2010年3月28日日曜日

古田敦也、「優柔決断」のすすめ:その1

「監督に必要な資質とは一体何なんだろうか?」

古田敦也がヤクルトの監督を退任したとき、まず思い浮かべたことだ。

・球界随一の頭脳派
・野村ID野球の象徴
・近代野球における最高のキャッチャー

もし、監督に必要な資質が「頭の良さ」や「野球理論の深さ」「弁舌の巧みさ」であるとするなら、古今東西で彼以上の人材はいないのではないか? と思わせるほど、古田は全てを持っていた。ほとんどの人は監督就任前の古田のことを、将来の名将と見ていたのではないだろうか。

しかし、古田は監督として失敗した。失敗は言い過ぎかもしれない。同情すべき点も多かったからだ。

曰く、プレイングマネージャーという難しい立場であった。
曰く、野村・若松時代ほど戦力に恵まれていなかった。
曰く、球界最強の捕手である“古田選手”が万全でなかった。

とりわけ、プレイングマネージャーという立場で采配だけに専念できなかったことをして、「監督としての真価はまだまだ発揮されていない」と見る向きもあろう。しかし、こうした点を考慮しても監督在任2年間の成績が「負け越しの3位」「最下位」というのでは、監督としての手腕が優れていたとはいい難い。贔屓目に見ても「いまのところ名将の片鱗は感じられない」といったところではないだろうか。

球界屈指の頭脳派といわれた古田は、なぜ、監督として成功できなかったのか?

野村克也の言うように「プレイングマネージャーなのに参謀を置かなかったから」(野村が選手兼監督だったときはドン・ブレイザーに采配のほとんどを任せていた)ともいえるし、「いや、ライバル派閥の元池山派(岩村明憲選手、宮本慎也選手ら)の面々に愛想つかされてチームがバラバラだったから」ともいえる。他にも理由はいろいろあるだろう。

この疑問について自分なりに得心したのは、古田の著書『「優柔決断」のすすめ』(PHP新書)を読み終えたあとのことだった。
(つづく)

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