2011年1月31日月曜日

結局、ダイジェストも見なかった

昨日、慣れない徹夜――しかも“朝までハンナモンタナマラソン”という、現代日本で考え得る限り最も非生産的であろう過ごし方による徹夜――のお陰で、一日中何もする気が起きず、延々と某動画投稿サイトで『カイルXY』の第4シーズンを見ていたのですが、結局、18:50くらいにおねむな感じになったので、そのまま寝てしまいました。

で、目覚めたのが5:02。10時間超も寝ていたので起きた瞬間からクライマックス状態。寝起きのカフェイン摂取の必要も全くないという状態で、積読本にしていた『天才! 成功する人々の法則』(マルコム・グラッドウェル著。講談社)を読み始めたのですが、著者の筆力が優れていたためか手前がハイになっていたためか、ナナメ読みせずに2時間弱で読了。あまりの面白さに打ちのめされながらblogを書いているところです。

このように感じるのも、多分、グッスリ眠れた&超早起きできたことによって、頭が冴え、ハイになっているからこそなんでしょう。この文章も6時間後に読み返したら「何か書いてんの? コイツ」と思うことは必定とも思います。が、寝起きでこれだけハイになれたことは、多分、10数年振りくらいなので、この感覚をうっすらとでも記録しておくことは大切だろうと思いつつ書いているところです。

で、『天才!』の何が面白かったか? っていえば、まぁ、いろいろとあるわけですが、一番ビックリしたのは「これって軍師が10年前に書いてたことじゃん!」ってこと。そう、「第八章:『水田』と『数学テスト』の関係」のハナシの要諦は、ほとんどそのまんま10年前に兵頭二十八師が書いていたことと同じなんですよ。原著は2008年発売(講談社の本は2009年5月発売)ですからね。どんだけ時代を先取りしてんのかってハナシで……。

ともあれ、ビジネス書というよりは、よく出来たノンフィクションみたいな体裁で、別に成功とかビジネスとか天才とかに興味のない人でも面白く読める軽い読みモノなので、もし手に取る機会があれば、プロローグでも立ち読みすることをオススメします。あと、『カイルXY』は、シーズン3第1話(通算24話)で自主的に視聴を止めることをオススメします(以降はプロム編まではダメなビバヒル白書で、シーズン4はダメダメな4400orロズウェルみたいな感じですから)。



2011年1月30日日曜日

頭がスッキリしてからダイジェストを見よう

昨日のサッカーアジア杯決勝。決勝くらいは見ようかな、と思って珍しく夜更かししようと思っていたら、試合開始まで妙に時間があったので、某動画投稿サイトで『ハンナモンタナ』の第一シーズンを見ていたら(許せディズニー!)、これが妙にツボにはまってしまって、結局“朝までハンナモンタナマラソン”をしてしまい、気づいたら正午だったという……。

で、さっきYahoo! ニュースを見て優勝したことを知りました。試合を見ていないので何ともいえないのですが、結局、延長戦後半に李忠成(帰化人でしょうかね?)が決勝点を入れたそうで。「点の取り合いがなきゃ面白くないじゃん!」という、まるで野球の魅力のほとんどがホームランにあると勘違いしている人みたいな低レベルのサッカーファンとしては、105分間動かなかった試合を見続けるよりは、朝までハンナモンタナマラソンで良かったのかも。もっとも内容についていえば、起きた瞬間に「ジャクソンがキモかわいかった」ってこと以外、キレイサッパリ忘れてしまいましたが。

それにしても30半ばになってから生活リズムを狂わすと、ダイレクトに頭と身体に響くなぁ。何か書こうにも脳みそが全然動かない。

2011年1月29日土曜日

ジャケ買いで後悔した「原辰徳と落合博満の監督力」

てか、四半世紀来の落合ファンの目の前にですね、こんなタイトルの本を出されたら条件反射でカウンターに持っていくに決まってるじゃないですか! 立ち読みしてから買えって? そんな冷静な判断ができるくらいなら四半世紀も落合ファンなってやってないって!!

というわけで、張本勲の新刊『原辰徳と落合博満の監督力』を衝動買いしてしまったわけですが、1300円ですよ1300円。一緒に買った『glee』のDVD(1000円)に比べてなんと割高なことか。内容は「二世代古い野球観+スポーツ紙のOB解説」といった感じ。原には「非情になれ」、落合には「傲慢を直せ」と、表紙とタイトルのインパクトとは裏腹に、予想も期待も裏切らないものだったりします。

ただ、新たな知見は何一つ得られなかったものの、古きよき時代における野球界の常識に改めて触れることで、いろいろと思うことがあったことも事実。その意味で、手前的には悪くない買い物ではありました。といっても、1300円は高い。せめて600円くらいなら納得できたのに!

2011年1月28日金曜日

上半期にもルビ振ってやれよw

参院代表質問で、上半期を「じょうはんき」と読んだ首相の見識に触れて、以下の面接小話を思い出してしまいました。

学生「株式一部上場とのことですが」
面接官「ええ。東証一部に上場しています」
学生「全部上場されるのはいつになりますか?」

今週発売の週刊新潮より↓

いくら庇ったところで、どうにもならんでしょ

・自民党なら派閥だけど、民主党ならグループ。
・自民党なら派閥争いだけど、民主党なら党内論議。
・自民党なら閣内不一致だけど、民主党なら閣内論議。
・自民党なら公約違反だけど、民主党ならマニフェスト修正。

ここ最近の新聞とTVを見る限り、日本政治は大変進歩したようです。なにしろ派閥抗争も閣内不一致も公約違反もなくなったんですから!

で、景気、財政、外交、安全保障、社会保障……何か一つでも上手くいったことってあったっけ? てか、そもそも日本政治が大変進歩したように見えるってのはまやかしで、実は自民党時代よりも劣化してね?

なぁ~んていわずもがなのことを書いているのは、今国会の開会に合わせて、産経新聞以外の全ての新聞とTVが気持ち悪いくらいに菅内閣を擁護――どんだけ機密費貰ったんだ?――していることに対する“脊髄反射”みたいなもんです。

「ブーメランと大風呂敷」首相演説に反省なし

てか、「財源は埋蔵金(笑)」って言ってたのを「財源は消費税」なんて言いくるめようとしている奴らのことを、いくら擁護したところで、有権者が支持するわけないでしょう? 支持率なんて予算委員会が始まったらいつも通りに急落するのは目に見えているし、統一地方選で惨敗することも確実なわけでね。

まぁ、こういう八方塞で絶対に勝ち目がない状況だからこそ、菅は解散しないんだろうけど。でも、解散しなきゃしないで「菅おろし」が始まるわけだし。で、小沢派絡みの政局バナシとスキャンダル合戦だけが延々と続いて……って、それどこの第三共和政だよ!

2011年1月27日木曜日

「義務投票制」に異議あり!(成歩堂君っぽく読んでね)

「義務投票制」なしでは日本社会は亡ぶ。棄権者には罰金を適用しよう!

兵頭二十八師曰く、すぐにでも「義務投票制」(wiki)を導入せよとのことですが、この主張にはちょっと意義があります。少なくとも同トピックで語られている内容のみで判断する限りにおいては、賛同し難いですね。

最も疑問に思う点は「罰金」の取り扱いです。前回総選挙時の有権者数は1億394万9442人、投票者数は7201万9655人、棄権者は3192万9787人となっています。仮に罰金1万円とした場合、棄権者全員が支払うとしても、税収としては3193億円にしかなりません。税源としては1兆円以下で“はした金”といえるでしょう。罰金が10万円であれば3兆円となかなかの税収となりますが、ハッキリいって「10万円の罰金」というのは全有権者一律に網を掛ける課徴金としてはあり得ないくらい高額でしょう。

しかも以上のことは、義務投票制でも何でもない現行制度の棄権者数をベースに仮定したものです。もし、100円でも罰金が掛かるような義務投票制になれば投票率が急増(=棄権者数が激減)することは間違いありません。現在、義務投票制を導入している国で先進国に最も近いであろうオーストラリアの投票率は95%程度といわれています。この数字をベースに、2010年9月2日時点における日本の有権者数(1億438万514人)を当てはめると、約522万人が棄権する計算になります。罰金1万円なら5億2200万円、10万円なら52億2000万円にしかなりません。どっかの大富豪の所得税か、健全経営している大企業の法人税くらいの金額にしかならず、国家税収としてみた場合は“端数”レベルでしかないといえます。おまけに徴収にあたっては1億人以上にもれなく網を掛けなければならず、その徴収コストが膨大なものになるであろうことは容易に想像がつきます。実際、厳格に適用しているのは中小規模の国家しかありません。

このように、「義務投票制の罰金」が税収に寄与するというハナシについては、「ちょっとあり得ないんじゃない?」と思いますね。

ただ、ここまでのハナシは「放送形式の短い文章から罰金と税収について」だけおかしい! と断じただけのこと。軍師の言うとおり――

・組織票を恃みとする候補者は選挙戦が苦しくなる(=宗教団体や労組が応援する政党が苦戦する)

・結果、近隣諸国の間接侵略勢力の国会浸透を防げる(=冷戦時代にKGBが労組に浸透していたように、現在は中共や北鮮、韓国が労組に浸透しているが、こうした間接侵略を防ぐことができる)

――というメリットはあるのかも知れません。ただし、このメリットについてもそこまで過大評価はできないのではないか? とも思っています。もし、こうしたメリットが額面通りに機能するのであれば、なぜ、オーストラリアはやすやすと中共の間接侵略に屈してしまったのか? 手前としては、ここのところがキッチリと保障されないと、「単に有権者の自由を制限するだけで、何のための新制度導入だったのか!」って怒り狂うしかないですからね。

と、いろいろと文句をブーたれてはいますが、手前としても若者の投票参加の必要性については痛切に感じているところです。これを促す一手として義務投票制(罰金有)という選択肢も「アリっちゃぁアリ」とは思っています。ただし、現時点ではこれを最善手とは思えない――というのが正直なところです。

2011年1月26日水曜日

もう少し気の利いたことを言ってほしかったけど

前原外相、二重被爆者をあざわらったBBC番組に「強い怒り」

ここで北アイルランドに掛けた不謹慎なジョークをかまして欲しい――といったら望み過ぎか。ジョークが思いつかなかったら他人に頼っても全然OKなわけでね。それこそ兵頭師にでもメールかFAXで、「今回の件でイギリス人を憤激させること間違いなしのジョークを10個くらい考えてもらいたい。ギャラは1個につき5000円。ただし、採用したものには10万円」なんて連絡をすれば、その日のうちに喜んで考えてくれるんじゃないかなぁ……。

まぁ、こっちは国際的なマナーとしてサイモンヴィーゼンタール・センター関連の物件についてはシャレにしないってことを弁えている――実際、雑誌でも本でもシャレにならないことを書いたら手紙一通で封印するくらい神経質な――わけだから、そっちも皇室と原爆関連はシャレにしてくれるなってことで、一度キッチリ文句を言ったら殊更にブーブー言う必要もないでしょ。こんなことで文句をいってたら、韓国、朝鮮、中国に対してどんだけ怒鳴りつけなきゃならなくなることか。

2011年1月25日火曜日

*読書メモ:なぜうつ病の人が増えたのか

・98年は日本にとって「自殺元年」とも言うべきエポックメイキングな年。不景気により年間自殺者がはじめて3万人を突破した。しかし、98年にはうつ病患者は増えておらず、抗うつ薬の売上高も全く増えていない。うつ病患者が増え始めたのは99年以降のこと。抗うつ薬市場の急拡大も同じ。わずか2年のタイムラグだが、ストレス仮説で説明しきれるものだろうか?

・自殺者グラフは失業率と対応している。自殺者数は02~03年を頂点として、失業率の改善とともに減少している。一方、うつ病患者数は99年以降、右肩上がりで増え続けている。つまり、自殺者数は経済状況を強く反映しているといえるが、うつ病患者数との相関関係については明確なものが見えないということ。

・では、99年に精神科領域において何があったのか? SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が日本で初めて導入されたのだ。これ以降、抗うつ薬市場は170億円前後から1000億円規模にまで急拡大。うつ病患者も右肩上がりで増えてきた。

・SSRI上市後の抗うつ薬市場の拡大とうつ病患者の急増は、SSRIを導入した全ての先進国でもれなく起きていることで、極めて再現性が高い事象といえる。英国の例では、失業率が増えても抗うつ薬処方量は変わらないものの、SSRI上市後は失業率が減っても抗うつ薬市場が急拡大するという状況になっている。

・アイスランドは、目下のところ世界一抗うつ薬が普及した国だ。国民14人に1人が抗うつ薬を処方されている(日本は2003年のデータでも1000人につき13人程度)。世界的にうつ病は啓発活動不足と言われているが、アイスランドには当てはまらない。

・しかし、これだけ多くの国民が抗うつ薬を飲むようになっても、入院回数、外来診療といった指標において大きな改善が見られていない。日本の5倍まで抗うつ薬普及率を高めた国が、マクロの数字だけを見るとその効果が変わっていないのだ。抗うつ薬がうつ病を早く回復させ、QOLを高め、自殺率を減少させるのであれば、世界一抗うつ薬服用率が高いアイスランドでは、もう少しうつ病の統計指標が改善されてもよいのではないか?

――ちょっと前に話題になっていた本だが、ようやく図書館の予約順が回ってきたので読了。評判通りの面白さ。何より感情的にならず、淡々と筆を進めているところが良い。こうした類の主張は、膨大なデータの使い方次第でいかような結論も導き出せる――実際、メーカーサイドの反論は『サンキュースモーキング』の主人公並みに手際が良い――だけに、まかり間違えば陰謀論にも受け取られかねない危険性があるが、同書で用いられているデータはごくごく基本的なもので、都合良く曲解しているところが少ない点に好感が持てた。99~00年にかけてのSSIR上市の状況と啓発活動の裏側、高薬価品の登場と市場拡大の相関関係などは、当時、医薬品業界に関わる仕事をしていた者として言わせてもらうなら「99.9%真実」。この辺の実態を手軽に知りたい人にとっての“入門書”としても良く出来ている。



2011年1月24日月曜日

将来を読むことほど難しいことはない

「もの凄い馬だ。追って感動したのは初めて」(安藤勝己。サダムイダテンを評して)
「この馬でGⅠ勝てなかったら俺も終わりだな」(岩田康成。ダイシンプランを評して)
「世界を狙えるシーザリオ級」(福永祐一。ワイドサファイアを評して)
「彼は新種のサラブレッド」(武豊。モノポライザーを評して)

斎藤佑樹投手に対する評価はうなぎのぼりのようですが、競馬の世界ではデビュー後の評価でさえこんなものです。無責任な野球評論家の言葉は、ハナシ1/10くらいで聞いていた方が良いのかもしれません。これまで報道された言葉で、ある程度信用できるのは、江川卓の「北別府みたいになれば200勝できる」と桑田真澄の「1年くらいは身体を作ったほうが良い」って評価くらいじゃないでしょうか。

二人の評価は一見正反対のように見えるものの、内容を吟味すればほとんど同じことを言ってますから。江川の言葉はベタ褒めに聞こえるけど、その本音を翻訳するなら、「アンタの身体じゃマー君みたいなストレートは逆立ちしても投げられないんだから、死ぬほど努力して針の穴を通すコントロール(30年に1人レベルのハイレベルな技術)を身に付けなきゃプロで通用しないよ」ってことでしょう。これに比べると、桑田の評価は本当に心がこもっていると思いますね。他の評論家の評価? ……彼らもおまんまを食わなきゃならないわけで……。

2011年1月23日日曜日

『glee』について思うこと

いろいろと思うことはあれど、それをキレイにまとめるのは面倒くさいので、思うことを箇条書きで書き出してみることにします。

・製作、監督、脚本はオープンゲイの人。あのドラマは彼の人生そのものなんだなぁ。
・Queen、Judas Priest、ジョージ・マイケル、アダム・ランバートが大好きで、このドラマも大好きな手前は、ゲイとの親和性が高いってことか?
・ゲイって心の底から「レーガン以降の共和党」が良しとするコト(キリスト教右派、パツキンの白人etc)が嫌いなんだなぁ。
・まぁ、マイノリティだから当然っちゃぁ当然だけど、ドラマの中であそこまで露骨に描かなくてもねぇ。





・ローランド・エメリッヒ(ゲイ)が典型的だけど、共和党政権下では政府を無能扱いして、民主党政権下では政府が頼りになる描写をするし。
・一神教批判をするリチャード・ドーキンスもそうだけど、敢えて苛烈に攻撃しなきゃ相手に主張を汲み取ってもらえないのかなぁ。
・まぁ、あの内容がハリウッドセレブに受けているということは、ゲイに限らずエンターテインメント業界の人間(=学生時代は負け犬)が、ああいう風に思っているからなんだろうけど。







・ともあれ、ミュージカルシーンが比較的自然に撮られているところは素晴らしい。
・いきなり廊下や道端で歌いだすのではなく、必ず練習やステージで歌い始めるのがナイス。
・楽曲に下手な統一性(80年代縛りとかポップス縛りとか)を持たせなかったところも、実は凄い“発明”かも。
・これまでに既存楽曲を使った多くのミュージカルでは、ほとんどの場合、「監督の好みとセンス」が縛りになっていたから。
・使用許可を得たヒットナンバーを自在に使えるので、シーンにマッチした歌詞の曲を簡単に合わせられるし。
・てか、『Don't Rain on My Parade』『Gives You Hell』が共存している世界観って何なんだ? って思うけど、合唱部という一括りで全然OKだものなぁ。
・あと、「産業ロック」が本邦で日の目を見たこともうれしい。日本では渋谷陽一あたりがバカにしていて不当に貶められていただけにね。
・“アート”じゃなくて“製品”であったとしても、イイものはイイわけでね。だいたい“アート”だからエライって見方が大間違いなわけで。
・つまり、スティーブ・ペリー加入後のJourneyは素ン晴らしいってことですよ。
・これを機に、同じような視点でバカにされ続けていた光GENJI(チャゲ&飛鳥作曲のみ)とかが再評価されればいいんだけど。
・メンバーがシャブで服役中だから無理だろうなぁ。



2011年1月22日土曜日

今更ながら『glee』を観ました

「全米で話題沸騰!」
「オバマ大統領夫人も大ファン!」
「著名人がゲスト出演を熱望!」
「エミー賞を独占!」
「ベッキー一押し!」

と、手前みたいなボンクラには一切縁のない権威主義的&ミーハー向けなプロモーションをストレートフラッシュで展開している、アメリカの人気TVドラマシリーズ『glee』

評判は聞いていても、こうしたプロモーションに嫌気が差して「誰が見るものか!」と思っていたんですが、ようやく準新作落ちしてくれた『ヒックとドラゴン』(3Dで見て泣きに泣いたけど、自宅のブラウン管で見ても素ン晴らしいことに変わりはない傑作)を借りるべく、近くのレンタルDVD店を訪問。「旧作・準新作4本で1000円キャンペーン」を受け、レンタルする3本まで決めたものの残り1本が決まらず、何気なく新作の棚を見たら「『glee』。新作だけど1weekレンタル!」とあり、店員さん曰く、「これを入れて4本1000円でOKっすよ」とのことだったので借りたわけですよ。

で、冷やかし半分に見てみたわけですが……

結論から言えば、もうズブズブにはまりまくりますた!

どれくらい劇的にハマったのかというと、「第1話:新生グリー誕生(原題:Pilot)」を見た2分後にはコートを羽織ってレンタルDVDに行き、貸し出されているvol2、3を借りにいったくらいです。

内容はというと、大雑把に言えば「合唱部を舞台にした『がんばれベアーズ』」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。ただ、そのクオリティが不気味なくらいハイレベルなんですよ。だって、まぁまぁ高校生に見える若い役者さんが、45分の尺の中で4~5曲を歌って踊る――もちろん1話ごとに違う曲を違う振付&違う衣装で4~5曲歌って踊る――わけですが、それぞれが1本のPVとしてカネを取れるレベルな完成度なわけです。そのうえでラブコメ&シリアスな演技もきっちりやると。しかも放映ペースが毎週とか。

ストーリー展開は王道だし、パクろうと思えばいくらでもパクれるだろうけど、実際に日本のTV局がパクったとしたら、多分、目も当てられないレベルになることは必定ですよ。だって、歌って踊るってシーンだけでも、モーニング娘。や宝塚、劇団四季なんかより遥かにハイレベルだもの。

【ニコニコ動画】glee(ネタバレしない範囲&Vol3までの見た限りでは平均レベルのパフォーマンス)

【ニコニコ動画】LOVEマシーン モーニング娘。 LIVE

【ニコニコ動画】うたかたの恋 いろいろいろ(ニコニコ動画で映像付のものとしてはマシなもの)

【ニコニコ動画】よりぬき劇団四季(ニコニコ動画で映像付のものとしてはマシなもの)

しかも、彼女(彼)らは日々厳しいトレーニングと振付の稽古を繰り返してのパフォーマンスであるのに対して、『glee』の面々は毎週放送という超過密スケジュールに合わせて大した稽古もできないでアレなわけですよ。vol3まで見終わっての感想は、「アメリカのエンターテインメント業界ってどんだけ凄いんだ!」の一言。掛値抜きで100年経っても追い付けないんじゃないか? って思いました。

個々のイケてる点――校内カーストとマイノリティの取り上げ方、脚本の完成度の高さ、シーンに合わせた選曲の見事さetc――について書き出すと止まらなくなるので自重しますが、「ミュージカルが死ぬほど嫌い」とか「洋楽なんて耳にするのもイヤだ」とかいうのでなければ、騙されたと思って見てください(幸い、11年1月中はPilotを無料で見られるようです)。

このPilotの出来が見事でねぇ。TVシリーズの命運を握るエピソードだから、面白くて当然っちゃぁ当然なんだけど、それにしても徹底的に練りこみ、ブラッシュアップにブラッシュアップを重ねた脚本が本っ当に見事。「ラストの『Don't Stop Believing』という決め技で、いかにして視聴者をKOするか?」だけに焦点を絞ってドラマを作り上げていてですね、ニュー・ディレクションズの面々が二番を歌うときに、シュースター先生が現れてくるカットには滂沱の涙!

妻の妊娠という現実を前に、「金のために生きるか?」「自分らしく生きるか?」という選択を迫られたときに耳にするのが――

日々の生活のために仕事してっけどさぁ、
誰だって自分の夢を追ってみたいわけよ。
もう一回だけ勝負できるんならね、
そりゃ何だってしちゃうもんね。
(都築意訳)

――ってな歌詞で、サビに入って「Don't Stop Believing♪」と来るんですよ。ベタもベタな展開だけど、そこに至るまでのドラマの作り方があまりに見事なために、ググッと感動するわけです。

……って早速自重できずに止まらなくなってしまったので、ここで本当に打ち止めにします。





2011年1月21日金曜日

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その6

●第五章:もっと“プロ”らしくならないかプロ野球

 野球は、コーチの首を一つや二つすげ替えたぐらいで優勝がころがり込むような甘い商売ではない。あくまでも、実際に投げたり打ったりするのは選手なんだからね。
 この際、はっきり言わせてもらえば、選手も選手で、たいした実績もない連中がこぞって野球以外の副業にかまけているのだから話にならない。
 オレたちプロ野球選手は、そもそもなにでメシを食うべきなのか? そこのところをよく考えてほしいね。
(180~181p)

 たとえば定岡にしても、ユニホームを着て野球をやっているから定岡で通るわけで、野球を辞めてしまったら、タダの男だ。どうしてあんな辞め方をしなければいけないのか、オレにはさっぱりわからない。不完全燃焼もいいところだ。
(中略)
 どんな使い方であろうと、それを決めるのは監督の仕事で、オレたちはゲームに出て、いい結果を出すのが仕事だ。文句を言うのは、お門違いさ。
 定岡にはなんの恨みもないが、所詮、オレたちは野球選手、全部投げ出したらおしまいだ。
 どうしても使われ方が納得できないなら、むしろトレードを歓迎すべきなんだ。今のチームでダメでも、よそで心機一転、巻き返してやろうという気がほしかった。
(182p)

 監督という立場の人は、勝つことに全精力をそそげばいいのであって、選手は、勝つための駒にすぎないんだ。正直なところ、あの人(都築注~広岡達郎のこと)の“勝つ野球”はすばらしいと思った。
(中略)
 玄米食とかなんとかいっても、これはあくまでも西武球団が与えた食事であって、それ以外のものは食べるな、とは一言も言ってないはずだ。
 ほんとうに管理するのなら、宿舎から一歩も出さないのがほんとうだが、実際は門限の範囲内で自由にできる。その間に肉も食べられれば酒も飲めるわけよ。
(183p)

 遠征の場合、足代から宿泊代、食事代まですべて球団持ちで約五十人が移動する。これは十二球団どこもほぼ同じ。いちいちその五十人に食事のメニューを聞いていたら、宿舎のホテル側もお手上げだ。
 だから、球団がよかれと思って出したものが気に入らない場合は、サイフを持って外に食べに行けばいいんだ。
 こういう話をうちの若い連中にすると、「落合さんは給料いっぱいもらってるから、外でいくらでもいいもの食えるでしょうけど……」という返事が返ってくる。
 でも、それは違うと思う。酒を飲むのも、女遊びをするのも、バクチを打つのも全部、これは野球のためだ。メシを食うのだって同じ。あした、いい仕事をするために必要なら、身ゼニを切って外でメシを食わなければいけないわけ。
 プロ野球選手はからだが資本だから、食事代ぐらい、必要経費と考えるべきなんだ。それを、カネのあるなしに結びつけるのはおかしい。
(183~184p)

 なかでも最悪なのが「あの選手と競争してもボクは絶対に勝てない」という負け犬根性を表に出す選手だ。あいつの足を引っ張ってでも抜いてやろう、なんて気は最初からないわけ。
 おまけに、使うほうも使うほうで、それを増長させるような選手の育て方をする。
 というのは、最近の球界には、特定の選手に、いきなり一つのポジションを与えて育てよう、という風潮が年々強まってきているからだ。
(190~191p)

 たとえば、同じポジションにAとBの二選手がいたとする。AとBとを競争させて勝ったほうを使おうというのではなく、レギュラーのAより、Bのほうがスター性があるから、今は下手でも、Bを使いながら育てていこうとする。
 これをやられると、今まで必死でやってきたレギュラー選手が、なんの根拠もなくベンチを温めることになってしまう。
 どうして競争もさせずにうまい選手から職場を奪うのか、競争したら絶対負けないという自信を持った選手たちが、今何人も冷やメシを食わされているのだ。
(191p)

 もうそろそろ日本のプロ野球界も従来のような画一的な指導方法に疑問を抱いてもいい時期だ。オレの例がなかったら、当然ボロクソに言われたはずの西武の秋山や大洋の田代あたりが、現にアッパースイングでやっているのだから。
 二年あまり前、山内さんがどこかにこんなコメントをしたことがあるそうだ。
「私は、これまでの自分の指導方法が間違っていたとは思わないので、これからも同じ方法で信念を持ってやっていく。が、落合の出現によりもうひとつ別の角度から野球を考えてみることができた」
 つまり、なんでもかんでも選手をひとつの型にはめるということをしなくなったらしいのだ。
 一方、金田さんは金田さんで、オレがオールスター戦にはじめて出たとき(昭和五十六年)に、読売テレビの解説で、「落合はすばらしい」と見直してくれたそうだ。
 かつて絶対通用しないと言われた選手がほめてもらえるようになったのだからうれしいね。
(194p)

 そもそも、この世界に入ってきた連中が、「レギュラーになれて当たり前」の気持ちで百三十試合に出たら、誰でもある程度の数字は残せると思う。バッターなら二割七分、八分、十ホーマーぐらいはいける。素質はみんな持っているのだから、要するに慣れなんだ。
 プロ野球選手にいちばん必要なことは、この慣れだ。仕事としての野球に慣れること、試合に慣れること、そしてプロのスピードに慣れ、観衆に慣れることだ。
(204p)

 プロ野球選手には、自分で辞める方法と、「お前、もういらないから、どっか行け」と言われて消えるのと、二通りの辞め方があるが、オレは十二球団がいらないというまでボロボロになりながでもやるつもりだ。
 野球をやっていれば、何千万もくれるのだからまったくいい商売さ。
 あと十年でも二十年でも、棒を振り回して稼いでみせる。そして、打率四割を達成して、グラウンドで死ぬのが、オレのちいばんの夢だ。
(210p)

――球界のあり方、指導法についての持論はこの頃から完全に確立されていたことがわかる。“打率四割構想”は割愛。

2011年1月20日木曜日

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その5

●第四章:オレを変えたカミさんのインサイドワーク

 オレがこう言うと、よくシラーッとされたりバカにされたりするが、うちのカミさんはいいカミさんだ。ひと言で言うと、頭のいい女。機転がきくというか、先が読める。気配りもできるしね。
 おかげで、独身のころに比べると、こっちもずいぶん変わった。またまたガッカリされても仕方ないが、驚くほど家庭的な男になったから不思議。
(145p)

 独身時代は、球場から酒場へ直行。これを毎日欠かしたことがなかった。
(中略)
 なんだかんだでメシ代飲み代で月七十~八十万円、湯水のように金を使っていた。
 それが今では、真っ直ぐ帰るようになった。結婚していちばん変わったところと言えば、ここだろう。今は夜中の一時にはもう寝ているからね。おかげで、朝十時には目がさめるし、デーゲームでもちっとも苦にならない。
(146p)

 以前は飲む以外にも、打つ、買うと、遊びは三拍子そろってやっていた。
(中略)
 ちなみに、オンナは意外にオクテで、二十歳と十ヵ月のときが最初だったっけ。
 チョンガー生活が長かったので、二十歳代のうちにたいがいのことはやってしまった。だから、オレの場合、今さらぶり返して遊び歩いて、虚しい思いをすることもないわけだよ。
(149~150p)

 結局、女房というのは、自分の唯一の味方なんだ。もしかして敵になる場合もあるかもしれないが、そうなったらもう別れるしかない。
 一緒に暮らしている以上、お互いに味方同士で、助け合っていかなければウソだ。イザというとき、他人は誰も助けてくれない。ザマアみろという人間はいっぱいいてもね。なにかあれば、身内にさえ、ねたみがあるもの。
 ねたみなしに、心底、喜んでくれるのは、はっきり言って女房だけだ。
(151~152p)

 野球のことだけを考えていればいいような環境にあるから三冠王も取れた。またのろけと聞こえてもいい。半分以上、あいつのおかげなんだ。亭主は、ただただ棒振りをしてカネを持ってくればよかった。
(中略)
「あなたは野球なら野球のことだけをやっていないとおかしくなる人。髪の毛ひとつにしても私が切ってあげなくちゃいけないし、なにしろ手がかかる」
とカミさんにも言われるが、実にそのとおりだから仕方がない。
(152~153p)

 カミさんと知り合ったのは、ロッテに入団したばかりの昭和五十四年のことだ。
 最初はお互いの友人同士が顔見知り、それで二人ともなんとなく知り合いに、という程度の仲だった。年齢は、オレより三つぐらい上だろうとは思ったが、九つ上とはまったく想像もしていなかった。
(中略)
 その後、すんなり一緒になったわけではない。知り合ってから昭和五十九年の十二月に入籍して一緒に暮らすまでには、しばらく間があったんだ。
 それには過去、オレが一回失敗していることもある(昭和五十五年のオフに、キャンプ地・鹿児島で知り合った女性と結婚したが、翌春離婚)。
(157~158p)

「子供は、できたらでいいや」
 最近では、お互いにそう思うようになった。いれば何人いてもいいが、二人とも子供の世話になる気は全然ないからね。
 少なくとも、子供は親の所有物ではない。自然のままに放っておけばいいと思う。
 腹を減らしたら食べさせてやればいいし、眠ければ寝かせておけばいい。おカネも、あれば使ってもかまわない。多少物心ついてくれば、よしあしの判断なんて自分でできるわけだから、手が後ろに回らない程度に自由にさせてやればいいの。
 子供をガミガミ叱るのもどうかと思う。自分だってたいしたことないのに、自分のやってきたことを忘れて子供に押し付けようなんて、とんでもない。
(164p)

 ウソというのは、ひとつのウソが二つ、二つのウソが三つになって、最後には身動きがとれなくなる。いいカッコをするにしても、おカネを使って常に自分の能力以上に自分を見せなくてはならない。
 だから、オレは自分のありのままの姿で、自然に世の中を渡っていくのがいちばんだと思うし、そうして生きているつもりだ。
 自分流に生きるためには、ときとして突っぱねる頑固さも必要だ。
 それでダメなら、世の中、メシを食う手段は、野球だけではない。オレはどんなにキツイ仕事をやったって全然かまわない。
(169p)

――以後の本ではほとんど触れられていない私生活について、雄弁に語っている章。信子夫人の「特別手記“落合博満”と私」は割愛。

2011年1月19日水曜日

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その4

●第三章:オレの打撃の秘密を公開しよう

 今年(昭和六十一年)西武に入った清原(和博)、あれは大変なバッターだ。
 あの構え方が実にいい。彼に比べたら、オレの高校時代の構えなんかお粗末なものだ。あれほどゆったりしたラクな構えができる選手は、今のプロ野球にもひと握りしかいないね。
(中略)
 今の清原の構えなら、左肩が突っ込むことも開くこともまずないと思う。PL時代に自分で編み出したのか、それとも誰かに教わったのか? そんなことは知らないけれど、いずれにしてもオーソドックスないい打ち方をしている。
(84p)

 やっぱり自分で考えたものに肉付けしていって、自分で対応の仕方を覚えないと、この世界で生き残れない。
 極端なことを言うと、オレなんか、ピッチャーが右か左かによって構え方が変わるときもある。三冠王を取った去年(昭和六十年)は特に変わっていたと思う。
(87p)

 コーヒーのカップを持つのだって、人それぞれ。カップの柄を三本の指で持つ人もいるし、四本の指で持つ人もいる。なかには、柄を持たずにカップの底を手のひらで持ち上げる人もいる。
「どうやって持とうか?」と考えながら持つ人はいないよね。これは自然に持つものであって、どう持ってもかまわない。
 バッティングも同じことで、早い話が、来たタマを打ちゃあいいの。
(88p)

 昭和五十八年限りでロッテを退団されたキャッチャーの土肥健二さんが、その人だ。
 入団三年目(昭和五十六年)の鹿児島キャンプ。土肥さんが偶然、オレの隣で特打ちをやっていた。それを見て、
「はあ、うまいこと打つな。あれをまねできたら……。ヨーシ、オレもまねしてみよう」と思ったのがそもそものはじまりだ。
(中略)
 こねたりしないで、バットを素直にそのまま送り出すという感じなのだ。バットを放り投げるような感じでね。来たボールの軌道にうまいことからだを合わせて、そこからバットと腕のしなりを利用して払ってやるわけで、それがなんともうまかった。
(90p)

 左バッターはヒジが中に入ってもいいが、残念ながらオレは右利き。おまけに、肝心なそのヒジが、どうしても中へ中へ入ろうとする持病の持ち主だ。
 だから、どうやったら右のヒジが中に入らないでバットを振り出せるかということをあれこれ考えた。
 それが“神主打法”とかなんとか言われている構え方だ。バットを正眼に構えるというか、胸の前で倒すように突き出すと、ヒジは中に入りにくいはず。ロッテのユニホームの側面にある縦のストライプより後ろにヒジがいかないようにするんだ。
(94p)

 今のプロ野球界が変化球全盛になったのにはいきさつがある。
 ピッチャーの練習量には限度があるのに対し、野手のほうは無限と言ってもいい。素振りは千回でも二千回でもできるし、マシンを使えば、ボールだっていくらでも打てる。おまけに、真っ直ぐ(ストレート)が速いピッチャーが少なくなった。
 そうすると、ピッチャーは球種を増やして変化球で勝負するしかなくなる。
(中略)
 今は変化球の中でも特にスライダー全盛。当世、どんなピッチャーでもスライダーを投げてくるから、引っ張りばっかりのバッターではついていけない。どこにでも打ち分けられないといい打率が残せなくなる。
 インサイドのボールだけに的をしぼるなどという野球ができなくなった。
 ロッテ入団時、山内監督の話は勉強になったけれど、そのままではオレには向かなかった一因もその辺にあると思う。要するに、昔はスライダー・ピッチャーが少なかったということだ。
(98~99p)

 バッティングピッチャーは別として、ピッチャーとバッターは相反する立場だから、もうだまし合いするしかない。これがお互いの仕事だ。
 となると当然、バッターはピッチャーを信用しちゃいかん、ということになる。信用して“ヤマ張り”なんかすると、ストライクでもボールでも全部打ちにいくハメになる。
 オレの場合、ヤマは全然張らない。真っ直ぐしか待たないもの。オレは打つポイントがふつうよりキャッチャーに近いから、変化球を待っているところへ真っ直ぐを投げられたら打てない。真っ直ぐを待っていて変化球なら、遅い分どうにかなるけどね。
(104p)

 そして、オレにとっていちばん手ごわいピッチャーを具体的に挙げるとなると、なんといっても東尾(西武)さんだ。
“投球術”というものを知り尽くしている。打者心理と言いかえてもいい。
(中略)
 それと、昔、東尾さんからデッドボールをくったのが、たまたま頭だったせいもあると思う。確か一度目の三冠王を取った昭和五十七年七月七日だ。生まれてこのかた、救急車のお世話になったのは、あのときだけだものね。
(113p)

 同じ欠点でも原因がひとりひとり違う。だから、結果的に他人の分析も自分にとってプラスになるのだ。
 たとえば、原(辰徳・巨人)の場合、簡単に言うと、突っ込みすぎ。からだがピッチャーのほうに出ていってしまう。
 あれだと、ボールを引っぱたくことはできても、バットに乗せて運ぶことはできない。後ろにタメがないから、全身で突っ込み、体重がそっくり前に行ってしまう。
 あれはもうクセだ。直す方法はいくらでもある。肩、腰、ヒザ、この肝心かなめのところをどこか一ヵ所でも我慢すればね。
(125p)

 むずかしいことは抜きにして、いまバットのスピードでは誰が速いか? 右で中日の宇野、左では南海の門田さんあたりが一番。日本で王さんの五十五本を破れる可能性を持っているのは? 多分、宇野か田代(大洋)のどっちかだ。
 そして、打率四割を打てるのはオレ。そう口にするのは、この青写真があるからだ。
(134p)

「これを教えたら最後、アイツ、メチャメチャ、自分のライバルになるんじゃないか」という発想は、オレには全然ない。別に今の考え方がオレの財産だとは思っていないからね。
 たとえば、誰かがオレのやり方を完璧にマスターしたとする。それでも、怖いとは思わない。むしろ歓迎だ。結局、自分がうまくなろうと思ったら、全体のレベルを上げるのがいちばんいいんだから。
(141~142p)

――連続写真を見せながらの“神主打法”解説と、調整スケジュールのパートは割愛。なお、同書の打撃論を読んだあとに、現時点における決定版である『落合博満の超野球学1、2』を読むと、15年経って明らかに進歩したことが良く理解できる。





2011年1月18日火曜日

Podcast28 MIL短報・避難ver「来るべき対支戦争のカタチって?」

月末発売予定の『大日本国防史』にwktkしながらも、『食堂かたつむり』に憤慨したり、落合博満をリスペクトしたりしながら毎日更新しているところを見込まれてか、またもや手前にお鉢が回ってきました。というわけで、以下、『大日本国防史』を待ちきれないファン代表として、対支防衛に関する素朴な疑問をぶつけてみました。

都築有(以下、都築)――本年もよろしくお願いします。いきなりですが「エア・シー・バトル(ASB)」というのが米軍の大方針としてあって、これを日本が押し付けられて、こんど、「動的防衛力」とやらを閣議でも採用したという話なんですが、このへん、わかりやすくご解説を願えませんか?

兵頭二十八師(以下、兵頭)――承知しました。1980年代に「エア・ランド・バトル」というのがありましてね。もし、ソ連軍が西ドイツに、あるいは北鮮軍が韓国に出てきたなら、米軍は空中から逆越境して、敵の第二梯団以降を打撃してやろう、というドクトリンでした。後続梯団を叩かないと、最前線への圧力がいつまでも弱まってくれない……というシミュレーションからの結論でした。まあ、実戦で試すチャンスは遂に来なくて、ソ連が崩壊しちまいましたけどね。朝鮮半島ではまだこれは活きているはずです。で、こんどは「エア・シー・バトル」。ネーミングは、あきらかに、「エアランドバトル」の真似ですよ。

都築――対象は、中華人民共和国なんですか?

兵頭――特定国名は挙げないというペンタゴンの公式方針です。が、ASBの適用海域がまず西太平洋で、次がペルシャ湾だ……ってんですから、仮想敵の筆頭が中共軍であるのは間違いないです。1941年12月から1942年にかけて日本がやったような東南アジアの「アンチ・アクセス」達成、つまり米軍をその海域から締め出すという戦略を、シナは狙っているんだ、と見ているのです。

都築――その「アンチ・アクセス」を破れ、というのが日米の大命題になったのですか。

兵頭――ええ。日米プラス、韓国と豪州ですよね。豪州は、このASBドクトリンに沿って、すでに建設済みであるOTH(超水平線)レーダーの能力を、増強するはずです。韓国は、オサンとクンサンの空軍基地の格納庫を完全地下化したり、高速道路を臨時の滑走路として使えるようにするという工事を、強く米国から要請されるでしょう。タイとベトナムにも、有事にその滑走路を使わせろという要求をするだろう思われます。米軍の空からの対支包囲網ですね。そのためには、沖縄や九州やマリアナの航空基地も、シナからの地対地ミサイルによる第一撃をしのげなくてはならないわけです。フィリピンのクラーク基地群も再利用される可能性があります。

都築――米軍は、地上では中共との戦争はしないということなんですか。

兵頭――陸軍だけじゃなくて、海兵隊にも出番はありませんよ。空軍と海軍だけで対処しようというのがASBです。つまり、「シナ軍と陸戦はやらない/やりたくない」というのが、米国の国是です。だから、「海兵隊が抑止力」なんていうのは大嘘です。

手本とされる前例はあって、それが第二次大戦中の東大西洋でのUボート狩りです。このとき米国は、航続距離の長い四発機のB-24爆撃機を対潜機に改造して、アゾレス諸島などから作戦させ、いちじるしい戦果をあげました。潜水艦は空から狩るのがいちばん効率的だと分かったのです。水上艦護衛だけだったなら、ドイツの「アンチ・アクセス」は破れなかったと総括されています。

都築――イギリスを日干しにしようとしたのですよね。ドイツはUボートを使って。

兵頭――そう。北米からの援助物資を近づけないようにしたかったのです。しかし、そのドイツの「アンチ・アクセス」戦略は、B-24の対潜投入で破られたのです。

これを対支で再現する気らしいですよ。米軍は。

都築――「ワシントンと北京は密約関係にあり、日本を食い物にしている」と主張する人が多いですよね。実は手前もコロっと転向しそうになることがあるんですけど……。

兵頭――まあ、米海軍関係のウェブなどをお読みになることをおすすめしますよ。もっとエグいことがいっぱい書いてありますよ。

都築――たとえばどんなことですか?

兵頭――もう、具体的な米軍の対支戦法まで描写されているのです。

まず開戦劈頭、いきなりシナの衛星を緒戦で盲目化してしまうそうですよ。これで米艦隊の所在が把握されないようにするのです。もちろんサイバー・アタックと並行してね。

こういう、やられた以上に強くやりかえすというノリは、まさに「エアランドバトル」の衣鉢を継ぐものでしょう。「侵略」という超えてはいけない一線を敵国が越えた瞬間、そこからは、何でもアリ、になるわけです。

シナ本土の陸上に基地がある洋上偵察手段や弾道弾は、米軍の長射程ミサイルによって破壊するそうです。

米空母の艦上戦闘機は、前方で作戦し、米空軍の空中給油機や輸送機やAWACS機や偵察機を護衛するそうです。

米空軍は、米海軍機に対して、空中給油などで協力します。

また米空軍機は、対潜作戦に参加するそうです。B-2ステルス爆撃機によって「攻撃的機雷敷設」(offensive mining)を行なうんだそうです。

米海軍の水上艦艇は、対支の海上封鎖を実施しますが、これがなんと、マラッカ海峡封鎖だそうです。「distant blockade」と称しましてね。なにも南支那海で海戦しなくったって、マラッカ海峡を封鎖するだけでシナ経済は干上がってしまうのだということをよく見積もっているんですよ。

都築――そうなりますと日本にも原油は入ってきませんから、たいへんな話じゃないですか。

兵頭――まあ、シナ人も馬鹿じゃないので、このASBを検討して、資源配分を変えてくるだろうとわたしは思っています。つまり潜水艦や空母じゃなくて、軍隊でもなくゲリラでもないもの、「漁政」や「海監」を大増強することにカネを使う。それと民間船のコラボで近海を支配しようとするでしょうね。

しかし米国人には、どうもそんな想像力が働かないらしくて、対支用に、これから無人潜航艇(水中ロボット)を全力で開発するとか言っていますよ。

都築――正々堂々の戦争しかイメージできないのでしょうか。

兵頭――間接侵略がイメージできないのですね。ほんと、正面装備の話ばかりに熱中していますよ。

航続距離が短い有人攻撃機、たとえば米海軍のF-18 Super Hornet だとか、空軍が買おうとしているF-35(Joint Strike Fighter)には、もう期待はしないようです。シナ軍の対空ミサイルでやられる可能性がありますのでね。

Littoral Combat Ship(新鋭駆逐艦)は、囮として活用するそうです。

また、もっとたくさんのSSBN(戦略核ミサイル原潜)をSSGN(通常弾頭の巡航ミサイルを100発以上発射できる原潜)に改造するそうです。

都築――そうしたハイテク装備に決して威力を発揮させないように巧みに仕向けるのが、彼の国の「政治」ですもんね。

兵頭――おっしゃるとおりです。

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その3

●第二章:落ちこぼれからの遠回り野球人生

 子供のころからオレは怠け者。ムダな努力なんか大嫌いだし、納得がいかないと、いくら命令されたってできるものじゃないと思っていた。
 だから、もっと若いうちにプロに入っていたら、もう今ごろはつぶされていたはずだ。
(54p)

 この世界に入るとき、オレはダメならダメでいいと思っていた。
 ダメだったら、また別の仕事を探せばいいと思っていたから、どうしてもこの世界にしがみついて生きていこう、という気持ちはなかった。
 ただ、四十、五十になって、「あのとき、もしプロに入っていれば……」と後悔だけはしたくなかった。プロに入った動機はそれだけで、別にデッカイ夢や希望はなかった。
(73~74p)

 オレがプロ入りした年に監督が金田(正一・現評論家)さんから山内(一弘・現中日)さんに代わった。
 で、二人でオレのバッティングを見て、
「こいつは絶対プロでは通用せん」
 この一言をオレの背中に残して帰っていったのが金田さん。
「おまえのフォームじゃ、インコースが打てないから、プロは無理だなあ」
がオレの打法に対する山内さんのコメント。
 ダウンスイング全盛の時代だから、当然オレのアッパースイングはボロクソさ。百人が百人、プロではダメのお墨付き。
 二人の評価を裏付けるかのように、不思議なくらいボールが前に飛ばなかった。
 実際やってもみないうちから、そんなころわかるものかと思う反面、どうせダメなら自分の好きなようにやっていこうと思ったんだ。生まれつきの打法が、急に直るもんじゃないから、あくまで自分流でいこうとね。
(75~76p)

 まるまる一日が野球、というのもまいった。なにせ、物心ついてこのかた、まともに練習したことがないんだもの。
 正直なところ、「こりゃー、きついな」と思った。
 社会人野球は、けっこう休みが多い。メインは都市対抗で、それに照準合わせて練習していく感じだから。
 大学だってそう。春と秋しかないわけ。高校は春夏の甲子園さ。
 その点、プロは違う。毎日が野球。明けても暮れても、野球、野球、野球なんだ。いいかげん、頭が痛くなってきたよ。
 でも、実はプロはサボろうと思えば、若手だってサボれる。このとき、オレは不思議とサボらなかったけれど……。
(76~77p)

 ただ、もともと「プロでは絶対通用しない」とまで言われていたわけだから、バッティングは「好き勝手」を通し続けた。上からのアドバイスも、一方では聞き流し、自分流の打法だけをそれなりに考えていた。
(82p)

――アマ時代のことは割愛。なお、この時点では山内監督の指導をキッパリ拒否したとまでは書いていない。

2011年1月17日月曜日

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その2

●第一章:“毎年三冠王”宣言

 プロはわがままでいい、メチャクチャでいいと思っている。
 個人のわがままが通る世界だから、思いどおりに突っ走りたい。プロ野球にいてなにが魅力かと言えば、一にカネで、二が力の世界だからこそ許される、この“わがまま”。
 そんな野球界最大の恩典を、大半の選手が放棄している。が、自分の野球人生なのだから、なんと言われようと本能のおもむくままにやったほうが勝ちだ。
(13p)

 正直に言えば、マイペース調整ほど不安なものはない。こんな方法で今年一年、ペナントレースを乗りきれるのだろうか、とね。でも、そこで不安なんか持たずに、「この調整法でいけば必ずいい結果が生まれるんだ!」と思わなければやっていられない。
 だから、オレは、眉間にシワを寄せて野球をする人間の気が知れないね。
 日本人口一億数千万の中で、この世界に入れる人間はわずか七百二十人。一軍は、その半分の三百六十人で、そのまた半分の百八十人しか一線に残れない世界だ。さらにその中で、レギュラーとしてやっていけるのはほんのひと握りしかいない。
 これは楽しまなくてはウソだ!
(15p)

 もともとプロ野球は、個人競技なんだ。チームプレー、チームプレーと言うけど、打撃も守備も、野球ほど個人個人が色濃く出るスポーツはないと思う。
 たとえば、バッテリー。ピッチャーはキャッチャーにボールを投げた時点で一つの仕事は終わる。
 つまり、いいボールを投げて三振に打ち取れば自分の仕事は完了。いいボールを投げてキャッチャーがポロッとやった。それでも自分の仕事は完了なんだ。
 このケースは、キャッチャーが自分の仕事をできなかったわけで、キャッチャーのマイナスポイントだ。
 たとえ、そのピッチャーと仲が悪くたって、取らなきゃいけないんだよ。自分の仕事をしようと思えばね。
(18~19p)

 だいたい、ボールが向かってきた瞬間、ああもうこの球はよけられんぞ、とわかるもので、それならいちばん痛くないところに当たろう、と考える。
 尻とか背中とかにね。関節のたぐいは外すようにしている。
 他人のデッドボールなど、誰もかわいそうに思っちゃいない。特に控えにいる選手なんかオレの出番が来たぞ、と喜んでいるはずだからね。
 西武の金森が、自分からボールに向かっていくとか言われているけれど、オレに言わせればあれは単に下手なだけだ。
(26p)

 もっと言えば、そもそもピッチャーみんなが苦手なんだ。左も右も、ピッチャーと名のつくものは全部嫌いなの。ただ、下手投げは、好きだけど、嫌い。嫌いな中でも好きなほうってところかな。
(26p)

 ところが、こんな計算の立て方もあるんだ。三試合で何本、十試合で何本というふうにね。つまり、十打数、百打数と、ちょっと人より長い目で計算していく。
 いちばん簡単なのが、百打数で三十本ヒット打てば、三割に乗るという計算。
 運悪く最初に十のゼロくらっても、残りが九十打数もある。そこでヒットを三十本打てば、なにもあせらなくても三割になれるんだ。
(中略)
 その点、オレなんか楽天的というか、長い目で計算するから、精神的にラクだね。野球をいつもラクな方向に考えるようにしている。
 そのくらいラクに考えないと、とても百三十試合なんてやってられないよ。
(27~28p)

 しかし、腰の曲がらない選手を使うほうも使うほうだ。
 オレは単に四番目に打つバッターじゃなくて、“四番バッター”だからなのかなあって思った。ゲームに出ないわけにはいかないんだ。
(30p)

 なにしろ子供つくろうかっていうと、とろろイモばっかり。これでもかって毎日出てくるんだ。
 とろろイモ食べてウーロン茶を飲んだら、満腹になるだけで、さあ作れって言われても、できるもんじゃないよ。ゆで卵じゃないんだから。
(36p)

 別にゲンをかつぐわけでもない。もし、ゲンをかつぎだしたら、きりがない。家から後楽園に行くにしたって、川崎行くにしたって、通る道がなくなってしまう。
 このころから、周りの人たちに「三冠王のプレッシャーを感じません?」なんてよく聞かれはじめた。
 プレッシャーなんていうのは、「なんとか取りたい」と思っている人間が感じるものだ。オレみたいに、開幕前から「取るぞ!」と心に決めている人間には、そんなものは関係ない。
(45~46p)

 なぜ、三冠王を取れたのか? これは一億七千万円の借金とか、いろいろ理由はあるけれど、やっぱり「カミさんに認めてもらおう」というのがいちばんだったと思う。
 他人に認めてもらおうという以上に、カミさんに、「あんたはエライ!」と喜んでほしかった。オレのその日の成績に一喜一憂してくれる女が家にいる。だったら、その女を喜ばせてやりたい。そうオレは思っている。
(52p)

――名言を中心に紹介。基本となる考え方は、四半世紀前からほとんどブレていない。

2011年1月16日日曜日

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その1

●基本データ
・書名:『なんと言われようとオレ流さ』
・著者:落合博満
・発行:講談社
・初版発行:昭和61年4月11日

●目次
第一章:“毎年三冠王”宣言
第二章:落ちこぼれからの遠回り野球人生
第三章:オレの打撃の秘密を公開しよう
第四章:オレを変えたカミさんのインサイドワーク
第五章:もっと“プロ”らしくならないかプロ野球
付表:落合博満のプロ野球全記録

●帯表:初めて明かす 落合流野球の秘密/長島茂雄氏も絶賛!! 「個性派が少なくなった今の球界で、落合君は型破りのおもしろ人間だということがよくわかった」

●帯裏:年俸1億円にこだわらなかった真相/落ちこぼれからの遠回り野球人生/努力しなくてもビッグになれる/管理社会における自分流のすすめ/オレの打撃術の真髄を写真入りで公開/四割打者になるためのマル秘作戦/落合夫人の特別手記

●推薦文:長島茂雄■元・巨人軍監督――落合君は右打者として最高のテクニックの持ち主だ。“練習嫌い”とか、“自己流”などといわれているようだが、現在の技術を体得するには並大抵の努力ではなかったはずだ。この本で、これまで未公開だったという彼独自のクレバーなバッティング理論を紹介しているのがおもしろい。人柄も言動も個性派が少なくなった今の球界では、型破りのおもしろ人間だということがよくわかった。

●著者略歴:落合博満■ロッテ・オリオンズ内野手――昭和28年12月、秋田生まれ。少年時代から野球の天分を見せたものの、秋田工高では野球部入退部を8回も繰り返し、東洋大に進んでも2か月足らずで退学。故郷に帰ってボウリングをしていたが、48年11月、恩師の紹介で、当時まで弱小チームだった東芝府中に入る。53年秋のドラフトでロッテ・オリオンズに3位で指名され、25歳でプロ生活スタート。当初、打撃について周囲から酷評されたが、まったく独自の研究と練習によって広角打法を確立、56年に初の首位打者、57年に三冠王、そして60年には2度目の三冠王に輝く。目下、球界を代表する強打者として、日本初の3度目の三冠王と四割打者への期待を集めている。

追記:EX大衆2月号で、小峯隆生氏の記名記事「ロボット兵器最前線」に兵頭師がコメントを寄せています。他にも小説家の大石英司氏が中々鋭いコメントを寄せていました。雑誌は書店よりコンビニエンスストアの方に良く出回っています。カラーで分量も多いので、「懐に余裕のある人であれば、記事目当てで買っても損はしないかもなぁ」とは思います。

2011年1月15日土曜日

祝! 殿堂入り

てか、正確にはようやくですね。2年連続1票差で殿堂入りを果たせなかったから。てか、実績では上に王貞治と野村克也しかいないのに、初年度から殿堂入りしなかったことがおかしかったわけで。今回の殿堂入りは、彼より年長の対象者を消化しきったため、これまで頑強に票を入れることに抵抗していた名古屋のベテラン記者が投票せざるを得なくなったからなんでしょうかね?

◇各部門の上位得票者◇ ※は殿堂入り選出者
 競技者表彰プレーヤー部門

(1)落合博満(元ロッテなど)   ※277
(2)北別府学(元広島)        226
(3)津田恒実(元広島)        212
(4)ブーマー・ウェルズ(元阪急など)184
(5)大野豊(元広島)          177
(6)原辰徳(元巨人)          109
(7)佐々木主浩(元横浜など)    103

(有効投票329票、当選ラインは247票)

……6位の人に投票した人って本当にプレーヤー部門で殿堂入りする資格があると思ってるのかね? もちろん巨人の4番としては大したものだったけど、掛布雅之より上ってことはないでしょ。まして佐々木主浩より票を獲ってるなんて……。

ともあれ、四半世紀来の落合ファンとしてはとてもめでたいことなので、明日から処女作にして絶版中の名著『なんと言われようとオレ流さ』の読書メモを公開することで、当blogなりのお祝いすることにします。

2011年1月14日金曜日

編集者は仕事をしていたらしい

拙速か 水嶋ヒロさん受賞作、1か月余りで刊行

ふ~ん、と思いつつ読んでいたら……

>この賞は他の文学新人賞とは性格を異にする。編集者が選考し、彼らは、応募時の完成度だけでは作品を選ばない。重視するのは、筆者と一緒に時間をかけて改稿すれば、その作品を本にできるのかという点。つまり「これを本にしたい」という編集者の熱意が賞を左右する。受賞を逃しても、編集者が応募者に声をかけて本が生まれる例もあり、80万部のベストセラーとなった小川糸『食堂かたつむり』は、選考会から1年以上たっての出版だった。

……ちょっと待て。1年近くブラッシュアップしてアレなの? ストーリーラインは別として、あまりにも瑕疵が多すぎないか? てか、編集者怠慢過ぎでしょ。小川センセーが故大藪春彦みたいな大家で、「わたくしの作品は芸術品。一字たりとも変えることは許さない!」って言ってんなら別だけど、刊行前は新人でしょ? だったら泣かしてでも直すことを強要しなきゃダメじゃん!

って、もしかしたら直す前は調理描写とかが曖昧で、お金のハナシとかもあって、それなりにリアリティが確保されていたものの、敏腕編集者が「センセー! こんな通り一遍のハナシじゃダメです。森ガールでゆるカワスイーツ(笑)な読者を引っ張り込むためには、もっと調理描写を細かくしないと。あと、お金とか面倒くさいことは全部省きましょう!」なんて進言した結果、ダメな仮想戦記(地の文とプロットがアレで、戦闘&兵器描写だけが異様に詳しい)みたいになったのかも。

もう二度と、『食堂かたつむり』のことは書かないと誓ったのに、朝っぱらからこんな記事を目にするとはなぁ。

追記:週刊大衆:〈最前線リポート他の追随を許さない技術力に、ゴロツキ中国もお手上げ! 軍事大国の度肝を抜いた「日の丸ロボット兵」驚異の実力。同記事で兵頭師は、「ロボット兵の装甲と電源」について鋭いコメントを寄せています。なお、EX大衆は本日発売のようです。



2011年1月13日木曜日

『食堂かたつむり』に言いたいこと:その5(感想)

その3、その4での突っ込みは、現代日本を舞台とした小説である場合、明らかに事実とは違うと思われる描写です。このほかにも突っ込みどころは多数あります。小さいところでは「ココアの作り方」や「コーヒー好きの客を判別する方法」であり、大きなところでは「開業資金」や「料理の価格」「月商規模」などです。ただ、こうした突っ込みどころについては、一応、作品内で何らかの説明をしているか、明らかに事実に反していると断言できないか、手前の知識不足で突っ込み切れなかったモノなので、敢えてスルーしています。

「調理・食品」「その他」についての突っ込みどころは、本来であれば編集者が校正段階で手直しする部分であり、多くの点でストーリー全体に影響する部分ではありません。「セニョリータ=シニョリータ」などは「ディアナ=ジアナ」とかでもいいわけですし。よって、こうした突っ込みどころの多さをもって、この作品はヒドい、けしからん! というつもりはありません。無知、間違いは誰にでもあるわけですから。

と、ここまで作品の根幹に関わらない突っ込みどころを整理したうえで、手前の感想を申し上げたいと思います。

一言でいえば、「極めて不道徳かつ不健康な読み物」。もちろん、この本以上に不道徳で不健康な読み物は掃いて捨てるほどあるわけですが、著者が自らの思想信条の正しさに一片の疑いも抱いていないままに書いている分、不道徳さと不健康さが際立っていると思います。

作中の主人公は、文字通り無謬の存在です。それはもう金正日も真っ青ってレベルで。なにしろマンションの大家から隣人、肉親、客といった人間だけでなく、ペットの豚、うさぎ、気ままに空を飛ぶドバトから桜の木までが、主人公の喜びと人生に彩りをつけるためだけに無償で奉仕するわけですから。

ちょっと過剰書きにしてみましょうか。

・熊さん:見返りなしに電動三輪車(恐らく十数万円相当)を提供するだけでなく、1カ月に及ぶ開店準備(大工仕事など)を毎日手伝い、顧客を紹介し、原材料買い付けのため車を走らせる。てか、人口5000人未満の村の学校における用務員って、そんなにヒマで稼げる仕事なのか?
・おかん:店舗となる物件を無償提供するとともに開店資金を貸し、主人公の店が軌道に乗ったところでがんに罹患。そろそろ愁嘆場が欲しくなった頃に死ぬとともに、結果的に、開店資金を無償提供する。
・ペットの豚:主人公が不安でいるあいだは癒しの存在として適度にわがままな振る舞いをするも、そろそろ愁嘆場が欲しくなった頃に唯々諾々と殺されるとともに、パーティの彩り&母親の死後の引き出物に変身する。
・ドバト:「いのちの食べ方」を伝えるべく、主人公にグリルされて食べられるためだけに、唐突に食堂の窓に激突死する。

んなアホな! と思われるかも知れませんが、誇張ゼロ。全部本当なんだって!

こうしたイベントが全て「ひょんなことから」起きたことであれば単なるご都合主義で消化することもできるわけですが、この本のいやらしいところは全ての事象に手前勝手な理屈をつけて正当化することなんですね。その究極形がペットの豚であるエルメスを屠殺するときの屁理屈です。

「エルメスは、すべてを知っていた。知っている、というか、あらゆることを悟っていた。自分の運命はもちろんのこと、おかんの病魔や、私とおかんの確執や、そして私の胸でうごめいている、言葉に言い尽くせない複雑なありとあらゆる感情を」
「私はしゃがみ込み、エルメスと視線を合わせて、エルメスの目をじっくりと見つめた。おばあさんというよりも、賢く思慮深いおじいさんのような顔。高くなった太陽の日差しに、白いまつげが光っている。まゆげは長く、仙人みたいだった」(215頁)

豚がしゃべれないことをいいことに、勝手なことをいいくさりやがって! みすみす殺されることを良しとする動物がどこにいるのか? 殺されたくないと思っているモノを、自らのエゴで容赦なく殺して食べるからこそ、命に感謝するって考えが出てくるんじゃないのか?――この一文を読んだときには、心の鶏冠が真っ赤っ赤になったもんです。

あとSEXの扱い。多分、主人公は処女です。え? インド人の恋人と同棲していたじゃないかって? だって、同棲中の描写なんてこんなもんですよ。

「苦労してやっと借りたこの部屋で、夜は同じふとんに手を繋いで並んで寝た。インド人の恋人の肌からは、いつも香ばしいスパイスの匂いがした」(7頁)

そりゃ手を繋いでというのは暗喩であって、その後、猿みたいにやりまくっていたであろうことは読者の方で察しろってことじゃないかって?(下品なこと書いてスイマセン) いや、そんなお上品な作品でもないんすよ。

「相手を選ぶようじゃ、プロじゃねー。お嬢ちゃんのオママゴト、独りよがりのオマンコショーや」(189頁)

なんて品性のかけらもないセリフが結構随所に出てくるんすから(いやホント、下品なとこを紹介してスイマセン)。この品のなさを基準に置くと、インド人の恋人とのあいだで男女関係になっていれば、その描写はキッチリあってもおかしくないわけです。それでも敢えて「手を繋いだ」「肌の匂い」という描写に止めているということは、インド人の恋人とやるときは結婚後であって、婚前交渉なんて罪作りなことはいたしません! という著者の純潔思想がベースにあるといえます。でなければ、わざわざ主人公を不倫の子であるらしいことを匂わせた後、実は処女懐胎で生まれた“穢れなき子”であるなんて狂ったドラマを作ったりしないでしょう。こういう描き方が世の私生児をどれだけ蔑むことになるのか? 著者はちょっとでも考えたことがあるんでしょうかね。

ていうか、そもそもおかんが精子を集めるとき、ゆきずりの男を誘ったってことってことになっているわけですが、そんなことしたら即ハメられるに決まってるじゃないですか! でも、この世界ではこうした現実的なことは一切起こらないわけですよ。

このように、全ての存在が自分のために存在する世界……ズバリ、「夢の中」で女王として生きているからなんでしょう。お金、葬式、病院、父親、兄弟、親戚といった“面倒くさい”モノは最初から存在しないことになっていて、登場人物も全て対等な他人ではなく女王に仕える下僕でしかありません。実際、自分の祖母のような年齢の女性を「お妾さん」呼ばわりして、メシを食べさせるためだけに面接(来店まえに、往年の小沢一郎みたく自分の店に呼びつける!)したり、痴呆老人と畜生を同じレベルで語ったり、ほぼ毎日無償で手伝いに来る熊さんに「混浴の共同浴場に一緒に入る」(失敗したユーリズミックスみたいな女と混浴して何がうれしいものか!)という報酬を与えることで、全部チャラにさせたりしているわけですから。で、こうしたプリミティブな差別意識を著者が全く意識していないところが怖いわけですよ。

現実には「中卒でバイト歴10年の行き遅れ女」でしかない主人公が、この過酷な現実から逃れるべく、本当の自分(笑)を見つけるために自分探し(笑)をするっていうハナシであれば、物語に対して意識的であるという一点で全然OK――オタク向けのライトノベルなんてほとんどこんな感じでしょう――です。でもねぇ、最初から夢の中に耽溺して、何一つ努力することなく「特別な料理の才能を持つ料理人」にクラスチェンジして、「民草に幸せを下賜する女王」に君臨するなんていう、クソ甘くて差別意識バリバリの肥大した自意識を257pに渡って読まされてもねぇ。まともな神経の持ち主であれば「怖ッ!」「キモッ!」ってなるもんじゃないでしょうかね?

2011年1月12日水曜日

『食堂かたつむり』に言いたいこと:その4(その他)

『食堂かたつむり』が現代日本を舞台に描かれている作品であると規定した場合、明らかに不適切と考えられる点について、突っ込んでいきたいと思います。

「角部屋で三方を窓に囲まれている」「西日に包まれて台所仕事」(8頁)
→おそらく北か東だけが壁になっていると思われるが、集合住宅であれば玄関側と隣室側は必ず壁になる。よって多くの場合、こうした建付けになることはない。

「大家さんに手製のマドレーヌを贈り、保証人なしでやっと借りられた」(11頁)
→親族が不動産屋でもない限りほとんどあり得ない。恐らくは保証会社が間に入っているのだろうが、そうであれば恋人の失踪翌日に、大家にカギを返しただけで退去できるとは考えにくい。

「祖母が静かに息を引き取った。(中略)祖母の薄い胸に耳を当てても何の音もせず、口元や鼻先に手のひらをかざしても、少しの風も感じない。生き返るとは、思えなかった。私は、急いで誰かに連絡したりはせずに、せめて一晩だけでも、祖母とふたりだけの時間を過ごそうと決めた」(15頁)
→救急車もしくはかかりつけの医師を呼ぶべき。王大人じゃないんだから、素人が“死亡確認”をしてはいけない。遺棄罪(刑法217条。一年以下の懲役)に問われる可能性がある。

「二十五歳になってあの頃より体重は増えたけれど、それでも、昔と同じように木に登ることができた。(中略)前髪だけでなく、横や後ろの髪の毛も、左手でつかんで束にしたものを、ザクザクと切り落とす」(38~39頁)
→けもの道の木の上で散髪してはいけない。その髪の毛は誰が掃除するのか? 素直に風呂場で散髪すべき。

「熊さんはそのお嫁さんのことを、シニョリータと呼ぶ。本来ならセニョリータなのだと思うけれど、なまっているのか元からの勘違いか、私にはどうしてもシニョリータにしか聞こえない」(44~45頁)
→セニョニータは未婚女性の呼称であって名前ではない。これでは既婚女性に「お嬢さん」と呼ぶようなもので、二重に誤っている。なお、英語で呼ぶ場合はシニョリータと訛って聴こえる――Van Halenの『Little Guitars』で、ダイヤモンド・デイヴが「シニョリタ、アマトラボラゲ~ン(Senorita I'm in trouble again)と歌っている――こともあるようだ。

「お手洗いは、壁一面タイル貼りにし、私が、色違いのタイルを貼り合わせて鳥のカップルの模様を作った」(62頁)
→モザイクタイル貼りは、タイル貼りでも相当難易度の高い作業。一カ月しかない開店準備期間で多忙を極めるなか、ズブの素人が市販のタイルキットで出来るようなことではない。ほとんどの場合、タイル職人が作業するものではないか? 

「ザクロカレーは、一緒にトルコ料理店で働いていたイラン出身の仲間に教えてもらったレシピだった(中略)イランの荒野が、セピア色の色彩で見えるような気がした」(78頁)
→オスマンに対抗するためにシーア派の王朝を立て、いまや“神政国家”となっているイランの国民が、オスマンの後継国家であるトルコ(現在は政教分離が徹底されている)の料理店で仕事をするとは……。全くあり得ないハナシではないが、少なくとも自然な描写とは言いがたい。

「レーズンパンはお昼過ぎに焼き上がった。あとはお客様がいらっしゃる直前に仕上げるだけなので、その間に今度はディナーの仕込みをする」(122頁)
→「一日一組限定」という設定が早くも崩れている。

「そうしているうちに、食堂かたつむりは本格的な冬ごもりの時期を迎えた。(中略)『スノードロップ』 熊さんの軍手の指が指し示す方向を見ると、ひゅーっと伸びた茎の先に、白い花がうつむくように咲いている。一本だけではなく、いくつかのスノードロップが群れになって咲き乱れていた」(159~163頁)
→スノードロップが2月以前に咲くことは考えにくい。まして1月中に咲き乱れることはほとんどあり得ない。なお、スノードロップを見た時期を1月中と特定しているのは、大晦日の直後にして、2月半ばのふぐパーティ以前のシーンであることから。なお、欧州各地に残るスノードロップと季節に関する伝承については、「昔は太陰暦だった」ことも考慮すべきだろう。

「ロストバージンの相手は婚約者の彼しか考えていなかったので、彼以外となら、誰とするのも同じだった。けれど、いざ現場に行くと婚約者への思いを断ち切ることができず、処女のまま妊娠する方法はないかと考え、ふと、水鉄砲を使ってはどうかとひらめいたのだった。(中略)おかんは行きずりの恋でくじ引きのように相手を選び、そしてその相手の精子を水鉄砲に入れて穴の中に挿入し、ぴゅーっとやったのだと、手振りを交えて証言した」(184~185頁)
→イギリスのバンド『10cc』の名前の由来として、「四人が一回で出す精子の量」とまことしやかに語られていたように、一人の男性が一回で出す精子の量は、多く見積もっても数ml(WHO基準では2ml)に過ぎない。水鉄砲に入れても量が少なすぎてとても射出できるものではない。よしんば射出できたとしても機器の殺菌処理はどうするのか?……というか、人工授精の歴史を紐解けば、いかにリアリティのない話かは一目瞭然だろう。このような簡便な手法で人工授精できるのであれば、すでにマツモトキヨシあたりで「人工授精キット」が販売されていることだろう。

「(都築注~末期がんのおかんへの緩和ケアの一環として)痛み止めの漢方薬を持ってきたり」
→がんによる疼痛は人間が経験し得る最大級の痛みであり、現時点で知られている最も強力な鎮痛作用を持つモルヒネを持ってしても容易に抑えられないほどの痛みである。実際、末期がん患者だった父は、モルヒネを投与されてもなお眠れずに譫妄状態にあった。漢方薬の鎮痛剤は五十肩や関節痛、筋肉痛への適用があるもので、がんの疼痛を鎮める効果はほとんどない(あってもプラセボ効果だろう)。そもそも“まともな”緩和ケアのドクターが漢方薬の鎮痛剤を処方することは100%あり得ない。緩和ケアのドクターが、医療用麻薬に対する偏見といかにして戦っているのか? このことを少しでも知っていれば、これほど失礼で非常識な描写はできないはずだ。

2011年1月11日火曜日

『食堂かたつむり』に言いたいこと:その3(食と調理)

『食堂かたつむり』の「時系列」「場所」を整理した上で、いよいよ個別の問題に突っ込んでいきたいと思います。まずは、食品と調理技術の扱いについて。

「もらわれてきた時も三キロちょっとで、通常の子豚よりかなりちいさかったらしい。そのままでは食肉センター送りになってしまうところを、寸前でおかんが譲り受けたのだった」(56頁)
→豚の離乳時(生後30日前後)の体重は7~10kg。この時点で極端に育ちが悪く体重が3kg程度しかなかったことはあり得る。ただし、食肉として出荷するのは生後180日後、体重100kg前後になってからで、それまでは飼育する(そうでなければ費用対効果が悪すぎるため)。よって離乳直後に食肉処理されることはない。

「なによりも、西側の壁をぶち抜いて一面ガラス張りにしたので、料理を作りながら美しい光に包まれることができる」(64頁)
→真夏の直射日光は壁を40~50度にまで熱する。結果、キッチン内は四六時中熱がこもるようになり、衛生上の問題から、事実上、ナマ物の加工はできなくなる(食堂内に薪ストーブを設置した描写はあってもエアコンを設置した描写はない)。よってキッチンをこのように改悪する意味はなく、極めて不自然な描写といえる。

「私は、野生の熊に先取りされる前に、山ブドウの実を収穫することにした」(71頁)
→国有地、私有地に限らず無許可採取は森林窃盗罪(森林法197条。三年以下の懲役または30万円以下の罰金)に問われる。作品中で地主に断りを入れている描写はゼロ。なお、こうした無許可採取の場面はその後も頻出している。

「羊の脂は融点が低いので後味がさっぱりし、いくら口に入れて噛んでも、飲み下した数秒後にはふぅっとそよ風にさらわれるように姿を消してしまう」(98頁)
→羊の脂肪はあらゆる食肉の中で最も融点が高い(松尾ジンギスカンのサイトより)。このことは一度でもジンギスカンパーティをすれば誰にでも理解できる。パーティが中弛みしたときの取り皿には、ほとんどの場合、ジンギスカンのたれの表面に固形化した羊の脂肪が浮く。パーティたけなわの時は、頻繁に肉(熱源)を取り皿に入れるため、たれの温度が高く脂肪も溶けているが、少しのあいだでも取り皿に肉(熱源)が供給されなければ、羊の脂肪が速やかに固形化するためだ。焼肉では取り皿の脂肪は溶けっぱなしだが、ジンギスカンではそうではない。こんなことは、羊肉を調理する人間にとって基本以前のことだ。

「私は、フランス料理店での修行時代を思い出し」(114頁)
→イタリア料理や中華料理ではどうあれ、フランス料理で2年前後の経験――最も長続きしたのがトルコ料理店の5年。都会に出て数年間大手コーヒショップで就労していたという記述があることから、フランス料理店での就業年数は2年前後と推定される――しかないアルバイトが、調理を任されることはほぼあり得ない。

「私は、ビスケットの材料となる、植物油、砂糖、胡桃、全粒粉、水を両手で混ぜながら、ウサギの過去に思いを馳せた。(中略)私は一瞬、自分が寝ている間に落としてしまったのかと思った。けれど、そうではなかった。やはり、ビスケットはウサギが口にしたのだ」(148~153頁)
→砂糖と植物油、胡桃を入れたハイカロリーなビスケットは、ウサギには絶対に与えてはいけないエサ。人間に広辞苑サイズの固形バターを食べさせるようなもので、直接的な毒物ではないものの、確実に健康を悪化させる。作品中では主人公が「日常的にこうしたエサを食べていたに違いない」と推理しているが、いうまでもなく間違っている。

「初めてだったけれど、生ハム作りにも挑戦した」(227頁)
→4月下旬に解体して6月に出荷したと仮定した場合、「ピチットシート」や乾燥機などを使って人為的に乾燥させなければ食べられるモノにはならない。そもそも高温多湿な日本で、これから梅雨に入るという時期に生ハムを仕込むこと自体が非常識。また、解体は屋外で行っていたが、無菌状態で作業を行っておらず、豚にも抗生物質を与えていないため、高い確率でボツリヌス菌感染を引き起こすものと考えられる。

以上は、現実世界をモデルとした作品ならば明らかに不適切な表現です。例えば羊肉の脂肪の融点が、一般に食べられているあらゆる食肉の中で最も高いことは明らかな事実であって、この事実を曲げるのであれば、何らかの作品内理論――例えば、実は舞台がタトゥイーン星で、そこに生息する羊の脂肪の融点は26℃とかいうSF設定など――が記述されていなければならないでしょう。作品の色調はファンタジーであるものの、現代日本を舞台にしていることは明らかなわけですから、この点をリアリティの基準に置くのであれば、上に列挙した表現は全て不適切であり、校正段階で手直しが入るべきポイントだと思います。

追記:というか著者は本当に自分で炊事をしたことがあるのか? 料理店に取材に行ったことがあるのか? 柴田書店の本と『HEAVEN?』を100回読み直せ!

追記その2:【ニコニコ動画】インテルのCMが凄すぎる件。これは本当に凄い。現時点で世界一スタイリッシュな映像かも。







2011年1月10日月曜日

『食堂かたつむり』に言いたいこと:その2(村の植生と近隣施設)

食堂かたつむりの舞台は、日本のどこをモデルにしているのか? 作品中では意図的に語られていませんが、イチジクから牡蠣、ワインまで近隣に何でも存在する実に都合の良い場所であることは確かなようです。というわけで、作品中に出てくる植生と近隣施設から、モデルとなった地域が存在し得るのか否かを探ってみたいと思います。

食堂かたつむりのある村の植生と近隣の施設は、以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~

いちじく、あけび、ワレモコウ、トチノキ、棚田、広大な牧場(牛、羊、山羊を飼養)、養豚場、養鶏場、山にかこまれながらも海が近い、山の裏側にあるワイナリー、果樹園、ハーブ園、りんご、ドングリ、山ぶどう、栗、竹林、キヌガサダケ、ザクロ、比内地鶏、牡蠣、うど、三つ葉、ふき、つくし、よもぎ、たんぽぽ、たらの芽、わらび。

~~~~~~~~~~~~~

さて、これらの植生、施設が共存する地域は日本国内に存在し得るのでしょうか? 結論から言えば「ギリギリ存在する」といえます。では、食堂かたつむりがあるのは、日本国内のどこなのか? というと、最も可能性が高いのは「秋田県」です。その根拠は「近隣の養鶏場で比内鶏を買い付けている」ことです。

比内鶏を巡る描写と推定については以下の通り。

「寸胴鍋のふたを開けると、すっかり変わり果てた姿の比内鶏が、あめ色になったスープの中でぷかぷかと浮遊している。私は数日前の、鶏がつぶされるシーンを思い出した。(中略)しばらくすると鶏はおとなしくなり、養鶏場の男の人に掴まれたままあっ気なく息絶えた」(95頁)

この描写から見るに、主人公は養鶏場で比内鶏がしめられるところを見てから買い付けていると推測できます。

主人公の行動範囲は電動三輪車の行動距離に規定されています。その距離は「けれどかたつむり号(都築注~電動三輪車のこと)があれば、村の中心くらいまでなら、自分の力で行くことができる」(70頁)と書かれています。このほかにも熊さんの軽トラックという移動手段がありますが、これは頻繁に使えるものではないようで、作品中でも多用されている形跡はありません。すなわち、比内鶏を飼養している養鶏場は、食堂かたつむりから極端に遠距離に位置しているとは考えにくいわけです。

比内鶏を飼養しているのは秋田県内の養鶏場(最も一般的なのは大館市)に限られているので、主人公が産地偽装をしていない限り、その行動半径は「比内鶏の養鶏場から極端に遠くない場所=秋田県内」と推定するのが妥当といえるでしょう。もちろん青森、岩手などの県境にある可能性もありますが。

そのうえで、上記の植生と近隣の施設について見ると、唯一危なそうなのはイチジクです。基本、暖かい場所で栽培される果実なので、「秋田県でイチジクが育つ余地があるものなのか?」と読んでいる間中思っていたものですが、よくよく調べてみると青森県でも栽培されている実績がありました。なので、秋田県にイチジクの実がなるという描写もあながちウソとはいえないようです。

それ以外の植生、施設については驚くなかれ全て秋田県及び秋田県近郊に実在します。ワイナリーと山羊については、「どう考えても東北にはねぇだろ」と思っていたものですが、これも調べてみると秋田県に実在していてビックリ。というわけで、植生と近隣の施設から推定される食堂かたつむりの場所は「秋田県」であると考えられます。

「いや、バンジージャンプの里とあるんだから、秋田県じゃなくて山形県朝日町じゃないか?」
「バンジージャンプをあれだけ強調していたんだから、群馬県しかあり得ないでしょ」

という声もあるかもしれませんが、一応、食をテーマにした小説であることを考えると、「比内鶏」というキーワードを優先した方が良いのではないかと。もし、山形県朝日町と考えると、比内鶏の養鶏場が集まっているであろう秋田県大館近隣まで随分遠出する必要がありますからね。しかも、海には全然近くないですし、牡蠣もありません。それでもなお「比内鶏」というキーワードを無視して考えると、お妾さんに出したサムゲタンの鶏肉の産地を偽装せざるを得ないわけですから。

2011年1月9日日曜日

多分、来週は見ないだろうなぁ……

やたらと番宣を打っていたらしい“おんな大河”の第一話をみたんですが……しみじみひどかったなぁ。『徳川家康』以降の大河のほとんどを視聴し、長編TVドラマのオールタイムベストワンが『独眼竜政宗』で、アノ『功名が辻』でさえ十分に楽しめるほど心が広い大河ファンである手前にして、こう思わせるほどひどいものでした。これに比べれば『天地人』の方が随分マシだった。ていうか名作じゃね? 以下、思うところを箇条書きに。

・オープニングは二世代前の『信長の野望』のムービーを最新CGでリメイクした感じ。
・劇伴が最悪。最近のゲーム音楽より軽い。てか、『太閤立志伝5』の方が百倍マシ。
・子役がびっくりするほど演技が下手。子供店長ってあれでも本当に上手かったんだなぁ。
・その子役よりも演技が下手なお市ェ……。
・そのお市よりも演技が下手なその他諸々……。
・最も良かったのが“空中元彌チョップ”って……。
・てか、登場人物の会話で背景を説明するな! どんな脚本書いてんだよ。
・というわけで、多分、俳優に罪はない。ダメなのは脚本と演出なんだろうなぁ。

一つだけ良かったのはセット、鎧、旗 衣装の造作ですかね。これは本当にハイレベルで、『風林火山』よりも完成度が高かったです。

というわけで、もう『江』を見ることはないでしょう。7月にはNHKとの契約も切れるしね。





『食堂かたつむり』に言いたいこと:その1(時系列)

本を読んで言葉が出ないくらい打ちのめされたのは、中学三年生のとき『さらば星座 第3部奔流の巻・下』(黒岩重吾著)を読んで以来というくらいにショックを受けた『食堂かたつむり』。もちろん「泣いた!」「感動した!」とかではなくて、「怖ッ!」「キモッ!」という感想であって、それ以上でもそれ以下でもないわけですが。

で、一晩経って冷静になってから改めて読み直してみたのですが、じっくり読んでみると、10行に1個レベルの突っ込みどころ以上に、時系列とか場所とかが非常にぼんやりしているわけです。というか早い話、場面場面の「5W1H」が全然わからないんですよ。

なもんだから、「食堂かたつむりの感想や解説をザザッとナナメ読みして補完してみっか」とネットサーフィンしてみたら、杜撰さやリアリティの無さを指摘するサイトはあるものの、具体的に何がどうおかしいのかまでを突っ込んでいる人が見当たらず、読んでいる内に次々と浮かんでくる疑問、矛盾がいっこうに解決されず、別の意味で気持ち悪くなったわけです。

――だったらどうすればいいのか? 自分で解決するしかないだろう。ファイヤーマンのOPで子門真人が歌っているように、誰かが向かっていかねばならぬし、不思議の謎も解かねばならぬわけだから――

というわけで、『食堂かたつむり』の感想や突っ込みどころについて書く前に、作品の「5W1H」を、無知な読者なりに検証してみたいと思います。

*以下、重大なネタバレを含みますので、これから『食堂かたつむり』を読んでみようと考えている方は、閲覧せずにスルーしてください。












まず、物凄くぼんやりしている「時系列」ついて。どのくらいぼんやりしているかというと、普通に読んでいたら、ブライアン・デ・パルマの怪作『ファム・ファタール』みたく、その場その場で都合の良い日時を設定しているようにも見えるくらい。なわけで、まずはこの物語が「いつから始まって、いつ終わったのか」を確認してみたいと思います。

<都築が考えた時系列>
①9月上旬~中旬:恋人に裏切られ失意の帰郷。そこで食堂を営む決意をする。
②9月中旬~10月中旬:食堂の開店準備。
③10月下旬:食堂かたつむりオープン。熊さんザクロカレーを食す。
④11月上旬:お妾さん来店。
⑤11月中旬:高校生カップル、お見合いカップル来店。
⑥11月後半:拒食症のうさぎを預かる。
⑦12月24日:ゲイのカップルにケータリングする。
⑧12月31日:一人でお節をつつく。おかんはハワイへゴルフ旅行。
⑨2月半ば:ふぐパーティ後、おかんが「がん」に罹患していることを告白する。
⑩4月下旬:エルメスを解体する。
⑪5月上旬:おかんの結婚パーティ。
⑫5月下旬:おかん死去。
⑬もうすぐ初夏:鳩を食べ、声を取り戻す。

<上記の根拠>
①「ちょうど季節だったので、私は熊さんが家の庭で育てている無農薬の甘酸っぱい林檎を分けてもらい、それを使って酵母をおこした」(57頁) エルメスの世話をスタートさせた直後の描写。恋人の失踪から帰郷までは丸1日。その直後にエルメスの世話を約束させられる。林檎の収穫期は9月中旬であり、そこから逆算すると物語の発端は早くても9月上旬と推定される。

②③「ザクロは、昨日、私がひとりで山に入り、まだ枝に残っていたのを木に登って必要な分だけ採ってきた」(79頁) ザクロの収穫期は10月一杯までなので、オープンが11月とは考えにくい。そこから逆算すると、開店準備期間は目一杯とっても「9月中旬から10月中旬」と推定される。

④「数日後、熊さんはこの一件で何かひらめいたらしく、今度は熊さんの家の隣にすむ『お妾さん』(都築注~二重括弧内は原文では傍点)を連れて、食堂かたつむりに現れた」(89頁) 紹介されたのがオープン数日後のことで、その後、面接、食材の仕入れ期間を考慮すると11月上旬と推定。

⑩「けれど血のソーセージだけは中に入れる内臓の鮮度でおいしさが左右されるので、私は知のソーセージ作りから着手した」(222頁) 屠殺直後に作らなければならず、かつ日持ちしない食材なので、結婚式の予定日である「5月上旬の連休」に間に合わせるためには、遅くとも4月下旬には解体する必要があると推定。

⑫「生涯思い続けた初恋の相手と再会し、結婚し、彼の妻になり、たった数週間でも夫婦生活を営めたことで、生きる欲望をすっかりなくしてしまったのかもしれない」(237頁) 5月上旬の結婚パーティから数週間の結婚生活という記述から見るに、5月下旬から6月上旬に亡くなったものと推定される。

そのうえで、以上の時系列を前提とした場合に考えられる不都合な点は、

・1カ月でゼロから食堂の開店準備が出来るものなのか?
・開店までの1カ月間の生活費はどのようにして工面したのか?
・2月半ばに見つかり、その3カ月後に死ぬほどの「進行性のがん」はあり得るのか?
・こうした「進行性のがん」に罹患していた女性が、どうやって死の半年前にハワイでゴルフできるだけの体力を維持していたのか?
・がんによる死の数週間前に、長時間立ちっぱなしの結婚パーティができるものなのか?
・母親の死に際してお通夜、告別式、四十九日法要はどのようにしたのか?
・法事をしていた場合、喪主が声を出せない状況でどのようにして挨拶したのか?

というものです。細かなリアリティについては後ほどまとめて言及するつもりですが、「進行性のがん」については、がんで父親を亡くした人間として、一言言いたいことがあります。

上記の如く急速に進行するがんであれば、多くの場合で患者の体力が旺盛である――一般に体力があればあるほど、新陳代謝も活発で、その分、がん細胞が分裂・増殖するとされている――ものですが、ここでいう体力が旺盛というのも「20~30代の男女」「40代の男性」というほぼ壮年期レベルの体力ですからね。芸能人でいえば堀江しのぶがスキルス性胃がんで急死していますが、彼女のケースでも「体調不良を訴えた数ヵ月後に入院、半年後に死去」というタイムスケジュールでしたから。40代後半女性であるおかんのケースでは、いかに悪辣ながんであったとしても、絶対的な体力が落ちているので、そこまで急速にがんが悪化する可能性は少ないんじゃないでしょうかね?

ともあれ、時系列については一応、上記のように考えればさほど大きな矛盾なく飲み込めそうです。

参考:ファイヤーマン 第1話「ファイヤーマン誕生」





2011年1月8日土曜日

The horror! The horror!

水鉄砲ベイビーって……手前は一体何を読んだんだろう? ほっこりする森ガールでゆるかわであまロリスイーツ(笑)なベストセラー小説じゃなかったのか? 

読後に思い浮かぶ言葉は、カーツ大佐の末期の言葉しかない。人間、あまりにも凄いモノを体験するとまとまった言葉が出てこないということなのか? 湧き上がる感情は恐怖と怒り。書きたいことは溢れるほどあるけど、あまりにも膨大でとても上手くまとまらない。いやはや想像以上に凄い物件だった。



2011年1月7日金曜日

今更ながらグルーポン、バードカフェ問題について

かつて林望センセイは、「5000円以内の料理であれば、外食より自炊した方がおいしい」と書いていたものですが、実に慧眼であったと思います。10数年前にこの真理を知ってから、それなりにおいしいものを食べ、それなりに炊事のウデもまともになってきた2011年時点の手前としては、「総額10000円以内の料理であれば、自炊でも外食と遜色のないモノが食べられる」にアップデートしたいところです。

なぜ、こんなことを言い切れるのか? 経験則から導き出したものであり、手前個人にしか適用できない真理ではありますが、それなりの根拠はあります。

・根拠その1:総額10000円で供される料理の原価(原価率25%前後。物凄く良心的なケースでも30%~35%)で揃えられる食材は、ほとんどの場合、一般のスーパーや業務用スーパー、肉のハナマサなどで購入できる。ただし、調味料は別口。

・根拠その2:2500~3000円程度の食材を調理するにあたっては、よほど凝った料理でない限り調理技術に大きな差が現れにくい。

・根拠その3:ある程度の炊事のウデ――米を洗剤で洗わない、鶏肉を焼くときにフライパンの蓋をしない、ナスやたけのこを調理する際にはあく抜きをするetcという基本の基本レベルをクリアしている程度のウデ――があれば、自分好みの味付けができるアドバンテージ込みで、外食と遜色のないモノが仕上げられる。

というわけで、手前としては「総額10000円以下の料理」については、必要に迫られない限り外で食べることはなく、まして「お節料理」を購入するなんてことは、料亭のものであろうがスーパー、コンビニエンスストアのものであろうが、通販であろうがあり得ないわけです。だって、「お節料理」なんて人件費がバカみたいに掛かる料理の最右翼なわけで、その分、原価率が抑えられているのは目に見えているわけでしょ? こんなもの買うなら黒豆でも栗きんとんでも食べたいものだけを作るか、出来合いのものでいいから単品で買ったほうが絶対に得なわけだから。

その意味で、新年一発目の祭りとなった「グルーポン&バードカフェ汚せち事件」については、本来なら「買ったヤツがバカだろ!」と思うだけで一顧だにするトピックではなかったはずなんですが……どういうわけか去年暮れに仕事絡みでフラッシュマーケティング(グルーポン型ビジネス)について調べる機会があったもので、それなりに事情を知っていたこともあって、実に楽しく眺めていたわけです。

この祭りに対する手前のスタンスは、

「実際に買った人は、オレオレ詐欺の被害者と同レベルのうっかり屋さん」
「バードカフェ(外食文化研究所及び水口一族)には外食事業を展開する資格はない」
「グルーポンのデューデリジェンスはクソ」

というもの。

ただ、この件をもってフラッシュマーケティングに規制をかけることについては、「また天下り先をつくんのか? コラ!」という考えしか浮かびません。

フラッシュマーケティングのあるべき使われ方は、「街の惣菜屋がコロッケを作り過ぎたので、18:00から閉店までの間、5個¥100の捨値で売り切って在庫を掃ける」という小ぢんまりしたビジネスを、ネットを介して大々的にやるってことでしょう? 

街の惣菜屋であれば、店頭の張り紙でOKだけど、もう少し大きな店舗であれば張り紙では認知不足or折込チラシでは時間的なロスが大きすぎる。だったらネットで告知すればイイじゃん! でも、ただのお店がTwitterをやってもフォロワーがいないし……ってところに、CMで名前を売り、多数のフォロワーを抱えているグルーポンみたいのが仲介に入れば、店は廃棄するはずの在庫で幾ばくかのお金が得られ、グルーポンは仲介料を得られ、顧客は捨値で商品を得られて三方一両“得”――というのが、アメリカでビジネスが立ち上げられた当初に考えられていた、理想的なビジネスモデルってところなんでしょう。

が、ビジネスモデル自体があまりにも簡単に模倣できる(いまや100万円以下でフラッシュマーケティングのスターターパックが売られている)&このところ景気の良いハナシがなかったIT関連ビジネスに突如現れた有望なビジネスモデルということで、IT成金の資金がどっと流入して一気に過当競争になり(10年4月には片手で数えるほどしかなかったのが、いまや200社近くに増えている)、結果、「市場を制するにはシェアや! 売り上げや!」「業界ナンバー1になるには違法行為も許されるんや!」という、ゼロ年代的イケイケドンドンでデューデリジェンス無視な光通信ライクの“攻めの経営”が横行した結果、こういうことになったと。

ただ、こうした事件は新ビジネスの黎明期には必ず起こるものでしょ。結果についていえば、「死亡事故or深刻な食中毒を発生させずに、ビジネスモデルの問題を露呈させ、かつ世間の注目を集めた事件」が起きたってことで、フラッシュマーケティングの業界全体についていえばこれ以上ない自戒となる事案ともいえるわけで。少なくともまともなアタマのある経営者であれば、クライアントの調査、統制について考えざるを得ないだろうし、結果としてアホみたいな拡大路線にはブレーキがかかるだろうし。それでもなお突っ走る企業には遠からず鉄槌が下され、市場から放逐されるだろうし。

で、1年で急拡大した市場は、1~2年で一気に再編・収斂されていくんでしょう。そのときに残るのは売り上げ№1の企業ではなく、良質なクライアントを抱えた企業――ブランドを持った店、資金繰りのためにサービスを使わないような強固な経営基盤を持った店をたらしこんだ企業――ってことになるんでしょう。

なもんで、規制についていえば、いまかけるのではなくて、ある程度市場が固まってきてから考えた方がいいんじゃないかと。もちろんその間にも大小さまざまな詐欺的事案は起きるだろうけど、ここまでネットで情報が素早く広まる&今回の事件でフラッシュマーケティングに対する批評眼を磨いたユーザーが闊歩するいまの時代において、詐欺を起こしたプレイヤーがのうのうと生き残れるものではないからね。

追記:「祭り」の最中の2chで見た秀逸な書き込み。

410:名刺は切らしておりまして :2011/01/03(月) 16:17:11
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2011年1月6日木曜日

*読書メモ:もしも月が2つあったなら

・太陽から同じ距離を公転している等しい質量の二つの惑星は、衝突しないばかりか近くを通り過ぎることもない。二つの惑星は太陽から見て60度の位置まで動いてくると、それ以上近づくこともなく遠ざかることもない。他の天体の重力によって多少動きを乱されても、同じ軌道に止まる。

・この“反地球”を地球から見ると、常に同じ凸月の形をしている。火星よりも明るいが、金星ほど明るくはない。しかし、金星の暗黒面を見ているときは“反地球”の方が明るい。つまり、双方に知的生命体が生まれれば、双方とも反対側の地球を見ることになる。

・典型的な銀河には数千億の星があり、宇宙には数十億の銀河がある。天の川銀河から天文学的にすぐ隣の惑星――例えばグリーゼ581d。他の恒星の居住可能領域にある惑星――を発見していることから判断すると、宇宙全体には少なくとも1000兆の惑星があると考えられる。

・居住可能な惑星に生命を維持するのに適した何十億もの恒星があり、それらの惑星のうち何百万かは、それらの恒星の適切な軌道を描いて公転しているだろう。そもそも私たちは、必ずしも生命にとってもっとも理想的な惑星に住んでいるわけではない。

「科学は私たちに、たとえ不完全でも、恒星と惑星の生成のプロセスのあらゆる段階の理解を提供してくれるから、居住可能な地球や他の惑星の創造に、神による介入が必要であったと信じる理由はなにもない。同時に、生物学者は生命の起源と進化に必要なすべての段階に狙いを定めている。彼らはその理解において天体物理学者に後れをとっているが、それは生命のほうが恒星や惑星よりもはるかに複雑だからである。にもかかわらず、生命の起源と進化のプロセスも神の介入を必要とすることなく、自然法則に従うことが示されると思う」(335頁)

2011年1月5日水曜日

トスカナ通信(EU3HttT日記):その6

現在のミッションである「ヴェネツィアとの建艦競争」が無理ゲーなので、これをサクっとあきらめ(国威-5)、次なるミッション「ノヴゴロドへの市場参入」を目指し、商人をノヴゴロドのCOTに派遣。年内に達成し50Dを得る。さて、次のミッションはというと「コンゴの民衆を改宗せよ」か。宣教師の派遣費用が35D、改宗確率10%/年ではなぁ……しばらく棚上げだ。

と、ミッション関係でコチョコチョやっているときに、またまたナポリがウルビーノに宣戦布告。いつものように近衛師団を派遣してちゃっちゃと会戦して、痛み分けで手打ちにする。ここまで来たら何というか風物詩という感じだな。ナポリにしてみてもミッションが「ウルビーノを地図上から排除せよ」だから、休戦期間が終わったら真っ先に攻めなきゃならないんだろうけど。

その後、1476年までは元首の逝去に伴う選挙があり、ラニエロ・サヴァノーラ(行政3、外交3、軍事7)を選んだり、ザヴォアとミラノの戦争に巻き込まれてサヴォアを膺懲したり、レオナルド・ダ・ヴィンチ(レベル6の科学者)が登場したので宮廷顧問に招聘したり、「ブレーメン会議」が起きて神聖ローマ帝国の行政機構が改革されたりと色々あったものの、概ね平穏に過ごしていたわけです。

が、1476年2月、突然ヴェネツィアが交易禁止令を通達。我が国の圧倒的な競争力への恐れ&軍事力への侮りから、かくなる事態へと発展したのだろうけど、トスカナもいまやイタリア屈指のパワーだからね。こんなことをされて黙っていたら武名が廃るってもんでしょ。というわけで、「貿易摩擦」を大義名分にヴェネツィアに対して宣戦布告。サシの勝負になったら勝ち目はないけど、大義はこっちにあるし、北イタリアでのヴェネツィアの突出振りに恐れを抱く国は多くあるわけでね。いくつかの国は味方してくれるでしょ。

結局、トスカナ―ヴェネツィア交易戦争は、トスカナ、ジェノバ、モデナ、ウルビーノVSヴェネツィア、スウェーデン、チュートン騎士団領、グルジアという構図に。兵力ではヴェネツィア連合が圧倒しているものの、スウェーデン、チュートン騎士団、グルジアが海を渡ってはるばる援軍に訪れる可能性はゼロに近いので、実質的には「トスカナ、ジェノバVSヴェネツィア」という構図といっていいんでしょう。これなら勝てる。勝てるぞぉ。

戦争は1年余に渡って続き、ヴェローナ、ブレシアを攻略した我が方が、ヴェネツィアに敗北を認めさせる形で和平を締結。これにより国威+10を得る。国家スライダーも動かせるようになったので、自由貿易に一つ振る。

1478年、ヴェネツィアとの戦争で大活躍したラニエロ・サヴァノーラが逝去。選挙では官僚系候補のジョヴァンニ・ナシーニ(行政6、外交3、軍事7)を選出、あわせて「上告禁止法」を可決する。上告禁止法とは「教皇の降格を宣言し、あらゆる宗教問題の最終決定権を王に移譲する」法律のこと。つまり、ヘンリー8世が自身の色恋沙汰を解決するために布告したアレですな。ゲーム的には、教皇を支持する近隣諸国(特に教皇領)との外交関係がガツンと悪化するものの暴動発生率はドカンと下がり、安定性費用修正も下がる施策だ。結局、ゲーム開始時から同盟を組んでいたウルビーノとの関係が断絶され、教皇領との関係も最悪の状態となってしまった。

こうしてウルビーノの後背に我が国がいないことを見て取ったナポリは、早速、ウルビーノに宣戦布告。ウルビーノが地図から消えるのは時間の問題だろう。しかし、問題は「その後」。何もナポリにアンコーナの地を支配させておく必要はない。イタリア建国のためには欠かせないプロヴィンスだし、ナポリは50年来の仇敵だ。だったらナポリがウルビーノを完全併合したタイミングで宣戦布告して、ウルビーノを攻略すればいいじゃん!

というわけで、ナポリがアンコーナを攻略している間に、陸軍の維持費を目一杯上げるとともに近衛師団をフェラーラからロマーニャに移動。臨戦態勢の下、ナポリがウルビーノを完全併合したタイミングで攻めかかるのを待つことにする。

そしてその時がやってきた。1479年6月、ナポリがウルビーノを併合した直後、我が国は大義名分なしにナポリに宣戦布告。電撃的にアンコーナを攻略――1年以上に渡った攻城戦の直後だったため守備兵は100人しかいなかった――し、すぐにアンコーナ割譲を条件に和平条約を締結する。

大義名分なく攻めかかった我が国の外交姿勢に対して、全ての同盟国が愛想を尽かし参戦拒否するも、ジェノバ、ミラノとはナポリとの和平直後に使者を派遣、同盟を締結する。やっぱりみんなオーストリアとヴェネツィアが怖いんだから、少々、褒められたものではない国であっても味方は欲しいんだろ? と札束で頬を引っぱたくようなマネをして同盟を締結したのかどうかはわからないけど、とにかく従前のような同盟体制は維持されることになった。1480年6月にはロマーニャが晴れて中核プロヴィンスへと昇格。これを見届けたところでゲームを終了する。

ゲームスタートから58年という中途半端なタイミングながらも、EU3HttT日記はここで打ち止め。いや、最後までやったら1822年まで掛かるんでね、適当なところで打ち止めにしとかないとキリがないし、いつまでもゲームに没頭していたらおまんまの食い上げになってしまうし。

それにしても初めてのイタリア半島は本当に面白かった。ここまでは本当に順調に進められたけど、一歩間違えれば滅亡していた可能性もあったし。陸のオーストリア、海のアラゴン、ヴェネツィアを横目で見ながら火事場泥棒でプロヴィンスを奪うのも中々オツだったし。CIV4や信長の野望とかなら、ここまでキッチリ地盤を固めてしまえば滅多に負けることはないんだけど、EU3は一手打ち間違うとすぐに負ける――①同盟相手が勝手に小国に戦争→こんがらがった独立保障&同盟が全部発動して世界大戦→旧大陸VSオレの構図になって滅亡。②規模を広げすぎて反乱祭り→徴兵し過ぎて財政破綻して滅亡etc――ので、最後の最後まで気が抜けないからなぁ(何も考えずに戦争できるのは第一帝政のフランスくらいかも)。

2011年1月4日火曜日

トスカナ通信(EU3HttT日記):その5

お金が欲しい。現実でもゲームでも、足りないのはお金。お金が一番。お金があれば何でも出来る――書いていて虚しくなってきたけど、お金がないことにはどうにもならない。お金がないのは首がないのと一緒や(西原理恵子©)ということで、とにかく蓄財に励む。砦やキャラック、騎兵連隊、寺院、郵便局、オーストリアの歓心……欲しいモノは一杯あるけど、とにかく近隣全てのCOTに商人を派遣し、交易規模を維持・拡大しなければ。

と、蓄財を始めて3年。その間、任期満了の元首選挙があったものの再選したりして、あまり波風の立たなかったトスカナは、突然、ナポリからの挑戦を受ける。1465年1月、ナポリが同盟国・ウルビーノに宣戦してきたのだ。

ナポリ一国であればサシで十分戦えるはずなので、ウルビーノからの援軍要請を快諾。すぐに陸軍維持費を目一杯に上げ、アンコーナに駐留する。河川と山のあるアンコーナで迎え撃てば、相手の将軍が有能だろうと1~2連隊くらい大目の編成だろうと、十分撃退できるはず。

アンコーナの戦いは、トスカナ(騎兵連隊×4、歩兵連隊×1)VSナポリ(騎兵連隊×2、歩兵連隊×5)の戦いとなったが、トスカナの死傷者357人に対して、ナポリは死傷者1942人を出す大敗。会戦の経過を見る限り、河川、森林の地形効果が大きくモノをいっていたようだ。その後、アプルッツィに進軍、砦を包囲している間に2度戦ったが、いずれも我が方の勝利だった。

しかし、敵地で戦力補充できないトスカナと、本土で軍団を再編し直して攻めかかってくるナポリの戦いは、長期戦になればなるほど敵方が有利になるので、開戦から半年経ったところで痛み分けの和平を提案、双方同意する。結局、3度の会戦に勝ち、威信と陸軍の戦訓を得たことだけが収穫か。ちなみにこの間、なぜか教皇領がイングランドとの戦争に巻き込まれ、教皇領の海軍戦力が全滅。「教皇領との建艦競争に勝利せよ」のミッションを期せずして達成した。次なるミッションは「ヴェネツィアとの建艦競争に勝利せよ」……無理無理、100%無理。キャラック×16、コグ×2の大艦隊を超えるためには、イタリア半島を統一しなきゃ無理です。ナポリとの戦争が一段落し、向こう5年間、ナポリを相手にすることがなくなったので、北のマントヴァの独立保障を宣言する。

1465年12月にはコンスタンティノ・ポンコンパーニの逝去に伴う元首選挙を実施。官僚系候補のコジモ・ランツィ(行政6、外交3、軍事3)を選出。そのコジモも1467年に逝去し、今度も官僚系候補のジュリアーノ・ダスブルゴ(行政7、外交3、軍事4)を選出した。ちなみにコジモ・ランツィは歴史書によれば、「ただ彼がいばり散らすだけであったとみなされてます」と評されているらしい。その年の10月には国家スライダーを動かせるようになったので、自由貿易に一つ振ることにする。

またまた蓄財に励み続けて2年余。1469年には統治レベルが11を突破、3つめの国策を選べるようになる。ここで選択すべきは「冒険的商業主義」(商人派遣費用-33%)か? それとも「統一的交易方針」(交易効率+10%)か? 頻繁に商人を派遣するわが国にとって、派遣費用が3割引になる「冒険的商業主義」は喉から手が出るほど欲しい国策だ。しかし、長期的には交易額が増えれば増えるほど見返りの大きい「統一的交易方針」の方が明らかに得といえる。順調にゲームを進めていけば、1世紀も経てば商人派遣費用を無視できるほど経済規模が大きくなっているからだ。

モニタの前で散々迷った末、結局、「統一的交易方針」を選択することにする。これにより解禁された「商取引所の設立」を認可する。一連の政策により年頭収入は33Dから40D前後にまで拡大した。

こうして蓄財&経済規模の拡大により陸軍を扶養限界まで整備することを決心。2つの歩兵連隊を作り、近衛師団(騎兵連隊×4、歩兵連隊×4)、コンゴ師団(歩兵連隊×4)に再編成する。このくらいの規模の陸軍であれば、ちょっとした反乱であれば十分鎮圧できるはず。

1470年、サンドロ・ボティッチェリが登場。死んだドナテルロの代わりに安定度を上げてもらいたい――多分、「ヴィーナスの誕生」とかを描いて民心を安定させるのだろう――のでサクッと宮廷顧問に招聘。こういうときに何も考えず出費できるほど経済規模が大きくなったのだなぁ……と感慨に耽っていたらヴェネツィアがマントヴァに宣戦布告キター! ナポリの戦争後にマントヴァに布石を打っておいたのがここで効くとは。マントヴァからの援軍要請に応えた後、戦争の状況を見てみたら、「トスカナ、サボイ、ナポリ、ミラノ、ジェノバ、オーストリア、マントヴァVSヴェネツィア」という凄い状況に。

緒戦からフリウリ、トレビゾンドをオーストリアに獲られたヴェネツィアは、果敢にこれを取り戻そうとするもオーストリア、ミラノの連合軍に蹂躙され壊滅。その隙に我が軍はフェラーラに進軍。ナポリの援軍が到着したところで力攻めに転じ、1471年1月に攻略。

この時点でヴェネツィアは首都まで落とされており、どんな和平条件でも飲まざるを得ないだろうと判断。以下の和平案を提示する。

・フェラーラの割譲
・ダルマチア、ラリッサ、クレタの領有権放棄
・シエナとの条約破棄
・モデナの独立
・賠償金125Dの支払い

ヴェネツィアにしてみれば、ほとんどのプロヴィンスを占領されたにも関わらず、この程度の条件で和平が結べてラッキー! というところなのだろう。和平案は快諾され、結局、ヴェネツィアは北イタリアの勢力を減じることなく面目を保ち、オーストリアは骨折り損となり、トスカナは中核プロヴィンスの北方に緩衝地帯を得るとともに、3年分の予算に匹敵する賠償金を得る――という会心の結果を得ることができた。

……それにしても本気のオーストリアは怖いなぁ。

2011年1月3日月曜日

トスカナ通信(EU3HttT日記):その4

しばらくのあいだ、東アフリカの探検と欧州各地のCOTへの商人派遣に精を出す。このあいだにもイングランドが財政破綻したり、その弱り目をついてスコットランド、ブルゴーニュがイングランドに攻めかかったり、オーストリアがドイツ諸邦を併合したりと欧州情勢は動きまくっていたものの、イタリア半島はつかの間の平和を享受していた。

1454年にピエトロ・ウリヴェッリが逝去したので、選挙で官僚系候補のサルヴェストロ・テレーニ(行政6、外交3、軍事8)を選出。翌55年、貯めに貯めたお金で騎兵連隊を2つ新調する。そんな折、フランスが教皇領より独立した同盟国・アヴィニョンに宣戦布告するも、我らがトスカナはアヴィニョンからの援軍要請を無視! 許せ、許せ南仏の同胞よ。ここで共倒れになるわけにはいかんのだよ。というわけで、+25あった威信は0にダウンしてしまった。

そのためかリグーリア、ヴェネツィアといった競争の激しいCOTで商人の廃業が相次ぐ。やっぱり威信って競争力にダイレクトにかかってくるのねぇ。

で、失墜した権威を取り戻すべく、1456年3月、休戦期間が過ぎたコンゴに再度宣戦布告。大義名分は、より大きな威信が得られる「聖戦」(=彼らは罰当たりな異教徒なのです!)とする。9月には3つのプロヴィンスを全て占領。完全併合で和平を結ぶ。正直、反乱が怖いが、大して賠償金がとれない以上、ここではより多くの威信を稼ぐのが吉だろう。

このコンゴ遠征に司令官として参加したサルヴェストロ・テレーニは、アフリカの過酷な自然環境に参ってしまったためかアッサリと逝去。またもや選挙が行われ、官僚系候補のコンスタンティノ・ポンコンパーニ(行政6、外交8、軍事4)を選出する。あわせて大規模な反乱に備え、遠征軍(歩兵連隊×4)をそのまま「コンゴ師団」としてロアンゴに駐留させる。兵種が「マウリッツ歩兵」まで進化していれば、反乱軍が2~3万人規模でも全然怖くないけど、「メンアットアームズ」だと1万以上の反乱軍を相手にできないからなぁ……といって、これ以上の兵力をアフリカに貼り付けられるほどの余裕はないし。

あと、プロヴィンスが3つ増えたので、陸軍の扶養限界も7連隊から12連隊に拡大したことも大きい。といってもイタリア半島であれば、サシで負けない程度のパワーであって、2対1とかになったら即敗北するレベル。しかも、アフリカに4個連隊を駐留させているので、欧州では多くても8個連隊しか動かせない。まだまだ自ら主導権を握って暴れまわるというわけにはいかないか。

1457年、統治レベルが10にアップ。さすが大学×3の威力は凄い。これで「測量単位の統一」が可能となるので、政務官5人を使って早速実施。10月にはカルロ・ブティがついにインドを発見した。しかし、いまの海軍(キャラック×4、コグ×4)ではインドに手を出しても維持できないだろうなぁ。国家スライダーも動かせるようになったので、イチかバチかで中央集権に1つ振る。これでイタリアで反乱が起きたら……もうダメかもわからんね。

と、思っていたらアフリカで大反乱! マヨンベで農民×6、ロアンゴでナショナリスト×2が蜂起した。鎮圧までてこずったものの、半年余で平定することに成功。アフリカのプロヴィンスには「砦」がないから、反乱軍が進軍したら攻城戦にならず、ダイレクトに占領されるからなぁ。といっても、「砦」をつくるには34D(現時点における年頭収入に等しい大金!)ものお金がかかるし。

1460年4月、サヴォイと戦争中のジェノバに同盟を持ちかけ、折りよく合意。翌年、ジェノバ、ヴェネツィア連合軍にボコられ、瀕死のサヴォイに「同盟」を大義名分として宣戦布告。ニースを占領。12月にはシエナ、教皇領、マントヴァとの同盟破棄を条件とする和平を飲ませる。これでシエナ攻略に向けての障害が一つ減った。そろそろイタリア半島でも勢力を拡大したいなぁ。

2011年1月2日日曜日

TV覚書:新春ワイド時代劇「戦国疾風伝 二人の軍師」

低予算にも関わらず関が原までやり切ったのはアッパレ。「なんでヤマダ電機(高嶋弟)は年取らないんだ」とか「合戦シーンの総スルーはどうよ」とか「貫地谷はもう“永世村娘”でイイヨ」とか「キック松平、案外演技上手いじゃん」とか出来についてどーのこーのいうつもりはありません。制作期間と予算を考えればまぁ立派。そこを汲み取ってやらないと、単なる酷い時代劇もどきだけど、それでも『天地人』より10倍良かったからね。てか、ヤマダ電機はもう少し金出してやれよ。

追記:あと「本能寺の変」。いい加減、八切止夫のヨタ話に引きずられて大爆発させるのはやめてくれないかなぁ。あれは明らかなホラ話であってね……そもそも本堂一つを爆発させるために、当時の火薬をどのくらい集めて、どのくらい圧搾しなきゃならないのか? 常識で考えりゃわかりそうなもんだけどなぁ。

トスカナ通信(EU3HttT日記):その3

1444年1月、新たな国策「新世界の探索」を採用。これにより地図の未踏地(雲の掛かっている部分)にユニットを進められる「探検家(提督)」と「征服者(将軍)」の雇用が可能となる。アフリカや新大陸、インドを見つけ植民地を作ったり、アステカやインカを征服するために必要な国策である。とりわけトスカナのように「南にナポリ、西にアラゴン、北にオーストリア」というスーパーパワーに挟まれ、思うように勢力を伸ばせない弱小~中堅国家にとっては、旧大陸での劣勢を逆転するためにも欠かせない国策なんである。

というわけで早速探検家を雇用。探検家のジャンカルロ・リヴァーニは、採用時の海軍の戦訓が5%以下だったためかスキルゼロ。ともあれ彼を使って未知の海域を探索し、地道に戦訓を積み上げなければならんのでしょう。キャラック2隻を探検艦隊に編成し、西アフリカ沿岸を探検させる。

1446年までにコンゴまでの航路を発見。しかし、スキルゼロのためか陸地を発見できないorz。こりゃたまらん! ということで貯めていた虎の子で新たな探検家を雇う。しかし、探検家カルロ・ブティも機動力1という情けなさ。残るお金は21D。これであと2年は何もできない。

ともあれ1447年には喜望峰を発見。バルトロメオ・ディアスより19年早かった。この年には任期満了による元首選挙がスタート。外交系の候補であるピエトロ・ウリヴェリ・オデスカルキ(行政3、外交7、軍事8)を選出する。旧大陸で大きく動く予定がないので、ここまで出来る元首が出てきてもなぁ。この1/3でも探検家の能力に反映してくれたらなぁ。あわせて国家スライダーを自由貿易に一つ振る。最近、ヴェネツィアでの商売が不振だったので、これで競争力を取り戻してもらいたいものだ。

新たな国策を導入して4年、ついに中央アフリカの国家・ロアンゴに対する植民地征服の大義名分を得る。このゲームでは、大義名分に則って宣戦布告をしないと必ず安定度が2つ下がってしまう。また、和平交渉の際も、大義名分に則った和平案――例えば「貿易摩擦」という大義名分で開戦した場合、交易停止処分の解除に止まらず、相手の土地を割譲させたり属国にさせたりすると悪評がドカンと跳ね上がり、外交上極めて不利になってしまう――を提示する必要があるため、大義名分を得ることは極めて大切なことなのだ。

これによりロアンゴにはいつでも戦争を仕掛けられるようになったので、早速、コグを2隻新調。戦争の際には4隻のコグで4つの歩兵連隊を運び、一気にケリをつけることを決心。1449年に征服者ピエトロ・グリマルディを雇用。彼を歩兵連隊×4からなるロマーニャ軍の司令官に任命。キャラック×4、コグ×4の艦隊に載せ、ロアンゴに進軍。あわせて「植民地征服」を大義名分として宣戦を布告する。

1449年5月、ロアンゴ遠征軍はロアンゴに上陸した。迎え撃つは7299人(歩兵連隊×8)からなるアフリカ歩兵軍団! ほぼ倍の軍勢に対して、旧大陸で最新の武装を誇るメンアットアームズで構成された我が軍は破竹の快進撃。結局、ロアンゴの戦いは当方793名の死傷者に対して、相手方は全滅という圧勝。これで野戦軍全てを壊滅させた我が軍は、4つのプロヴィンスを全て占領。12月にロアンゴ割譲を条件とする和平を飲ませた。本当なら完全併合により4つのプロヴィンスを得ても良かったんだけど、現時点では財政的に大軍を抱える余裕がなく、アフリカで大反乱が起きたら手が付けられなく懸念があったので、あえて港のあるロアンゴだけを割譲させることに。

ここまでやったとことでひとまず打ち止め。止める前にプリントスクリーンをポチッと押したので、以下、1450年5月時点における旧大陸の現況を画像で紹介します。現状について言うと「オーストリアとアラゴンの進行に怯えるイタリア諸国家」といったところでしょうか。

2011年1月1日土曜日

トスカナ通信(EU3HttT日記):その2

1434年、ナポリから独立させたイピロスに対してビザンチンが宣戦布告。またもや戦争に巻き込まれる。といっても、イピロスはアドリア海の先だし、ビザンチンにはピサやロマーニャに上陸するだけの戦力もないから、ここは放置。イピロスは併合されるだろうけど、これはこれで仕方がない。どーせバルカン半島はオスマンに塗りつぶされるんだから。

と、外交上は戦争状態にありながらも事実上平和を享受していたトスカナに激震が走る。なんと元首のコジモが逝去! 1435年って史実では政界復帰した年じゃないか。なんでこんなに早く死ぬかね。貴族共和制なので次の元首は選挙で選ばれることになる。この選挙というのは、「官僚系」「外交系」「軍人系」の3択で、選んだのが次代の元首になるという仕組み。戦争続きで有能な司令官が欲しければ「軍人系」の候補を選び、より良い政策を実現したければ「官僚系」の候補を選ぶという具合。

で、とりあえず「外交系」の候補であるサルヴェストロ・ブッテリ・デメディチ(行政6、外交6、軍事3)を選出する。この後は、史実の元首は一切現れない。もちろんロレンツォ・デ・メディチも出てこない。というわけでメディチ家の野望はここに費えたとさ……。

このようにゴタゴタ続きのなか、教皇領がまたしてもフェラーラに宣戦布告する。しかし、フェラーラにはトスカナだけでなくナポリ、ミラノなども独立保障を宣言していたので、教皇領はあっという間に周辺都市国家からボコボコにされてしまう。当然、トスカナもローマに進軍。ナポリの援軍を恃んで果敢に城攻めを敢行。直ちにローマを攻略する。直後、ロマーニャの領有権放棄とアビニョンの解放を条件とする和平案を提示。これを飲ませる。あわせてビザンチンとも痛み分けの和平で了解した。1436年、ようやくトスカナに平和が訪れた。

1438年には国家スライダーを動かせるようになったので、ここでも自由農民制に一つ振る。またもや「よりよい管理体制」を引いたので安定度低下はなし。しかし、11月には「軍部の分裂」イベントが発生。ここでは防御主義論者を擁護し、国家スライダーも防御主義に一つ振られることを了解する。安定度は-1となるも、これは翌月回復。この規模の国家は安定度の変動に一喜一憂しなくて済むのがイイなぁ。帝国レベルになったら資金を全部安定度回復に割り振っても一つ挙げるのに1年以上かかったりするし。

1439年にはサルヴェストロが逝去、またまた選挙に。今回は官僚系候補のピエトロ・レオポルド・リヴァーニ(行政6、外交4、軍事7)を選出。軍事7というのはなかなか悪くないけど、しばらく戦争するつもりはないからなぁ……と思っていたら、ここで宮廷顧問のイベントが発生! 「ドナテルロ」(宮廷顧問は史実にしているので、いうまでもなく、あのドナテッロのことだ)の発動により国威が10増え、これで国威は+28となった。多分、ダビデ像かマグダラのマリアなんかの彫刻が完成したのだろう。彼のような優れた芸術家が宮廷顧問にいれば、民心も安定するというものだ。

このイベントの後は、イタリア半島には何も起こらず、しばらく平和な時期が続いた。年頭収入は30D前後なので、下手に騎兵連隊やキャラックを作れないのが残念。しばらくはCOTへの商人派遣と蓄財に励むことにする。

そのまま月日は経ち、1444年1月4日、ようやく統治レベルが9に到達。新たな国策を採用できるようになる。次に選択する国策はもちろん「新世界の探索」! 大航海時代を切り開くのはカスティーリャでもなくポルトガルでもなく、我がトスカナなのだよ!