2013年1月5日土曜日

ウェールズ王国通信(CK2日記):その9

またまた幼君である。しかも、先代の急逝により全く後継の用意がないままの代替わりなので、打てる手もほとんどない。だいたい35歳の働き盛りで死ぬことを考えてなかったから、設備投資をしまくっていて財布も空っぽ。しょうがないから待ちの一手で時間を飛ばしていたら、1259年にミース公爵、ティアコネル伯爵が相次いで反乱。なけなしのお金で雇った傭兵と家臣の兵力のみで鎮圧にあたる。直轄領の兵力は、次に反旗を翻すかもしれない公爵&伯爵のためにとっておく。

幸いこれ以上の反乱は起きず、2件の反乱も1262年で鎮圧した。1263年、国内が落ち着いたところで、「国王の権威を貶める陰謀」を企んだとしてコノート公爵を投獄。同年、廷臣スマルカフの要求権を行使して宣戦布告。1265年、スマルカフをデズモンド伯爵とマンスター公爵に任じる。これにてアイルライドを再統一した。

以下、年表モード。

・1269年:グルフィズ1世成人。管理能力に優れたアキテーヌ公爵の娘と結婚。これにより9つの領地を直轄支配し、領土に蔓延っていた密輸組織や盗賊ギルドを根絶する
・1279年:スコットランドでモレイ公爵が反乱。王国を二分する内乱に発展する。この隙を衝いて、予てから宮廷に招いていたギャロウェイ公爵の弟・フィーンの要求権を行使。スコットランド王国に宣戦布告
・1281年:同盟国であるデンマーク王国も参戦し、圧倒的な戦況で降伏寸前に追い込むも、肝心のフィーンがカンバーランドでの戦いで戦死。結果、決着が曖昧なまま終戦
・1288年:ウェールズ王国の法律を改正。諸侯に「絶対的な国王の権威」を認めさせる。これにより王国内で諸侯同士がいかなる戦争もできなくなった
・1289年:廷臣アダの持つデビートデール伯爵の要求権を行使して、スコットランド王国に宣戦布告。数万規模の大兵力がぶつかり合う大戦争となるも、要求権を持つアダが戦死。またまた決着が曖昧なまま終戦
・1290年:先の戦争で疲弊したスコットランド王国の隙を衝き、宮廷に招いたジェイムズの持つデビートデール伯爵の要求権を行使して、スコットランド王国に宣戦布告。
・1292年:スコットランド王国が降伏。廷臣ジェイムズをデビートデール伯爵に推戴する。なお、ジェイムズは即座にスコットランド王国に臣従
・1293年:アイルランド王国を改正。諸侯に「絶対的な国王の権威」を認めさせる。これにより王国内で諸侯同士がいかなる戦争もできなくなった

こうして1293年までに2つの王国で事実上の「絶対王政」を敷くことに成功。絶対的な国王の権威への反発(全諸侯の評価が一律-30)から、諸侯の内乱にこそ気をつけなければならないものの、少なくとも家臣が勝手に戦争を起こす――「有能でかつ野心家だから……」と、1つの伯爵領に押し込んでいた家臣が、勝手に要求権捏造&婚姻政策により公爵領を横領。いつのまにか王家を凌ぐ権勢を誇っていた……みたいな――ことはないので、諸侯の要求権や婚姻関係を注意深く見て、必要に応じて投獄、暗殺、仲違いetcをしていれば、末永く平和を保てるはず。

というわけで、1300年1月1日まで回したところで、9回に渡ってきたCK2日記はひとまず終了。本当はゲームオーバーとなる1453年まで日記を続けたかったんだけど、あと150年以上もあるんでね。最後に2王国と世界の現状について。

・ウェールズ王国ではグウィネズ公爵領は王家が、デハイバース公爵領はキドウェリー家が全伯爵領(いずれも3州)を直轄。アイルランド王国では、コノート公爵領はキドウェリー家の分家、ラインスター公爵領は弟のベドウィル1世が全伯爵領(いずれも2州)を直轄。王家に反抗的な諸侯の多いラインスター公爵領、ミース公爵領には各州に伯爵を置き、新地区も教区とした。4州からなるアルスター公爵領はティアコネル州のみに伯爵を置き、残り3州は直轄(いずれ後継者に移譲する)。

・イングランド王国では、ノルマン朝→ウィッチェ朝を経て、現在はヒメノ朝。相変わらず内乱が絶えず、国力の貧しいままだが、ベッドフォード公爵領をフランス王国から奪い返したのにはびっくりした。

・スコットランド王国は、1250年に王位を継いだ“剛勇王”ジョージ1世が、国を二分する大乱や我が国の侵攻によく耐え、国を隆盛に導いている。国家年収149.51は、フランス王国(132.79)、デンマーク王国(109.77)を凌ぐ立派な数字。ちなみに我が2王国は369.38。

・フランス王国はイベリア半島へ果敢に進出するもオーヴェルニュ公爵に独立を許してしまったうえ、南仏の大部分を神聖ローマ帝国に奪われている。昔日の圧倒的な力は陰を潜めているようだ。

・イベリア半島はカスティーリャ、レオン、アンダルシアの三つ巴。ムーア人によるポルトガルは、十字軍によりスウェーデンのものになった。

・ビザンチン帝国は100年以上前にエジプトにより滅ぼされる。その後、十字軍によりスウェーデンが大部分を獲得。カトリック化した後、ビザンチン王国が成立。地図上の標記はギリシャとなっている。

・モンゴル人による「黄金のオルド」はノヴゴロドを制圧。未だに勢いは衰えず。一時期、中欧の大部分を制覇したポーランドは、モンゴル侵攻の影響をモロに受けて分断中。






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