2010年2月28日日曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その3

またまた引き続き『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)を紹介。

与田、永易からもちかけられ八百長を行なうも、二人とも好投して失敗する。永易にいたっては、八百長を引き受けながら三試合、12イニングを通して2失点という好投だった。結果、藤縄は神戸から雲隠れせざるを得なくなる。福岡に落ち着いた藤縄は、八百長仲間の名倉とともに益田、与田、永易と会見する。

名倉は、「みんな、いっぺんだけでええんや、藤さんを助けたってんか」
与田は、「藤さん、いくら損したの」
「もう神戸へいてられへんのや」
選手たちは私の言葉が、多少なりとも、のみこめたのであろう。与田と永易は恐縮しきった態度で頭をぴょこんとさげた。
二人は、「いままで、せっかく引き受けながら勝利投手になって、すまない。つぎのロッテ戦には益っさんが先発のはずだから、なんとか考えよう」といった。私はこの言葉にはもう興味が薄らいでいた(92~93頁)


結局、益田自身がこの試合に五十万円賭けたこともあってか、八百長は成功。藤縄は3人以外の選手に渡りをつけるため、西鉄が春季キャンプを行なっている島原に赴く。狙いは二線級の3人ではなく、エース級の池永正明だった。

この機会を逃してはと思い、田中に池永を紹介してくれと頼んだ。
田中は、「池永か、あいつはオレの後輩で、オレのいうことなら、なんでもききよる。じゃ、紹介してやろう」
「おおきに、一緒にみんなで飲みに行こう」
話は案外簡単にまとまり、博多市内のクラブに田中、池永の二人を招いた。
そこで、田中が池永を紹介してくれた。池永はなかなかの好青年で、遊びも場なれしていた(98頁)


池永との接触に成功した藤縄は、今度は西鉄の野手も巻き込んで「より確実な八百長」の工作を画策する。

「バッターまでやれるやろか」
永易は「まかせとけ。オレは船田とボレスをやらせる。三十万円ずつやってくれたらな」
与田は、「オレが頼めるのは村上と、基だが、多分承知してくれるだろう」
「大丈夫やろか」
「藤さん、心配するなよ。大丈夫、大丈夫」
二人は声をそろえていった。話は意外と簡単にまとまったのである。
「早いほうがええのやが、いつやれるか」
「大阪の南海戦でやろうか」
「あんたたちの都合のええように頼むわ」(109頁)

渡辺は永易に船田とボレスの礼金だと六十万円、与田に村上と基の礼金六十万円をそれぞれ渡した。
私は、益田には四十万円、与田にも四十万円、永易は当日登板しないので、ポケット・マネーとして二十万円渡した。
名倉にはこれまで迷惑のかけっ放しなので、せめてもの償いと思い、試合の内容(打たないようにする)を教えた。まずこの試合は九分九厘成功する――
投手はもちろん、打者四人をとめているから……ナインのうち五人までが、息のかかっている試合はどう考えても、確率百パーセントに近いわけだ(110頁)。

南海と西鉄は抜きつ抜かれるの死闘を演じたが、結局、リリーフの与田が打たれたこともあって南海が勝利。八百長は成功する。ここでボレスに八百長を持ちかけたことが、後の八百長発覚につながった。同じ頃、八百長仲間の名倉はロッテを舞台とした八百長工作に参加していた。

「バッテリーだけやない。バッターまで押さえてるのや。これがほんまの八百長やろ」
私はおちょくられているようでちょっと腹が立った。
「竹村がな、二十万、三十万張ってきよったら、百パーセント、ロッテの負けや。ピッチャーはSやろ、あいつ札付きやでな」(115頁)

「先発はだれや」
「Kや……」
「へえ、Kもやりよるんか」
「そや、KとDが、がっちりかまされてるんや」
「それだけか」
「ちゃう(違う)、棒(打者のこと)もいかれてるんや。それに外人選手もや」
もう、このころになると、ロッテの試合は、裏に何かあるという評判がひろまって、阪神間の胴元連中が、受けてくれないまでになっていた(117~118頁)


その後、藤縄は田中に誘われてオートレース八百長に手を出すが失敗。西鉄への八百長工作を画策する。与田、益田への工作では失敗続きだったため、エースの池永を巻き込もうと考えていた。

2010年2月27日土曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その2

昨日に引き続き『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)を紹介。

益田は私とは初対面、彼はきょとんとした様子で突っ立ったままだった。私は自己紹介しながら「益田さん、お願いしたいことがあるんです」といいながらかねて注文しておいたビールをすすめた。~~中略~~「あしたのロッテ戦には益田さん、先発でしょうね。頼みというのはほかでもない。負けてくれませんやろか……」といって五十万円、彼に渡した。

「ボクはロッテは苦手で勝てませんよ」と笑っていたが、結局OKしてくれた。

それから濃人に電話した。「監督さん、つぎの試合西鉄の先発はだれと思いますか」といったら、監督は「若生か、稲尾だろうな」といった。敵さんのことはまるっきりご存知ないのだ。「監督さん、そんなことじゃダメですよ。若生も稲尾も東京遠征には来ていない。先発は益田だから、右打者を並べるオーダーを組むんですね」とアドバイスした。

西鉄戦は予定どおり益田が先発、途中で降板したが、西鉄が一方的に勝ち、益田が勝利投手で私のカケは裏目と出た。

宿に引き揚げた益田が私の部屋に入ってきて「悪かった」とあやまった。~~中略~~私も一度渡した金――「男がいったん出したもの、遠慮せんととっておいてくれ」と彼に押しつけた。これから先のこともあるし、益田に接近するチャンスにもなるからと思った(38~39頁)


その後、藤縄は福岡で益田昭雄とともに与田順欣に接近する。

益田は与田に私のことを話し、与田もこれからは話に乗ろうとOKしてくれた。与田はリリーフ専門だが、リリーフでも益田先発、与田リリーフで仕組めば結構成功率は高いと考えたのである。

与田はそのとき「私はオープン戦のとき十五万円をもらう約束で八百長(相手は巨人)したが、約束の男に逃げられ、金はもらえなかった。約束は守ってくれ」といった。与田の話では阪神に移籍したAがちょいちょい八百長して金をもらっていたという。Aの阪神移籍もこんなところに原因があるのでは……といった(41頁)。


Aは誰か? 八百長が行なわれていた昭和43年の前後5年間に西鉄から阪神に移籍した選手は、同じイニシャルを持つ一人しかいない。

東京に遠征中の西鉄の与田から電話、久しぶりに聞いた彼の声。~~中略~~与田の電話は「あしたのロッテ戦は永易の先発、ワシがリリーフや。永易には益ッさん(益田)と相談して、八百長のことは話してあるんや」

永易も金がほしくて八百長に乗る気になったのだろう。与田はさらに、「永易にも話はつけたるし、かならずウマいことやるで。いつ出してくれるかね」といった。私は、「そうやなあ、二人で百万円はどないや? 永易にもよういうといてや」と念を押すように頼んだ(55頁)

しかし、西鉄に仕組んだ八百長はことごとく失敗。藤縄の資金繰りも悪化の一途を辿る。この頃、藤縄は小川健太郎に愚痴を漏らしているだが、これに対する小川の答えが面白い。

「永易なんか負けるいうたかて、負けられるワケがない。年間十勝もしんどいピッチャーが、負けるいうたかて、でけへん。そないに細工でけるピッチャーやったら、十五勝も、二十勝もでけるはずや。反対に勝利投手になってんか――といったら、緊張しすぎよって負けてしまう。二線級ちゅうたら、だいたいそんなもんや。あんまり相手になったらあかんで。オレのいうこときいてたらええ」(57頁)

八百長の失敗に気の咎めた与田は、永易を連れて藤縄と面会する。永易は初対面の藤縄に「おーい、ええ娘抱きたいな。神戸はいいとこあるんやろ」と要求。そのうえで五十万円くれるなら、どんなことでもするという。

「あんたアンダースローやろ、そやったら、外角ギリギリの球で勝負するのが普通やおまへんか」。
永易は「そや、勝負球は外角や」。
私は、「そやったら、一番バッターに四球を出したらどないやろ。内角へボールをほったらいいのとちがうか。ひとつくらいベースから球がはずれよっても打ってきよるかも知れへん。相手が打ちよって、内野ゴロになったら、あかん。外角ギリギリのストライクやったら、よう打ちよらんか、それ以上にやで、ボールひとつ余分に外へもっていったら、バッターは振りよらん。絶対見送ること間違いなしや」。
永易は、なるほどなあ、とアイヅチを打った。

「じゃ外角へボールをほったろ。つぎのバッターはどうや」ときたので、私は、「そうやな、二番バッターはバントさせたらええ。まずは初球はボール球で相手を見たら……ここでバントしてくるなと思うたら、バントしやすい球ほったらどないや」。
永易は、「三塁手や一塁手がバントを警戒して前へ飛び出してきよったらあかんな。二塁併殺か、一塁アウトで一死二塁か、一死一塁になりよる。これは失敗の可能性が強いなあ。それより、二つつづけて四球を出したらうまういくと思うが……」。私もなるほどと思った。
永易は「バントしにくいボール球ほったら」。

私は万一のことを考え、「デッドボールはどないやろ」。
永易は、「うん、右打者やったら、内角へシュートする球ほったらうまいこと当たるわ。左打者ならカーブほったら絶対四球になる」といった。

四球を二つつづけて出すことがムリなら、二番バッターはデッドボールで……。永易は、「よし、OK、OK」とうなずく。

私はさらに、「三番は永淵、四番は土井やろ、二人にはド真ん中にほったれ。もし永淵が無死一、二塁はチャンスやからバントしてきよったら、ピッチャーが処理できる球やったら、一塁へ暴投したらええのとちがうか。そやったら無死一点で走者一、三塁か、一、二塁になりよる。つぎの土井に真ん中ほったら打ってくるわ。そやったら、大量点三点はとられてまう」といってやった。

永易は、「九回もあるのにどうして一回にこだわるのや」と聞いた。
私は、「わかってるやないか。一回表やったら、だれでもじきに崩れると思うてないわ。リリーフ投手はまだウオーミング・アップしてへん。すべり出しが悪うてもそのまま続投が普通やないか」といったら永易も「それもそうやな」

このプランがうまくいったら、二人に百万円出すことを約束した(59~61頁)


しかし、ここまで綿密に打ち合わせたものの、八百長を約束した当日の先発は稲尾。リリーフに永易が出てきて見え透いた四球を出したりするものの、八百長工作は失敗。藤縄の借金は三千万円に膨れ上がることになる。

2010年2月26日金曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その1

「そういえば台湾野球の八百長事件ってどうなったんだっけ?」と思いつつ、野球と八百長についてネットサーフィンしていたら、黒い霧事件に関与した野球人に対して同情的な声が多いことに驚くとともに、大きな違和感を感じた。確かに冤罪だったケースもあったかも知れないが、疑われるに十分な状況、時代の空気があったことも事実だ。そんな昭和40年代前半における野球界の空気、八百長現場の実情をあますところなく綴っているのが、『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)だ。

著者は黒い霧事件の中心的存在で、“八百長演出家”と呼ばれた人物。Wikipediaには「元・暴力団森岡組の準組員」とあるが、藤縄自身は同著書で「牛乳販売店経営で金融も手掛けていた」「以前、賭博で暴力団員と一緒に捕まったことから週刊誌や新聞には『元暴力団員』と書かれた」としている。

昭和46年発刊の本で、現時点ではamazonでも入手できないようなので、以下、同著から八百長に関わる部分について紹介してみたい。

何かの拍子にKか原田かはっきり覚えていないが、「あしたの先発投手はだれや、おしえてくれへんか」と切り出した。
しばらく考えていた佐藤は「杉浦や」と洩らしてくれた。そして二人と佐藤との雑談の仲で、金の三十万もやったらMやGなら、話に乗ってくれるといった話があった。彼らは普通のサラリーマンとは比較にならぬ高給をもらってはいるが、三十万円も目の前に積めば試合に負けてくれる――私は正直なところ、こんな手があろうとは信じられなかった。「ほんとうですか」と聞き返したが、「ほんまや」とはっきりした言葉がはねかえってきた。

佐藤は、「ボクは中日ドラゴンズにいたことがあるから、中日の選手にも紹介してあげよう。中日の小川健太郎、小野(いずれも投手)は友だちだからなんなら話に乗ってあげよう。中日は東京遠征のときは品川駅前の中日観光ホテルに宿をとるのでそこへ訪ねて行けばいつでも選手に面会できるように連絡してやる」といった。

「小川さん、きょうは先発とちがいますか?」と切り出した。小川は「ボクは投げないよ。小野じゃないかな」といった。

私は五十万円ばかりを用意していたが、彼に三十万円渡し、「もしあなたが先発になったら、きょうの試合、手加減してもらえませんか」と切り出した。小川はちょっと迷惑そうな顔をしていたが、しばらく考えこんで、「ボクが先発がどうか本当のところわからないんだ。とにかくこのお金は受け取れんから」と私につきかえした。

私は一瞬ためらったが、また思い直して、「とにかく納めておいてください。私の願いをきいてもらえば、あらためてお礼はします」と、その金をベッドの上に置いた。小川は言葉をついで「ボクは前の阪神戦で足をいため、ステップが思うようにきかん。この足の故障はいますぐよくなる見込みはない。ボクが投げたら負けだよ」といった。私は追打ちをかけて「ぜひ頼みます」と哀願した。真剣な私の願いに彼も心が動いたのだろう、「もし私が先発だったら、そのつもりでやります」とOKの返事(25~28頁)


藤縄が初めて八百長の現場を踏み、自ら八百長を持ちかけたシーンだ。結局、中日戦の八百長は先発小野の好投で失敗。藤縄は330万円負けてしまう。その後、藤縄は小川のホテルを訪ねた。

「きょうは本当にすまなかった。三十万円はどうしても受け取れない」と私にかえそうとしたが、私は「いや、またつぎに頼みますよ。小遣い銭にとっておいてくれ」とムリヤリに渡した。~~中略~~話がはずむうち、小川は「お礼に八月十一日、中日球場でのサンケイ戦で勝たせてあげよう」といった。

彼のいったとおり、先発は小川、サンケイは石岡だった。はっきり記憶にないが、7対1か7対2で小川はノックアウトされた。私はこの試合に五百万円はった。特別指定席で見守っていたが、ロバーツに本塁打、他の選手にも乱打されてしまった。

中日選手の宿舎世良別館の前の宿に入った私は小川を呼び出し、中日球場でのお礼に五十万円を渡した(28~29頁)

あくまでも藤縄の話であり、藤縄にとっての真実だ。小川自身はオートレース八百長で逮捕されたが、野球の八百長は捜査段階では認めたものの、後に法廷で否定している。なお、この八百長が行なわれた昭和43年の成績は10勝20敗である。ちなみに昭和42年は29勝で最多勝。昭和44年は20勝を記録している。

その後、小川は二軍落ちしてしまい、自分の代わりとして田中勉を引き合わせる。

小川が仲をとりもち、私は八十万円小川に渡し、田中とうまく話をつけてくれと頼んだ。中日球場での巨人戦で八百長を頼み、私は巨人に五百万円張ったが、田中勉は見事ノックアウトされ、私はこの試合で五百万円儲けた。うまく成功した私は田中にタイガース戦でもやろうといって、小川を通じて八十万円渡した。

中日球場での対阪神戦――田中勉はKO。私はまた五百万円の儲け。まったくぼろい話で、この手を使えば一億円くらい儲けるのは夢物語ではないと思った(30頁)


この後、小川、田中だけに負けさせるのは忍びないと考えた藤縄は、八百長を一つのチームに絞らず、複数のチームに分散させる方針に転換する。舞台はパリーグ。ロッテ以外の5チームに八百長を仕掛けることを決める。

ロッテに手をつけなかったのは、藤縄自身がチームと永田オーナーのファンであったためとしている。ただ、実際のところは、田中勉のツテで西鉄の選手に八百長を仕掛けようと画策していたことや、自分のホームである関西のチームに八百長を仕掛けることが多くなる(南海、阪急、近鉄。九州の西鉄)から、関東のチームを手付かずにしただけのことだろう。東映ではなくロッテにしたという点については、藤縄の趣味に加え、すでに他のグループが八百長工作をしていたことも背景にあったのかも知れない。

こうして藤縄は西鉄選手への八百長工作を始める。

2010年2月25日木曜日

ついに発動、インターネット・ラジオ

日本唯一の軍学者である兵頭二十八師が兼ねてから提言していた「インターネット・ラジオ」が、ついに実験段階に入ったようです。

活字に抵抗のない手前のようなオールドタイプ(?)には、長文のblogでも全然OKなのですが、「活字はマンガ、携帯小説で十分!」という世代は、字だけのblogでは読む気にならないんでしょう。でも、Podcastであれば長文を黙読するよりも敷居が低いし、何より通勤、通学中に聞けるからね。

当初計画通り在野に眠る「短くてもすばらしい意義のある文章を公けのために提供している人」が、どんどん発掘されることを期待したいところですよ。技術的には誰でもPotcastで意見を発信できるけど(初期投資も数万円くらい)、『兵頭二十八』というそれなりの著名人が冠にあればこそ、手前のように「兵頭師がオススメなんだから、大きなハズレはないだろう。ちょっと聞いてみようか?」と思う人もいるわけだから。

「だったらチャンネル桜でもいいんじゃないの?」

という声もあるんだろうけど、やっぱり“バカ右翼”とは一線を画したいという人も多いと思うわけですよ。

2010年キャンプ終盤:落合監督インタビュー

中日スポーツに落合博満監督のインタビュー(インタビュアーは今中慎二)が掲載されていました。ササっと読んでの感想は「藤井淳志選手への叱咤だなぁこりゃ!」。

・そろそろ気付けよって感じなんだけどね。突き放しているわけじゃないんだけど、自分たちでこっちに『使いたい』と思わせてくれないと困る

・松井(佑)、大島、捕手の松井(雅)、吉田。この4人は合格点をやっていい。予想外だけどね。新人がここまで残ってくるとは思ってなかった。大島は(外野なら)どこでも守れる。蔵本(英智)と一緒。松井(佑)はセンターとレフトは守れるだろうね

・蔵本、小池、平田、堂上(剛)、藤井、野本、大島、松井。能力的にいえば中村、中川もいる。1人でまかなえるのか、何人かでまかなうのか…

この選手名が出てきた順番。これは適当に言ったんじゃなくて、意図して言ったものだろうなぁ。言ってしまえば、「現時点における“どんぐり”の序列」。何を基準にしているかといえば守備走塁で、藤井選手は現時点で5番手ってこと。

このことを藤井選手はどう捉えているのか? 

「去年、100試合以上出て限りなく.300近い打率を残したんだから、何だかんだいっても今年だってレギュラーさ!」

他のチームならそれでいいのかも知れない。でも、仮にもこんな甘っちょろいことを考えているとしたら、あっという間に平田良介選手あたりに抜かれちゃうだろうね。確かに平田選手は藤井選手より身体能力が低く、打撃面での実績は残していない。でもねぇ、平田選手は守備走塁でアホみたいなボーンヘッドは決してしないから。課題は打撃のスキル――状況を考えたバッティングが出来るか否か――だけだもの。

藤井選手は、森野将彦選手が昨年になってようやくレギュラーになったという意味を良く考えるべきだろうね。あと、「若手を使え」と連呼するファンについて言えば、「3割30本打つ若手がいれば、和田一浩選手を差し置いても使うに決まってんじゃん!」といいたい。

言葉を換えれば、去年までの“どんぐり”はハナから「3割、30本打ってやるよ!」とは考えてなくて、「代打でもいいや」「とりあえず.280くらい打てればいいや」くらいの意識で練習に取り組んでいたんだと思う。でもねぇ、目標は高いところに置かなきゃダメでしょ。野本圭選手とか堂上剛裕選手とかは、そこのところを落合監督に見透かされてるんじゃないのかなぁ?

・(二遊間のコンバートについて)どうやって説明しても、周りは理解できないだろうな。恐らくはむだだろうと。これはもう、野球観の違いかもわからない。オレとほかの人との。理解する人はいないのかも。去年は荒木の肩や腰の具合、井端の目(の不調)があって、時間がなかった

手前は「長期政権の“澱”を履き出すための措置」と考えているんだけど、落合監督としては戦術的にも何かしらの意味があると考えているようだ。こればっかりはシーズンが始まってみないとわからない。ただ、現時点でコンバート中止を表明していない以上、セカンド=井端弘和選手、ショート=荒木雅博選手でいくのは確定なんだろうなぁ。

2010年2月24日水曜日

「●●●」に入る漢字3文字を答えよ

ヒント
・7勝7敗で千秋楽を迎えた魁皇
・引退試合のピッチャーを迎え撃つバッター
・3Aにチャレンジすらしないのに、男子金メダリストより演技構成点の高い女子フィギュアスケーター

「昔は良かった」といいたくないけど

昨日からTV各局ともフィギュア、フィギュアとうるさいので、TVを消してYouTubeを見ていたんだけど……。

Midori Ito 1988 Calgary Olympics LP

このジャンプの高さ! スピンの正確さ! 当時、「こんなジャンプが出来る選手は、今後50年以上現れないでしょう」って言われていたけど、実際、22年経った現在まで出てきてないものなぁ。助走しないでジャンプとか、ステップするみたいにジャンプとか。トリプルルッツとトリプルアクセルの違いもわからない素人だけど、伊藤みどりの演技が抜きん出て凄いことだけはわかる。解説もベタ褒め。天才って言葉を軽々しくは使いたくないけど、天才としかいいようがない。

Philippe Candeloro - 1998 Olympic in Nagano

自分のなかでは未だにこれを超える演技はないかな。3:28秒からのステップには文字通り目を奪われる。ガラスの仮面じゃないけど、なにもない空間に剣と銃士が見えるような演技が素晴らしい。今から見れば技術的に大したことがないのかも知れないけど、この演技についてだけいえば「演技>技術」。会場が日本なのに声援&嬌声が凄い。ライサチェックもここまでやれば、女子レベルの技術であっても文句を言われなかったはずだ。

Sasha Cohen 2004 Marshalls LP Swan Lake

コーエンのいない女子フィギュアなんてどーでもいーや。てか、4年おきにしかフィギュアを見ないど素人にとっては、こういう“美人のメダル候補”がいないと大して面白くないもんです。

2010年2月23日火曜日

二大政党制と派閥政治、どっちがいい?

長崎県知事選、町田市長選で民主党が惨敗したので、「さぁ~て、今朝の鳥越クンはどんなツラをしてるのかなぁ?」とwktkしながらテレビ朝日を見ていたら、こんなことがありまして――

民主党・石井一選対委員長「時代と逆行するような選択をされるのなら、民主党政権は長崎に対してそれなりの姿勢を示すべき」と恫喝。
<http://www.j-cast.com/tv/2010/02/22060627.html>

――どこまで傲慢なんだか。

田中派が牛耳っていた自民党は、確かに金権&利益誘導が酷かった。でも、一番酷いときでも、こんなことをあからさまにいう奴は誰一人いなかった。もちろん腹の中では考えていたけど、こんなことを公的な場で言えば、「対立派閥&同じ派閥のライバルから叩かれ」「マスコミも尻馬に乗って叩く」のが明らかだったからねぇ。ある意味、派閥が行き過ぎた権力濫用のチェック機能を果たしていたということ。

石井がこんな脅しをかけられるのは、いうまでもなく“小沢幕府”という体制内にチェック機能がない政権の一員だからでしょう。

と考えていくと、中選挙区&派閥政治の方が今よりも遥かにマシだったんじゃなかろうか? と思えてくるのが悲しい。

でもねぇ。小沢にしても石井にしても、あんたらの恫喝を怖がるのはせいぜい民主党内の代議士&議員だけだって。小沢はそこのところを誤解してるんじゃないかなぁ。

「何があっても3年間は政権与党にいるんだから、お前ら、覚えとけよ!」

と小沢は思っているのかもしれない。でも、このまま民主党に風が吹かなければ地方議会は自民党与党のまま――外国人参政権付与法案が成立すると、オセロの目をひっくり返すような結果になる可能性もあるけど……――だし、利益誘導しようにも原資は経世会時代(バブル期)とは桁違いに少ないので効果は薄いだろうから、地方の人もそこまで怖がることはないと思うんだけどね。もちろん利益誘導とは一切縁のない都市部の人間にとっては、怖がる理由は何一つない。

しっかし、改めて見ても凄い発言だね。こんなことはスターリンも毛沢東もいわなかったんじゃぁなかろうか。もっとも彼らの場合、そんなことを口に出す前に粛清するんだろうけど。逆に考えると、小沢が検察&警察を思い通りに動かすようになったら、日本\(^o^)/オワタということなんだろうなぁ。

2010年2月22日月曜日

驚くほど内容のない自伝、元木大介

貧乏なのに野村克也の新刊を買って、「何でこんなモノに一食分の食費に当たる出費をしなきゃならんのか! しかもつまらんし!」と憤っていたら、この本のことを思い出した。元木大介の著書『クセ者 元木大介自伝』のことだ。

この本ほど内容がなくてつまらない本はない。エピソードのほとんどが通り一遍のもので、スポーツ紙ほども掘り下げられてない。こぼれ話も、プレーの解説も、ホロっとする話も何もない。しかも完全語りおろしで、本を読む妙味すらない。

ちょっと目を引いたのは、巨人のOB、選手を語っているところ。といっても、大したことは書いてない。ザっと列記してみると――

・落合博満=パシリにされてた。ことあるごとに「大介」と呼ばれ、ボールやバッグを持って行ったりしていた。時々、ボソっと野球に関するヒントを教えてくれた。
・槙原寛巳=兄弟盃を交わした。すごく楽しい人。高橋尚成選手と一緒に飲みにいってた。
・斎藤雅樹=最初に声をかけてくれた人。気配りがすごい。
・桑田真澄=ことあるごとに声をかけてくれる気配りの人。
・松井秀喜選手=入団当初からモノが違った。V旅行のときでも夜中に黙々とスクワットをしていた。2000年くらいから「大ちゃん」って見下ろされている。
・高橋由伸選手=入団当初は松井よりも上。センスがある。小さくまとまりすぎるな。
・高橋尚成選手=かわいい後輩。家族サービスの旅行以外は何をするのも一緒。
・仁志敏久選手=個人的な付き合いはない。仲は悪くない。自分との関係は桑田、清原の関係に近いかも。
・阿部慎之介選手=コーチにでもズバズバ自分の意見がいえるところが良い。
・二岡智宏選手=おとなしすぎ。嫌われてもいいからもっと怒れ。

――といったところ。

このように悪口は一切書いてないが、堀内恒夫監督に対する評価だけは辛らつ。

「堀内さんが監督になった2004年の春季キャンプは、いきなり二軍スタートだったんです。『二軍スタート』というのは、俺は新聞を見て知ったんです。新聞記者に『二軍スタートなんですか?』って聞かれて、『そんなの俺知らない。何も聞いてない』と答えたんですが、その二~三日後に球団から『二軍スタート』を言い渡されたんです」
「ただ、なんで二軍スタートなのか。その理由もわからないし、何も話がないまま、それを自分で『チームの自分への愛情だ』と無理に思い込んでいくのは、やはり辛かったです。先に話があれば全然違ったと思いますがね」(143~144頁)

西本聖の本にも堀内の酷さが切々と書かれていたけど、やっぱり人格的に相当問題があるのかねぇ。こういった配慮のなさは、同時期に近鉄でエースを張っていた鈴木啓示と同じだよなぁ。

「名選手は名監督にあらず」ってのはウソだと思うけど、名選手が名投手になると途端に腑に落ちるのは、手前だけじゃないと思います。

2010年2月21日日曜日

「わしが育てた」は、星野の専売特許ではなかった!

今更ながらだけど、野村克也の新刊『あ~ぁ、楽天イーグルス』がヤバすぎ!

・楽天の選手は、わしが育てた
・池山と広澤と橋上と飯田は、わしが育てた
・田畑も荒木も伊藤智も真中も土橋も、わしが育てた
・吉井も尾花もナベQも、わしが育てた
・赤星、矢野、桧山、遠山、それに小早川だってわしが育てた
・新井宏昌? もちろんわしが育てた
・イチロー、村松は新井が育てたから、わしが育てたことになるよな?
・SKワイバーンズには、わしが育てた伊勢孝夫がいるので、これもわしが育てた
・韓国代表の戦法はID野球の影響を受けているみたいだから、わしが育てた
・キューバ代表を率いているのは、わしが育てたパチェコなので、これもわしが育てた

ウソだと思ったら、いますぐ本屋に行って第六章(野村のDNA。158~192頁)を読んでもらいたい。もう星野仙一もビックリの育てっぷりだ。

実のところ類書でも「わしが育てた」的なことは散々書いてるんだけど、ここまであからさまではなかった。てか、星野だってここまでは言ってないし。再来年くらいに本を出したら、冗談ではなく「日本野球はわしが育てた」とか言いかねない勢いだ。育ててないのは今岡誠選手くらいか?

あ、ちなみに楽天の話については、TVとかで散々言い尽くされたことしか書いてませんすた。

2010年2月20日土曜日

「アライバ」コンバートの理由

いかに優れた組織でも、いかに優れた指導者であっても、長く同じことを続けていると必ず停滞する。

ローマも最後はgdgdになったよねとか、江戸幕府も西郷さんがぶっ倒したよね――坂本龍馬? あんなの薩摩のパシリです。偉い人にはそれがわからんのですよ――とか、山一証券もダイエーもダメになったよねとか……。

例を挙げればいくらでも挙げられるけど、つまるところ「長期政権→停滞→腐敗→崩壊」というプロセスは、ある意味で歴史の“定説”じゃないでしょうかね? っていうとアカみたいだけど、多分、マルクスの言う歴史的必然よりは確かな話だと思います。奢る平家も久しからずっていうし。

この“定説”は、当然のことながら野球界にも適用できるわけで――

V9を達成した巨人が、一年にして最下位に転落した理由は、長嶋茂雄の無能だけに帰せられるものではない。V9時代のレギュラーがその地位に安住し、知らず知らずのうちに“横着”し始め、貪欲さ(レギュラーを勝ち取る意欲であり、勝利を奪う意志)を欠いたこと。こうした9年間の“澱”が、川上哲治監督の退任により一気に噴出したことこそが、V9巨人凋落の真の原因なのだ!

――なんて主張は、長嶋擁護の本に腐るほど書いてあることだけど、この分析は(長嶋監督の能力への評価を除いて)あながち間違ったものではないと思うわけですよ。

で、いまの野球界において、この長期政権の“澱”を一番心配をしなくちゃならないのが、中日なんじゃないでしょうか?

落合博満監督は、多分、この10年で最も優れた監督だと思います(その前の10年では森祇晶。その前は広岡達郎かなぁ)。でも、そんな優れた監督であっても7年間もチームを率いていれば、どうしたって長期政権の“澱”が出てくるもので……。

その“澱”がどこにあるのか? どんな形をしているのか? どのように浸透しているのか?

そこのところはインサイダーじゃないのでわからない。もしかしたら落合監督も森繁和、辻発彦両コーチも川相昌弘二軍監督も完全には把握していないのかも知れない。

で、この“澱”をあぶり出し、あわよくば掃きだしてしまおう――という狙いで打った手がアライバのコンバートじゃなかろうか? と思っているわけです。

(やらない夫じゃないけど)常識的に考えれば、名実ともに12球団最高の二塁手、遊撃手をコンバートするなんて愚の骨頂だ。

井端弘和選手のヒザが悪く、負担軽減のため」
「守備範囲の広い荒木雅博選手を活かすため」
「もう1段階上の野球を目指す」
「二人の悪いところをリセットするため」

など、理由はいくらでもつくし、それぞれ真実だと思う。
でも、全てではない。

アライバという誰もが認めるレギュラーの中のレギュラーをリセットすることで、7年に及ぶ長期政権も一緒にリセットする。これにより弛んだ組織のケツを蹴り上げ、新陳代謝を活性化させ、あたかも新監督を迎えたチームのごとくイキの良い状態にもっていくことを目指したのだ!

といったところがアライバコンバートの本当の狙いじゃないか? と思っているわけです。

言葉を換えれば、アライバをコンバートするという思い切った手を打たざるを得ないほど、長期政権の“澱”がシャレにならないくらい溜まっていて、落合監督は、このことに相当な危機感を抱いているともいえるんじゃないでしょうか?

以上、四半世紀来の落合ファンの意見ですた。

2010年2月19日金曜日

昔の野球はレベルが高かった? 青田昇:その3

青田昇の『サムライ達のプロ野球』によれば、日本最速の投手は沢村栄治だという。

「ある時、沢村さんがこんな話をした。『俺の一番球が速かった時は、ベース板の前の縁を目標に、ボールを投げたもんだよ』 その時は何気なく聞き流していた。なるほどホームベースの前縁をめがけて投げると、球がホップして、ストライクゾーンに入るのか、そんなもんかいなと聞いていた」
「堀内恒夫と話す機会があった時、堀内がこんなことを言った。『僕の全盛時代には、ボールが右手から一本の糸をまっすぐ張ったようにキャッチャーのミットめがけて飛んでいった』」
「今度は尾崎行雄に会って、こんな話を聞いた。『僕の場合は、キャッチャーのミットめがけて投げると、どうしても球がホップしてボールになってしまう。だからキャッチャーの膝をめがけて投げたもんです』」(沢村栄治。28頁)

豪速球投手といえば必ず名前が挙がる尾崎にして、「キャッチャーの膝」を目標に投げていたのに対し、沢村は遥かに手前となる「ホームベースの前縁」を目標に投げていた。つまり、尾崎の速球よりも遥かにホップする剛球だったのだ――という主張だ。

しかし、スピードガン普及以前の速球王伝説は、正直、あまり当てにならない。打者(捕手、球審)の感じる球速は相対的なものであって、絶対的な球速を探るヒントとは言い難いためだ。

どんなスピードボールであっても、続けて投げられれば目が慣れてきて、球筋を見分けることができる。しかし、スローボールに目を慣らされた直後であれば、さして速くないスピードボールであっても対応するこは難しい。古くは安田猛、ちょっと前には星野伸行、最近では渡辺俊介投手がプロの第一線で活躍し続けている所以だ。

沢村の速球が同時代において傑出したものだったことは間違いないのだろう。しかし、そのスピードが「MAX130km/h」だったのか「MAX165km/h」(公式世界記録より1km/h速い)だったのかは、わからないというのが正確だろう。

球のホップについても、極端な話、他のピッチャーが小便カーブのような“落ちるストレート”を投げているなかで、“落ちないストレート”が投じられれば、打者の視点からはホップしたストレートに見えることだろう(物理的にストレートが浮き上がるためには200km/h以上のスピードが必要という)。従って、この証言もあまり当てにならないといえよう。

もう一ついえば、スピードガンが普及しはじめた当初は、最速で140km/h台しか計測されなかった。当時、沢村栄治、ヴィクトル・スタルヒンらの現役時代を知るOBは、彼らの速球について、「140km/h台だったはず」といっていた。その後、小松辰雄、槙原寛己らまでが150km/h台を投げるようになってからは「150km/hは軽く超えていた」といい、現在は「160km/h……170km/hはあったかも知れない」といっている。

当の青田もTV番組で、ピッチングマシンから投じられた160km/h超の速球を見て、「これが沢村さんのストレート」といっていた。もし、打者の視点から絶対的なスピードがわかるのであれば、スピードガン普及当時に140km/h台の速球を見て、「いやこんなものじゃない。これよりも一割~一割五分は速かった」と指摘していたはずだ。

……と、青田の証言を片っ端から否定しているが、手前は決して青田が嫌いなわけではない。青田の語るOBの話についても、心の底では「伝説かくあるべし」と思っている。

昔の野球のレベルがどうであろうと、同書で青田が語るエピソードの価値が減じるものではない。小山正明の年俸更改を巡るエピソードや、一本足打法のアイディアは荒川博ではなく別所毅彦が出したものであるとする証言は、他の書籍には見られない貴重なものといっていい。

が、実のところ一番の読みどころは本編ではなく、巻末の解説だったりする。千葉茂による「青田昇は球界のゴッホである」をタイトルに冠した解説は名文中の名文。もし、同書を手に取る機会があれば、この解説もしっかり味わってもらいたいものだ。

2010年2月18日木曜日

昔の野球はレベルが高かった? 青田昇:その2

昔の野球と今の野球のレベル差について、

「トップ選手は変わらないかも知れないが、それ以外の一流~準一流選手の技術は打率にして2分程度向上している」
「昔はクリンアップだけに全力投球していれば良かったけど、今は1~8番まで気が抜けない」

という話を書きながら、去年11月に行なわれた日本プロ野球(NPB)U26選抜vs大学日本代表とのゲームのことを思い出した。

このゲームで2回表に登板した大嶺祐太投手の投球は、実に素晴らしいものだった。シーズンオフであること、“花相撲”であることもあってか、いくぶん力を抜いたように見える投球――ストレートのスピードは常時140km/h前後――ながらも、大学日本代表の4、5、6番バッターに、文字通り手も足も出させなかった。

そんな大嶺投手も、NPBの一軍を相手に投げるとボコボコにされてしまう。少なくとも09年時点では時々150km/h台を計測するノーコンピッチャーでしかない。渾身のストレートがコーナーに決まれば、プロのバッターでさえ手がでないものの、ボールが先行してしまい、カウントをまとめるべく“ボールを置きにいく”と狙い打たれてしまう――というレベルだろう。

大学日本代表に投じられたストレートは、まさに“ボールを置きにいく”感覚で投げられたもののように見えた。だからこそコントロールも抜群だったのだろう。このボールに手も足も出なかったのは、一重に大学日本代表のレベルが低かったからだ。

そんな大嶺投手が、50年前のNPB……例えば対巨人戦で投球していたとしたらどうなるだろう?

「王、長嶋は150km/hの全力投球で押さえ込む。でも、残りのバッターは130km/h程度で“ボールを置きにいく”だけで十分抑えられる」となったのではないか?

もし、このように“ボールを置きにいく”投球を中心にピッチングを続けていくのであれば、肩やヒジの消耗具合も違ってこよう。肩、ヒジの消耗は、投球数の多寡もさることながら、投球するスピードの高低が大きく左右するためだ。

豪速球をたくさん投げれば、それだけ肩やヒジの消耗が早く、緩い球を少ししか投げなければ、肩、ヒジの消耗は抑えられるということ。例えば山本昌投手の投手生命の長さは、当人の頑健な身体に加え、さほどストレートのスピードが速くない――デビューから現在まで常時計測では130km/h半ば――ことも大きな要因といえる。

青田昇の『サムライ達のプロ野球』には、数々の投手の伝説が活写されている。

「延長28回を一人で投げ抜いて4対4で引き分けている。これはプロ野球の延長戦の世界記録だそうだ。だが、ここで驚くのはまだ早い。野口さんの場合、その前日の二十三日にも、朝日軍相手に1対0の完投シャットアウトを演じている」(野口二郎。90頁)
「彼は中三日で投げるのが一番調子がいいと言っていた。中四日をあけられるともう機嫌が悪い」(別所毅彦。173頁)
「当時監督は明大先輩の迫畑正巳氏で、投手陣は手薄だから、思う存分、この後輩投手を酷使したものだが、一度たりとも嫌な顔をしたことがない。喜んで連投でもなんでもやってのけた」(秋山登。277頁)

このようにガンガン投げ続けられたのは、「クリンアップ以外、手抜きができた」からこそではないだろうか。全ての打者に全力で立ち向かう投球スタイルであれば、このような活躍は難しかったはずだ。

2010年2月17日水曜日

昔の野球はレベルが高かった? 青田昇:その1

「いまの選手はひ弱だ」
「昔はもっと投げ込んだものだ」
「中4日で文句言うな。昔は毎日投げていた」

古株のOBがよく言うセリフだ。この手の話をことあるごとに披露するOBの、代表的な存在が青田昇だった。青田の著書『サムライ達のプロ野球』は、自らがサムライと認める伝説的OB――沢村栄治から長嶋茂雄までの23人――の凄さを書き綴った本だ。

角三男や西本聖らが精一杯投じたストレートのスピード(135km/hくらい)や、ブーマー、ホーナーに比べて余りに貧相な他の日本人4番打者の体格などをリアルタイムで見てきた手前としては、「いや、いまの野球は昔に比べて遥かにレベルが高いでしょ」と言いたくなるのだが、青田に言わせれば「昔のことを見たこともないくせに、あまり調子のいいことをいってもらいたくない」という。

「体格の数字を見ると問題にならない。昔、沢村栄治さんが176センチあった。これは大きいほうだ。~~中略~~いま、巨人でチビといわれる緒方や川相ですら175センチである」
「これだけ体格が向上したのだから、スピードやパワーもさぞかし増強したかと思えば、さにあらずだ」(17~18頁)

としたうえで、スピードと肩の力(遠投距離)から「昔の方がレベルが高かった」と主張している。

・昔のスピード:広瀬習一が100mを10秒5、呉昌征が10秒6、中島治康が11秒2で走っており、多くの選手が11秒前半で走っていた。
・今のスピード:11秒前半で走れるのは1チームに1人か2人くらいしかいない。

・昔のパワー:球団対抗の遠投競争の予選通過ラインは115m。南海の国久松一は127mも投げた。115mオーバーの選手はゴロゴロいた。
・今のパワー:90m、100m投げるのにフワフワしている。

この辺の数字の信憑性については、正直、眉唾な気がしないでもない。ドラフト候補を持ち上げるマスコミ報道――「50m●秒の俊足」とか「150km/h超の本格派」など――に近い性質のものではないだろうか。あれほど当てにならないものはない。

シャープなバッティングは「飛ばない」。打たせてとるタイプは「三振がとれない」。三拍子揃った逸材は「長所がない」……。これは手前の経験則だが、50m●秒は大体0.5秒くらい水増し、遠投●mも20mくらい水増ししている。

もちろんドラフト候補のマスコミ報道と、青田の証言を一緒くたにはできない。しかし、陸上短距離や水泳などの世界記録の変遷を考えると、過去と現在で選手の運動能力に格段の差があったとは思えない。ただ、技術面を見ると、ピッチングマシンの登場によるバッティング技術の向上は確実にあったのではないだろうか。

例えば昨年のセリーグ打撃成績を見ると、3割バッターは首位打者のラミレス選手(打率.322)を筆頭に、内川聖一選手、小笠原道大選手、坂本勇一選手、井端弘和選手、青木宣親選手、和田一浩選手の7人となっている。成績10位の阿部慎之介選手の打率は.293、同20位の金本知憲選手の打率は.261だ。

これが50年前になるとどうなるか? 

1959年のセリーグ打撃成績を見ると、3割バッターは首位打者の長島茂雄(打率.334)しかいない。2位は飯田徳治で.296なのだ。成績10位の吉田義男の打率は.272、同20位の岡島博治は.243に止まっている。翌1960年を見ると3割バッターは5人となるが、成績10位の王貞治は.270、同じく20位の町田行彦は.238となっている。

つまり、過去と現在のバッティング技術については、「トップ選手は変わらないかも知れないが、それ以外の一流~準一流選手の技術は打率にして2分程度向上している」ということだ。

これをピッチャーサイドから見れば、「昔はクリンアップだけに全力投球していれば良かったけど、今は1~8番まで気が抜けない」となる。実際、クルーン投手の162km/hのストレートを日高剛選手がスタンドに叩き込むくらいには、レベルアップしているということだ。

2010年2月16日火曜日

日本サッカーの課題は、純粋に『お金』の問題

一昨日のサッカー日本代表の惨敗を巡って、サッカーマスコミがいつものようにガヤガヤ騒いでいる。曰く、「監督を替えろ」「決定力不足」「フィジカルの弱さ」……etc。たぶん、どこのblogでも言われていることだろうけど、こんなことはずっと前から言われていることでしょ? いまさら言い募ったとこでどうなるの? いえば決定力がつくのかね?

決定力不足なんて、「ペナルティエリアに入ったら、とにかくシュートを打つ」とかって決めておいて、ポンポン打てばいいんじゃないの? てか、野球でもバットを振らなきゃなにも始まらない――バットに当たりさえすれば、エラー、悪送球などで出塁できる可能性が生まれる――ように、とにかくゴールに向かってボールを蹴り込めばいいんじゃないの? ダイジェストで見た韓国の2点目みたいに、相手ディフェンスに当たって上手い具合に得点できるかも知れないんだし。

監督? トルシエでいいじゃん。今のところ日本代表監督として一番の実績を残してんだし。

フィジカルの弱さについてはしょうがない。だって、日本のスポーツエリートの第一選択競技は野球であって、サッカーはそこからあぶれた人しかいないもの。もし、松坂大輔投手やダルビッシュ有投手みたいなのが幼少時からサッカーをやっていたとしたら、多分、今頃は日本代表の中心として大車輪の活躍をしてたんじゃないかなぁ。サッカーじゃぁ180cm以上もあれば大型選手だけど、野球なんてごろごろいるし。

じゃぁどうして野球にスポーツエリートが集まるのか? 
といえば答えは簡単で「一番儲かるから」

野球の場合、レギュラーになれば億単位、一流になれば数億円、超一流になれば十数億円の年俸が稼げる。一流になれば解説者で飯が食える(最近は不況でそうでもなくなってきたけど)。コーチの年俸は数千万円だ。

サッカーの場合は、レギュラーになれば千万円単位、一流になれば数千万円、超一流になれば億単位の年俸が稼げる。一流でもタレント性がなければ解説者では飯が食えない。コーチの年俸は数百万円だ。

ほかにも甲子園の存在、練習環境、社会的認知度など様々なファクターがあるが、つきつめれば、「どっちの方が稼げるか?」に尽きる。実際ケタが違うもの。結局、金の集まるところにしか才能は集まらないってこと。

だったらどうすればフィジカルの弱さを克服できるのか?

一番の近道は「Jリーグ各チームが年俸を上げる」ことだけど、自治体から税金を投入されるような青色吐息のチームもあるなかで、こんなことを要求するのは非現実的だよなぁ。年俸を上げるためにはスポンサーを集めなきゃならないし、そのためにはスポンサーへの説得材料として視聴率を上げなきゃならないし、そのためには魅力的な試合をするために良い選手を集めなきゃならないし、そのためにはお金が……。現状では八方塞。

80数年後――Jリーグが始まったときに100年計画といってたからね――にどうなっているかはわからないけど、結局のところスタートから企業スポーツ化にしておくのが一番の近道だったのかも。もっとも、この不況が固定化しているような経済状況では、いまさら地域密着から企業スポーツ化へと路線変更したところで成功はおぼつかないだろうけど。

以上、サッカーについて「ウイイレ5か6、あとサカつく3とかで遊んだ」くらいの知識しかない素人の意見ですた。

2010年2月15日月曜日

朝ズバッ! 落合インタビュー

みのもんたの朝ズバ! でキャンプ取材特集。中日の落合博満監督インタビュー(1分くらい)が流れていました。

アライバコンバートについて、「これは一度もマスコミに言ったことないんだけど」と前置きしたうえで、

・彼らにもマイナスはある。
・それをコンバートにより一回リセット、ゼロに戻したい。
・そうすることでより彼らの良い面が出てくると思う。

とのこと。

今年のキーワードには「監督」と一言。その意図は「俺が変わらなくちゃならない。監督本来の仕事をしなくちゃならない」と。要注意球団は広島と横浜という。

いろいろと突っ込みどころの多いインタビューだったなぁ。

WBC連覇の理由?

日本プロ野球(NPB)とメジャーリーグ(MLB)のレベル差について考えていたら、とある人に言われたことを思い出した。

「NPBとMLBのレベル差は縮まってきている。WBCだって二連覇したではないか!」

そりゃドミニカもアメリカも“ドーピング組”が参加していないもの。彼らが参加していれば、ここまでスイスイ勝てたかどうかは疑わしいんじゃないかなぁ――と言いたかったけど、時候の話題でややこしいことになっても面倒くさいので、「確かにそうかも知れませんねぇ」と流しちゃったけど。

NPBでは誰がやっているかって? 明確な証拠のないことにはなんともいえません。

でも、ハッキリと使用を公言しているボディビルダーやWWEのプロレスラーの身体つきを見れば、ステロイド使用者に特徴的な体型――例えば首周り、上腕の筋肉が異常に盛り上がっている――はわかる。兵頭二十八師の『日本人のスポーツ戦略―各種競技におけるデカ/チビ問題』によれば、千代の富士のような上腕の筋肉は、一日何百回腕立て伏せをしようと絶対につきようがない類のものらしいし。

ともあれ、国内でトップレベルの選手(タイトルホルダー級)であるにも関わらず、オリンピック、WBCを国籍以外の問題で辞退している選手は、どう考えても怪しいでしょう。王貞治殿なんて無礼極まりない手紙を出した人とかね。

2010年2月14日日曜日

MLBとNPBのレベル差

高橋尚成投手がメッツとマイナー契約を締結したとのこと。FA氷河期真っ只中のメジャーリーグだけに、条件はどうあれ無事契約できて良かったというところかな。

巨人時代の成績がズバ抜けていないことや、そのキャラクターに対する印象――祝勝会でケツを出したり、年俸更改の席で「中継ぎに勝ちを消された」といったことを報じられたり――の悪さもあってか、メジャーで大活躍する! と予測する人はほとんど皆無に近い。実際、高橋投手よりも遥かに素晴らしい成績を残した井川慶投手が、現時点においてメジャーで通用していないことを考えると、

“ケツ”(高橋投手のこと)ごときがメジャー? m9(^Д^)プギャー

とバカにする人の意見にも首肯せざるを得ないんだよなぁ。

全く個人的な主観だけど、メジャーリーグ(MLB)と日本プロ野球(NPB)のレベル差は、「日本プロ野球の一軍と二軍の差に等しい」と思っている。いうまでもなくメジャーが一軍で、プロ野球が二軍だ。

いうまでもないことだけど、二軍で“圧倒的な成績”を残した選手は、一軍で活躍する可能性が高い。もちろん芽が出ない=二軍の帝王で終わる選手もいる。ただ、一つだけハッキリしていることは、「二軍で“好成績”を残しただけの選手では、一軍レギュラーの壁を破るのは相当難しい」ということだ。

この関係性を日本人メジャーリーガーに当てはめてみると、

イチロー選手:NPBで7年連続の首位打者。
野茂英雄:NPBでルーキーイヤーから4年連続最多勝。
松井秀喜選手:NPBで3度の二冠王と1度の首位打者。

文句なく成功したといえる3人は、NPBで長きに渡って圧倒的な成績を残していた。2年連続2ケタ勝利を記録した松坂大輔投手や、3年間チームのクローザーを務めた佐々木主浩も、NPBでは圧倒的な存在だった。

でも、これ以外の選手となるとMLBで文句なく成功したとは言い難い……と思う(NPBで期待の若手だった大家友和投手は除く)。いずれもNPBのタイトルホルダーであったり、チームの主軸であったりしたけど、上記5人のような圧倒的な存在ではなかった。つまり、二軍(NPB)で“好成績”を残しただけの選手ということだ。

彼らのMLBでの役回りを見れば、「ローテの一角」「中継ぎ」「レギュラー」だったりするけど、チーム内での選手の序列で、間違いなくベストテンに入っている! と言い切れる選手はほとんどいないんじゃないかな?

こうして見ると、二軍で.300程度、二軍で防御率3点台の選手の多くは、エレベーター選手だし、よしんば一軍に定着してもレギュラーを張るまでには数年かかることが多い。というかチームにケガ人がいなければ一軍に昇格できないことの方がほとんどだ(いうまでもなく例外もある)。

でも、二軍で年間通して.350近く打っている、1カ月近く.400以上を打っているor防御率0点台を記録しているような選手は、すぐ一軍に昇格するし、その後、活躍するケースも多い(こちらも例外はある)。

で、この図式に高橋投手を当てはめてみると、どう考えても「MLBじゃ無理!」という結論しかでないんだよなぁ。

ともあれ、手前が主張する「NPB選手のMLBでの成功率は、NPB時代の成績に比例する」という“定説”も、岡島秀樹投手が既に打ち破っている(ただし、NPBで最後に在籍した日本ハム時代の成績は素晴らしかった)ともいえる。それに高橋投手は左腕だし、比較的コントロールも良いし、ああいうスクリューボールを投げる投手はMLBでは珍しそうだし、なんだかんだで経験豊富だから投球術も磨かれていそうだし……。

実際のところはどうなるかわかんないか? って無責任だねぇ。

2010年2月13日土曜日

平成の脱税王、現る!

「10何億のうち6億も、仮想隠蔽があった7年前に遡って払うってことは脱税なんですよ。知ってたか知らないかは関係ないんですよ。修正申告は出してんでしょ? 脱税なんですよ。重加算税もきますよ。脱税なんですよ」
「平成に入ってからこんなに多額の税金を脱税した人はいないんですよ。まさに平成の脱税王なんですよ」

以上、与謝野馨代議士の鳩山首相に対する突っ込み。それにしても昨日の国会中継は本当に面白かった。こういうのを生で見られるのが「ヒマな自営業」でいる唯一のメリットかも。NHKのカメラワークも、甲子園中継以上にハイレベルなものだったし。

http://www.youtube.com/watch?v=UklNWAjxYqw

上記突っ込みは2:45あたりから。これまではお行儀の良い野党――仮にも政権の中枢にいたんだから社民党とか共産党みたいな無責任な批判なんかできないわな……――ってな感じだったけど、昨日の与謝野は「お前、社民党だろ!」ってくらいに野党らしい野党の突っ込みをしてるなぁ。

参院選で勝とうが負けようが民主党は決して解散しないだろうから、自民党はこのまま野党路線を突っ走ってもいいのかも。ともあれ仕事ができる人は質問をしても面白いというのは“定説”にしてもいいんじゃないでしょうかね。

それにしても“平成の脱税王”ってフレーズを聞くと、政治家が言葉の商売ってことが良くわかる。こういう民主党を擁護するサイドにとっても使わざるを得ないキャッチーなフレーズを、ああいう場で効果的に披露するのが与謝野の腕なんでしょう。すでに海外でも「king of tax evasion」って報道されてるし。

・海江田万里ごときに負けるヘタレ
・財政政策に超詳しいだけのジジイ

昨日のコレで認識を改めますた。
「鳩山兄=脱税王」のレッテルはなかなか剥がせないだろうなぁ。

2010年2月12日金曜日

日本プロ野球に八百長はない……と思う

台湾野球の八百長事件で、中込伸(阪神)と張誌家が起訴された。台湾野球の八百長は、タイにおける軍部のクーデターと同じくらい、アジアにおける定例イベントとして定着した感がある。ただ、日本人が起訴されたのは今回のケースが初めてじゃないかな。

どういう事情――台湾ヤクザに脅されていたとか――があったかはわからない。でも、話を持ちかけられた時点でケツまくっても良かったんじゃないかなぁ。台湾球界の規模を考えれば、八百長の報酬はせいぜい百万円前後だろう。これで残りの人生を棒に振るのは、あまりにも割が合わない。八百長に関わったとなれば、日本に戻っても仕事はない。独立リーグや少年野球のコーチ、スポーツ店経営なども全てペケ。阪神時代の後援者にすがるのも難しいでしょう。

日本では八百長はないのかって?

多分、ない。黒い霧事件で痛い目を見ているし、何より選手の年俸が高いもの。

もし、八百長を成立させるのであれば、ピッチャーであればローテ級かセットアッパー、クローザー。野手であればレギュラー級を買収する必要がある。年俸を基準で見ると、いわゆる“一億円選手”クラスというところだろう。このクラスの選手でなければ試合の帰趨を左右できないからだ。

で、黒い霧事件当時における“一億円選手”の年俸水準はどうだったか? 答えは一千万円。西鉄のエースだった池永正明の年俸である。村山実(阪神)も江夏豊(阪神→南海→広島→日本ハム→西武)に、「一流なら給料袋が縦に立たなあかん」(百万円の札束が10個になれば縦に立てられる)といってたし。

池永正明が預かったとされる金額が百万円で、年俸の1/10。現在よりも遥かに野球賭博が盛んだった時代でさえ、買収金額はこの程度だった。となれば、西日本で細々と続けられている現在において、一人の選手を買収――八百長を成立させるためには、当然複数の選手を買収しなければならない――するために数千万円も出せるとは考えにくい。

といっても、野球賭博とは違った次元でヤオっぽいことはあるのかもしれない。

「『俺の前にゴロを打ってこい』 サード前にゴロを打つと、深く守っていた●●さんはファンブル気味に一塁へスローイング。内野安打となった。おもしろいもので、スランプの打者は1本のヒットで目が覚める。お陰でプロ入り初の3割を達成できた」
「当然“お返し”がある。●●さんの打席、ファーストの俺もわざと深く守り、セーフティバントにダッシュが遅れたフリをした。お互いにヒットを1本ずつを稼いだのである」

これは愛甲猛(ロッテ→中日)の自伝『球界の野良犬』に描かれたエピソードだ(ちなみに●●は自主規制。著書には実名で書かれている)。これも20年前の出来事なので、現在はどうなっているのかわからないけどねぇ。

2010年2月11日木曜日

私の真実、東尾修:その3

「『百パーセント、選手を統轄しておかないと気が済まぬ人』というか、『すべて自分の考えに選手をあてはめ、従わせようとする人』とでもいえば、いいだろうか。~~中略~~バケツいっぱいの水を運んでいくとき、ひとしずくのこぼれも許さない……そんな感じだった」(145頁)

東尾による広岡評だ。これに続いて、小中学生でもわかる基本を70項目列挙した「必勝法」「必敗法」を繰り返し読ませる。悪名高い玄米食、黒砂糖、岩塩、干しぶどう、加えてアルコール抜きの食事。遠征先でのポルノビデオ禁止……。いわゆる『管理野球』の実態が切々と綴られている。

最初の激突は、82年6月2日。後楽園での対日本ハム戦で東尾がエラー、そのまま敗北したことに端を発する。

「『あのプレーが、チームのムードをガタガタにした』という広岡監督の酷評。それだけならまだしも、“ヤオチョー的”という、プロ野球選手に対する最も屈辱的な発言さえ、活字にしている新聞もあった。それを見た瞬間、カッと頭に血がのぼった。この発言だけは許せないと思った」(152頁)。

その後、東尾に登板機会は与えられなかった。チームはたびたび連敗を続け、6月12日、ついに首位陥落の憂き目にあう。この試合後、監督、コーチ抜きのミーティングが行なわれ、森昌彦(現祇晶。巨人)コーチを吊るし上げることで選手が団結。東尾自身は6月17日に登板、勝利した。その後、チームは前期優勝→パリーグ優勝――東尾にとって初めての優勝――を達成。

「“やっぱり、これだけ徹底しないと優勝はできないものなんだな”と、広岡監督という人の戦い方を認めなければしょうがないか、とは思った。これは好きとか、嫌いというような問題ではなかった」(166頁)。

と、認めるにいたる。ここでこれ以上広岡の“ツンの成分”が炸裂しなけば、一人の野球人として互いに実力を認め合う大人の関係を構築できていたのだろう。しかし、広岡の“ツン”はこんなものではなかった。

以下、東尾の“受難”の歴史を辿ってみよう。

・いきつけの寿司屋で「オヤジ、明日投げるけど見に来るかい?」って誘ったら、なぜか広岡が知ることになり、登板日漏洩ということになっていた。

・前半戦で9勝したのにオールスターで監督推薦されなかった。

・その理由に「東尾が調子が悪いようだし」「週刊誌の問題(丁度、梓みちよとの密会が報道されていた)もあるし」ということにされた。

・肩痛が深刻なので「一度だけローテーションを飛ばしてもらいたい」と頼んだら、登板拒否とされ、広岡が良く知る諏訪の治療所にいかされた。

いまであれば、どこかの時点でトレードに出されていることだろう。これら一連の“受難”も、広岡にいわせれば、天狗になっていたベテランのケツを蹴り上げ、怒りを誘発させ、そのエネルギーを試合で発散させることにより、個々の選手の持つ能力を最大限に引き出すため――ということなのだが……。ときどき“デレ”なところを見せていれば良かったのだろうけど、東尾に対しては直接“デレ”ることはなかったようだ。

東尾を前に“デレ”たのはただ一度、83年の日本シリーズでのことだ。

5試合を終え、2勝3敗で巨人に王手をかけられた試合後のミーティングの回想。

「広岡監督は、ミーティング・ルームに黒板を持ち込んできて第一戦からの両チームの投手をずっと書き並べ、ゲームの流れを書きこんでの説明のあと、いった」
「『七戦までいけば、絶対にウチは勝つことになっている。間違いない、ウチは勝つんだよ』 そして、つけ加えた。『こんなにみんなが集まったいいチャンスだ。カラオケ大会でもやるか』」
「選手に気をつかったというか、なんとか笑わせようとした姿に“あ、この人も追い込まれているんだな”ということがよくわかった。~~中略~~広岡監督という人間が、初めて選手にみせた笑顔だった」(195頁)

このぎこちないギャグ(?)。まるで堀内恒夫(前巨人監督。巨人)の「ペヤング」(わからない人は、「堀内 ペヤング」でググってください)のようではないか。こうして精一杯“デレ”た結果、西武は巨人を倒し、日本一となった。

結局、東尾は現役のあいだは広岡を許すことができなかったようだ。しかし、引退後は、「オレもオッサン(田淵)もこうしていろいろ言っているけどね、広岡さんを監督にしたのは大正解。いい勉強をさせてもらったよ」(西武ライオンズ30年史。Wikipediaより引用)と態度を軟化させている。自ら監督を経験し、初めてトップの苦悩を知ったことが、広岡に対する見方を変えさせることになったのではないだろうか?

と、いろいろと書いていったらどうにも収拾つかなくなりそうなので、『私の真実』については、とりあえずここで打ち止め。福本豊(阪急)との対決とか工藤公康との邂逅とか、面白いエピソードがまだまだたくさんあるんだけどね。

あ、最後に一つだけ。東尾は75年のオフに巨人とトレード寸前になってるんだけど、そのときの交換要員は、「野球ファンなら誰でも知っているエースと俊足で有名な外野手。そのどちらかとの一対一」とのこと。恐らくは高橋一三(巨人→日本ハム)と柴田勲(巨人)でしょう。結局、東尾の後援会サイドが強硬に反対して流れたんだけど。

もし巨人が、柴田とのトレードで東尾を獲り、高橋で張本を釣っていたら、上手い具合にV9ナインとの世代交代と投手力強化ができて、もう少し早く藤田巨人時代のような常勝チームになっていたのかも。

といっても、監督がアノ人では全然変わらなかったかも知れないけど……。

2010年2月10日水曜日

私の真実、東尾修:その2

「たしか西京極球場での対阪急戦だった。一死三塁。おあつらえむきの場面がきた。ファウルで2ストライクと追いこんでおいて、次に1球、まず内角へシュート。この“ボール球にするシュート”がマキ餌だ。“さあ、シュートだよ”と1球、打者に見せておく。そこで、内角からのスライダーだ」
「打者は、“あ、またボールになるシュートだ”と思っている。……すると、球はそこから真ん中へサッとスライドして「ストゥライクッ」。やったね――てなものである」(104頁)

東尾修『私の真実』からの抜粋だ。江川卓(阪神→巨人)が「この球は右投手にとって相当、高度なテクニックを必要としますからねえ」と評し、東尾のピッチングの幅を広げる契機となった、「一死三塁で犠牲フライを打たせない投法」を初めて決めた日の回想である。

こんな講談調ライクな語り口で、ときに高度な技術論を、ときに過去の秘事を綴っている――これこそが、同書の一番の魅力だ。

もう一つ、落合博満(中日監督。ロッテ→中日→巨人→日本ハム)との対戦を振り返るシーンを見てみよう。

「フォームをおこす。バックスイングから右腕がしなって出ていく。落合がかまえる。私の球を待つ。“打ち”に入る。そこで私の右腕は粘りに粘る。ほかの打者に対して投げるよりもひと呼吸もふた呼吸も私は右手に球を残す。つまり“球離れ”を遅くして、落合君の体の崩れを待つのだ。向こうが私の“球離れ”を待ちきれずにバットを出してくるか、私が粘りきれず、向こうの構えの中に引きずり込まれていくかの“がまん比べ”といってもよかった。お互いが、そういう中でコースや球種を読み合った」(180頁)

この緊迫感。しびれるではないか。

・てか、リリースポイントが定まらないのに、ちゃんとコントロールできるのか?
・精緻なコントロールに比べて異様に多い死球は、これが原因だったんじゃね?

と思わなくもないんだけど、東尾クラスの技術をもってすればどうにかなる……のかも知れない。

死球については、同書でも章を割いていて、

「この際だから少し詳しく説明しておこう。ひと口に『デッドボール』というが、若く元気いっぱいの頃の死球と、速球が投げられなくなり“ゆるい球”で勝負するようになった頃の『死球』とでは、まったく意味が違ってきているのだ」
「相手打者は、こちらのそういう“衰え”を知っているから、“スライダー狙い”で思い切って踏み込んでくる。しかし、私の側からいえば“東尾はシュートで勝負してこない”と甘くみられたくない」
「打者が思い切って踏み込んできたときとその“見せ球”のシュートが合致するときが、後年の私のピッチングにおけるデッドボールなのだ」(202~203頁)

としている。まぁ、自分の言い分という奴だろう。

実際には最初からぶつける意図でぶつけたものもあっただろうし、自分より目下のバッターであればぶつけても怖くない(ぶつけられた側も、東尾のことを周辺の人間関係も含めて“良く知っている”ため下手に殴れない)ということもあっただろう。結果、球界のしきたりもヤクザも怖くないディック・デービスにボコボコにされ、そのシーンが「宮下をKOするクロマティ」とともに珍プレー好プレーで繰り返し放映されることになったんだけど。

こんな具合に激動の野球人生と技術論が綴られた同書のクライマックスこそが、広岡達朗との確執なのだ。

2010年2月9日火曜日

私の真実、東尾修:その1

「どんな話にも3つの側面がある。相手の言い分、自分の言い分、そして真実。誰も嘘などついていない。共通の記憶は微妙に異なる」――とは、映画プロデューサーであるロバート・エヴァンスの言葉。自伝映画である『くたばれ! ハリウッド』の冒頭に流れるメッセージで、これを免罪符に「ボブにとっての真実(これが一々胡散臭く面白い)」を写真と語りで綴っていたものだ。

さて、プロ野球選手の自伝は数多くあるが、多くの場合、そう面白いものではない。一歩引いて見れば、野球が上手いだけのおっさんによる“オレさま語り”でしかなく、ある意味、ヤンキーの「オレも昔はヤンチャだったけどさぁ」という類の与太話と同じものだからだ。

加えて、少しでもイイ人に見せようと言葉を飾ってしまったり、ライターにまかせた結果、妙にこじんまりまとまった内容になってしまったりするものだから、読んでいて「何でこんなモノのために貴重な時間を使っているのか!」と腹を立ててしまうものも多い。

そんなプロ野球選手の自伝だが、全てがつまらないわけではない。というか、面白い本は底抜けに面白い。具体的にどんなものが面白いのかといえば、言葉を飾らず思ったことを書いたものであり、本人の人柄がにじみ出る文体でグイグイ読ませるものだ。最近では山﨑武司選手(中日→オリックス→楽天)の『野村監督に教わったこと』(講談社)が面白かった。前中日監督で山﨑をトレードに出した山田久志(阪急)に対する恨み節は“ガチ”で、読んでいてハラハラしたものだ。

「だったら、そんな本を一冊薦めてみなさいよ!」と問われたなら、迷うことなく東尾修『私の真実』(ベースボール・マガジン社)を推薦する。

・70年代からの野球ファンには「トンビ」
・80年代からの野球ファンには「ひかしお」
・90年代からの野球ファンには「酔っ払い解説者」

そして、ここ1~2年から見始めた野球ファンには、「石田純一の婚約者のパパ」として知られる東尾の唯一の著作が、この『私の真実』だ(そういえば松坂大輔選手が西武に入団する際、当時監督だった東尾がこの本を贈ったなんてこともあったっけ)。

なぜ、こんな『私の真実』なんていう大仰なタイトルなのか? 

東尾の現役時代をリアルタイムで知っている世代にとっては自明のことなんだけど、最近のファンにはわけがわからないことだろう。

というわけで少し補助線を引かせてもらうと、

・妻子持ちでありながら梓みちよと不倫していた
・広岡達朗に「八百長やってんじゃねぇか」と名指しでいわれた
・死球を与えたディック・デービス(近鉄)にボコボコにされた
・87年のオフにヤクザと一緒に麻雀賭博をやって書類送検された

など、かなり豪快な野球人生をおくってきた選手だったという事実がある。

で、こうした豪快なエピソードはマスコミにとっての真実であって、自分の言い分はこういうことなんですよ――という意味を込めたのが、このタイトルというわけなのだ。

2010年2月8日月曜日

日本三大ツンデレの一人、広岡達朗

広岡達朗が早稲田大学野球部の次期監督として有力視されているそうだ。

「巨人の名ショートとして鳴らし、コーチとして赤ヘル軍団の基盤を作り、監督として弱小ヤクルトを初優勝に導き、常勝西武を産み出した野球人」が、ロッテGM退任以降、ようやく輝かしい名声に相応しい地位を得るのだなぁ……と感慨を覚えた。なにせ、ここ10年近くはラジオの解説、夕刊フジへの寄稿くらいでしか目にしなかったもの。

でも、本当に早稲田の次期監督に就任するのかな? 以前、日本代表の監督を打診されていたものの、就任直前に日本野球連盟の故山本英一郎会長に「私の生活保障はどうなりますか?」(意訳すると「もっとギャラよこせ!」)といって破談になったこと――ソースは豊田泰光(西鉄→サンケイ)の本だけなので悪しからず――があるだけに、今回も無理をいって破談になるんじゃないか? そもそも高齢者が監督になることには否定的な考えじゃなかったっけ?

と、まぁいろいろといっているけど、現在のような地位に甘んじてしまっている根本的な原因は、彼自身のキャラクターなんだよなぁ。

広岡のキャラクターは、一言でいうと『ツンデレ』だ。それも古今東西で最も“ツンの成分”の多い強烈な『ツンデレ』である。日本三大ツンデレ――これは山崎浩子が統一教会を脱会するときに発表した手記を、週刊文春が「日本三大手記」と称したのと同じ意味であって、「残り二つはなんだ!」といってはいけない――といっていいだろう。

絶対に人を褒めない。徹底的に貶す。それも面と向かってではなくマスコミやコーチを通して人格否定レベルの言い方で貶す。これだけなら同じく『ツンデレ』な野村克也(前楽天ゴールデンイーグルス監督。南海→ロッテ→西武)と同じだが、その“デレの成分”の量は全然違う。敢えていえば、広岡がフラスコなら野村は琵琶湖というくらいに違う。

これほどに強烈な『ツンデレ』なので、周囲の人々から「いけ好かない奴」「最低の人格」「絶対に許せない」と指弾され、手に入れた地位も、最後には石をもって追われてしまっていた。

そんな広岡と最も苛烈に対峙したのは誰か?

川上哲治?
森祇晶?
ボビー・バレンタイン?

いずれも仇敵のような関係になったけど、それ以上に抜き差しならない関係になったのは、西武監督時代にエースとして働いた東尾修(西鉄→太平洋→クラウンライター→西武)ではないか、と考えている。

では、東尾は広岡をどのように見ていたのか? 二人の対立はどのようなものだったのか?

その答えは、東尾が引退直後に上梓した著書『私の真実』にある。

兵頭二十八師参加のシンポに行けず大後悔の巻

2/6に開催された日本安全保障倫理啓発機構(JSEEO)の設立記念シンポジウムにおける兵頭二十八師の演説骨子が、『兵頭二十八ファンサイト半公式』放送形式(兵頭師のblog)にアップされた。

参加費¥3000。これが払えず参加を断念したんだけど、この骨子を読んで大後悔。「所詮シンポジウム。独演会じゃないんだからつまんないはず」と、腐ったぶどう思考で強がっていたのに……前回、前々回の講演会並みに面白いじゃん!

ちょっとだけ引用させていただくと、

~~~~~~~(以下、引用)~~~~~~~

米国は共和主義国。
昔からの君主を否定する主義。
その主義上の親近性あるがゆえに彼らは、君主のもとで固い結束を誇る日本人民を弱体化させて占領政策を容易にするためとあれば、ソ連の手先と分かっている共産主義者を駆使することに躊躇しなかった。
もしGHQの戦後占領政策に、日本政府がまっこうから反対を唱えるようなことがあれば、米国は、いつでも、日本国内で共産主義者が指導する暴動を敢えて取り締まらせないことによって、天皇制を破壊してしまうことができた。
天皇を人質にとったこの脅しに、戦後の日本政府は屈した。

~~~~~~(以上、引用終わり)~~~~~~

なぜ、イラク(その他、占領された国色々)で占領政策が上手くいかないのか?
逆に、どうして日本ではかくも上手に占領政策が進められたのか?

上記引用は、その答えの一端です。より詳しく知りたければ全文を読んでみてください。さらに詳しく知りたいなら、兵頭師の著作を読んでみてください。

~~~~~~~(以下、引用)~~~~~~~

しかし、三韓といわれた新羅、百済、高句麗のうち、最も対馬に近く最もシナ本土から遠かった新羅が、シナ本土勢力と結託してさまざまな対日工作を仕掛け、特に筑紫地方や山陰地方の土着勢力に大和朝廷への反抗をそそのかしていたと想像することは、古今東西の地政学の常識と矛盾しない。
この問題意識が共有されていたからこそ、『日本書紀』には 大掛かりな神功皇后の三韓征伐のエピソードが記載されることになったのだ。

~~~~~~(以上、引用終わり)~~~~~~

どの教科書にも載ってないし、どの歴史書もここまで断言していないので、「本当かぁ?」と思われることだろう。でも、地政学の“さわり”を知り、他国の歴史(イギリスとフランスとの関係など)を通り一遍調べてみるだけで、上記引用のような見方にも「一片に真実があるのだろうなぁ」と思えるはずだ。

2010年2月7日日曜日

プロ野球選手とOBの敬称について

書いていて気づいたので、一応、当blogでの表記ルールを書いておきます。

・現役選手について書くときは、名前の後ろに「選手」をつける。
・OBについて書くときは、「敬称略」とする。

本当ならOBにも敬称をつけたいところだけど、引退した時点でプロ野球選手としては“故人”であり、手前にとっては全員レジェンドです。なので、夏目漱石や福沢諭吉に「さん」とか「先生」をつけないように、OBの敬称は敢えて省略しています。

……け、決して一々、「監督」「コーチ」「解説者」「氏」と書き分けるのが面倒だから省略してるんじゃないんだからねっ!

90年代最高のセカンド、辻発彦

「辻は捕ってからが早いんだ」とは、とんねるずの石橋貴明の言葉。辻って誰かって? 常勝西武のセカンドの辻発彦(西武→ヤクルト)に決まってるじゃないですか! 現在、中日ドラゴンズの総合コーチを務めている辻が引退後に上梓したのが『プロ野球 勝つための頭脳プレー』(青春出版社)。BIG tomorrowの出版社だけに、アオリが無駄に派手――「野球通も脱帽!」「その一球のウラに何が隠されているのか!」……etc――だったりするんだけど、その内容はアオリ以上に素晴らしく充実している。

プロ野球選手が引退直後に出す本は、一般に自伝(というかオレさま語り)的内容が大部分を占めていて、その選手のファンでなければそれほど面白いものではない。が、同著は全219頁のうち自伝は終章の22頁に過ぎず、それ以外のほとんどはプレイ解説に当てられている。その解説の面白さたるや……中見出しからシビレるフレーズを列挙してみると、

・“野球のセオリー”――この言葉の真の意味
・ひとつ先のアクシデントまで「予測」したプレー
・速球派に対して、僕があえてバットを長く持った理由
・一瞬の隙をつくプレーの裏にある「膨大な時間」
・状況によって、グラブのどの部分で捕るかも変える

この全てについて、自らの経験に裏打ちされた確かな理屈があますところなく紹介されている。

「タッチプレイのときは敢えてグラブの網の部分で捕る」
「セットポジションに入ったらどこが最初に動くか? このクセがわかれば投手が足の向きを変える前に投球か牽制かがわかる」
「力投型には、投球後に体制が崩れる投手が多いので、バットをやや長めに持ちヘッドをぶつける感じで投手の足元を狙った」

こんな解説が特盛で盛り込まれているんだから、野球ファンであれば読んで面白くないわけがない。一読したら必ず薀蓄として使いたくなるはずだ。

さて、辻といえば華麗かつ堅実なセカンド守備ばかりが注目されがちだが、実のところバッティングも素晴らしかった。西武時代に首位打者を獲り、晩年のヤクルト時代にも.333を記録している。そんな辻の打撃論はどのようなものか?

バッティングに当たって辻が最も注意していたポイントは、足を上げてタイミングを取る際の「軸足の壁」だったという。

「左足を上げて軸足に引きつけるときには、どうしても右足がグラグラしやすい。重心を右足に移しながら一本足で支えるため、安定がなくなり、キャッチャー側に体が流れてしまう」(109頁。都築による要約)
「膝がこれ以上キャッチャー寄りに流れないように、置いた右足のつま先を外側(キャッチャー寄り)にグッと力を入れておいて、内側に絞るのだ。こうすると、右足にいくら重心をかけても膝は崩れない」(109~110頁)
「この構えができていると、ピッチャー側からは、右膝から足のつけ根にかけてユニホームがねじれて見える。~~中略~~フォームをチェックするときは、このユニホームのズボンがねじれているか、ゆるんでいるかを見ていた」(110頁)

正直いってバッティングにはそれほど細かいほうではなかった――という辻にして、ここまで拘っていたのだ。

辻といえば「右打ちの名手」「ファール打ちの名人」――いまで言えば中日の井端弘和選手のようなバッティング――と称されていたが、当人に言わせれば、「ファールになっちゃったというか、上手くファールにすることができた」という感覚に近いという。140km/hを超えるボールを「ちょっとカットしよう」くらいの意識から小手先で当てにいったのでは、ヘッドが返ってしまい、ボテボテのピッチャーゴロになるとのこと。

であれば、「ここは上手くカットしましたね~」とかしたり顔で言っている解説者(例えば中畑とか中畑とか中畑とか)は、どんだけ凄いバッティング技術を持っていたんでしょうかね?


2010年2月6日土曜日

現役最高峰の配球論、工藤公康

工藤公康投手といえば、いわずと知れた現役最年長プロ野球選手だ。何の変哲もない背番号47を、自らの腕一つで「サウスポーの代名詞」にまで高めた伝説の男――なのだが、手前にとっての工藤公康投手は、「ファミスタのキャラで唯一の現役選手」だ。生ける伝説というよりは、「わたなへ」と「かく」を繋ぐ中継ぎとしてフル回転していた親しみやすいキャラクターという印象が先に来る。

そんな工藤投手の著作は、現役最年長だけに数多くあるが、一番読み応えがあるのは『47番の投球論』(ベスト新書)だろう。

タイトル通り投球術について多く取り上げている同書。「人間の投げ方には2種類しかない」「ステップは4種類」など、投球に対する持論も面白いが、一番の読みどころは第3章(僕の配球論~打者を見る『眼』)だ。

・(配球のうえで)最も大切なのはバッターの性格
・困ったときの外角低めは、現在では有効性に乏しい
・キーを作ってはならない
・消せる球、消される球

「(昔は「困ったときの外角低め」で窮地を乗り切れることも少なくなかったが)もう時代はそうはいかなくなりました。先にも触れましたが、一番の大きな理由は“飛ぶボール”や改良が加えられた“飛ばすバット”による「ピッチャー受難の時代」だからです」(84頁)

「(内角を見せて外角で打ち取るという配球がまかり通っていた時代もあったが)そんな配球はバッターにはお見通しで、完全に読みきられてしまっているわけです~~中略~~いまや種が明かされてしまった手品のような状態にあり、そうなってしまった以上、配球としては有効性に乏しいということです(85~86頁)」

「たとえばフォークボールを勝負球にしているピッチャーが陥りやすい攻め方ですが、カウントが2-1や2-2からフォークを投げて空振りの三振か引っ掛けさせて内野ゴロを意図した配球があります。しかし、もうほとんどのバッターはその手にのせられて振ってはきません。その攻め方が“キー”だからです」(87頁)

長いプロ生活で培った経験から導き出されること、そして何より現在のプロ野球の最前線で戦っているからこそわかること――とくに「困ったときの外角低め」というセオリーを理詰めで否定している点――をベースに論じられた配球論は、古臭いOBの自慢話とは一味も二味も違う深さがある。

99年の日本シリーズ(ダイエーvs中日)での関川、ゴメス、立浪との対戦を例に配球を語る下りは、単純に読み物としても無類の面白さだ(城島選手がどうやって成長していったのかも良く分かる)。

2010年2月5日金曜日

愛すべき男、仁志敏久

仁志敏久選手が引退危機とのこと。

「ベイで二軍に落ちたときに、慰留を突っぱねて引退すりゃ良かったのに」
「最下位チームでずっと二軍にいたベテランがメジャー? 笑わせるな」
「てか、野球やりたいなら台湾いけよ」

と言いたいところだけど、心のどこかでは「そこまで言わなくてもいいじゃん」と思う気持ちもあったりする。自分より年上の男に言うのもなんだけど、憎めない男なんだよなぁ。

思ったことを正直に言わずにいられない性根、歩くプライドみたいな性格――アマ時代は実績に裏打ちされていたものの、プロ以降は実績の伴わないビッグマウスでしなかった――を持つ彼のキャラクターは、ハッキリいって鼻持ちならない奴でしかない。手前も一昨年までそう思っていた。

が、彼の著書『プロフェッショナル』(祥伝社新書)を読んで認識を改めた。以後、手前にとっての仁志選手は、愛すべきキャラクターへとクラスチェンジしている。

同書は、技術論、アマ時代、プロ時代の自伝、プロとしての心構えなどが210頁に渡って綴られたものだが、特筆すべきは野手の本であるにも関わらず、打撃についてほとんど語られていないことだ。全210頁中、打撃論に費やされているのは4頁だけである。守備には37頁も費やしているにも関わらずである。

その打撃論で彼は何を語っているのか? 
結論からいえば「よくわかんない」だ。

仁志選手曰く、打者には「自分の形で打つタイプ」「投手に合わせて打つタイプ」あるという。もちろん全ての打者が自分の形を大事にするが、自分の動作の中に投手の動作、投球を引き込むか、形はどうあれボールに合わせるかという分類である。そのうえで自らは「投手に合わせて打つタイプ」であるとしている。

「軸なども一定ではなく、少し前に流れながらボールにあわせるような打ち方」(61頁)

これが仁志選手の打ち方とのこと。普通、プロ選手の自著であれば、「軸をぶれさせない」「形を崩さない」と格好つけるものだ。で、極めつけがこれ。

(よくティーバッティングをするが)正直言って、その練習の中では自分のチェックポイントをどこに置くかがわからないのです。(61頁)

ここまでぶっちゃけてしまう彼の正直さに脱帽した。プロなら「グリップの位置がどうの」「インコース打ちはどうの」「軸足の置く意識はどうの」……というものだ。てか、ほとんどのプロ選手は、自著でこうした打撃論を展開している。そのなかには、格好つけのために、「慣れない理屈を展開しているのだろうなぁ」と思わせるようなものも少なくない。

そんな中途半端な打撃論を展開するくらいなら、正々堂々、「よくわかんない」といっちゃおうという仁志選手の素直さ、心意気に、手前はいたく感動したものだ。

で、そんな正直モノの仁志選手は、原監督との確執についてどう語っているのか?

該当部分を読んでの感想は、「いくら素直な仁志選手でも、このハナシだけは大人の対応をせざるを得なかったのだなぁ」

2010年2月4日木曜日

自己紹介代わりにやってみました

blogについてつらつらと調べていたら、はじめたばかりの人は自己紹介をするのが良いらしいようなので、100の質問をやってみました。

……が、やってるうちにあまりにタルくなってきたので30の質問に変更。

01.名前は? 都築有
02.性別は? 男
03.年齢は? 松商の上田と同世代
04.星座は? おとめ座
05.出身は? 雪国
06.仕事は? ニートに限りなく近い自営業
07.家族は? 独り者
08.顔の特徴は? ヒゲづら
09.身長は? コンマ1cmまでイチローと同じ
10.体重は? 80.5kg~81.0kgでウロウロ
11.足のサイズは? 25cm
12.好きな服装は? ダイエー&西友
13.好きな言葉は? みんな敵がいい
14.携帯のメモリー数は? 携帯は持ってませんが何か?
15.趣味は? 野球観戦。野球本収集。TVゲーム
16.好きな野球選手は? 四半世紀来の落合博満ファン
17.忘れられない“ガイジン”は? アイケルバーガー
18.忘れられない応援歌は? 呂明賜のテーマ
19.好きなTVゲームは? シヴィライゼーション4
20.尊敬する人は? とりあえず西郷隆盛
21.好きな食べ物は? 甘い物なら何でも
22.嫌いな食べ物は? トマトの種。漬け汁材料を使った漬物全て
23.コーヒー派? 紅茶派? コーヒー派
24.好きな銘柄は? モカシダモ。最近はグァテマラ
25.インスタントは? 香味焙煎
26.好きな漫画は? ワンダービット
27.プリンスより? リック・ジェームス
28.Braking the What? LAW!!
29.今度は? 戦争だ!
30.一体何が始まるんです? 第三次世界大戦だ!

民主党にとってベストのシナリオは?

やっぱりblogっていうのは最近話題のことを取り上げるのがマナーなんでしょうかね。
というわけで、最近話題の小沢一郎のハナシについて。


政界、マスコミに一切コネがなく、ソースのほとんどが新聞、テレビ、2chしかない手前ごときが申し上げるのもなんですが。


今日現在、小沢が考えていることは「参院選でいかに勝つか」しかないでしょう。
じゃぁ、民主党が勝つためにはどうすればいいのか? ベストのシナリオはこんな具合でしょうか。


・5月末――普天間の代替案が見つからないという理由で鳩山総辞職

・6月半ば―民主党代表選

・7月―――“クリーン”な新代表の下、参院選を戦う


それぞれの理由は以下の通り。

・鳩山が頭では参院選を戦うのは辛い。でも、いま辞めたら「カネで辞めた」というイメージがついちゃうから、普天間問題のグダグダがいい理由になる。


・選挙直前の代表選は100本のTVCMに勝る。

・“クリーン”といっても反小沢(現時点では野田、仙石あたり)を立てて勝たれたら、小沢の影響力が激減してしまうので、彼らを立てることはなさそう。結局、菅直人か。


普天間のハナシは、事実上「移転しないor辺野古移転」しかないわけで、結局のところいずれかを決断した結果、社民党、国民新党が連立離脱することになるのでしょう(この問題でモメたのは奴らのせいだ! ということにして)。で、参院選で単独過半数がとれれば万事OK。ダメなら公明党と連立でOKということでしょうか。


先のことを考えたら、ここで衆参ダブル選挙をやってもいいんだろうけどね。どうせ3年後には大敗するんだし、仮に参院選で負けたら「いつ解散すんだ!」って言われ続けるんだから。

え? 小沢は辞めないのかって? 仮に逮捕されたとしても、田中角栄と同じで全く影響力を失うことはないんじゃないかなぁ。物故すれば別だろうけど。

blogはじめました

いまさらながらblogをはじめます。
ごく私的な“日記”のようなものをやるのは初めてのことなので、なんとなく勝手がわからないけど、ぼちぼち更新していくつもりです。