2010年4月15日木曜日

久しぶりに下種な本を読んだ

*このエントリは敬称略とします*

『イチローvs松井秀喜~相容れぬ2人の生き様』(小学館101新書)。帯を見た瞬間、「うはぁ、この本には絶対に週刊ポストの野球記事以上の内容はないだろうなぁ」と直感したものの、blogのネタになるならと思い購入。結果、720円をドブに捨ててしまったけど、こうしてblog一回分のネタにはなったので「まぁ、いいか」……ってわきゃぁない。正直、内容は週刊ポストどころか日刊ゲンダイ並みだった(>_<)。

どんな内容かって? 君も720円をドブに捨ててみたまえ。こういう類の本は、その金銭的損失と心の痛み込みで味わうものだ! と、19世紀の欧米の偉い人っぽく上から目線で言い放ってみたいけどね。まぁ、生贄の義務として簡単にご報告すると、「焼肉記者が書いた2人の比較論」ですよ。焼肉記者って何かって? そんなのサッサとググってください。

一応、イチローと松井、両人を公平にみようという努力は見える。新書とはいえ天下の小学館が出してるんだから、ある程度、体裁を取り繕わなきゃいけないってことだろう。 でもねぇ、以下のような文章を読んでどう思う?

「一方の松井は、親から一度たりとも『こうしなさい』と言われたことがなかった。常に、一人の人間として尊重されてきたため、松井は心の広い、大らかな人間になった。松井家の放任主義は自らの意志で考え、行動する人間に松井を育てたのだった」(67頁)

これがね、『松井秀喜、その栄光の人生』みたいな本の一フレーズであれば全然OKですよ。「ああそうか、松井ってそんなに良い人柄なんだ」で済むから。でも、『イチローvs松井秀喜~相容れぬ2人の生き様』って本の内容だからね。しかも、対照的な半生をテーマにした章(第2章:相容れぬ半生)に収録されたフレーズだ。そこで敢えてこう表現するってことは、相容れぬもう一方の存在は、「心が狭く、神経質な人間。他人に言われて行動する人間になった」と理解してくれってことだ。

アンタの邪推じゃないのかって? じゃぁ、これを読んでみてよ。

「(引用者注~イチローと松井の日本時代の成績を比較して)イチローはシーズン210安打に代表されるように、誰もたどり着けない前人未到の領域に到達したが、松井は個人記録にプラスして巨人の3度の日本一に貢献している。日本時代は、野球はチームスポーツという原点を考れば、私は鼻差で松井に軍配が上がると考える」(102頁)

人間って心の底から「しゃらくさい」と思うと、本当にマンガみたいに「プッ」と噴出すんだね。そういう反射行動が手前のなかにもあったってことを知っただけで、もしかしたら720円を支払った価値があったかもしれない、って2秒くらい思ったもの。

張本勲が言うとおり、バットマンは数字で人格が決まるんだよ。どこをどうひねったって「イチローより松井が上」なんてことにはならないんじゃね? それにチームスポーツだといっても、元々のチーム力を考慮しなきゃ何ともいえないだろうよ。

一つ例を挙げようか。20年位前にね、ACミランにルート・フリットって選手がいた。彼のいたACミランはそりゃ強いチームで、国内外のタイトルをとりまくった。フリットも世界最優秀選手になった。フリットは確かに素晴らしい選手だけど、だからといって「ディエゴ・マラドーナより上」ってことはないでしょ? 弱小チームのナポリにいて、ACミランほど優勝はできなかったことをもって、「チームスポーツという原点を考えれば、私は鼻差でフリットに軍配が上がると考える」なんて言ったら、世界中のスポーツファンからハナで笑われるだろう。

って柄にもなく熱くなっちゃったけど、まぁ、全編こんな感じなんですよ。こんな本でも、「なるほど、焼肉記者の論理はこういうものなんだな」ということを、腹の底から納得させてくれたって意味はあったかも知れないけどね!

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