2013年12月5日木曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その24

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

兵頭二十八師の新刊『兵頭二十八の農業安保論』(草思社)。手前はこの新刊を読んで色々と思うことがあったので、今回は新刊のレビューというよりは、新刊をダシに手前がつらつら考えてることを思うままに書いていきたいと思います。

まずは高齢化問題について。手前は「高齢化問題の解決には、彼らを“排除”するしかない」という結論を得ました。しかし国家が国家である以上、このような一手を打つことは決してできません。それは人道上の理由とかではなく、国家の存在意義に関わることだからです。当たり前すぎるほど当たり前のことですが、ここは兵頭流軍学の基本に則り敢えてゼロから考えてみます。

国家の存在意義とは何か? 軍師の考える権力の定義「権力=飢餓と不慮死の可能性からの遠さ」を基に考えるなら――

国家とは、「飢餓と不慮死の可能性が極めて近い」一個人の資力や労力を集積し、リーダーのもと効率的に運用することで「飢餓と不慮死の可能性の遠さ」を実現するために必要である。すなわち、人々が飢えることなく安定的かつ安価に食料を確保するとともに、戦争を仕掛けられないように軍備を整えたり、連続殺人犯を拘束できるように警察機構を整えたり、台風で川が氾濫して被害が拡大しないように堤防を作ったりするために、みんなで金(=税金)を出し合い、適当な人をリーダー(=皇帝、王、大統領etc)に担いだ結果として出来上がったもの。

――となります。もっと簡単に説明できないわけでもないですし、実際、上手く説明している先人も数多くいるのですが、ここでは敢えて手前の思考経路をありのままに記してみました。

↑の定義をある程度正しいと認めるなら、「国家は自国民を飢えさせたり、不慮死に追いやってはいけない」ということも正しいと言えるでしょう。飢えた国民がいれば最低限死なない程度の援助はしなければならないし、外敵から挑戦を受けたならこれを撥ね退けなければならない。これができない(しようと努力しない)国家は、国家としての存在意義はないということです。実際、国家としての存在意義をなくした国家は、だいたいの場合、外敵に滅ぼされるかクーデターで倒されています。

このように国家の意義というものをゼロから考えてみると、生活保護や軍隊の存在意義も十分に理解できるというものでしょう。健康で文化的な云々とかいう憲法以前のハナシとして、自国民を一人足りとも飢えさせないように努力した結果として、生活保護を初めとする様々なセーフティネットがあるということです。

逆に言えば、国家が国家として存続する限り、こうしたセーフティネットは止めたくても止められないということ。もっと言うなら「国家は平時において、自国民を死に追いやることはできない」わけです。

さて、ここまでのハナシを前提として考えてみると、少子高齢化が進み続ける日本の未来は極めて悲観的といえます。何しろ「年金や生活保護で生活して」「病気がちだからガンガン医療費を使って」「仕事をせずGDP拡大に寄与しない」という老人ばかりが増え続ける一方で、彼らを“排除”することは一切できないわけですから。つまり、手前が考えた「老人撲滅党」という暴論や、安いSF映画的解決法――『トゥモロー・ワールド』『ソイレント・グリーン』etc――は、国家が国家である以上、決してできない。高齢者とて一国民である以上、彼らを飢えさせないために、年金(年金未納者には生活保護)や医療費はいつまでも支出し続けなければならないってことですよ。

もちろん「老人撲滅党」が民主的な手続きに従って与党になれば、現役世代の民意において高齢者優遇施策を見直すことはあり得るでしょう。それでも一国民である高齢者をガス室に送るようなことはできないでしょう。もっといえば、高齢化の進展により現役世代の有権者が減り続けるなかでは、「老人撲滅党」が与党になる可能性は年を追って小さくなるはずなので、↑のようなこと自体、起こりえないと思います。

で、現状のまま手をこまねいていれば、財政上の問題で日本は遠からず破綻するでしょう。税制とか社会保険制度とかをいくらいじったところで解決できる問題ではありません。これは手前みたいにアタマの血の巡りが悪いバカでもわかることです。当然、手前よりも遥かに出来の良い財務官僚以下の官吏にも自明のことでしょう。

高齢化問題に抜本的な解決法はない――これが、これから書くことの大前提です。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。
(続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿