2010年9月7日火曜日

*読書メモ:トムラウシ遭難はなぜ起きたのか

以下、同書「第4章:低体温症(金田正樹)」(150頁~)より抜粋。

体温34℃の段階で震えが激しくなった頃には、すでに脳における酸素不足で判断能力が鈍くなっている。そのため本人、周囲に低体温症の知識がなければ、何が起きているか把握できないまま回復を遅らせてしまうことになる。

身体がガタガタ震えているときに「眠気」がくる理由は、食後に「眠気」がくる理由と同じ。食後は消化器官に血液が集まり、酸素を消費する。血液量は一定なので、脳に行く血液は少なくなる。このために「眠気」がくる。低体温症時の震えは、全身の骨格筋を不随的に激しく収縮させて熱を作り出す現象。熱の産生を最大優先し、筋肉に血液量を増やすため脳血流が減らされて「眠気」がくる。

トムラウシ遭難事件では、低体温症の症状により早期から脳障害を発症することがわかった。低体温によって言語を発する抑制がとれ、自分の意志とは関係ない奇声、意味不明な言語、呂律の回らない言い方、赤ちゃん言葉などを発している。

北沼分岐で待機していた14名はすでに低体温症になっていたが、出発に際してしゃがんだ状態から立ち上がって歩き出した瞬間から、その症状が急激に悪化した。「意識が朦朧とする」「つまずいて歩けなかった」「左右の区別ができない」「意識が飛ぶような感覚だった」と表現している。

静止状態から運動状態になったときに、冷たい血液が体内に一気に流れ、脳や筋肉が機能障害に陥ったのだろう。ここで体温は34℃から33℃に加速的に下がっていったものと思われる。この待機から再出発した人たちのうち6人がわずか数キロのあいだで亡くなったことは、強風雨下に無防備で止まっていたことが、いかに急速に体温を下げたかを物語っている。

低体温症を発症して動けない客に付き添ってビバークしようとしたツアーガイドが死亡しているが、現場は岩がゴロゴロした吹きさらしの場所で、とてもプロの登山ガイドがビバーク地として選ぶ場所ではなかった(都築注~彼に知識がなかったのではなく、低体温症を発症していて著しく判断力が減退していたのだろう)。

同じ日に同じ場所から出発し、トムラウシ温泉に向かった伊豆ハイキングクラブ(男性2名、女性4名)は13時間後、無事到着した。しかし、途中で1名が低体温症になっていた。ロックガーデン付近で遭難パーティを追い越すが、この時点で寒さで震えを感じ、時には「眠気」を伴うようになった。転倒を繰り返しながら歩いたが、トムラウシ分岐を過ぎた頃からひとりの女性の歩き方がよろよろしだす。仲間も支えきれないほどだったが、本人の自覚は全くなく、震えもなかったという。

夢遊病者のような歩き方で、受け答えも無関心でスローだったため、休憩をとり、カロリーメイトを食べ、お湯を5杯のみ、ダウンジャケットを着る。ここからは2人の男性に解除されるような格好で下山する。前トム平からコマドリ沢への下降のころには体調も戻り、足取りがしっかりしていた。

症状から推測すると、体温は34℃もしくはそれ以下だったろう。山中で回復できるぎりぎりの体温で、条件によってはそれから危険な状態になっていたかもしれない。脳症状が先にきて、熱産生のための震えが来ていないことも大きな特徴。一歩間違えば、このパーティも遭難していただろう。周到な準備、仲間意識、前日の短い行程による体力温存、短い休憩などが、無事下山できた理由と思われる。

低体温症が起きる原因について、当初は雨で衣服が濡れ、それに強風が加わることで体温が奪われたものと考えられていた。しかし、遭難パーティ、伊豆ハイキングクラブとも衣服がびしょ濡れだったと証言した人は意外に少なかった。

そこで事故調査委員会が最も注目したのは、悪天候のなかでヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ温泉まで12.5km、10時間の行程に十分なエネルギー補給を行なっていたか否かという点だった。

結果は、初日から遭難当日までの栄養摂取は決して十分ではなかったということ。この点が低体温症に結びつく重要なポイントになったと考えた。悪天候時の行動には多くのエネルギーを消費するために、晴天時よりもご飯、パンなどの炭水化物をとる必要がある。しかし、軽量化を重視したインスタント食品はそのカロリーが少なく、強風に耐えるだけの運動エネルギーと低体温に対する熱エネルギーになるだけのものがなかった。防寒・防風対策の装備以前に、この問題が低体温症の第一の要因になったと考えるべきだ。

低体温症については、自覚症状を見出すよりは「この環境なら低体温症になるかも知れない」という認識が重要。個人の装備、体力などは異なるので、この天候なら低体温症になるとは断定できない。過去の夏山での低体温症の例を見ると、雨、気温10℃以下、風速10m以上の天候で起こっている。しかし、登山者の条件によっては、これより天候が良くても起こり得るだろう。風、湿度、栄養状態、ウェアの条件で誰でもなる危険性があると認識すべきだ。

いわゆる「疲労凍死」については、事故調査はほとんど行なわれていない。その意味で、今回のトムラウシ遭難の調査は意義が大きい。

感想:大量遭難を描いた迫真のレポートもさることながら、気象状況や低体温症、運動生理学などの専門分野について、「一般的な知識」「登山との関係」「トムラウシ遭難との関係」「必要な対策と準備」を、手前のような登山未経験者にもわかりやすく解説しているところが素晴らしい。共著者は全員がその分野のプロにして登山経験者。山岳会に加盟している登山経験者には耳にタコな話なのかも知れないが、“ツアー登山”を考えている人、実際に“ツアー登山”に行っている人は必読の本だろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿