2016年1月18日月曜日

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その5

SLGに戦争を再現することはできない。なぜなら、ゲームとして成立させるために省略、抽象化しなければならない要素こそが、戦争の肝であるからだ。だからSLGをプレイするのは、スマホゲームをプレイするのと同じで時間つぶしに過ぎない――というのが、これまでつらつらと書いてきたことの結論です。

しかし、30年来のSLGファンとしては、この結論にちょっと異議を唱えたいところです。

確かにSLGは、戦術級のものでも戦略級のものでも、戦争を再現できているとは思いません。だからこそ戦争や作戦、将軍の心境などを疑似体験するために、戦術級のSLG――『大戦略』とか『信長の野望』の会戦とか『トータルウォー』など――を遊ぶことには、「いや、それで経験したことは、丸っきりウソだから」といいたい。実際、戦争を疑似体験したいのであれば、古今東西の戦記を読むか、チャンバラごっこをするほうが、よっぽど有益と思います。

でもですね、世の中にはいるんですよ。SLGを遊んだことで戦争を体験したような気になっている人が。14~15年くらい前のことです。手前がちょっと注目していたライターがいたんですが、その人が書いた戦記小説というのが、「あなた、『三国志V』で戦争を知った気になってない?」という代物だったんですよ。戦場に広く放った偵察要員からの報告(=100%正確)を元に、地図上のグリッドを埋めていって、敵軍団を居場所をリアルタイムで見つけて奇襲する参謀とかさ。このライターに限らず、「『信長の野望』や『大戦略』で戦争を知った気になっている」ような人はたくさんいますからね。

とはいえ、ここまではあくまでも戦術級のSLGを巡る特殊な遊び方についてのハナシです。これが戦略級のSLGとなると。時間つぶし以上の意味を見出すこともできるんじゃないかと思っています。

もちろん国家指導者の気分を疑似体験するために遊ぶことには反対ですよ。実際、常に正確な情報が把握でき、部下がサボタージュせず、なにより暗殺されることがない(=モニターの前に座っていて、いきなり後ろから刺されることは絶対にない)なかで、本当の意味での国家指導者の気持ちを味わうことなど不可能ですからね。

が、当時の国家のあり方、外交関係、戦争のあり方などを学ぶツールとしては、有益なのではないかと思っています。これは手前の経験なのですが、本で読んでいてもイマイチつかみ難かったことが、SLGをプレイすることでストンと腑に落ち、更に再読することで自分なりにしっかり把握できたことが、結構ありましたから。

最も古い体験では、中学二年生の頃に初めて『信長の野望・全国版』をプレイしたとき、「なるほど、自分の国の軍備をゼロにしたら、他の国から容赦なく攻め込まれるのだナ」という真理を理解したという経験があります。もちろんそれまでの短い人生で、「軍備を整えなければ、他国から侵略される」という真理を知ってはいました。が、それがどういうことなのか? を腹の底から理解したのは、『信長の野望・全国版』で何度も国を滅ぼされた後のことでした。同じように、核兵器による相互確証破壊という考え方がなぜ出てきたのか? についても、『Civilization』で何度も核戦争を行った結果、その意味を自分なりに深く理解できたものです。こうした効果は、本や映画のような受動的なメディアとは違って、能動的に選択を迫られるタイプのメディアであることや、リプレイ性の高さに故なのかも知れません。

もちろん、SLGをプレイしたことで目からうろこが落ちるような経験は、ゲームを遊ぶ前に、それなりに本を読むなり、映像作品を観るなりして得た知識を前提としたものです。いってみれば、これらの知識を頭で理解した後、深く身体に刻み込ませるためのツールとして、SLGを使ったといえるでしょう。まぁ、正確には期せずしてSLGを使ったというべきなんですが。実際、「よ~し、これから戦国時代を深く知るために『信長の野望』をやるぞ~!」なんて思うことなんて一切ないですし。SLGを遊ぶときは、「よ~し、これから天下を統一しちゃうもんね~」と、”織田信長ごっこ”をすることしか考えてませんから。

逆に、ゲームではイマイチ理解できなかったことが、本を読むことで100%理解できることもあります。手前にとって、そういった本の最高峰が「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」であるわけですよ。

それこそ、当エントリの「その2」、「その3」で書いたようなことは、20年くらい前からぼんやりと考えていたことだったります。が、これまでの人生で別につきつめて考えることもなく、そういった機会もなかったので、呂布が荀彧をコテンパンにする状況を横目で見ながら、何となく「これって何か変だよナァ」くらいに思っていたわけですよ。

こういった20年来のもやもやも、「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」を一読し、更にSLGをプレイするなかで、自分なりに言語化することができました。もちろん難解であることが定評となっている『戦争論』を、大づかみで把握できたことは言うまでもありません。結果、SLGファンとしても軍事ファンとしても、レベルが一つか二つくらい上がった気がします。

というわけで、今回、ここまでダラダラと書いてきた結論はといえば、今回文庫化された軍師の本は『隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ「戦争論」』は、とても面白いだけでなく、SLGゲーマーにも軍事ファンにとっても有用な情報がてんこ盛りになっているので、是非、ポチって読むべし! ということです。


0 件のコメント:

コメントを投稿