2010年5月26日水曜日

*読書メモ:人類最後のタブー

カリフォルニア工科大学のロジャー・スペリーは、メスで単一の心をふたつに切り分けられることを実証した。この研究で1981年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。てんかん治療の最終手段として神経外科医が行なう「交連切開術」(脳の左右の半球をつなぐ脳梁を切断する)ことで、心が二つに分けられる。

スペリー曰く、「各半球は、それぞれ固有の感覚、認識、思考、発想を持つようになり、そのすべてが反対側の半球がそれに対応して経験したこととは切り離されている……多くの点で、切り離されたそれぞれの半球は別々の“独自の心”を持っているように見える」と。

スペリーの教え子のマイケル・ガザニガの研究。左右の視野にそれぞれ別の写真を提示されると、各半球は解釈と反応は独立して活動を行なう。音感、触覚も同じ。左半球と右半球の知的能力は患者によって違いがある。ある患者は口に出して言えるスペルを右手で書くことができない。ある患者は右手と左手がハンドルの支配権を争うので運転できない。

言語を扱う能力のあるふたつの独立した脳を持つのだから、このような患者には二人の人間が存在すべきと考えるのが合理的だ。しかし、一つの顔から一人の人間を連想する感情的反応が合理的な知的分析を凌駕することと、メスで心が切り分けられるという発想への戸惑いから、多くの人はこの結論を受け入れがたいと考えている。

19世紀末の科学者はパスツールのおかげで、非遺伝性疾患の原因に微生物が関与していることを確信した。しかし、壊血病、脚気などはパスツールの雛型にあてはまらないことも理解していた。

こうした疾患の患者は、“あるもの”を供給(ライムジュース、麦飯など)することで予防、治癒される。“あるもの”は確認されていなかったが、米国の科学者であるカシミール・ファンクは、これらが活力を維持する化学物質であるということを踏まえ「ビタミン」という新語を案出した。vita-という接頭辞は、vital force(生命力)、vitalism(生気論)と同じ接頭辞。

数年というあいだに大衆はビタミンに夢中になった。「ビタミンは分離することも分析することもできない」と伝えられたが、言外の意味は「すべてのものが取り払われたあとに残っているもの」であり、すなわち人間の霊魂が持つ無形の要素ということ。だからこそ夢中になった。

ビタミンの化学物質は比較的単純な有機化合物で別個の化学名を持つ(レチノール、チアミンなど)。しかし、消費者に売り込むためには、生気論用語としてのビタミンを使った方が効果的だ。

なぜ、人は体内でビタミンを生成できないのか? 答えは簡単。「ごく少量しか必要とされない」「たやすく数カ月、数年間体内貯蔵できる」「たやすく手に入れられる食物から得られる」ためだ。祖先は体内で生成できたが、進化するうちにこうした“ムダな能力”を持たなくなった。今日、典型的な食生活を送るアメリカ人がビタミン欠乏症になることはない。食事から十分なビタミンを得られているからだ。

葉酸サプリメントは、新生児1000人中2~3人に決定的な利益を及ぼす。妊娠したアメリカ人女性の約0.4%の胎児が先天性神経管欠損症となっていたが、サプリメント摂取後は約0.1%に低下した。

これ以外に補助ビタミンが有益だったという主張がFDAに承認されたことはない。調査期間は70年以上に及ぶ。補助ビタミンが有益だという主張は、よくてもプラセボ効果、悪く言えば文字通り詐欺的なものだ。

ホメオパシーは、ポスト・キリスト教的世界観が広く受け入れられているフランスでメジャーな存在。フランスの薬局では、普通にホメオパシー療法薬が本物の医薬品と同じだけの棚スペースを与えられている。

例えば、重要な革新と発明が一年間に1%の割合で技術交代をもたらすという前提で計算すると、翌年の技術は99%が同じで、翌々年は98%同じだ。これが470年続くと、西暦2480年に利用されている技術の99%が、今日生存している人々には認識不可能なものになる。1000年後には0.005%=おおむねゼロとなる。

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