2010年2月27日土曜日

黒い霧事件、ファンに詫びる:その2

昨日に引き続き『ファンに詫びる』(藤縄洋孝著)を紹介。

益田は私とは初対面、彼はきょとんとした様子で突っ立ったままだった。私は自己紹介しながら「益田さん、お願いしたいことがあるんです」といいながらかねて注文しておいたビールをすすめた。~~中略~~「あしたのロッテ戦には益田さん、先発でしょうね。頼みというのはほかでもない。負けてくれませんやろか……」といって五十万円、彼に渡した。

「ボクはロッテは苦手で勝てませんよ」と笑っていたが、結局OKしてくれた。

それから濃人に電話した。「監督さん、つぎの試合西鉄の先発はだれと思いますか」といったら、監督は「若生か、稲尾だろうな」といった。敵さんのことはまるっきりご存知ないのだ。「監督さん、そんなことじゃダメですよ。若生も稲尾も東京遠征には来ていない。先発は益田だから、右打者を並べるオーダーを組むんですね」とアドバイスした。

西鉄戦は予定どおり益田が先発、途中で降板したが、西鉄が一方的に勝ち、益田が勝利投手で私のカケは裏目と出た。

宿に引き揚げた益田が私の部屋に入ってきて「悪かった」とあやまった。~~中略~~私も一度渡した金――「男がいったん出したもの、遠慮せんととっておいてくれ」と彼に押しつけた。これから先のこともあるし、益田に接近するチャンスにもなるからと思った(38~39頁)


その後、藤縄は福岡で益田昭雄とともに与田順欣に接近する。

益田は与田に私のことを話し、与田もこれからは話に乗ろうとOKしてくれた。与田はリリーフ専門だが、リリーフでも益田先発、与田リリーフで仕組めば結構成功率は高いと考えたのである。

与田はそのとき「私はオープン戦のとき十五万円をもらう約束で八百長(相手は巨人)したが、約束の男に逃げられ、金はもらえなかった。約束は守ってくれ」といった。与田の話では阪神に移籍したAがちょいちょい八百長して金をもらっていたという。Aの阪神移籍もこんなところに原因があるのでは……といった(41頁)。


Aは誰か? 八百長が行なわれていた昭和43年の前後5年間に西鉄から阪神に移籍した選手は、同じイニシャルを持つ一人しかいない。

東京に遠征中の西鉄の与田から電話、久しぶりに聞いた彼の声。~~中略~~与田の電話は「あしたのロッテ戦は永易の先発、ワシがリリーフや。永易には益ッさん(益田)と相談して、八百長のことは話してあるんや」

永易も金がほしくて八百長に乗る気になったのだろう。与田はさらに、「永易にも話はつけたるし、かならずウマいことやるで。いつ出してくれるかね」といった。私は、「そうやなあ、二人で百万円はどないや? 永易にもよういうといてや」と念を押すように頼んだ(55頁)

しかし、西鉄に仕組んだ八百長はことごとく失敗。藤縄の資金繰りも悪化の一途を辿る。この頃、藤縄は小川健太郎に愚痴を漏らしているだが、これに対する小川の答えが面白い。

「永易なんか負けるいうたかて、負けられるワケがない。年間十勝もしんどいピッチャーが、負けるいうたかて、でけへん。そないに細工でけるピッチャーやったら、十五勝も、二十勝もでけるはずや。反対に勝利投手になってんか――といったら、緊張しすぎよって負けてしまう。二線級ちゅうたら、だいたいそんなもんや。あんまり相手になったらあかんで。オレのいうこときいてたらええ」(57頁)

八百長の失敗に気の咎めた与田は、永易を連れて藤縄と面会する。永易は初対面の藤縄に「おーい、ええ娘抱きたいな。神戸はいいとこあるんやろ」と要求。そのうえで五十万円くれるなら、どんなことでもするという。

「あんたアンダースローやろ、そやったら、外角ギリギリの球で勝負するのが普通やおまへんか」。
永易は「そや、勝負球は外角や」。
私は、「そやったら、一番バッターに四球を出したらどないやろ。内角へボールをほったらいいのとちがうか。ひとつくらいベースから球がはずれよっても打ってきよるかも知れへん。相手が打ちよって、内野ゴロになったら、あかん。外角ギリギリのストライクやったら、よう打ちよらんか、それ以上にやで、ボールひとつ余分に外へもっていったら、バッターは振りよらん。絶対見送ること間違いなしや」。
永易は、なるほどなあ、とアイヅチを打った。

「じゃ外角へボールをほったろ。つぎのバッターはどうや」ときたので、私は、「そうやな、二番バッターはバントさせたらええ。まずは初球はボール球で相手を見たら……ここでバントしてくるなと思うたら、バントしやすい球ほったらどないや」。
永易は、「三塁手や一塁手がバントを警戒して前へ飛び出してきよったらあかんな。二塁併殺か、一塁アウトで一死二塁か、一死一塁になりよる。これは失敗の可能性が強いなあ。それより、二つつづけて四球を出したらうまういくと思うが……」。私もなるほどと思った。
永易は「バントしにくいボール球ほったら」。

私は万一のことを考え、「デッドボールはどないやろ」。
永易は、「うん、右打者やったら、内角へシュートする球ほったらうまいこと当たるわ。左打者ならカーブほったら絶対四球になる」といった。

四球を二つつづけて出すことがムリなら、二番バッターはデッドボールで……。永易は、「よし、OK、OK」とうなずく。

私はさらに、「三番は永淵、四番は土井やろ、二人にはド真ん中にほったれ。もし永淵が無死一、二塁はチャンスやからバントしてきよったら、ピッチャーが処理できる球やったら、一塁へ暴投したらええのとちがうか。そやったら無死一点で走者一、三塁か、一、二塁になりよる。つぎの土井に真ん中ほったら打ってくるわ。そやったら、大量点三点はとられてまう」といってやった。

永易は、「九回もあるのにどうして一回にこだわるのや」と聞いた。
私は、「わかってるやないか。一回表やったら、だれでもじきに崩れると思うてないわ。リリーフ投手はまだウオーミング・アップしてへん。すべり出しが悪うてもそのまま続投が普通やないか」といったら永易も「それもそうやな」

このプランがうまくいったら、二人に百万円出すことを約束した(59~61頁)


しかし、ここまで綿密に打ち合わせたものの、八百長を約束した当日の先発は稲尾。リリーフに永易が出てきて見え透いた四球を出したりするものの、八百長工作は失敗。藤縄の借金は三千万円に膨れ上がることになる。

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