2010年2月19日金曜日

昔の野球はレベルが高かった? 青田昇:その3

青田昇の『サムライ達のプロ野球』によれば、日本最速の投手は沢村栄治だという。

「ある時、沢村さんがこんな話をした。『俺の一番球が速かった時は、ベース板の前の縁を目標に、ボールを投げたもんだよ』 その時は何気なく聞き流していた。なるほどホームベースの前縁をめがけて投げると、球がホップして、ストライクゾーンに入るのか、そんなもんかいなと聞いていた」
「堀内恒夫と話す機会があった時、堀内がこんなことを言った。『僕の全盛時代には、ボールが右手から一本の糸をまっすぐ張ったようにキャッチャーのミットめがけて飛んでいった』」
「今度は尾崎行雄に会って、こんな話を聞いた。『僕の場合は、キャッチャーのミットめがけて投げると、どうしても球がホップしてボールになってしまう。だからキャッチャーの膝をめがけて投げたもんです』」(沢村栄治。28頁)

豪速球投手といえば必ず名前が挙がる尾崎にして、「キャッチャーの膝」を目標に投げていたのに対し、沢村は遥かに手前となる「ホームベースの前縁」を目標に投げていた。つまり、尾崎の速球よりも遥かにホップする剛球だったのだ――という主張だ。

しかし、スピードガン普及以前の速球王伝説は、正直、あまり当てにならない。打者(捕手、球審)の感じる球速は相対的なものであって、絶対的な球速を探るヒントとは言い難いためだ。

どんなスピードボールであっても、続けて投げられれば目が慣れてきて、球筋を見分けることができる。しかし、スローボールに目を慣らされた直後であれば、さして速くないスピードボールであっても対応するこは難しい。古くは安田猛、ちょっと前には星野伸行、最近では渡辺俊介投手がプロの第一線で活躍し続けている所以だ。

沢村の速球が同時代において傑出したものだったことは間違いないのだろう。しかし、そのスピードが「MAX130km/h」だったのか「MAX165km/h」(公式世界記録より1km/h速い)だったのかは、わからないというのが正確だろう。

球のホップについても、極端な話、他のピッチャーが小便カーブのような“落ちるストレート”を投げているなかで、“落ちないストレート”が投じられれば、打者の視点からはホップしたストレートに見えることだろう(物理的にストレートが浮き上がるためには200km/h以上のスピードが必要という)。従って、この証言もあまり当てにならないといえよう。

もう一ついえば、スピードガンが普及しはじめた当初は、最速で140km/h台しか計測されなかった。当時、沢村栄治、ヴィクトル・スタルヒンらの現役時代を知るOBは、彼らの速球について、「140km/h台だったはず」といっていた。その後、小松辰雄、槙原寛己らまでが150km/h台を投げるようになってからは「150km/hは軽く超えていた」といい、現在は「160km/h……170km/hはあったかも知れない」といっている。

当の青田もTV番組で、ピッチングマシンから投じられた160km/h超の速球を見て、「これが沢村さんのストレート」といっていた。もし、打者の視点から絶対的なスピードがわかるのであれば、スピードガン普及当時に140km/h台の速球を見て、「いやこんなものじゃない。これよりも一割~一割五分は速かった」と指摘していたはずだ。

……と、青田の証言を片っ端から否定しているが、手前は決して青田が嫌いなわけではない。青田の語るOBの話についても、心の底では「伝説かくあるべし」と思っている。

昔の野球のレベルがどうであろうと、同書で青田が語るエピソードの価値が減じるものではない。小山正明の年俸更改を巡るエピソードや、一本足打法のアイディアは荒川博ではなく別所毅彦が出したものであるとする証言は、他の書籍には見られない貴重なものといっていい。

が、実のところ一番の読みどころは本編ではなく、巻末の解説だったりする。千葉茂による「青田昇は球界のゴッホである」をタイトルに冠した解説は名文中の名文。もし、同書を手に取る機会があれば、この解説もしっかり味わってもらいたいものだ。

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