2012年4月30日月曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:最終回

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

民主主義を初めとする近代的諸価値とは、数ある宗教の一つである――という事実を事実として認識し、“目が覚めた”市井の一員として、何をすべきか?

知識人であれば、適菜先生や呉先生のように警世の士として活動すべきなのかも知れませんが、あいにく若年のうちに体系的に学問を修めた経験がなく、学識、知性とも残念なレベルにあるので、この道を歩むわけにもいきません。

≪民主教≫を否定し、分相応の生き方をするのであれば、「貧乏な自営業」として精進し、スキルを磨いて、自分のやれることをやりきれば良い。政治に関わる必要は一切ないし、投票に行く必要もない――という生き方に徹するのが、多分、正しいのだと思います。それこそ政治や行政などは、専門家に任せておけば良いってことで。

でも、自分一人がそう割り切ったところで、世の中はB層を中心にガンガン動いていくわけです。政治についていえば、自分にとって悪い方向に舵をきられる可能性も大なわけで……。極端なハナシ、何もせずに黙っていたら、「これから第二次ベビーブーマーより下の世代は年金支給が75歳以降になるから。あと、医療費負担も5割に引き上げね」みたいなことになってしまうかも知れないってことですよ。

となれば、≪民主教≫を追認し、自分の土俵ではなく相手の土俵に乗って勝負するような形になってしまうけれども、昨日と同じようにおまんまを食べ続けるためには、投票することで政治に関与せざるを得ないんじゃないかと。

「じゃぁ、どこに投票すんだよ。お前の利益代表なんてどこにもないじゃないか!」

と、言われそうですが、この問いに対してはハッキリとした答えを持っています。

投票は白紙でOK。とりあえず投票用紙を持って投票に行くことが重要。なぜなら個々人の投票行動は、総務省がまとめていて、「30代男性のうち何%が投票に行ったのか?」といったことは、完全にデータベース化されているから。「誰がどの党に入れたのか?」まではわからないものの、「誰が投票に行ったのか?」までは把握されているわけです。もちろん、こうした投票行動のデータは完全に開示されていて誰でも閲覧できます。

で、世の中の政党は、このデータを基に選挙戦略を立案しているわけです。既存政党が「年金は大事。高齢者の医療費負担は増やしません」とか言っているのも、ジジババが選挙に行き、現役世代は選挙に行かないってことを、これまでのデータで把握しているが故のこと。

言葉を換えれば、白票であれ何であれ、現役世代の大多数が選挙に行くようになれば、「20~30代の得票率が高く、次の選挙では最大の票田になるかも」みたいなデータが出て、これを見た既存政党or新党が、「ジジババよりもデカイ票田なら、これに合った公約を出しておけば勝てるべ」となって、「年金を減らせ、高齢者の医療費負担も増やせ」――となるかも知れないわけです。

もちろんこんな風にわかりやすく、かつ、理想通りに物事が運ぶことはないでしょう。それでも、「王政復古のクーデター」とか「投票率0%で議会制民主政治の危機」とかいう絵空事よりは、ずーっと現実的だと思うんですよ。

さて、6つのエントリを消費して与太話を続けてきた結論が、実に何とも膝カックンなものに終わってしまってアレなんですが、端的に言えば3行くらいで終わることを延々と書き続けてきたのは、手前自身、ハッキリとした持論をもってなくて、書きながら考え、書きながら着地点を探してきたからですよ。

まぁ、書いているうちに「≪民主教≫から解脱して、かつ国内に王族を持たない国家は、政権の正統性をどのように確保すれば良いか」とか「自由と平等以上に大切な契約の概念は、≪民主教≫なき世界でどのように確保されるべきか」とか「世界が束になってもかなわないアメリカが≪民主教≫を棄てたら、諸民族の神は復活するのか」とか、いろいろと思いついて収拾がつかなくなったので、ひとまずエイヤ! っと締めて得た結論が↑であると。

というわけで、わが“心の師”である適菜収先生の『ニーチェの警鐘』を読んでつらつら考えたシリーズは、これで打ち止めです。

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