2011年2月19日土曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その14

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

昨日に引き続き『大日本国防史』の感想です。

凡例に、「本書のテキスト部分は、主に竹越與三郎先生著『二千五百年史』(明治42年の第19版)に取材し、兵頭の私見に従って叙述したものである」(4頁)とあるように、同書は竹越与三郎の『二千五百年史』をベースに書かれています。

では、どのくらい『二千五百年史』を“参考”にしているのか? 現在、最も入手しやすい講談社学術文庫版をナナメ読みして比べて見た感想は、「思いのほか多くの部分を参考にしているなぁ」というもの。

章立てなどはほとんど同じですし、「第1章:ヤマト国と大和政権」での人名表記の違和感――「大和武尊」を「やまとたけ」、「中大兄皇子」を「葛城の太子」、「物部守屋」を「物部のもりや」と一般的な歴史本とは異なる人名表記をしている部分――も、実は『二千五百年史』に忠実だったが故のことだったりします。「ロシアの南下とかいうハナシは軍師の余談じゃねぇのかなぁ?」と当て推量していたパートも、『二千五百年史』にキッチリ収録(第四百十二節:ロシアの勃興、東下の歴史、林子平。395頁)されてましたし。

といっても、『二千五百年史』の内容をそっくりそのまま“移植”しているわけではありません。あくまでも『二千五百年史』の“骨組み”を借りて、兵頭二十八師が考える日本の歴史を書き綴ったものです。実際、「1:日本国の始まり」は、最新の研究結果や学説をベースに軍師がゼロから書いたものですし、「41:『槍』が弓にとってかわる」と、「63:戊辰戦争から朝鮮戦争まで」の265p以降と3本の劇画は、完全に軍師のオリジナルです。

その他の史実部分についても、最新の研究に基づいて書かれた部分や、軍師オリジナルの解釈がふんだんに盛り込まれています。一方で、『二千五百年史』で語られている史実を尊重しているところ――例えば藤原仲麻呂や足利尊氏に対する高評価、菅原道真に対する批判などは、『二千五百年史』とほぼ同じ趣旨。こうした点は、現代の研究水準から見ても修正する必要がないと判断した結果かも――もあるので、もしヒマがあるのなら『二千五百年史』にチャレンジしてみるのも良いかも知れません。手前は、ナナメ読みしただけで『大日本国防史』を2倍以上楽しむことができました。

最後に典拠と参考文献について。『大日本国防史』では典拠や参考文献は一切明示されていません。なので、「これって何の根拠があって言ってることなの?」という疑問には、少なくとも本の中ではハッキリと答えきれていません。ただ、典拠、参考文献を明示しないことについては、劇画付で300p前後というボリュームの制約を考えれば、止むを得ないことだったのではないか? と勝手に想像しています。もし、この内容の全てに典拠や注釈をつけたとすれば500pでも収まらないでしょうから。

では、何が本の内容を保証するのか?

といえば、答えは「兵頭二十八師の16年余のキャリア」しかないのでしょう。14年来のファンにして、公刊された全ての著作(共著本を除く)と2002年までのほとんどの雑誌寄稿記事を読んでいる手前の場合は、「あ~、このことは●●年のアノ記事にあった」「これは◆◆のアノ部分でいってたことね。確か引用元は★★」みたいに納得できる部分が多かったりするので、別に問題はありません。多くの兵頭ファンも同じでしょう。ただし、軍師に触れることが初体験リッジモントハイ! な読者には、納得できないことも多いかと思います。

だったら一見さんの読者には『大日本国防史』を薦められないのか? というと然に非ず。むしろ、これから日本史について詳しく知ってみよう! という読者にこそ、日本史を知る上での“よすが”に使える本といえます。つまり、『大日本国防史』(=旧来の史観に囚われないお手軽な通史)をベースに、中公新書の歴史シリーズや吉川弘文館の歴史本などにチャレンジして、「あ~、兵頭って奴が書いたことは、こういうことなのね」「最新の学説ではこうだけど、何で兵頭はこう書いてるんだ?」と内容の検証を重ねながら知識を深めていけるわけです。

とまぁ、ツラツラと書いてきましたが、リアルタイム感想から今日書いたようなことまで、一回読んだら何か言わずにはいられない、何か書かずにはいられない――という気持ちにさせてくれる本なので、兵頭ファンはもちろんのこと、それ以外の本好きの方でも確実に値段分は楽しめるはず。下記のAmazonのリンクから買って手前の懐も潤せ! とはいいません。図書館でも見かけたら、是非、手にとって見てください。



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