1434年、ナポリから独立させたイピロスに対してビザンチンが宣戦布告。またもや戦争に巻き込まれる。といっても、イピロスはアドリア海の先だし、ビザンチンにはピサやロマーニャに上陸するだけの戦力もないから、ここは放置。イピロスは併合されるだろうけど、これはこれで仕方がない。どーせバルカン半島はオスマンに塗りつぶされるんだから。
と、外交上は戦争状態にありながらも事実上平和を享受していたトスカナに激震が走る。なんと元首のコジモが逝去! 1435年って史実では政界復帰した年じゃないか。なんでこんなに早く死ぬかね。貴族共和制なので次の元首は選挙で選ばれることになる。この選挙というのは、「官僚系」「外交系」「軍人系」の3択で、選んだのが次代の元首になるという仕組み。戦争続きで有能な司令官が欲しければ「軍人系」の候補を選び、より良い政策を実現したければ「官僚系」の候補を選ぶという具合。
で、とりあえず「外交系」の候補であるサルヴェストロ・ブッテリ・デメディチ(行政6、外交6、軍事3)を選出する。この後は、史実の元首は一切現れない。もちろんロレンツォ・デ・メディチも出てこない。というわけでメディチ家の野望はここに費えたとさ……。
このようにゴタゴタ続きのなか、教皇領がまたしてもフェラーラに宣戦布告する。しかし、フェラーラにはトスカナだけでなくナポリ、ミラノなども独立保障を宣言していたので、教皇領はあっという間に周辺都市国家からボコボコにされてしまう。当然、トスカナもローマに進軍。ナポリの援軍を恃んで果敢に城攻めを敢行。直ちにローマを攻略する。直後、ロマーニャの領有権放棄とアビニョンの解放を条件とする和平案を提示。これを飲ませる。あわせてビザンチンとも痛み分けの和平で了解した。1436年、ようやくトスカナに平和が訪れた。
1438年には国家スライダーを動かせるようになったので、ここでも自由農民制に一つ振る。またもや「よりよい管理体制」を引いたので安定度低下はなし。しかし、11月には「軍部の分裂」イベントが発生。ここでは防御主義論者を擁護し、国家スライダーも防御主義に一つ振られることを了解する。安定度は-1となるも、これは翌月回復。この規模の国家は安定度の変動に一喜一憂しなくて済むのがイイなぁ。帝国レベルになったら資金を全部安定度回復に割り振っても一つ挙げるのに1年以上かかったりするし。
1439年にはサルヴェストロが逝去、またまた選挙に。今回は官僚系候補のピエトロ・レオポルド・リヴァーニ(行政6、外交4、軍事7)を選出。軍事7というのはなかなか悪くないけど、しばらく戦争するつもりはないからなぁ……と思っていたら、ここで宮廷顧問のイベントが発生! 「ドナテルロ」(宮廷顧問は史実にしているので、いうまでもなく、あのドナテッロのことだ)の発動により国威が10増え、これで国威は+28となった。多分、ダビデ像かマグダラのマリアなんかの彫刻が完成したのだろう。彼のような優れた芸術家が宮廷顧問にいれば、民心も安定するというものだ。
このイベントの後は、イタリア半島には何も起こらず、しばらく平和な時期が続いた。年頭収入は30D前後なので、下手に騎兵連隊やキャラックを作れないのが残念。しばらくはCOTへの商人派遣と蓄財に励むことにする。
そのまま月日は経ち、1444年1月4日、ようやく統治レベルが9に到達。新たな国策を採用できるようになる。次に選択する国策はもちろん「新世界の探索」! 大航海時代を切り開くのはカスティーリャでもなくポルトガルでもなく、我がトスカナなのだよ!
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