●第五章:もっと“プロ”らしくならないかプロ野球
野球は、コーチの首を一つや二つすげ替えたぐらいで優勝がころがり込むような甘い商売ではない。あくまでも、実際に投げたり打ったりするのは選手なんだからね。
この際、はっきり言わせてもらえば、選手も選手で、たいした実績もない連中がこぞって野球以外の副業にかまけているのだから話にならない。
オレたちプロ野球選手は、そもそもなにでメシを食うべきなのか? そこのところをよく考えてほしいね。
(180~181p)
たとえば定岡にしても、ユニホームを着て野球をやっているから定岡で通るわけで、野球を辞めてしまったら、タダの男だ。どうしてあんな辞め方をしなければいけないのか、オレにはさっぱりわからない。不完全燃焼もいいところだ。
(中略)
どんな使い方であろうと、それを決めるのは監督の仕事で、オレたちはゲームに出て、いい結果を出すのが仕事だ。文句を言うのは、お門違いさ。
定岡にはなんの恨みもないが、所詮、オレたちは野球選手、全部投げ出したらおしまいだ。
どうしても使われ方が納得できないなら、むしろトレードを歓迎すべきなんだ。今のチームでダメでも、よそで心機一転、巻き返してやろうという気がほしかった。
(182p)
監督という立場の人は、勝つことに全精力をそそげばいいのであって、選手は、勝つための駒にすぎないんだ。正直なところ、あの人(都築注~広岡達郎のこと)の“勝つ野球”はすばらしいと思った。
(中略)
玄米食とかなんとかいっても、これはあくまでも西武球団が与えた食事であって、それ以外のものは食べるな、とは一言も言ってないはずだ。
ほんとうに管理するのなら、宿舎から一歩も出さないのがほんとうだが、実際は門限の範囲内で自由にできる。その間に肉も食べられれば酒も飲めるわけよ。
(183p)
遠征の場合、足代から宿泊代、食事代まですべて球団持ちで約五十人が移動する。これは十二球団どこもほぼ同じ。いちいちその五十人に食事のメニューを聞いていたら、宿舎のホテル側もお手上げだ。
だから、球団がよかれと思って出したものが気に入らない場合は、サイフを持って外に食べに行けばいいんだ。
こういう話をうちの若い連中にすると、「落合さんは給料いっぱいもらってるから、外でいくらでもいいもの食えるでしょうけど……」という返事が返ってくる。
でも、それは違うと思う。酒を飲むのも、女遊びをするのも、バクチを打つのも全部、これは野球のためだ。メシを食うのだって同じ。あした、いい仕事をするために必要なら、身ゼニを切って外でメシを食わなければいけないわけ。
プロ野球選手はからだが資本だから、食事代ぐらい、必要経費と考えるべきなんだ。それを、カネのあるなしに結びつけるのはおかしい。
(183~184p)
なかでも最悪なのが「あの選手と競争してもボクは絶対に勝てない」という負け犬根性を表に出す選手だ。あいつの足を引っ張ってでも抜いてやろう、なんて気は最初からないわけ。
おまけに、使うほうも使うほうで、それを増長させるような選手の育て方をする。
というのは、最近の球界には、特定の選手に、いきなり一つのポジションを与えて育てよう、という風潮が年々強まってきているからだ。
(190~191p)
たとえば、同じポジションにAとBの二選手がいたとする。AとBとを競争させて勝ったほうを使おうというのではなく、レギュラーのAより、Bのほうがスター性があるから、今は下手でも、Bを使いながら育てていこうとする。
これをやられると、今まで必死でやってきたレギュラー選手が、なんの根拠もなくベンチを温めることになってしまう。
どうして競争もさせずにうまい選手から職場を奪うのか、競争したら絶対負けないという自信を持った選手たちが、今何人も冷やメシを食わされているのだ。
(191p)
もうそろそろ日本のプロ野球界も従来のような画一的な指導方法に疑問を抱いてもいい時期だ。オレの例がなかったら、当然ボロクソに言われたはずの西武の秋山や大洋の田代あたりが、現にアッパースイングでやっているのだから。
二年あまり前、山内さんがどこかにこんなコメントをしたことがあるそうだ。
「私は、これまでの自分の指導方法が間違っていたとは思わないので、これからも同じ方法で信念を持ってやっていく。が、落合の出現によりもうひとつ別の角度から野球を考えてみることができた」
つまり、なんでもかんでも選手をひとつの型にはめるということをしなくなったらしいのだ。
一方、金田さんは金田さんで、オレがオールスター戦にはじめて出たとき(昭和五十六年)に、読売テレビの解説で、「落合はすばらしい」と見直してくれたそうだ。
かつて絶対通用しないと言われた選手がほめてもらえるようになったのだからうれしいね。
(194p)
そもそも、この世界に入ってきた連中が、「レギュラーになれて当たり前」の気持ちで百三十試合に出たら、誰でもある程度の数字は残せると思う。バッターなら二割七分、八分、十ホーマーぐらいはいける。素質はみんな持っているのだから、要するに慣れなんだ。
プロ野球選手にいちばん必要なことは、この慣れだ。仕事としての野球に慣れること、試合に慣れること、そしてプロのスピードに慣れ、観衆に慣れることだ。
(204p)
プロ野球選手には、自分で辞める方法と、「お前、もういらないから、どっか行け」と言われて消えるのと、二通りの辞め方があるが、オレは十二球団がいらないというまでボロボロになりながでもやるつもりだ。
野球をやっていれば、何千万もくれるのだからまったくいい商売さ。
あと十年でも二十年でも、棒を振り回して稼いでみせる。そして、打率四割を達成して、グラウンドで死ぬのが、オレのちいばんの夢だ。
(210p)
――球界のあり方、指導法についての持論はこの頃から完全に確立されていたことがわかる。“打率四割構想”は割愛。
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