見えない「敵」と闘う母――放射能から子どもを守るために(『AERA』より)
小学生の頃、『空気のなくなる日』って本を読んで、「なんでおとなは、こういうバカなハナシをしんじてしまうのかなぁ」と笑っていたものですが、つまりアレですね、人間ってのは100年くらいじゃちっとも変わらないってことですね。
母親についていえば、「度を越した無知ってのは罪なのだなぁ」という言葉しかない。いや、無知なんじゃなくて信念というか宗教的観念(=科学的な知見の伴わない信念体系。信仰であり思い込み)の問題なんだろうね。『放射線怖い教』(都築有©)って宗教の信徒といった方が通りがいいのかも。
で、『放射線怖い教』の熱烈な信徒であるこの母親に、世界中の放射線医学の権威がよってたかって放射線被ばくに関する最新の知見を講義(もちろんサルでも理解できるようなわかりやすい内容の講義)をしたとしても、この母親の「放射線は怖い」という考えは変わらないんだろう。「原発建屋付近以外の地域で測定される放射線量では、急性放射線障害による身体症状の発症はあり得ない」ってことは科学的に証明されているけど、そういうことを言っても、「そんなことをいって、じゃぁアナタはプルトニウムを飲めるんですか!」みたいな極論で反論したりしてね。
「度を越した無知」のお陰でまっさらな脳の“土壌”に、「恐怖」という根源的な感情をインセプションするのが『放射線怖い教』って宗教なわけだから、改宗させるには同等の「恐怖」か「利益」を提示しないだめなんだろう。あるいは別の宗教的観念か。
つまり、「冷静な議論」や「正しい知識」を聞かせたところで、信徒は「恐怖」をベースに編み出された“信念体系”を武器に、「ああは言うけど、こうも言える」と屁理屈をこね続けて正当化するんだもの。よしんば、こういった屁理屈を真正面から完膚なきまでに打ち破ったとしても、「いや、それでも怖いものは怖い」といわれればそれまでなんだし。
と考えていくと、明らかなデマやウソをメシの種――古今東西、最も安定した商売は「信者を作って囲い込む」こと――にする『AERA』は本当に罪深い。商売だからといって何をやってもいいわけじゃないだろう。まぁ、朝日新聞とその周辺で仕事をしている奴らにモラルを説くのは、星野仙一に北京五輪の総括を迫るくらい無駄なことなので、言っても虚しいだけなんだけど。
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