2012年1月31日火曜日

新作チョコを喰らう:大人のポルテ とろけるカカオ

★大人のポルテ とろけるカカオ/明治

寸評:甘さ控え目のココアビスケット&エアインチョコをミルクチョコレートでコーティングしている。歯ごたえのあるビスケットと口で溶けるエアインチョコの相性は、正直、良くないように思うが、全体に甘さを抑えた風味は悪くなかった。

カロリー対効果:約300kcal(9個)。1個当たりのカロリーは約33kcal。1個の大きさは中々のものだが、中身の半分以上はエアインチョコで、見かけの大きさほどの食べ応えはない。カロリー対効果という点では可もなく不可もなくというところ。



2012年1月30日月曜日

落合&森インタビュー(スカパー『野球好きニュースSPマル秘メジャー』より):その3

落合:(野茂英雄について)真っ直ぐは早くない。屁みたいなもの。凄いと思ったのは郭泰源。これはどうやっても打てないと思った。

落合:(夜中に自宅の庭で素振りをしていて福嗣君が目を覚ましたという伝説について)自分の家の庭じゃない。近所の貸駐車場で振っていて見られたことはあるけど。庭は素振りできるほど広くないもの。

落合:8年間で頭を下げるのは森だけ。森と勝崎耕世トレーニングコーチにだけは良くやったと頭を下げる。後の奴には下げない。どっちもオレが全く知らない分野だから。
森:04年、「トレーニングコーチなんとかしろ」と言われて、当時、日ハムでコーチをしていた勝崎を推薦したら、(落合は)その日のうちに秋季キャンプをやっている沖縄から電話した。「お前ウチ来いよ。お前はいいから嫁さんに代われ」と。
落合:嫁さん説得したんだわ。
森:「中日で手伝いしろ」と。そしたら日ハムを辞めてすぐに来た。
落合:最初のキャンプでコーチに言ったのは、「12球団で欲しいといわれるコーチになれ」ということ。そこで「僕は名古屋だけでいいです」って言ったコーチは、全員排除した。「お前、そんなんだったらいらんわ」って。判断基準は仕事ができるかできないか。できる奴は、それなりの評価を受けなきゃいけない。そういう世の中じゃない、そういう野球界じゃないというのが、オレは寂しい。
デニー:いつかはまた監督をやるでしょう?
森:もしかしたら逆(森監督、落合コーチ)になっているかもしれない。
落合:シゲが監督やるなら、オレ、ヘッドコーチでも何でもやってやるよ。

森:送別会のとき山井(大介投手)が来て、「もし僕が9回行かせてくれって言ってたら、行かせてくれましたか?」と訊いてきた。お前が行くって言うなら、オレは喜んで行かせたと言った。
落合:オレも行かせてる。
森:でも葛藤はあった。監督はオレの顔見てスーッといなくなってる。6~8回にはユニフォームが血に染まってるのも知ってた。ボールに血がついてるのもわかった。完全試合だから9回は7、8、9番の下位打線。普通に行けばいけるけど、プレッシャーは凄い。7回からは岩瀬(仁紀投手)も用意している。で、8回、山井は「岩瀬さんでお願いします。ここまでできたんで」と言ってきた。それで、「お前が言ってくれてオレは安心した」と。
落合:オレ、いまだから言うけど、8回終わってベンチから後ろ下がったときに、「これ、どうすんだろうなぁ」と頭を抱えていた。
デニー:感情的にはやらせたかったんですか?
落合:100%やらせたかった。で、シゲから「岩瀬で行きます。山井から『マメが潰れてダメです』と言われた」と聞いて、「良かったぁ」と。とにかく結論が出たから。
森:山井には言ったんだ。「お前の言葉にオレたちは救われたよ」と。(山井を続投させて)後になってヒットを打たれたら……。そこで岩瀬を投入したらもっとキツイことになっていた。
落合:あれで落としたら北海道。6戦、7戦は勝てなかったし、日本一もなかった。それでも、あそこで山井から「行きたい」と言われれば、2人とも間違いなく行かせてた。

2012年1月29日日曜日

新作チョコを喰らう:アベニュー(ブランデー)

★アベニュー(ブランデー)/不二家

寸評:若干甘めなビターチョコに、甘いブランデー風味のソースが挟まっている。ソースの量はごく少量。ただし、思いのほかアルコールが残っていて、ブランデーの風味も仄かではあるもののしっかり舌で感じ取れるくらいにはある。

カロリー対効果:約240kcal(8枚)。1枚当たりのカロリーは約30kcal。ビターチョコにしては甘いものの、1枚当たりの分量が少ないこともあってか後味がさっぱりしているので、気づいたら1箱を完食。腹持ちという点では物足りないが、チョコレートをしっかり食べたという満足感は高い。これで板チョコより90kcal少ないと考えれば、カロリー対効果は高いといえる。



2012年1月28日土曜日

落合&森インタビュー(スカパー『野球好きニュースSPマル秘メジャー』より):その2

落合:(統一球導入について)関係ない。
デニー:監督は「おかわりは絶対に40本打つから」って言ってたけど、本当にその通りになった。統一球導入で打てなくなったというのはイイワケ?
落合:イイワケ。オレらの時代、もっと飛ばねぇもん。
デニー:僕の入った86年って本当に飛ばなかったですもん。
落合:オレら「飛ばない」っていうだろ。すると今の人って「球場が狭かったから」っていうだろ。関係ないってそんなの。和田、森野についてはボールに関係なく今年は打てないと思った。

落合:和田には「3年計画でやろうな」って言ったけど、1年やり通せなかった。西武であんだけ腰痛が出てたのが、ウチに来て1回も腰痛が出てない。「お前、その打ち方絶対に腰やるから無理だぞ」と。だからウチに来て一番びっくりしたのは西武の連中じゃないか。絶対に途中で休むのに、と思っていたのが、ウチでは1回も休ませなかったから。
デニー:野手で伸びたのは?
落合:伸びたのは誰もいない。でも一番変わったのは谷繁。
森:谷繁に何度も呼ばれたことがある。いろいろと不満を聞いたりもした。5番ファーストをやらせたときは、「これ以上何かあったら困るから(谷繁を)外してくれ」と。
落合:そしたらシゲに小声で「あいつファーストできねぇか」って聞いたもん。
森:そりゃできねぇことねぇだろ。受けるんだから。まさかスタメンで使うとは思わなかったけど。谷繁も「えぇっ!」って。でも、たまにやるから嬉しいんだよな。

デニー:12球団のキャンプを見たけど、一番走っているのは中日だった。
落合:オレ、陸上競技場行くの好きだけど、オレが行くとみんなイヤな顔をする。
森:1週間のメニューで「今日は距離を走る日であって、タイムトライアルじゃない」と設定していても、監督が来てストップウォッチで測るとタイムトライアルに変わる。選手が「トイレ行っていいですか?」って行ったきり帰ってこない。ゲエゲエ吐いて。
落合:でも一応聞くんだよ。今日は球場からホテルまで走らせていいか? って。ダメっていったら止めるけど、でも「イイ」って言うんだよ。
森:20何キロあるんだもの。オレでも小銭入れて途中でクルマを拾う。
落合:選手には「500円玉1個持ってっていいよ」っていってる。4人で2000円出せばタクシーを拾って半分くらいの距離は稼げるわけだし。それにジュースや軽食を買ってもいい。使いみちは自由。ただ、1000円だと4人で4000円でホテルまでタクシーで行けちゃうから。

2012年1月27日金曜日

ステマ? 違うよ。全然違うよ

なんてタイトルにしたら余計怪しまれそうですが、本当にステルスマーケティングじゃないんだから仕方がない。というか、15年来のファンである兵頭二十八師や“心の師”である適菜収先生、最も尊敬するプロ野球人である落合博満のことと、『ヴェロニカマーズ』、『マッドメン』くらいしか手放しで褒めたことがないんだし。しかも褒めたところでアフェリエイトの売り上げなんて全然上がってないんだから、今更↑以外の商品を褒めたところでどうなるもんでもないからねぇ……。

と、いろいろイイワケをしたところで本題。

いえね、昨日、久しぶりに昼飯抜きで午後の八重洲に行ったものだから、「これは北海道フーディストでメシを喰えという神の思し召しに違いない」と考え、ダイヤ八重洲口ビルに直行。とてもお腹がすいていたので、腹にたまるものと思って『知床鶏ヘルシージンジャーカレー』を食べたんだけど、これが超大当たり!

チェーン店orレトルトのカレーでは、今は亡き『リトルスプーン』の冷凍カレーこそが“至高”だったんですが、昨日、↑のカレーを喰って認識を改めました。もちろん、これよりおいしいカレーライスはいくらでもあるんでしょうが、手前にとっては「チェーン店orレトルトのカレーのナンバーワン」です。辛さ耐性ゼロの手前にとっていい塩梅の辛さだし、ルーも正調な日本風カレーなトロみだし、煮込んでグズグズになった鶏肉がいいアクセントになってるし、何よりご飯に対してカレールーが超大盛りなのがイイ! ダイエット前は、ご飯0.75合に2つのボンカレーを掛けて「喰らえ! ダブルカレーだ!!」って食べてたくらいに、ご飯一口に対するカレールー消費量の多い手前でも大満足な分量でしたからね。

カレーライス全体のボリュームは少なめ――ダイエット後の手前にして「腹八分よりちょっと大目で丁度良い」くらいの量なので、20~30代でモリモリ食べる男性にとってはサイドメニューがないと物足りないはず――で、コストパフォーマンスが良いわけではないし、わざわざ八重洲まで食べに来るほどのモノでもないけど、700円でお釣りがくる程度の食べ物として考えれば、十分にイケてるメニューと思います。

食べ物のうまいマズイとか身元雑記的なことは書かないことをポリシーにしてきたけど、たまに書くくらいならいいでしょ。てか、手・前・に・と・っ・て・は本当においしかったので、ついカッとなって書いてしまったというわけであって、もちろん反省なんてしてません。

2012年1月26日木曜日

落合&森インタビュー(スカパー『野球好きニュースSPマル秘メジャー』より):その1

YouTubeに動画が上がっていたので視聴。とても長かったので、以下、結構要約した私家版メモ。

落合:今年の優勝はピッチャーのお陰。勝因は監督がピッチャーのことに一切口を出さなかったこと。わからないことに何で口を出すのか? 口を出した監督はみんな失敗している。
森:(04年補強なし、現有戦力10%底上げで優勝すると聞いたとき)3年契約だし、1年目は4位くらいで、3年目に優勝争いくらいに考えていた。でも、パーティでもどこでも監督が優勝するという。で、温泉で風呂に入りながら、「開幕投手川崎でいくぞ」。
落合:(川崎の開幕投手抜擢は)引退試合。これで投げられなかったらお前もうないよという意味。知っていたのは3人(落合、森、谷繁)。言ったらバラすだろうな、と思ったコーチは温泉に呼ばなかった。
森:開幕戦から捨てゲームやるのかと思ったよ。でも、勝っちゃったんだよな。
落合:オレは黒田と川上で負けた方がショックが大きかった。
森:ローテの組み方について。2勝1敗、1勝2敗でも6連戦で見ればチャラ。3連戦で3連敗しないことが重要。だから重要なのが木曜日。先発投手をどっちにも動かせるから。例えば登板の次の週、火、水、木がカープで、金、土、日がジャイアンツだった場合、木曜日のカープ戦の先発を、スライドさせてジャイアンツ戦に登板させることができる。これが火曜日や日曜日ではできない。
落合:(オーダーについて)去年は誰に何番打たせても一緒。去年、おととしは本当にひどかった。あと、著書『采配』をプレゼントしたのはシゲだけ。

若女将:赤ワインにちなんで、今年のカープはどうでしょうか?
落合:今年のカープは面白いぞ。
若女将:監督でどうですか?
落合:謙二郎どうするんだよ? 監督辞めさすのか?
若女将:コーチで残ってもらいたいんですけど。
落合:一回監督になったやつコーチにしたらダメだわ。でも、今年の広島は面白いと思う。ただ、真ん中打つ奴があと1~2人いればな。あと、途中で野球変わっちゃうからいかんのや。

――印象に残ったところのみ。なお、若女将との対話は面白かったので詳しめに。

2012年1月25日水曜日

新作チョコを喰らう:メルティキッス ホイップスモア(キャラメル)

★メルティキッス ホイップスモア(キャラメル)/明治

寸評:なめらかできめ細かい食感はノーマルバージョンと同じ。ただし、風味はキャラメルの名前通り、チョコレートというよりはキャラメルのそれに近い。というかキャラメル味しかしない。苦味がない分、風味が単調に感じた。

カロリー対効果:約310kcal(13個)。1個当たりのカロリーは約24kcal。箱単位でのカロリー対効果はノーマルバージョンと同じで可もなく不可もない。ただし、キャラメル味一辺倒の味なので、この味が好きでなければ一気喰いは難しい。そう考えれば、見かけ上のカロリー対効果は高いといえるかも。



2012年1月24日火曜日

首都圏外縁も一面銀世界でした

【画像】あの東京雪やばいんですけどwwww

目覚めるなり髪は冷たいわ、どこからともなく雪かきの音が聞こえるわで、一瞬、実家にいるのかと勘違い。カーテンを開けたら一面銀世界で寒いにも関わらずハイテンションに。やっぱりねぇ、北国生まれだから初雪を見ちゃうと反射的に心が沸き立つわね。しかも、この積雪の中、家でぬくぬくしながら通勤しているかよわき大人(尾崎豊©)を眺めながらYahoo! 天気予報を見てニヤニヤできるのが良い。てか、こういう日くらいにしか貧乏な自営業をやってて良かったと実感できることがないからなぁ。

2012年1月23日月曜日

やれやれもっとやれ!

「イッキ飲み」強要で大学生死亡 両親が提訴 8760万円の損害賠償を求める

これはもうありとあらゆるところで訴訟を起こすべき。判例からみれば、だいたいのケースで「強要」が認められて、少なくとも弁護費用はチャラになるわけだから。訴訟維持のために当座の費用は必要だろうけど、事務所に肩代わりしてもらうとか、親類縁者から借りるなり――親類縁者にとっても「かわいい親戚に対する殺人」なわけだからね――すればいいわけだし。とにかく、アルコールがてんでダメで、社会主義と同じくらい同調圧力というものが嫌いな手前にとっては、こういう訴訟が連発されることを末永く願っておりますですよ。

2012年1月22日日曜日

寒すぎてもひとり

2時間のフル暖房でも部屋は極寒。しばれる指先、冷たい床。カロリーが頭ではなく熱産生に回るようなこんな寒い日じゃ、まともにキーボードなんぞ打てませんて。

というわけで今朝は更新日を埋めるだけの更新で勘弁。それにしても誰だよ、暖冬なんていった奴は!

2012年1月21日土曜日

有料会員がそこまでいたことに驚いた

「Megaupload」閉鎖&FBIが運営者を逮捕、驚愕の運営実態と収益額が判明

1分待って落とすのがデフォじゃね? と思っていたので。といっても、2chAV板で気になった女優のサンプルを落とすのに使っていたくらいで、別になくても困るわけじゃないんだけど。でも、これをきっかけにXVI●●●●とかTUB●●とかがなくなったら困る。品のないハナシだから、あまり大きな声でいえないことが残念だけど。

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49: ↓この人アフィブロガーです(千葉県):2012/01/20(金) 16:50:45.08 ID:VNmHARhb0
エラーで繋がらないと思ったら閉鎖かよ

18: エステマニア(広島県):2012/01/20(金) 16:40:12.08 ID:RoMeD6Fi0
P2Pの締め付けが厳しくなって外鯖の時代がまた来てたのに
速くも終了の予感

21: 嫌ステマ民(東京都):2012/01/20(金) 16:41:20.75 ID:FNGmFsXg0
会員も捕まるの?

28: システマ一派(神奈川県):2012/01/20(金) 16:43:21.38 ID:WYrsjuW90
>>21
可能性は低いけどないとはいえない
大量にアップして報奨金貰っていた奴は危ない

26: よほど都合が悪いようだな(新潟県):2012/01/20(金) 16:42:00.58 ID:9lHYXWDR0
他人のふんどしで135億円ワラタ

114: ←まとめブログに金が入る広告→(大阪府):2012/01/20(金) 17:14:15.65 ID:76TVTjF30
P2Pは1円も儲からないが、ロダは相当儲かるのか。FXやアフィより儲かるんじゃね?

2012年1月20日金曜日

<野球本メモ>「ダルビッシュ有の変化球バイブル」、ダルビッシュ有

●目次
・スペシャルインタビュー~~奥深き変化球の世界へようこそ
・変化球誌上レッスン
・テクニカルアナライズ~~魔球が生み出されるメカニズムを徹底解析(解説:芝草宇宙)
・証言者たち~~天才エースを語る
・球界主力打者50人徹底アンケート~~ダルのすごいボールと対処法
・ダルビッシュ変化球診断(解説:光山英和)
・ダルビッシュのルーツを訪ねて(インタビュー:若生正廣、真壁賢守)
・ヒューマンストーリー
・記憶と記録をプレイバック
・数字が物語る驚異の力

◆巻頭スペシャルインタビューより

・9種類の変化球のほとんどは、自分で考えて自然に投げられるようになった。ボールをどう回転させればどっちに曲がるとか、だいたいわかるもの。だったらどこの縫い目に指をかければ一番回転をかけやすいかという感じで。

・中学で硬式野球を始めたとき、正直、最初のうちは好きではなかった。しかし、自分で試行錯誤しながら変化球を覚え、試合で空振りを取れるようになってから面白くなった。当時の持ち球はカーブ、スライダー、シュート、シンカーぐらい。練習や遊びではナックルも投げていた。

・小学生の頃、スピードガンコンテストに挑戦したが、小6の頃は最高で90km/h。それが中3のときに140km/hぐらいになった。中3夏には144km/hまで上がっていた。中2の冬にアキレス腱を痛めていて走れなかったので、肩のインナー(筋トレ)ばかりをやっていた。春になって痛みが取れて投げたら137km/h出て、それから少しずつ上がっていった。

・ストレートに力があり、速く、キレがあれば、それだけボールにちゃんと力が伝わっているということ。そういう投球フォームであれば変化球を投げるときにもボールを曲げられる正しい力のかけかたができる。「ストレートが良い」は変化球のキレにも直結する。

・投球フォームは完全に自己流。ああせい、こうせいと言われたが全然聞かなかった。歪な動きは脳が許してくれない。ここまで来るには時間がかかったが、一日やそこらでできるものではない。

・これは持論だが、ブルペンで練習するより実戦で試した方が絶対に身につくもの。ブルペンでの100球より実戦での1球。そして投げることをもっと楽しんでもらいたいし、遊び心も忘れないで欲しい。

◆変化球の自己評価(5段階で採点)
・スライダー(タテ):キレ4/制球3/完成度4
・スライダー(ヨコ):キレ3/制球4/完成度4
・カーブ:キレ2/制球5/完成度5
・カットボール:キレ4/制球2/完成度3
・フォークボール:キレ2/制球2/完成度2
・SFF:キレ4/制球4/完成度4
・チェンジアップ:キレ3/制球2/完成度2
・シンカー:キレ4/制球4/完成度4
・ツーシーム:キレ2/制球3/完成度3
・ストレート:キレ4/制球4/完成度4

――Amazonでバカみたいなプレミアがついていたので。アイドル本としては中身が異様に充実していて、何より現役最高のピッチャーが自ら持ち球を余すところなく紹介する――フロント、バック、サイドからの握り方の写真に加え、腕の動きリストの動きまでを図解。さらに自身の感覚までを詳細にコメントしている――という空前絶後の企画なので面白くないわけがないんですが、正直、普通のプロ野球ファンにとっては定価以上の価値はありません。ただ、草野球でピッチャーをやっている人やこれからダルビッシュ投手と対戦するライバルにとっては、百万円だしても損はない本ではあると思います。

2012年1月19日木曜日

サエコに渡す養育費が毎月1000万円って本当なのか?

ダルビッシュ、レンジャーズ入団=6年契約、総額46億円―交渉期限最終日に決着

昨今の超円高のおかげで条件だけなら「5年50億円」で上回れたわけだし、この条件であれば日ハムでも提示できたはずだろうし、彼くらいに傑出した実力とスター性を持っていれば年俸10億円でもチーム内のバランスは崩れなかったはずだろうから、日ハムが本気で引きとめようと思っていたのなら容易に引き止められていたはずなのに……。

といっても最初から売る気マンマンだったから、こんなことを言っても詮ないね。同時にサエコとの離婚が決まったのは、養育費が12年以降の収入からの一定比率ってことだからか? メジャーで活躍するか否かについて訊くのは愚問でしょう。どう考えてもNPB史上最高の投手――手前の中では右でヴィクトル・スタルヒン、左で江夏豊が史上最高だったのですが、ダルビッシュ有投手の活躍以降、認識を改めました――なんだから、MLBでも一流の活躍ができることでしょう。松坂大輔投手には申し訳ないけど“格”が違うからね。

って、ここまで書いておいて成績がアレだったら目も当てられないナァ。

2012年1月18日水曜日

日虚連の事務局長として見過ごせない

年賀状の返事をくれない後輩に激怒 「礼儀知らずだ。もう仕事のフォローしない」

これは先輩が正しい。ださないなら公平に全ての人に出さないのが本当の礼儀だもの。確かに先輩は狭量といえば狭量でしょう。でも、人間ってのは、どんな些細なことであっても差別的な扱いを受ければ、激怒するようにできているもんですからね。

スーパーのレジの横入りを絶対に許さない――これまでに4回、ババアに横入りを試みられるも、全てのケースで腕を掴んだ上で「ちゃんと並んでるんだから、後ろに回って」と阻止したくらい――手前としては、虚礼か否かとかいうハナシ以前の問題として、後輩がやった行為(=差別的な接遇と言動)にこそ異議を申し立てたいところですよ。

>後輩に尋ねると、前年までは「出しているはずなんですけど」と言い訳をしていたが、
今年は「プリンターの調子が悪く、一部にしか出していません」と言われてしまったという。

こういうしゃらくさいイイワケをするのではなくて、日本虚礼廃止連合会に入会(入会金・会費一切無料。退会自由)して、「実はわたくし、日虚連の会員でして、全ての人に年賀状を出していないんです」っていっておけば問題がなかったのに。実際に入会してくれていれば、「アタマの堅い人にはねぇ、『実は宗教的に年賀状はNGでして……』っていっておけばOK。これで文句をつけてきたなら弁護士を紹介するから」ってアドバイスもできたんだし。

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2:名無しさん@12周年:2012/01/16(月) 16:59:20.19 ID:DYiJr2x3P
そんな無駄な習慣無くせば業務の効率化になるだろ

26:名無しさん@12周年:2012/01/16(月) 17:06:05.01 ID:rhc19Frx0
職場のやつとか一応付き合いで年賀状出すが
相手からこないとありがたいぞ、次の年から出さなくて済むから
だいたい年明けてすぐに顔合わす人間に、年賀状を送る必要あるのか疑問だ

162:名無しさん@12周年:2012/01/16(月) 17:34:06.57 ID:Opow8nYK0
今年、会社の後輩から裏面がカラーインクの帯状の汚れだけの年賀状が届いた。
ある意味、年賀状出さないより失礼だろw

2012年1月17日火曜日

さすがにネットカフェで視聴というわけにはいかない

北大・山口教授「橋下を相手にテレビでしゃべるのは難儀なことでした」と呟く 橋下市長、次は「朝生」で別の識者との直接対決

ここのところTVをずーっと観ていないので、↑のような愉快な討論があったことを露ほども知りませんでした。で、27日深夜に橋下のことが大嫌いな左翼学者が集まって討論ショーをするとか。NHKと契約していれば、HDレコーダーで録画しておいて、後で倍速再生で流し観しているところだけど、あいにく自宅のTVはつかないし、これを観るためだけにネットカフェに行くのも難儀だしね。そもそも0:00以降は基本的におねむの時間だし。

まぁ、橋下にコテンパンにのされた数多の学者サマは、「TVショーだし、反射神経が求められる勝負だから負けたのであって、じっくり時間をもらえれば橋下ごとき練雲雀に……」みたいな鼻息でイイワケをしているようですが、これ、TVショーじゃなくてもボロ負けなんじゃないかなぁ。多分、月刊誌辺りで対論(=月ごとに主張、反論を載せあう形式)をやったとしても、いい勝負に持ち込めるのはイイワケとハナシを逸らすスキルが異様に高い内田樹くらいで、後の学者サマは全員轟沈だと思うなぁ。

2012年1月16日月曜日

それにしてもスガスガしいほどヤクザなルックスだ

寒すぎて体調が悪くてとても起き上がってキーボードを打つ気になれないので、控え目な更新。

森繁和氏は初!吉村禎章氏は7年ぶりにスポニチ復帰

西武入団以来、ユニホームを脱いだことがなかったか。で、ここで他球団の誘いを断ったってことは、来年or再来年以降に確実にあるであろう落合博満の再登板に備えてのことなのか? ってまぁ、工藤公康が監督になってたら横浜に行ってたんだろうけど。

ただ、正直いって“落合中日”の8年間の実績だけ評価されて、それ以前の実績が顧みられていない(=就任したチームの防御率を確実に悪化させていた)ことは気になるなぁ。正直、宮田征典や山田久志のような球史に残る名コーチほどではないと思いますよ。

2012年1月15日日曜日

新作チョコを喰らう:小枝 ゴールデンチョコレート

★小枝 ゴールデンチョコレート/森永製菓

寸評:ドーナツ風味なのかはわからない(そもそもモデルとなったドーナツを食べたことがない)が、一般的なチョコレートとも『小枝』とも明らかに違った風味であることは確か。好みの味ではないが、パフとは異なるカリカリした食感は良かった。

カロリー対効果:約280kcal(12個)。1個当たりのカロリーは約23kcal。パフよりもチョコが多く、見た目以上に食べ応えがある。これで一箱300kcalであれば十分満足。カロリー対効果は高い。



2012年1月14日土曜日

儒教の威力が垣間見れる一篇

江戸時代に出版されたアメリカ建国の歴史の内容が超展開すぐるwww

五常(仁義礼智信)フィルターを通さないと未知のハナシが理解できないってことであって、ようするに『水滸伝』として解釈するのね。唐突に出てくる虎退治は、「オレさまはこんなに強い」の紋きり型ということか。もし、第二次ベビーブーマーが現在の人口と同じくらいの影響力を持ち続けたなら、40年後には『ガンダム』とか『北斗の拳』の知識が“教養”になるのかも。少なくとも第二次ベビーブーマーが圧倒的多数を占めている2chではそうなってるしね! じゃなきゃ「ヒャッハー!」とか「黒歴史」とかが何の注釈もなく使われるわけないし。

2012年1月13日金曜日

<野球本メモ>「ジャジャ馬一代」、青田昇:その2

――以下、第十二章、第十三章より

「継投策というものを、日本で本格的に意識的に使いだしたのは、僕は南海の鶴岡監督だったと思っている」
「例のディマジオ、フェインらの全米選抜軍が二十六年に来日したとき、鶴岡さんは、全パ軍を率いて、たった一回、全米軍を破っている。これが日本チームがメジャーから初めて勝星を挙げた歴史的な一勝なのだが、この時、鶴岡さんの使った戦法が継投策だった」
「相手が先発投手に馴れる前に、打たれなくても投手を代える。次々と四人の投手を繰り出して、強打全米チームを1点に封じてしまった。これに味をしめたツルさん、ペナントレースでも、しばしばこの手を使うようになった」(240頁)

阪急コーチ時代に在籍していたダリル・スペンサー。彼こそが来日外国人選手のナンバーワンだ。数字では彼以上の成績を上げたものも多いが、彼ほど野球を知っている選手はいなかった。“野球博士”である彼から、西本幸雄監督も青田も“考える野球”を学んだ。昨今、「野村ID野球」がもてはやされているが、野村がそんなことを言い出したのも、阪急との対戦での苦い経験がベースとなっている。

「スペンサーが、相手投手のクセや捕手のクセを見抜く眼力は、まことに凄いものがあった。実を言えば、この僕も、長年のプロ野球経験で、その方面では人後に落ちないという自負を持っていたのだが、スペンサーの眼力は、それ以上だった」
(中略)
「阪急というチームは、僕が行った当時、すでにビデオ機器を持っていた。ビデオといっても現在のような精巧なものではないが、小型の撮影機で他球団の全投手を撮る。特にランナーが出たときのものを映して、これを全選手に見せる」
「一人ずつ仮想ランナーとなって、投手がホームに投げると思ったら『ゴー』。牽制がくると思ったら『バック』と声を出させる。これで相手のクセを頭に叩き込んで、スタートをいつ切れるかの訓練をやった」
「当時、こんな訓練をやっていたのは阪急以外にない。こういう伝統があったからこそ、後年、福本豊という盗塁の神様が出現したのだ」(262~263頁)

「西本さんと僕とは、よくスペンサーと話合ったものだ。例えば当時、近鉄に久保征弘という落ちる球を得意とする投手がいて、阪急の打者は手こずっていた。この落ちる球はほとんど低めからボールになる。それに手を出さないことだという結論が出た。その時デーがいった」
「『低めに手を出すなと選手に教えない方がいい。そうすると、打者の視線はどうしても低めの球に行ってしまう。それより高めの球に的をしぼって打てと教えるべきだ』」
「選手の心理学にも通暁した男だった。ニシさんと当時のことを語り合うとき、『お互いにスペンサーからは、いろんなことを教わったなあ』という言葉が出る。僕がこの男こそ“来日外国人選手中のナンバーワン”という意味が、これでいささか理解していただけたかと思う」(263~264頁)

――いわゆるデータ野球の基礎を作ったのは、ダリル・スペンサーとドン・ブレイザーの二人の外国人だったといえるのだろう。彼ら2人の影響に加え、それより少し前に川上哲治が牧野茂を通して“輸入”した「ドジャースの戦法」こそが、日本プロ野球のレベルを格段に引き上げるけん引役になったといっていい。このようにメジャーリーグからの技術、戦術、戦略の“輸入”は、60年代に活発化したあと落ち着きを見せる。70年代以降の日本プロ野球は、スパイ野球の洗練化や犠牲バントの多用といった形で独自進化を遂げることになる。

2012年1月12日木曜日

<野球本メモ>「ジャジャ馬一代」、青田昇:その1

●目次
・第一章:少年よ野生に帰れ
・第二章:滝川中学のモーレツ三年間
・第三章:十七歳で巨人入団、秋の首位打者
・第四章:陸軍航空戦闘隊員・青田昇
・第五章:天才ホームラン王大下弘の出現
・第六章:我れ二冠王を奪取せり
・第七章:野球は戦争の縮図である
・第八章:三原排斥連判状事件の真相
・第九章:空を飛ぶラビットボール
・第十章:V9巨人より強かった第二期黄金時代
・第十一章:引退へ……我が“球界放浪期”
・第十二章:三原さんに「参った」と言わせた
・第十三章:ID野球の元祖は阪急だった
・第十四章:我れ監督の器にあらず
・第十五章:伊東キャンプは第二の茂林寺だった
・第十六章:我が舌禍退団事件と長嶋の解任
・終章:巨人へ、プロ野球へ――僕の提言
・弔辞:友人代表/千葉茂。巨人軍監督/長嶋茂雄

――以下、第五章、第六章より

昭和20年11月23日。戦後初のプロ野球の試合は4試合の東西対抗戦だった。西宮球場で行われた第3試合、大下弘は東軍の3番。9回裏、阪急の笠松から右中間スタンドにホームランを打つ。戦後第1号のホームランである。

「我が目を疑うとはこのことだ。ホームランというものを、僕は戦前一年半のプロ生活で、たった一本しか打っていない。ホームランを打つことなど、夢のまた夢であった。それをこの新人はいとも軽々とわれわれに見せつけてくれた。それも大きな大きなフライボールである」
「戦前の野球で、最も禁物とされたのは、このフライを打つことだった。当時の飛ばないボールと当時の打法では、フライを上げればまず外野手に取られてしまう。ゴロやライナーを打って、野手の間を抜くのがいいバッティングとされた。川上さんの“弾丸ライナー”が理想である」(106頁)

青田曰く、「日本プロ野球の歴史において、3つの重大な時期に3人の天才の出現して、プロ野球を救った」と。一人は草創期の沢村栄治。二人目はホームランを連発して戦後の爆発的プロ野球ブームを巻き起こした大下弘。三人目は高度経済成長期に向かうときに入団して、プロ野球人気を不動のものにした長嶋茂雄。

昭和21年。戦後初のペナントレースで記録した大下弘のホームラン数は20本。2位で10本打った川上哲治の倍。後に“物干し竿”で46本のホームランを打った藤村富美男は3位の5本である。この20本という数字が、それまで六大学一辺倒だった日本の野球ファンの目をプロ野球に向ける契機となった。

「(都築注:ホームラン狙いのために)打法を変えようにも、バッティング・コーチがいるわけじゃない。バッティング投手もいなければ、もちろん現代のようなマシーンもビデオもない」
「頼れるのは自分一人だ。自分一人の工夫だけだ。どうしたらレフトへ引っぱれる打法を身につけられるか。そこで試みたのが左手一本でノックを打つという方法である」
「左手一本で打ちつづけると、自然に左手の引きと手首の返し(ターン)が鋭くなってくる。僕の打球はレフト線ぎりぎりに大きなフライとなって飛ぶようになってきた」
「しかし、この二十二年の成績は、フォーム改造の途中だから惨憺たるものになった」(114頁)

「(都築注:巨人に復帰した昭和23年の春キャンプにて)研究の第一課題は『どうしたらもっとホームランを打てるか』にあった。もちろん僕らの標的は、あのホームラン王大下弘である。いかにすれば、あの大下以上のホームランを打ち、日本の打撃の主導権をこっちの手に奪い返せるか。千葉さんは『オレはホームランを打つガラやないから、ライト打ちに徹する』と言う。が、僕と川上さんは違う。どうしてもホームランを打ちたい。大下を打倒したいの一念に燃えていた」(123頁)

日本プロ野球において、いわゆる打撃論が勃興するのが丁度この頃のこと。マスコミでも三宅大輔(『近代打法』恒文社)、新田恭一(ゴルフスイング理論)などが新たな打撃論を展開していた。

「彼らの理論を一言に要約すれば、こういうことになる」
「戦前からの日本のバッティング(それは別名“早稲田式バッティング”と呼ばれたが)では、ホームランを量産することは不可能だ。早稲田式は体重を前足に大きく移動させ、ボールを前(投手寄り)で捕らえる。これでは駄目だ」
「『もっとボールを引きつけ、体の回転とリスト(手首)のターンでボールを叩け。そうすれば、日本人でももっともっと長打が打てるようになる』ということになろうか。言ってみれば、日本のバッティングに革命を起こそうという熱気が、彼らの論にはみなぎっていた」(124頁)

――つまり、この頃から「前で打つか、後ろで打つか」の論争があったということ。スポーツマスコミの人たちは、現役選手のインタビューを下に「おかわり君は前で捕らえているのか否か」みたいなことを書く前に、一通り昔の文献に当たってから、自らの考えを深めてみたほうがいいのではないか?

2012年1月11日水曜日

箸で喰えなかったのが敗因では?

ス ー プ カ レ ー は な ぜ 失 敗 し た の か ?

本邦におけるごく一般的なカレーライスであれば、箸で食べられなくはないんですよ。肉、野菜、ごはんは箸でつまめるし、残ったルーはごはんと一緒に掻きこめるしね。まぁ、下品っちゃぁ下品だけどさ。

でもスープカレーは、絶対に箸でつまめないスープに骨付き肉でしょ。器に口つけて飲めるスープはいいとしても、骨付き肉はねぇ……。だいたい普通のローストチキンでさえ手の汚れが気になるのに、スープカレーがびったりついた骨付き肉なんて、ティシュで掴もうにも汁が浸透してわやになるでしょ。結局のところ、喰うに手間がかかりすぎることが敗因だったのでは? 手前としては嫌いじゃないけど、脂っぽすぎるわね。

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26: アフィブロガー必死だな(埼玉県):2012/01/10(火) 17:54:35.49 ID:BXCT/vAb0
存在が中途半端なんだよな
ごはんと食べるにしても水っぽすぎて相性が悪くて食べ難い
微妙の一言

54: エステマ乗り(埼玉県):2012/01/10(火) 17:57:02.72 ID:G0Mf/4L10
俺はカレーライスが食べたいんだよ

115: アフィブロガー必死だな(dion軍):2012/01/10(火) 18:03:58.24 ID:u2c6FDA90
ただの薄いカレーをブームにするのは無理があったな

118: ステマニア(庭):2012/01/10(火) 18:04:56.34 ID:IxqHqvuB0
まずい
札幌に住んでて流行ってるから店いっぱいあるけどまずい

2012年1月10日火曜日

新左翼のアタマの悪さはハムスター級

やる夫はあさま山荘を攻略するようです 序章

手前が敬意を払っている同業者のTwitterを見てたらあげられていたので、久しぶりに閲覧。革命のために戦うってのは別に構わないんだけど、こいつらの場合はアタマが悪すぎるのがねぇ……。「革命=クーデター」を本気で起こしたいのなら、軍隊を味方につけなきゃ始まらないわけでしょ? 明治維新だって薩摩が動いて初めて成ったわけで、食い詰め浪士の人斬りテロなんて何の影響力もなかったわけだから。共産革命だって白軍や国府軍の寝返りがあってこそ成功したわけだし。

って考えれば、決起当時は散々馬鹿にされた(実際、馬鹿だったとも思う)三島由紀夫のやり方の方が遥かに理に適ってるわけでね。やり方が拙かったとはいえ、「日本を変えよう→クーデターを起こそう→軍隊=自衛隊を動かそう」という目的達成のための筋道はキッチリつけていたしね。そもそもゼロから軍隊を作る――言うまでもないことだけど永続的な兵站の確保ができなければ、兵士や武器がいくら揃っていても軍隊にはならない――ってことは、ゼロから国を作るのと同じくらい無茶なことでね。そんな簡単なこともわからず、歴史どころか先輩共産国家の先例さえ学ばなかったコイツらのことを、いまだに崇め奉る奴がいることが信じられない。

追記:■三井住友VISAカードのコピペ貼っていこうぜwwww――なるほど、手前の人生が上手くいってないのは他社系VISAカードしか持ってないからだったんだね!

2012年1月9日月曜日

1月末くらいには週刊誌が叩いてるだろうけど

連続テレビ小説の最高傑作『ちりとてちん』の脚本家である藤本有紀氏の脚本とあれば、NHKと契約していなくても初回くらいは観なきゃいかんだろう――と思い立ち、近所のネットカフェでNHK大河ドラマ『平清盛』を鑑賞したんですが……。去年観た『江』よりは100倍マシだったことは間違いないものの、1時間10分の鑑賞時間が2時間以上に感じられるくらい、観続けるのが苦痛であったことも確かなことで、つまるところ「NHKと契約していたとしても、次の回を積極的に見ることはなかっただろうなぁ」ってのが結論です。

以下、とりとめのない感想です。

・女の伝騎? アノ時代にそんなものいたか? って北条政子ぉっ!? 姫にしては汚すぎるなりだし、いくら男勝りとはいえあんなことはしないだろうよ。

・男勝りの描写でギリギリ許せるのは、せいぜい『独眼竜政宗』の義姫――初回、いきなり猪を射る13歳の姫。中の人は50代の岩下志麻――くらいだなぁ。あれだってちゃんと駕籠に乗ってたし、格好も小奇麗だったしね。

・ともあれ、全体的に小汚い感じなのは悪くない。ディザリングは良くがんばってると思う。ちゃんと血も出てたし。一応、“おんな大河”とは一味違うぜという志を見せてくれたことはよしとしたい。

・けど、志を見せるポイントがディザリングとか大道具とかみたいな枝葉のことだけであって、根っこのところは「人殺しと戦争、ダメ、ゼッタイ」な“おんな大河”であって、結局のところ借景ドラマでしかないんだよなぁ。

・って、院の子で確定ってこと? そりゃぁないでしょ。この辺が曖昧であることこそが平家モノの醍醐味なわけで、一番面白いところなんだから。大体、院の子であることが確定しちゃったら、清盛の成り上がりには「太閤記的カタルシス」が一切なくて、たんなる「貴種流離譚」でしかなくなっちゃうわけだし。

・てか、成り上がったところで「元々、院の子なわけだし、尊い血の持ち主なんだから、朝廷を牛耳ってもOKっしょ」「武家の世? いや、あいつは帝の血を引いてるんだから、ある意味、まだ公家の世でしょ」ってハナシになるわけで……。

・つまるところ、この辺のところを曖昧にして、清盛自信の実存的な悩みとかをサラっと見せながら絢爛豪華で血みどろなドラマを描ききった『新平家物語』は、日本の歴史小説の最高峰なんであって、↑のような吉川英二の偉業は素直に引き継ぐべきだと思うんだけどなぁ。

・ともあれ、場面転換とか台詞回しは上手い。説明的なセリフも出てこないし。この辺は脚本家のスキルが前任者に比べて圧倒的に優れていることを証明している。ただ、↑のようなテーマ設定や借景ドラマっぷり、あと、頻出する「王家」なんかについては、脚本家の責任というよりはコンセプトを決めて脚本家に発注しているNHKの責任というべきなんでしょう。

・暴力(血であり殺人)に対してあまりにもセンシティブであり過ぎるところがねぇ……。江戸時代でさえ、自宅の軒先に生首並べて酒を飲む趣味の武士がいた――もちろん多数派ではなかっただろうけど、特段猟奇的な趣味というわけでもなかった――くらいなんだから、あの当時であれば「現代のDQNが因縁つけるくらいの頻度」で人殺しがあったはずだしね。

・あと、御所の中で弓を構えるってアホか? まして院の御前で血(=穢れ)を見せるなんてあり得ない! 殿上人になった忠盛を殺害せんとする公卿が、「血を一滴も流さないため、わざわざ袋に入れて撲殺する」くらい血には神経質なのに。

・百歩譲って忠盛と女と捕縛すべく、護衛が囲むのはいいとして、弓を構えるってのはない。もしかしてアレか? ダメな本邦の刑事ドラマみたいに「犯人をピストルor自動小銃を構えた機動隊員が囲む」みたいなのをやりたかったのか?

――って文句を書き続けていたらキリがないので、とりあえずここまで。それにしても「王家」のセリフは、全部「朝廷」にしても全く違和感がなかったんだけど、なぜ、「王家」でなければならないのかなぁ。仮に史実に近づけたみたいなふざけた理由であるとするなら、↑のような史実無視とは整合性がとれないよね? そもそも清盛のご落胤説だって今となっては完全に否定されてるんだし。

2012年1月8日日曜日

イタリア王国通信(Victoria2日記):追記

・欧州情勢=地政学的に見て永遠の盟友となることが宿命付けられているドイツは帝国へとクラスチェンジ。これにより「フランス・オーストリアvsドイツ・イタリア」という構図が完成。多分、タイムリミットとなる1936年まで“世界大戦”は起きない代わりに、“第●次普仏戦争”が繰り返し起きることになるんだろうなぁ。

・アフリカ情勢=東アフリカをほぼ全て植民地化することに成功。これにより常備兵力を大幅に増やすことができるので、軍拡が成った暁にはフランスを叩きのめすことも不可能ではないかも。

・アジア情勢=オランダ膺懲戦争によりジャワを独立させたことと、バリをスウェーデンの植民地にしたことで、オランダは回復不能なダメージを蒙り、フランスのサンドバッグに成り下がった。ボルネオ島の全土征服は、この地図を見て満足感に浸るためだけにやったこと。

・予算=まだまだ軍拡可能。減税してもいいけど、あまり小金持ちにさせると共産革命に突っ走ってしまうからなぁ。前にスペインプレイでゼロ税率にしたら、本土と全ての植民地で赤軍が沸いてきて酷い目にあったし。適度に絞りとって革命を起こす元気をなすくためにも、減税はしないことに。

・技術=米百俵の精神で文化レベルを最優先に開発していった結果、識字率は75%を超え、1890年以降はとんとん拍子に研究が進んだ。砲兵は一切使っていないので、陸軍だけでいえば世界最強レベル。

・政治=社会主義を適度に伸ばしたことと、婦人参政権の実施により、社会改革も適度に進む。政治改革では、労働者連合を全て合法にしない(=非社会主義団体限定)ところが“オレのジャスティス”。

・人口=兵士の数が異様に多いところが気になるけど、まぁ、民族統一のためには仕方がない。あとは国民のイデオロギーを自由主義に染め上げたいけど……。

・貿易=コーヒー、電話、自動車、飛行機で世界一のシェアを持つ。小火器とか大砲の工場は潰したいところだけど、「兵器工廠がないと一流国じゃないよね」という無駄なこだわりのために補助金をぶち込んで存続させている。

・外交=工業力で劣後しているのは、植民地を一切ステート化せず、工場を建てていないため。やっぱり識字率の方が大事だモン。それに列強世界一になるのがプレイの目的ではないので、これはこれでOK。

・軍事=陸軍は近衛兵50個旅団、工兵20個旅団、軽騎兵10個旅団、歩兵110個旅団。海軍は戦艦100隻、巡洋艦100隻、輸送汽船50隻という編成。











2012年1月7日土曜日

イタリア王国通信(Victoria2日記):その8

・オーストリアにフランスとイギリスがついて
・フランスがロシアと手を組んで
・イギリスとフランスが仲良くしていて
・味方はドイツただ一国

という旧大陸の情勢。つまるところ世界1位、2位の国がガッチリと手を結んでいるわけだから、平和にしかなりようがないってことですよ! というわけで1880年以降、単調なプレイが続くと思われたので、メモを取らずにずいずいとゲームを進めてきたのですが、13年経って状況が大きく変わりました。

1893年に突然オーストリアが北ドイツ連邦に宣戦布告(第2次シェレジエン戦争)。で、ドイツからの参戦要請に応える形でオーストリアと戦争を始め、南下するオーストリア軍をあらかた撃退したと思ったら、今度はフランスが北ドイツ連邦に宣戦布告(モーリタニア侵略戦争)。中央アフリカの覇権を握っているフランスとしては、西アフリカに入植していたドイツが気に入らなかったんでしょう。オーストリアと事を構えている隙を衝いて抜け目なく戦争を仕掛けてきました。

イタリアとしては、オーストリアとの二正面作戦をするだけの余裕がないので、ひとまずドイツからの矢のような参戦要請を保留。そのあいだに、全力でオーストリア軍を叩き潰し、相手がグロッギー状態になったところで講和。

直後に総動員をかけ、軍団を再編成した後、ドイツからの参戦要請に応じてフランスに宣戦布告。ドイツ国境に兵力を集中していてがら空きになっていた南仏を攻め、釣りだされてきたフランス軍をニースに追い込んで殲滅。20万人くらいの兵力を戦闘不能にしたうえで、南仏からパリ目前まで進軍したあたりでフランスが白旗。イタリア参戦により戦況有利なった時点で和平条件を吊り上げた北ドイツ連邦は、アルザス・ロレーヌを得て、見事、ドイツ帝国へとクラスチェンジ! オーストリアもハンガリーとの二重帝国になることを決断しました。

これでようやく状況が変化したものの、オーストリア・ハンガリーとフランスとの紐帯が切れたわけではないし、フランスとの休戦期間があるとはいえ、オーストリア・ハンガリーに戦争を仕掛けることはできない。自衛戦争での同盟国参戦に休戦期間は関係ないから、いつでもフランスが出てくるんでね。均衡状態を動かすには、フランスがアルザス・ロレーヌ奪回を目指して第2次普仏戦争を興すタイミングしかないのかも。いずれにしても植民地兵でヒャッハー! をやらないと、イタリアでイニシアチブを握ることが難しいということだけは良くわかりました。

2012年1月6日金曜日

イタリア王国通信(Victoria2日記):その7

1871年9月。イタリアとして初めての外征を行う。哀れなやられ役はブルネイ。「保護領設立(=事実上の併合)」を名目に宣戦布告する。イギリスに軍の通行許可をとっているので、喜望峰の軍港を経由してシンガポール→ブルネイへと輸送船団を進める。1872年9月にはスペインを勢力圏に追加。これで当面のあいだ、マニラを拠点にインドネシアで暴れることができそう。なお、対ブルネイ戦争は1873年2月に終了。無事、全土を版図に納めた。

1874年10月。ボルネオ島南部・ミュラリーブを得るべく、かの地をステート化しているオランダに宣戦布告。オランダがポルトガル&イギリスとの戦争で泡食っている隙をつく。本当は文明国相手に明確な大義名分のない戦争はしたくなかったんだけど、ボルネオ島全域を「Italian Asia」の文字で埋める魅力には抗えなかった。

1875年6月。ミュラリーブ、ソマリランドへの入植活動をスタート。これにより西~中央アフリカへの入植は諦め、アフリカの角とインドネシア、太平洋への進出を目指す姿勢を明確にする。どーせ中央アフリカはフランスが獲るんだし。11月には対オランダ戦争を終え、無事、ミュラリーブを獲得した。

1876年3月。いつも通りの選挙、いつも通りの演説内容――基本、「自由経済、世俗主義万歳。移民歓迎。ピストルは悪魔の手だってママがいってた」で貫徹――だったにも関わらず、なぜか復古主義派が勝利。保守政党が与党になったことで、経済政策が国家資本主義へとチェンジする。社会主義がG(=黒光りするニクい奴)くらいに嫌いな手前としては許せないハナシだけど、まぁ、ゲームの中のことだしね。それに国が資本家を無視して勝手に工場を新設できるので、これ幸いと各ステートに高級家具工場と機械部品工場を新設する。

1877年1月。工作機械の発明と同時にスエズ運河を開通。同時にオーストリアとの休戦期間が明けたことを見計らって「ヴェネツィア解放を目指してオーストリアをぶっ叩け!」と、宣戦布告をクリックする直前に彼の国の同盟国を確認したらフランス、イギリスとかorz。これは無理。勝てない。てか、いつ同盟したんだよ! で、フランスの同盟国を見たらロシアと手を結んでるし。これで普仏戦争も起こり難くなったから、旧大陸の情勢はこれで固まってしまうのかも。どうにかして状況を変えなきゃならないなぁ……。

というわけで、今回のプレイはここで一旦終了。日記は明日が最終回です。

2012年1月5日木曜日

イタリア王国通信(Victoria2日記):その6

晴れてイタリア王国となった1871年1月は、いろいろと忙しかった。まず政治決断「軍産複合体」を決断することで研究機関を変えるとともに、政治改革では「政党の強要」を解禁。あわせて都市国家を合邦したことで60個旅団以上の常備兵力を維持できるようになったため軍備増強を決断。片っ端から近衛兵旅団を編成する。

結果、6月時点での常備兵力は近衛兵50個旅団、工兵6個旅団、歩兵3個旅団となる。動員兵力は40個旅団なので、大国に相応しい軍事力を持っているといえるけど、これでもフランスを相手にするのは難しいんだよなぁ。現時点での各国の旅団数は――

・中国:511
・英国:455
・露国:308
・仏国:183
・日本:116
・独国:83
・伊国:59

――という感じ。中国、日本は非文明国で非正規兵しかいないのでモノの数ではない。ロシアも軍事技術に劣るし、直接国境を接しないので無視していい。英国はインドの兵力が多くて戦場に集中できないので、旅団数ほどの強さはない(ただし海軍は鬼)。問題はフランスなんだよなぁ……。

という現下の状況を踏まえ、「オーストリアが持つヴェネィア、ダルマチア、南チロルのイタリア中核州の獲得」という大目標を達成に向けた、中長期的な戦略方針は以下の通り。

①オーストリアの仇敵であるドイツとの同盟維持
②オーストリア東部で権益争いをしているロシアとの同盟締結
③サヴォア、ニースを虎視眈々と狙うフランスとの友好関係維持
④石油、ゴムを算出するインドネシアの植民地獲得
⑤植民地戦争を円滑に行うためスペインを勢力圏に置く
⑥余裕があればアフリカの入植争いに参加する

①については、対オーストリアという点で完全に利害が一致しているので、特に何かをする必要はない。ハードな決断があるとすれば普仏戦争が始まったときにドイツに味方できるか否かという点。現下の状況では、南ドイツ諸邦が全て味方につけばタイに持ち込めるという感じか。ともあれ、オランダがベルギーを併合して、そのオランダをフランスが食って強大化した――という流れが痛い。ジャワ縛りの有無はどうあれ、早いうちにベルギーに味方して、ベネルクス三国を鼎立させておくべきだったんだなぁ。

②は、ゲーム開始からこつこつと友好を深めてきているので、あとはタイミングさえ良ければ同盟できるはず。ロシアとの同盟は、対オーストリア戦争での戦力以上に、対フランス戦争で局外中立を守ってくれることの意味が大きい。史実通り露仏協商となってしまったらドイツは滅ぶし、ドイツ頼りで旧大陸でデカイ顔をしているイタリアも滅ぶことになるからね。

で、普仏戦争が起きるまでは寝た子を起こさないのが得策なので、③の通りフランスとの友好関係は維持しておく。フランスとの関係が冷え込むとすぐにもニース、サヴォアを獲りに来るし。

④は、植民地としてのアテがインドネシアにしかないため。ブルネイは石油を産出するので、これが最重点目標。余裕があればシャム、ベトナムを獲りたいところ。

⑤の目的は、キューバ、フィリピンの寄港地利用。一応、イギリスに通行許可は貰っているものの、これはいつ取り消されるかわからない。それにアメリカや日本、中国とも戦争する可能性はゼロではない――こんがらがった同盟関係のアヤで、勝手に宣戦される可能性もある――ので、確実に使える寄港地を確保するためにもスペインを影響圏に入れることは重要だったりする。何より対フランス戦争でピレネー山脈を前線にできることも大きい。

⑥は、すでにモロッコ、アルジェリア、チュニス、トリポリをスペイン、フランス、オスマンに獲られているので、入植争いで後手に回ることは確実。北~中央アフリカを全て得られれば無視できない規模の植民地兵を得られるし、ステート化すれば工場の一つくらいは建てられるけど、識字率低下や国家集中の浪費を考えれば、あまり益もない。なので、入植はインドネシアを軸に展開して、アフリカには余裕があれば打って出ることにする。

2012年1月4日水曜日

両シチリア王国通信(Victoria2日記):その5

南下するオーストリアの大軍団。蜘蛛の子を散らすように敗走する同盟軍。次々と占領される同盟諸国。イタリア建国を目指す我が軍に打つ手はないというのか?

というか敢えて手を打たないことが打つ手だったりする。「戦いは数だよ兄貴!」な戦争において、いかに機関銃を持った近衛兵といえど、農民だけで構成された士気&統制のとれてない動員兵でさえ倍以上相手にすることはできない。となれば、戦力を分散させて各個撃破するしかない。

というわけで、相手にいいように進軍させ、同盟諸国を占領させることで兵力を分散。孤立した軍団に主力(=全て近衛兵で編成された近衛師団、第1師団、第2師団)を当てることでジリジリと相手の力を削ぐことにする。

こうしてオーストリア軍が一通り南下し終えたところで、遊軍となっていた工兵師団をスイス経由でヴェローナに進軍。軍団の後背を脅かすとともに、パルマ攻略にあたっていたオーストリア軍(約3万)をジェノアに追い込んで包囲。これを殲滅する。

この勝利を契機に、戦況は逆転。その後、再びジェノアとフェラーラでオーストリア軍を包囲殲滅させたことで、南下してきたオーストリア軍の撃退に成功。同盟軍と“消化試合”を続けながら要衝を占領しつつ、開戦から1年経ったところで「ロンバルディア解放」を条件に和平条約を締結する。

オーストリアを相手にした喧嘩に勝ったことで、全てのイタリア都市国家を影響圏に置き、イタリア中核州であるロンバルディアを領土とすることに成功。これにより、政治決断である「進め! イタリア」が解禁されたので、早速クリックする。

途中、セーブ&リロードでライバル国家を担当するというチート以上のチートをやったものの――やり直しても良かったけど、どーせやることといえば影響圏争いであって、数字を眺めつつ優先度を変えるだけの単調な仕事だからね――、無事、イタリア王国建国に成功。「ガブールの外交」を決断せずに済んだので、ニース、アヌシー、シャンベリをフランスに獲られることもなかった。

イタリア建国後は、当然のように政治決断「未回収のイタリア」をクリック。これによりヴェネツィア、ダルマチア、南チロルがイタリアの中核州となる。国民は失地回復願望を抱き、↑の中核州を領土にしないと急進性が上がったりファシズムが勃興したりするので、オーストリアとの休戦期間が終わったら、すぐにでも統一戦争(=ただの侵略戦争)を興すことを心に決める。パートナーは北ドイツ連邦、バイエルンと、戦争中に友好関係を深めたロシア帝国。ロシアとの同盟が締結できれば四方からオーストリアを蹂躙できるので、今回のように苦戦することはないはずだ。







2012年1月3日火曜日

両シチリア王国通信(Victoria2日記):その4

1860年からは「モデナの勢力圏を巡る不毛な10年間」が続く。何が不毛かって、影響力を高めるたびに「顧問追放」「大使追放」を連発されて、いつまでたってもオーストリアの影響圏から除外できないってことです。これ、オーストリアがモデナ以外に影響圏を及ぼしていればやりようもあったんだろうけど、モデナ一国だけだからなぁ。こっちが外交活動を活発化させると、すぐに反応して妨害してくるし。

というわけで、↑のようないたちごっこを続けているなか、61年に南北戦争(64年、痛みわけ)、67年に仏蘭戦争(68年、フランスがフランデレンをゲット)が勃発。68年から2年連続で政治改革(労働者連合を2段階解禁)を進めたり、ナイル川の水源を探索。その他は特に大きな動きはありませんでした。

で、9年ほどいたちごっこを続けた結果、「これ以上やってもゲーム終了までモデナを影響圏に置くことはできない」と判断。禁断のセーブ&リロードにより一時的にオーストリアを担当して、モデナへの影響力をリセット(イギリスに対する顧問追放)。即セーブしてから両シチリア王国を担当することで、無事、モデナを影響圏から除外することに成功。69年1月にモデナを勢力圏に追加しました。

1869年1月から来るべき対オーストリア戦争に向けての準備を始める。まず、影響下にある近隣諸国に通行許可を取ってオーストリアとの国境に常備兵力を配置。6月に総動員を発令して、動員兵力を「おとり師団」と「予備師団」に再編成。翌70年1月。機関銃待ちだった研究を解禁→完成したところを見計らって、オーストリアに宣戦布告する。

統一戦争という大義名分の下、ロンバルディア解放を目指す戦争には、同盟国である北ドイツ連邦とバイエルンのほか、ルッカ、モデナ、教皇領、パルマ、サルディニア・ピエモンテ、トスカーナが参戦(同盟国ギリシャは参戦拒否)。北のドイツ、西のバイエルン、南の両シチリアという三方面作戦を強いることに成功する。彼我の戦力差は2.5倍くらいあるものの、陸軍技術で機関銃を持ち、中心戦力に近衛兵旅団を置く編成なので、同数で戦えば絶対に負けないはず。北ドイツ連邦も開戦と同時に「モルトケの改革」を選択して、世界最強レベルの陸軍になっているだろうから、打つ手を間違わなければ勝てるはず。

大まかな戦略方針は「ヴェローナ、ブレシア、ベルガモのラインで敵を引きつけ、パルマ、モデナを通してジェノアに追い込み、ここで包囲殲滅する」というもの。おとりとなるのは、動員した「おとり師団」と同盟国の軍団。戦い方としては、「相手に攻めさせた後、予備師団を送り込む」という形を基本とする。防御で圧倒的な力を発揮する機関銃を最大限に生かした戦い方だ。

と、目論んでいても思い通りにいかないのが戦争の常。モデナは開戦早々に手持ち軍団が壊滅して勝手に和平条約を結ぶし、バイエルンも右に同じでオーストリア軍の通り道になってるし……という感じで、想像以上に大規模な軍団が南下。北ドイツ連邦は当然のようにオーストリア本土を蹂躙しているものの、軍団を包囲殲滅するような作戦をとっているわけではないので兵力はあんまり散らず、結局のところ両シチリア軍がオーストリア軍の2/3くらいを相手にすることに。果てさてどうなることやら……。

2012年1月2日月曜日

両シチリア王国通信(Victoria2日記):その3

1851年2月。機能主義が完成。生物学主義の研究を始める。やっぱり教育効率を上げ、識字率を向上することこそが強国への近道だよ。陸軍技術がヘボくて、旧大陸で一番弱い軍隊っぽくなってるけど、そんなもの戦争さえしなければどうということはないわけで……って統一戦争までには後装式ライフルまで装備しておきたいなぁ。9月、オスマン帝国より同盟の打診があったので受諾する。もし、ロシア帝国と手を結ぶことができれば、オーストリアを4方向から攻められる! なお、11月には北ドイツ連邦が成立した。

1852年6月。輸送汽船を発明。これで事実上、全世界に打って出られるようになった。アジア、アフリカでの植民地戦争をやりたいところだけど、中国、日本を割譲して植民地兵を量産するようなプレイヤーチートは止めておく。ともあれ艦隊を再編成しなければ。

1853年10月。生物学主義が完成。これで現時点における教育効率を上げる研究は全て終わった。というわけで、前装式ライフルの研究をスタート。来るべき戦争に備える。

ここからは自国、欧州情勢とも平穏なままで、再び“見”の姿勢に。外交活動と研究活動を地味に進める。1855年1月に前装式ライフル、1856年10月に後装式ライフル、1857年12月に陸軍の専門知識を完成。これでオーストリアくらいであれば、同数で五分の戦いができるはず。次の研究は鉄道。

1857年7月。ついにサルディニア・ピエモンテを勢力圏に追加。残るはモデナだけど、オーストリアの勢力圏にあるのがモデナだけなんで、外交ポイントがいいところまで溜まると顧問追放or大使追放を喰らうのがなぁ……。正直、サシで外交合戦をやるといたちごっこになってしまうので、最終的な選択肢(=勢力圏追加の名目でオーストリアに喧嘩を売る)も考えなければならないのかも。まぁ、この選択肢もオーストリアがロシアかプロイセンと喧嘩している最中じゃないと取りえないんだけど。

1858年9月。かねてから進めていた軍事改革を終了。これまで歩兵30個旅団だった編成を、近衛兵20個旅団、歩兵10個旅団、工兵4個旅団に再編する。しばらく経つとブランデーが買えなくなるから、いまのうちに兵力を更新しておかないとね。ちなみに海軍は通商襲撃艦40隻、輸送汽船30隻という編成。

1859年1月。鉄道が完成。研究は鉄製汽船待ちのため中断。戦艦さえしこたま作っておけば20世紀に入るまでは海軍無双(イギリス、フランス除く)できるということで。

で、以下、1860年1月時点のわが国の状況です。







2012年1月1日日曜日

両シチリア王国通信(Victoria2日記):その2

昨日、書き忘れていた今回のプレイの縛りは以下の通り。

●鉄道網を持つ国との戦争において、包囲作戦は自国領でしかしない
●イタリア建国まで喜望峰より東の非文明国への宣戦布告はしない
●支那、ジャワの植民地兵でヒャッハー! は禁止

1839年1月。実用蒸気機関が完成。果樹園が多く工場も稼動したところなので、これで大幅に税収がアップするはず。次の研究はもちろん観念論待ち。あわせて与党と保守派から穏健主義派へと変更。さらなる税収アップを目指すとともに、軍備増強に向けて高級服、小銃、ブランデー、ワインの備蓄を開始。3月には輸送船を6隻建造。騎兵隊、砲兵隊を解散するとともに、歩兵隊を増強。最終的には22個旅団を編成する。

1840年の解禁を待って観念論の研究をスタート。軍備増強を終えた1841年7月、オスマンと戦争している隙をついてエジプトに宣戦布告。目的はスエズを含むステート「ディムヤート」の租界。オスマンにあらかたの戦力を片付けられたエジプトに抵抗する術はなく、1842年に和平。ディムヤートをゲットする。この間、観念論、鉄道が完成し、実証主義の研究を進める。やっぱり米百俵の精神は大事だよ。

と、イタリア都市国家への外交活動と、エジプトへの侵略戦争と、軍港整備などでまったりしていた1843年7月、大ニュースが飛び込んでくる。なんとオーストリアがプロイセンに宣戦布告。思わぬ形で普墺戦争が勃発した。オーストリアの目的は「シュレンジェン獲得」。プロイセンとサシであれば勝てるのかもしれないけど、ドイツ諸邦は全てプロイセンに味方する。両シチリア王国としては、イタリア王国建国のための統一戦争でオーストリアに喧嘩を売ることは必至なので、ここではプロイセンに戦費補助を約束。あわせて関係向上を目指し外交活動を活発化させる。

1844年1月。ゲーム開始以来、自由主義勢力伸張に向けて努力(=イベントでの選択肢で全て自由主義伸張を選択)した結果、自由主義勢力が上院の第一勢力となることが確定。政治改革が可能となったところで、地主限定の投票権を選択。これにて両シチリア王国は「絶対王政」から「プロイセン式立憲君主制」へと政体変更することに。あわせて、プロイセンとの同盟も締結。これに加えてフランスとの同盟or局外中立が約束できれば、来るべきイタリア統一戦争は勝ったも同然だ。てか、プロイセンはわが国に参戦要求すれ。旧大陸で暴れてみたいよ。

1844年7月。久しぶりに税制を大幅に改正。100%だった税率を下流層50%、中流層30%、富裕層29%へと減税。関税も47%へと軽減する。この逆進課税は、資本家と事務員を増やしたいがためのこと。現実世界でやったら政権交代どころか革命沙汰になるわね。9月には第1回総選挙が終了。結果は穏健主義派の勝利となった。11月には実証主義が完成。医薬の研究を開始する。

ここから1848年までは“見”の姿勢。トスカーナ、パルマ、ルッカを影響圏に置いたり、普墺戦争が痛みわけで終わったり、フランスvsオランダ戦争が勃発したり(48年4月、フランスがワロニーを獲得して終了)、医薬を完成させ、汽船の研究をしたりする。で、1848年9月には汽船を完成。あわせて通称襲撃艦を発明。機能主義の研究をスタートする。

そうこうしているうちに1850年に突入。教皇領を影響圏に置き、あとはサルディニア・ピエモンテ、モデナを影響圏に置けばイタリア建国も見えてくるんだけど、フランスとオーストリアが我が国の大使を追放するんだよママン!