2010年2月26日金曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その1

「そういえば台湾野球の八百長事件ってどうなったんだっけ?」と思いつつ、野球と八百長についてネットサーフィンしていたら、黒い霧事件に関与した野球人に対して同情的な声が多いことに驚くとともに、大きな違和感を感じた。確かに冤罪だったケースもあったかも知れないが、疑われるに十分な状況、時代の空気があったことも事実だ。そんな昭和40年代前半における野球界の空気、八百長現場の実情をあますところなく綴っているのが、『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)だ。

著者は黒い霧事件の中心的存在で、“八百長演出家”と呼ばれた人物。Wikipediaには「元・暴力団森岡組の準組員」とあるが、藤縄自身は同著書で「牛乳販売店経営で金融も手掛けていた」「以前、賭博で暴力団員と一緒に捕まったことから週刊誌や新聞には『元暴力団員』と書かれた」としている。

昭和46年発刊の本で、現時点ではamazonでも入手できないようなので、以下、同著から八百長に関わる部分について紹介してみたい。

何かの拍子にKか原田かはっきり覚えていないが、「あしたの先発投手はだれや、おしえてくれへんか」と切り出した。
しばらく考えていた佐藤は「杉浦や」と洩らしてくれた。そして二人と佐藤との雑談の仲で、金の三十万もやったらMやGなら、話に乗ってくれるといった話があった。彼らは普通のサラリーマンとは比較にならぬ高給をもらってはいるが、三十万円も目の前に積めば試合に負けてくれる――私は正直なところ、こんな手があろうとは信じられなかった。「ほんとうですか」と聞き返したが、「ほんまや」とはっきりした言葉がはねかえってきた。

佐藤は、「ボクは中日ドラゴンズにいたことがあるから、中日の選手にも紹介してあげよう。中日の小川健太郎、小野(いずれも投手)は友だちだからなんなら話に乗ってあげよう。中日は東京遠征のときは品川駅前の中日観光ホテルに宿をとるのでそこへ訪ねて行けばいつでも選手に面会できるように連絡してやる」といった。

「小川さん、きょうは先発とちがいますか?」と切り出した。小川は「ボクは投げないよ。小野じゃないかな」といった。

私は五十万円ばかりを用意していたが、彼に三十万円渡し、「もしあなたが先発になったら、きょうの試合、手加減してもらえませんか」と切り出した。小川はちょっと迷惑そうな顔をしていたが、しばらく考えこんで、「ボクが先発がどうか本当のところわからないんだ。とにかくこのお金は受け取れんから」と私につきかえした。

私は一瞬ためらったが、また思い直して、「とにかく納めておいてください。私の願いをきいてもらえば、あらためてお礼はします」と、その金をベッドの上に置いた。小川は言葉をついで「ボクは前の阪神戦で足をいため、ステップが思うようにきかん。この足の故障はいますぐよくなる見込みはない。ボクが投げたら負けだよ」といった。私は追打ちをかけて「ぜひ頼みます」と哀願した。真剣な私の願いに彼も心が動いたのだろう、「もし私が先発だったら、そのつもりでやります」とOKの返事(25~28頁)


藤縄が初めて八百長の現場を踏み、自ら八百長を持ちかけたシーンだ。結局、中日戦の八百長は先発小野の好投で失敗。藤縄は330万円負けてしまう。その後、藤縄は小川のホテルを訪ねた。

「きょうは本当にすまなかった。三十万円はどうしても受け取れない」と私にかえそうとしたが、私は「いや、またつぎに頼みますよ。小遣い銭にとっておいてくれ」とムリヤリに渡した。~~中略~~話がはずむうち、小川は「お礼に八月十一日、中日球場でのサンケイ戦で勝たせてあげよう」といった。

彼のいったとおり、先発は小川、サンケイは石岡だった。はっきり記憶にないが、7対1か7対2で小川はノックアウトされた。私はこの試合に五百万円はった。特別指定席で見守っていたが、ロバーツに本塁打、他の選手にも乱打されてしまった。

中日選手の宿舎世良別館の前の宿に入った私は小川を呼び出し、中日球場でのお礼に五十万円を渡した(28~29頁)

あくまでも藤縄の話であり、藤縄にとっての真実だ。小川自身はオートレース八百長で逮捕されたが、野球の八百長は捜査段階では認めたものの、後に法廷で否定している。なお、この八百長が行なわれた昭和43年の成績は10勝20敗である。ちなみに昭和42年は29勝で最多勝。昭和44年は20勝を記録している。

その後、小川は二軍落ちしてしまい、自分の代わりとして田中勉を引き合わせる。

小川が仲をとりもち、私は八十万円小川に渡し、田中とうまく話をつけてくれと頼んだ。中日球場での巨人戦で八百長を頼み、私は巨人に五百万円張ったが、田中勉は見事ノックアウトされ、私はこの試合で五百万円儲けた。うまく成功した私は田中にタイガース戦でもやろうといって、小川を通じて八十万円渡した。

中日球場での対阪神戦――田中勉はKO。私はまた五百万円の儲け。まったくぼろい話で、この手を使えば一億円くらい儲けるのは夢物語ではないと思った(30頁)


この後、小川、田中だけに負けさせるのは忍びないと考えた藤縄は、八百長を一つのチームに絞らず、複数のチームに分散させる方針に転換する。舞台はパリーグ。ロッテ以外の5チームに八百長を仕掛けることを決める。

ロッテに手をつけなかったのは、藤縄自身がチームと永田オーナーのファンであったためとしている。ただ、実際のところは、田中勉のツテで西鉄の選手に八百長を仕掛けようと画策していたことや、自分のホームである関西のチームに八百長を仕掛けることが多くなる(南海、阪急、近鉄。九州の西鉄)から、関東のチームを手付かずにしただけのことだろう。東映ではなくロッテにしたという点については、藤縄の趣味に加え、すでに他のグループが八百長工作をしていたことも背景にあったのかも知れない。

こうして藤縄は西鉄選手への八百長工作を始める。

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