*以下、適菜収先生の新刊『ニーチェの警鐘』を読んで、いろいろ考えさせられたことについて、思いついたことをつらつらと書いていきます。あと、このタイトルのエントリは99.9%与太話なので悪しからず。
昨日のハナシは、「大多数の人間には宗教が必要」ってことでした。となれば当然、「じゃぁお前は何教の信者なんだ?」ってハナシになるものでしょう。
改めてこのように問われると、「う~ん……実家は浄土真宗。といっても浄土真宗の信者ではないだろうねぇ。強いていえば神道かなぁ。御天道さまに顔向けできないって意識はどっかにあるし。あと、病的なまでの判官びいきってことを考えると怨霊信仰もブレンドされているかも」ってことになるかなぁ。多分、儒教、仏教と神道、怨霊信仰のハイブリッドというのが正確なとこなんでしょうけど。まぁ、目の据わった外国人から問われたら、一々議論するのが面倒くさいので「Buddhist」と答えますけどね。
ともあれ、意識しているにせよしていないにせよ、世間体とか常識とかを考えて行動している時点で、何らかの宗教を拠りどころにしていることは間違いないわけです。そして、こうした道徳、常識、規範、法規etcの大元となる宗教の一つとして、「民主主義(以下、≪民主教≫)」があるということ。
この≪民主教≫の害悪については、適菜先生が既刊で丁寧に書いている通りです。詳しくは『ゲーテの警告』か『ニーチェの警鐘』(第二章でコンパクトに要約されています)を読んでください。ここでは敢えて触れません。というか、下手な引用をするよりは、たとえ立ち読みでも全文を読んでもらった方が誤解がないからね。
ともあれ、ここまでの事実――すなわち、民主主義が数ある宗教の一つであるという事実――を事実として認識できる人が多ければ良いのですが、適菜先生に言わせれば、現代日本の大多数の国民は、こうした事実を事実として認識できないでいるようです。
「B層は民主主義が大好きです」
「それどころか、絶対的な正義だと思い込んでいる。学校でそう教わったからです」
「B層は民主主義を否定すると憤慨します」
「彼らは≪民主教≫の信者だからです」
「骨の髄まで洗脳されているからです」(66頁)
この適菜先生の認識は、多分、正しい。というか、30年前に呉智英先生が、それ以前に西欧の知識人が、もっと前にニーチェ、ゲーテが、それぞれ「≪民主教≫(=民主主義であり近代的諸価値)を疑え」と喝破してきたにも関わらず、世界中に≪民主教≫が浸透――共産主義は、ある意味で最も“進歩”した≪民主教≫の一つ――しているのが現状です。実際、アメリカによる≪民主教≫布教の動きに対するカウンターパートが、「より穏健な民主化(=≪民主教≫)」だったり「赤化(=≪民主教≫」だったりするわけですから。
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