2010年2月5日金曜日

愛すべき男、仁志敏久

仁志敏久選手が引退危機とのこと。

「ベイで二軍に落ちたときに、慰留を突っぱねて引退すりゃ良かったのに」
「最下位チームでずっと二軍にいたベテランがメジャー? 笑わせるな」
「てか、野球やりたいなら台湾いけよ」

と言いたいところだけど、心のどこかでは「そこまで言わなくてもいいじゃん」と思う気持ちもあったりする。自分より年上の男に言うのもなんだけど、憎めない男なんだよなぁ。

思ったことを正直に言わずにいられない性根、歩くプライドみたいな性格――アマ時代は実績に裏打ちされていたものの、プロ以降は実績の伴わないビッグマウスでしなかった――を持つ彼のキャラクターは、ハッキリいって鼻持ちならない奴でしかない。手前も一昨年までそう思っていた。

が、彼の著書『プロフェッショナル』(祥伝社新書)を読んで認識を改めた。以後、手前にとっての仁志選手は、愛すべきキャラクターへとクラスチェンジしている。

同書は、技術論、アマ時代、プロ時代の自伝、プロとしての心構えなどが210頁に渡って綴られたものだが、特筆すべきは野手の本であるにも関わらず、打撃についてほとんど語られていないことだ。全210頁中、打撃論に費やされているのは4頁だけである。守備には37頁も費やしているにも関わらずである。

その打撃論で彼は何を語っているのか? 
結論からいえば「よくわかんない」だ。

仁志選手曰く、打者には「自分の形で打つタイプ」「投手に合わせて打つタイプ」あるという。もちろん全ての打者が自分の形を大事にするが、自分の動作の中に投手の動作、投球を引き込むか、形はどうあれボールに合わせるかという分類である。そのうえで自らは「投手に合わせて打つタイプ」であるとしている。

「軸なども一定ではなく、少し前に流れながらボールにあわせるような打ち方」(61頁)

これが仁志選手の打ち方とのこと。普通、プロ選手の自著であれば、「軸をぶれさせない」「形を崩さない」と格好つけるものだ。で、極めつけがこれ。

(よくティーバッティングをするが)正直言って、その練習の中では自分のチェックポイントをどこに置くかがわからないのです。(61頁)

ここまでぶっちゃけてしまう彼の正直さに脱帽した。プロなら「グリップの位置がどうの」「インコース打ちはどうの」「軸足の置く意識はどうの」……というものだ。てか、ほとんどのプロ選手は、自著でこうした打撃論を展開している。そのなかには、格好つけのために、「慣れない理屈を展開しているのだろうなぁ」と思わせるようなものも少なくない。

そんな中途半端な打撃論を展開するくらいなら、正々堂々、「よくわかんない」といっちゃおうという仁志選手の素直さ、心意気に、手前はいたく感動したものだ。

で、そんな正直モノの仁志選手は、原監督との確執についてどう語っているのか?

該当部分を読んでの感想は、「いくら素直な仁志選手でも、このハナシだけは大人の対応をせざるを得なかったのだなぁ」

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