●第一章:“毎年三冠王”宣言
プロはわがままでいい、メチャクチャでいいと思っている。
個人のわがままが通る世界だから、思いどおりに突っ走りたい。プロ野球にいてなにが魅力かと言えば、一にカネで、二が力の世界だからこそ許される、この“わがまま”。
そんな野球界最大の恩典を、大半の選手が放棄している。が、自分の野球人生なのだから、なんと言われようと本能のおもむくままにやったほうが勝ちだ。
(13p)
正直に言えば、マイペース調整ほど不安なものはない。こんな方法で今年一年、ペナントレースを乗りきれるのだろうか、とね。でも、そこで不安なんか持たずに、「この調整法でいけば必ずいい結果が生まれるんだ!」と思わなければやっていられない。
だから、オレは、眉間にシワを寄せて野球をする人間の気が知れないね。
日本人口一億数千万の中で、この世界に入れる人間はわずか七百二十人。一軍は、その半分の三百六十人で、そのまた半分の百八十人しか一線に残れない世界だ。さらにその中で、レギュラーとしてやっていけるのはほんのひと握りしかいない。
これは楽しまなくてはウソだ!
(15p)
もともとプロ野球は、個人競技なんだ。チームプレー、チームプレーと言うけど、打撃も守備も、野球ほど個人個人が色濃く出るスポーツはないと思う。
たとえば、バッテリー。ピッチャーはキャッチャーにボールを投げた時点で一つの仕事は終わる。
つまり、いいボールを投げて三振に打ち取れば自分の仕事は完了。いいボールを投げてキャッチャーがポロッとやった。それでも自分の仕事は完了なんだ。
このケースは、キャッチャーが自分の仕事をできなかったわけで、キャッチャーのマイナスポイントだ。
たとえ、そのピッチャーと仲が悪くたって、取らなきゃいけないんだよ。自分の仕事をしようと思えばね。
(18~19p)
だいたい、ボールが向かってきた瞬間、ああもうこの球はよけられんぞ、とわかるもので、それならいちばん痛くないところに当たろう、と考える。
尻とか背中とかにね。関節のたぐいは外すようにしている。
他人のデッドボールなど、誰もかわいそうに思っちゃいない。特に控えにいる選手なんかオレの出番が来たぞ、と喜んでいるはずだからね。
西武の金森が、自分からボールに向かっていくとか言われているけれど、オレに言わせればあれは単に下手なだけだ。
(26p)
もっと言えば、そもそもピッチャーみんなが苦手なんだ。左も右も、ピッチャーと名のつくものは全部嫌いなの。ただ、下手投げは、好きだけど、嫌い。嫌いな中でも好きなほうってところかな。
(26p)
ところが、こんな計算の立て方もあるんだ。三試合で何本、十試合で何本というふうにね。つまり、十打数、百打数と、ちょっと人より長い目で計算していく。
いちばん簡単なのが、百打数で三十本ヒット打てば、三割に乗るという計算。
運悪く最初に十のゼロくらっても、残りが九十打数もある。そこでヒットを三十本打てば、なにもあせらなくても三割になれるんだ。
(中略)
その点、オレなんか楽天的というか、長い目で計算するから、精神的にラクだね。野球をいつもラクな方向に考えるようにしている。
そのくらいラクに考えないと、とても百三十試合なんてやってられないよ。
(27~28p)
しかし、腰の曲がらない選手を使うほうも使うほうだ。
オレは単に四番目に打つバッターじゃなくて、“四番バッター”だからなのかなあって思った。ゲームに出ないわけにはいかないんだ。
(30p)
なにしろ子供つくろうかっていうと、とろろイモばっかり。これでもかって毎日出てくるんだ。
とろろイモ食べてウーロン茶を飲んだら、満腹になるだけで、さあ作れって言われても、できるもんじゃないよ。ゆで卵じゃないんだから。
(36p)
別にゲンをかつぐわけでもない。もし、ゲンをかつぎだしたら、きりがない。家から後楽園に行くにしたって、川崎行くにしたって、通る道がなくなってしまう。
このころから、周りの人たちに「三冠王のプレッシャーを感じません?」なんてよく聞かれはじめた。
プレッシャーなんていうのは、「なんとか取りたい」と思っている人間が感じるものだ。オレみたいに、開幕前から「取るぞ!」と心に決めている人間には、そんなものは関係ない。
(45~46p)
なぜ、三冠王を取れたのか? これは一億七千万円の借金とか、いろいろ理由はあるけれど、やっぱり「カミさんに認めてもらおう」というのがいちばんだったと思う。
他人に認めてもらおうという以上に、カミさんに、「あんたはエライ!」と喜んでほしかった。オレのその日の成績に一喜一憂してくれる女が家にいる。だったら、その女を喜ばせてやりたい。そうオレは思っている。
(52p)
――名言を中心に紹介。基本となる考え方は、四半世紀前からほとんどブレていない。
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