2010年3月1日月曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その4

またまたまた引き続き『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)の紹介。

以下は、私が田中から聞いた話である。
「池よ、ちょっと頼みたいことがあるんだが、みながおる前では話もでけん、晩にたぬき(飲み屋)へでもいって、ゆっくり話そう」
池永は承諾した。約束どおり夜、池永と田中はたぬきで会った。
田中はいきなり百万円池永に渡した。そしておもむろに、「今後、池が先発のとき、やってほしいんや。困っとる人を助けてほしいんや……」
「勉さんの頼みなら断るわけにはいかんが、オレ調子がええのや。どうしても、二十勝はしたいなあ。東映戦ではぜひ勝ちたい。いま十八勝やから、これで十九勝にしておけば、シーズンもあと残り少ないけど、何回か出られる。そのうち一勝すれば目的の二十勝や。あとの登板のうち、チャンスはあると思うよ。それなら引き受けてもよい。東映のつぎはロッテやから、そのときでもええな。近鉄はやめとくわ。近鉄には負けとうないな」
「オレが不細工なピッチングをしたら、マスコミが、どうのこうのと書き立てるし、それに太さんと三原監督は親子やろ。親にプレゼントしよったいわれたら胸糞悪いしな。オレそんなことイヤだな。近鉄戦には全力投球したいんよ」
池永のいうことには一理あった(132~133頁)


池永への工作が難しいとみて、今度は対戦相手の東映への八百長工作を行なう。

まず最初に永易が口を切った。
「森安君、頼みがあるんやが、あしたの試合な、先発か」
「田中と思います、ボクこのごろリリーフが多いので……田中が打たれたら、多分出してくれるでしょう」
「この人、オレの学校時代の先輩や(私のほうを指して)事業に失敗したんや。野球賭博でな。大金かけて勝負したいいうてるんや。オレのため、なんとか助けてやってくれへんか」
私は、「よろしゅう頼みまっさ」といって、二人に三十万円ずつのつもりで六十万円差し出した。田中はぎょっとした様子を見せたが、森安は案外平然としていた。田中は、「困ったなあ。永易さん、できそうにもない……」
森安が割ってはいった。「田中、いいじゃないか、一回くらいやったって、ロッテのSかて、ようやってる。この人(私のこと)助けてあげよう。永易さんの顔も立ててな」(135頁)


しかし、この八百長工作も失敗。ちょうどその頃、永易の八百長が発覚。西鉄オーナーから永易の逃亡資金をせしめたり、オートレース八百長への関与がバレたり、八百長報道が加熱するなかで何者かにピストルで撃たれたり――といろいろあって、結局逮捕される。

逮捕直前のとき、朝日新聞の記者に「オレが良いと言うまで、絶対に表沙汰にしない」ことを約束して八百長について一切合切語ったテープを渡すが、記者は翌日、テープの内容をスクープとして報じ(朝日新聞ってのは本当にクズだね。マスコミとしては正しいのかも知れないけど)、黒い霧事件の報道合戦はピークを迎える。結果、永易、与田、益田、池永、小川、森安が永久追放、他多数の選手が処分されることとなった。

同書を読んでつくづく思い知ったのは、「黒い霧事件以前のプロ野球界は、八百長がごくごく当たり前に行なわれていたのだなぁ」ということ。小川や池永、森安の口ぶりには、八百長に対する抵抗感は何一つ感じられない。ちょっとした小遣い稼ぎくらいの気持ちで、八百長に手を染めていた選手が数多くいたのかも知れない。

ウォーレン・クロマティの『さらばサムライ野球』によると――

「チームメイトとはよく飲みに行くから、連中の気持ちはよくわかっている。山倉や篠塚、吉村、岡本、木下なんかとも、遠征先でよく飲んだりバカ話をする仲だ。東京でも、試合後に六本木に繰り出すことがある。だから俺にはみんな気を許してよくしゃべるが、全員がまず文句を言うのは給料のことだ。
『安すぎるよ』
どこかのホテルのバーで酒を飲みながら、山倉がブツブツ言っていた。みんな安い給料でこき使われることにうんざりしている」(197頁)

――という。黒い霧事件の発覚から18年。日本一給与水準が高かった巨人の一軍にしてこれなのだから、パリーグの(まして当時よりもさらに昔の)各チームの事情については改めていうまでもないだろう。ギャンブルや女にのめり込み、年俸だけでは足りないと考えた選手が、八百長に手を出すのもむべなるかな。

当時のプロ野球選手にとっての八百長は、現在のプロ野球選手にとってのステロイドみたいな存在だったのではないだろうか。どちらも野球協約では違法だが、やっている奴はやっているし、選手から内部告発するような動きはなく、上層部も黙認している――。全ての選手が手を染めているわけではなく、“クリーン”な選手が数多くいることも同じだ。

年俸の高騰、野球賭博の衰退、テレビ・ネット中継の発達、球場、ホテルにおける警備体制の厳格化、写真誌、週刊誌による“監視”、そして何より黒い霧事件で明らかになった世間と球界の八百長に対する厳しい姿勢もあり、現在のプロ野球界には黒い霧事件以前のような八百長工作は、ほぼなくなっているものと思われる。

なお、黒い霧事件の追及で最も大きな“戦果”を挙げたのは、当時創刊間もなかった「週刊ポスト」だった。雲隠れした永易を探し出して単独インタビューを取るなど、スクープを連発。1980年から現在まで続いている「角界浄化スクープ」のシリーズも、その源泉がプロ野球の八百長報道にあると考えると、何やら感慨深いものがある。

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