満、セシル・スコット・フォレスターは“信者”レベルに好きという――ほどのファンです。でもですね、そういう熱烈なファンだからこそ、贔屓の引き倒しにならないよう常に批判的な目で読むわけです。そういう厳しめな読者の目で読み、かつ、ごくごく控えめに言っても、「やっぱねぇ、救国のアイディアという点では、今現在日本語で書かれている本のなかでは出色のモノだな」と。

手前は20年以上新聞を取らず、2年前からはTVも見ていない――TVを見たのは大河ドラマの第1回とプロ野球中継数回くらい。ああ、そういえば今年の新春大型時代劇は隆慶一郎の『影武者徳川家康』とか。見たい。猛烈に見たい。でも、TVがないから無理――ものの、これまでの人生でそれなりに色々な本に目を通し、最近のニュースや論説もネットで漁っているので、年齢相応の常識や知見はあると思っています。

それこそ日本の将来をどうすべきか? という救国策についていえば、政治家の演説、著作から各省庁の報道資料、学者や評論家の著作やネット論説まで、いろいろと目を通してきたつもりです。財政再建、社会保障、少子化対策、安全保障etcと、ありとあらゆる観点から書かれた多種多様の論説と比べて、兵頭師の新刊が優れている理由は、「高齢化問題について、具体的でかつある程度の説得力あるアイディアを提示している」ことにあります。

この高齢化問題ですが、実は手前も長きにわたって解決策を考えていたものです。大作映画で例えるなら、それこそ「構想20年」というくらいに考え続けてきました。ただ、考え続けたといっても、このテーマでおまんまを食べているわけではないので、真剣に考えぬいたわけではありません。ただ、長きに渡って折にふれて考え、仕事の合間に様々な人々に話を聞いたり、論文や統計資料を読んだりした結果、5年ほど前に一つの結論を得ました。

その結論とは、老人を処分しなければ日本に未来はないです。

要するに「姥捨て山」であり「国策による自殺奨励」であり「ソイレント・グリーン」ですよ。もう少しソフィスティケートされた言い方をするなら「老人撲滅党を作って、高齢者優遇施策を止めよう」となります。ハッキリいって暴論も暴論。現実味ゼロのしょうもないハナシですよ。恥ずかしながら手前は、15年以上に渡って考えぬいても↑のような結論しか得られませんでした。

でも、今の日本の現状を振り返ってみて、このアホらしい結論を笑える人なんて、そんなにいないと思うんですよ。それこそ財務省の平成24年度決算を見て、その膨大な社会保障関係費と年金医療介護保険給付費から、「いまでコレなら20年後に来る少子高齢化のピークには、絶対に破綻しているだろ」と絶望した人であれば、消費税増税を初めとする増税でどうにかなるハナシではないことがすぐに感得できるでしょう。明日から10年間、株価が3万円台を維持するほどの景気になれば、こうした財政的な問題は事実上全て解決できるけど、ゼロサムゲームである現在の世界経済の下では夢のまた夢ですよ。だから国債をバンバン発行して景気をV字回復させて、ジャパン・アズ・ナンバーワンよ再び! みたいな夢に耽溺することもできない。実際、こういう太平楽な論よりは、M資金詐欺の方がまだリアルに感じられますからね

こういう具合に諸論を腐していくとキリがないので、この辺でババっとまとめますが、現在、数多の政治家、官僚、学者、評論家の言う救国の策は、思いっきり乱暴に突き詰めると「無駄をはぶき増税して財政再建→高齢化進展による社会保障費を確保する」「規制緩和(自由経済)or重点投資(社会主義経済)で景気回復し、歳入を増やす→高齢化進展による社会保障費を確保する」ってことでしょう? 

こういうハナシは確かに現実的ではあるんですよ。でも、たとえその論をそのまま政策に反映できたとしても、結局は制度がちょっとだけ効率よくなるだけで、高齢化の進捗を止めたり、社会保障への支出を減らしたりするわけじゃないですからね。厳しい言い方をするなら、根本的な問題を何一つ解決できそうにないという一点で、「何も言っていないに等しい論」ってことなんですよ。

翻って兵頭師の新刊ですが、手前が老人を処分しなければ日本に未来はない――と勝手に思いつめた高齢化問題について、これまで誰も着眼してこなかった切り口から実にアクロバティックな解決策を提示しているんですよ。手前はこれを読めただけで、「数多の救国本より格上」と認定しました。仮に著者の名前が中谷彰宏や勝間和代であっても、考えは些かも変わりません。名前じゃなくて書いてることが優れているんだから。

その是非とか実現性云々のハナシについては、後日改めて書くつもりです。ともあれ、高齢化問題に目を背けずに真正面から取り組み、これまで誰も言及しなかったアイディアを提示している本は、2013年現在の本邦では他にありません。なので、一度でも日本の将来を憂いたことのある人なら、手にとって絶対に損をすることはないと思います。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。