昨日、書き忘れていた今回のプレイの縛りは以下の通り。
●鉄道網を持つ国との戦争において、包囲作戦は自国領でしかしない
●イタリア建国まで喜望峰より東の非文明国への宣戦布告はしない
●支那、ジャワの植民地兵でヒャッハー! は禁止
1839年1月。実用蒸気機関が完成。果樹園が多く工場も稼動したところなので、これで大幅に税収がアップするはず。次の研究はもちろん観念論待ち。あわせて与党と保守派から穏健主義派へと変更。さらなる税収アップを目指すとともに、軍備増強に向けて高級服、小銃、ブランデー、ワインの備蓄を開始。3月には輸送船を6隻建造。騎兵隊、砲兵隊を解散するとともに、歩兵隊を増強。最終的には22個旅団を編成する。
1840年の解禁を待って観念論の研究をスタート。軍備増強を終えた1841年7月、オスマンと戦争している隙をついてエジプトに宣戦布告。目的はスエズを含むステート「ディムヤート」の租界。オスマンにあらかたの戦力を片付けられたエジプトに抵抗する術はなく、1842年に和平。ディムヤートをゲットする。この間、観念論、鉄道が完成し、実証主義の研究を進める。やっぱり米百俵の精神は大事だよ。
と、イタリア都市国家への外交活動と、エジプトへの侵略戦争と、軍港整備などでまったりしていた1843年7月、大ニュースが飛び込んでくる。なんとオーストリアがプロイセンに宣戦布告。思わぬ形で普墺戦争が勃発した。オーストリアの目的は「シュレンジェン獲得」。プロイセンとサシであれば勝てるのかもしれないけど、ドイツ諸邦は全てプロイセンに味方する。両シチリア王国としては、イタリア王国建国のための統一戦争でオーストリアに喧嘩を売ることは必至なので、ここではプロイセンに戦費補助を約束。あわせて関係向上を目指し外交活動を活発化させる。
1844年1月。ゲーム開始以来、自由主義勢力伸張に向けて努力(=イベントでの選択肢で全て自由主義伸張を選択)した結果、自由主義勢力が上院の第一勢力となることが確定。政治改革が可能となったところで、地主限定の投票権を選択。これにて両シチリア王国は「絶対王政」から「プロイセン式立憲君主制」へと政体変更することに。あわせて、プロイセンとの同盟も締結。これに加えてフランスとの同盟or局外中立が約束できれば、来るべきイタリア統一戦争は勝ったも同然だ。てか、プロイセンはわが国に参戦要求すれ。旧大陸で暴れてみたいよ。
1844年7月。久しぶりに税制を大幅に改正。100%だった税率を下流層50%、中流層30%、富裕層29%へと減税。関税も47%へと軽減する。この逆進課税は、資本家と事務員を増やしたいがためのこと。現実世界でやったら政権交代どころか革命沙汰になるわね。9月には第1回総選挙が終了。結果は穏健主義派の勝利となった。11月には実証主義が完成。医薬の研究を開始する。
ここから1848年までは“見”の姿勢。トスカーナ、パルマ、ルッカを影響圏に置いたり、普墺戦争が痛みわけで終わったり、フランスvsオランダ戦争が勃発したり(48年4月、フランスがワロニーを獲得して終了)、医薬を完成させ、汽船の研究をしたりする。で、1848年9月には汽船を完成。あわせて通称襲撃艦を発明。機能主義の研究をスタートする。
そうこうしているうちに1850年に突入。教皇領を影響圏に置き、あとはサルディニア・ピエモンテ、モデナを影響圏に置けばイタリア建国も見えてくるんだけど、フランスとオーストリアが我が国の大使を追放するんだよママン!
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