2010年7月25日日曜日

清原和博、「反骨心」:その5

清原の「あれもこれも他人のせい」にする話は、この本のほぼ全編に渡って出てくるものなので、一々指摘はしない。興味があったら図書館で借りるなり、立ち読みするなり、アマゾンで買うなりして確かめてもらいたい。

ちなみに清原の自伝は『反骨心』のほかに『男道』(幻冬舎)があるが、内容はほとんど変わらない。冒頭、ある巨人軍関係者(長嶋一茂のこと)から戦力外通告を受けたという下りから、ドラフト後、桑田真澄を殴りに行くと息巻いたチームメートを止めるエピソードまで同じなので、「写真のある方が良い」のであれば『男道』を読み、「新書版で手に取りやすい方が良い」のであれば『反骨心』を読むのが良いかも知れない。

ただ、数多ある「他人のせい」「プレッシャーに負けた」話のなかで、一つだけ紹介したいエピソードがある。巨人の四番を初めて経験したときのことだ。

「結局、移籍一年目の僕が一三〇試合に出場したとはいえ、打率二割四分九厘、ホームラン三十二本、九十五打点という成績だった」
「ホームランと打点は前年より増えているのだが、打率は低かったし、なによりチームは日本一奪回どころか、四位に低迷した」
「そして、優勝を逃した責任が、史上最高の三億六〇〇〇万円の年俸をもらっている僕に一身にふりかかった。僕は“A級戦犯”の汚名を着せられた」
「というのも、僕が移籍する前年は落合さんが四番を打ち、ジャイアンツは優勝した。ところが、翌年僕が四番に入ったら、Bクラスに落ちてしまった。四番の差がはっきりと出てしまったのだ」(160~161頁)

「ライオンズのころは、『七回も失敗できる』とポジティブに考えることができた。だが、ジャイアンツでは『七回しか失敗できない』と、どうしてもネガティブにとらえざるをえなかった」
「なにしろ、『一回でも』失敗すれば、注目度が高いから容赦ない罵声が飛ぶし、失敗した場面がテレビや新聞でクローズアップされる。ましてやクリーンナップを打つバッターが失敗すると、期待が高いぶん、非難も倍増する」
「僕は、ジャイアンツというチームが持つ見えないプレッシャーに、あらためておそれ、おののいていた」(162~163頁)

この告白を読んで、「なるほど、巨人って大変なチームなんだなぁ」と思った人は、以下の落合博満の回想を読んでみてもらいたい。

「どこのチームの四番であっても、四番は四番なんだよ。もし、ロッテや中日で四番を打っていた時と今とで意識の違いがあったとしたら、オレは今ごろこういう地位にはついていないよ」
「よく『ジャイアンツの四番は特別なのか』と聞く人がいるけれど、それは極論すれば、『お客さんがたくさん入っているときは一生懸命やるのか、入っていなければ手を抜くのか』と聞いているのと同じだからね」(『激闘と挑戦』。128~129頁)

「俺はOBからあれこれ言われても、それをプレッシャーに感じなかったね。よく『巨人の四番は特別なんじゃないか』みたいなことを聞かれるけど、どこの四番も同じだよ。四番は四番、役割は一緒なんだから。だけど、巨人は特別なんだから、巨人の四番も特別なんだと思いたい人がいるんだろうね」
「俺がこういうふうに思えるのは他所を経験しているからでもあり、巨人の落合ではなく落合そのものとして勝負してきたという自負があるからだろうね」(『不敗人生』。81頁)

清原の持つ野球選手としての『肉体的才能』は、多分、落合のそれを大きく凌駕していたのだろう。しかし『精神的才能』についていえば、落合の足元にも及んでいなかったのではないか? 「巨人の四番」を巡る両者の見解を見る限り、こう思わざるを得ない。

「落合と清原が巨人で共存(ファースト落合、サード清原)していたとしたら、既に身体能力のピークを過ぎていた清原とはいえ、いくつかの三冠タイトルは獲れていたのかも知れない」――時々、このように考えることがあるが、自伝に書かれている清原のヘタレ振を知ってしまうと、結局、いまと大して変わらなかったのではないかとも思う。

実際、肉体改造後に落合から、「おまえ、上半身に筋肉をつけすぎなんじゃないか?」(183頁)と指摘されても、これを謙虚に受け入れることはなかったと告白している。

「(都築注:肉体改造の結果)そのために、バッティングフォームが変わってしまったのだという。落合さんは飛距離ばかりに気をとられて、本来僕が持っていたうまさが消えてしまっていると指摘した」
「デビュー当時から僕は、落合さんに折につけアドバイスを求めた。落合さんもそれに応えてくれ、いつも貴重な助言をくれた。どれだけ助かったかわからない」
「だけど、今度だけは自分のやり方を変えるつもりはなかった」
「心身ともにどん底だった二軍生活を乗り越え、一軍に復帰した二〇〇〇年七月七日、七夕の夜の大ホームランで、僕はあらためて気づかされたのだ――『ファンが僕に求めているのは、これなのだ。こういう美しい大ホームランなのだ。それでこそさすが清原だと喜んでくれるのだ』」(184頁)

一体、誰のために野球をやっているのか? 「ファンのために」という言葉は、一見美しい。しかし、突き詰めれば自分のためやるものだろう。そうして技術を高め、チームを優勝を導くことでファンの期待に応えるものではないか? 『バクマン。』の港浦がいう通り、「そんな無責任な意見に振り回されては駄目だ。自分達が面白いと思ったものを信念を持って描く」(『バクマン。』6巻、177頁)ことが肝要なのだ。

この下りを読んだときには、「自分の人生までファンに委ねるのか?」「自分が思うような成績が上げられない、思うように技術を高められず、安易な肉体改造に走ったことまでファンのせいにするのか?」といいたくなった。

「ファンのために」「家族のために」――そうした考え方は、一種の逃げであって、弱い自分に向き合うことのできない人間の常套句でしかない。このことにサッサと気づいて肉体改造ではなく、バッティング技術の習得に精進してくれたら――

・60年代は長嶋
・70年代は王
・80年代は落合
・90年代は清原
・00年代はイチロー

――と、間違いなく伝説の存在になっていたのではないだろうか?





2 件のコメント:

  1. こんばんわ。日下です。
    清原論見ました。説得力ありますね。落合やバクマンなど都築さんは本当に引用が見事ですよ。都築さんに、いつか松坂を評論してもらいたいです。松坂ってどんだけ?なのか。清原と同じく超高校級であったこと、ライオンズ出身であったこと、マッチョになったところ等共通点も多い気がして。ダルとか涌井が活躍してきた昨今、実体が見えずらくなった選手な気がしているんです。

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  2. お褒めいただき恐縮です。選手の才能を見る目はからっきしですが、松坂大輔投手の肉体的才能は田中将大投手とほぼ同じくらいと見ています。高校二年から台頭してきたことや、投手向きの体つき――手足が長く身体が細い、投手以外のスポーツには向いていなさそうなタイプのこと。代表例は西口文也投手、岸孝之投手、木佐貫洋投手など――というよりは、どんなスポーツでもこなせそうなアスリート向きの体つきという共通点もありますし。松坂投手については、彼が自伝を出したときに書くつもりです。

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