2012年4月28日土曜日

『ニーチェの警鐘』を読んで考えた:その4

*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。

いまから20年以上前のことですが、呉智英先生が『朝まで生テレビ』に出演した際、学生の質問に対してこう答えていました。

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学生:論語も一つのイデオロギーだと思うんですけど(笑)。

呉:いまの人は非常にいいことを言った。もちろんイデオロギーですよ。だからイデオロギーの時代は終わりであるとか、人権のみがイデオロギーではないという言いかたは止めてもらいたい。


人権は最大のイデオロギーです。しかも、最も悪質なイデオロギーです。なぜか?


論語もイデオロギーであるということは、私も認めている。ところが人権イデオロギストは、自分がイデオロギストであることを認めようとしない。こんなイデオロギーは人類の歴史の中で初めてです。こんな馬鹿げたイデオロギーから、私たちはいい加減覚めなきゃならない。

*都築注:言うまでもないことですが、人権という考え方も近代的諸価値の一つであり、つまるところ「キリスト教の抽出物」であって、ここでいう≪民主教≫と同根のものです。

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ここまで完璧な返しをしたところで、改心したパネリストもオーディエンスも一人もいなかったように、≪民主教≫の信者を転向させたりB層を改心させることは、ほとんど不可能に近い難事なんでしょう。適菜先生曰く、「バカを論破するのは不可能」(52頁)ということ。

さて、手前は「民主主義=キリスト教の抽出物」であると考え、いわゆる近代的諸価値が数ある宗教の一つである――という事実は事実として認識しているつもりです。呉先生の言葉を借りて言えば“目が覚めた”といっていいんでしょう。

では、“目が覚めた”手前としては、現代日本においてどのような行動をすべきなのか?

パッと思いつくのは、≪民主教≫に代わる別の宗教を探すことでしょう。しかし、これは難易度が高い。何しろ200年以上前から≪民主教≫に代わる強力な宗教――その一つが≪民主教≫の分派である≪マルクス教≫だったんでしょうが、結局のところ≪民主教≫の害毒を濃縮加工したようなものでした――は探し続けられているものの、いまだに見つかっていないわけですから。

次に思いつくのは、≪民主教≫に代わる別の宗教を、過去の政治体制から掘り起こし、これを持って政治体制を変革する運動を行うことでしょうか。早いハナシが≪民主教≫打倒を目的としたクーデターです。



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