●第二章:落ちこぼれからの遠回り野球人生
子供のころからオレは怠け者。ムダな努力なんか大嫌いだし、納得がいかないと、いくら命令されたってできるものじゃないと思っていた。
だから、もっと若いうちにプロに入っていたら、もう今ごろはつぶされていたはずだ。
(54p)
この世界に入るとき、オレはダメならダメでいいと思っていた。
ダメだったら、また別の仕事を探せばいいと思っていたから、どうしてもこの世界にしがみついて生きていこう、という気持ちはなかった。
ただ、四十、五十になって、「あのとき、もしプロに入っていれば……」と後悔だけはしたくなかった。プロに入った動機はそれだけで、別にデッカイ夢や希望はなかった。
(73~74p)
オレがプロ入りした年に監督が金田(正一・現評論家)さんから山内(一弘・現中日)さんに代わった。
で、二人でオレのバッティングを見て、
「こいつは絶対プロでは通用せん」
この一言をオレの背中に残して帰っていったのが金田さん。
「おまえのフォームじゃ、インコースが打てないから、プロは無理だなあ」
がオレの打法に対する山内さんのコメント。
ダウンスイング全盛の時代だから、当然オレのアッパースイングはボロクソさ。百人が百人、プロではダメのお墨付き。
二人の評価を裏付けるかのように、不思議なくらいボールが前に飛ばなかった。
実際やってもみないうちから、そんなころわかるものかと思う反面、どうせダメなら自分の好きなようにやっていこうと思ったんだ。生まれつきの打法が、急に直るもんじゃないから、あくまで自分流でいこうとね。
(75~76p)
まるまる一日が野球、というのもまいった。なにせ、物心ついてこのかた、まともに練習したことがないんだもの。
正直なところ、「こりゃー、きついな」と思った。
社会人野球は、けっこう休みが多い。メインは都市対抗で、それに照準合わせて練習していく感じだから。
大学だってそう。春と秋しかないわけ。高校は春夏の甲子園さ。
その点、プロは違う。毎日が野球。明けても暮れても、野球、野球、野球なんだ。いいかげん、頭が痛くなってきたよ。
でも、実はプロはサボろうと思えば、若手だってサボれる。このとき、オレは不思議とサボらなかったけれど……。
(76~77p)
ただ、もともと「プロでは絶対通用しない」とまで言われていたわけだから、バッティングは「好き勝手」を通し続けた。上からのアドバイスも、一方では聞き流し、自分流の打法だけをそれなりに考えていた。
(82p)
――アマ時代のことは割愛。なお、この時点では山内監督の指導をキッパリ拒否したとまでは書いていない。
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