2010年7月20日火曜日

清原和博、「反骨心」:その1

「プロ野球選手の才能には『肉体的才能』と『精神的才能』があり、どちらかが著しく欠けていると成功は覚束ない」(都築有)

と書くと、名言っぽく見えて途端に偉そうに見えますが、ともあれこれが手前の持論です。

「スポーツマンでもなく体育会系でもない人間が何を偉そうに!」

といわれると一言もありません。あくまでも、30年ちょっと野球を見続けてきた一野球ファンの意見です。

『肉体的才能』『精神的才能』とは何か?

これを定義づけると、それだけで20エントリくらい消費しそうなので、ここではごく簡単な“オレさま定義”を紹介することでお茶を濁すことにします。

手前が考えるプロ野球選手の『肉体的才能』とは、生まれつきの身体能力のこと。身長、手の大きさ、手足の長さ、足の速さ、肩の強さ、視力、柔軟性、関節の稼動範囲……挙げていけばキリがありませんが、ここでは「練習だけではどうにもならない身体のポテンシャル」くらいに考えてください。

もう一つの『精神的才能』とは、『肉体的才能』以外の生まれつきの才能のこと。一言でいえば「頭の良さとか精神力の強さ」みたいなものです。地頭の良さ(思考の柔軟性、知能の高さなど)、プレッシャー耐性、環境適応の早さ、語学センス……こちらも挙げていけばキリがありませんが、ここでは「練習だけではどうにもならない頭のポテンシャル」くらいに考えてください。

偉そうに“オレさま定義”を紹介している手前は、日頃、プロ野球選手をどのように見ているのかというと――

「あ~そういえばアノ選手は、飛ばすパワーは凄いけどバカだよね」(『肉体的才能』に恵まれているものの『精神的才能』に欠けているタイプ)
「コノ選手は打球判断とか練習への取り組みは素晴らしいんだけど、いかんせん背が低くてパワーがね……」(『精神的才能』に恵まれているものの『肉体的才能』に欠けているタイプ)

――といった具合に眺めています。

で、タイトルに清原和博の著書を上げているのに、何で本のハナシをせずにこんな与太話をしているかというと、手前が清原のことを書くには、この『肉体的才能』と『精神的才能』のハナシを絡めないと、どうにも上手く処理できないからなんですよ。
(つづく)

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