PL学園野球部をはじめ、なぜ、古い時代の体育会系部活では殴る蹴るのシゴキが当たり前だったのか? そもそもなぜ殴る必要があるのか? その理由は大方以下のようなものだろう。
A:口で言っても聞かないから
B:身体で覚えさせた方が早く身につくから
C:殴られる怖さで命令に従わせる
D:殴られ蹴られという極限状態に追い込むことで、クソ度胸を身につけさせる
ただ、これだけの理由で殴ることが正当化できるのだろうか? こうした理由には以下のように反論できる。
A’:口で言って聞かないなら、即退部させれば良い。
B’:覚えられないなら覚えるまで教えれば良い。できなければ即退部させれば良い。
C’:指導者が教え子を実力で圧倒していれば、教え子は素直に言うことを聞くものだ。
D’:殴らなくても厳しい練習で身体、精神を極限状態まで追い込むことは可能だ。
もう少し突っ込んで言うと――
「口で言って聞かない奴は殴ってもイヤイヤ従っているだけ。モチベーションが上がらないなかでいくら練習しても、レギュラーを奪うことはできないだろう」
「技術習得には個人差がある。1週間で伸びるのもいれば、1年かかるのもいるし、全く伸びないのもいる。根気よく教え、才能を見切ったら別の道を提示すれば良い」
「例えば落合博満やイチローが打撃技術を教えるなら、多分、教え子は殴られなくても素直に言うことを聞くだろう」
「千本ノック、長距離走など、身体をいじめる練習はいくらでもある。これを命じ、マジメに取り組まない部員はレギュラー降格や退部というペナルティを課せば、身体的、精神的な強さを身につけさせられる」
――のであり、早い話、別に殴らなくても代替できそうな指導法は多いということだ。
なぜ、このような取り組みをせず、殴る蹴るのシゴキを続けていたのか?
手前の考えは、「殴る蹴るのシゴキが結果を出していた」ということと、「指導者や先輩に、教え子を圧倒するだけの実力がなかったから」というものだ。
「Never change a winning team」という言葉の通り、結果を出しているチームを積極的に変えることは難しい。また、野球の世界で飛びぬけた才能は、しばしば思春期における1~2歳の年齢差を超越するほど目立つものだ。つまり、実力で後輩に遅れをとる先輩が少なくないということであり、そこで先輩のメンツを立てるためには、殴る蹴るしか道はないと思い定めている者も多いということ。
指導者にしても、古くからのメソッドから脱却できない者か、選手時代の実力で教え子に劣る者であれば、殴る蹴ることでしか言うことを聞かせられないのだろう。そうした環境では、結果が出なくても「殴る蹴るシゴキを止めて、別の指導法を試そう」とはならず、「今までのやり方はヌルかった。もっと厳しくしよう」と、より過激で安易な方向に進んでしまう。結果、最後には傷ましい事件が起きて出場停止……という憂き目に遭ってしまうのだ。(つづく)
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