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2016年4月27日水曜日

タイトルに騙された!

・だってタイトルに「立志伝」って入っているんだもの。そりゃどうしたって『太閤立志伝』を思い浮かべるわけでね……って、何のことかといえば『信長の野望・創造 戦国立志伝』のことですよ。オープンワールドゲームのはしりとでもいうべき大傑作『太閤立志伝5』を期待して、9000円払ってみたら、遊べるのがブラウザゲーム――フルプライスで1200円くらいのやつ――レベルのRTSでしかないというね。まぁ、値段分遊ばなきゃ損だからと思って、里見家の宿老として天下統一しましたよ。ええ。でも、もう一回プレイしたいとは思わないなぁ。

・と、愚痴っているのは、今年に入ってから『Winingpost8 2016』(フルプライス)、『ブレイドストーム』(半額)とコーエーテクモのゲームを購入して後悔したにも関わらず、「ま、今月は還付金が振り込まれて懐がホカホカだし」と、発売日に購入してしまったからです。あわせて3本、2万1000円弱。これだけのお金を支払ったのに、得られた満足度は『デアデビル』(Daredevil)シーズン2を通し見したときより低かったんだから。文句の一つくらい言ってもいいでしょうよ。個々のゲームのダメな点については、敢えて言いませんよ。100%悪口にしかならないからね。それに言ったところで直るとも思えないし、よしんば直っても『Crusader Kings2』みたいに面白くなるとも思えないし。

・タイトルに騙されたといえば、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(Batman v Superman: Dawn of Justice)。いえね、手前は値段分くらい楽しんだんですよ。冒頭10分時点では、「ザック・スナイダーやるじゃんか。『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)より遥かにイイじゃん!」と思ってたし。バットマン&バットモービルのアクションは、ティム・バートン以降のバットマン映画と比べても段違いに素晴らしいし。ベン・アフレックはベン・アフレック史上最も渋いし。ワンダーウーマンも心底良かったし。でも、お話しの進め方が……ね。残念ながら「アメコミ界二大巨頭の決斗」に対する尋常じゃない期待値の高さに、十分応えられるような作品じゃなかった。

・ヤングスーパーマンを通しで2回見て、昨今のDCコミック原作ドラマを全部フォローして、かつ、『キングダム・カム』と『バットマン:ダークナイト・リターンズ』を読み、『インジャスティス:神々の激突』をプレイしているような人(=手前)であれば、「いろいろダメなところはあるけど、面白かったよ!」というポジティブな感想を残せます。でも、↑以外の圧倒的大多数の観客は、鑑賞中「何このキャラ?」「どーしてこーなるの?」というノイズにまみれるのだろうなぁ。

・映画といえば、今年ここまで見たなかでは『キャロル』(Carol)が最高だった。30歳なのに20歳にしか見えないルーニー・マーラもさることながら、ケイト・ブランシェットがハンパない。レディ・ゴダイバじゃないけど、あまりにも素晴らしすぎて目が潰れるかと思った。ホント、手前が思うにケイト・ブランシェットは、多分、演技のために悪魔に魂を売ってますよ。『ブルージャスミン』(Blue Jasmine)も凄かったけど、本作はそれを一周り上回る感じだもの(ギターのために悪魔に魂を売った例)。

・次点は鼻差で『クリード チャンプを継ぐ男』(Creed)。そこから3馬身差で『ボーダーライン』(Sicario)、『ルーム』(Room)かなぁ。

・最後に恐らくこの夏にDVDレンタルが解禁されるであろう『SUPERGIRL / スーパーガール』(Supergirl)について。1話が無料で見られるDVDってのがTSUTAYAでレンタルされていたので、早速借りて視聴しました。感想は「メリッサ・ブノワかわええ!」 続きが気になったので違法動画サイトで見てみたのだけど……。何とも物足りない。そんな感想を抱いてしまうのも、あまりにも出来が良くて面白かった『THE FLASH / フラッシュ』(The Flash)を見て以降、ヒーローモノの連続ドラマに対するハードルがグンと上がってしまったからなのだろうね。



2015年1月28日水曜日

月末が近くなってきたので、とりあえず更新

・Huluの1月配信ドラマで、最も面白かったのは『シェイムレス』。3年前にIMDBで見つけて以来、ウィリアム・H・メイシー、エイミー・ロッサム、ジョーン・キューザックという「何このオレ得なキャスト陣!」と注目していた番組でもあって、視聴前の期待値はMAX。

・で、Ep1視聴を終えても失望感ゼロ。徹夜してシーズンを通して見終えても満足度MAX。大きな期待を一切裏切らず、それ以上に面白かった。とはいえ視聴開始10分後には、女優陣のキャストについて一言二言いいたくなった。実際、フィオナはとても21歳に見えないし、カレンだって未成年には見えないし。でも、視聴を続けているうちに、「ドラマで描かれるような荒んだホワイトトラッシュの生活を続けていれば、こういう感じでルックスも煤けてくるのかもナァ……」と、逆に妙なリアリティを感じるくらいのめりこんだので全然問題なし。

・『ハンニバル』は、キャスティングが完璧で、映像が綺麗で、金も十分にかかっていて、かつ面白い。けど、そもそも『羊たちの沈黙』やハンニバル・レクターにさして関心のない手前にとっては、「うん、新手の超人捜査モノだネ」という感想しか抱けなかった。といっても、最後まで見るつもりだけどね。

・Steamのホリデーセールで数多のゲームを買ったものの、今日までプレイしているのは『Total War : Rome2』(以下、ローマ2)と『Assassin's Creed IV Black Flag』(以下、アサクリ4)の二つ。ローマ2は、イケニ、ポントス、王族スキタイで一通り遊んだ後、ルシタニで地中海世界を制覇。その後、エジプトでプレイ中。戦車と象が使えて、最高レベルの騎兵と剣兵が強くて、射程の長い弓兵がいて、海軍のバリエーションも多いエジプトは、多分、ローマ2のなかで「プレイしていて一番楽しい国」だと思う。

・アサクリ4の内容は、一言で言うなら「カリブの海賊」。アクションゲームとしては、バットマンシリーズとほとんど変わらない印象。同シリーズの最大のウリであるパルクール――要するに忍者ハットリ君みたく屋根から屋根へと軽々動けること――にも、「いやぁ、バットマンでもっとかっこよく動かしてたからナァ」という感想しかなかった。ただ、グラフィックは本当に素晴らしい。で、ただひたすらパルクールで動きつつ剣や銃で暗殺するみたいなゲームだったら、始めて1時間で投げ出していたはず。でも、今日まで続けているのは、ひとえに「海戦が面白かったから」につきる。

・主観視点の『鋼鉄の咆哮』みたいな船舶シューティングで敵に砲撃を浴びせたり、衝角をぶつけたりしてダメージを負わせ、瀕死の状態になったところで船を横付けさせ、切り込み隊長として敵の船に乗り込み、エロール・フリンばりのチャンバラをするという、海賊ごっこの面白いところだけを抽出したような海戦が実に楽しい。正直、帆船の操作については、「ホーンブロワーを20回以上読んだ手前にとっては、リアリティのクソもない噴飯モノの出来」ではあるんだけど……。でもまぁ、直感的に動かせるし、それなりに風や波の影響が感じられるし、何より水夫がちゃんと酔っ払った風な感じで歌を歌うからね。雰囲気だけは最高だからね。文句を言ったらバチが当たるわね。

・本当は月初に観た『ゴーン・ガール』について色々と書くつもりだったんだけど、6000字近く書いたところで、まとめるのが面倒くさくなりそのまま放置。でもね、ここ10年近くに作られた映画のなかでは、間違いなく屈指の一本ですよ。実際、観終わった瞬間に「あっ、オレはいま、歴史的名作を観た!」と確信したくらいだもの。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。






2014年5月23日金曜日

「レリゴー」が耳から離れない

というわけで遅ればせながら『アナと雪の女王』を見に行ったわけですが……一部には随分評判が悪いようだけど、これ、掛け値抜きの傑作じゃねぇか!

実のところ「レリゴー」とか「ありの~ままで~」とかいう歌についていえば、2カ月前から各所で耳にしていて、「あぁ、これが“アナ雪”ってやつなのね」と認識していたんですけどね。それでもまぁ、00年代においてピクサーの足元にも及ばない駄作ばかりを作り続けていたディズニーの映画ということで、映画館に行くどころかDVDが100円レンタルになっても観る気なんて一切なかったんですよ。

が、この2カ月余。たまたま入った日高屋とか本屋とかで流れてきたり、果ては病院の待合で親子連れが「レリゴー♪ ってか?」なんて会話をしているのを耳にするにつけ、「TVを見ず、世間の情報はYahoo! ニュースでしか得ていない手前にして、これだけ耳にしているということは、世間一般では大変なことになっているのでは?」と思い、一週間前にYouTubeとWikiで調べてみたんですよ。ええ。

そしたら「レリゴー」を歌っているのが、あのイディナ・メンゼル――『レント』のモーリーンで気になり、『魔法にかけられて』のナンシーでファンになり、後追いで『ウィケッド』のサントラを買って圧倒されて以来、熱心なファンを続けているミュージカル女優――で、主役の吹き替えがクリスティン・ベル――『ヴェロニカ・マーズ』、『ゴシップガール』のナレーションと、『バーレスク』でのカワイイ歌声(『Diamond is a Girls' Best Friends』のカバー。なおサントラには未収録。CDを買ってこれほどがっかりした経験は他にない)に魅了されて以来、熱心なファンを続けているテレビ出身女優――であると知ってしまい、「これは映画館で観ねばならぬ!」と決心。字幕版を掛けている最寄りの映画館を探し、時間をつくって、ついさっきようやく見てきたというわけです。

割引なしの1800円という価格は、貧乏な自営業である手前にとって大枚も大枚ですが、見終わっての感想はといえば、「無理して映画館で観て良かった」です。ミュージカル映画やCGバリバリのアクション映画&アニメ映画ってのは、デカい銀幕&最高の音響設備の下、フルHDより微細な映像と、ほとんど爆音に近いサウンドを一緒に味わってこそ価値のある映画である――というのが手前の持論なんですが、“アナ雪”は「CGバリバリのアニメミュージカル映画」ですからね。これ多分、自宅でDVDを見たとしたら、劇場で見た感動の1/100も味わえないと思いますですよ。

という感じで美点をあげつらっていったらキリがないので割愛。“アナ雪”サイコー! 的な感想はそこら中にあると思うので、それを参考にしてください。

ただ一ついいたいのは、「この映画は歌はいいけどストーリはダメだ。だから駄作だ」的な感想について。確かにおハナシは弱い。これは事実。でもね、そういう人に面と向かって言いたいのは、「貴方、ミュージカルに何を求めているの?」と。

……これねぇ、ストーリーのテコ入れは死ぬほど簡単なの。具体的にいえば、エルサを『Wicked』“西の悪い魔女”にすりゃいいの。で、「レリゴー」も『Defying Gravity』と同じように「もぉ~我慢するのはやめ。今度は戦争だ(エイリアン2©)」という位置づけにして中盤のクライマックスにもってくるようにするわけ。エルサと王国――映画にいた“越後屋”は削って“悪い大臣”を追加。当然、コイツが黒幕――が鋭く対立するなか、アナは両者の説得を試みるけど失敗。結局、悪の女王vs王国軍の決戦ってことになるのよ。矢弾と魔法が飛び交う決斗の最中、映画の終盤と同じようにアナがアレして両者は硬直。時間が止まったように見えるなかで、エルサがアナにアレして……

……みたいな“定番プロット”にしておけば、少なくともストーリーのアラが目立つってことにはならなかったはず。

それでですね、↑みたいなことは当然、ディズニーだって百も承知なわけですよ。そもそも脚本だけで10人近くクレジットされているんだから。少なくとも手前が数分で思いついたようなハナシよりも秀逸なアイディアが死ぬほど提示され、検討されてきたであろうことは間違いない! と断言できます。

それでもなお、お笑い芸人風情に指摘されるような大きな欠点を残したのかといえば、これはもう「ミュージカルとしての魅力の最大化を狙った」ためであって、定番ストーリーで得られるカタルシス以上に、歌と映像のコンビネーションで得られるカタルシスを重視した結果ってこと。つまるところ、「レリゴー」という“必殺技”の強みを最大限に活かした作りにしたってことであって、“アナ雪”=「レリゴー」のPVってことですよ。

で、普通なら「たかが劇中歌のPVで1800円も取るのか? ふざくんな!」ってことになるんだろうけど、「レリゴー」は明らかにただの劇中歌じゃないですからね。ミュージカルの曲としては『Sound of Music』以来の傑作だもの。このくらいの名曲――5~10年後には間違いなく英語or音楽の教科書に収録されるでしょう――だからこそ、敢えて“ビッグワンガム方式”(添え物であるオマケをメインにした商品構成)を採ったと。であればこそ、「レリゴー」を歌うのが“西の悪い魔女”では都合が悪いし、剣と魔法の戦闘的な血沸き肉踊るシーンがあると「レリゴー」の印象が薄くなるし……的な観点から、敢えてストーリーの穴には目を瞑ったんでしょう。で、他の劇中歌が形を変えて2回流れるなか、劇中で流す「レリゴー」も敢えて1回だけにして、ラストで下手くそな「レリゴー」を流すのも、「観客に物足りない思いをさせて、もう一回劇場に足を運んでもらう」という戦略の一環に間違いない(ちょっと陰謀論入ってますが、あながちウソとも思えない)。

だからねぇ、「“アナ雪”はストーリがクソ」とか「女子供やスイーツ向けのポルノだろ」とか「流行りモノに良いモノなし」みたいな偏見から映画館で観ずにいるのであれば、是非、↑のような偏見を取り除いて観に行ってもらいたいですね。いやホント、YouTubeやiTunesで観るのと、劇場で観るのとでは得られる感動or動かされる感情の質&量が全っ然違うから。

というわけでピーター・ジャクソン版『キングコング』(これも映画館で観ないと意味のない作品)以来、9年振りに映画をオススメするエントリでした。

追記:ここまで書いたついでで書くと、今日まで観た2014年上映作品のベスト1は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。近年のサスペンスアクション映画のなかでも屈指の作品だった。あと上映中、「いかにもロバート・レッドフォードがやりそうな役をロバート・レッドフォードに似た役者さんが演じているなぁ」と思いながら見てたんだけど、最後のクレジットで「As Alexander Pierce/Robert Redford」と出たときには、大げさでなく椅子からずり落ちそうになった。



2013年2月14日木曜日

普段は映画の感想なんて書かないんだけど

仕事先でどういうわけかお茶をひくことになってしまったので、仕方がないから16時間前にレンタルDVDで視聴したリメイク版『トータルリコール』について思いついたことをメモしているうちに、ノート1ページ分が軽々と埋まってしまったので、以下、上記メモをコンパクトにリライトすることに。

*オリジナル版『トータルリコール』は、手前の番付では『コマンドー』と並ぶシュワ映画の双璧にして、三大バーホーベン映画(残り2本は『スターシップ・トゥルーパーズ』と『ブラックブック』)に位置づけられる愛すべき作品で、未だに2年に1回くらいのペースで全篇通して視聴しています。

・ファーストインプレッションは「うん、これは『脚本の教科書』。脚色は本当に素晴らしい」。ハナシのわかりやすさは明らかに前作以上。そこそこ複雑なスジを、どんなバカでも一見で99%理解できるようにリライトしていることに感服した。

・「伏線の撒き方と回収の仕方」「気の利いたセリフを言わせる場面の作り方」「とっちらかったスジをわかりやすく束ねる方法」――といった“シナリオ作りのお手本”を集めたような脚本は、確かに素晴らしい。

・でも、この素晴らしさってのは純粋に“技術”に対するものであって、例えるなら「イングヴェイ・マルムスティーンの速弾きsugee」と同じようなものであり、結局のところ「上手い? だからどうした!」で終わるものだったりする。つまり、脚色スキルが巧妙であること以外、特に見どころがなく、良くも悪くも心に残るプラスアルファがなかったってこと。

・個々のシーンで見るべきころもあるにはあった。The Fallの車内描写とか、無重力戦闘シーン――『インセプション』のアレを、実に上手く発展・強化させた見事なシーン――とかは見応え充分。The Fallのアイディアも科学考証的には失笑モノなんだろうけど、映画的に魅せるタネになっていたので全然OK。

・難点をあげつらうと悪口のオンパレードになってしまうので割愛。ここまでの要素だけを見れば、単なる2流映画でお終いだけど、手前の中の最終的な番付は1.5流映画。何が0.5流分上乗せしたのかといえば、これはもうケイト・ベッキンセール(=監督の奥さん)の怪演!

・前作のシャロン・ストーンとマイケル・アイアンサイドを足しっぱなしにした役柄だけど、例のごとくスッピンでも美人だし、スタイルもアクションのキレも良いし、何より禍々しい雰囲気を十分に醸し出しているのがイイ! 一流のハリウッド俳優に何億円ものギャラを支払う理由が良くわかった。

・悪口はいいたくない。いいたくないけど、一つだけいわせて! って何がアレかっていえば、「恋人が地味なのはいいけど、せめて髪の色はブロンドにしろ!」ってこと。やっぱりねぇ、髪の色でキャラを見分けられるか否かってのは、大切なことだと思うのですよ。

・地味なのはいい。いや本当は良くない。大大大好きなオリジナル版の中で唯一修正したかったのが「恋人を嫁(=シャロン・ストーン)とタメを張れるくらいの美人にする」って信条を持つ手前にとって見れば、「リメイクで真っ先に直すべき点を、敢えて踏襲するのか!」ってことであって、前作のお約束を外すくらいなら、ここを真っ先に直せよ! と。

・役柄から考えれば、演技力も知名度も必要とされないんだから、TV出身でもモデル出身でもいいからブロンドの美人――例えばイモージェン・プーツとかジョージナ・ヘイグあたり――を配して欲しかったなぁ。

・「じゃぁ、オリジナル版のどこが良いんだよ。セットも特撮もちゃちいじゃないか!」って? オリジナル版は見どころ一杯じゃないか。

・地下鉄駅での銃撃戦で人の盾としてボロクズになった後、ダメ押しに踏んづけられる一般男性とか、どういう意味があるのかよくわからない謎土方作業とか、アレック・ギネスの殺陣並みにキレの悪いシャロン・ストーンの格闘シーンとか、股を蹴られた後のシュワの顔とか、鼻から赤球(音量&効果とも絶妙なSEがナイス!)とか、「2weeks」とか。何より「For the memory of a lifetime... rekall rekall rekall」のCMソングが最高じゃないか。

・↑の見所が全部ガッカリな感じでリメイク(=穏当に処理)されていたのは悲しかったけど、まぁ、この辺の要素はバーホーベンの作家性に直結するものだからね。安易にリメイクしないのが正解ってのはわかってるんだけどさ。でも、CMソングだけは聞きたかったぞ。



2013年2月1日金曜日

もう邦画アクションは太閤記か忠臣蔵だけでいいと思うの

映像も解禁! 『キャプテンハーロック』が今秋にアニメ映画化

感想をいうと悪口のフルコースになってしまうので割愛。この手のCGアクション連発モノの映画についていえば、ピーター・ジャクソンの『キングコング』以降、映像表現の進歩は完全に停滞しているからねぇ。アクション自体に大きな期待はできないでしょう。多分、最高に頑張ったところで『アベンジャーズ』(制作費2億2千万ドル)以上――クライマックスの“魚メカ”との戦いを何度も見たい人って本当にいるのかね?――には絶対にならないのに、従来の邦画では破格とはいえ、その1/7の予算しか使えない映画では……ねぇ。実際、予告編を見た限りでは、実写版ヤマトと大して変わってないというか、かつての映画版FFみたいで、おお、もう……。

2013年1月10日木曜日

ああ、オレもバトルシッパーだわ……

ラジー賞ノミネートに湧くバトルシッパーたち

前評判が散々だったものの、実際に見てみたら超楽しかった! 映画館で見て、DVDで借りて見て、小金持ちな知り合いから「そんなに好きなんだ。こんなクソ映画でいいならDVDあげるよ」って恵んでもらって、ついこのあいだ吹き替えで見たくらいに好き。3回見ても覚えているのは「チキンブリトー」と「ミズーリに集う老クルーのスローモーション」――『バクマン』でいう“シリアスな笑い”の極地! 劇場で一人大爆笑してしまった――のシーンだけなんだけど。

あまりにも好きだから、同じく前評判が散々で、手前も予告編を見て散々に貶した『ジョン・カーター』をDVDで見たら、こっちも普通に面白かったという。てか、メカデザインを宮崎駿にやらせたら年間ベスト10級の作品になってたんじゃないかと。

それにしても公的には2012年2大バカ映画(恐らく2010年代におけるバカ映画ベスト10候補の2本)に主演してしまったテイラー・キッチュの将来はどうなるんだろう? 3年後くらいにはTVドラマの主演――当然、売り文句は「アノ、ハリウッド大作主演俳優が●●ネットに登場!」だろう――をやって、シーズン1で打ち切りみたいなことになってそうで、なんだから今から心配だ。



2012年11月21日水曜日

今の時代、怒りといえば「撤退」でしょ?

スタローン「ランボー続編」に意欲

手前が思春期の頃にスクリーンで見て大興奮した――皮肉でもネタでも何でもなく、純粋に面白く感じ血沸き肉踊った――『コマンドー』や『ランボー2 怒りの脱出』みたいな撃ちまくり殺しまくりのアクション映画って、FPSゲームが老若男女にまで浸透しちゃった今の時代には需要がないんだよなぁ。

要するに健全な男子であれば一度は思い描く、「あ~機関銃をぶっ放して周りの奴らを皆殺しにしてみてぇ~」(=トッド・ソロンズ監督の『ハピネス』で、ショタを患っている中年男の妄想シーンを参考のこと)という“不健全”な願望を、スタやシュワがスクリーンの中でオレの代わりに叶えてくれるからこそ面白かったわけで。

いまやこの“不健全”な願望も、モニターで赤の他人を相手に思う存分叶えられるんだから、『ランボー』の続編を作ったとしても『エクスペンダブルズ』シリーズを超えることはできないんじゃないかね。てか、スタローンの脚色スキルの高さは誰もが認めるところなんだから、ここは一つ、初代『ランボー』やその系譜を継いだ『アポカリプト』みたいな大苦難→雌伏→反撃→苦い勝利という王道プロットを用いた正統アクション映画を撮ってもらいたいなぁ。

「Call of Duty: Black Ops 2」が発売後24時間で5億ドルの売り上げを達成。歴代最高,4年連続トップ,エンターテイメントジャンル史上最高







2012年7月8日日曜日

『アラビアのロレンス』みたく休憩を入れてくれ

「ダークナイト ライジング」上映時間は164分27秒!シリーズ最長

予告編を見る限りにおいては、2012年現在、最も好きな俳優であるジョセフ・ゴードン=レヴィットがかなり頻繁に出ていたので、手前の中での見たい映画番付を「関脇」から「大関」へと上げました。傑作『(500)日のサマー』をモノにしたマーク・ウェブの新作『アメイジング・スパイダーマン』は、散々な評判なのでどうにも劇場まで足が動かないんだけど、こっちはまぁ大丈夫でしょう。これで“ダークナイトサーガ”は終わるってことなんだから、クリストファー・ノーランには早く『インセプション』の続編を獲ってもらいたい。

2012年5月14日月曜日

『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』と兵頭二十八師の論考:その4

以下、『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』で語られていた薀蓄について、『ヤーボー丼』の「附録・研究ノート:『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す」からのパク……いや、剽……、いや盗……、いや引き写……じゃなくて、ごく客観的かつ公平に見て、「どうも良く似てるナァ」と思われる部分の抜粋です。映画で出てきた順番にあわせて紹介します。

◆『ヤーボー丼』、「附録・研究ノート:『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す」より

およそどのような言語であれ、視覚イメージと照合し得ない抽象語(表現)は、時と共に多義化することがある。その多義化がいきすぎれば、望ましいコミュニケーションが行えなくなる。
(中略)
しかし、時と所によって、抽象語のそうした多義化がどこまでも許容されるかに見える場合がある。恐らくそれは、ある言語地域に対する他言語の接触が永い間局限され、対応関係にある外国語単語が当地の言語使用者の意識の上で最早照応されなくなった時か、さもなくば、その地域の言語生活の上では、レトリックよりも、単語が連想させる視覚的でない漠然としたイメージを多用する方が効用が大きい場合であろう。

日本語文化圏には古来、後者の傾向が存したといわれるが、室町時代に普及の始まった禅家者流の言語態度が、それを一層強化した可能性がある。加えて江戸時代の鎖国の完成は、前者の条件をも実現し、ひとつの単語に無限定の連想を胚胎せしめる言語習慣を、明治の開国にも関わらず、軍部の中にも繁茂させてしまったのではないか。
(180頁)

(11)「仏法、儒道の古い語をもからず、軍記・軍法の古きことをももちひず…」

彼以外の江戸時代の兵法者が多くの新外来語に助けられているのに比し、『五輪書』は、自分の体験・見聞とその自己分析以外からは何の権威も借りていない。
(中略)
その会得した所を彼自身の平明な日本語にしたためて、文字を媒介にした後世の人の批判も受けて立とうとする科学的合理精神も、「不立文字」などを呼号しながらその実文字を弄び、遂にはこの日本国に、レトリックなき大衆指導者を簇生せしめるに至る歴史的起因となった禅家者流の言語態度とは、氷炭相容れない。

巷間、宮本武蔵をもって禅の一種の達人と見做したがる風潮があるが、事実は、禅などの影響が最小限に止められたが故に、『五輪書』の合理精神は永く誰にも越えられないのである。
(181~182頁)

――とりあえず、これにて「確認用テンプレート」は終了です。もう一回、映画を見直して、軍師の他の著作を読み直してみたら、ほかにも幾つかの“元ネタ”は見つかるだろうと思います。ただ、あいにくレンタルしたDVDは返却してしまいましたし、再度借りるつもりもありませんし、何よりも作業が面倒くさいので、不徹底ではありますがここで打ち止めです。

ともあれ、「前進ベクトル」とか「騎士は死なないという特権」とか、軍師以外に使わないような言い回しが、そのまんま使われてますからね。「巷間、宮本武蔵をもって禅の一種の達人と見做したがる風潮があるが、事実は、禅などの影響が最小限に止められたが故に、『五輪書』の合理精神は永く誰にも越えられないのである」って文章だって、脚本から抜書きしたんじゃね? って感じですし。

といっても、以上のことはあくまでも手前の印象であって、熱烈な兵頭ファンじゃない人や、熱烈な押井守ファンな人が見れば、「都築のヤローが偉そうに確認用テンプレートとか書いているけど、全然違うじゃねぇか!」って感想を抱くかも知れないので、もうパクリとか剽窃とか盗用とか引き写しとかなんていわないよ絶対(槇原敬之©)。


2012年5月13日日曜日

『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』と兵頭二十八師の論考:その3

以下、『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』で語られていた薀蓄について、『ヤーボー丼』の「附録・研究ノート:『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す」からのパク……いや、剽……、いや盗……、いや引き写……じゃなくて、ごく客観的かつ公平に見て、「どうも良く似てるナァ」と思われる部分の抜粋です。映画で出てきた順番にあわせて紹介します。

◆『ヤーボー丼』、「附録・研究ノート:『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す」より

(22)「一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也。」
(23)「一人と一人との戦ひも、万と万とのた丶かいも同じ道なり。」

『五輪書』成立の必然性は、原著者が一生を「小者なるもの」で終わる気がなかったところにあった。彼が右のようなことを他の箇所でも何度も口にしているのは、決して己れの剣術に箔をつけようとしてではなく、後段の「万と万との戦い」こそ彼の夢見たものである。晩年、細川家仕官に先立って差出した書状に、住居はどうでも構わないが出陣時の乗換え分をも含めた馬だけは、と念を押して頼んでいることや、死後装束として甲冑を遺言したことを等を考えても、彼の生涯の夢は、戦場の功名によって、大・小名かそれに準ずる「大身」になることだったと断じられる。その夢が彼の操刀法をも、常に自ら馬上になることを念頭に修行させたのである。しかもその基礎ができたのは、彼の左手のできあがり具合から考えれば、年少時代にまで遡る。そんな頃から馬上の立身だけを夢見ていた男にとって、徒立ちでの一対一の斬り結びなどは、むしろ小さな意義しか有しない。彼の「兵法」の主眼もあくまで領国軍政の術にあったことを我々は認識しなければならない。
(183~184頁)

(47)「太刀のとりやうは、大指ひとさしを浮ける心にもち、…小指をしむるに心にして持つ也。」

ここで説明されている事は、江戸時代から今日に至るまで、連綿と道場で教えられている基礎とか聞く。ところで、このような着意は、太刀の柄を両手で握って扱う場合、全く無用なのではなかろうか。素人なりに思うに、長い柄を両手で手と手の間を開けて握り締めるなら、どの指に一番力をいれようと、取り回し勝手に違いは生じまい。原著者によりここで言われている注意は、片手で刀を扱う者にとってのみ、死生に関わる重大着意となるのではないか。なぜなら、刀の切っ先を任意に制動できなければ、自分の乗馬の首を切り付けることになり、それは即落馬につながるから。また万一馬上乱戦中に太刀を取り落とせば、左右からの攻撃より自分の身を護る術はなくなる。少年武蔵は、実戦の場でそうした不覚をとらないよう、右手を徹底的に鍛えようとしたに違いない。だがいくら鍛えても、やはり右手だけ使っているうちにはいつかは疲れて動かせなくなると気付く。馬上出世を一途に夢見る彼は、もし実戦場でもこういう右手の疲労は来、めざましい働きができなくなってしまったらどうしようかと心配した。そこで、その場合はただちに右手の馬上刀を左手に持ち換えて戦い続けることに決めたのだろう。(186頁)

(48)「足のはこびやうの事、…常にあゆむがごとし。」

彼より後の剣法者がみな運歩法をうるさく言うのに比して、原著者は足づかいには全く冷淡である。単に「陰陽の足」、即ち爪先を地から離して一―二、一―二、…と踏んでゆく歩行のステップが、安定していて良い、というのである。足の運びなど知らずとも上体だけで勝つ、と言っているようにも読める。若い時からずっと武将の身分にあこがれ、馬上での切り結びを専ら念頭して練習を積んできた彼は、敵に寄る際は鞍の上なのだから、運歩法を考慮する必要はなく、上体を安定させることだけを考えたのである。
(187頁)

(16)「武士におゐては、道さまざまの兵具をこしらゑ、兵具しなじなの徳をわきまえたらんこそ、武士の道なるべけれ。」

(前略)
宮本武蔵は、慶長以降の太刀が、護身の為の抜き打ちに便利なように薄肉となり反りも弱まった中で、自分の得物には、実戦場で勝つための独自の改良を工夫していた。具体的な記述は無いが、若い時分より木刀をいろいろに削ってみたことは、彼に貴重な経験を与えたであろう。木刀はほとんど無反りだから、重さのわりにリーチが長く、しかも折れにくいものも自在に作れる。
(182頁)

(52)「右へ太刀をはずして乗り、…又敵の打ちかくる時、下より敵の手はる、これ第一也。」
(前略)

常に相手の手を狙うことは、原著者に限らず、真剣で戦う者の当然の着意であった。こちらの切っ先に一番間近で届き易いという事情もあるが、何より戦場では相手は必ず急所を防具で覆っていることを忘れてはならない。
(中略)
さて、馬上刀は歩兵に対しては下から振り上げるように切りかかった方が、馬の前進ベクトルも加わって目標の捕捉確率を増す。原著者は若い時、専らこれを練習していたであろう。(但し当時の日本の馬は身の丈が低いので、曲芸のような刀術は要請されない。)かくして片手で下から「すくひ上げ」るのが、切り下げと同じか、もしくはそれ以上に得意となっていた原著者にとって、両手で、しかも大抵上から下へしか切ることのできない相手の太刀を持つ手を「はる」事は、容易な技だった。
(188頁)


2012年5月12日土曜日

『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』と兵頭二十八師の論考:その2

以下、『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』で語られていた薀蓄について、『あたらしい武士道』からのパク……いや、剽……、いや盗……、いや引き写……じゃなくて、ごく客観的かつ公平に見て、「どうも良く似てるナァ」と思われる部分の抜粋です。映画で出てきた順番にあわせて紹介します。

◆「第1章8節:日本の武士が「鮮卑」に似る理由」より

弩の最大の長所は、訓練のコストが要らぬことです。昨日畑から連れてきた素人の男も、三日訓練すれば一人前の弩手にできます。
(中略)
新兵には、隊伍を組ませたり、フォーメーションのドリルを覚えこませるのがむしろ手間です。
(中略)
対して、弩を操作する腕前は、訓練を中断して十年くらい経ったってそんなに鈍るものじゃないですから、必要があればまた急速動員すればいい。国庫および民生経済にあまり負担をかけません。

これが他方の弓兵や騎兵や槍兵では、なかなかそうもいきません。彼らは訓練を中断すると、たちまちスキルが低下し、有事に動員しても、すぐには使い物にならぬからです。

(中略)

この条件がありましたために、シナではヨーロッパ式な「騎士」階級は生ぜず、ことさらに高い社会身分とは排他的には結びつかぬ「騎兵」のみがあり得ることになったのでしょう。つまり圧倒的な弩徒兵の集中は、後のスイス傭兵隊の長槍方陣と同じで、少数の重装甲騎兵など無力な存在だと人々に思わせてしまった。多数の弓騎兵ならば弩徒兵に対抗できますが、そこまで多数だともはや特権階級ではなく、しかも間違いなく匪賊・軍閥化して、漢人の匈奴を製造するに等しい……。

かくして、シナに「騎士」身分が育たず、後漢のあと、三国~五胡十六国時代から隋・唐にかけまして、満州の狩猟民たる鮮卑系の支配者が相次ぎましたことは、日本の「武士」の誕生にも決定的な影響を及ぼしたように思います。

すなわち、「中原の広域統一王朝にとって≪重装甲騎兵≫は金喰い虫であって、なければないでよい」との価値観。それからまた「≪乗馬本分者≫の本領は騎射である」との価値観。――この二つの価値観が、三国から唐代にかけて大和朝廷にもたらされたのではなかったでしょうか。
(32~35頁)

◆「第1章10節:なぜ日本の武士は「弓馬の道」だったか」より

ところで、一時的ですが、大和朝廷でも隋や唐に倣って、奥州の「ゑびす」の抑え用として、弩徒兵を整備したことがありました。けれども、高温多湿の日本の気候では、複数の素材を膠や腱でくっつけている合成弓の性能劣化が急速に進んでしまいます。倉庫にしまっておいただけでも経年劣化が著しい(平安後期に発達する重藤弓も防湿のための漆塗装が必須でした)。
(中略)
それで国庫の負担の割には、弩が、日本古来の長大な梓弓よりずばぬけた軍事パフォーマンスを示すことはなかった。

というのも戦場が、軍隊の密集機動をとても許さない錯雑地ばかりで、ターゲットも在来馬で、高速機動なんかしないからです。
(40~41頁)

――この後、『ヤーボー丼』からのパク……いや、(略)な薀蓄が紹介されます。で、宮本武蔵と武士道との関連についての薀蓄で、再度、『あたらしい武士道』からのパク……いや、(略)な薀蓄が紹介されます。

◆「第1章20節:近代日本の危うさ」より

次が日露戦争(明治37~38年)で、ここでも白兵戦は起きない予定だったんですが、なんと想定外の旅順要塞攻略戦で、激しい白兵戦が起きてしまった。日本は白兵戦の準備も何もしていないで、火力を恃みに旅順の山頂に近迫した。すると、ロシア兵が塹壕からいきなり一斉に飛び出して、銃剣の槍先を揃えて逆襲突撃してきました。ロシア軍だけでなく、当時のヨーロッパ軍は、こういった白兵戦がじつは十八番だったんですね。

(中略)

そのために旅順では、武士家系の将校だけがサーベルを片手に踏みとどまりましたが、平民を徴募した下士官と兵隊はみんな露兵の気迫に懼れをなし、背を向けてスタコラ逃げ散った。こんな光景が旅順要塞帯のあちこちで繰り返し見られたんです。

(中略)

日本政府としては、早急にこの国民の精神的な不安を取り除かなければならなくなったわけです。ではどうしたら良いか。何か参考になるものが捜索されました。

見出されたスローガンが「武士道」でした。この言葉は、日露戦争前後に日本語になったものです。

読者には意外かもしれませんけど、明治末まで「武士道」なんて日本人は知りませんでした。もちろん文献をあらいざらいひっくり返せば昔々にその熟語が使われていることが分かる(佐藤堅司『日本武学史』は天正頃の初出とす)。しかし日本人の意識の上では少しも一般名詞じゃなかったんです(古川哲史は、江戸期の『常山紀談』には一回も出てこぬと指摘)。

新渡戸稲造の「BUSHIDO」は明治32年(1899)にアメリカで英文で書かれ、米国内のインテリにだけ知られていました。明治34年の足立栗園著『武士道発達史』は、この自著以前に日本国内で武士道の沿革を論じた人はおらず、ただ新渡戸氏の英文があるだけだ、と認めています。

その新渡戸の仕事が遅まきながら和訳されて日本国内で急に刊行されましたのが明治41年です。この出版事業は、日露戦争後の政府の要望に沿っているんです。

宮本武蔵のまともな伝記が書かれて印刷されたのも明治44年で、紛れもなくこの国策の延長上にあります。それ以前は宮本武蔵は剣術家しか知らぬ存在でした。
(72~74頁)

2012年5月11日金曜日

『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』と兵頭二十八師の論考:その1

以下、『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』で語られていた薀蓄について、『あたらしい武士道』からのパク……いや、剽……、いや盗……、いや引き写……じゃなくて、ごく客観的かつ公平に見て、「どうも良く似てるナァ」と思われる部分の抜粋です。映画で出てきた順番にあわせて紹介します。

◆「第1章17節:中世騎士に「戦死」はあり得ず」より

しからば、ほとんど一財産を傾けて、頭のてっぺんから爪先まで金属で覆ってしまって、矢の一本も立つことがなくしたあのアーマーと、それを載せてなお進退自在な良馬(この輸入および複数頭の意地だってもちろん身上潰しです)を揃えて、西洋の騎士たちは何を達成しようとしたのか?

ここがおそらく重要なところで、それはまず「騎士は戦死しない」という特権の確保に他ならなかったと思われます。
既に十字軍の中から騎士の捕虜が多数、出ています。彼らは身代金を払って生還しました。
(中略)
他方で、アーマーを着用せず、馬に乗らぬ十字軍の下士卒は、身代金を払えないので、どんどん殺されたり、命をとりとめても奴隷として売られてしまった。

アーマーに加えて、固有の紋章もまた、「自分は身代金を支払える領主である」ことの戦場でのサインになっていました。

それから、西洋の騎士が、弓やクロスボウを、配下の歩兵隊にはさんざん使用させても、みずからは決して用いなかったのはなぜだったのでしょうか?

それらの飛び道具は、手加減というものが利かず、当たれば騎士も無差別に殺されてしまう兵器だったからです。騎士同士は殺しても殺されてもいけなかったのです。

そこで、棍棒(メイス)や殻竿(フレイル)のような片手武器が騎士たちにはいちばん好まれました。そういうもので敵の騎士の兜を打撃すれば、相手は脳震盪を興して倒れますけれども、死にはしません。ボクサーが厚いグラブをはめて人の顔を殴るようなもの。生きたままで降参させられる。他方もし敵軍の雑兵や、領地の反乱農奴を相手にする場合には、その棍棒で、十分な殺傷力を発揮することもできる。

ですから西洋騎士の日常の武術訓練は、弓射や徒歩の早駆けではなく、専ら、アーマーの重さに負けずに大剣や斧などを延々と振り回し続け、馬を操り続ける、筋力トレーニングだったに違いないのです。
(58~60頁)

◆「第1章19節:第一次大戦の下地」より

第一次大戦が勃発したときの英国のように徴兵制が無かった場合でも、大学生(ほとんどが上流階級に所属する男子)はこぞって志願して、短期訓練にて初級将校(少尉)となり、じっさいに、労働者階級からあつめられた下士卒よりもはるかに高率で塹壕戦の華と散ったのです。

この大学生を供給した中等教育機関が、近代のパブリックスクールですが、どうもパブリックスクールは、少し「騎士幻想」を育てすぎていたかもしれません。

(中略)

ナポレオン戦争までは、士官が蛮勇を発揮してくれることに不都合はありませんでした。むしろ歓迎すべきことだったんですが、ボルトアクション連発ライフルと機関銃が普及していました第一次大戦では、これが戦術的にすっかり裏目に出た。累々たる士官の死骸の山がいたずらに築かれてしまい、英国では、肉体的・精神的に最良の若者が、一世代分、消えてしまったのであります。現代戦では、臆病は一つのスキルなのだ、かつての騎士の精神は戦車のアーマーを借りないと発揮できないのだとヨーロッパ人が反省したのが両大戦間期です。

貫通力の高いライフル弾を矢継ぎ早に発射できるようにした19世紀後半の銃器の工夫、これによって、「騎士的な振る舞い」が現代の戦場では途方も無くリスキーになったと、遅まきながらに自覚された。その問題意識から、かつて戦場では不死身の存在に近かった中世騎士を再現しようとする合理的な努力が英国では孜々として重ねられ、幾つかの重装甲の戦車が戦間期に開発されることになったのはさすがというべきでしょう。
(67~68頁)

◆「第1章7節:「弩」は東西騎兵の性格を分けた」より

遊牧民にも翻弄されず、逆に押し返せるだけの、つまりは敵よりも十分に多い数の弓騎兵をシナ王朝側がなんとか準備し、北狄にぶつけようとするのは、GDPの歴然たる差からして、不可能ではなかったでしょう。しかし、農耕民の生活スタイルと何の関連もないその非生産的な大騎兵集団を、常時維持し続けることは、とても非現実的で不可能なことでした。

だいたい、そんなに多数の人と馬、その元気満々の生産力資源を、開墾や商業に動員せずに平時にずっと徒食させておくことがいかにも税金の無駄でしたし、辺塞で閑居した騎兵部隊が匪賊化または軍閥化して逆に中央政府に反抗するかも知れません。

中央政府としては精鋭の多用途騎兵をむしろ機動近衛予備軍として首都近郊にだけ控置したいところですが、それだと国境の八方から隙を窺う遊牧民軍に攻撃のタイミングのイニシアチブを容易に握られてしまうのは自明。――もう大ジレンマです。

この難問をシナに於いて解決してくれたのが「弩」の発明でした。前述のように、弩が紀元前4世紀のシナで発明されたことはほぼ定説であります。
(31頁)

2012年5月10日木曜日

『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』を見てたまげた理由

このあいだDVDをレンタルして視聴した『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』。「いろんな意味で凄い代物」「良く訓練された兵頭二十八ファンであれば必見」という感想を残しましたが、一体、何が凄いのか? といえば、「全編是、兵頭二十八説に乗っかった映画」だったからですよ。

いえね、PCのDVDドライブに入れたときは、「押井守の原案・脚本の宮本武蔵モノねぇ。手前的なクライマックスであるところの“一乗寺下り松の決斗”はどんな感じで描かれてるのかナァ」くらいの期待値だったんですよ。

で、実際に見てみたら宮本武蔵の虚像を剥ぐドキュメンタリータッチのアニメ映画ってことで、「なるほど決闘シーンには期待せずに、『押井守が語る“オレの武蔵”』を味わえってことね」と了解して、1.5倍速で見続けていたらですね、押井守氏を模した侍装束のCGキャラが出てきて薀蓄を語りだしてきたわけです。

その薀蓄曰く、「武士とは何者だったのか? これを知る前に、まず西欧の騎士について知っておく必要がある」とのこと。これを受けてコミカライズされた再現VTR風CGアニメで語られ内容というのが――

・騎士のイメージ=装甲、馬、紋章。これらは「騎士は死なない」という特権を意味する。
・十字軍の時代、騎士は捕虜になっても身代金を払って生還していた。
・紋章は身代金を払う能力があるという戦場でのサイン。騎乗しない兵士は容赦なく殺された。

――てなものなんです。ここまで一通り見たところで、「これってどっかで読んだことあるよなぁ……ってもしかして軍師の論考じゃねぇかな、これ」と直観。等速再生に戻して最後まで見続けた後、おもむろに本棚を漁り、軍師の著作や『武道通信』のバックナンバーをパラパラとめくって見たわけですよ。

で、『あたらしい武士道』と『ヤーボー丼』を読み返して思ったのが、「これって軍師のパク……いや、剽……、いや盗……、いや引き写……。いやいや偶然似てしまうってこともあるし、海外の文献とかから引用してきたものかも知れないから、滅多なことはいえねぇよな」ってこと。

『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』で語られている薀蓄の、どこがどのくらいどの程度まで軍師の説に似ているのか? については、是非、DVDをレンタルするなりAmazonでポチるなりして確認してみてください。明日以降しばらくは、映画の薀蓄と軍師の説とを対照するための「確認用のテンプレート」となる『あたらしい武士道』と『ヤーボー丼』の読書メモ(薀蓄の該当部分)をアップロードします。





2012年5月8日火曜日

どうしようもない代物と、いろんな意味で凄い代物

DVDが西暦よりも売れなかったガンダムである『ガンダムAGE』。そのDVD第1巻が、準新作落ちして安くレンタルできるようになったので、早速借りて見てみたんですが……感想とかツッコミとか愚痴とか怒りとかね、そういうことを書くのも躊躇ってしまうような出来でした。

どこがダメなのかって? 逆に良かったところは、「主題歌はまぁまぁ印象に残ったかなぁ」「いまのアニメってCGが凄いんだねぇ」「ハロの声には案外違和感はなかったかなぁ」くらい。これを褒めなきゃ家族を殺すと脅されているから、褒めることを……強いられているんだ!(集中線)ってくらいに一所懸命に思い出して、↑の3つだけでした。一ついえることは、「これを見たら、誰もDVDとかプラモなんて買わないよなぁ」ってことですよ。

強いられているんだ!(YouTubeより)

という具合で、『ガンダムAGE』については何の収穫もなかったわけですが、それよりですね、一緒に借りたとあるアニメ映画がいろんな意味で凄い代物で、直前に見た『ガンダムAGE』の印象を全部ぶっ飛ばしてくれたんですよ。

その凄い代物とは、『宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐』。何が凄いのかは後日改めて。ただ一つ言えることは、良く訓練された兵頭二十八ファンであれば必見のアニメ映画ってことです。



2012年4月18日水曜日

双子の弟とか眉毛そり落とした別人設定とか

北野監督「アウトレイジ」続編に西田敏行 熱烈オファーで関西のドンに

水野(=椎名桔平)は出ないのかぁ……。『アウトレイジ』で一番輝いていたのが、水野が多彩に繰り出す「コノヤロー」と“耳菜ばし”だったと信じている手前には、ちょっとショック。「池本組だったらタダなのかコノヤロー」をいうときのちょっと余裕をかましたドSな顔つきとか、「何が道具だ偉そうにいいやがってコノヤロー」をいうときの怒気をはらんだドSな顔つきとかもうね、これだけでどんぶり飯3杯喰えるっていうくらいに良かったもの。

水野は死んでも――殺され方も本ッ当に素晴らしかった!――、その双子の弟(=『男たちの挽歌2』のチョウ・ユンファ)とか眉毛そり落とした別人(=『仁義なき戦い 代理戦争』の梅宮辰夫)とかいう設定にして、無理にでも椎名桔平を出して欲しかったなぁ。まぁ、石原と片岡は健在のようだから、公開されたら必ず劇場に行くつもりだけどさ。





2012年3月25日日曜日

またしても徹夜

このあいだ届いた『smallville』シーズン8のDVDセット。「見始めたら止まらなくなる可能性があるから、万が一徹夜してもいいように土曜日の午後くらいから、そろりそろりと見始めよう」と考え、しばらく放置した後、満を持して視聴したんですが……。案の定、止められなくなって徹夜。以下、22話、18時間余のsmallville漬けでアタマが半ば麻痺しているところです。

シーズン8はねぇ……手前的には一番好きなシーズンかもなぁ。ハナシ的には、クラークが農場生活を捨てて、自らの使命に向けて一歩踏み出した後のことだから、タイトル的にも『smallville』よりは『metropolis』(もしくは『スーパーマン』)の方が近いんだろうけど。

シーズン8のファーストインプレッションは、「気軽に見れる質の高い正統派SFアクションドラマとして生まれ変わったなぁ」。これは、シーズン7で強引にスモールビルでの出来事を清算したことと、生みの親であるアルフレッド・ガフ&マイルズ・ミラーが降板した結果、7年掛けてやってきたこと(=クラーク・ケントをスモールビルから“追い出す”)を気にせずにプロットを作れるようになったためなんでしょう。良くも悪くも一区切りついたことで、シーズン通してのテーマを絞ることができ、かつ、事件を無理やりスモールビルに紐付けなくても済むようになったので、ストーリーに広がりを持たせられるようになったのだと思います。

『smallville』のベストシーズンはどれか? と問われれば「シーズン3!」といわざるを得ないけど、好きなシーズンは? と問われれば、「フルシーズンならシーズン8。でも、アリシア再登場以降のシーズン4も大好き!」ってところかなぁ。

2012年3月23日金曜日

『デビルマン』に次ぐ原作レイプモノかも

映画「ジョン・カーター」、史上最大の赤字作になる可能性

まず第一点。タイトルは『火星のプリンセス』でいいじゃん。え? 舞台は火星じゃなくて惑星バルスームであって、火星に火星人がいないことは明らかなんだから原作のように「火星=バルスーム」でハナシを進められないって? 細けぇことはいいんだよ。原作は丁度100年前に出版されたものなんだし。イイワケとしてジョン・カーターについて、「妄想癖を持つオッサン」である可能性を示唆するような描写――たとえばキューブリック版『シャイニング』のジャック・トランスみたいな描写――を混ぜておけばいいんだし。

第二点。役者が弱いよ。こういう映画こそ、主人公にしてもヒロインにしても“ド”がつくほどのメジャー処を連れてこないと。とりわけデジャー・ソリスは、最低限『トロイ』(04年)のヘレン(=ダイアン・クルーガー)程度の「誰が見てもまぁ美人だと感じる」ラインよりは上の美人じゃないと。

第三点。緑色人はダメなアバターみたいなCGヒューマノイドじゃなくて、単に緑色のメイクをした役者(『Wicked』のエルフィーみたいの)にCGで腕2本足したようなんでいいんだよ! そもそも舞台が火星であるだけで、やってることは古典的なチャンバラ活劇なんだから。人間同士がチャンバラをやらないでどうする!

正直、このニュースを見るまでアノ傑作SF冒険小説『火星のプリンセス』が実写映画化されているなんて夢にも思わなかったんだけど、予告編をチラッと見るだけで↑のようなことを書かずにはいられなくなるほどのダメ臭がプンプン漂ってきて……。まぁ、手前にとってのオールタイムワースト1映画である『デビルマン』よりは間違いなく面白いんだろうけど、原作の陵辱度という点ではどっこいどっこいかもなぁ。



2011年12月12日月曜日

『新訳 戦争論』をより面白く読むために

『戦争論』が描かれた1820~1830年代とはどんな時代だったのか? どんな形で戦争が行われ、どんな武器が使われていたのか? といったことを手軽にビジュアルで確認したい方のために、以下、2つの作品を推薦します。

映画『戦争と平和』(セルゲイ・ボルダンチュク監督)

DVDでは3巻「1812」におけるボロジノ会戦のシーン(原作の3巻第2部)。地平線まで間断なく行進する歩兵。サラブレッドの乗用馬とは明らかに違う、ピッチの短いギャロップとキビキビした方向転換をする軍馬の動き。黒色火薬特有の猛烈な発煙……もうね、この凄さと素晴らしさは手前ごときの語彙では伝えきれません。是非、観てください! といいたいとことだけど、残念ながらレンタルDVDがないんだよなぁ。

ともあれ、トルストイの名作を完璧な形で映画化した作品――なにしろナターシャの中の人が原作通りに年齢をとるくらい!――であり、手前が観た映画のなかでもオールタイムベスト3に必ず入る作品でもあるので、ボーナスが出て懐に余裕のある小金持ちな人であれば、騙されたと思って20000円を出してみてください。20000円出せない人は、以下のキャプチャで我慢してください。






*『戦争と平和』はあまりにもハードルが高い! という方には、廉価版DVDもありレンタルもされていて、名作としての定評もある『グローリー』をオススメします。舞台は南北戦争ですが、行われていた戦闘や露営の風景はクラウゼヴィッツの時代と大きく変わっていないので、19世紀の戦争の雰囲気は十分感じられると思います。





マンガ『軍靴のヴァルツァー』(中島三千恒著)

今年連載スタートしたマンガでは、一番感心した作品。架空世界の戦記マンガという、最近流行りのクズジャンルの一つだろう……と思いつつ立ち読みしたら、下手な歴史マンガよりもよっぽど素晴らしい出来でビックリ! 第一話の途中まで読んで――

・見開きの行進風景:中隊が8×14とかなり妥当な編成で付き従う輜重も2台。正確な考証か否かは措いておくとしても、ちゃんと考えて描いていることが良くわかる。
・リンゴジュース屋台横の籠:架空世界だからこそ空気みたいな日常における細かな描写を誤魔化せない。で、作者はこのことを良くわきまえている。
・登場人物の頭身の妥当性:主人公も一般的なマンガに比べると短足で、ハッキリいって絵的には見栄えはしない。ただ、これが戦闘シーンとかで動き出すと、俄然、リアリティが出てくる!

――これらのポイントを把握した後、即、レジに持っていったものです。

第一話では砲撃訓練をするわけなんですが、この描き方も上手くてねぇ。ナポレオン戦争当時の大砲がどのようにして撃たれるのか? を、予備知識の全くない読者にも完全に理解できるように描いてるんだもの。

最初の手順は装具の点検→ハンドスパイク、スポンジ棒、押し込み具、螺旋具…異常なし。

スクリューを捻って

両側から車輪をズズッと押して砲の位置を下げ

清掃、押し込み、位置固定、照準、側部をトンカチで叩いて修正して摩擦火管をセット

みたいな文字で書いたら「誰が読むんだコレ」みたいなことを、笑っちゃうくらい見事にマンガとして昇華してるわけですよ。架空の設定にしたのも歴史通り普墺戦争、普仏戦争を戦って勝つ――ヴァイセンのモデルがプロイセンであることは、最初のカラーページで主人公がピッケルハウベを被っているので誰でもわかる――という“オチ”で終わらせたくないことや、架空の人物に大活躍させたいためでしかなくて、それ以上でもそれ以下でもないんでしょう。

という感じで、「作者は『19世紀の戦争版<ひみつシリーズ>』をやりたかったんじゃね?」と思うくらいに、当時の軍隊のことがビジュアルとテキストでよく理解できる作品となっています。



2011年7月7日木曜日

gleeのコンサート映画はちょっと見たい

世界的大ヒットドラマ「glee/グリー」が3D映画になって日本で公開決定!世界で72万人を動員したライブが上陸

vol.3までのサントラを買った身としては、ちょっと観に行きたい。近所の映画館では掛かりそうにないけど、こういう映画(=『ムーラン・ルージュ』を初めとする最近のミュージカル映画)とかピーター・ジャクソンの『キングコング』みたいな特撮CGフル回転な映画って映画館で見ないと何の価値もないからなぁ。

シーズン2は見てないけど、YouTubeとニコニコ動画で見る限りミュージカルシーンは凄いものね。『Umbrella』と『Singing in the Rain』のマッシュアップなんて、センスの良さだけで感涙しそうなほどだし。

GLEE - "Umbrella/Singin' In the Rain" Full Performance――ちなみに原曲はこっち。いまどきのポップスっぽいリズムトラックを使っているけど、メロディラインは実に古典的でかつとてもロマンチック。名曲。

前に、「シーズン1は前半までは神、後半は……」みたいなことを書いたけど、あれからサントラを買って、いくつかの原曲のCDも買って、改めてドラマを見返して思ったのは――

「こういうフォーマットを作ったことがエライんであって、ドラマの完成度とか云々するハナシじゃないのかも」

――ですよ。

海外ドラマに精通しているわけじゃないんで、あくまでも素人考えだけど、このフォーマットの“発明”って、「『ダラス』によるクリフハンガーの導入」と肩を並べるくらいに凄いことじゃないのかなぁ。多分、10年後には『glee』自体は終わっていると思うけど、このフォーマットを使った<ドラマ>――正しくは<ドラマ>とか<ミュージカルコメディ>ではなくて、<gleeタイプの番組>というべきなんでしょう――は作られ続けているんだろうし。



2011年4月18日月曜日

止め絵、三度見、透過光

「あしたのジョー」「ベルばら」アニメ監督の出崎統さんが死去 67歳、肺がん

まだ67歳だったのか……手塚治虫が始めた“貧乏アニメ”(いわゆるリミテッドアニメーション)演出を完成させた偉人だよなぁ。画もメチャクチャ上手いしね。合掌。

エースをねらえ! オープニング(YouTubeより)
手前の中では出崎統の最高傑作。大杉久美子の歌声も本当に素晴らしい。