2011年1月12日水曜日

『食堂かたつむり』に言いたいこと:その4(その他)

『食堂かたつむり』が現代日本を舞台に描かれている作品であると規定した場合、明らかに不適切と考えられる点について、突っ込んでいきたいと思います。

「角部屋で三方を窓に囲まれている」「西日に包まれて台所仕事」(8頁)
→おそらく北か東だけが壁になっていると思われるが、集合住宅であれば玄関側と隣室側は必ず壁になる。よって多くの場合、こうした建付けになることはない。

「大家さんに手製のマドレーヌを贈り、保証人なしでやっと借りられた」(11頁)
→親族が不動産屋でもない限りほとんどあり得ない。恐らくは保証会社が間に入っているのだろうが、そうであれば恋人の失踪翌日に、大家にカギを返しただけで退去できるとは考えにくい。

「祖母が静かに息を引き取った。(中略)祖母の薄い胸に耳を当てても何の音もせず、口元や鼻先に手のひらをかざしても、少しの風も感じない。生き返るとは、思えなかった。私は、急いで誰かに連絡したりはせずに、せめて一晩だけでも、祖母とふたりだけの時間を過ごそうと決めた」(15頁)
→救急車もしくはかかりつけの医師を呼ぶべき。王大人じゃないんだから、素人が“死亡確認”をしてはいけない。遺棄罪(刑法217条。一年以下の懲役)に問われる可能性がある。

「二十五歳になってあの頃より体重は増えたけれど、それでも、昔と同じように木に登ることができた。(中略)前髪だけでなく、横や後ろの髪の毛も、左手でつかんで束にしたものを、ザクザクと切り落とす」(38~39頁)
→けもの道の木の上で散髪してはいけない。その髪の毛は誰が掃除するのか? 素直に風呂場で散髪すべき。

「熊さんはそのお嫁さんのことを、シニョリータと呼ぶ。本来ならセニョリータなのだと思うけれど、なまっているのか元からの勘違いか、私にはどうしてもシニョリータにしか聞こえない」(44~45頁)
→セニョニータは未婚女性の呼称であって名前ではない。これでは既婚女性に「お嬢さん」と呼ぶようなもので、二重に誤っている。なお、英語で呼ぶ場合はシニョリータと訛って聴こえる――Van Halenの『Little Guitars』で、ダイヤモンド・デイヴが「シニョリタ、アマトラボラゲ~ン(Senorita I'm in trouble again)と歌っている――こともあるようだ。

「お手洗いは、壁一面タイル貼りにし、私が、色違いのタイルを貼り合わせて鳥のカップルの模様を作った」(62頁)
→モザイクタイル貼りは、タイル貼りでも相当難易度の高い作業。一カ月しかない開店準備期間で多忙を極めるなか、ズブの素人が市販のタイルキットで出来るようなことではない。ほとんどの場合、タイル職人が作業するものではないか? 

「ザクロカレーは、一緒にトルコ料理店で働いていたイラン出身の仲間に教えてもらったレシピだった(中略)イランの荒野が、セピア色の色彩で見えるような気がした」(78頁)
→オスマンに対抗するためにシーア派の王朝を立て、いまや“神政国家”となっているイランの国民が、オスマンの後継国家であるトルコ(現在は政教分離が徹底されている)の料理店で仕事をするとは……。全くあり得ないハナシではないが、少なくとも自然な描写とは言いがたい。

「レーズンパンはお昼過ぎに焼き上がった。あとはお客様がいらっしゃる直前に仕上げるだけなので、その間に今度はディナーの仕込みをする」(122頁)
→「一日一組限定」という設定が早くも崩れている。

「そうしているうちに、食堂かたつむりは本格的な冬ごもりの時期を迎えた。(中略)『スノードロップ』 熊さんの軍手の指が指し示す方向を見ると、ひゅーっと伸びた茎の先に、白い花がうつむくように咲いている。一本だけではなく、いくつかのスノードロップが群れになって咲き乱れていた」(159~163頁)
→スノードロップが2月以前に咲くことは考えにくい。まして1月中に咲き乱れることはほとんどあり得ない。なお、スノードロップを見た時期を1月中と特定しているのは、大晦日の直後にして、2月半ばのふぐパーティ以前のシーンであることから。なお、欧州各地に残るスノードロップと季節に関する伝承については、「昔は太陰暦だった」ことも考慮すべきだろう。

「ロストバージンの相手は婚約者の彼しか考えていなかったので、彼以外となら、誰とするのも同じだった。けれど、いざ現場に行くと婚約者への思いを断ち切ることができず、処女のまま妊娠する方法はないかと考え、ふと、水鉄砲を使ってはどうかとひらめいたのだった。(中略)おかんは行きずりの恋でくじ引きのように相手を選び、そしてその相手の精子を水鉄砲に入れて穴の中に挿入し、ぴゅーっとやったのだと、手振りを交えて証言した」(184~185頁)
→イギリスのバンド『10cc』の名前の由来として、「四人が一回で出す精子の量」とまことしやかに語られていたように、一人の男性が一回で出す精子の量は、多く見積もっても数ml(WHO基準では2ml)に過ぎない。水鉄砲に入れても量が少なすぎてとても射出できるものではない。よしんば射出できたとしても機器の殺菌処理はどうするのか?……というか、人工授精の歴史を紐解けば、いかにリアリティのない話かは一目瞭然だろう。このような簡便な手法で人工授精できるのであれば、すでにマツモトキヨシあたりで「人工授精キット」が販売されていることだろう。

「(都築注~末期がんのおかんへの緩和ケアの一環として)痛み止めの漢方薬を持ってきたり」
→がんによる疼痛は人間が経験し得る最大級の痛みであり、現時点で知られている最も強力な鎮痛作用を持つモルヒネを持ってしても容易に抑えられないほどの痛みである。実際、末期がん患者だった父は、モルヒネを投与されてもなお眠れずに譫妄状態にあった。漢方薬の鎮痛剤は五十肩や関節痛、筋肉痛への適用があるもので、がんの疼痛を鎮める効果はほとんどない(あってもプラセボ効果だろう)。そもそも“まともな”緩和ケアのドクターが漢方薬の鎮痛剤を処方することは100%あり得ない。緩和ケアのドクターが、医療用麻薬に対する偏見といかにして戦っているのか? このことを少しでも知っていれば、これほど失礼で非常識な描写はできないはずだ。

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